更新記録
2008年5月9日
「聖書の黙想」4月13日分を更新。草むしりをしようとすると蚊に取り囲まれるようになった。まだむこうも要領を得ず、あまり刺されないけれどうっとうしい。昨年造園屋さんにばっさり切られてしまったボリジの近くに今年も大株のボリジが現れた。明日造園屋さんが来るかもしれないというので今年は切られないように目印のポールを立てた。どうか種を取れるようになるまで生き残りますように。
2008年5月7日
「最近のあるじ」更新。ああクレマチス、汝をいかんせん。何だか開きそうな花芽を広げながら、ずるずるとつるを伸ばしてあたりのスミレやカモミールに巻きついている。宇宙人みたいな草だ。
2008年4月29日
「最近書いていること」更新。玄関先にヒキガエルが住み着いた。というか向こうが先住民かもしれない。玄関先の植木鉢に水をやるとひょこひょこ出てきて、ついでに水をかけてあげると気持よさそうに打たれている。手なずけたらそのうち「手乗りガマ」とかにならないものか。夏の手乗りガマなど、涼しげでいいではないか。
2008年4月28日
「最近のあるじ」と「聖書の黙想」4月6日分を更新。聖書の黙想は昨年のHDDクラッシュに続き、録音していたICレコーダーも壊れるというアクシデントに見舞われ、おはらいが必要かと思われる状況。なので新年度分からどんどん更新することにした。植えたことを本人が忘れていたチューリップがひょっこり顔を出す今日このごろ。こういう物忘れは情けないけど意外な喜びがあって楽しい。どんどんつるを伸ばすクレマチス、どこに植えよう。
2008年4月15日
「最近のあるじ」更新。膝痛も去る。ああよかった。無理やりからだを動かしたのがいいほうに転んだ。もういいかげんに植えてやらないとかわいそうだったハーブを植えようとからだを動かしたのもよかったか。カモミールとタイム、秋までにどこまでふえるか楽しみ。桜は終わったけれど、チューリップが次々と色違いの花を咲かせている。そうだ、いつの間にやらつるが伸びてしまったクレマチスも何とかしなければ。でももう地面がないぞ。
2008年4月8日
「最近のあるじ」更新。未だ体調はもどらず。でも3月28日よりはかなりよさそう。そのかわり膝が痛いぞ。引っ越しからずっとだ。年をとったのか、はたまた体重過多に膝が音をあげたのか。
2008年3月28日
「最近のあるじ」更新。眠りが足りない感じが抜けない。話している自分の声が遠くで響いているように感じられ、気持が悪い。一日中ろれつがまわらない(と感じられる)。ずぅーっと寝ていたい。こんなことしていないでもう寝よう。
2008年3月25日
「聖書の黙想」11月18日分を更新。下館の教会での仕事を終えてもどる。これで少し休めるか。と思いきや、今月末締め切りの原稿を思い出す。新年度の準備もあるか。でもペースダウンはできる。と思ったとたんにハーブの苗を買いに走っていた。わがやの庭ではないけれど、カモミールやタイムを植えたい。わがやの庭(所有という意味においては「わがや」ではないけれど)には花オレガノとボリジを買ってきた。ボリジが倒れずに大きくなってくれることを願う。花オレガノはタイムやカモミールとともにミツバチを呼んでくれそうだ。この近辺にミツバチが生き延びていればのはなしだが。
2008年3月21日
「聖書の黙想」昨年の11月11日分と「最近のあるじ」更新。下館の幼稚園の行事を終え、最終的な引っ越しを終えてもどってきた。二日後に下館で最後の礼拝をすると、わたしの下館での5年間が終わる。でも終わりはいつも何かの始まりなんだな。「エデンの東」をずいぶん久しぶりに読み直しているが、おもしろい。登場人物のひとりの中国人コックが非常におもしろい。
2008年3月12日
「最近書いていること」更新。朝起きると、ゆったりと時間をかけてからだを温めた温泉から、上がったばかりのような気分。新学期開始までに何とかなるのだろうか。
2008年3月11日
「最近のあるじ」更新。秋に植えたオレガノ、クリーピングタイム、ローマンカモマイルなどが着実に守備範囲を広げて育っている。うれしい。近所の子どもに踏みつけられていたチューリップも葉が伸び始めた。春はいいなあ。きょうは仕事に集中できる体調ではなく、一日ごろごろ。あるじたちと久しぶりに遊べた。こんな日が必要だ。
2008年3月4日
「最近のあるじ」更新。あれないつのまにか3月。ここしばらくの生活で寿命が縮まった気がする。世の人たちはこのくらい働いているのかなあ。寿命縮まっておこづかい少なかったら最悪ではないか。なんだかぱぁーっと行きたいところだが、何をやりたいかと考えた結果が「うどん打ち」という地味なもので、われながら「なんだかなあ」と思う自分の人生。
2008年2月25日
「最近のあるじ」更新。チューリップの芽が出てきた。レンテン・ローズも白と緑の花をつけた。やっぱり花があるといいなあ。ずっと家にいることがないので、シクラメンの管理がうまくいかず、だんだん花が少なくなってしまう。ほんの少しの手入れなのだが、それができないとてきめんに影響する。正直なものだ。
2008年2月16日
「最近のあるじ」更新。週に一度の更新を心がけているのだけれど、いやはや今回はどうにもならず。
2008年2月10日
「最近書いていること」更新。雪の予報だった昨日、スタッドレスタイヤを買うことあたわざる財政状況を憂いつつ電車で参勤交代。電車の中でカズオ・イシグロの『日の名残り』を読み(言うなかれ、今さらと)、やるなあと内容に感動すると同時に、電車だと本読めることにも感動。久々に集中している自分にも感動した(やることが多くて何についても手につかない感が強かったこの一年だったからなあ)。
2008年2月5日
「最近のあるじ」更新。もうひとつの都で雪かきをして帰ってきた。雪が降ったら運転しないと心に誓い、タイヤ・チェーンも捨ててしまったわたしだが、こういう状況になるとスタッドレス・タイヤの購入まで検討しなければならない。なんてこった。2年以内に新車(「新」しい中古「車」の意)に買い換える計画もあり、今ここでスタッドレスに出費か?と思案投げ首、天候の変化に一喜一憂の今日このごろ。
2008年1月29日
「最近のあるじ」更新。年が改まったのがつい先日と思っていたら、もう1/12を消費しようとしている。消費と呼ぶべきか消耗と呼ぶべきか。あわただしい年末が終われば年度末が近づき、あわただしい新年度がはじまる。あーあ、ネコになりたいぞ。
2008年1月22日
「最近のあるじ」更新。ゆうべ寝る前にソファにすわって歯を磨いていたらあるじ2匹がわたしのひざにふにふにと乗ってきて、あまりのあたたかさにそのまま居眠りしてしまった。目がさめてみたらあるじたちもぐっすり寝ていて、何だか楽しかった。
2008年1月17日
「聖書の黙想」10月14日分を更新。からだと頭の疲れがほぐれてきた。休みのありがたさを痛感。来週から学校の最後の学期がはじまる。もうひとつの都のほうはすべてすでにはじまっているのだけれど。3月までまた走り、4月からのことはその先で考えよう。わたしよりよほど走って疲れているのがわがやの車だろう。キシキシと倦怠感漂う音をたてながらも走ってくれている。えらい。ぐちもこぼさず。えらい。
2008年1月15日
「最近のあるじ」更新。引っ越ししてきた日のままわたしの部屋に積み上げてあった本のダンボールを整理。しかし整理するためには部屋に本棚を入れねばならず、本棚を入れるためには部屋中を占拠すダンボールを何とかせねばならず、なかなかむずかしい。部屋の隅から押し込んだ本棚にどんどん本を詰めて、なんとかした。でも本棚が足りず、まだダンボールに入ったままの本があり、これをどうするかが永遠の課題。引っ越しのたびに本のダンボールはふえていくし。そろそろ減らす人生を考えなければ。
2008年1月9日
「聖書の黙想」10月7日分を更新。昨年のこのころの聖書の黙想データがふっとんでしまい、拾い集めることができたものだけを載せていくことになる。ハードディスクは飛ぶ、パソコンは止まる、USBメモリも(おそらくは静電気の影響か)一瞬にして飛ぶことを思い知らされたころだった。パソコンはやはり寿命にいい影響は与えない。
2008年1月8日
「最近のあるじ」更新。夕食にオーブンで焼いたカニを食べた。一年に一度のぜいたく。オーブンにカニが入った時点からあるじたちの動きがにわかにアクティブになる。この方たちの鼻がかなりいいことを再確認。カニとともにテーブルに移動。しもべのまわりにつきまとい、食卓から落ちるものでもいいからありつこうとするけれど、いつか食べさせてあげたとき盛大にゲボしたことがあるので、心を鬼にして何もあげない。食卓から落ちたカニの殻をなめてたけれど、殻しゃぶりならいくらでもどうぞ。
2008年1月7日
「最近書いていること」更新。最近新聞を読むひまがない、と思っていた。そうではなかった。土、日、月ともうひとつの都に出かけている間に、どっさりとたまってしまい、まずそれを読もうと思っているうちに火、水、木、金の分がその上に堆積してしまうのだった。新年になって12月分をひっぱりだして読んだが、おもしろかった。一ヶ月前のものだと、ニュース性の強いものはすでに古くなっていて、よほどのものでない限り目にとまらなくなるから、ほんとうに読みたいものだけが残る。などということをどこかにすでに書いていたかもしれない、とうっすらと思い出したが、さて真相やいかに。
2008年1月1日
「最近のあるじ」新年特別更新。っていうかひまだったので。大掃除もしない、年賀状も書けない、仕事もしない、テレビもつまらないからDVDを見て過ごしているうちにだらだらと新しい年を迎えてしまった。だらだら起きてても何も起こらないから、寝よう。
2007年12月30日
「聖書の黙想」9月23日分を更新。やらなくていいときに勉強してるあまのじゃく。職場の机の掃除も半分。完全にクリーンにできないあたりが「神隠しの机」を作ってしまう要因。わかっちゃいるけど、それができないのが性分なんだから、ね。以前わたしの机を見ちゃった同僚の牧師が「秋葉さんってこういう性格なんだ」と驚嘆していた。そうは見えないらしいのが、興味深いところ。でもこれ以上神隠しを起こさないよう気をつけたいとは思う。机の上を掃除したら、お気に入りの扇子が出てきた。そう、今ごろ出てくるんだよ、こういうものが。お気に入りの懐中電灯もそのうち出てくることだろう。
2007年12月29日
「聖書の黙想」9月16日分を更新。自分のからだがだんだん自分にフィットしてくるのを感じる。1月末に青天の霹靂のように落ちてきた人事に従い、走りつづけてきたような一年だった。自分にとっていちばん好きなフィールドは?と問われれば、「ここではない」と答えるような場の中で。でも、ひまな時間ができてやりたいことをやっていると、どこにいても同じかな?という気もしてくる。どこに行っても得意な仕事があり、やりたくもない仕事がある。いっしょに仕事をしたい人もあれば、そうではない人もいる。どのような場に臨むにしろ、過ぎていくひとつひとつの時間がわたしを、わずかばかりではあれ深めてくれる(たぶん)。あれ、今年はわがやの分のエンガーディナーがないの?どひゃー、落ち込むなあ。
2007年12月27日
「聖書の黙想」9月9日分を更新。きょうは昼頃まで起きられず。起きるには起きたが気持ちが悪い。クリスマスを駆け抜ける間ずっと維持していた緊張感が解けたか。何にしろ早く寝よう、今日も。
2007年12月26日
「最近のあるじ」更新。毎日どこかで何かをしゃべっているうちにクリスマス終わる。疲れるのは口だけかと思いきや、全身に広がる倦怠感。それでも久しぶりにもうひとつの職場に戻るときたない机の上も新鮮に見え、仕事でもしようと思ったが、できなかった。早く寝よう。
2007年12月20日
「聖書の黙想」9月2日分を更新。立教女学院中学で説教。いよいよクリスマス・モード。明日から25日までどこかで礼拝をしていることになる。夕食後ピアノイスをオットマン代わりにリラックスチェアでくつろいでいたら、いつの間にかわたしの太ももがあるじたちのふとんと化していた。でも2匹がかたまって乗ってくれるととてもあたたかく、いつの間にか眠ってしまっていた。鬼家族は二都にエンガーディナーを配ることを断念し、ツノを格納した。やれやれ。
2007年12月19日
「最近のあるじ」更新。あるじぐりのおかげで、クリスマス・ツリーの飾りはだんだん木の上方に移動(下のほうにあるとかじられるし、はずしてサッカーボールの代わりにシュートされてしまうから)。さらにツリーが倒されるという狼藉に及ぶにいたり、ツリーの飾りはチカチカ電球だけになるかもしれない。きのうは昼食時に久しぶりに家族と外に出てサンドイッチを食べる。おいしいお店が近くにあった。敷地の外に出てなにやらほっとしている自分を発見。休む時間なかったものなあ。鬼家族が公の場ではうまいことどこかにツノを格納していることも発見。結婚は、何年たっても新鮮な驚きに満ちた経験だ。
2007年12月14日
「当方見聞録」を更新。エンガーディナーを作る鬼家族に、注文したバター届かずの一報が入る。すでに備蓄分で生産は可能らしいのだが、万一の場合に備えた分が手に入らず。バターが不足するというニュースはほんとうだったんだ。それはともかく、このニュースが家族のツノをこれ以上尖らせないことを心から願うものである。先にお風呂入って寝ちゃおう。
2007年12月13日
「最近書いていること」更新。きょうは日帰りで二都往還。クリスマス・モードに入ってきた。家族も黙々とエンガーディナーを作りはじめる。触れるもはばかられるほどのピリピリ感が静電気のようにただよい、うーん、何だかなあと毎年思う。しかしこれがおいしいのだから仕方がない。どこで求めたエンガーディナーよりもおいしく感じられるのだから、そのおこぼれに与ることができる幸せをことほぐべきなのだろう。でも、何だかなあ。
2007年12月12日
「最近のあるじ」更新。おお、一週間何もできないままにすぎたのであったか。さすが12月。師でなくても走るほかないかこの季節。
2007年12月5日
「最近のあるじ」更新。あれま、もう5日。クリスマスまであと20日?なんだかよくわからないが、たいへんだという気分になってくる。植え残してしまっチューリップその他の運命やいかに。
2007年11月30日
「聖書の黙想」8月26日分を更新。あれまと思う間に12月にならんとしている。いつもだともう年賀状の文面の推敲が進んでいるころなのに、なにも進んでいない。はて、今年はどんなふうに暮れていくのやら。暮れるというより枯れるという感じが強い、今日このごろ。きのうきょうと、あるじと共に倒れ伏して過ごす。強烈なかぜにやられたときと同じで、いくら寝てもまだまだ眠れる気分。明日は早朝から運転だから、早く寝よう。
2007年11月28日
「最近のあるじ」更新。夜道を歩いたが、11月末とは思えない。寒くない。東京と下館の温度差も考えなければならないが、気味が悪い。春に芽を出すはずだった万能ネギがぐんぐん伸びてしまったのもむべなるかなという感じ。
2007年11月23日
「当方見聞録」更新。疲れ果てたからだを鞭打って、走り疲れてたどりついたコンサートホールで打ちのめされた、という体験を書いた。そんな内容であったとしても演奏を生で聞くことができるというのは福音であり、それは東京のような大都市にいないと享受できないこと。だとしたら東京在住者はどれほどいそがしかったとしても時間を作り、コンサートホールに走るべきだ。一年に一回ほどの可能性しかなかったとしても。
2007年11月21日
「最近のあるじ」更新。前回の更新から記憶がはっきりしないくらい疲れがたまっている。こまめに倒れていたのだけれど、倒れるひまもなくなってきた。かわりにあるじたちがネコ天の上でばたばたと倒れている。一日でいいから代われないかなあ。だれに会ってもにゃあにゃあ言ってるだけでいいから。
2007年11月15日
「聖書の黙想」8月19日分を更新。チューリップ全部埋めた。と思ったら球根がひとつだけ袋の中に残っていた。悲しい。『ここにこんな色のが5本まとめて花をつけ、そのとなりに…』と必死に考えて埋めたのに、何でひとつだけ残る?ブルーカーペット・アイフェイオンという球根も生協のカタログで買ったのだが、説明を見たら花ニラらしい。それじゃ、花が咲く前に炒めて食べよう、と楽しみになる。明日は早朝から下館。寒くなるらしいから気をつけよう。
2007年11月14日
「最近のあるじ」更新。近所に中華料理の店がある。何をたのんでもおいしい。そしてご主人がひまだと、どのような調味料を使っているのか、その調味料はどうやって作るのかまで教えてくれる。それだけの情報を得ても同じ味にはできないと言う自信があるから教えてくれるのだと思う。ピータンと豆腐を和えるのではなく炒めるという料理も教えてくれた。目からうろこがたくさん落ちる店。
2007年11月13日
「最近書いていること」更新。下館は風が吹くと寒い。東京はまだ寒くない。寒い下館で灯油の備蓄を考えたのだが、店に行ってみてその値段の高さに驚愕する。電気暖房のほうが安くつく?と思われるほど。ガソリン代もかなり厳しいが、毎日使う灯油の高値は相当厳しい。ただでさえ険しい家族の表情は鬼に近くなり、あるじたちもおろおろと出会いを避けて歩いている。
2007年11月7日
「最近のあるじ」と「聖書の黙想」8月12日分を更新。かぜはまだ尾を引いている。学校が今日まで秋休みだったのがほんとうにありがたかった。秋休みにチューリップの残りを埋めようと思っていたのだが、おあずけ。そのうちほんとうに夜懐中電灯の明かりをたよりに作業することになったりするのだろうか。それだけは避けたい。
2007年10月31日
「最近のあるじ」更新。土曜日に季節はずれの台風が接近する中決行されたバザーでかぜをひき、まだふらふらしている。このまま治るひまなく下館行きの日が来てしまうと、ちょっとつらい。
2007年10月24日
「最近のあるじ」「最近書いていること」更新。なんだかあちらもこちらもそこかしこがあわただしい。まっとうに仕事をしているのに追いつかない。これ以上無理はしたくないし、最近の性格上それはしない。それはそれでいいのだが(ほんとうか?)チューリップの球根を植える時間がない。夜植えるか?懐中電灯つけて?それはあまりに悲しすぎるし、怪しすぎると思う。
2007年10月19日
「聖書の黙想」8月5日分を更新。ちょっと前までむしってもむしっても草が生えてきていたのだが、最近はむしったあとの成長が鈍く、達成感がある。だがやぶ蚊に対する献血量は相変わらずで、ちょっと達成感を挫く。むしったところに球根を植えてやるのだ。
2007年10月18日
「聖書の黙想」7月29日分を更新。今植えて収穫は来春という説明書を熟読した後に植えた万能ネギがにょきにょきと伸びている。来春のうどんのお供にと楽しみにしていたのだが想定外。この冬枯れて来春また伸びてくるのかいな。どうもそうは思えない。内緒で買っておいたちょっと値段の高い「原種チューリップ」の値札を家族に見られてしまった。不運。
2007年10月17日
「最近のあるじ」更新。おととい更新する予定だったのだが、あわただしすぎてできなかった。涼しくなってきたので球根も植えたいのだが、なかなかできない。うーんうーん、好きなことばかりで生きようとは思わないし主張しようとも思わない。だから少しだけでいいから好きなことやらせてほしい。出光美術館にも行きたい。カニグスバーグの本のことも書きたい。
2007年10月10日
「聖書の黙想」7月22日分を更新。植えようと思ってほったらかしにしておいたカタクリの球根から根が出はじめている。がんばれ家庭内園芸部!タイムとカモミールは庭に根付いた。種をひろっておいたボリジは双葉を出した。人間相手とちがってやればやったなりの成果を返してくれるのだから、やっぱりがんばれ園芸部!
2007年10月9日
「最近のあるじ」更新。カニグスバーグの新作読了。重いテーマを持ってきたものだ。ナチと退廃芸術と。ワルトハイムの名まで出てくる。語りたいことが突出し、主人公たちの人物の造形が浅くなったように思う。むしろ三人のミセスの人物像のほうがおもしろい。カニグスバーグは子どもを主人公にするとも何とも言っていないのだから、それでもいいのだけれど。
2007年10月8日
「当方見聞録」更新。ル・グウィンの新作について書きたかったのだが、続けて届いたカニグスバーグの新作もおもしろく、そして仕事も望むと望まざるとにかかわらず忙しく、なかなか書けなかった。この前まで暑かったのに、家の前のキンモクセイが一斉に花開き、香りを放っている。家庭内園芸部も活動を先鋭化せねば。
2007年10月2日
「最近のあるじ」および「聖書の黙想」7月15日分を更新。カニグスバーグの最新作は「退廃芸術」が登場。ナチス・ドイツによる作品盗難のことが扱われたりするのだろうか。ふたつの場所で進行する物語がどのように結びついていくのだろうか。秋の元気な蚊に献血しながら、匍匐性のタイムとカモミール、花のきれいなオレガノなどを植える。セダムというおもしろい草も見つけたので植えてみた。今度はチューリップの球根ををどこに埋めるか考えよう。
2007年9月28日
「最近書いていること」更新。ル・グウィンの最新作「 Powers 」読み終わる。一作目の「 Voices 」のほぼ2倍、500ページほどになる。翻訳は上下巻に分けることになるのではなかろうか。と思ったらカニグスバーグの最新作が届き、読み始める。今回はフロリダが舞台とあったのでエピファニーの町とは関係がないのかと思って読み始めたが、関係ありそう。ル・グウィンは巻を追うごとに地図が広がっていくのだが、まだ旅の仲間が集結中のような印象を受ける。カニグスバーグの場合は前作の脇役とだれか新しい登場人物とのリンクがひとつずつふえていくようで、こちらも今回どのようなリンケージが生まれるのか楽しみ。
2007年9月25日
「最近のあるじ」更新。朝夕は涼しくなってきた。ハーブも雑草も植え時なのだが、けっこういそがしいのでどうしよう。自分に決断を迫るため、苗は買ってきてしまった。枯れぬうちに植えること。
2007年9月18日
「最近のあるじ」更新。庭に匍匐性のタイムとカモミールを植え、雑草と戦わせてみることに。とりあえずタイムを買ってきて植えてみた。ポリポットから出した苗は雑草に飲み込まれそうだけれど、けっこう強いということは実験済。がんばれタイム。チューリップを植える場所もそろそろ決めよう。
2007年9月13日
「最近書いていること」更新。雨が降ると草が育つ。育ってほしい草よりも、わたしの目には雑草と映る草のほうがよく育つ。でも毎日少しずつでもむしっていると、よけいな(とわたしの目には映る)草は目に見えて少なくなる。成果が目に見えるのは、何にまれうれしいことだ。ル・グウィンもいつの間にか1/3ほどまで読み進んでいる。ル・グウィンの新しいシリーズは、いずれも主人公の視点が社会(あるいは家庭)の中心にではなく周辺にあり、そこから世界を見ているのが興味深い。
2007年9月11日
「最近のあるじ」更新。予定した時間にしゃっきりと起きることができるようになったのはいいのだが、日中濃霧のような睡魔に襲われることあり。濃霧の中でグウィンを読んでいた。
2007年9月5日
「聖書の黙想」7月8日分を更新。こちらでは学校、あちらでは幼稚園はじまる。夏のだらだら生活がたたり、規則正しい早起き生活に翳りが。原稿や考えねばならないことは、けっこうきちんとこなしてきたつもりなのだが何だかたまっている。なんだかなあ。こういうときにル・グウィンとマイクル・コナリーと宮部みゆきがしきりと手招きするように見えるのはなぜか。
2007年9月3日
「最近のあるじ」更新。先週の金曜に更新して移動しようと思っていたのだが果たせず、今週にずれこんでしまった。幼稚園も始まり、ル・グィンなど1ページも読めなかったさ。
2007年8月29日
「聖書の黙想」7月1日分を更新。いよいよ学校の会議はじまり、夏休み終わる。ル・グウィン読むひまなくなり、どうしよう。シリーズ第3作なのだが、巻を追うごとに厚くなる。それだけ書きたいことがあるのだなあと感心。わたしもそういう年のとり方をしたい。
2007年8月28日
「聖書の黙想」6月24日分を更新。9月1日発売予定のル・グウィンの新作が届いてしまった。マイクル・コナリーを放り出してグウィンを読み始める。この状況でいつの間にかコナリーの本が行方不明になるのが最近よくあるパターン。
2007年8月24日
「最近のあるじ」を更新。夏休みの宿題、ウォシュレットの取り付けを完了。ついでに庭の草むしり。と思ったが、ついでにできる仕事ではなかった。しつこい藪枯らしと笹をひたすら引き抜き、あらかじめ短めに折っておいた蚊取り線香が燃え尽きる前に、早々に切り上げる。久しぶりに流れる汗を体験。どこまでを「自分の庭」とするか、線引きをしないと死んでしまうぞ。秋になったらクリーピングのタイムとカモミールを植えるんだ。
2007年8月22日
「聖書の黙想」6月17日分を更新。そうそう、パソコンが直った。サポートセンターに症状を話したら、「輸送費、診断費、部品代等を考えると買い直したほうが安いのでは」という託宣を受ける。仕方ないか、と電話を切ろうとしたら、「増設したハードディスクやメモリを差し替えてみると直ることも」と言われ、どちらも増設していたのでいじってみたら、メモリの差し替えで直った。サポートセンターのおにいさん、ありがとう。
2007年8月21日
「聖書の黙想」6月4日、6月10日分を更新。何をしてすごしてもいい時間があると、結局何もしないに等しいすごしかたをするということがわかる今日このごろ。マイクル・コナリーの最新作を読んでいるから、何もしていないわけではないか。コナリーの前作を3月末に入手したのだが、未だにダンボールの中から発見されず、ひとつとばして次を読んでいる。読みたいからとほかの本と別のダンボールに入れたことがあだとなった。
2007年8月20日
「最近書いていること」を更新。太く打ってしまったうどんは冷やしではなく、あたたかい汁うどんにして食べればよいことを知る。人生どの瞬間も学びに満ちている(プチな学びであるにしろ)。
2007年8月17日。
「最近のあるじ」「当方見聞録」を更新。先日あまりの暑さにだれてしまったうどんを反省し、打ちなおし。ところが今度は太すぎた。15分ゆでるのがふつうのところ、25分ゆでてなんとか中まで柔らかくなるような、そして外側はゆですぎになってしまうような太すぎ。明日仲間とうどんで夕食の約束をしているので打ち直し。今日はうまくいった。あとは輸送中に暑さでだれてしまわないように注意するだけ。よかったよかった。
2007年8月13日
「当方見聞録」を更新。パソコンのOSリインストールをしたのだが、何が悪いのか、スイッチを押してもなかなか起動に至らない。今日も本を読みながらスイッチを入れたり切ったり、起動までに一時間ほどを費やした。パソコンとの対決でお盆休みが終わるのか?
2007年8月7日
「最近のあるじ」更新。今日もうどんを打ったけれど、2時間寝かせていたら生地がだれはじめてしまい、あわてた。真夏は2時間以内にとどめよということか。だからといって30分でだいじょうぶという保証はなし。真夏の寝かせの時間やいかに。
2007年8月6日
「聖書の黙想」6月3日分を更新。久しぶりに打ったうどんは均等に伸ばすことができず、気にして麺棒を転がしていたら伸ばしすぎてしまった。からだでおぼえるというのはほんとうだ。からだが忘れている。麺棒の手ごたえを思い出すのに少し時間がかかった。今週そして来週とうどんを供する機会があるので、それまでに勘をとりもどしたい。
2007年8月1日
「聖書の黙想」5月27日分を更新。明日こそうどんを打つと決め、打つと決めただけでは打てないことがあると何度か経験したため、道具を見えるところに出した。4月に買った小麦粉が冷蔵庫で待っているのだが、いつの間にかもっとも小麦粉の風味を保持しにくい季節になってしまった。もったいなや。がんばってたくさん打とうじゃないか。
2007年7月31日
「最近のあるじ」更新。巡業よりもどる。午後30分だけ昼寝と思ったら2時間爆睡してしまった。調子の悪いパソコンのOS再インストールをしようと思っていたのだが、やらなくてよかった。途中で居眠りしていたにちがいない。7月が終わってしまう。なんだかなあ。
2007年7月18日
「最近のあるじ」更新。明日から10日間巡業に出る(「外遊」という言い方もできる?でも家の外ではあるけれど、国の外ではないから、それはうそになるでしょう)。からだの一部に不具合があり(頭以外に)、部品を交換するか全体を休ませるかしたいのだが、なかなかそうもいかず、おとなはつらいよ。
2007年7月16日
「最近書いていること」更新。久しぶりの休み。昼まで寝ようと思ったが、新潟の地震で目がさめた。新潟での前回の地震と重なる地域があるようで心配。5年間待ったが花をつけない風蘭を屋外に放置しておいたらみごとに花をつけ、次の花芽まで出ている。「ミズゴケが湿りすぎると根腐れをおこす」と説明書にあったから忠実に教えを守っていたのだが、忠実すぎて水気が足りなかったらしい。反省。植物の鉢ひとつでこのありさま。こどもを育てるなんてことはどれほどむずかしいのだろうかと思う。「育てる」という言葉がおこがましいほどのことかもしれないと感じる。夫婦の関係の中でも、自分が期待する方向に相手が成長することなどほとんどないよ。期待するのもおこがましいか?そう思う。相手がその人なりに成長することを、「期待」はじゃまする。直接言葉をかけることはせず、離れたところで祈る。そのようなかたちのほうが「期待」は生きるような気がする。
2007年7月15日
「聖書の黙想」5月20日分を更新。下館でいろいろな方からきゅうり、インゲン、ナスなどをいただく。今はそれが旬であることがわかる。今とれるインゲンは「サツキミドリ一号」という品種らしい。これからとれるようになるのが「サツキミドリ2号」だそうな。同姓同名の俳優さんよりも前に命名されているかもしれないとうかがった。なるほど、ふたつ並ぶと笑ってしまうが、「サツキ」と「ミドリ」にわければどちらもいかにも農作物の名前らしい。迷惑しているのはインゲンのほうか。サツキミドリ一号を油で素揚げしたのが甘くておいしかった。あっ、脂肪肝の敵か?
2007年7月13日
「最近のあるじ」更新。きのうは学校の前期うちあげ。ジャンキ−な炭水化物と、たくさん飲めばジャンキーな100パーセント果汁のジュースをたくさん取りつづけ、この一週間のささやかなダイエットの努力のすべてを、自ら水泡に帰せしめる。いや、それだけではバランスが取れない量を摂取してしまったかも。先に立つことができる性能のいい後悔をだれか開発してくれないものか。いくら後悔が先に立ってもそれはダイエットにはつながらないか。
2007年7月10日
「聖書の黙想」5月13日分を更新。雨っぽい。雨が降ったぶんだけ雑草が伸びる。下館の庭で匍匐性のタイムがはびこっている場所と匍匐性のローズマリーが野生化している場所には雑草が生えないから、移植してみようかと考える。きのう下館で、ちょっと歩いただけで体脂肪率が動くのを経験。それほどまでに動いていないということかと、わがことながら感服し、よし、今日から歩こうと思ったら雨だった。人生とはそういうもの。
2007年7月6日
「最近のあるじ」更新。挫かれた魂のまま、消極的に脂肪肝に立ち向かっている。自覚症状がないのがなんともなあ。コーヒーにクリープを入れるのをやめ、ドレッシングはあとうる限りノンオイルに。大好きな一日一本のポンジュースも間隔をあけた。ポンジュースには何の罪もないのだが、ごめん。あとは気の向いたときにだらだらとダンベル。あっ、クリープにも罪はない、ごめんごめん。それから自覚症状があったらそれはそれでいやだから、自覚症状君にもごめん(どうやら「自覚症状」は男性名詞らしい)。
2007年7月3日
「聖書の黙想」5月6日分を更新。きのう家に戻ると、台所の流し横にまとめておいてあった卵が床に落ちて割れていた。1個ではない。かなりまとまった数が落ちていた。ではなく、落とされて割れていた。これならかぜひいてぐったりしていてくれたほうが、と思いかけたが、あるじは元気なのに限る。そんなところに卵を出しておいたこちらが悪いのだ。新年度3ヶ月が過ぎた。慣れるのかこの生活。それとも疲れ果てるのか。
2007年6月29日
「最近のあるじ」更新。脂肪肝対策の一環として歩こうかと思うと雨が降る今日このごろ。そこできのうは久々にダンベルを発掘し、テレビを見ながらだらだらとやっていたら、きょう上半身の痛いこと痛いこと。でも40肩50肩には見舞われていないので、まあいいか。
2007年6月28日
「聖書の黙想」4月29日分を更新。幼稚園の庭でほかの花に埋もれてしまったすずらんを移植しようと小さなスコップで掘った。どこまで掘っても手応えがない。わたしは球根状のものを掘り上げるつもりでいたのだが、根が直根でかなり深く入り込み、またとなりの株ともつながっている。最後には何だか無理やり引き抜くようなかたちになってしまった。大切に東京に持ち帰ってみると、今まで移植したいろいろなものが草刈りのおじさんたちの手でばさばさと刈り倒されていた。悲しい。
2007年6月22日
「当方見聞録」更新。5年ぶりの人間ドック。昨年夏に体重が80キロに達したことが災いしたらしく、脂肪肝および要治療の高コレステロール値を宣告され、雨の中とぼとぼと帰宅。まあ、ガンですと言われるよりははるかにいいのだが、『しょうがない、運動するか。歩けばいいのか』と久しぶりに下向きながら考えた。久しぶりに敷地の外に出たので、ぱーっとどらやきでも買って帰ろうかと思っていたのだが、挫かれた。
2007年6月21日
「聖書の黙想」4月22日分を更新。今ごろ下館の庭のタチアオイがちょうど見ごろなんだろうなあ。あちらに3日こちらに4日の生活では草花の手入れがまったくできない。教会のバザーがあってあちらに4日いたら、こちらのワケギが枯れはじめていた。しかたがないので?こちらで2種類の雑草だけターゲットにして引き抜くという腹いせをしている。雑草も何年かはびこって大株になっているものなので、なくなっていくのが目に見えるのは快感。
2007年6月20日
「最近のあるじ」更新。あるじは両名ともテーブルの上でくつろぐことを発見。両名とも悪びれることなく堂々の寝そべり。その理由がわかった。ふたつの窓の中間の、風がちょうどあたる高さがテーブルの上だった。だからって寝そべっていいわけじゃないのだけれど。朝ごはん食べるときにテーブル上に猫毛を多数みつけたり、爪を研いだあとなどを見ると、悲しい。
2007年6月19日
「当方見聞録」を更新。ぐら完治。と思ったらこちらが夏かぜをひいてしまったようだ。厳しい週末だったからなあ。朝から湯上りのようなけだるさに包まれる一日だった。
2007年6月14日
「聖書の黙想」4月15日分を更新。相変わらず一行の字数を変える機能が不全のまま。あるじぐりのくしゃみ止まり、どうやら完全に復調。うれしいのだが悪事もすべて復活するかと思うと胸中は複雑。夕方から梅雨の雨が降り出した。と思ったら庭にヒキガエルが出てくる出てくる。学校の入り口の駐車場のアスファルトの上にたくさん出てきて、うれしそうに雨に打たれながらぴょんぴょん飛び跳ねている。家のまわりの蚊を食べてくれるはずなので、暗闇で踏んでしまわないように注意して歩いた。それくらい、いる。
2007年6月13日
「最近のあるじ」更新。あるじぐりは突然の体調不良からは立ち直ったものの、一週間もくしゅんくしゅんとくしゃみをしている。油断していると飛まつを浴びるのでご用心ご用心。うどんを打てなくなって3ヶ月になるだろうか。人生返してという感じ。庭では二十日わけぎがぎゅんぎゅんと成長を続け、食べごろになっているのがくやしい。
2007年6月8日
「最近のあるじ」プチ更新。どんなに体調が悪くても「うざかわ魂」に火がつけば何でもやりますという感じ。完全復調とはいえないが、悪さをし、水はふつうに飲み、トイレもふつうに行き、食だけが食べたいのやら食べたくないのやら投げやりな感じ。だったら「じゃこ海苔」食べるんじゃないよと言いたくなる。
2007年6月5日
「最近のあるじ」更新。あるじぐりはほんとうに調子悪く、水もやっとのことで飲み、よろよろと歩いている。内臓的には何の問題もないとのことで、いったい何がたたったのやら。つきあって朝の5時から起きて調子を見ていたらこちらまで不調になりそう。
2007年6月1日
「最近書いていること」更新。クリスマス・ローズ(花をつける時期からするとレンテン・ローズのほうがふさわしい)二株をやっと移植。直射日光にさらさないほうが生き生きとしている。ハーブも含めて業者さんがばっさりと切ってくれた庭で、2年もの3年ものの株に成長した雑草(茎は刈られたが株元は元気)をむしりとりながら、さあここに何を植えてやろうか、何を蒔いてやろうかと考えている。下館の玄関先は4年かけてスミレ畑にした。こちらはどうしよう。
2007年5月25日
「聖書の黙想」4月12日分と「最近のあるじ」、「当方見聞録」更新。下館のシクラメンは茎はしっかりしたまましかしその上の花が色あせてしまったため花を摘んだ。あたたかい冬だったから早めに花をつけたのだが、こんなに長く花をつけ続けたのは初めてではないだろうか。ボリジというハーブの株を駐車場の脇にみつけ、そのうち種でもとらせてもらおうと思っていたら、草刈りでばっさりと切られてしまっていた。やれやれ。まだ緑色の種をいくつか救出した。黒くなるかなあ。蒔いたら芽が出るかなあ。芽が出たら大切に育てよう。
2007年5月15日
「聖書の黙想」4月8日分と「最近のあるじ」更新。この春から夏にかけての手打ちうどんの友として「二十日わけぎ」というものの球根?を購入しプランターに植えた。楽しみ。なのだけれど、かんじんの手打ちうどんを打っているひまがない。麺棒やのし板もどこにしまってあるのやら。東京のシクラメンは花が終わってしまったが、下館のシクラメンはまだ花をいっぱいにつけている。何がちがうのだろう。
2007年5月8日
「最近書いていること」更新。通称バナナの木というらしい木の枝をいただき、赤玉土に挿した。いい香りのする花がつくので、うまく根がつくことを願う。うまく生き延びてくれたらどこに植えようかと考えながら雑草を抜く。雑草を抜いていたら近所の藪の中にボリジの株を見つけた。今年は種をとらせていただき、来年どこかに蒔こう。家庭内園芸部の活動に関してはかなり活発。
2007年5月4日
「聖書の黙想」4月1日分と「最近のあるじ」更新。晴れれば暑く、降れば寒い。おかげでシクラメンはまだかろうじてへたらずに花をつけている。今年の株より昨年の株のほうが元気なのはなぜだろう。きのうきょうと久しぶりの休み。この前休んだのはいつだったやら。正月以来か?2年物か3年物の雑草を引き抜き、球根を少し植えた。移植しようと思っていたクリスマスローズまでは手がまわらず。うーん、暑くなる前にやりたいのだがなあ。暑いといえばもう暑いか。
2007年4月25日
「聖書の黙想」3月25日分と「最近のあるじ」更新。寒いのだがセーターとかパーカーとかがどこにあるのやらわからず、とりあえず見つかったものをずっと着ている。下館東京往還の要領がだんだんわかってきた。けれどわかったからといって楽になるわけではなく、毎日両肩のあたりに眠気を背負い込みながら暮らしている。寒いと眠くなり雨が降ると眠くなるあるじたちは爆睡の日々を送っている。
2007年4月19日
「聖書の黙想」3月19日分を更新。4月に入って寒くなり、しかしどこに何が入っているのやら、ダンボール箱の中から宝探しをしなければならず、たいへん。しかもたいていの場合探しているものは見つからず、別なものが見つかる。さらに、関係ないものを見つけて喜んでいると、もともと何を探していたかを忘れ、箱に囲まれて茫然と佇むあたりが、やはり加齢に伴う現象?
2007年4月12日
「最近のあるじ」「聖書の黙想」3月11日分を更新。ダンボール箱とその中の本しか見ていないような気がする今日このごろ。わが町下館では信号3回待ちになると「事故でもあったのか?」と思うのだが、この前首都高を走らざるを得なくなり、お金払っているのに一時間以上車が動かないという事態を経験。人生何事も経験だが、不毛な経験というのもあるなあ。
2007年3月27日
「最近のあるじ」更新。29日に東京に本を大移動させるため、ダンボール箱と格闘中。本の量がいよいよ危機的になってきたので、積極的に捨てることを考えはじめた。が、それより前に積極的に買い控える努力が先だろうと気づいた。本を持ち歩くのはその内容を頭に入れていないからであると語り、一冊の本も持たないまま闊達に講義をしてくれたイスラムの学者について井筒俊彦が書いていたのを思い出す。
2007年3月26日
「聖書の黙想」2月25日、3月4日分を更新。明日更新すると、そのあと回線がつながるまでしばらく沈黙のときが続くかもしれない。
2007年3月25日
「聖書の黙想」2月18日からの一週間分を更新。輿石献太郎君の死は未だにわたしの心に重く響く。きょう近所の直売所にイチゴを買いに行ったら、2パック600円ほどに値下げになっている。おいしそうなのになぜ?とお店の人に問うと、「今日取ったものではなく一日たっていますから」と言われた。きのう取れたものなど東京あたりではあたりまえでは?と驚いたのだが、わたしは幸せな環境に暮らしているのかもしれないと思った。
2007年3月21日
「聖書の黙想」1月28日、2月4日、2月11日分を更新。きょうは小山祈りの家での墓地礼拝で説教。たまる説教をなんとか年度内に更新しておきたい。昨年、一昨年のシクラメンの株がきれいな花を咲かせはじめた。夏はほとんど放置状態なのだが、休眠しているのか、何とか花は咲くものであることがわかった。
2007年3月20日
「最近のあるじ」更新。きのうは卒園式。みんなあっけらかんと別れていく。こちらのほうは別れにともなう痛みが年経るごとに強くなっていく。
2007年3月16日
「聖書の黙想」1月21日分と、1月24日、25日の葬送説教を更新。一年の保育の最後の日。なのだがこどもたちはそのようなわびさびもわからず、遊びまわって帰って行った。月曜日には卒園式があるのだが、卒園する子たちはみな「明日もまたね」という感じで手を振って別れていく。前の幼稚園で作っていた「園長の卒園証書」をここでは四年目にしてはじめて用意することができた。
2007年3月15日
「聖書の黙想」1月14日、15日の葬儀の説教を更新。卒園記念ビデオ作成及びダビング作業から解放される。来年の今ごろは今よりも時間がなくなり、今よりもテープのやりとりがむずかしくなる。どうやって卒園式までに作業をこなすのだろう。
2007年3月13日
「最近のあるじ」「最近書いていること」と「聖書の黙想」1月14日分を更新。次の更新がいつになるかわからないので、今のうちに。頭の中は卒園記念ビデオで使ってる旋律が響き渡っている。パソコンでの映像編集は一年に一回ながら(一年に一回だから?)疲れる。寒さが戻ってきた園庭に出ると沈丁花が闇の中で香ってきた。
2007年3月9日
「あるじ ぐり ぐらの 生活と意見」を久々に更新。「協力しあうネコ」という信じられない光景をレポートしたかったのだが、加齢に伴う忘却力アップにより、どういうことだったのか忘れてしまった。情けない。なので別のネタで更新。
2007年3月5日
「最近のあるじ」更新。花壇であまりに過剰に存在を誇示するようになったローズマリー(10年以上鉢に閉じ込めていて、その時点でかなりの太枝になっていた)を南向きの日当たりのいい場所に移植。そこでならどれだけ勢力を伸ばしても許す。今までローズマリーの陰になっていた地面に、種から出たローズマリーの赤ちゃん(そんな映画が昔あった)を多数発見。これでまだあちらこちらにお配りできるというものだ。
2007年3月4日
「聖書の黙想」1月7日分を更新。礼拝後花壇に水をやっていたら暑くてセーターを着ていることができなかった。チューリップの葉のあいだからは花芽が顔をのぞかせている。3月はじめなのにもうモンシロチョウが飛んでいた。これはいったいどういうことか。
2007年3月3日
「聖書の黙想」12月30日分を更新。いつのまにか3月。先週は友人の葬儀であわただしく過ぎた。その疲れが今ごろ出て、全身がじんじんしている。あまりよくない感触。休日を作ることができなければ早く寝るしかないのだが、なぜか読みたい本が現れたりする人生の不思議。
2007年2月26日
「最近のあるじ」更新。若い友は結局手術を受けることもかなわず天に召された。31歳という年齢は、やり残したことよりも、まだ始めてもいないことのほうが多い、そんなときではなかったか。
2007年2月21日
「聖書の黙想」12月23日分を更新。若い友の手術の結果が思わしくないとの連絡を受ける。言葉を失う。
2007年2月19日
「最近のあるじ」更新。業者さんが幼稚園東の崖もしくは土手の草刈りをしてくれた。そろそろではないかと気を揉んでいたのだが、やっぱりすでにふきのとうは出ていた。深い枯れ草が覆い隠していたために見えなかったのだが、あった。踏まれたり切られたりしているので、次の一群が出てくるのを待ってふきみそを作ろう。ああ、今年もまたあの香りを楽しむことができる。
2007年2月14日
「聖書の黙想」12月17日更新。そろそろドングリの木を植えてもだいじょうぶなのだろうか。春一番が吹いてしまうらしいし。いつもとちがう冬の終わり方にとまどう。きのう足利、きょう水戸、あすは佐野に行く。机の上には年度末恒例の仕事がどんどんたまり、仕事のどたばたは例年どおり。
2007年2月12日
「最近のあるじ」更新。夏は室内履き、冬も風呂上りに重宝な布わらじを洗濯。ついでに自分のものを自分で洗濯。久しぶり。昔は洗濯機の渦を見ているのが好きだったのだが、洗濯機の音に耳を傾けながらのんびりと本を読んで午前中を過ごした。そのあとのんびりうどん打ち。きしめんは厚め、うどんは太目の仕上がり。なかなか思うとおりの太さにならないが、どの太さ、厚さでもおいしいから、自分で食べるぶんにはこれでいい。たまった新聞に目を通しているうちに夕方になった。新聞は一ヶ月ほど寝かせると読む部分が極端に少なくなるので、入る情報は濃くなることを発見。
2007年2月11日
「最近書いていること」更新。教会の仕事を終え、夕食を食べながらテレビのニュースを見ていたら、「三連休まん中の今日は」というアナウンスが聞こえ、『そうかい、世間さまは三連休かい』と思った。でも明日は休みでうれしい。天気がよかったら洗濯をしてうどんを打とう。
2007年2月8日
「聖書の黙想」12月10日分を更新。幼稚園の子よりダンゴムシ発見のしらせを聞く。水槽のメダカも活動が活発化している。もうこのまま春になってしまうのか。わが身辺も幼稚園年度末のあわただしさのほかに、いろいろと動きがある。うーん、なんという春の迎え方なのだ。
2007年2月5日
「最近のあるじ」更新。このあたたかさだと、地面に顔をのぞかせたチューリップの芽はこのままずんずん伸びていくのではないかという感じがする。黄金柏も早めに移植しないとだめだろうか。しかしまだ地面が凍ることもあるのだ。どうする?
2007年2月3日
「聖書の黙想」12月3日分を更新。1月の最後の最後のところでストレスたまることがあり、そのまま2月に突入している。ゴジラのように炎を吐きたい今日このごろ。炎を吐く牧師はかなりファンキーな見た目だろうなあ。
2007年1月29日
「最近のあるじ」更新。1月20日に亡くなった方があり、先週も葬儀関連のあれこれで明け暮れる。亡くなる方の傍らにいるだけで、そしてご遺族の傍らにいるだけで、かなりのエネルギーを必要とする。死の力はそれほどに強い。ご遺族の受ける傷も深い。更新記録を見直してみると、わたしも仕事で直面している死から目をそらすように、庭の草木に目を転じている。
2007年1月28日
「聖書の黙想」11月26日分を更新。冬らしくないあたたかい日が続く。しかしふきのとうはいくらなんでも早すぎたようだ。まだかげもかたちもない。ドングリから育てたのをわけていただいた黄金柏は、少し背丈が伸びた枝先に硬い芽をつけている。春になったら土に移そう。しかしすでに木々でにぎやかな幼稚園の庭の、いったいどこに?
2007年1月26日
「当方見聞録」更新。昨年タチアオイを植えたのだが、遅すぎたためちっとも上に立ち上がらなかった。枯れるだろうとそのまま放置しておいたら、冬になっても緑の葉のまま株を保っている。一年草だと思っていたのでうれしい。しかし思ったよりも株が大きく育っていて、思い描いていた青写真とのあいだにまたギャップが。ネコであれ草であれ(もちろん人間も)、生き物はむずかしい。
2007年1月22日
「最近のあるじ」更新。あたたかいせいか、チューリップの芽が伸びて土の上に顔を出しはじめた。これから雪が降ったらどうするんだろう。もう少し深く埋めてあげるべきだったか?チューリップの芽の横で、種がこぼれたカモミールやニゲラも少しずつ葉の数をふやしている。あっ、ふきのとうはどうしているだろう。暖冬とはいえまだ早いとは思うのだけれど、チューリップの芽のこともあるから、明日見に行こう。
2007年1月18日
「当方見聞録」更新。土浦の先まで1時間ちょっとのドライブでお見舞いに。混雑していなければ1時間30分はかからないことがわかったが、つくばの町はわが町とちがって車が多く、疲れる。東京での生活などを思い出すと、商売をするにはあれくらいの人が存在することが必要なのだろうけれど、人が豊かに住むにはちと多すぎるのでは?とも思う。
2007年1月17日
「聖書の黙想」11月19日分を更新。しゃきっと仕事。受け持つ教会のひとつの開闢以来の名簿の索引作り。これがないとなかなか目指す人を探しあてることができないから必須のものなのだが、今までだれも作っていなかった。と思っていたのだが、打ち込みながら最後のページをめくったら、だれかが作った途中までのものが出てきた。あいや、何のための一日がかりの作業か、とわが身を呪った。しかしワープロ用感熱用紙に打ってあるためほとんど文字が消えていて、わたしの作業は無駄にならずにすんだ。はあ。
2007年1月16日
「聖書の黙想」11月12日分を更新。きょうは幼稚園の仕事を休ませてもらい、一日とろとろと寝ていた。どこかで目がさめるかと思ったが、昼食に起きたほかは夕食まで目がさめず、夕食後もいつでも眠れそうな気配。一日寝ていたのは今年度はじめてか?そろそろ卒園に向けての準備が始まる。明日からはしゃきっとしよう。
2007年1月15日
「最近のあるじ」更新。通夜の祈り、葬送の式を終え、最後にご自宅でお祈りして戻ってきた。なんだか疲れ方が以前とちがってきている。こんなぐあいにあと20年たっても同じことをしているのだろうか、というよりできるのだろうか。ちょっと体力的に自信が…。でも脳力よりは体力のほうがまだましか。
2007年1月12日
「最近書いていること」更新。病院で信徒さんを看取る。何回立ち会っても慣れるということがない。からだの状態を表す数値がどんどん低下していく中で最後の祈りを唱えたときに、「行きなさい」という祈りの言葉が祈祷書から自分の中に飛び込んできた。こんなにも重い言葉を自分が相手に向けているのかとはじめて気づいた。
2007年1月8日
「最近のあるじ」更新。毎週の阿見町往還に加え、群馬まで車で行ってきたので、車の距離計がくるくるまわる。下館に車では疲れや眠気が運転に直結していたのだが、最近は疲れていてもあるいは眠くても、それとは切り離して運転している自分がいる。進歩したのか。運転がやっとあたりまえのことになったのか。それとも鈍磨したのか。
2007年1月2日
「聖書の黙想」11月5日分、「当方見聞録」を更新。明日は仕事。きょうは休もうと思い、家族でケーキを食べに外出。とてもおいしかった。久しぶりに仕事以外のことで車を走らせた。少し魂がふやけた感じで気持ちがいい。
2007年1月1日
「聖書の黙想」11月1日分を更新。12月31日は日曜日。よって毎週のごとく午前中は礼拝。午後は車を飛ばしてお見舞いに。夕食後はモーツァルトを流しっぱなしにしてくれるチャンネルがあったのでそれを聞きながら『笹まくら』を読みふける。ほとんどいつもと同じだが、日付が変わるまで本を読んでいても「お風呂に入って寝なさい」と言われないのが大晦日、というか休日らしい感じ。それにしてもこの年になって自分がおこずかいをもらい「お風呂に入って寝なさい」と言われるのだとは、思ってもみなかった。
2006年12月30日
「最近のあるじ」更新。「硫黄島からの手紙」を見に映画館に行き、家に帰ってDVDで「ミスティック・リバー」を見、今は丸谷才一の『笹まくら』を読み直している。やりたいことができるのはうれしい。やりたくない大掃除はしない。
2006年12月23日
「最近のあるじ」更新。20日に幼稚園のクリスマス終わり、きのうは志木で司祭と執事の按手式。きょうは佐野の教会でクリスマス礼拝。あとは明日とあさって、下館と栃木でも礼拝を終え、栃木から茨城の阿見町に行って病床陪餐をすればすべて終わり。と文字にすれば簡単なのだけれど、阿見まで無事に行けるのか。阿見から無事に帰ることができるのか。でもこれが終わればたまりにたまっている本とDVDと映画を見ることができるのだ。がんばろうじゃないか。
2006年12月18日
「聖書の黙想」10月29日分を更新。まだ10月分から抜け出していなかったとは。きょうは土浦の先の阿見町までお見舞いに。片道2時間弱の道のりを行きも帰りも予定の道からはずれ、帰り着いて車から降りたときにはほんの少しだが地球がまわっていた。きょうの日付と曜日も霞の彼方にけぶる今日このごろ。
2006年12月15日
「最近のあるじ」更新。ネコとごろごろする時間もなく、うっかりごろごろしていると居眠りしてしまいそうだ。先週3回病院にお見舞いに行ってから車の運転もちょっとあぶなっかしくなっている。今日は狭い交差点を左折するとき電信柱と戦ってしまい、車の左うしろの擦り傷の上に新たな擦り傷を刻んでしまった。気をつけよう。
2006年12月13日
「最近書いていること」更新。教会と幼稚園を結んでいた無線LANがつながらなくなってしばらくたつ。困っているのだけれど、復旧作業のための時間がない。新年の課題か?
2006年12月8日
「聖書の黙想」10月27日(通夜の祈り)、28日(葬送の式)を更新。一ヶ月ほどの待機を経ての葬儀だった。2年以上を共に過ごしたのちに送り出したので、精神的にもとても疲れていたころだったことを思い出す。今もまだどこかで影響を受けている。昨日の更新記録で『セールスマンの死』と書くべきところを何の疑問もおぼえず『サラリーマンの死』と書き、今朝になってはっと気づき書き直した。
2006年12月7日
「聖書の黙想」10月22日分を更新。おととい水戸で用事があり、行きの電車で『セールスマンの死』を読み始めたら、おもしろくて止まらなくなり、昼食を食べながら読み終わってしまった。同じ時に出たニール・サイモンの『おかしな二人』も、中学生のときに見た映画がよみがえって不思議な楽しい経験をしたのだが、やっぱり芝居はおもしろい。
2006年12月4日
「最近のあるじ」更新。あれ、このまえの「あるじ更新」からだいぶたってしまったなと思いつつ更新作業をしていたのだが、あれから何も更新していなかったのかい。さすが師走。ああ、そうか。先週教会と幼稚園の無線LANが吹っ飛んだのであった。あれから夢のようにワープしてしまった。家族の誕生日などという一大イベントもあったし。その家族はずっとだらだらかぜをひいてるし。
2006年11月24日
「最近のあるじ」更新。カラヤンとワイセンベルクが組んだピアノ・コンチェルトを聞いているのだが、久しぶりにやりたい放題、音出したい放題、わびもさびもないカラヤンとご対面。ロマンティックに響かせるところもあるのだが、トータルすると疲れる。この人はソリストの音も聞かない人だということを再確認。
2006年11月20日
「聖書の黙想」10月15日分を更新。きのうからずっと雨が降り、そうなると無性に球根を植えたくなるへそまがり。学生時代、試験前になると机の上の掃除をしてみたり、なぜかおもしろい本に出会ってしまい徹夜で読んでみたり、ということと同じなのだろう。人間いくつになっても変わらないところは変わらない。でも変わるところは変わっているから、あなどれず、おもしろい。
2006年11月17日
「最近書いていること」更新。朝起きるのがつらい。先月末の疲れがまとまって表面に浮かび上がってきたか。チューリップの球根たちには「早く植えてくれろ」と言われているような気がするし。大きくなりすぎたローズマリーの移植もしたいのだが、いつやればいいのだろう。今年はご近所から柿をいただくことが多い。みのりの多い年とそうでない年があるのだろうか。
2006年11月14日
「最近のあるじ」更新。9日のところでクリタケ拾いのことを書いたが、山小屋のおやじさんはベニテングタケもよく取ってきては干していた。「毒があります」と宣伝しているような毒々しいきのこだったが、よく干せば毒がなくなるといって、わたしたちの味噌汁の具に使っていた。自分がまだ生きていることを考えると、おやじさんの説は、ベニテングタケに関しては正しかったことになる。ほかのきのこはどうなんだろう。
2006年11月9日
「聖書の黙想」10月8日分を更新。明日からはまた寒さが緩むらしい。まだまだあたたかいと感じる今日このごろ。でも待ちきれず今シーズン初鍋。最後に入れるうどんがおいしい。白菜よ、もっと安くなれ。タモギタケ、ヒラタケ、アワビタケなどきのこ類が近所のスーパーに豊富なのがうれしい。きのうはクリタケも見かけたが、貧しくて買えなかった。昔々山小屋のおやじさんとクリタケひろいに行き、ひとつも見つけることができないわたしの足もとからおやじさんがどんどん見つけるのに落ち込んだことがあったっけ。
2006年11月5日
「最近のあるじ」更新。曜日と日付の記憶があいまいなまま2週間ほどが過ぎた。今週あたりから日常業務のしわ寄せを片づけて、ふつうの生活に戻らねば。きょうもまだ長袖シャツだけで過ごすことができる。でもチューリップはそろそろ植えてやらねばな。
2006年10月30日
「聖書の黙想」10月1日分を更新。きょうは月曜だが、電池切れそう。きょう「協力するネコ」の姿を見る。10数年つきあっているが、はじめてのことで、あまりの意外さに笑ってしまった。これはぜひみなさまにご報告せねば。まだ長袖シャツだけで過ごすことができるこの秋はいったい何なのであろうか。
2006年10月29日
「最近のあるじ」更新。24日からは日付と曜日の記憶があやしい。28日に通夜の祈り、29日に葬送の式。29日は幼稚園のバザーもあったのだが出ることあたわず。式を終えて帰ってきたら翌日は何と日曜日。礼拝後に墓参もあり、なんだかまた世界がまわりだしそうな気がする。
2006年10月24日
「聖書の黙想」9月24日分を更新。嵐のような雨の一日。一ヶ月と少し待機していた信徒さんが、朝早く天に召された。病院でのお別れ、自宅への搬送、葬儀社とのやりとり、お祈り、その他諸々の相談などを終えて嵐のような雨の中を帰宅。2年と3カ月、次々と現れる転移との闘いを、ほんとうによく引き受けて立ち向かった。拍手を送りたい。
2006年10月20日
「聖書の黙想」9月17日分を更新。あっという間に一週間が過ぎていく。明日はうどんを打つ日。幼稚園のバザーがあるから、2週間分打っておこうか。タッパーに入れると冷蔵庫で乾燥しないことを発見。こまめに打つことができればそれにこしたことはないのだが。
2006年10月19日
「最近のあるじ」更新。気持ちのいい秋の日だ。今年の幼稚園スズメバチ環境はきわめておだやか。オオスズメバチの飛来がほとんどなく、ふつうのスズメバチも10匹以上を一度に見かけることがない。9月に毛虫が大発生するという事態があったが、そういうことと何か関係しているのだろうか。
2006年10月18日
「聖書の黙想」9月10日分を更新。リコーダー・アンサンブルが音の低い編成でパーセルのファンタジアを演奏するCDに耳を傾けながら、頭のどこかで死について考えながら、秋の夜を過ごしている。友人の病気や死といったものがだんだん身近に感じられるようになってきた。「死を友とする」という言葉がわたしの訳した本の中に出てきたが、いやどうして死はなかなかに手ごわい相手だ。
2006年10月15日
「聖書の黙想」9月3日分を更新。礼拝を担当している三つの教会のいずれ冷房設備を持たない。いろいろと着込んで礼拝をする身としては、今日このごろの気候がからだにやさしくてとてもいい。説教も夏のころのものは、わが作品ながら疲れているように感じる。
2006年10月13日
「当方見聞録」を更新。昨年のいつ見たのかもおぼえていない映画。このコーナーも「聖書の黙想」同様素材がたまりつつある。こまめな更新を今一度めざすこととしよう。
2006年10月12日
「聖書の黙想」8月27日分を更新。ちゃんと作ったうどんはゆで時間にあまり神経質にならずとも(ゆですぎたかと思っても)、コシはしっかり残るものであると最近わかった。毎週同じようなことを続けているのだが、いくらでも新しい発見がある。そろそろ鍋のシーズンも到来。うどんひとつで世界はこんなに楽しくなるものか。
2006年10月11日
「聖書の黙想」8月20日分および「最近のあるじ」を更新。先日の台風に伴う風雨でスズメバチ・トラップのひとつが木から落ちてしまった。そこで新しいものを作り、ハチが飛ばない夜8時過ぎに仕掛けに行ったのだが、幼稚園の防犯灯の明りを頼りに飛んでいたのだろうか。頭の近くで思い切り威嚇され、死ぬかと思った。本来肉食であるスズメバチだが、山茶花の花のミツを吸うくらいしかないから、必死でミツを集めているのだろう。
2006年10月5日
「最近書いていること」更新。スズメバチ次々とトラップにかかる。ルリタテハをはじめとするタテハチョウの仲間がトラップにかかってしまうのが悩みの種。ルリタテハなんか生まれて初めて目にするのがトラップの中だった。悲しすぎる。
2006年10月4日
「最近のあるじ」更新。幼稚園の子たち、運動会に向かってテンションを上げつつあるが、台風に刺激された秋雨前線もテンションを上げつつあり、週末の天気予報は予断を許さないものあり。台風が沖縄の手前で落とし穴に落ちてなくなるとか、そういうことは起きないものだろうか。
2006年10月2日
「聖書の黙想」8月13日分を更新。幼稚園は願書の受け付けがはじまる。小規模教育施設の責任者としては、気を揉んでもしかたがないとわかりつつ、気になる日々。信徒さんの容態が気になり、運動会当日の天候が気になり、いろいろ気にかかる今日このごろ。スズメバチの飛来も本格化しはじめた。ただオオスズメバチがほとんどいないのが、今年の幼稚園の庭の特徴。
2006年10月1日
「聖書の黙想」8月6日分更新と7月30日分の告知。ちょっと深く死を意識するこの二日ほど。
2006年9月25日
「最近のあるじ」更新。半袖では寒いくらいになってきた。ポーポーの木はばたばたと実を落としつづけるので、先週末ためしにひとつ収穫してみた。熟れていないバナナのように外皮が緑色だったのだが、それがだんだんきいろく変化してきたと思ったら、部屋中に何とも言えないかぐわしい香りが漂いはじめた。そこできょうは立って手の届く範囲の実をすべて収穫。熟したら幼稚園の先生たちと毒見をしてみたい。そしてもしだれも死ななかったら、来年は早めに収穫だ。
2006年9月21日
「最近書いていること」更新。ボランティア活動の義務化を提唱する人が総理になり、教育改革を行うそうだ。いったいどんな改革になるのやら。お願いだから幼稚園には手をつけないでほしい。
2006年9月20日
「最近のあるじ」におまけ画像を追加。今回の写真もずいぶんカウンタを回している。庭のポーポーの木、実が半分ほど落ちてしまった。そういうものなのか、はたまた何か対策を講じるべきものなのか。このまま枝についたままにしておくともっと落ちてしまいそうな、いやな予感あり。でも、バナナのようにもいで熟成が進む感じもしないしなあ。めまいは一晩だけのものだったので、こんなことを考えることができる。
2006年9月18日
「聖書の黙想」7月23日分を更新。土曜日夕方に生まれて初めてめまいに襲われた。説教ができないのでソファで横になり、電話が鳴ったので立ち上がったら世界がまわりはじめた。強烈な左回りで、電話に目を合わせようとするのだが次の瞬間視線が左にパーンと飛ばされる。それの連続。IBMのノートパソコンのトラックポインタがいうことを聞かなくなったときとそっくりだと笑いたかったが、その余裕なく、早々に電話を切ってまた横になる。電気が明るいと気持ち悪いので電気を消したら、そのまま眠ってしまった。起きてまだふらふらしていたのだが、それでも食欲がある自分をほめてあげたかった。
2006年9月15日
「最近のあるじ」更新。この写真は撮りながら笑ってしまったほどのお気に入り。デスクトップにも飾りたい。近所のお宅の椿の木にチャドクガを発見。一回目にすると簡単に見つけることができるようになる。ふだん目には入っていても見てはいないものがまだまだたくさんあるのだろうなあ。
2006年9月12日
「当方見聞録」を更新。きのう更新するはずだったのだが、きのうは食卓の横をすり抜けようとしてなぜか失敗。2台置いてあったノートパソコンの、自分のではないほうのコードを足に引っかけ、これを見事に床にたたき落とす。なんでそんなことになるのかと落ち込みながら寝てしまったので更新できなかった。なんでかなあ。
2006年9月10日
「最近書いていること」更新。おとといチャドクガをみつけ駆除したのだが、あなどって半袖シャツで作業したのがたたり、おそらくは幼虫の脱皮の殻が右袖に入り、腕の付け根に発疹が多数。でもあまりかゆくない。ドクガの被害はもっとひどいというから、まだラッキーなのだろう。チャドクガを目視したのは実は今回が初めて。自分が刺されたのも初めて。チャドクガはわたしの世界の中で名を与えられ、わたしの世界の中に登録された。さほどの恐れを感じる必要はないという情報、ドクガにはより深い注意が必要という情報とともに。
2006年9月8日
「最近のあるじ」更新。昨年まで眼中になかったポーポーの木だが、たわわなみのりがうれしい。まだ緑色で固そうだが、やがて色が変わり、実が割れていい香りがしてくるそうだ。楽しみ楽しみ。椿にチャドクガ、桜にイラガの幼虫を発見。今年はスズメバチや毛虫の発生が多い。自然とともに生きるということはこういうことで、すべてが人間に都合がいいというわけではない。
2006年9月6日
「聖書の黙想」7月9日分の告知と7月16日分の説教を更新。仕事始めに蒔こうと思っていた種をどこに置いたか失念。こうなると出てこないんだ、最近は。やんぬるかな。今週は会議で水戸や大宮へ行くので読書がはかどるはかどる。月曜から4冊を読み終わり、5冊目の宮部みゆきに入った。会議はきらいだけれど電車は好き。
2006年8月29日
「最近のあるじ」更新。楽しい夏休みも終わろうとしている。そしてわたしのからだには夏前の疲れが相変わらずたまっているように思えるのだが、気のせいか。行きたいところに行って疲れたのだからいいではないか。ここからはノンストップで年末まで転がり行くのみ。今年は12月24日が日曜日。三つの教会でどのようにクリスマス礼拝(とイブ礼拝)を行うのかもすでに各教会と話し合った。さあ、仕事始めに花の種を蒔くぞ!
2006年8月20日
「最近のあるじ」更新。先週はブリジストンに引き続き、佐野の栗田美術館へ。伊万里と鍋島のとてもいいものだけをこれでもかというほどに堪能。にわか雨にはたたられたけれど佐野ラーメンも堪能し日本ミツバチのミツもゲットし、休みらしい休みを楽しんだ。
2006年8月16日
「当方見聞録」更新。きのうは絵が見たくなりブリジストン美術館へ。大学生のとき以来だから20数年ぶり。ルオーの『郊外のキリスト』は運良く夏の常設展の中に入っていた。かつてはフランスもののひとつとしてギュスタブ・モローの絵の近くにミスマッチングな感じで置かれていたように思うのだが、今回は年代順にそしてルオーの作品はまとめて展示されていた。せっかく東京まで行ったのに親のところには顔も出さない親不孝者。でも楽しかった。
2006年8月14日
「聖書の黙想」6月25日に関する告知と、7月2日分を更新。ル=グウィンの「VOICES」読み終わる。おもしろかった。プランターにはびこる雑草を引き抜いてみたら、その下にこぼれ種から成長したビオラがたくさんあり、花をつけ始めている。もう少し株が大きくなったら花壇に植えよう。いま花壇は午後いっぱい日があたる灼熱地獄。
2006年8月11日
「聖書の黙想」6月18日分を更新。ル=グウィンの新作届く。おもしろい。やはり「本」と「読むこと」がキーワードになるのではなかろうかと、1/3ほど読んだところで思う。きょうはタマの一年の記念日。お墓のまわりではミョウガとケープタウンブルーが元気。記念に植えたラベンダーは暑すぎるのか元気なし。自然は人の思い通りにはならないということか。人の思い通りになることなど、実はあまりない。
2006年8月9日
「最近のあるじ」「当方見聞録」を更新。夏休み効果とでも呼ぶべきか。ル=グウィンの「Gifts」のほとんどを二日間で読むことができた。そのかわりほかのことは見事なほどにしないのだけれど。続巻もまもなく届くので、ばりばり読んでやろう。
2006年8月3日
「最近書いていること」に教会だより8月号原稿を更新。去年はまったくと言っていいほど収穫のなかったミョウガが、今年は食べきれないほど頭を出している。何が影響するのだろうか。それはともかく、これも庭で採れてしまうのがとてもうれしい。
2006年8月2日
「聖書の黙想」6月11日分を更新。たいしたこともしていないのだが、休みが少ないので疲れが背後霊のようにつきまとう。近所のお豆腐屋さんでまだあたたかい「おぼろ豆腐」をゲット。これに黒蜜をかけてみたらうまいことうまいこと。香港で食べた豆腐花のような感じ。それがおとといのことで、それから毎日おぼろ豆腐を食べている。豆腐のまわりの水も豆のスープのような味わいでおいしい。この夏はうどんと豆腐で乗り切るか。
2006年8月1日
「最近のあるじ」更新。梅雨は明けたがクーラーをつけっぱなしにしているかのごとくに涼しい。昨年の今ごろはセミの幼虫が開けた穴がそこかしこにあったのだが、今年はまだ数えるほど。セミの抜け殻コレクターとしては夏全開を待ちわびる今日このごろ。
2006年7月28日
「聖書の黙想」6月4日分を更新。きのうまで幼稚園の研修、来週は夏期保育。その合間を縫ってきょうは小山に栗の苗を植えに行った。小山の墓地の入り口に大きな実がなる大きな栗の木があり、わがやの手作りマロン・グラッセの原料を供給してくれていた。しかし昨年枯れてしまいとても残念に思っていたのだが、その木の栗の実から苗を育ててくれていた人がいた。切り株の横に(そしてお楽しみで内緒の場所もう一箇所に)いただいた苗を大切に植えた。育つかなあ。とても楽しみ。
2006年7月24日
「最近のあるじ」更新。幼稚園が休みに入ったと思ったら、こどもたちが育てたミニトマトがちょうど食べごろに。世の中うまくいかないこともある。むだにしてはいけないので、収穫にいそしむ今日このごろ。来年は自分用にナスの畑をどこかに作ろう。
2006年7月18日
「最近書いていること」更新。この春ブッドレアという木をいただいた。その辺に挿しておけば根がつくと言われ、適当に挿しておいた。ほんとうに根付き、二本の小木がまもなく花をつけようとしている。チョウを呼ぶ花と呼ばれているらしいので、楽しみ。でもチョウが惹きつけられるということは、ハチも集まるということだろうか。今年はオオスズメバチは少ないがスズメバチは昨年より多くトラップにかかっている。チョウだけが集まりますように。ポーポーの木にたくさんの実がついている。これも楽しみ。
2006年7月15日
「最近のあるじ」更新。夜クワガタのケース三つのえさのようすを見に行くと、ケースの外にメスが一匹たたずんでいる。あれ、逃げた?とケースの中を確認すると、管理を委託された数は満たしている。どうやらゼリーの香りに誘われてどこからか遊びにきたらしい。ケースの外にもひとつゼリーを出してあげた。自然が豊かなところなんだなあ、このあたりは(と前にも同じことを書いたかもしれないが、更新記録もここまでたまると確認しに行くのはためらわれる)。
2006年7月12日
「当方見聞録」更新。年末に読み終わっていた本のことだ、やれやれ。あっ、6月28日と同じことを書いている。情けなや。気がつけば今年も早半ばを過ぎ、幼稚園は夏休みの行事準備モードに入っている。
2006年7月9日
「聖書の黙想」5月28日分を更新。きょうは小山で午前中草刈り、午後礼拝。一週間前から絶望的な天気予報が続いていたが、時々雨がぱらつく程度の曇天で、暑いよりはよほどよかった。マイマシンでの草刈りもうれしかったのだが、作業後の疲れが全身にこたえる。もっとまめに運動しなければ。
2006年7月8日
「最近のあるじ」更新。土曜なので幼稚園は休みだが、午前中に教会委員会。終わるころに「おうちから幼稚園まで自転車でどれくらいかかるか」チャレンジの年少さんとおかあさん登場。一緒にジュースをいただき、午後は来週のためのうどん生地の仕込み。その合間にパソコンで仕事。あきると宮部みゆきをちょっと読み、また仕事。夕方ハチのトラップの見回りをし夕食。食後にうどん切り。その後明日の合同礼拝の道具を準備。明日は草刈りもあるので、燃料タンクとモーターを担ぐ方式の草刈り機を組み立て。分解したのが一昨年だったので、そしてその間に老眼は着実に進んでいたため、思ったより難儀。クワガタのオスがひとつの入れ物の中でけんかをしているので、もうひとつ空の水槽をさがしてきて片方を投げ込む。帰宅して更新作業を終えようとする今はもう7月9日寸前。忙しいようだが実は明日は説教をしなくていいのでこんなにいろいろなことができた。幸せな一日。
2006年6月30日
「最近のあるじ」更新。このところの暑さはこたえるらしく、あるじたちはそこかしこで行き倒れている。玄関に通じる居間のドアのすき間から風が入ることを発見したぐらは、ドアにぴったりと身を寄せて過ごしている。毛皮着てるからなあ。
2006年6月29日
「聖書の黙想」5月21日分を更新。きのう今日と会議で外出。出席してもしなくてもいいような会議で二日も人生を使うととても損をした気持ちになる。幼稚園でハチ退治の作戦を練っているほうが楽しいし、向社会性も帯びているし、よほどいい。
2006年6月28日
「当方見聞録」久々の更新。しかもその内容は昨年12月のこと。うーん、ネタは相当たまっているのに。ちょっとこのところ根性を失っているか?「聖書の黙想」もためているし(原稿はできているのに)、「最近のあるじ」も変わっていないし。暑いし。でも、食欲だけはあるの。そうそう、チューリップを掘り起こした。よく肥えたものもあるのだが、多くの球根はニンニクのようにいくつもの小片に分かれてしまっている。これでは花は咲かなそう。教会の玄関先で球根を干していたら、お帰りの年少さんがおかあさんに「これクリ?」と聞いていた。そうそう、形は似ている。その観察眼はいいぞ。
2006年6月22日
「最近書いていること」に教会だより6月号の記事を更新。そんなことをしているうちにもう7月号の記事を考えるときではないか。チューリップも掘り出してあげないといけないのだが。やりたいこととやるべきことはたくさんあるのに、時間がない。チューリップの球根はこのまま土の中においておいたらいっそう肥えて、よりすばらしい花を来春咲かせる、というようなものではないのだろうか。掘り出せと書いてあるのだから、そうじゃないんだろうな。
2006年6月18日
「聖書の黙想」5月14日分と「最近のあるじ」更新。昨日教会のバザー、そしてきょうは礼拝の合間をぬって保育参観。更新は予定通り滞りっぱなし。6月1日の記録を読んでいて思い出したが、チューリップの球根を掘り出さねば。梅雨の晴れ間の日にそのことを思い出せるだろうか?心許ないことはなはだしいものがあり、わがことながら情けない。
2006年6月9日
「最近のあるじ」更新。先週の宿泊教役者会がたたったか、更新が滞っている。教会バザーも秒読みに入るところだし、来週も滞るか?県に提出の書類締め切りもあるしなあ。
2006年6月1日
「最近のあるじ」更新。いつの間にか6月になっている。無為というわけではないのだけれど、有為とも言いかねる日々があっというまに過ぎていくのには、慣れることができない。花が終わったチューリップの球根を土中で太らせているのだが、油断していると茎も葉も枯れ落ちて居場所がわからなくなるとわかっていながら、今年もあらかじめ目印の棒を立てておくのを忘れ、どこに球根があるのかわからなくなってしまった。
2006年5月23日
「聖書の黙想」5月7日分を更新。敷地の南の庭に何とも知れない豆科の植物が大発生。これはいかんとむしりとったのだが、取り残したものがびっしりと種をつけているではないか。これがこぼれれば来年もまた大発生まちがいなし。どうしようかと思っていたらすごい雨が降ってきて、作業は強制的に終了。笹についで強敵登場、ハーブはいくら祈っても消えていくのだが、これらの敵の強いこと強いこと。そうそうハーブ界の雑草レモンバームは、ミントほどではないがかなり勢力を伸ばしている。何とも知れない豆科と仁義なき戦いをやらせてみようか。
2006年5月22日
「最近のあるじ」更新。幼稚園の庭の木に毛虫(毒なし)発生。栃木の教会ではシロアリ発生。この一週間で殺虫剤を使う機会が多かったのだが、だいじょうぶなようでやはり影響が出るもので、かぜのようにのどと鼻が痛む。幼稚園の書類仕事が明日で主要な部分がほとんど終わる。6月はゆっくりできるかな?と考えたらバザーがあった。じっと手を見る。
2006年5月21日
「最近書いていること」に教会だより5月号原稿を更新。はじめのページの4枚組み「ぐり」写真が250を上回るカウンタをまわした。これほどのレコードは今までなかった。おもしろかったねえ。で、次どうしよう?
2006年5月14日
「聖書の黙想」4月30日分を更新。一昨年前の秋に買ったシクラメンが昨年末から再び花をつけた。何もしなかったのに花が咲いたのだから、手入れをしてあげたら花も葉ももっと見事につくのではないかと単純に考え、花の終わった鉢から球根?を出し古い土を落として新しい土でくるみ、再び鉢に入れた。来年が楽しみ。庭仕事も料理も、手応えが返ってくるのがうれしい。牧会の仕事は年度の区切りすらなく、10年以上続いたりするからなあ。
2006年5月12日
「最近のあるじ」更新。幼稚園の理事会関係の仕事が一区切りつく。と思ってカレンダーを見ればいつも間にか金曜日にワープしている。忙しいのだけれど、園庭の笹を刈るのと、咲き終わったチューリップに肥料をあげて球根を太らせるのを忘れないこと。と、更新記録がいつの間にかポストイットと化す今日このごろ。あっ、「教会だよりの原稿」も貼っておかねば。そうそう、カウンタが40000を越えた。延べ40000人のみなさんに感謝。
2006年5月10日
「聖書の黙想」4月23日分を更新。5月の幼稚園は忙しい。連休明けで泣いている子に「耳鼻科検診」などというこわいものが立ちふさがる。理事会と県のヒアリングの準備でこちらはバタバタ、先生たちは来週が家庭訪問。5月の「教会だより」を出さなければならないのだが、原稿を書いているひまがない。
2006年5月5日
「最近のあるじ」更新。3日間朝寝坊を楽しんだ。きょうはあるじの一歳の誕生日を祝うとともに、しもべ連盟の結婚16年が過ぎ去ったことをことほぐ機会ともなった。よりにもよってこのメンバーが16年間連盟関係を維持できたことは奇跡と呼ぶほかなく、このような経験はわたしをより敬虔にする。やっぱり神さまは存在するとしか考えられない。あるいは、このようなできごとは「すべての連盟関係締結者」に対する希望のともし火?
2006年4月28日
「聖書の黙想」4月16日分を更新。世は大型連休らしいのだが、わたしが休めるのは5月の3、4、5だけだ。大型ではないが、それでも3日休むことができるのはたいへんうれしい。何をしたいか?寝ていたいに決まっている。うどんも打つけど。
2006年4月25日
「最近のあるじ」更新。何だかだるく、いくら寝ても寝足りない感じ(と書くほど寝てもいないのだが)。新学期の疲れがまとめてやってきたのだろうか。でもしっかりうどんは作っている自分に拍手。
2006年4月20日
「当方見聞録」更新。今はじめのページで歌舞伎顔を披露しているあるじぐりだが、その不器用さが気になる。たとえばぐらは、いすに座っているわたしの背中にすっと飛び乗ることができる。ぐりはというと、思い切り助走をつけてこちらの膝に駆け上るのだが、勢い余って落ちかかり、膝のあたりにバリバリと爪を立て、結局落ちていく。何なのだろう。あまりのけたたましさとばかばかしさに、こちらは茫然とするのみ。
2006年4月19日
「聖書の黙想」4月9日分を更新。気がつけば4月も後半にさしかかっているではないか。正月にごろごろして以来走りっぱなしではないか。それでもふえつづける体重には脱帽のほかない。
2006年4月18日
「最近のあるじ」「聖書の黙想」4月2日分を更新。桜が落花の雪となって園庭に降り注いでいる。その横で鯉のぼりが泳ぎはじめた。園児たちの目の高さからは相当巨大に見えるらしく、みな何かしらの感想を述べるのがおもしろい。
2006年4月13日
「最近書いていること」に教会だより4月号を更新。幼稚園から目が離せない今日このごろ。目が離せないほどおもしろいということではなく、何が起こるかわからないので午前中は仕事をせずに子どもたちの中にいる。でもそのおかげで花壇の草取りははかどっている。チューリップが次々に花を開いている。わが花壇の今年の春はなかなか見事。黄花のカタクリのそばで黄花のオダマキも花を準備している。
はてさて、今幼稚園のホームページの写真が見えないというご連絡をいただいた。このパソコンでも、firefoxとNetscape Navigatorでは見えるのだがInternet
Explorerを使うと見えなくなる。こういうことは起こりえるのだろうか?
2006年4月8日
「最近のあるじ」と「聖書の黙想」3月26日分を更新。ホームページを作りはじめて5年が過ぎ行き、明日からは6年目。明日の誕生日を前に「イチローの背番号と同じ歳ですね」と書かれたカードをいただいた。なるほど、いいじゃないか、今年も一年がんばってみようかと思った。
2006年4月6日
「聖書の黙想」3月19日分を更新。園庭の桜満開、少しずつ散るようになった。正門前の桜はまだつぼみ。チューリップが次々と開花中。どこに何色のものを植えたかまったくおぼえていない(そもそもどこに植えたかも忘れた)ため、新鮮な感動に打たれている。チューリップが来年に備えて球根を太らせる段階に入ったら、タチアオイを植える予定。鍋の季節は終わったけれど、ぶっかけうどんの季節到来。季節が移ろいゆくのが楽しみな今日このごろ。
2006年4月3日
「最近書いていること」更新。園庭の桜は八分咲きというところか。強い風にあおられてもまだあまり散らない。風の被害はチューリップのほうが大きいようだ。目の具合がよくなったと思ったら歯が痛くなってきた。明日は朝から歯医者さんに行き、空き時間を待ちつづけることに。持っていく本を三冊選んだ。
2006年3月31日
「当方見聞録」更新。原稿は1月に書いてあったのに埋もれていた。老眼鏡が新しくなる。3年以上放置していたため、最近では本を読むときにメガネをはずして片目で活字を追っていた。右目の近視が弱くなり、その代わり乱視が強くなっているという。左眼も乱視は進化。左右ともに老眼も進化。どこかで進化に歯止めがかかるときは来ないものだろうか。しかしまあ、家に帰って本の見やすいこと見やすいこと。歯医者さんと眼鏡屋さんは早めに行ったほうがいい。
2006年3月30日
「聖書の黙想」3月12日分を更新。また「聖書の黙想」がたまりはじめた。材料があるのだからこまめに更新を、と思うのだが、疲れているなあ。どうしたんだろう。休んでないんだから、あたりまえか。桜がふたつかみっつか、花開き、風に揺れている。この調子だと入園式のころはまだ花盛りかもしれない。黄花のカタクリが株をふやし、まもなく花を開こうとしている。沈丁花の香りが庭中に漂っている。
2006年3月28日
「最近のあるじ」更新。前回の更新からあっという間に一週間が過ぎてしまった。休みはどこかで取れるのだろうか。運転免許の更新に行き、見事に倦み疲れた写真を5年後まで携帯することになってしまった。やれやれ。
2006年3月21日
「聖書の黙想」3月5日分を更新。幼稚園は終わったが、今週も毎日何かがあり、完全には休めない。きょうは小山で墓地礼拝。どこかの教会の信徒さんからわがつれあいが「秋葉先生お見かけするたびにお太りになっているので心配です。ご病気ですか?」とたずねられたそうな。そうか、ぼくは病気だったのか、と一瞬考えたが、そんなことはない。ただの肥満ですからご心配なく。でも悔しい。やせよう。
2006年3月19日
「最近のあるじ」更新。17日が幼稚園の卒園式だった。最後の一週間はあまり記憶にない。1時間50分ごとに目をさまして卒園記念ビデオのダビングを続けたことがかすかに思い出される程度。きのうは朝起きることができなかった。子どもがいない静かな園庭でうぐいすが「けきょ…けきょ…」とたどたどしく鳴いている声が意識朦朧の頭に聞こえた。今年はうぐいすは来ないのかとなんとなく思いこんでいたのだが、来てくれた。近所の梅も咲き始め、チューリップの葉がぐんと伸びた。そうそう、ふきのとうは去年摘んだ場所からも生えることを確認。3月6日以降続々と発見。ならばもっとふきみそを作ろうかとも思ったが、無駄に作るのももったいないからやめた。春はもうそこまで来ている。
2006年3月10日
「最近のあるじ」更新。ぐりはくしゃみが抜けずかぜ薬の2クール目をいただいてきて飲んでいる。というか飲まされている。今はちみつにはまっている(「だれがですか、あるじですか?」と聞く人がいた。文脈としてはたしかに。しかし、はまっているのはもちろんしもべ)。山栗の独特の風味。ユーカリのシャープな味わい、バラのほのかな残り香、レンゲの意外な濃厚さとおいしさ、山桜のくらくらするような花の香りなどを楽しんでいる。ダイエットの誓いはいずこへ?そばの蜜も独特らしいのだが、アレルギーのことを話したらお店の人に止められた。
2006年3月6日
「聖書の黙想」2月26日分を更新。昨年は2月21日にふきのとうを発見していたのだが、今年はまったく目にすることができず、どうしたのかと思っていた。先週金曜日に発見。ふきみそを作った。しあわせ。でも、昨年取った場所には生えてこないらしいことも発見。ふきのとうが出てくるのはがけ状の土手の上。昨年はフェンスの内側から手を伸ばして取ったのだが、今年は手に届くところに見当たらないため仕方なくフェンスを乗り越えてがけの上へ。来年がけから身を乗り出す自分を想像し、取れそうな場所にあるものすべてを取ってしまわないことにした。からだの切れも悪くなってきたし、無理は禁物。そうそう今年は夫婦で大斎克己腹筋をはじめた(もちろん献金もしている)。
2006年3月2日
「最近のあるじ」更新。まだ鼻詰まりは残るものの、いただいたかぜ薬がきいてぐらは治りそう。と思ったらさっき姉のぐりがストーブの前で「くしゅん」。インフルエンザで一家総倒れという人間社会の現象とまったく同じ過程。ネコからヒトへの感染はないんだろうなあ、まさか。「ネコインフルエンザ」と字で書いてみると、「トリインフルエンザ」よりも凶悪そう。
2006年2月27日
「最近書いていること」教区時報原稿を更新。わたしが教区時報に原稿を書いていた回数がずいぶん多かったらしい。それはそうだよ、このところ毎号何か書いていたような気がするもの。もっと早く気づいてほしかった。でもこれでしばらくは依頼は来ないということだろう。ぐらは今日で手術後の腹巻包帯を取ることができるのだが、かぜをひいたかしきりに「くしゅんくしゅん」とくしゃみをしている。包帯を取ると剃毛したおなかが寒くなるので、あと少し着せておくことにした。
2006年2月24日
「聖書の黙想」2月19日分を更新。チューリップの芽が花壇のあちらこちらから顔をのぞかせている。3月に雪でも降ったらどうするのかと心配していたら「芽は今ごろ出るけれど、そのあと今はまだあまり伸びない」と幼稚園の先生が教えてくれる。実は自分の花壇を持ったのは(というか「自分のだ」と勝手に領有権を主張している花壇を持ったのは)ここに来て初めての経験。今まではすべてプランターで何とか育てていたのだ。けっこう知らないことが次から次へと現れるものだ。草も木もプランターよりは地に放したほうがよく育つ。あたりまえのことだが。
2006年2月23日
「最近のあるじ」更新。ぐりのおなかの手術跡にうっすらと産毛が生えてきたかと思ったら、ぐらも手術することに。筒状包帯をタイツのようにまとったぐらが帰ってきたと思ったら、つい最近同じような状態を過ごしていたはずのぐりが襲いかかっていた。やはりけだものの一種であると再確認。
2006年2月17日
「最近書いていること」に教会だより2月号を更新。気負うこともなく一息に書いたものだが、自分の心の中の氷が完全に溶け去ったような、すべてが終わったという気持ちがある。
2006年2月16日
「聖書の黙想」2月12日分を更新。久しぶりに「貯金なし」という理想のかたちに。これから卒園式まで、いや入園式まで、あっという間でしかもあわただしいが、このペースを崩さないようにしよう(ってなんだか年頭の所感のようでもろい感じ)。きのうの余波で腰から背筋にかけて板が入っているようだが、靴下をはくことができたからだいじょうぶ。
2006年2月15日
「最近のあるじ」更新。幼稚園でもちつき。10年ぶりに杵を持ったが、何とかの冷や水となり、午後は仕事にならずダウン。もちつきがすんだあとでおとうさんたちとつきたてのおもちをいただいたのだが、みんな握力がなくなっていた。名人いわく、杵を落とす最後の瞬間には利き腕の力を抜いてしまわないと臼に打ちつけて手にしびれが伝わるのだそうな。なるほどなるほどと耳を傾けながら来年もやる気になっている。気持だけは若い。
2006年2月14日
「聖書の黙想」2月5日分を更新。やっとのことで更新が追いついてきた。ぐりとぐらは今日にいたるまで缶詰のキャットフードを知らず、「あれはまずいから食べないんですよねえ」と獣医さんが太鼓判を押す銘柄のドライのフードのみを食べてきた。きょうはバレンタインデー特別記念で缶詰の大盤振る舞い(ただしいわしの煮こごりのようなピルチャードという一缶50円以下のもの)。両あるじとも何も言わず、一回も皿から顔を上げることなく完食。あるじとらたまに続き、このあるじたちも、世界で一番おいしいのはピルチャードと信じて生きるはず。それでいいのだ。これからも一ヶ月に一回くらい出してあげよう。
2006年2月13日
「聖書の黙想」1月29日分を更新。幼稚園のインフルエンザ下火に。しかし3月までは第二波の襲来に備えながら過ごさねばなるまい。とはいえ、「備える」の内実は何か。うがいと手洗いと早寝?熱々のうどんでも食べて早寝するのがいいのだろうなあ。より即効性があるのは週に一日は休日を設けるということだろうか。休みほしいなあ。などと言いながら時間を盗んで映画も見て本も読んで、けっこう好きなことをやっているのだからしかたがない。そして早寝は虹の彼方へ。
2006年2月10日
「最近書いていること」に教会だより1月号の記事を更新。わが町および周辺では上映していないため、チャン・イーモウ監督の『単騎千里を走る』をいつもの英語字幕DVDで鑑賞。高倉健が日本語をしゃべってくれるのが(あまり口数は多くないけれど)ありがたかった。当方見聞録に書くと思うが、うーん、こんなものか?と思っているうちに終わってしまった。『あの子をさがして』や『初恋の来た道』のような作品は出てこないものかなあ。
2006年2月9日
「聖書の黙想」1月22日分を更新。知り合いのおじいちゃんから、わが手打ちうどんは焼きうどんにしても腰が残っておいしいとのご評価を賜る。うれしい。冬は小麦粉の変質が遅くいつまでも香りが残る。それだけに鍋に入れるだけではもったいないと食べ方を考えていたのだが、焼きうどんという手があったか。なるほどなるほど。
2006年2月8日
「最近のあるじ」更新。幼稚園でインフルエンザが猛威を振るっている。こどもたちの間では感染の確率は非常に高い。きのう雨が降ってくれたことで少しおさまってくれればと願うのだが、今週はまだ半ば。後半でどうなるか。
2006年2月6日
「あるじぐりぐらの生活と意見」更新。避妊手術からもどったぐりは、縫合個所をいじらないように今日の夕方までタイツのような、あるいは全身サポーターとも表現できるような衣装を着せられ、神妙にしていた。が、夕食後タイツを脱がせたら、あっという間に野性の走りをとりもどした。もう少し着せておくのだった。
2006年2月2日
「聖書の黙想」1月15日分を更新。ぐり帰る。病院ではおとなしかったらしい。家に帰っても静か。それに対してぐりのほうは「待ち伏せのポーズ」「伏せてしっぽだけふりふりのポーズ」など多彩な誘いをかけるのだが相手にされず、ひとりでミギャミギャ言いながら走りまわっている。手術したんだから、もう少し待ってやってよ。
2006年1月31日
「最近のあるじ」「最近書いていること」更新。ぐりが動物病院に入院。一匹だけになったぐらのおとなしいことおとなしいこと。朝になってもふとんに飛び乗ってくるでもなく、そこらじゅうをかけずりまわるでもなく、おだやかに過ごしている。二匹飼うと決断したのはまちがいであったかとも思えるが、所在なさそうなようすを見たり、やたらと甘えるようすを見ると、二匹でワイルドに走りまわっているほうが健康的にも思える。朝は静かにしていてほしいが。
2006年1月27日
「当方見聞録」更新。懸案の原稿は書き上げることができたのだが、教会の総会資料を明日一日で整えねばならない。うーん、どうしてこうなるかな。見たい映画もあるものの、とてもそれどころではない。
2006年1月25日
「最近のあるじ」更新。そろそろ書きあがっているはずの原稿が雪かきのあおりをもろに受けて書けずじまい。こんなことで人生が影響を受けることもあるのか。そういえば雪かきの次の日にうどんを打ったのだが、背筋が痛く、12食分を3回に分けて打ったら最後のほうはかなり投げやりになっていた。影響大である。雪よ、今年はもう降るな。
2006年1月24日
「聖書の黙想」1月8日分を更新。先日の雪かき前に、登山靴に保革油を塗った。ほんとうは雪が降る前に塗っておかねばならないのだが、それはさておき、一心不乱に作業を終え、保革油のチューブのキャップをしめようとすると、なんとこれが手元にない。あれれ、とさがすと何と部屋の隅でこれを転がして遊んでいるやつが。名にし負う国際的窃盗グループであった。
2006年1月21日
「聖書の黙想1月1日分を更新。いかんいかん、早くも説教をためこみつつある。今日は朝から雪かき三昧な一日。午前中のほうが気温が高かったようで、雪かきをした後のアスファルトに落ちた雪は溶けていた。しかし午後は広い敷地を雪かきして振り出しにもどると、すべてが見事に真っ白になっている。やりがいのない仕事。いったいいつになったらいつ降り止むのやら。今晩は家の横の坂道の凍結が心配だ。
2006年1月18日
「最近書いていること」に忘れていた原稿を更新。久しぶりに視野の検査。半年前と変化なしとのことで胸をなでおろす。これだけ目を酷使していて変化がないのなら、かなり安心してもいいのかなと思う。あっ、かぜ薬と目の症状がぶつかるのかどうか聞くの忘れた。
2006年1月17日
「最近のあるじ」更新。あるじたちはそろそろ避妊手術を受ける年頃。一匹ずつ、と言われたので、「年上のほうからですか、それとも体重が重いほうからですか?と質問すると、「それは月齢が上のほうからですね」とのこと。よく考えてみれば質問せずともわかるようなことを質問してしまった。やれやれ。
2006年1月16日
「聖書の黙想」12月25日分を更新。どうもぐらは足が短いのではないかと思う。からだは大きいのだが。本人(猫)はこちらの心配をよそに、巨大なアリの巣が掘り起こされるテレビの画面を集中して(ときどき興奮のあまり立ち上がって)見ている。おしりが大きいので立ち方に安定感がある。何を考えながら見ているのやら。「車高の低い」ネコになるのか?
2006年1月14日
「あるじ ぐり ぐらの生活と意見」更新。ぐりに遅れること2カ月で世に現れたぐらだが、現在体重3キロと、ぐりに400グラム先行してしまった。そのくせ顔はまだ小さい。おしりは確実に大きい。うーん、微妙な気分。
2006年1月10日
「最近のあるじ」更新。1月6日に幼稚園の水道管が破裂。今年はそれほど寒い。朝教会に行くと室温は0度近い。パソコンに向かう指が動かないので、部屋が暖まるまではストーブで指を暖めている。指が動くようになっても脳が動くようになるまでにはさらに時間がかかるのでやっかいだ(寒さのせいにするなという声もあるが)。仕事じわじわと始まり、たまる。これをこなしながら、卒園関係のこと(DVD作り)も早めに整えたい。
2006年1月5日
「当方見聞録」更新。正月終わり、かぜ抜ける。やれやれ、やっとだ。今年はかぜはこれでおしまいにしたいところだが、気がつくと「今年」が終わるまでまだかなりある。やれやれ。
2006年1月1日
「最近のあるじ」更新。ふたりそろって年越しでかぜひき。夜明けとともに活動を開始するあるじたちによって確実に睡眠時間は削られており(それなら早く寝ろというものだが、それもできない)、それが病状の長期化につながっている可能性は否めない。あるいは寄る年波?
2005年12月26日
「最近のあるじ」更新。声は24日ごろから何とか復活。全身倦怠は25日ころがピーク。24日にいやがる家族をお医者に連れて行ったのだが、かぜひきさん多数のため、かなり待たされた。12月は急に寒くなったからなあ。でも今年も何とかクリスマスを乗り切った(などと書いていい職業か?)。
2005年12月23日
「聖書の黙想」12月11日、12月18日分を更新。佐野でクリスマス礼拝。下館では日曜学校の聖劇。クリスマス関連プログラムは粛々と進み、わたしのかぜは遅々として治らず。聖歌をうたうのに声が出ず、陪餐の時にはささやき声のレベルしかでない。情けなや。
2005年12月22日
「聖書の黙想」11月27日、12月4日分を更新。きょうものどが痛い。きのうは幼稚園の先生たちが何人か出勤してきたが、今日はその予定なし。ということでクリスマス前に朝寝坊できる唯一の日だったのだが、7時過ぎるとあるじたちが寝室に出勤。おかしいじゃないの、いつもだったら起きる時間なのにとカーテンを開けてみたりカーテンレールの上を歩いてみたり。あの手この手のおもしろさに、思わず起きてしまった。
2005年12月21日
「聖書の黙想」11月13日、11月20日分を更新。きのうあたりでかぜは治ると思っていたのだが、昨晩どっと汗をかき、まだかぜは現役ばりばりであるらしいと思い知らされる。このままクリスマス突入?
2005年12月20日
「聖書の黙想」10月30日、11月6日分を更新。たまってしまった聖書の黙想を少しずつまとめて放出することに。朝起きたときの気分はずいぶんよくなったが、のどの痛みがひかない。などと言いつつ外に出るのをさぼっていると、チューリップの球根を埋めた外の花壇が乾ききっている。幼稚園の二学期が終わった。きょうは劇や楽器演奏をそれぞれ披露したのだが、よく練習の成果を積み重ねるものだと感心する。演じきったあとの笑顔のさわやかなこと。いいなあ。
2005年12月19日
「聖書の黙想」10月23日分と「最近のあるじ」更新。かぜなかなか去らず、夫婦でごほごほ咳き込んでいる。明日は幼稚園のクリスマス会。サンタさんにインタビューしなくてはならないというのに。興奮のあまり総立ちとなる観客の前で、わたしの声は通るのだろうか。
2005年12月18日
「あるじぐりぐらの生活と意見」に不具合があったのを調整。かぜをひいた。11月末の大仕事から走りに走りつづけ、とうとうという感じ。この一週間ほどの記憶が定かではない。きょうは栃木まで礼拝に行き、途中で声が出なくなってしまった。やれやれ家に帰ってみると家族一同(あるじぐりに至るまで)せきかくしゃみをしている始末。明日からクリスマスが明けるまでは倒れてもいられないので明日までに治したいところ。
2005年12月13日
「聖書の黙想」10月16日分をやっと更新。やれやれ。朝から寒いこと寒いこと。干し柿があっという間に完成に近づいている。先代のあるじたちは夜しもべのふとんにもぐりこんできても、すぐに暑くなって「ぷぅ」と飛び出していた。二代目はなかなかしぶとく、寝返りをうったしもべの足の下に組み敷かれるかたちになっても身動きもせずに寝ている。逃げてくれないのでしもべのほうで眠りを浅くしてあるじたちをつぶさないように気をつけなくてはいけない。やれやれ。
2005年12月12日
「最近のあるじ」更新。今朝は寒かった。午前中も太陽が雲に隠れ、11時から小山の墓地で予定されていた納骨式も寒いのではないかと心配だった。11時には太陽が顔を出し、風もなかったので無事に終わってよかった。土曜日に久しぶりにうどんを打った。今の自分には手打ちうどんが健康のバロメーター?
2005年12月8日
「最近書いていること」更新。とうとう11月末の疲れが出たか、きのうからふらふらしている。午後木の根の掘り起こしをやってみたらべったりとした汗をかいた。熱があるのかなあ。でもめんどうだから測らない。どちらにしろ寝るしかないんだから。と言いつつこんなことをしているのだから世話はない。きょうはきりたんぽ鍋の正式な材料と正式な作り方を教えていただき、そのとおりに食べた。おいしかった。またひとつ冬の定番がふえた感じ。あ、この鍋の残り汁にうどんを入れたらおいしそう!。早くうどん打ちも再開せねば。
2005年12月5日
「最近のあるじ」更新。桜はほとんど葉を落としたが、イチョウが膨大な量の葉を落としつづける。明日の朝のごみ捨てでごみ袋10以上の落ち葉を運ばねばならない。運動になるといえばなるのだが、朝起きてすぐの仕事としてはつらいものがある。桜の葉は生ごみコンポストにかなり詰め込むことができたのだが、イチョウの葉は始末が悪い。「ぐり」に遅れること2ヶ月で生を受けた「ぐら」だが、持ち上げた感じではどうもぐりより重くなっている。顔は相変わらず小さい。いったいどんな猫になるのやら。
2005年11月30日
「聖書の黙想」10月9日分を更新。やれやれ、まだ10月のはじめの分ではないか。まだ温泉湯上り気分に近いだるさが残る。手打ちうどん作りすら停滞するありさまとはおそるべし。そうそう、とうとう黄金柏に関する情報を見つけた。それによると、黄金柏は春に黄金の葉をつけ、それがやがて緑に変わるという。もちろんこどもの友ドングリもたくさん落としてくれるはず。これはこれはと、さっそく鉢にドングリを植えた。こうなると一刻も早く葉をつけるところを見たくなるというものだ。どこかにトトロいないかな。いっしょに木の芽伸ばしの踊りを踊りたいところだ。
2005年11月28日
「最近のあるじ」更新。26日の按手式の余波か、温泉で湯あたりした感じで一日中だるい。更新も手につかないままあっという間に一週間が過ぎていた。さあ、自分の人生取り戻さねば。怒涛の11月が終わる。というか怒涛の一年が終わる時期に来てしまった。「黄金トチノキ」は「黄金柏」だったらしい。でも黄金柏もどこにも見当たらないのだがなあ。柏の木のどんぐりとちょっと形がちがうし(とぼやきつつ、とりあえず鉢に植えてみた)。
2005年11月21日
「最近のあるじ」更新。23日に教区会、26日に執事按手式があり、それをにらみつつ仕事をしていたら、きのうきょうと足利で葬儀が入った。11月10日に祈りの家で勉強会をしたことなど、もうはるか昔のことのように思えるが、そのことを教区時報の原稿に書きとばし送信。明日は幼稚園が創立記念日で休みなので、遅れをとった按手式文を完成させよう。なんとなくかぜっぽいのがこわいきょうこのごろ。
2005年11月14日
「最近のあるじ」更新。あるじ「ぐり」「ぐら」の体重差100グラムほどとなる。しかしぐらのほうが明らかに顔が小さく、また顔の造作も幼い。ぐらはまだまだ大きくなるということなのだろうか。はたまたこの子は顔の大きさはこのままで巨大なおしりの持ち主になるのだろうか。
2005年11月13日
「聖書の黙想」10月2日分を更新。今日は栃木市での礼拝のあと県北までおばあちゃんのお見舞いに行き、黄金トチノキのどんぐりとシクラメンをゲット。黄金栃の実が芽を出したら幼稚園のどこかに植えよう。どんぐり取り放題の木になるはずだ。でもどこに植えよう。実はイチジクも植えたいのだが、実がなるころに転勤というパターンが頭に浮かび、けちな性分がわざわいして決断できずにいる。今インターネットで黄金トチノキを調べたがヒットしなかった。どんぐりの形もシイノキどんぐりに近い。これをくれたおじさんは何か勘違いをしているか山猫にだまされたかしたかもしれないという疑いが頭をもたげる。
2005年11月11日
「最近書いていること」更新。スリランカに関するもので残っているのは、最初に書いた英文のレポートのみ。7月のことが今ころになってやっと終わる。けれどもスリランカでわたしたちが見てきた状況は、今でもほとんど変わらないままなのだと思うと気持ちは重い。どこかの教区とか日本聖公会だけの取り組みとせず、諸教会が協力するプロジェクトをスリランカのような国で作り上げることはできないものか。世代を超えてかかわりを続けることができるような持続性を持った取り組みとして。
2005年11月10日
「聖書の黙想」9月25日分を更新。ぐりは目薬がいやでしばらくぐれる。ぐれたぐりがどうなるかというと、水のどんぶりの前にずっとすわっているのだ。特に水を飲みたいわけでもないのに、こちらに背を向けてすわっている。もう目薬をつけなくてもよくなったというのに背を向けてすわっている。なんだかおかしい。
2005年11月6日
「最近のあるじ」更新。メダカの水槽に再びヤゴ発見。もうあまりものを食べる気温ではないと思うのだけれど、イトミミズ買ってこよう。でも室内のこんなところまで産卵に来たのかなあ。そうなんだろうけれど、不思議。ぐり結膜炎にかかる。先代たちはかかったこともない病。一日に5回2種類の点眼液をとのご指示。あるじぐりも受難だが、投薬係のしもべも災難。
2005年11月2日
「聖書の黙想」9月18日分を更新。寒くなった。朝パソコンに向かっても指が冷たくて打てない。バザーで買ったたくさんのビオラを花壇に移した。そろそろチューリップの球根のことも考えなければならない。11月も何かとあわただしいので、機会を逃さないようにしなければ。気がつけば明日は休日。うどんを打ち、炭を乾かし、球根を植えようか。
2005年10月28日
「最近書いていること」更新。晩ごはんを食べ過ぎ、粉末状の消化薬を飲んだ。たまたま手元にあったのが濃い目に作ったレモンジュース。何で飲んでも同じだろうと薬とジュースを口に運んだとたんに発泡がはじまった。口の中いっぱいに広がる前に飲み込んだが、なるほど薬は水で飲めと言われる理由がよくわかった。
2005年10月27日
「最近のあるじ」更新。メダカの水槽のヤゴが残念なことに死んでしまった。やはりイトミミズとか生きたえさをあげなければいけなかったのだろうか。メダカが犠牲になるのではないかと心配していたくせに、ヤゴもその成長を見届けたかったわけだ。外ではそろそろチューリップを植える季節。昨年球根を植えていたときのことを思い出す。もう一年たってしまうのか。
2005年10月26日
「聖書の黙想」9月11日分を更新。寒くなってきた。朝6時のお寺の鐘を合図にぐらが左肩のところからふとんにもぐりこんでくるようになった。ぐりはうろうろするが見ているだけ。一匹がわきの下でごろごろし、もう一匹が顔のまわりでうろうろすれば、そうそう眠れるものではない。最近安眠ということを経験していないような気がする。この前は2匹でわたしの胸の上で寝ていたし。しもべは悲しい。
2005年10月20日
「当方見聞録」久々の更新。スリランカに行ってから書いていなかった。ほんとうは昨年秋に見た映画の感想もあるのだが。きょうはいもほりに行くことができた。あわただしい秋、またひとつスケジュールをこなす。こんなあわただしいときにメダカの水槽にヤゴを見つけた。まだこどもかと思ったが、かたちからするとイトトンボのヤゴらしく、体長15ミリほどですでに十分な大きさに育っているようだ。見つけたときは脱皮直後だったのか明るい緑色をしていたが、今は敷き詰めた砂利に同化している。今は殊勝にキンギョのえさを食べているようだが、ヤゴはメダカを食べるのかなあ。困ったなあ。
2005年10月18日
「聖書の黙想」9月4日分を更新。いもほりはみごと順延。それが今度の木曜日なのだが、台風の影響や如何に。土曜はバザー、日曜は東京で結婚式の司式。どれも降ってほしくない。今ごろってこんなに天気が悪かったかなあ。なんだかうどんを打つひまもなく雨に翻弄されている今週のわたし。
2005年10月15日
「最近のあるじ」更新。夕方から雨。これからもまだ降りそう。あさっては幼稚園のいもほりなのだが、天気はどうかな?来週末はバザーもあるし。とにかく天気が気になる。そうそう先日の運動会、昼食途中から雨が降り出したために午後のプログラムを一部カットしたのだが、カットされた「つなひき」を気にする子が多く、観客はなかったが木曜日に園庭で実行。一対一の引き分けでみんな満足したらしい。よかったよかった。
2005年10月13日
「聖書の黙想」8月28日分を更新。教会関係のわりと大きな仕事がひとつ終わる。次は11月の勉強会と按手式。その間に幼稚園の仕事がいくつかあるが、運動会も無事終わったことだし、笑顔で乗り切ろう。うどん打ってチューリップ植えて本読んで映画見て、好きなこともどんどんやろう。
2005年10月7日
「最近書いていること」スリランカ関係のものふたつを更新。スリランカ関係はすでに書いたものがあとふたつ、これから書く教会だより11月号分で終わる。あちらこちらにできるだけ内容の重複がないように書くのがたいへんだった。さて、複数の天気予報の中から好意的?なものを選ぶと、明日の午前3時ころで降雨がおさまることになっている。運動会できるかなあ。
2005年10月6日
「最近のあるじ」更新。更新した写真のことが9月20日の欄に書いてあるが、そのころよりも大きくなっている。ぐらはだんだん模様がはっきりしてきている(どんな模様なのか、まだ今ひとつわからないのだが)。ウォン・カーウァイが監督した『仕立て屋の恋』のDVD(いつものように字幕は繁体中国語か英語か)があるのだが、いつ見ることができるやら。よろずのことがあわただしい秋に入った。
2005年10月5日
「聖書の黙想」8月21日分を更新。きのうは幼稚園の運動会予行。きょうはその予備日。どちらも雨にたたられ、結局室内での予行となる。週間天気予報はこの土曜は雨とのお告げ。昨年に続き今年の秋も雨に泣くのか?そんなしもべの心も知らず、あるじたちはきょうもえさをむさぼり、ずんずん大きくなっている。ぐらがこの前までエプロンのポケットに収まって寝ていたのが夢のよう。
2005年10月4日
「最近書いていること」更新。ぐら(小ネコ)がぐり(中ネコ)を夢中で追いかけ、あとわずかというところで逃げられたとき、その場ですべての足をふんばって「ミギャッ!!!」と叫んでいた。彼らに悔しいという感情があるのかもしれないと感じさせる初めての経験だった。すべてのネコに違った個性あり。あたりまえだけど。
2005年10月3日
「あるじ ぐりぐらの 生活と意見」に友人からのプレゼントを更新。いや、これはほんとうにうれしかった。ひとはこういうつながりに支えられているから、曲がりなりの人生ながらも生きていくことができるのだと思う。新あるじたちの乱暴狼藉は日に日にエスカレート。これで酒が飲めたらどんなふうになってしまうだろうと想像してしまう。
2005年9月26日
「聖書の黙想」8月14日分と「最近のあるじ」を更新。きょうの更新分の写真に写っている箱は前回ぐらが入っていたのとまったく同じもの。大きさの違いをおわかりいただけることと思う。私生活はあるじ連にひっかきまわされ、公生活も今年は波乱万丈の連続らしい。昨年よりも何かが濃い。そういうときに見たい映画があまり公開されていない(このあたりでは)のがせめてもの救いというところ?気温が下がるにつれ、打つうどんが太くなっていく。
2005年9月20日
「聖書の黙想」8月7日分を更新。あるじたちは箱フェチらしい。1匹でも十分狭い箱に2匹で入ろうとしていたのでどうなることかと見ていたら、2匹で折り重なって寝てしまった。この方たちにとって「寝心地がいい」とか「寝苦しい」といった世界は、まだ地平線のかなたにあるらしい。寝ることができるのだから、「寝心地がいい」という感触は自分のものにしているのかもしれないのだが…。
2005年9月13日
「最近のあるじ」更新。クッキーの箱に入れてみたら、はまったまま遊びはじめそのまま寝てしまったぐら。すでに窓の障子紙はぼろぼろ、積んでおいた新聞、雑誌、洗濯物はことごとく崩され、しもべの靴下の片方をくわえて遊んでいる姿も目撃され。家の中は無政府状態。しかしろくでもない政府が存在するよりははるかにましかも。
2005年9月10日
「聖書の黙想」7月31日分を更新。今朝はしもべのひとりが起きたがもうひとりは寝ているといういつもとは違う状況。とりあえずベッドに飛び乗り遊んでみたぐらは、寝ているしもべにべちんと頭を叩かれる。それを見ていた賢いぐりは所在無いようすでベッド下をうろうろ。ぐりはのみこみが早い。ぐらはまったくわけがわからない。3ヶ月と5ヶ月の発達差か、はたまたぐらは天然のぼけなのか。
2005年9月7日
「最近書いていること」忘れていた教会だより8月分を更新。きょうも6時前からぐりぐらの襲撃によって目覚める。気分は最低。「しもべが寝ているベッドに飛び乗ってはいけない」を侵害した廉によって厳しいお仕置きを受けるのはそっちの勝手だからいいのだけれど、お仕置きをしたこちらは中途半端に目が覚めてしまい、眠いこと眠いこと。でも風の強さでどちらにしても目がさめていたかも。朝早めに登園した子がイチョウの木から葉が巻き上げられていくのを仰天して眺めていた。雲の流れの速さといい、風の強さといい、きょうは台風の影響を目で確かめることができる一日だった。
2005年9月6日
「最近のあるじ」「あるじぐりぐらの生活と意見」更新。夜は運動会をしようと誘うあるじたちに眠りを妨げられ、朝はえさをよこせというあるじたちに起こされる。まあしかし、あるじたちも受難期にあり、「テーブルに乗ってはいけない」「無駄にティッシュを引きずり出して遊んではいけない」「しもべが寝ているベッドに飛び乗ってはいけない」など、あるじとして立派に生きるための数々の課題をおぼえているところ。世界でいちばんおいしいのはドライフードだと思っていて、まだこの世に缶詰というものがあるのを知らない。
2005年8月31日
「聖書の黙想」7月17日の説教がないことのおしらせと、7月24日分の説教を更新。やれやれまたたまってしまった。スリランカをめぐるあれこれとタマをめぐるあれこれであまり更新ができなかった。明日からは幼稚園がはじまる。あまり休む時間はなかったこの夏だったが、仕事モードに切りかえて少し多めに仕事をするとしよう。
2005年8月29日
「最近のあるじ」更新。あるじタマ去り、「ぐり」と「ぐら」来る。『もうしばらく猫は飼わずにおくかなあ』とも思っていたのだが、しもべ魂はそう簡単に失せるものでもないらしく、気がつくと2匹の猫とてんやわんや(なにしろ生後3ヶ月と5ヶ月、若い若い)の毎日を送っている。猫ってこんなによく動くものだったっけ?
2005年8月19日
「最近のあるじ」更新。あるじタマについては追って「生活と意見」のページでご報告したい。スリランカ英語ぼけ状態から一転してかなりの気抜け状態へ。これでもう猫なんて飼いたくない気分かというと、そうでもない自分に気づく。しもべ魂が骨の髄までしみこんでいるのか
2005年8月10日
「最近のあるじ」更新。英文レポートはなんとか提出。最後は頭がしびれてきて、せっかくもぎとった制限時間前に提出してしまった。いやはやなんとも。未だに疲れが残っている。それなのに体重は出発前にあと1キロというところまでリカバー中。世の中なかなかうまくいかないものだ。それはそれとして、手打ちうどんの厚さと幅を思い通りにコントロールできるようになってきた。これはうれしい。老後の楽しみひとつゲット。
2005年8月2日
教会と幼稚園のHPをマイナー更新したのでおしらせを出した。英文レポートはいよいよ締め切りまで24時間ほど。そのうち1/3は睡眠と食事で使ってしまうわけで、そう考えるともったいない。A42枚の約束のところ3枚を越えた。でもあまりにシンプルすぎる自分の英語に自分で脱帽。とても長い中学生の英文日記を読んでいるような気分。ほんとうにこれが雑誌に載るのか?載るのが恥ずかしくなってきた。でも、まずは仕上げよう。
2005年7月31日
「聖書の黙想」7月10日分を更新。スリランカの英文レポートをわたしに求めている人物は、コロンボのホテルでキーを持ったまま外出しわたしに借りがある。そのことにさりげなく言及するメールを出し、締め切りを今週水曜深夜にしてもらった。これ以上の延長はもぎ取れそうにないから、地道に努力するとしよう。
2005年7月30日
「あるじタマの生活と意見」更新。失った4キロをからだが求めているのがわかる。水を飲んでいるだけでも一日300グラムくらいずつ体重がふえる。なんとか3年前の体重をキープしたいのだが。久しぶりにうどんを打つ。やはりおいしい。うれしい。なんて言ってるから太るんだろうなあ。幼稚園の研修会無事に終わる。分科会の司会というのを担当したのだが、日本語でできるのだからもううれしくてうれしくて、だれも何も言わずにシーンとしていても「このまま40分沈黙で過ぎてもわたしはかまいません」と言ってしまったりして、ほんとうに英語でないのがうれしかったらしい。
2005年7月26日
「最近のあるじ」更新。スリランカから戻る。単行本2冊読む暇はなかった。おもしろかったのは英語に対して耳がだんだん開いていくのがわかったこと(もちろん自分の限界以上には聞こえてこないけれど)。インドの人たちの英語がだんだん聞こえるようになり、だんだん友だちになっていくのが楽しかった。帰るとめだかたちは勝手に水草をかじりながら大きくなっていてくれた(と思ったら家族が世話してくれていたらしい。ごめんごめん)。そうそう、旅先で4キロやせて、ご当地着任当時の体重になった。すぐにもどるとは思うのだけれど。帰って一週間以内に英文でレポートを出すように言われ、帰国してスケジュールを見ると今週水−金は幼稚園の先生の研修で出張。よってしめきりは明日。さらにやせるチャンスかも。
2005年7月10日
「聖書の黙想」7月3日分を更新。明日から22日までは更新できない。こんなときにメダカが卵を産み、今日数えたら20尾以上の稚魚が泳いでいた。親はまだ卵を産みつづけるので、今朝も水草についた卵を隣の水槽に移したのだが、明日からはだれが稚魚にえさを与えてくれるのか。水草食べて生き延びてほしい。スリランカには単行本上下2冊を持っていくことに決め、家族の氷の視線を浴びている。いいじゃないか、ちゃんと詰めることができたのだから。
2005年7月7日
「最近書いていること」更新。スリランカ行きについてはメールのやりとりはしているものの、荷物の準備はまったくはじまってもいない。飛行機で読む本を何にしようかというあたりで時を費やしているというどうしようもない状態。何か忘れるだろうなあ。
2005年7月6日
「最近のあるじ」更新。スリランカ行きのことで日常業務のほかに仕事がふえる。現地の人で連絡を取りたい相手が二人いるのだが、ひとりはメールが通じたと思ったらそのあとなしのつぶて。もうひとりは最初からメールに反応なし。さりとてメールがもどっては来ないので、メールは見ていると想像されるのだが。何時に空港に着くのかと複数の団体から問い合わせが入り、出迎えがどのくらい盛大なものになるのかも心配。何より心配なのは、宿に着くのが深夜なのに、翌朝から会議が始まるということ。眠気覚ましのガムを持ち物リストに入れておかねば。
2005年7月5日
「聖書の黙想」6月26日分を更新。7月11日から22日まで会議でスリランカに行くことになった。津波被害支援のための会議。パソコンは持っていかないので更新は10日まででお休み。ご了解いただきたい。最後にバングラデシュに行ってから、気づいたら10年が過ぎていた。非常に厳しいスケジュールについていくことができるのやら。
2005年6月30日
「聖書の黙想」6月19日分を更新。最近仕事をしていると、電話会社の代理店からの「料金が安くなります!」の電話にじゃまされる。どこもかなりしつこい。代理店同士で連絡は取っていないから、まったく同じ内容を何度も聞かされる。原稿を書いているときは思考を完全に遮断されるので、リズムを取り戻すのに時間がかかる。電話で済めばまだしも、事務室に上がりこんできていきなり書類を記入し始めた代理店もあれば、NTTそのものを装い回線の検査のふりをして上がりこんできたNTTの代理店もあった。どこも同様に悪質。何で電話のことでこんなにいらいらしなければならないのか。「悪質なところとは契約をしない」と決めていたのだが、とうとう契約できる電話会社がひとつもなくなってしまったよ。
2005年6月27日
「最近書いていること」掲載忘れその2を更新。昨日の説教をめぐる混乱の原因がわかった。11月ころまでの毎週の福音書を、説教作成用の文書の冒頭に入れ込む作業をしてあるのだが、同じ作業の繰り返しで頭がボーとしていたらしく、昨日分と次主日分に同じ個所を入れ込んでいた。こんな単純なミスを犯す自分を信じている自分が悲しい。
2005年6月26日
「聖書の黙想」6月12日分を更新。きょうは日曜学校で「疲れている者、重荷を負う者は」という個所をお話しし、そのあとの聖餐式で信徒の方が日課を読むのを聞いて鳥肌が立った。違う!ゆうべ読んでいた個所と違う!あわててページをめくると、「重荷を負う者」の個所は次週の福音書。そのまま原稿などもちろんなく、その場で説教を考えて話した。立教チャペル時代にも一度あった経験なのだが、どうしてこんなまちがい方をするのか。
2005年6月24日
「最近書いていること」に掲載忘れを一件更新。そうだよね、こういうのも自分が書いた文章だったなあと思い出した次第。あれまあ、また一週間が終わってしまうなあ。一年も半分が過ぎようとしている。この半年何をした?などと考えているうちにもう半年過ぎてしまいそうな勢いだ。シェークスピアのDVD見るひまあるのか?
2005年6月23日
「最近書いていること」更新。このコーナーのネタが発掘されたので、まずきょうはこれを更新。でももう次の7月号の原稿の締め切りがわたしを待っている。うーん、7月はうどん打ちのことか何か書いてごまかしちゃおうか。
2005年6月23日
「最近のあるじ」更新。バザーが終わってちょっと油断しているうちに一週間過ぎてしまった。。バザーが終われば夏前の教会の行事は終わりかと思っていたら、どうもそうは行かないらしい今年の前半戦。夏休みも研修会の司会とかあるしなあ。なんとなくあわただしい中でうどん打ちだけはルーティーン化しつつある。めざせ名人。本はマイクル・コナリーのハリー・ボッシュ物の最新作「
The Closers 」(直訳すると「抑えの切り札」?)がおもしろく、学問とは縁遠い毎日で、これまた楽しい。
2005年6月16日
「聖書の黙想」6月5日分を更新。この地に来て3年目。愛用していためがねケースをダンボール箱の中から発見。何かを探していると別なものがみつかる。毎日が発見というのはとてもおもしろいことでもあるのだけれど、3年たってやっとめぐりあうことができるというのは何ともねえ、表現に尽くしがたい疲れを感じる。あれ、まだ狸御殿のこと書いてないんだっけ。この辺ではもう上映を終えてしまったのではないだろうか。
2005年6月15日
「当方見聞録」更新。今週末が教会のバザー。充実しているような、疲れはじめているような。人数が少ないのでひとりにかかる負荷が大きい。でも逆に考えると、「みんなの力」の大きさを感じることができるときでもある。さあ、日曜学校の子たちは、今年はどんながんばりを見せてくれるだろうか。楽しみ、楽しみ。バザーが終わったらシェークスピアのDVD(アメリカ版なので字幕はないが、シナリオの日本語版と英語版は完備されている)を見るのが楽しみ。
2005年6月13日
「最近のあるじ」更新。「聖書の黙想」5月29日の更新がないことのおしらせも更新。きのう小山祈りの家に行ったのだが、昨年あれだけ実りを楽しませてくれた栗の木(いちばん大きい実がなる木だった)が枯れてしまっていた。あらら、ことしのマロン・グラッセ・プロジェクトの運命やいかに。最近あるじタマは1メートル以内に近づいても爆睡(REM睡眠)している。若いころは寝ている部屋の中に入ると目だけ開けていたり、耳だけこちらに向いていたりしていたものなのだが。世慣れたと表現すべきなのか、しもべとの関係に安心しきっていると表現すべきなのか、それともやっぱり年をとったのか。
2005年6月11日
「当方見聞録」更新。狸御殿のことを書こうと思っていたのだが、筆が勝手に動いた。冬に買った小さなサボテンに花芽がつき、オーシャンブルーとかいうつる草のつるがぐんぐん伸びはじめ、タイムは小ビンふたつに収穫してなお若葉をつけ続ける。雨の時期は草取りがたいへんなのだが、植物にとっては成長の時期だ。
2005年6月9日
「聖書の黙想」5月22日分を更新。休みがほしいぞお。とかなんとか言いながら、手打ちうどんは毎日食べる分を欠かさず作っている。だんだん太さの調節もできるようになってきた。今日の昼はうどんではなく、冷凍してあった中華麺(なかなかおいしいもの)を久々に食したのだが、表面が溶け気味なのが気になり、食べているうちに芯の固さが失われていくのも気になり、あまり楽しめなかった。よく冷やしたうどんのほうがおいしい。でも今度中華麺も作ってみたい。引っ越しの荷からかんすいを探し出さねば。スローライフとは時間のかかるものと見つけたり。
2005年6月6日
「最近書いていること」5月29日に発行した記念文集のあとがきを更新。亡くなってもう一年が過ぎるのだが、未だに教会のみんなの部屋に座っておられるような気がすることがある。こういう発言をしたら何と返事があるだろうかなどと考えることも。生前の存在感の強さを改めて確認させられる。おやおや、5月30日と同じようなことを書いてしまった。
2005年6月5日
「最近書いていること」忘れていた原稿を更新。教会のホームページには載せてあるのだけれど。きょう佐野で礼拝をしていて、今週は声がかれないし、礼拝中に鼻をかむこともなく過ぎたことに気づく。長かったかぜがやっと去ってくれるのか。これが治らないとお見舞いにもいけないのでほんとうに困るのだ。佐野の帰り夕立に遭う。車のうしろのタイヤがつるつるで火曜日に交換することになっているのだが、こういうときにこういう雨が降るのねと、マーフィーの法則がたしかに存在することを再確認。慎重な運転で家にたどりついた。
2005年6月3日
「当方見聞録」一挙2編更新。といってもたいしたことはなし。見た映画が一年分くらいたまってしまったのではなかろうか。「2046」から「狸御殿」まで、書きたい映画は山積み。書きたい本も山積み。当方見聞録が倦怠期?に突入したのとくらべると、説教は(その内容はともかくとして)その継続性において倦怠期に突入することを許されていないのだなあと改めて感心。すごいエネルギーを使っているのだろうなあ(内容の如何はともかくとして)。
2005年5月31日
「聖書の黙想」5月15日分を更新。5月18日のところで映画が夫婦で割引になることを書いたが、どうやら期間が延長されたらしい。長生きしているといいこともある。でも行く暇がなければ同じことなのだけれどね。教会バザーまでの間に暇はできるのだろうか。というより、一日くらい仕事がない日というのはないものだろうか。やらなければいいだけのことなのかもしれないが、やらなければたまるだけだし。幼稚園があれば寝ているわけにもいかないし。でも仕事の合間に本を読んでも怒る上司がいないだけましか。
2005年5月30日
「最近のあるじ」更新。教会の長老が亡くなってきょうで一年。きのう記念の集まりをもった。一年がすぎてもまだ教会の畳の間に座っているような気がしてならない。一緒に過ごすことができたのは一年ほどに過ぎないが、共有した時間が非常に濃かったという感じがする。くせもあったが、会えないとなるとくせもまたかたちを変えた味わいであったことに気づく。かぜ未だ抜けやらず。鼻の症状に限られてきたが、テイッシュの使用量が減らない。この状態がもっと過激に表れるのだから、花粉症はたいへんだ。
2005年5月25日
「聖書の黙想」5月8日分を更新。きょうは幼稚園のいちごつみだった。ビニールハウスの中で好きなだけとって食べていいと言われたこどもたちの、何と幸せそうな顔。見守るこちらにも伝染する強さを持っていた。いちごの香りに包まれたハウスの中でこどもたちの歓声と笑顔を味わった。午後は大宮で会議。帰りに本屋に寄ったら読みたい本がどんどん目に飛び込んでくる。町に大きな本屋がないというのは、文化的には非常に不幸なことだが、わたしのふところにとってはこのうえない幸運につながっているのかもしれない。
2005年5月24日
「聖書の黙想」5月1日分を更新。かぜはまだ完全には抜けきらず。のみならずもうひとりのしもべに感染。まったく同じ症状。おまえのせいだと責められているかわいそうなわたし。わたしだってまだ病んでいるのに。行事や書類作りに追われた4、5月だったが、6月に入ると一区切りつくかな。いや、忘れていた。6月は教会バザーがある。隣の小学校はきょう樹木の消毒をしていたが、園庭の桜はまだ何ともなっていない。どこの桜にもまだシロヒトリは見かけないのだが、もう消毒のタイミングなのか?、ほんとうに。
2005年5月18日
「最近のあるじ」更新。先週末から微熱とのどの痛みと色っぽい声が抜けず、困っている。困っているというより、いやになっている。下館幼稚園用語で言うなら「やだになっている」。たいした症状ではないのだが、全体的に能率が落ちている。もともと能率は個人的な問題からかなり低空を飛んでいるため、少し落ちるだけでもかなりのダメージになるものと思われる。4月の誕生日から、映画館の料金が夫婦で2000円という割引の適用を受けることができるようになったのだが、押し寄せる仕事と体調不良のため全然行けない。どうもその割引は6月ごろで終わるらしく、気が気ではない。『狸御殿』だけでも割引で見に行きたい。
2005年5月16日
「聖書の黙想」4月24日分を更新。そろそろ桜の木に虫が出ているという話を業者さんから聞く。もうそんな時期になったかいなと桜の木を見に行ったが、まだのようだ。暑さ寒さが入り乱れる変な気候でアメリカシロヒトリも出番のタイミングに乱れが生じているのだろうか。そういえばうぐいすの声を聞かなくなった。今年の春はさえずりを堪能させてもらった。年長さんでこの一週間で逆上がりができるようになった子がいる。見ていてほれぼれするほどきっぱりと「できない」から「できる」へと移っていく。一度できるようになると、少し高い鉄棒でもできるようになる。人ごとながら見ていて楽しい。
2005年5月11日
「当方見聞録」これも久々に更新。幼稚園関係の書類を県に提出し、待望のきしめん作りに挑戦。ホームページで調べると「一晩寝かせる」と書いてあるものが多いのだが、わたしが師匠から習ったうどんの打ち方は一晩寝かせないので、それと同じ方法で作ってみた。腰が強くしかし滑らかな、すごくおいしいものができた。今までわが家の冬の鍋にはきしめんが欠かせず、しかしお気に入りの「しまだやのきしめん」がいつでもどこでも入手可能とは限らず、ストレスをためていたのだが、これで問題は一気に解消。というより鍋を棚からおろして作ってみようかと思うほど気持ちが前向きになっている。唯一悲しいのは、白菜のシーズン終了とともに鍋の季節が終わってしまったことだ。非常にマイナーな要因なのだが、今年の冬まで生きる目標ができた。
2005年5月10日
「聖書の黙想」4月17日分を更新。うどんを打ちたいと思っても、生地をこねてから切るまでの間に今だと4時間ほど寝かせなければならない。昼の間に生地作りができればいいのだが、そんな時間はなく、うっかり夜にこね始めると切るのは夜中に。早く細麺ときしめんに挑戦したいのだがなあ。いつもだと寒いころの早朝にしか声を聞くことができなかったうぐいすが、わが家のまわりを縄張りと定めたらしく、未だにあちらこちらでさえずりを続けている。遠くに近くにさえずりが聞こえると、空間の広がりが意識されてとてもおもしろい。小学生たちが「けきょけきょけきょ」とまねしながら下校するのもいとあわれ。
2005年5月9日
「最近書いていること」更新。先日極太のうどんを作ってみようと思い立ち、われながら『これはやりすぎか?』と思うような太麺を打った。そこまでは簡単だった。太いのだからできる本数も少ないわけで、ということは切る回数が少なくてすむ。太さのばらつきも、もとが太いのでさほど気にならない。ゆではじめてなぜみんなが極太うどんを作らないかがわかった。ゆでるのに時間がかかるのだった。50分ゆでてまだ芯に固さが残る。なんとかカレーうどんにしてごまかして食べた。食べてみればそれなりにおいしかったのだが、50分なべの横で『まだかいな、まだかいな』と待つのがたいへんなのだった。もう作らない。今度は細麺ときしめんに挑戦してみよう。細麺ができるようになったらラーメンを打つのだ。というわけでいろいろやることがあって毎日がいそがしい。
2005年5月5日
「あるじタマの生活と意見」久々の更新。栃木の高根沢に住む知り合いのおばあちゃんのところまで「ハンカチの木」なるものを見に行く。なるほど、木に白いハンカチがかかっているように見える。ハンカチと見えるのは花を包むガクなのだが、それが風に揺れておもしろい。おばあちゃんによると畑に植えた自然薯とユリの根をイノシシに食べられたという。たしかに畑には人間の仕業とは思えない跡があった。野生のこわさも意識しつつ、そこらじゅうに生えるワラビをひとかかえほど収穫させていただき、自然の豊かさも満喫。行きも帰りも裏道利用で渋滞にもあわず、連休最後の一日を楽しく過ごした。さあ、明日からは仕事だ仕事だ。この3日の休みで5回ほどうどんを打つ。やればやるほどからだが作業をおぼえていくのがおもしろい。でも食卓にうどんが登場する機会が爆発的に増え、それはそれで問題かも。
2005年5月2日
「最近のあるじ」「聖書の黙想」4月10日分を更新。4月29日に小山で教区の礼拝というのがあり、それの準備と実行とでほかのことは何もできず、いつの間にか5月に入っていた。更新が滞ったため、あるじ死亡説からしもべ逃亡説までいろいろ飛び交ったらしく、お騒がせしました。もうだいじょうぶです。と言いながら5月も割と仕事があるぞ。6月は教会のバザーがあるし。夏までは仕事三昧か。でもその合間に手打ちうどんを均等に切れるように修行しようっと。夏は冷やしておいしいからなあ。がんばれ自分!
2005年4月24日
「聖書の黙想」4月3日分を更新。29日に大行事が控えているのでなかなか更新できず。あるじファンのみなさま、ごめんなさい。
2005年4月12日
「聖書の黙想」3月27日分を更新。入園式終わる。明日からはママなしで過ごしていただかなくてはならない。なのに天気予報では明日は雨。こどもたちを取り巻く環境は最初から厳しいものとなりそう。ほんとうに人間はずいぶんたくさんのストレスの中で成長していくのだなあと思う。つらいものだ。けれどもたとえば、母親が召し使いのようにかしずいてくれるストレスレスな生活の中では、成長は与えられないか歪められるかといった結果しか生まないのだとも思う。ストレスは悪いものと簡単に断じることもできない。
2005年4月11日
「聖書の黙想」3月20日分を更新。幼稚園はじまる。明日が入園式なので、きょう来た子は転入を除けば昨年もいた子たち。だから安定感がある。だがそれでもちょっとしたことで涙を流す子もいたりする。やはり年長さんが抜けて環境は変わっているのだ。ここに明日新しい子たちがやってくる。これからしばらくのあいだわたしは地獄の門番となり、「ママがいいーー!」「おうちに帰るーー!」と叫ぶ子が門と生け垣の隙間から逃げ出そうとするのを阻止する。母親に対する絶対の信頼を叫ぶこの子たちの姿を、子育てに疲れたり絶望したりしているすべてのおかあさんに見てほしい。そしてまた、この信頼が母親から拒絶されたときに子どもたちがどれほど深い絶望を与えられるのか、どれほど寄る辺ない気持ちにさせられるのかということを想像する力も、わたしたちはもたなければならない。
2005年4月9日
「最近のあるじ」更新。ゆうべ発作的にうどんの生地をつくりはじめ、今朝起きて切り、冷蔵庫にしまったあとメールチェック。そこで「おめでとうメール」に出会い、誕生日であることを思い出した。きのうはおぼえていたのだが。最近右の手のことを左の手が忘れるといった事態が多々あり、恥ずかしい。恥ずかしさ、うしろめたさのようなものを抱えたまま半世紀を迎える。喜寿米寿まで生きたとしてもそんな気持ちを抱えているのだろう。そういえば先日書いた「小心」について一応と思い調べてみたら、「細心」に通じるような前向きの意味もあることを教えられる。だから辞書はおもしろい。「美学」は英語で何だっただろうかと調べて、よく耳にする意外な単語が出てきて驚かされたり。知らないことはまだまだたくさんあるものだ。そしてたぶんそれゆえに人生は楽しい。
2005年4月4日
「最近書いていること」更新。寒くて朝からストーブをつけたが、もう灯油があまりない。明日からは気温が上がるというこのときになって、灯油を買い足すべきかどうか迷っている。買わないでいると寒い日がやってきて、買えば買ったで常夏の日々が訪れるような気がしてならない小心者。そうそう、いつか香港で「小心地滑」という看板を見た。床が滑りやすいから注意しろという内容だったのだが、同じ漢字でも意味が違うのね、と小心者は思ったのだった。そんなことより、灯油どうしよう。燃料として使わない分は冷凍しておいて、後日調理して食べることができるというような仕組みになっていると、とってもエコロジカルだと思うのだが。食べ残しのスパゲッティはストーブの給油口から入れて燃やせるとかね。
2005年4月3日
「聖書の黙想」3月13日分を更新。桜の蕾はまだほころびそうにない。来週の入園式のころの満開は望めないか。例年だと入園式までもつかどうかと心配するところなのだが。球根のまま朽ち果てたかと思っていたカタクリがやっと葉を出しはじめた。園庭の遊具はきれいにペンキを塗ってもらい、新しい遊具も搬入され、子どもたちを迎える準備は整った。新しい仲間を迎えて、どのような色合いの社会がかたちづくられるのやら、楽しみ、楽しみ。
2005年3月31日
更新しようと思ったが時間がなく、4月1日になってしまった。もう眠い。
2005年3月30日
「聖書の黙想」3月6日分を更新。うぐいすのさえずりを聞いた。先週から沈丁花も香りはじめた。冬の間土の下に隠れていた緑が萌え出で、土の上で耐えていた緑は勢いを盛り返して版図を広げようとしている。そういえば去年ポリポットで買ったタイムが直径60センチほどに枝を広げた小さな木に育ってしまった。収穫も楽しみなのだが、隣で張り合っている都忘れの株が下敷きになりそうでかわいそう。
2005年3月29日
「最近のあるじ」更新。きょうは会議で水戸に出張。午後1時開始なのに勘違いして10時に参上してしまい、おかげで喫茶店での読書と勉強がはかどってはかどってしかたがなかった。こんなに自由になる時間が与えられたのも久しぶりかも。読書にかける時間がどんどん細切れになり、何冊も並行して読み進み、そのうち何冊か行方不明になる。かなり情けないパターン。
2005年3月25日
「聖書の黙想」2月27日分を更新。手打ちうどん、自分の足で踏み、自分の手で切った細切り麺のうまいことうまいこと。これを食べることができるのであれば、何度でも作りましょうぞ、と思う。むらなく生地をのばすこと、同じ幅で切りそろえること、このふたつが今後とりあえずの課題。昼食にうどんを食したあとは聖金曜日の礼拝。もうイースターになってしまうのか、と思う。4月半ばにイースターということもあったので、そのときの記憶とくらべて早く感じるのだろう。
2005年3月24日
「聖書の黙想」2月20日分を更新。結局DVDは最終部分に欠落がみつかり、ビデオテープに収録しなおしている。幼稚園が休みになってもなんだか忙しい。でもきょうはその合間に、川越から道具一式つきで来てくださったそば打ちの名人にうどん打ちを教えていただいた。楽しいしおいしいし、うーんこんな世界もあったのかと感心しきり。まだまだ知らないままでいるおもしろい世界が、すぐそばにたくさんあったりするのだろうなあ。そば打ちはもっと複雑でおもしろいらしい。これはアレルギーに阻まれて何とも近づきがたいが、昔仕事をなげうって夜中にパン作りをしていた自分を知っているので、できなくてよかったかも。
2005年3月21日
「聖書の黙想」2月13日分を更新。1月23日分から2月13日分までのあいだに2回説教をしているのだが、原稿を作ることができず、当日録音したテープがなくなるというアクシデントにより迷宮入り。疲れていたころなのだろう。きょうは前の職場である小学校の卒業行事に少しだけ顔を出した。卒業生のひとりに年賀状で「気合を入れに来てください」と頼まれ、気持ちが動いた。ぞわぞわと寄って来られてちょっとまいったが、きらいなら寄って来ないだろうとも思うので、うれしい気持ちで帰ってきた。DVDを作っていたのがはるか昔のことのように感じられる。
2005年3月17日
「聖書の黙想」1月23日分を更新。片面2層というDVDを入手。これで長さの問題はクリアしたはずだが…。8月末になって泣く泣く夏休みの宿題をやっている小学生の気分。今午前3時。やっと一枚目のディスクが焼きあがりそうだ。パソコン、プリンタの買い替えから、DVDのディスク探し、そして結局はソフトも新しいものを買うこととなって、やっとここまでたどり着いた。胃は痛くならないが、頭のたがはとうにはずれている。
2005年3月15日
「最近のあるじ」更新。デジカメの液晶がつかなくなった。カール・ツァイスのレンズで寿命4年というのは許せないので修理に出したいが、その暇がない。卒園記念DVD製作がますます混迷の度合いを深め、編集したデータをパソコンのHDにしまおうとすると「3日かかります」と表示が出る。デジタルビデオに収めてからそのデータをDVD焼きのソフトに収めたのだが、デジタルビデオで120分の作品が、4.7GのDVDディスクに収まらないらしい。両面で8Gというディスクを買ってきたら、片面しか認識してくれず、途方にくれる。片面2層というDVD-Rはどこかで入手可能なのだろうか。初めてのことはなにもわからずおろおろさせられる。
2005年3月13日
「聖書の黙想」1月16日分を更新。きょうは大宮の教会で礼拝。いつもとちがう教会に行くのはいい刺激になる。信徒のみなさんにとってもいろいろな司祭の説教を(もちろんできはともかくとして、のはなしではあるが)聞く機会があるのはいいことだと思う。と書いて、実は司祭は互いの説教を直接聞く機会はほとんど与えられていないことに気づいた。健康のためにはそのほうがいいかもしれないのだが、他人の説教を聞く必要にもっとも深く迫られているのはわたしたちかもしれない。
2005年3月9日
「聖書の黙想」1月9日分を更新。こんなに毎日更新してて、よほど暇なのかとお思いの方もあるかと思うが、そんなことはない。たまりにたまった説教をここで出しておかないと、という思いで人生削って必死に続けているのだ。出しつづけるこちらより読みつづける皆さんのほうがたいへんだと思うが、どうせあるじの写真しか見ていないにちがいない。先週あたりに仕上がるはずだった幼稚園卒園記念DVDの編集がかぜの影響をまともに受けて遅れ、今日だって一日中パソコンの前に座っていた。家に帰ってまでパソコンの前に座りたくないよ。編集中のDVD用データが250Gある編集用HDの25パーセントを食いつぶしているのに唖然。
2005年3月8日
「聖書の黙想」1月2日分を更新。やっと今年の分に入った。どうしてこんなにたまってしまったのだろう。清書したのも、活字化して教会で配ったのも2ヶ月も前のことなのだから、更新しながら読み直してみてなんだか懐かしさすら感じるほどだ。きょうは春の暖かさだった。幼稚園のインフルエンザ禍もようやく終焉に向かおうとしているように見える。球根の芽がいっせいに存在を主張しはじめた。種から育てておいた苗ももう庭に移してだいじょうぶだろうか。でもまた雪ということもあり得るからなあ。気がつくと幼稚園の東の斜面にはふきのとうがたくさんある。気がつかなかいものはまったく目に入らないということだ。来春もふきみその賞味が保証されたことに感謝。
2005年3月7日
「聖書の黙想」12月26日分を更新。昨年天に召された先輩聖職の記念式。記念式文を使いそのあとに聖餐式を続ければいいだけのものをわざわざぐちゃぐちゃにしているので、腹立たしさすらおぼえるほど手際の悪い式だったが、担当者の力量がその程度のものだったということなのだろう。亡くなった先輩のおつれあいと話す機会があったのだが、悲しみはそう簡単には癒されないということを再確認させられた。ナウエンの『慰めの手紙』も「悲しみから喜びへ」といった単純な図式は示していなかったし、C.S.ルイスも『悲しみについて』を悲しみの中で終わらせている。それが正直なところなのだと思う。相手のいじわるなそぶりすら思い出に変えられてしまっているのだから。悲しみは簡単に癒されるものではない。
2005年3月6日
「最近のあるじ」更新。玉座でもなく、大型天国であるホットカーペットでもなく、しもべ(男)が寝ている毛布の上で寝ようと夜になるとベッドに這い登ってくるあるじ。意識のあるうちはじっとしているが無意識になると権力構造を無視して蹴り落としにかかるしもべを相手に、懲りることなく挑戦してくる。なんでかなあ。ホットカーペットのほうが暖かいだろうし、安眠できると思うのだが。しもべは夜中に何度も起こされるので大迷惑。
2005年3月5日
「聖書の黙想」12月25日分を更新。起きたら10時。久しぶりの経験。今週は寝て過ごすことが多く、それはからだにとって感謝すべきことであるのだけれど、来週の仕事はいったいどれほどの量になるのやら。そんなことより明日の説教を早く何とかしなければ。明日も雪とか言っているがほんとうか?佐野まで電車で行くのかな?
2005年3月4日
「聖書の黙想」12月24日分を更新。雪かき後のショックにより夕食後は仕事にもならず読書もままならず、できることは?と考え、たまりにたまった説教の更新をすることに。早く2005年分に入らなければね。あっ、こういうときにLDのコードをさがして『旅芸人の記録』を見ておくのだったなあ。いろいろな家電の本体のみが発掘され、コード類が未だに引っ越しの荷の中に入ったまま迷宮入りしているのだ。もう2年過ぎようというのに。でも休みの日がないんだから、さがす時間もないよ。
2005年3月4日
「聖書の黙想」12月19日分を更新。昨夜から天気予報は大雪のことしか言わず、5時に起床、6時から雪かき。幼稚園は臨時休園。土曜の行事も影響を受ける。すべてのスケジュールをキャンセルし、雪かきに専念。6時からは幼稚園の先生たちの車のために雪かき。昼前には先生たちの帰路を確保すべく雪かき。でも広い敷地を雪かきし、振り出しに戻るともううっすらと積もっていたりして、シジフォスの気持ちがよくわかる。じっと手を見ていたら寒くなったので家に入り、手袋を乾かしながらストーブにあたっていたら背中がずしんと重い。やっぱり自分はチューリップの花開くころには50歳になるのだなあと思った。ほんのちょっと前までもっとからだがいうことをきいてくれた気がする。だがその一方で、いや、でもよく動いたほうじゃないの?という気もしている。若いころ思い描いていた50歳と今の自分は大きく食い違う。みんなそうなのだろうか。かぜが治っていてほんとうによかった。
2005年3月3日
「最近書いていること」更新。預言は成就され(2月24日の更新記録を参照のこと)、恵まれた男よおめでとう、1日からかぜに伏す。本日午後復活。インフルエンザでなかったのがせめてもの幸い。不調で寝ているときだけが休みの日、というのも不幸なものだが。と前にも書いたことがあったような。でも真理と真実は何度語ってもいいのだ。だからといって説教で何度も同じことを語るのは、だめよね。
2005年2月27日
「聖書の黙想」12月12日分を更新。日曜日の礼拝を終え、3時から小山祈りの家で会議。運転中に久々に猛烈な睡魔に襲われる。しばらく忘れていた不思議な感覚に支配されたまま、何とか事故は起こさずにたどり着いたが、また疲れがたまっているのだろうか。休みがないのだから仕方がないのだが。会議を終えた結果、連休まで休みはなさそうな感触を得た。まあ、おいしい「ふきみそ」とか、楽しみなこともたくさんあるから、ぼちぼち行こうっと。
2005年2月24日
「聖書の黙想」12月5日分を更新。金網の向こうのふきのとうゲット。代償は左腕の擦り傷多数。あの春の香りあふれる味噌を味わうことができるのであれば何ほどのこともない。年末に草刈りをしてもらってあったので、ほかにも出ている場所を発見。でも金網から手を伸ばしても届かない。来年の楽しみにとっておこう。金網のこちらにも一株あったはずなのだが消えていた。なぜだ?この近辺のインフルエンザは子どもからおとなへと移行しつつあるという。卒園記念DVDの作成があるので、ここで倒れるわけにはいかない。が、そういう状況で倒れやすい自分であることも知っているので、こわい。
2005年2月23日
「最近のあるじ」更新。園庭にふきのとう発見。ただし金網の向こうでがけの上というむずかしいロケーション。「幼稚園園長 ふきのとうを取ろうとして転落」は避けたい。でもふきみそ、作りたい。もう春の香りを楽しむ季節になったのか。花壇の土の下からも、埋めておいたたくさんの球根が 芽をのぞかせている。スズメバチトラップもそろそろ設置場所を考えよう。もしかしたらスズメバチトラップでドクガも捕まえているかもしれないと最近考えている。ドクガがあの誘引液に惹かれているのかは不明なのだが、名前も知らぬ無数の蛾がかかっているので。
2005年2月13日
「聖書の黙想」11月28日分を更新。月に2回は栃木県の教会で礼拝をする。3月はそれに加えて説教の交換というのがあり、さらに1回外に出る。なので3月27日のイースター前に教会委員会を開くことができない。どうしようかと思っていたら今日全部決まってしまった。よかった、よかった。夜DVDで「向左走向右走」を見る。「ターンレフトターンライト」とかいう邦題で昨年短期間公開されていた映画。もとになった絵本があり、そちらのほうがしゃれていた。が、最近見たラブロマンス物?の中ではまあまあのでき。同じ絵本作者の作品をもとに「地下鉄」という映画も作られたがそちらはどうも甘すぎた。映画のことも書けないままにずいぶん過ぎた(本も)。また少し書き始めよう。
2005年2月11日
「聖書の黙想」11月21日分を更新。きょうは埼玉県の志木で主教按手式。電車を乗り継いでいくとたいへん