田辺は、変わった。
 それならば、変わってしまう前。
 遠坂が魅かれた田辺は、どんな田辺だったというのだろうか。


 彼女が気に病むこともないことで、必死に謝っていた田辺。
 辛いことがあっても、笑顔をつくろうと頑張っていた田辺。
 運は無くても、強く生きていた田辺。
 …そして、そんな彼女が時折見せる、弱さ。

 守りたいと思った。

 それ以上に、彼女の直向さに守られた。
 硬くコチコチになった心が、いっぱいの太陽の下で揺れる布団のように、柔らかになった。


 それなら、変わってしまった彼女は?

 ためらい無く幻獣を殺す。
 人類を(そう、下らない存在である、人族を、だ!)守護する勲章をとる。
 その手を血で濡らす。
 そして。
 …そして?

 彼女が気に病むこともないことで、必死に謝り

 辛いことがあっても、笑顔をつくろうと頑張って

 運は無くても、強く生きて

 でも、辛そうで。




 …辛そうだったのは、どうしてだ?




 三番機は大破、戦闘から二日後の今は、予備機が使われている。
 パイロットには、意識不明で入院した田辺に代わり、一時的にだが速水がおさまった。
 とはいえ、新品の三番機で無茶は出来ない。
 昨日あった小さな戦闘では、安全域から僅かの数の幻獣を倒すに留まっている。
 そんな状態の三番機の整備を休むことには、意外にも皆が賛成した。
 小隊の中に、カップルは二組。
 速水と舞、遠坂と田辺。
 その数少ないカップルに、皆多かれ少なかれ興味を持っている。
 応援も、している。
 そして、遠坂は病院の前にいた。
 田辺は二日、意識が戻らない。
「行かないんですか?タイガー」
 唐突に、岩田が遠坂の背を人差し指で撫で上げた。
「どこから湧いた」
 本当に。
「フフフ、金魚秘密です」
 企業秘密のことか?
 突っ込みは入れずに、遠坂はずかずかと病院内に入り込んだ。
 病室は知っているが、窓口で面接の了解をとり、改めて病室へと足を向ける。くねくねと岩田も付いてきた。見事なバラの花を持っているところをみると見舞いのようだが、なぜ真っ赤なバラなのか。
「いいんですか、整備のほうは?二人も抜けて…」
「ノープロブレムです。今日明日、戦闘はありませんよ」
「……………」
 自信たっぷりの姿を訝しげに見たが、岩田は気にせず歩き続ける。
 遠坂は、先日の戦闘中の岩田の不可解な発言を、今更ながらに思い出した。
 この男、何を知っている?
「岩田くん」
「つきましたよ。ここですよね?田辺さんの病室は」
「………ああ、はい」
 一応、ノックを二回。
 意外にもそれに、返事があった。
 ノブを回し、ドアを開けると、個室で田辺が半身を起こしている。看護婦が点滴の速さを確認し、すぐに出て行った。
「…遠坂、さん。岩田さんも…」
「意識、戻ったんですね」
「はい、今さっき。家族にも、病院のほうから今連絡が行ったはずで…」
「あ、それならおいとましたほうがいいですかね?」
「いえそんな、ごめんなさい!あの、じきに弟たちとか騒がしいと思いますけど、それでいいなら、あの、来てくれて嬉しいですし、あの…」
「はは。それじゃあ少し、いさせてもらってもいいですか?」
「はい!」
 久しぶりの会話。
 なんとも自然に、言葉が出てきた。
 田辺も明るく微笑んでいる。
「…ちょっぴりサビシイですね…」
 岩田がほったらかしになっているくらいだ。
「岩田さんも、わざわざありがとうございます」
「いえいえ、思ったよりもお元気そうで」
「はい。あの…三番機のほうは…」
 遠坂は、すっと笑みを消した。
 いや、消えたのか。強張った顔のまま、二人の話の続きを聞く。
「あなたの代替で、速水くんがはいっていますよ。まァ問題ないでしょう。もう一人はピンピンしていてそのままですし…」
「よかった!早く、怪我、治しますね」

「治さなくていいですよ」

「え…」
 田辺が呆けたように遠坂を見上げた。
「治さなくていいと、言ったんです」
「え…?」
「治ったら、また貴女はアレに乗って戦うんでしょう?そんな辛いことは、もうしなくていいんだ」
「遠坂さん」
「貴女は変わってしまったと、思っていた。でも違う、殺戮が、戦争を強いられることが、貴女を変えてしまったんだ。もう、そんなことをしなくていいんです。私が守ります。パイロットなら、速水くんだって向いている。貴女は、以前の貴女に、いつでも戻れるんですよ」
「司令はどうするんです?」
「うるさい!」
 茶々を入れた岩田を一括し、そのまま遠坂はベッドの上の田辺の手を握った。
 程よい筋肉がつき、ゴツゴツはしていても、優しく細い、女の手。
「田辺さん」
「遠坂さん…私…」
 見詰め合う。
 だから二人とも、気付かなかった。

 岩田が宙を見て、動きを止める。
 見開いた目だけが震え、派手な化粧越しにも引き締められた表情が分かる。

「私、確かに、変わっちゃったかもしれないけれど…変わってもいいって、思うんです。それで遠坂さんに嫌われても……嫌われても…………」
 嫌われても、いい。
 その言葉は出てこなさそうだったが、遠坂は半ば遮るように、声を張り上げた。
「なぜです!?なぜ、そんなことを…そんなに、殺したいんですか?幻獣を。僕の横で笑っているよりも!?結局、貴女も…」
「どう、思われても!私が戦って、それで、少しでも、平和が近くなるんだったら……」

 岩田はびくりと身を震わせ、緊張を解いた。
 窓の外を見る。
 異常なまでに静まり返った、外を。

「…平和…?」
「だって、平和のほうが、いいでしょう?…お日様の下で、ゆっくり、のんびり、布団……皆で、そんなふうにできたほうが…」
「田辺さん…」

 改造白衣のポケットを確かめると、当然だが武器はおろか、医療品もわずかしか入っていなかった。
 ここから学校までの道のりを頭に思い浮かべる。
 ダメだ、遠い、間に合わない。

「……あの。もし。もし、平和になったら…また、一緒に、お弁当…食べてもいいですか?」
「平和に、なったら…」
 醜い争いの無い世界を望んだのは、誰だ。
 太陽の下で、のんびりと布団を叩きたかったのは、誰だ。
 ぬくもりが欲しかったのは誰だ?


 欲しがって、でもそれを手に入れるための戦いを見下したのは、誰だ?


 欲しかったものを手に入れようとしてくれた人を、罵り、空気のように扱ったのは、誰だ?


 変わった?


 何が?どこが?


 たとえ変わったのだとしても


 だから、どうしたというのだろうか。





「田辺さん、私は…」
「伏せて!!」
 突然の大声に、岩田の存在を忘れていた遠坂は驚きつつ、反射的にそれに従った。
 田辺をベッドに押し倒し、覆いかぶさるように自分も伏せる。
 心臓一拍分もおかずに、鼓膜を打つ衝撃音。
 そして音も無く、窓ガラスが粉々に砕け散った。散った微細なガラスは遠坂の上に降り注ぐ。立っていたら、どうなっていたことか。
 しかし岩田は立っていた。
 露出した顔へのガラスの直撃を腕で防ぎ、手の甲は血に塗れさせ、平然と立っている。
「岩田くん!?これは…」
 遠坂の問いには、岩田ではなく多目的結晶が答えた。
 出撃要請。
 敵の出現地点は学校を中心とした、…周辺地域、一帯。
「…出現!?もう実体化しているだと!?馬鹿な、そんなはずは……」
「でも、事実です。タイガーは田辺さんの護衛ですね。この辺りもじきに戦闘が始まる」
 ずず、と病院が軋んだ。
 まだ距離はあるが、窓の外に飛行タイプの幻獣が見える。
「岩田さんは?」
 田辺がよろよろと身を起こした。
 あわてて遠坂が支える。
 寄り添った二人を見て、岩田は口元だけで優しく笑った。
「僕は一仕事してきます。市民の誘導と、応急手当が関の山ですけれど、ね」
 多目的結晶が、いち早い三番機の出撃を伝える。
 戦局を見て三番機のハンガーアウトを優先させたようだ。
「あァ、そうそう。来須くんから、伝言ですよ」
「え…」
「二人仲良く。すまなかった、と」
「そんな…なんで、そんな、お別れみたいなことを…」
「フフフ、何ででしょうねェ?彼なりの、ジョークじゃないですか?ヘタですね」
 爆音が上がった。
 自衛軍がようやく戦いだしたようだ。
 岩田はきびすを返し、先ほどの衝撃で開け放たれたドアをくぐった。







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