無防備な肢体を受け止めて、ベッドはきしりとも鳴らなかった。
 その上に覆いかぶさるように圧し掛かった俺の体が、代わりとでもいうように、派手にベッドを軋ませる。
 自然に投げ出された腕を組み敷く必要は無かった。
 少女はただ、白々とした月明かりに微笑を映し、じっと俺の目の中を覗いている。
「……来ないな」
「なにが来るのかえ?」
「そろそろ、強烈な電撃が来ると思ったんだが」
「今日は雲ひとつ無い空模様じゃ。雷など、どこからも来ないと思うがの」
「まあ、確かに」
 月の下でなお白い顔に、顔を近付けた。
 紅もささずに薄紅色の唇に、指先を触れさせる。
「……逃げないのか?」
「おんし如きから、なぜ逃げる必要がある?おんしが凶暴な獣、とでもいうのなら、話は別じゃが…」
「獣、ね。今の俺、きっと、獣だぜ」
「ふん。ずいぶんひ弱な獣じゃな。…ん………」
「………………な?こんな、獣」
 それでも少女は笑っていた。
 ただ、俺が喰いついた唇が、紅さを増している。
 ぼんやりと無意識に、薄手の夜着に手をかける。
 その上からでも、ただただ細い腰の線がわかって、頭の中の何かが弾け飛んだ。


 重ねた邂逅の数は、多くも無く、少なくも無い。
 神出鬼没の少女。
 身の内に燻り続けた欲望が、今日突然爆発したわけではなかった。
 かわされて。
 そらされて。
 逃げられて。
 少女の受け止めた永い年月からすれば、ほんの赤ん坊のような俺。
 しかし、少女は少女の外見で。
 大の大人をからかう様に、かわし、そらし、逃げてしまう。


「……ァ」
 肌に触れた左手を滑らせた瞬間、こぼれた声を封じ込めた。
 なめらかな額に一筋の汗。
 思わずそこにも唇を這わせる。
 同時に解放された声は、初めて聞く旋律で小さく響いた。
「は、……ん……」
 はだけ、めくれ、滑り落ちかけた夜着の奥へと右手を伸ばす。
 少女の手は、いつの間にかこちらの背に回されていた。
 その、頼りない、感触だとか。
 気付けばコートも脱いでいなかった俺の下に抱かれた、素肌だとか。
 どこまでも細く小さい、子どものような少女の外見だとか。
 ただ愛しいと思う感情の他に、凶暴な、一種の倒錯的な感情までもがこみ上げて、瞬間だけ頭が冷える。しかし、結局は瞬間だった。飢えた獣なのだ、今の俺は。喰らわなければ、死んでしまう。


 ふと。
 小刻みになっていた少女の吐息が、穏やかになった。その視線が一点を見つめる。
「ナッシュ」
「…シエラ?」
 伸ばされた指先が、こちらの首筋に触れた。
 ちくりと痛覚が疼き、気が付く。少女は、昼間戯れに牙をたてた傷痕から、いつの間にかまた流れ出した血を掬い取っていた。ピンクの舌がそれを舐め取る。
「おんしの血は、甘い」
「そうかい?あまりいいもの食ってるわけでも、ないけどな」
 言いながら手を動かすと、やんわりと、初めて行為に拒絶が返ってきた。
「シエラ、もう俺は今更やめられ…」
「おんしの血は」


「まるで、処女の血じゃな」


 凶暴な獣になって。
 たった今まで支配していた少女に「処女」扱いされ、かッと頭に血が上った。
 と、同時に首筋に、慣れた痛みが襲い掛かる。
 ほとんど意味を成していない夜着を直そうともせず、少女は悠然と血を啜り、力を失い崩れ落ちた俺をベッドに横たえた。
 遠のく意識。


「おんしの血は、…おんしは、綺麗過ぎる」
 待ってくれ。
 お前に覆いかぶさって、お前の体を貪り尽くそうとした俺に。
 綺麗、だって?

「わらわには、綺麗で純粋過ぎる」
 獣のように。
 理性を邪魔と投げ捨てて。
 ただ、お前を抱きたかった、俺に。

「…それとも、わらわが臆病なだけか…」
 綺麗なんかじゃない。純粋さなど知らない。
 今も、いつでも、きっとお前に出会ったときから。
 この心も体も、とうに、果てない欲望を知っている。

「いいや、ナッシュ」
 甲斐なく、意識は藍色の闇に沈んだ。

「おんしは、いつでも、これからも、たとえ絶えない生を歩むとしても、きっと、そのまま、…」
 この疑問が綺麗な証なのか。
 理解できないことが純粋さなのか。
 わからないままに、ただ、それでも。
 燻り続ける欲望は、ずっと消えないんだぞ。なぁ、シエラ。




 戻る