「…この戦いが終わったら、テッド君は、どうするの?」
 ラズリルを奪還し、オベル王国に王が戻り。
「…別にどうもしない。陸の旅に戻るだけだ」
 戦の後のことを考えるのに、早くはない。
「そっか。…僕は、どうしようかなぁ」
 誰もが、どこかで、考える。

 さあ、ここから、どうしよう?

「そこで何で俺を見る」
「え。いや、ええと、…」
 戦の終わりが、始まりなのか。
 始めるために、終わらせるのか。

 行く場所など無い。
 帰る場所もまた、然り。

 全てはきっと、右手のこいつが喰らってしまった。

  …そんな俺には今更、何も始まらないけれど。







 トロイ率いる艦隊の抵抗はまるで止むことを知らないかのように、戦闘海域のほぼ九割までもがこちらに制圧されてもなお、続いていた。
 軍主自らが船長を務める旗艦が、トロイの乗る向こうの旗艦に突っ込んだ…というのが、テッドの知る最後の情報。
 完全に勝利しつつあるはずなのにこうまで戦況が見えないとは、流石は海神の申し子トロイといったところか。
 なんであれテッドは、使い慣れた弓にきりりと次の矢をつがえ、まだこちらに気付いていない敵兵の背に容赦なく狙いを定めた。
 かけ声は必要ない。ヒュ、という風きりの音が響くや否や、もんどりうって倒れる相手を確認する間もなく、今度はこちらの背後に殺気。
 しかしそれには振り返らない。
「テッド君ッ!」
 なんだ、その、かけ声。ていうか、呼びかけ?
 こっそりと苦笑した。
 どうという人の倒れる音に振り返ると、今正にテッド自身の背に斬りつけようとしていた敵兵が、その頚椎に矢を立てて、倒れている。さらにその後ろに、油断無く次の矢を構えた青年の姿が見えた。
 アルド。
「テッド君、大丈夫?」
「…ああ。悪い。…戦況は?」
「それが、よく分からないんだ。火と煙を上げている船がけっこうあって、風向きのせいで視界が悪い。伝令も生きていない。…優勢だとは思うんだけれど」
「…横合いから急につけられて、砲手まで白兵戦に参加させられてて、優勢か…」
「…ごめん。僕たち戦闘員がしっかりしてなかったね」
 それは別にお前のせいじゃない、という言葉は、なんとなく飲み込んだ。
 炎と煙を突っ切って突っ込んできた敵艦の戦闘員たちは、一気にこちらの砲手を目指してきた。圧倒的な火力を持った船を制圧することで、起死回生を図ったか。今回砲手として参戦していたテッドはあっさりと白兵戦に巻き込まれ、今に至る。
 ヒュヒュ、と二度風が鳴った。
「ッ…」
 1本目の矢は振り返りざまに籠手代わりのグローブで叩き落し、2本目は急所を庇って当たるに任せる。
「ぐ……ッ!」
「テッド君ッ!?」
 だから、何だよ、そのかけ声な呼びかけ。
 苦痛混じりの笑いは、やはり苦笑になって漏れた。こっそりと隠したけれども。
 3本目の矢を用意する間を与えずに、一撃のもとに敵兵を倒したアルドがあわてて駆け寄って来る。
 テッドは肩口に突き刺さった鏃にかえしが付いていないことを確かめると、それを一気に引き抜いた。
 浅い。紋章、…水も風も付けてなかった。薬…は、さっき、負傷した船員に使った。
「手当てを…」
「いい。俺は1人でもやれるから、他見てこいよ」
「でも」
「いいから」
「………」
 強硬な態度に、ぐっと唇を噛んだアルドが、一歩踏み出す。
 じわりと血が染み出した肩口を無造作に掴まれる。
 しかしテッドは、表情を変えずにゆっくりとアルドを見上げた。
 どす黒い煙でくすんでいた空が、紋章砲か、紋章魔法か。ぱッと一瞬明るくなって、アルドの顔を逆光で暗くする。
「…確かに傷、浅い、けれど。攻撃の手も、今は止んでる…手当てできるときにしておいたほうが、いいよ」
 そうやって、低く呟くアルドの表情を見たいと、ぼんやりと考えた。
 そんな感情が、危険な兆候だとは気付きつつ。
 じくじくと痛み出した傷のせいか、止まらない思考。
 こうやって、優しいこいつを好きになって。
 離れがたくなって。
 この感情の行く末は、俺には用意されていない。
 始まりは終わり。
 行く場所など無い。
 帰る場所もまた、然り。
 全てはきっと、右手のこいつが喰らってしまう。
「……テッド君は、どうして」
 立ったまま、しかし丁寧にテッドの傷口を検めながら、アルドが言った。
「…ん?」
「そんなに優しいのに、人を避けるの?」
 何を言われたのか分からず、目を瞬かせる。
「―――俺のどこが、何だって?」
「……逆なのかな」
「だから、何が」
「優しいから、避けるの?」
「!」
 劇的なまでにぴたりと止まった思考の奔流。
 同時に止まった呼吸が一瞬の後に復活すると同時に、思考の流れが逆向きに暴走しだす。

 愛しいという、その、気持ちが。




 ダメだ。

 ダメだダメだ、ダメだ!
 優しいのは俺じゃない。

 こんなにも身勝手で、脆弱な俺じゃない。

 阿呆なくらいに優しいお前を、ああ、どうか、お願いだから。


 全てを喰らう俺の運命に、巻き込ませないで。




「俺、は、……」

 幼子のような声が出た。
 いつだったか、もう、遠い昔。
 連れて行ってくれ、と。
 強い目を持つ少年に、縋ったあの日のような。

 アルドはポーチから清潔な布切れを取り出すと、そっとテッドの肩口に押し当てた。
「薬もないし、応急手当だけするよ。少し痛いけれど、我慢して」
「――――――……ああ……」
 大人しく従う。
 未だひっきりなしに続く戦の喧騒の中、ふいに静寂が訪れた。
「…この戦いが終わったら、テッド君は、どうするの?」
「…別にどうもしない。陸の旅に戻るだけだ」
「そっか。…僕は、どうしようかなぁ」
「そこで何で俺を見る」
「え。いや、ええと、…」
「俺は、―――――アルドッ!!!」
「!?………ッ」
 テッドの絶叫に、アルドが動く。
 戦の喧騒の中の、静寂。
 なんてことはない。
 狙っていた。狙われていた。
 敵弓兵数人の、見事な一斉射撃。
 アルドに横抱きに押し倒され、とりあえずは敵から死角になるあたりの床に転がり。
 それでも体の芯に響く激痛に、テッドは喉の奥で悲鳴をかみ殺した。
「テッド君ッッ!!」
 何回目かのアルドの呼びかけに、今度は苦笑している暇がない。
 覆い被さっているアルドを見上げると、奇跡的にこちらは無傷のようだった。
 ぼこりと喉をせり上がってきた血反吐を、窒息しないように一気に吐き出す。
 息を呑んだアルドを押しのける。
 脇腹に1本、肋骨の一番下を抜けて、胃を貫通させて、1本。
 大丈夫、場所が場所だから見た目アレだけど。
 致命傷にはなってない、と告げることは、喉を塞がんと上り続ける血に邪魔された。
 手ごたえありと悟ったか、足早にこちらに攻め込んでくる敵の足音を聞きながら、右手に呼びかける。

 そろそろ腹が減ったろ、ソウルイーター。
 何とも気に喰わない、忌々しい自分本位な力だけれど、今は使ってやるさ。
 あいつらを喰らって、俺に、癒しを!

 その発動と、敵の第二撃はほとんど同時。
 襲い掛かる矢の大群は、負傷した自身には避けられない。
 貫かれるのが先か、喰らうのが先か。
 いずれにせよ、最後に立っているのが自分だという自信はあった。
 敏捷なアルドは、もちろん、こんな矢など簡単に。
 簡単に。
「テッド君」
 静かな呼びかけ。
 覆い被さってくる、体温。
 苦笑は漏れない。

 ―――馬鹿野郎!

 罵り言葉は、血反吐に邪魔される。
 ぎゅう、と自分を抱きしめたアルドの体が、数度にわたる鈍い音と共に跳ね、仰け反り、それでも強く抱きしめてくる。
 呆然とその体温を感じているうちに、死神たちがその鎌を振り上げた。
 渾身の魔力をこめた「冥府」の一撃に、ただの1人も逃すことなく敵の断末魔の悲鳴が上がる。
 爆発的にあふれ出る生命の力が、自身の傷を一気に癒す。
 その光の中で、ずるり、と。
 力を失ったアルドの体が、抱きしめるのではなく、圧し掛かってきた。
 無言の体重を支えきれずに、床に転がる。
 体温。
 知らずアルドの背に指先を伸ばした。
 信じられないような数の矢が生えている背はぐっしょりと濡れ、生暖かい。
 最後の命の足掻きのような、体温。

 肩の傷が、跡形も無く消え去った。

 待ってくれ。
 俺はいい。
 致命傷じゃない。
 俺はいいから。

 脇腹に刺さったままだった矢が、傷口に盛り上がった肉に押されてぽろりと落ちた。

 俺はいい。
 ほら、こいつだ、ソウルイーター。
 こいつを癒すのが、先だろう。
 くそ、なんだか、冷たくなってきているのは気のせいか。
 それは気のせいでも。
 俺はいいから。
 突然無言になって、動かないこいつを。
 この、阿呆を。
 とんでもないお人よしのおせっかいを。
 ソウルイーター。
 …後生だから。

 ひびの入った肋骨を。破けた胃袋を。皮膚を。癒しの力が舐めていく。

「…俺は…いいから…」

 動かないアルド。

 何が、優しいだって。

 喰らって、肥えるのは自分だけで。

 何が。

 どこが。

「アルドっ…」

 喉の奥にへばりついた鉄錆味のせいで、掠れた声を絞り出す。
 天に指し伸ばした右手。




 高らかに、鬨の声が上がった。




 右手の指の隙間から、暖かな光が見える。
 柔らかな風が吹き、癒しの波が辺り一帯を包み込んだ。
 アルドの背から、ぽろぽろと矢が抜け落ちる。
「…こいつ、は、…」
 知っている。
 この、暖かな許しの力は。
「2人ともっ!?」
 逆光から覗き込んできた見慣れた少年の顔は、煤と血に汚れていた。
 よくよく見れば、その右手は力を失ってダラリと垂れ。
 腿には、痛々しく赤い色が滲む包帯が巻きついている。
「…いいタイミングだな。大丈夫だよ、俺も、…こいつも」
「そう?よかった…遅くなって、ごめん。あとはここの残敵を投降させるだけだよ」
 精悍に笑ってみせる少年の左手のグローブは裂け、奇妙な紋章が見て取れた。
「『永遠なる許し』…か」
「―――うん。こういう時には、役に立つ」
 アルドを上に乗せ、床に大の字に伸びたままで見回すと、すぐそこの甲板に、突き刺さるかのようにして味方旗艦が取り付いていた。
 そこから真っ先に飛び込んできて、紋章を発動させ。
 敵をなぎ払い、倒れ伏す仲間たちを癒したのだろう。
 この少年軍主は、自ら。
 自らの傷は、決して癒さぬ紋章で。
「とっととユウのところでも行ってこいよ。辛いだろ、それ」
「うん、………起こそうか?」
「いや、いい。ちょっと疲れた。こいつもそのうち気付くだろ。少し、このまま、寝てる」
「そう?………」
「何だよ」
「……君こそ。どうかしたかな、と思って」
「……どうもしないさ。…いや、…………聞かずに行けよ。俺、今から、酷いことを言いそうだ」
「………」
「………」
「………」
「―――いいな、と思ったんだ」
「………」
「そっちの気も知らない、客観的な、サイテイな感じ方だけどさ。自分を犠牲に、敵を砕いて、仲間を助けるなんて、いいな、って」
「………」
「…悪い…」
 戦の喧騒が終わり。
 バタバタと、逆にあわただしい船上で、立ち尽くした少年が口を開きかけ、閉じる。
 あああ、何してるんですかそんな傷で!?と、遠くから目敏く見つけたキャリーが悲鳴を上げた。
「今そちらに行きますから…ユウ先生…ユウ先生っ」
「いいですよ、今こっちから行きますから!―――――……あのさ」
 強い目が、柔らかく見据える。
 ああ知ってるな、こういう強い目、と、テッドはぼんやりと考えた。
「僕も酷いことを言うけれど」
「…ん」
「君の紋章だって、同じだよ」
「?……どこがだ」
 喰らって、喰らって、喰らって。
 俺だけを癒す。
 始まりは終わり。
 行く場所など無い。
 帰る場所もまた、然り。
 愛しいもの全てを喰らう、右手の相棒。
「ちらっとだけ、聞いた。魂喰らいの紋章は、喰らえば喰らうほど、強くなるって」
「ああ」
「君を守ってるんじゃないかな。喰われた人たちは。君の中で。自分を犠牲に。敵を砕いて…」
「ッ…な…」
「…君を、助ける」
「……………………詭弁だ、そんなの」
「…うん、そうだね。………ごめん。酷いこと、言った」






 戦の後のことを、考える。
 戦いが終わり、何かが始まる。
 始まりは、終わりだと。
 愛しさは、喰われ、そこで無に帰すと。
 思っていた。
 ずっと、思っていた。

「……ん…」
 圧し掛かったままだったアルドが、小さく呻いて体を起こした。
 まだ意識がはっきりしないのか、両腕で上体を支えたまま、瞬きをしてぶんぶんと頭を振る様子を見るとはなしに見つめ続ける。
 肺を圧迫していた体重が消え、清々しいのと同時に、失われた体温がなぜか恋しい。
「僕…何………――――!…テッド君ッ!?」
「うるさいな、怒鳴るなよ」
「え…?僕……あれ……?」
 憮然と抗議するこちらをきょとんと見下ろし、首を傾げたアルドを押しのけた。
 ふうと息をついて尻餅をついたまま背を起こし、空を見る。
 まだ状況が飲み込めないらしいアルドが、それに習うように横にちょこんと正座した。
 一緒に空を見る。
 正座、だって?
 今度の苦笑は隠せなかった。
「テッド君…」
「!……何だよ」
「えっ、あ、いや、その、…あ。ええと、勝った…のかな?僕たち」
「ああ。お前が寝てるうちにな」
「…そうか…戦、もう、終わるね」
「…ああ…」

゛テッド君は、どうするの?゛

 信じられないような凪の中、船がゆっくりと、揺れる。
 ふと、アルドが、手を伸ばした。
 テッドの口元に伝う乾きかけた喀血の跡を、指先で拭う。
 その優しさに。
 震える自身の心に。
 歓喜するソウルイーターの声をどこか遠くに聞きながら、テッドは力いっぱいアルドの手を払い除けた。

「俺に触るな」

 終わるために始まって、全て喰われて無に帰すのではなく

「…テッド君」

 還るのだと

「…触るなったら…」

 払い除けても、再び伸ばされる手のように
 狂おしいほどの愛しさと、恋しさの輪郭を、そっと撫ぜるように

「アルド」
「…何?」
 喰らうのではなく、俺の中に、還るのだと

「俺に、近付かないでくれ。俺の、この、紋章は……」

 そんな詭弁を信じられるほど、俺は優しくはないのだけれど



  「――――親しい者の魂を喰らうんだ」









 でも俺は、きっと忘れない。
 その時の、アルドの微笑みを。
 行く場所も、帰る場所もないけれど。
 確かに何かが始まった、その時を。




 戻る