初めてを恐れたことは無かった。
 火中の栗でも、一旦欲しいと思えば例え誰に止められてもこの手に握り締めた。
 火傷は厭わない。火中のものを握るのだ。当然だろう。
 真に実力があるのだからそう振舞うのは当然のことで、それを傲慢だとか生意気な若造だとかと詰る連中は、端から眼中外だった。
 血が流れるのは当然だろう。薄っぺらい皮膚1枚隔てた下に流れている。割けば流れる、当然だった。
 自分の血にはそれなりに顔をしかめた。油断したな。そう、思った。
 決して加虐趣味は無かったし、故に、人の血が好きなわけではない。
 自分に挑んだ結果として流れる血には特に興味が無い。それだけのこと。
 その他の血も、どうでもよかった。
 割けば流れる。
 当然だろう。

「…い」
「…」
「おい。ちょっと止まれ」
「何よザムザ。みんな急いでるでしょ」
「止まれといっている」
「だから何って―――――――」
 ヒュ、とナナミが息を呑んだのを見下ろして、舌打ちひとつ。
 無理矢理引っつかんだ右腕が乾きかけの血に濡れている。
 傷口の上を掴んでしまったかと眉を潜めたが、感触からそれは無さそうだった。
「…放してよ」
「傷は何処だ」
「怪我なんてしてないもん」
「何を言って…」
 振りほどかれた。
 なるほど、と納得して、掌に付着した粘つく赤茶をその辺りの木に擦り付ける。
「返り血か」
「うん。…たぶん死んじゃってはいない…と思うけど」
「殺してもいいだろう。相手はこちらを殺しにかかってきた」
「…」
 無言でちらりとこちらを睨み上げ、もうだいぶ遠くなった赤黒い火の粉をあげる砦を顧みて、そして俯く。
「…別にお前はこの戦争に関わることはないだろう」
「…」
「ビクトールの砦は落ちた。このまま逃げてもいいんじゃないか?傭兵どもに義理があるのかもしれないが、殺しを躊躇うお前が何をできる?」
「…ザムザこそ、別にここにいなくったっていいじゃない」
「…」
 今度はこちらが黙る番だった。
 小生意気な小娘に、自分の偉大さを知らしめるため。
 軽い気持ちでついてきてみれば戦場で、それはそれで修行にもなるなと砦に居ついた。
 そんな自分こそ、ビクトール達に命を救われた小娘以上にこの戦争に関わる理由は無かったが、戦う手段と躊躇の無さは持っている。返り血に躊躇い、惑う時期は端から存在しなかった。そんな自分に、戦場は相応しいと、そう思う。
 だが、この少女はどうなのだ。
 必死に戦場に身をおく必要が、どこにある。
「…私は修行中の身だからな。戦いの場はいい修行場だ。もっとも、もともと偉大な私のこと、これ以上修行して最強という業を深めるのもどうかと思うが…」
「はいはい」
「―――話をすり換えるな。お前は戦場には向かんぞ。絶対」
「…わたしだって、戦いは好きじゃないよ。でも、でもね…」
 闇の中。
 前方で、背丈まで茂った雑草が揺れる。続いて飛び出してきた夜目にも鮮やかな銀髪の少年が、あからさまにほっとした表情を浮かべた。
「ナナミっ!?…よかった、いた…ごめん、走るのが速すぎたね」
「あ…ううん、違うのジョウイ。ちょっとザムザが自分の裾踏んで転んで」
「なんだと!?言うに事欠いて―――」
「とにかくよかった。でもちょっと休もうか。実はミリーも息切れしてて。今皆を呼んで来るよ」
「貴様も聞け!?」
「行っちゃったよジョウイ」
「……これだから子どもは……」
 くすくすと笑って、ナナミはやっと、ポケットから取り出した懐紙で腕を拭った。
 少しだけ顔をしかめて、口を開く。
「さっきの話」
「…ん?」
「わたし、戦い、嫌だけれどね」
 数人分の足音が近付いてくる。
 一番慌てているのは、たぶんジョウイと手分けして、大切な義姉を探していた少年だろうか。
「ひとりになるほうが、もっと嫌」

 拭っても拭いきれない乾いた血の跡は、闇の中、それだけ見るとまるで花びらのようだった。
 血であると思わなければ確実にそう見えたであろうそれは、たぶん戦場にそぐわない少女の腕に散ったからこその花びらであったのだろう。
 思えは他人の血が気になったのは初めてで、それが後になって思えば何らかの恐怖だったのではないかと思えるのも初めてで、初めてがこれほど新鮮なのも初めてだった。
 たとえばその感情を、恐怖と呼称してもよいかもしれないほどに。







花びら  〜ハナビラ〜







 午後の陽光が降り注ぐ中庭で、腰を反らす。
 トランからハルモニアにグラスランド、戦士の出身地の名前だけならファレナに群島諸国。おおよそ考えうる力を持った国々を悉く巻き込んで荒れ狂った都市同盟とハイランドの戦火は、しかし、いや故にか、季節が巡り繰り返すのを待たずに消えた。
 救国の勇者ではなく、終戦の立役者などではもちろんなく、好き勝手に力を振るう場がたまたま都市同盟だったような自分が今は魔法軍の総指揮をとっている。実力からすれば当然だが、あの食えない軍師から話を持ちかけられたときには、正直大丈夫かこの国。と一瞬思ったものだ。平和な世に、よりにもよって自分を求めるのか。己の魔力が何より破壊をもたらすものなのは己が一番よく知っていたし、軍師が知らぬはずもない。ルックやメイザース、ジーンといった、ザムザも認める魔力を持った面々が当てにならないのは分かっていたが。それにしたって。
 それにしても迷いをもったわけではない。鼻で笑い、「見る目があるな」と引き受けた。引き受けながら目に入った、テンプルトンが丹精込めて作り上げたこの世で一番正確な地図を見て、納得した。
 この国は、あまりにも巨大な敵を隣人としている。
 真なる紋章に異常な執着を示す魔法大国ハルモニア。
 未だわだかまりの残る未知数の戦力を秘めたグラスランド。
 両国がいがみ合っているときならまだ良い。ハイランドという国を間に挟み、媒介として挑んでくるならそれも良い。
 しかし、本気でその目を牙を向けられたときに、抗う軍事力が都市同盟改めデュナンにあるものなのか。
 とりわけ、魔法の力。
 ハルモニアの神官将ササライひとりを相手にするにしても、ルックがいなければこちらの被害は計り知れなかった。こと戦争に魔法が絡むと、被害の大きさ如何はともかく、向かう方向が読めなくなることが多い。あのルックが積極的に力を振るう気になったあたりは、軍師にとっても意外な幸運だったのではないか。
 ササライやルックの魔力の規模は別格としても、魔法使いは多かれ少なかれ、彼らのようにたったひとりで戦の全てをひっくり返す力を持っている。
 デュナンには、生粋土着の魔法使いはそういない。
 流れ戦争に加担した魔法使いたちも去り、またはやがて去る。
 修行以外の理由を持たない旅人であるザムザもまた、ここに骨を埋める気は無かった。
 湖の畔、瑞々しい風も嫌いではないが、乾いた土煙、ギラギラと厳しい太陽の熱、砂漠の旅が恋しくなる日も来るだろう。
「魔法軍の組織作り。基礎鍛錬。そして今後この国を守る力の、…その土台を作って欲しい。そこまでしてくれれば、その後は、それ以上を求めはしない」
 それ以上を望まないわけではないが、と珍しく苦笑した軍師―――元軍師シュウ。
 彼が国を守る力にこだわる訳は、彼の持つ理由の他のどんなものより分かりやすい。
 いつか戻る少年軍主―――元軍主、この雑然とした土地をまとめる力を持った少年のため。
 彼を巻き込み、またそれ以上に彼が巻き込んだ少年のため。
 全くあの田舎者の小猿が、よくもまあこの偏屈陰険男に愛されたものだと思う。
 もっとも、ザムザも他のほとんど全ての者たちも、軍師以上に少年を愛した少女を知っているのだが―――

 午後の陽光が降り注ぐ中庭で、ひと休み。腰を反らす。
 まだまだ実力としては頼りない魔法軍だが、士気だけは常に高い。自然訓練を指揮するほうにも身が入り、まあちょっと建物のほんの一部を焦がし様子を見に来てたシュウのようやく長く揃ってきた髪を焦がし元軍師渾身の雷(紋章魔法に非ず)が落ち。
 そんな午後の一服時間。
「―――あ、ザムザさん」
「ん?…どうした、珍しいな」
 反らした背をそのままに伸びをしたザムザの横を駆け抜けかけたのはクラウスだった。
 激務の割に穏やかな笑顔とおっとりとした態度を崩さないこの青年が、全力ダッシュとは珍しい。
「いえ、それが…あ、ザムザさんも一緒に来てくれますか?シュウ殿の所に、今」
 喘ぐように息を継ぎ、紅潮させた頬を改めて笑みの形に崩して、続ける。
「軍主殿が、見えられて」




 本当だ、小猿だ。

 そう呟くのは、さすがのザムザも我慢した。
 こと少年の旅路の序盤から知り合っていたザムザを含む面子はともかく、シュウを始めとした要人たちの彼に対する敬意は深い。
 斯く言うザムザもそこはそれ、最低限の大人の判断として習って敬語を使ったりもしてみたが、小猿は小猿なのである。人目があればともかく、朝に起こしに行ったときなどは遠慮はしなかった。
 ともかく、ザムザにとって少年は、いつまで経っても小猿なのである。
 しかも、小奇麗にはしているもののどこか埃っぽい旅装で、真っ黒に日に焼けた様は、年相応以上に幼かった。というよりも戦時中が年齢以上のものを求められていたのだろう。それでも浮かべていた笑顔は今と変わらず、その辺りのカリスマ性がゲンカクの息子であるということ以上に、彼を軍主にしていたのかもしれない。
「ザムザさん、お久しぶりです」
「…ああ。久しぶりだな」
 年長の自分に敬語を使い、ぺこりと頭を下げる素朴な態度も変わっていない。
 ザムザは少しだけそれに笑んでみせると、本当は嬉しくてたまらないくせに黙して立つシュウに向き直った。
 うーむ、焦げてるな。
「それで、本題ですが…」
「そうそう、うん、本題です」
 促すシュウに、少年が応えた。
 とたんに真顔で、机に広げられた羊皮紙の地図を指し示す。
「―――…この地図は」
「テンプルトンに会ったときに貰いました。たぶんどこよりも最新の、国境地図です」
「それは信用できますね」
「でしょう。これも届けたくて、それもあったんですけれど、…本題です。ハルモニアの国境警備隊の動きが見過ごせなくて―――」
 クラウス、フィッチャーなども一緒に地図を覗き込んで始まった本題に、ザムザは隠さず渋面を作った。
 幼馴染3人で、自由な旅に出た、と。
 それがザムザの知る最後の彼らの情報で、そうだろう、それがいい、と柄にも無く…本当に柄にも無く、思ったことを覚えている。
 小娘にも小猿にもお坊ちゃまにも、戦場など似合わない。彼ら3人をまとめて知っている数少ない大人のひとりとしては、あんな餓鬼どもを偉くして、何になる。と何度も思った。小猿が唇を噛み締め血を流し、小娘がお坊ちゃまの名前を人知れず呼んで俯くたびに、何度も。
 恐れず、引かず、執着しない。
 怖いもの知らずの日々を送ってきた自分がこれほど他人を気にし、その血を、悲鳴を厭う日が来るとは思わなかった。ビクトールの砦を脱出してからの日々、ほとんど保護者のように過ごしたのが思えば分起点だったのか。だって餓鬼3人に、ミリーにゲンゲン。そりゃないだろうちょっと待て、という。まあそれはいいとして。
 自由気ままな旅に出た、と。
 そうだろう、それがいい、餓鬼にはそれが似合っている。
 国防に携わる任に就いた、あっさりとそれを受け入れた理由の1つには、実は子どもたちがやっと子どもに戻った後の、大人としての責任を感じたからかもしれない。
 この自分が。
 まさか責任を感じる日がこようとは。
 それなのにこの小猿は、この期に及んで己を縛り付けた国のために戻ってきたのか。
 旅に満足し、本当に帰って来たわけではないだろう。途中でハルモニアの動向を探り、手紙や伝令では不安だと判断し、わざわざ報告に来たわけである。
 だいたいにして彼ら3人は3人とも公的には死んだことになってたり行方不明扱いだったりなのになんだかもう本当にこの小猿は――――
「……おい」
「傭兵隊のような…、たぶん辺境警備隊のことだと思うんですけれど、眼帯をした―――あ、はい、なんですかザムザさん」
「ジョウイはともかく、ナナミはどうした」
 ジョウイの名前を呼んだためだろう。あわわわわ、とフィッチャーが辺りを見回した。
 ずさんな言葉遣いに、シュウがちらりと眉をひそめる。
「ああ、ジョウイはさすがに城内へは……ナナミはさっきまでいたんですけれど、城内に挨拶回りするって」
「そうか。…まあ、そうだろうな」
 軍主たる義弟を庇い、死んだことになっていた少女である。
 戦後その訃報が軍師の芝居であったと主だった面々には知らされたものの、実際に生きている彼女と再び顔を合わせた者はいない。
「―――どこへ行く?」
 無言で踵を返したザムザに、シュウが声を掛けた。
「そろそろ休憩時間も終わりですから」
「そうか。…火トカゲの紋章の訓練もほどほどにな」
「…あれ。火と言えば、そういえばシュウさん、火計で焼けてしまった髪の毛、まだそのままだったんですね…」
 とたんしょんぼりと肩を落とした少年を尻目に、ザムザは急いで戸を閉めた。
「―――あ、ザムザさん!ナナミが―――――」
 少年の声が追いかけてきた気がしたが、気付かぬ振りで振り返らなかった。

 休憩時間にはまだ余裕があった。
 城内をゆっくり歩く。
 散歩しながら戻れば、訓練再開に丁度良い。
 と、前方から息を切らせたコボルトが走ってきて、何事かと思えば出張で出向いてきたゲンゲンとガボチャが目を輝かせている。
「あっザムザさん!こんにちは!」
「こんにちは!なあザムザ、ゲンゲン隊長はまだ会っていないのだが、ナナミたちが来たって本当か!?」
「…ああ。私もまだナナミには会っていないが小猿なら会議室に―――」
「そうか!行くぞガボチャ!」
「はいゲンゲン隊長!!」
 この騒がしい2人が乱入すれば会議どころではなかろうと思ったが、止めないでおく。子どもは難しい話をしていないで遊べ。以上。
 ひとり頷き辺りを見ると、そういえば誰もがどこか嬉しそうに浮き足立っている。厨房からはまだ夕飯の支度には早いだろうに、なにやら良い匂いまで漂ってきた。ハイ・ヨーはもういないが、彼が仕込んで行った料理人の卵たちもまた、少年軍主たちをよく知っている。
「ザムザさん!」
「今度は誰だ」
「ねぇねぇ、ナナミちゃん見なかった!?もう会った!?」
 けたたましく呼ばれて横を見ると、両拳を握ったニナが詰め寄ってきている。現在グリンヒルから短期留学中の少女は、そういえばナナミと特に仲の良かったひとりである。
「いや。…というか、まだ会っていないのか?」
「うん、そうなのよ。訊ねて周ってみたら、何人か見かけたって人はいるんだけど、どこにいるのか分からなくて」
「どうせ夕食の時には顔を合わせるんじゃないか?」
「たぶんそうだけど、でも早く会いたいじゃない!ザムザさんは、違う?」
 答えを待たずに、騒々しい少女は走り去った。
 ザムザさんは、違う?
「…馬鹿を言うな。大人は忙しいのだ」
「ザムザ」
「〜〜〜…今度は誰だッ」
「ここで誰だも何もないだろ?ナナミちゃんはどこ周ってるんだい?」
「…あぁ…」
 気がつけば金庫の前。
 バーバラが腕を組んで呆れ顔である。確かにここで、ここの主に向かって誰だも何もないだろう。
「…まだここに来ていないのか?」
「そうさ。まったく、早く元気な顔を見たいってのに」
「…どこをほっつきまわってるのだ、あの小娘は…」
 あれから1年。
 少しは大人びたかと思っていたが、どうやらすばしっこく神出鬼没、煩い子どものままであるらしい。
 それにしても、確実にここにいることが分かっているバーバラのもとにまだ来ていないとは。いったいどこにいるのやら。
「まあ城内なら心配ないさね。大丈夫だよそんなに心配しなくても」
「?…なぜ私が小娘を心配するのだ」
「そんな顔して、何言ってるのさ」
「そんな顔?」
 にっこりと笑うだけで答えないバーバラも子どもたちが子どもたちであった頃を知るひとりだと、思い至ったのは首を傾げながら金庫の前を辞した後だった。
「…まったく…あの小娘は…」
 心配。
 なのか、私は。
 この私が。
 恐れたことはなかった。
 自分の血も。人の血も。それが初めてであっても。
 ああ、でも、それは本当に本当の初めてのできごとだった。
 焼け落ちる砦。
 考えてみればみるほど無茶苦茶な状況下で弱音ひとつ零さなかった少女が、腕に散らせた花びらをしかめ面で拭ったあの日。
 その頼りない様子に、今まで自分は少女の何を見てきたのかと。
 強気で元気、煩くて。
 確かに戦場は似合わなかったが、義弟を、幼馴染をよく助け、励ましていた少女。
 ひとりは嫌だと吐き捨てた少女が、本当の本当に、それを恐怖していたことを、だからこそ戦いの中に身をおいたことを、何故気付けなかったのか、と。

 恐れを知らぬ、自分を恥じた。

 少しだけ日が翳った中庭に辿り着く。
 探していないのはまだここだけだった。
 …探していたのか、私は。
 呆けた思考が覚醒していく。
 探していたのか、私は。
 あの日にも探していた気がする。
 医務室から出てきた軍師の冷静な報告に、人の好い傭兵の青年がその場の全ての気持ちを代弁するかのような慟哭を漏らしたあの日。
 ひとりは嫌だと言っていた。
 それは、自分以上に、義弟と幼馴染をひとりにしたくなかっただけじゃないのか。
 そんなお前が先に逝く筈が無い、と。
 探した気がする。
 見つけたものは、はっきりと自覚した自分の恐怖心だけだったが。

 がさがさ、と薄桃色の小さな花をつけた植え込みが揺れた。
 ふいに吹き抜けた風がザムザの赤毛をかき上げ、かき乱す。
 ターバンが恋しいと思う。
「…あれぇ。ザムザ、ターバンどうしたの?」
「兵の指揮には顔が見えるほうがやりやすい」
「そっか。そうかも」
「…ああ。そうだ」
 ゆっくりと。
 ゆっくりと、目を細めた。
 小さな枝やら葉やらをまとわりつけた動きやすそうな旅装を、よっこらしょと植え込みから引き抜く少女。
「何をやっている」
「何って…あっ、痛たたたた!枝引っかかった」
「…とりあえず今だ。何をやっている」
「ええと、近道。前はこんなに茂ってなかったのにね。懐かしいようで結構変わったね、ここ」
「お前も少しは変わったらどうだ。全く不精をして…」
「ザムザも服くらいしか変わってない」
「私はもともと完璧だからな」
「ふーんへーえそーお?」
「…ひ…久々に腹の立つ…」
 ぎりぎりと拳を握るザムザを、えへへと声付きで笑ってナナミが見上げた。
「……ねえ。久しぶりだね」
「……そうだな。全く、どれだけ周りを騒がせたと思っている」
「…うん。ごめんね」
「私に謝ることではない。―――それよりお前、今、いったいどこをほっつき歩いていた?」
「え?」
「皆煩いくらいに探していたぞ。どこに行っていたのだ」
「ああ…。ええと。皆に迷惑いっぱいかけたし、心配もかけたし。ひとりひとり挨拶しなきゃなぁ、したいなぁって。なのに」
「なのに?」
「ザムザ、部屋にいないんだもん」
「…」
「だからあちこち探しちゃって。おかげでまだひとりも。ううん、今やっとひとり目に会えたけど」
「…」
「…あの」
「…」
「怒ってる?」
「…なぜ私が怒るのだ」
「だって。その顔」
「…」
 憮然と頬を撫で、嘆息した。
 そっと右手を差し伸べる。
 戦火の中でためらい無くつかめた細腕は、眩しく明るい日の光の中では少しだけ触るのを躊躇わせた。
「何」
「腕。何か付いているぞ」
「え?……あ」
「…花びらか」
 薄桃色の小さな花びらを左手でそっと撫ぜる。
 今度こそ花びらだったそれは、はらりと風に溶けた。
「私を探していたのか」
「………………悪い?」
「いや、別に悪くは、―――――いいのか?小猿をひとりにしておいて」
「何それ何それ!まーた人の可愛い弟そんなふうに!」
「猿は猿だろう」
「うー…。あ。あとね!わたしもあの子も子どもじゃないわよ!ひとりでも大丈夫。………本当のひとりは嫌だけど。あの子も、ジョウイも、もうひとりじゃないよ」
 微笑む少女の髪が少し伸びていることに、初めて気付いた。
「お前は?どうなのだ」
 休憩時間が終わりかけていることに気付いたのも。
「もちろんわたしだってひとりじゃないよ。誰も寂しくないのって、いいよね。あ、でも、今日はちょっとどうしようかって思っちゃった」
 それをまあいいか、と思うのも。
「いくら探しても、ザムザ、いないんだもの」
「仕様が無いだろう。仕事中だ」
「あ、そっか。そうだよね。いなくなったのかと思ってびっくりした」
「…しばらくはここにいる」
「…そうなの?」
 小首を傾げてこちらの目を覗き込んでくる少女の腕を、少しだけ引き寄せた。
 引き寄せた以上に歩み寄ったような気がする、空気越しの体温が暖かい。
「小娘が、泣かないようにな」
「な…何それ何それ何それ!!!泣くわけないじゃないなんで泣くのよわたしが!」
「泣かないのか?」
「泣かない!」
「しかし探すのだろう?」
 愛する義弟と幼馴染のために消えたお前が。
 今は私を、探すのだろう。
「―――――……………ザムザは何で、わたしの腕、つかんでるのよ」
「…悪いか」
「…悪くないけど」
 稚拙な言葉のやりとりひとつひとつが大切なのも、初めてだった。
「悪くないだろう?」

 悪くない。
 無関心でも恐怖心でもない、初めては悪くないと、初めて思う。


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