何のために

 何を求めて

 どこに向かって

 何を成し遂げる



 誰も君のことなど知らないのに







明日無き世界に昇る日を 昨日を知らぬ君と待つ
 〜アスナキセカイニノボルヒヲ キノウヲシラヌキミトマツ〜







 日曜日に仕事をするのは久しぶりだった。
 遠坂は士魂号三番機を見上げ、ゆっくりと、そのコックピットの表面についた傷跡に触れた。この傷は金曜日の戦闘で、ミノタウロスが密集した地点に、ミサイル発射のために飛び込んだ時についたものだ。いくらかダメージを受けつつも戦果は圧勝で、三番機のパイロットたちは黄金剣突撃勲章を受賞した。
「………きわどいところで避けたな………」
 苦々しい呟きは、ごうんごうんという機械音に掻き消された。
 視界の範囲に人影は無い。
 遠坂は軽く頭を振り、スパナを握りなおした。
 三番機整備士、それが彼の今の役職である。

 恋人の田辺が三番機のパイロットに志願したのは、三月の半ば。
 速水が指令となって舞も二番機に異動したため、大掛かりな人事が行われた小隊で、しかし別に田辺が戦闘員に回る必要は無かった。
 いやむしろ貴女には向かないと、止めた遠坂を振り切った田辺。
 それでも遠坂は、まだ事態を軽く見ていた。体力が無く、人を傷つけることが嫌いで、要領の悪い田辺。どうせ、すぐにやめるだろう。もしくは周りが、やめさせる。

 しかし、今はどうだ。
 まだ四月の初めなのに、天才的な戦術と、こちらは努力の賜物であろう身体能力で、あっという間に小隊のエースパイロットだ。
 戦って、戦って、無造作に幻獣を殺す。
 幻獣が何たるかも知ろうとせずに。
 田辺にだけは、教えようと思っていた。
 この戦争の愚かさを。人間の、愚かさを。
 …でも。
「あなただけは、違うと思っていたのに」
 結局は、田辺も愚かな人間の一員だった。
 いや、…いつからだろう。
 田辺が、愚かな人間たちとは違うと思っていた田辺が。

 変わってしまったのは。

「おやァ?タァイガァァア、早いですねェ」
「その名で呼ぶな」
 やる気なくスパナを手の中で回していると、同じく三番機パイロットの岩田が現れた。
 「現れた」という言葉か実に正しい。どこから湧いた?
「いいじゃないですか。タイガーも僕をバットと呼んでいいですよ!!」
「呼ばん!それよりもさっさと仕事にかかれ」
「ハイハイ。ん〜、いつもながら整備士に優しい機体状況ですね。見事です!」
「………コックピットに」
「…あァ、一昨日の傷ですね。これ、消えませんよ」
「知っている」
 岩田はちらりと遠坂を見上げ、あとは無言で作業を開始した。
 彼と、あとは森で三番機の整備士はフルメンバーだが、彼女は今日は来ていない。他の整備士たちも、パイロットたちも、今日は休日と決めたようだ。戦局は人間側の優勢に傾いている。わざわざ休日にまで、仕事をする必要は無かった。一人でゆっくり休むもよし、誰かと遊びに行くもよし…
「タイガーは」
「その名で…」
「イィじゃないですか、ワガママですねェ。ええと、………………おやぁ?」
「貴様……まさか」
「冗談ですよ!ちゃんと知ってます。遠坂くんは、よかったんですか?せっかくの晴れた日曜に、仕事もないでしょう」
「………いいんです。一日暇ですから。そちらこそ、どうなんですか」
「僕は士魂号とデートです」
 真顔で言い切られる。
 そうですか、と生返事を返し、遠坂は考え込んだ。
 そういえば、最後に田辺と遊びに行ったのは、いつだ?
 最後に一緒に弁当を食べたのは、いつだ?
 昨日と今日などは、わざと家を早く出て、田辺の作った弁当を受け取りすらしなかった。
 顔をあわせてもいない。
 自分が田辺を避けていることに始めこそ気付かなかった遠坂も、今やはっきりと自覚していた。
 私は彼女を避けている。
 そうだ、そうなのだ。会って何を言えばいい?

 戦いがお好きなようですね。
 殺すのがうまいですね。

 何だそれは。私は彼女を傷つけたいわけじゃない。

 貴女は幻獣が何たるかを知っていますか?
 貴女は人間の愚かさ汚さを知っていますか?

 言ってどうする。彼女は最前線で戦っているのに。

 それなら。
 何を。


 貴女は、どうして、変わってしまったのですか?





 ふと、気配を感じて振り返った。
 田辺。
「おや、おはようございます田辺さん」
 ピエロがそうするように、軽く身を操って複雑な礼をした岩田に笑みと挨拶を返し、遠坂に向き直る。
 その表情が、一転不安そうなものに変わった。それでも必死に笑んでいる。
「おはようございます、遠坂さん」
「おはようございます」
 遠坂は礼儀正しく微笑んだ。
 心の中が、不思議なくらいに静まり返っている。
「あの、お弁当……今朝、会えなかったから……」
「ああ、すみません。わざわざ」
「いえ、いいんです。あの、私も、少し調整したい部分があって…」
「そうですか」
 そしてさらに、貴女は戦うんですね。
「あ、あの、あの…お昼、よかったら一緒に…」
「残念なことに、これから用がありましてね。もう帰るところだったんですよ」
「そう、ですか……」
 目を伏せる田辺から視線を転じると、岩田は我関せずと言った様子で揺れていた。何を考えているのかは分からなかったが、こちらに干渉してこないのなら、都合がいい。
「それでは、お先に」
「あ、あの、とお……ひゃうっ!?」
 さっさと去る遠坂に一歩追いすがった田辺の頭上に、ごーんと音を立ててタライが降った。転ぶ田辺。
 いつものことだがさすがに放ってはおけず、近寄って手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
 その時、目の端に小さな勲章が映った。
 田辺のポケットから飛び出したのだろう。
 黄金剣突撃勲章。
「すみません、遠坂さん。……遠坂さん?」
「……………黄金剣突撃勲章ですね」
「あ、それ…昨日制服に入れてそのまま…」
「……ぶん」
「え?」
「ずいぶん、殺しがうまくなったものですね」


 罪悪感は感じないまま立ち去った。
 当然だ。
 彼女の浮かべた表情すら、見ようとせずに去ったのだから。











 二つの弁当箱を持って立ち竦む田辺の後ろに、音を立てずににじり寄る。
 しかし彼女の鋭敏な神経は、その気配を逃さなかったようだ。
 振り返って弱々しく笑って見せる。
「えへ…お弁当、余っちゃいました」
 後ろから口を塞いで「だーれだ?」をしようとしていた岩田は、しばらく固まった後、人差し指を一本立てて提案した。
「ブータも誘って、ランチしませんか?喜びますよきっと」
「そうですね。………遠坂さん、忙しい人だから………」
 幾分しっかりとした笑顔で言った田辺が、あら?と気付く。
 一歩遅れて岩田も気付き、ハンガーの入り口に細めた目を向けた。
「来須くん、いつからそこにいたんです?」
「……………………」
 どうやら入って来るタイミングを逸していたらしい巨体の男は、ゆっくりと帽子を被りなおす。
 岩田はにんまりと笑うと、お昼提案をすべくスキップを始めた。







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