17歳の犯行

 最近“17歳の凶悪な犯行”が社会現象化しています。
 私は17歳の青少年が問題なのではないと考えています。
 私が住んでいるのは集合住宅、いわゆるアパートです。こういうところに住んでいて非常に目につくことがあります。それは、“親になりきれていない親達”です。
  例えば、駐車場で遊んでいけないという注意は、私が子供の頃でしたら親は当然のこと、近所の人からもされていました。ただ遊ぶだけでなく、ボール遊びなんていうのは子供心にも注意されるまでもなく、絶対やってはいけないことという自覚がありました。もし車に当たれば傷やへこみの損傷を与える可能性が高く、その責任は自らが負わなければいけないという思いと、車の出入りが多い中で遊ぶのは適切ではないという自覚もありました。
 ところがどうでしょう。 最近の親連中は注意するどころか、一緒に遊んでいるのです。分別のある子がこれで育てられるものでしょうか。
 学校にも疑問を感じています。
 ゆとりの教育だのなんだのと言って、学習内容のレベルを下げています。でも塾については容認しています。これではたてまえでは平準化された人を養成していても、実際には大きな差別化を生む温床となっているのではないでしょうか。
 運動会で100m走のような順位をつける競技も行わないところが増えているようです。学習同様、実際には潜在的な差があるのを見せないように抑制しているだけです。
 学校は学校での生活を教える場ではないはずです。例え小学校であっても、一人の大人として社会に出たときのことを想定して育てていくのが使命ではないでしょうか。子供であっても、大人社会としてあるべきことを教えていくべきではないでようか。実社会では様々な“差”があり、それが生存競争の優劣を分けています。リストラが続く厳しい現実では、この傾向が一層強くなっていると断言できます。どんな教育を受けてこようとも、少なくとも高校受験ではその現実に直面しなければなりません。これが大学受験ともなればなお強く出てきます。 順位付けもされず、叩かれもされずに育った子供が、こういった現実に真正面から向き合えるのでしょうか。
 いままでの教育と高校になってからの教育やさらに上を目指すための教育や現実にギャップを感じ、精神的な異常を生むのが17歳のころであっても不思議ではありません。これはバカな政治家、バカな親達が生んだ怪物です。
 子供が欲しいから子供をつくる。でもその親となる人自体が、年齢的には大人になっていても、精神的に大人になりきれていないような気がします。親になるのにふさわしくない親がたくさんいます。
 “17歳の犯罪”を責めたり騒いだりするよりも前に問題にすべきことがあるということを知るべきではないでしょうか。