いつの日もやかましい小娘がキンキンとまくし立てている光景は、これといって珍しいものではない。その光景が珍しかったのは、いつもは大人しい小娘の義弟が、今日のところは小娘に負けない剣幕で言い返しているからだった。
「いいからッ!!ナナミは、後方に下がってて」
「なによなによ、お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」
「そういう問題じゃないんだってば!―――シュウさん、右翼はあとどのくらいもちますか?」
「―――――聞きなさいってばッ!!!」
 とうとう言い争いを途中放棄して、傍らで難しい顔をして地図を眺めている軍師に向き直った義弟に、小娘はほとんど癇癪をおこしているかのように怒鳴り声を叩きつけた。
「今すぐ手を打たねば、そこから崩されますね。今スタリオンを伝令に、ビクトールの隊を向かわせてはいますが」
「癒し手が足りないですね。僕が出ます。チャコ、カスミさん、援護頼めますか」
「ちょっと」
「くれぐれも御身を大切に。隠密とはいえ、3人では無謀です。カスミ殿、ロッカクの里の忍びは…」
「はい、軍主殿をお守りすべく、すでに待機を。いつでも出られます」
「ちょっと!!わたしも、わたしも一緒に―――――」
「ナナミ」
 少年軍師の静かな声色に、それまでいきり立っていた小娘――ナナミがぐっと詰まる。
「待っていて。………お願いだから」
「……………怪我なんかしたら、許さないんだからね」
「うん。知ってるよ」
 姉弟の会話はそこまで。
 後は軍主の顔で、忍びとウィングホートの一軍を連れて出陣する間際に、少年は見るとは無しに見ていたこちらに気付き、軽く頭を下げた。


 慌しく伝令と兵隊が行きかう同盟軍の作戦本部で、黙って立ち尽くすナナミに声をかける者はいなかった。
 否。
 かけられない、と言ったほうが正しい。
 なんとなく気詰まりを感じ、いつでも出陣できるように紋章魔法を確かめつつ待機していたザムザは、ゆっくりと顔を上げた。
 篝火に照らされたナナミの横顔が赤い。ぎゅっと噛み潰された唇が微かに震えている。
「まだ痛むのではないか?」
「…え…」
 思わずかけたこちらの声に、どこか呆けた返事が返ってきた。
 じゃり、とざらついた土を踏みつけながら歩み寄る自分を見上げ、きょとん、と目を見開く。
「…なんだ、ザムザ」
「なんだとはなんだ」
「んん、別にもう痛まないよ。今言われるまで、忘れてたくらいだもん」
「…ならいいが」
 あまり信用しないままに言って、沈黙し、見下ろす。
 ナナミの左腿に巻かれた包帯には、乾きかけの、赤茶けた血が滲んでいた。
 紋章魔法で多少は癒したとはいえ、痛みが、傷口が、全て治るにはその負傷は深すぎたのだろう。ホウアンもトウタも、もっと後ろの陣営で負傷者の手当てに追われている。また、回復系の紋章を自由に操れるような使い手は、戦いの間っ最中だ。
 命に関わる怪我ではない。
 さりとて、軍主である義理の弟についていき、戦場を駆けられる怪我でもないということか。
「庇ったのか?」
「え?」
 呆けた返事。
 キンキンやかましく怒鳴られないのはいいことだが、こうも静かだと調子が狂う。
「義弟を」
「…あー…ううん、違うよ。自分でドジしちゃった。あの子の援護するために、前に出すぎてたっていうのは事実だけど」
「矢傷だろう」
「うん」
「…その位置。一歩間違えば命にかかわるぞ」
「…うん」
 だから、多少の武術は使えるとはいえ、戦争のための訓練を受けていない小娘は下がっていろ、と。
 そう続けるつもりで、しかしザムザは、二度沈黙した。
「…庇ったのはね」
「なんだ?」
「庇おうとしたのはね、あの子の方。私が射られた瞬間ね。あの子、駆け寄ってきて。あのとき近くにテンガちゃんがいて、すぐに魔法で治してくれたから、あとは自分で退いたけど。だけど。…あんな顔、初めて見た」
「………」
 失う怖さを、実はザムザはあまり知らない。
 しかし小娘より10は多く生きていれば、理解はできる。
「ほれ見ろ、それだ」
 だから、多少の武術は使えるとはいえ、戦争のための訓練を受けていない小娘は下がっていろ、と。
 その一文を抜かしてしまえば多少訳が分からなくなる気はしたが、とにかく続ける。
「お前がしゃしゃり出てきて、もし死んでみろ。きっと怖いのだろう、あの猿は。猿なりに」
「ちょっとザムザ、ひとの弟猿猿って確かに猿っぽいけど」
「これ以上失うのは、怖いだろう」
 育ての親を。
 祖国を。
 自分の旗の下で戦う兵たちを。
 …唯一無二の、親友を。
「分かってやることだ。怖いのだよ」
 そしてこの上、(例え血はつながっていなくても、例え真実そうではないとしても)姉まで無くせば。
 何が残る。
 あの、猿のような、単純馬鹿な子ども1人に。
 いったい何が、残される。
 失う怖さを、実はザムザはあまり知らない。
 失う前に捨ててきた。
 しかしあの猿は、何も捨てない。捨てられない。
「……………………分かってる、わよ」
「そうは見えなかったがな」
 さっきの剣幕、と鼻で笑って見せると、ようやく小娘はいつもの勢いを取り戻した。
「分かってるってば!だから最後は退いたじゃない!!あの子1人で行かせたじゃない!でもね、でもね、わたしだって、ちゃんと戦えるんだからね!あの子にだって、負けてないんだから!!」
「それは、まあ、知っている。戦争向きとはいえないがな。淑やかな乙女であることは不可能なほどには強いんだろう」
「な・に・よッ・それーーーーッ!!」
 ぶん、と連接棍が唸りをあげた。
「うおっ!?なッ、何をするッ」
 ぼ、と火の粉を舞い上がらせながら拳で受けたザムザは、二歩下がって思わず構えをとった。
「お前、治ってるのか、脚!?」
 中段から振り上げられる棍を掻い潜り、腕をとる。…とろうとして、掻い潜られる。
「言ったじゃない、もう痛くない、って!!」
 じゃきんと鎖が伸びきる音。
 連結された部分を全て遠心力に任せ振り回された棍がどう動くのか、いまいち想像しきれないままにとりあえず相手の懐に入る。
「くッ騙された!しおらしくしているから、余程痛いのかと思ってみれば」
 振り回されず残った棍、つまりナナミが握っている部分の尻が、勢いよく顎に向かって伸びてきた。
「なによなによ、心配でもしてくれたの!?」
 そうだったまがりなりにも近接武器。
 慌てて距離をおきつつ、そういえば生死を問わない格闘以外はあまりやったことがないなぁと(思えばそうか、それも破門の一因か)ぼんやり考え、ぼんやりしたまま思ったことを叫び返す。
「ああしたとも!」
 ナナミのリーチのぎりぎり外から、炎は出さずにだいぶ手加減を入れた拳を繰り出したザムザは、瞬間、ナナミの瞳がきゅっと潤むのを見た。
「………!?」
 ゴッ、と鈍い音と共に、棍と拳が正面からぶつかった。
 いつの間にか鎖をたわませ、ひとまとめにした棍を至近距離から繰り出してきていたナナミとも、正面から、目が合う。
「………おい………?」
 力の拮抗。
 拳の力は緩めぬままに。
 手加減しているとはいえ大の大人の男である自分の拳を、それほど力む様子を見せずに受け止めているナナミの格闘能力を身にしみさせながら、ザムザは困って宙を見る。
 正面からかちあったナナミの瞳は、間違いなく今にも零れそうな涙で濡れていた。
「……おい。…やはり、痛いのか?」
「…違う」
 やはり力は緩められない。
「違うの。………あの子も、わたしを心配してくれたんだよね」
「………ああ。それは、そうだろうとも」
「……わたしも、あの子が心配だよ?」
「………」
「守りたいよ。どんな小さな傷も、つけさせたくない。これ以上悲しい思いなんか、しなくていい。わたしが、どんなことからも、絶対に守ってみせるの。そのためには、」
「………」
「…そのために、わたしがどうなっても―――」
 ためしに拳の力を抜くと、ぶらりと棍と、ナナミの腕が垂れた。
 涙は流れない。
 ただその瞳が、未だゆるゆると篝火を揺らしているのは何となく知れた。
「…あの子も、そうなのかな」
「…そうだろうとも」
「…わたしのことが心配で。守りたいって。守ってみせるって」

 例え、自分がどうなろうと。

 同盟軍の軍主が、例え、それでも。

 知っている。

 そういう少年だと知るからこそ、集った軍であり。

 視線を感じた。
 先ほどとは違った意味で近寄りがたい空間となったこちらに、それでもその男は隠さず視線を向けてくる。
 ぺたんとナナミが座り込む。やはり少々脚に悪かったのか。その手にマントを握られたザムザも、仕方なく土の上に腰を下ろした。

 軍師シュウが視線を外す。

 …そういう少年だと知るからこそ、誰もがその危うさを知る軍であり。

「…ありがとう」
「何がだ」
「心配、してくれて」
「ッ―――――」
 否定するのも何かおかしく、ザムザはなぜか朱に染まりかけた頬を押さえた。
「…………まあな。感謝するがいい」
「わたしもね。ザムザが怪我したら、心配してあげる。感謝してよね」
「ふん」
「でも。でもね。……でも」
 轟、と、遠くで風が渦を巻いた。
 あの鋭い風は、こまっしゃくれた風使いの少年を中心とする紋章魔法か。
 続いて暖かい光が辺りに満ち満ちる。
 光り輝く盾を象った、始まりの紋章の片割れ。軍主の象徴。
 おおお、という歓声。地を、空気を揺るがす戦いの大音響。
 この戦いはじき終わる。
 得られる平穏は、次の戦いへの短い休符に過ぎないが。

「でも。あの子はそれじゃ、いけないんだよね」

 その言葉の真意を尋ねる前に、ナナミは目を閉じて、もう一度呟いた。
「なんだか眠い」
「…そら見ろ。怪我して格闘した罰だ」
「違うわよ。もうすっかり治ってるんだから」
 それでもわたし、あの子についていかないで、残ったんだから、と。
 もう乾いた瞳を、どこか遠くへ向けるナナミの隣に座り込んだまま、ザムザは口を閉じた。
「でも、なんだか眠い」
「………」
 麗しい淑女ならば、肩を抱こう。
 ちんくちゃの小娘ならば、背負ってあやそう。
 ナナミならばどうしよう、と。
 悩むザムザがこの日の会話を思い出すことは、しばらくなかった。

 ロックアックスに少年の慟哭が響いた日。
 その日まで。





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