士魂号三番機は、理想的な状態だった。
 もちろんまだまだ整備すべき箇所は残っているし、パワーアップしたい箇所もある。
 しかし、それでも。
 そしてそれは、パイロットたちの戦闘能力の高さも物語っていた。三番機は複座型、ミサイルを搭載しているので、毎回敵の只中に突っ込んで行く。それで、ほとんど損害がゼロなのだ。おかげで整備がはかどるから、自然、三番機はどんどんその能力を増していく。
 今の撃墜数は、286。化け物への勲章、絢爛舞踏まで秒読みだ。
 遠坂がじっと三番機に掌を滑らせていると、騒々しい音とともに狩谷とく来須が階段を上がってきた。
「ふぅ…ありがとう」
 車輪の下のハンガーの感触に一息ついた狩谷が、来須に頭を下げながら遠坂を見上げた。
「…精が出ますね。その状態で、まだやることがあるんですか?」
「やってやりすぎ、ということはありませんからね」
 挑みかかるように見つめられ、遠坂は無難な言葉を返した。
「なるほど?あ、僕もこれから二番機の整備なんですけれど」
「そうですか」
 あとは、話すべきことも無い。
 なぜか一緒にいる来須が気にはなったが、遠坂はのろのろと整備の作業を開始した。
 今朝新井木に言われるまで気付かなかった。
 もう何日、田辺と口を聞いていないだろうか。
 どんな態度をとっていいかわからず、口を開けば罵りの言葉しか出てこない気がして、完全に避け始めてからずいぶんと経つ。今ではそれが当たり前のようになってしまい、苦労も苦悩も不自然さも、特に感じなくなっていた。目が合えば笑いかける。その行為だけで、後ろめたさすら感じない。
 ただ時々、田辺の作る素朴な料理が懐かしくなる。
 ただ、それだけ。
 それだけ?
 それならどうして、私はハンガーに通うのだろう。
 別に、幻獣を虐殺する手伝いに、必死になる理由は無いのに。
 幻獣共生派の集会にも、ここしばらく整備に夢中になっていて、出ていなかった。
 どうして?
 そんな必要は、ないのに。
「…今、そこで、田辺さんが岩田くんと昼食をとっていましたよ」
「……………そうですか?」
 それが何か?と、突然話しかけてきた狩谷を見下ろす。
 一瞬胸の奥で何かが暴れたが、声色は冷静そのものに、ハンガーに凛と響いた。
「いえ。…そんな風なら、いっそ別れてしまえばいいのにね」
「……………………何?」
「おっと、怒らないでくださいよ。一般論です。だって不自然じゃないですか?」
「…………」
 今度こそ怒りがこみあげた。
 車椅子を蹴りつけてでも口を閉じさせようとして、来須の存在を思い出す。来須はじっとだまって立っていた。深く被られた帽子の中の目は、どこを見ているのか見当も付かない。
「ここまできて別れ話を切り出さないのは、悪者になるのが嫌だから?……まあ、とにかく、僕はどうかと思います。これは一般論じゃなく、ね」
 言いたいことを言うだけ言って、狩谷は部品を探しに奥へ引っ込んでいった。
 知らず歯をかみ鳴らしていた遠坂と、来須がその場に残される。
「………………………加藤が」
 そして、来須が口を開いたのは、かなり長い間の沈黙の後だった。
「…加藤が、田辺を心配していた。狩谷は、その加藤を心配している」
 小さいが低く腹に響く声。
 その言葉の意味が脳に浸透した後で、遠坂を襲ったのは激しい皮肉の波だった。
 馬鹿げている。
「はッ。それならアレは、加藤さんのための苦言ですか?そんなことをして何になる。単なる自己満足ですね」
 誰かが、誰かのために?
 馬鹿げている。
「お前は」
「……何ですか?」
「お前は、なぜ三番機の整備士になった?なぜ、三番機の整備士を続けている?」
「なぜ、と言われても…」
「自己満足か」
「……」
「田辺のためじゃ、ないのか」
「いいかげんに…」
 いつになく饒舌な来須の台詞を遮ったのは、遠坂のかすれた制止ではなかった。
 聞きなれたサイレン。
 出撃のコールが、多目的結晶を通して伝えられる。
 来須はそれ以上何も言わずに狩谷のもとへ走り、岩田と田辺がハンガーに駆け込んできた。
 岩田は遠坂に目もくれずに士魂号に取り付き、田辺は遠坂の前で立ち止まる。
 瞬間的に無難な笑顔をつくる遠坂の目を見つめ。
 一言。
「ありがとうございます」
「え」
「あの…整備、ありがとうございます」






 士魂号に乗り込んだ田辺の顔は、もう見えない。
 遠坂は予備機のチェックをしながら、補給車の振動に耐えた。
 気付けば岩田が横に立っている。
「口は出さない、つもりだったんですけれどねェ…」
 苦笑。
 岩田は苦笑が似合う男だと、ふと思った。
「何です?」
「田辺さんは変わった、と、思いますか?」
「……そりゃ、変わりましたよ」
 いつもなら、岩田の問いなど無視していた。
 しかし今は、するすると言葉が滑り落ちる。
 爆音。
 補給車がまた、揺れた。
 他の整備士たちは、低い声で交わされる会話に気付いているのかいないのか、それぞれの仕事に没頭している。
「以前の…そう、パイロットになる以前の彼女とは、まるで違う。彼女は、変わりました」
 愚かな人間たちと一緒になった。
 殺戮者になった。
「そうですか…いえ、来須くんがあまり気にするものですから、ね」
「来須くん?…狩谷くんじゃなくて、ですか」
「彼にも何か言われましたか。…不安定だというのは本当か…このままでは、恐らく。いや、それもまた、彼の……」
「?………何の話ですか?」
「………ねェ、タイガー」
「その名で…」
「僕たちは、他人のことがこんなにも分からない。それなのに、本当に、幻獣のこころが理解できると思いますか?」
 いっそう声を低くして言う岩田に、遠坂はさっと青ざめた。
 あわてて辺りを見回すが、会話を聞いていた者はいなかった。
 幻獣共生派。
 なぜこの男は、知っている?
「ねェ。本当に変わってしまうということがどんなことかも、あなたは知らないのに?」
「…どういう…」
「田辺さんは………!?…くそッ、こんにな時に!」
 瞬間、電気にでも打たれたように、岩田が体を強張らせた。
 驚く遠坂を押しのけて、原に叫ぶ。
「主任、複座の人工筋肉と左腕のパーツを…いや、それよりも、救援に!」
「何、岩田くん!?…ッ!!」
 ずどん。
 そんな音に、最初は聞こえた。
 続いて地鳴り。
 爆風に、補給車がふわりと一瞬浮かび上がる。
「ちょっ…何が…速水くん!?善行ッ!!」
『怒鳴らないでくださいッ!それより、指揮車はこれから三番機の救援に向かいます!バックアップ頼みますよ!!』
「な……」
 オペレーターの善行の声が、補給車内の全員に聞こえた。
 三番機の救援?
 遅れて、瀬戸口の声。
『三番機被弾、パイロットの応答…無しッ!!』
「マッキー!?」
 新井木が金切り声を上げた。
「ッ………」
 岩田の押しつぶした叫びが聞こえ、ぼんやりとしていた遠坂は我に返った。
 教えてくれるなら、もっと早くしろ。
 聞こえたのは、そんな台詞。
 何のことだ?
 ああ、それより。
 田辺さん。
『三番機のミサイルと、ミノタウロスの生体ミサイルが誘爆したようだ。残敵は何とかなるから、とにかくパイロットの安全を…』
 普段は耳に心地よい瀬戸口の声が、幼いころに見た悪夢の中の魔物の声に聞こえた。







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