「森、厚志を見なかったか?」
 背中から問い掛けられて、森は抱えたダンボール箱三つごと振り返った。
「ええと…放課後になってから見ていませんよ」
 答えながら、おや?と思う。今はとっくに仕事時間。しかし、今日はまだハンガーで速水の姿を見ていなかった。
「そうか……邪魔をした」
 問いかけの主である芝村舞は、そう言ってから考え込むように下を向き、
「随分と重そうだな。どこまで運ぶのだ?」
 続けてそう言うと、森の返事も待たずにダンボール箱を二つ、取り上げた。







明路 〜メイロ〜







 プレハブ校舎の屋上から見る夕暮れの空は、いつも驚くほどに近い。
 今日は1日晴天だったので、昼間は洗濯物と布団が波をつくっていた。
 それらも取り込まれて、放課後。仕事時間。人気は、皆無。
 速水厚志は思い切りのびをして、ごろりと仰向けに寝転がった。
 あと10数えたらハンガーに行こう。
 そう決めて、心の中でゆっくりと数を数える。

 ひとつ。
 深刻な被弾じゃなかった。それは言われなくても分かってる。

 ふたつ。
 整備の皆は怒っていない。…怒られないために、いつも頑張っているわけじゃないけどね。

 みっつ。
 僕も舞も、怪我ひとつ無かった。舞が短く悲鳴をあげたけど、怪我は無い。そう、でも、舞は悲鳴をあげたんだ。

 ため息がひとつ、思わず漏れた。
 ええと、そうだ、よっつ。いつつ。
「フフフ、悩めるサボり少年!イィ、すごくイイィィィイ!」
「………イワッチ、いつから居たのさ?」
 むっつ、と胸中で呟きながら速水は憮然と、声がした右方向に顔を向けた。
 岩田裕がいつも通り、どうしようもないほどいつも通り、クネクネと踊っている。
「いつって、速水君が寝転がった瞬間をまるで見計らったかのようにですね……って、気付いていなかったんですか?」
 ななつ、気付いていなかった。あるまじきことだけれど。
「うん」
 声付きで頷くと、岩田はぐるりと仰け反った。
「イワッチ、ショックゥウゥ!!僕と速水君の仲じゃないですか!!僕の電波をキャッチしてくださいよぉ」
 そのままぐりんぐりんと回転しだす岩田に適当な笑顔を向けて、やっつ、ここのつ、カウントは続く。
「…っと、じゃイワッチ、僕仕事に行くね」
「えー?行っちゃうんですか?」
 起き上がりをごねられて、速水は今度はちょっと困った苦笑をつくった。
「イワッチだって、仕事でしょ?」
 言ってから、気が付く。
 電波で変人だが、岩田は真面目に仕事をこなす。出撃があった次の日に、こんなところで何をやっているんだろう。
「フフフ、今日の僕は夕日とランデブーな気分です」
「まあいいけど。僕はもう行くからね」
「はい、お気をつけて。あまり、舞を心配がらせないでくださいね」
 あまりにも自然に、岩田が言った。
 あまつさえ調子外れの鼻歌雑じりだ。
 速水は、あげかけていた腰をゆっくりおろした。
 夕日に向かって揺れている岩田の隣に、片膝を立てて座る形になる。
 ちらりと見あげると、岩田は唇だけで、うっすらと笑みを浮かべていた。



「…修理にかかる時間はどのくらいだ?」
 3番機を下から見上げ、舞はダンボール箱を床に置いた。
「ありがとうございました。修理は実質、もう終わってますよ。肩にミサイルがかすっただけでしたから」
 自分も置いたダンボール箱を早速開けながら、森が答える。
「そうか。面倒をかけたな」
「仕事ですから」
「…そうか、すまない」
「………」「どうした」
「いえ、その。………あ…そうだ、速水君、急ぎの用で探してたんですか?」
「ああ。…あやつめ。故障した神経接続の調子を見るから、今日は二人掛かりでないと効率よく作業ができんのだ。それを知っていて……」
 作業に必要なのだ。別に、いなければ寂しいだとか、いて欲しいだとか、そんな理由ではない。断じてない。
 顔を段々と赤く染めながらブツブツ言う舞を、森は呆れ顔で眺めた。何を今更。もうほとんど、小隊中の公認でしょう?
「それなら、見かけたら芝村さんが探してたって言っておきますね」
「頼む。では、私は行くとしよう」
「………………あの!」
「何だ。…言いたいことがあるなら、はっきりと言うがいい」
 今度は舞が呆れ顔になった。
 そして、すぐに、真顔に戻る。
 森は、ちょっとうるんだ瞳をまっすぐ舞に向け、白くなるほど唇をかみ締めていた。



「…舞が、何だって?」
 一本調子に速水が聞いた。
 険悪ではなく、冷たい調子でもない。しかし、普段絶えない優しい響きは、その中に感じられなかった。
 岩田は答えず、笑みを貼り付けたままのその顔を、速水に向ける。そしてすぐに顔ごと夕日に視線を戻した。
 二人はしばし沈黙して、季節の割に妙に赤々とした夕日を見た。
 まるで、流れたての血のような赤。
 聞きなれた陳腐な表現ではあったが、多くの人に同じ印象を与えるからこそ聞きなれ、陳腐になるのだと、ふと速水は思った。
「………昨日、久しぶりに酷く被弾したんだ」
「知っていますよ。でもまァ、酷いといっても比較論ですねェ。我が愛しの一番機ちゃんなどは、毎回それ以上の怪我をして帰って来ます」
「他と比較してじゃない。僕の中での比較論さ。神経接続が故障した。整備の皆が忙しそうだった。被弾の瞬間の衝撃で、舞が悲鳴をあげた。…酷い被弾だ」
 指折り数える速水を見ずに、岩田は踊る。
「酷い被弾だ!何やら韻をふんでいて、なおかつリズミカルゥ!フフフ、あなたもなかなかやりますねェ!!」
 そう?と速水は微笑んだ。そのまま続ける。
「でも、酷いと思う一番の理由はね、……あの被弾は、避けられた。避けているべき被弾だったから」
 市街地での戦い。
 ミサイルの発射直後。
 効果範囲の幻獣はことごとく霧散した。
 ぎりぎり範囲から外れていたミノタウロスが、生体ミサイルの照準をこちらに向ける。
 壬生屋の一番機は前方でスキュラと交戦中。
 滝川の二番機による援護射撃は少しだけミノタウロスを押しとどめたものの、それだけではしとめられない。
「先行入力で、回避は間に合っていたんだ。でも」
 すでにあちこちぼろぼろで、火の手すら上がっている市街地で。
 目に映った回避地点は、そこだけまるで奇跡のように、淡い色の花が咲き誇る花壇であった。
 避難勧告が出る直前まで世話がされていたのだろう。
 持ち主と思われる民家の屋根には大穴があいていたが、花々はまだ萎れてもおらず。
「とっさに、回避地点を変更した」
 避けきれると確信していた。
 突然かかった思わぬ方向からのGに、舞は悪態をついたけれど。
 そして、でも。
「前にもね、似たようなことをして、本田先生から叱られたんだ」
 そういえば、そんなこともありましたねぇと岩田が呟く。
 まだ速水が、今では天才、鬼才と呼ばれるパイロットとしての腕前を開花させる以前の話だ。
 戦場で犬の身を案じて我が身を危険にさらした少年に、ある者は苦笑を、ある者は怒りを、そしてある者は理解の笑みを向けた。
 思えばすでにそのころから、少年は犬一匹を気にしつつ、勝利をおさめる術を身につけていたのだが。
「……僕は、僕には、守りたいものがたくさんできた。これからもっと増えるかもしれない。でもね、だからって、守りたいものを削る気は無いんだ」
「と、いいますと?」
「全部守る。僕が守りたいものは、全部。この手から零れ落ちることは許さない。望まれなくても、僕の前から消えることは許さない。綺麗な花を踏みつけず、大きなクラスメイトに怪我させず、……舞に、悲鳴はあげさせない。そのために僕は」
 一気にまくしたてた後で、速水はふと気が付いた。
 いつの間にか背を伸ばし、真っ直ぐに立っている岩田が、じっとこちらの目を覗き込んでいる。
 表情が無い。
 派手な化粧で覆われた顔はともかく、瞳からも感情の色は覗えなかった。
 それに臆さず、ゆっくりと続ける。
「僕は、強くなる」



 見方によってはまったく睨み合っている様であった。
 そんな森と舞の横を遠坂が通りかかり、気遣わしげに声を掛けようとしてやっぱりやめる。
「あの。整備士は、それが、仕事なんです」
 遠坂の後姿が機材の裏に消えてから、やっと森は言葉をひねり出した。
 言ってからはっとする。何をこんな、唐突な。
「…それとは、どのそれだ?」
 案の定、舞が首を傾げる。しかし、辛抱強くこちらの話を聞いてくれる気ではいるらしい。視線だけで先を促す。
「ですから、整備士は。私たちの仕事は、士魂号の調子を整え、性能を上げて、時には故障を修理し、万全の体制でパイロットを乗せることなんです」
 そのようなことは知っている。とは、舞は言わなかった。黙って真正面から森を見る。
「私たちも一緒に戦ってるんです。パイロットの苦労は、そりゃ半分も分かりませんけど。でも、パイロットだけで辛い思いをされたら、はっきりいって迷惑。士魂号を壊してきたなら完璧に直して見せます。…いつもだったら困るけど。壊さないようにはして欲しいけど。でも、私たちは一緒に戦ってるんです。1人で、戦わないで下さい。…強がらないで」 一気にまくしたてた。でも、まだ足りなかった。。
 どうにも、昨日の被弾をやたらに気にしている速水と。それを気にする舞と。
 まるで、誰も信用せずに、孤独に戦う漫画のヒーローだ。
 感情が高ぶりすぎて顔を真っ赤にしている森を見て、舞は自分の顔も火照っているのを感じた。
「そうだな。…まったく、その通りだ」



 風が吹いた。
 わずかに広がった速水の制服のすそが、柔らかく波打つ。
「強くなりたいんじゃない。僕は、強くなる。そう決めたんだ」
 淡々と、速水は語った。
 岩田はぴくりとも動かない。風すら彼を避けているようでもあったが、前髪だけはうっすらと揺れていた。
「強くなりたい、ではなくて、強くなる、ですか」
「うん、そうだよ。変かな?」
「いいえ。立派な芝村的考えかたですね。…フフ、なるほど。あなたは強くなりますよ。この世界のどんな陰謀、策略よりも。戦車より、ミサイルより、獣より、靴下より…」
 歌うようにぺらぺらと言葉を綴る岩田に合わせて、速水も鼻歌のように、言葉を綴った。
「鳥より、花より、蝶より」
「そうきましたか。月より、星より、打算、駆け引き、落とし穴…」
「ごろが悪いよ。ゴブリン、キメラ、スキュラより…そう、すべての幻獣よりも」
「アウチッ!言われてしまいました。そうですね、それなら、これはどうです?」
 また、風が吹く。
 前髪をあおられ、速水の視界から一瞬、岩田が消えた。
「強くなる、強くなる。この世界の何よりも。人間よりも、強くなる」
 歌うように、泣くように。囁かれる言葉。
 手櫛で髪を直した速水の視界に戻った岩田は、先ほどまでと同じ無表情で佇んでいた。
「……いけないかな?」
「いいえ。ちっとも。でも」

 強くなる

 強くなる


 でも、そして、その先は?


 岩田は何も言わずに笑った。
 速水も静かに、微笑んだ。



 一組教室の扉をがらりと開けると、滝川と壬生屋が教卓をはさみ、大きな地図とにらめっこをしていた。
「厚志を見なかったか」
「あら、芝村さん。…いいえ、ここには来ていませんよ」
「速水なら、屋上に上がってくところを見たけど。随分前だぜ」
「そうか。……その地図は何だ?」
 次は屋上に行ってみようと考えながら、舞は教卓に近付いた。
 熊本市街地の地図の上に、消しゴムやらチョークやらが並べられている。
「あ、チョークが幻獣ね。で、消しゴムが士魂号」
「ふむ。幻獣の群れの真中にいるのが三番機か」
「そそ。只今ミサイル準備中」
 仮想の戦局に早速身を乗り出す舞に、説明する滝川。そして壬生屋は困ったように、首を傾げた。
「その場に合わせて切り込むことは得意なのですが…難しいですね、こういう風に考えるのは」
「だなー。えっと、どこまでやったっけ?そうだ、このキメラがレーザー使ったとこまでだ」
 でも、煙幕がまたきれていませんから、と壬生屋が微笑む。
「な、芝村。ミサイル発射までとか、直後とかさ。俺たちでもっとカバーできないかって、考えてたんだけどさ」
「それで似合わぬ戦術会議か」
「…悪かったな。確かにそうだよ。でもさ、二、三考えたら持ってくから、使えるのあったら使っていこうぜ。少しは楽になるかもしれないし」
「……ああ」
「今のこれはですね、発射地点周辺に、幻獣を集める方法を考えていたんです。三番機の動きだけじゃ、やっぱり限界がありますよね」
「……そうか」
「三番機にばっかいいカッコさせらんないもんな。みんなで戦ってるんだ。みんなで強くなろうぜ、色々考えてさ」
「……そうだな」
「…随分気の無い返事ですね。そんなに似合いませんか?私たちには」
 じわり、と壬生屋の声に不満が滲み出た。
 そういう時だけするどい滝川が、あわわと怯えて一歩下がる。
「先ほどのは冗談だ。…ただ、少し驚いた。森と、作戦会議でもしたのか?いや、対策会議か。いつの間にだ?」
袴の横で拳を固めていた壬生屋がきょとんとした。
「森さんと?何のことです?」
「なんでもない」
遅れてきょとんとした滝川が、一歩の距離を戻ってくる。
「どのような考えが出るか分からぬが、期待しないで待っておこう」
「へいへい。……なぁ、速水に言っといてくれよ。あんまり根つめるなって」
「……?」
「や、授業中とかさ、考え込んでるみたいだったから。戦いのことならさ、それ以外もだけど、俺たち仲間なんだし。三人寄ったら、束ねた矢も折れるって言うじゃん。だからさ」
「……三人寄れば文殊の知恵。一本の矢は折れても、三本の矢は折れない」
「いっ、いいだろ細かいことは!とにかく!せっかく一緒にいるんだからさ、一緒に強くなろうぜ!」
「そうです。及ばずながら、私も努力します」

 強くなろう。

 強くなろう。


 先のことなど、分からないけれど。


「なんだよ、芝村。おかしいか?」
「いや。そう見えたなら、謝罪する。気分がいいから、笑っただけだ」



「それじゃあね。僕、本当にもう行かなきゃ。舞がきっと怒ってる」
「そうですか。残念ンンー」
 ゆらゆらとまたいつの間にか揺れていた岩田の横で、速水は立ち上がり、ひとつ伸びをしてから歩き出した。
 カンカンと靴音を響かせて、階段を下りる。
「ああそうだ、速水君!」
「…何?」
「知っていますか?強くない君がいることで、強くなれる、強くなろうとする人がいることを」
 カンカン、カン。
 速水は振り返らなかった。
 ただ、同じペースを刻む靴音が岩田から遠ざかり、そして聞こえなくなった。



 強くなる

 強くなる

 何よりも

 幻獣よりも

 人間よりも

 …そして?

 そして、その先は?

 道は煌々と照らし出され、目の前にある

 でも、そこに、何がある?

 












 舞が一組教室から出てきたところで、どうやら屋上から降りてきたらしい速水と目が合った。
「厚志!」
 呼ぶ前にこちらに向かって歩き出す速水を睨みつけながら、舞は早口にまくしたてた。今日はまくしたてられてばかりで、自分でまくしたてるのは新鮮だ。
「まったく、どこで何をしていたのだ!?今日は神経接続の修理を急がねばだろう。出撃が無いからいいものの、いや、よくはない。反省せよ!……どうした、なんだ?」
 目の前まで歩いてきてじっと黙っている速水は、いつもの柔らかな微笑を浮かべていた。ただ、じっと黙っている。
「まあよい。そうだ、滝川と壬生屋と…あと、森のあれもそうか?とにかく、皆から伝言が」
 舞が固まった。
 突然きつく舞を抱きしめた速水は、じっと黙って、微笑み続けている。
 舞からは、速水の顔は見えなかった。
 首筋まで赤くなってじたばたともがき、疲れて休んだところでふと気が付く。
 痛いほどに自分を抱きしめる速水の手は、どうしたのかと思うくらいに冷たかった。
「…その、な。伝言が……いや、仕事が先か…いや、そうではなくて…………」
 冷たくて、しかしぴくりとも震えずに、抱きしめる手。
 規則正しい心音。
 静かな呼吸音。
「…………あつ、し?」
 舞は子どものように呟いて、子どもにするように、そっと速水を抱きしめた。







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