その本を手に取ったのは、ほんの暇つぶしだった。
 特に意味もなく、パラパラとページをめくる。



 たった一枚の小さな板きれにすがれるのは
 たった一人だけ。

 僕が助かれば、君は海の藻屑と消えて
 君が助かれば、僕はもう君の隣にいられない。

 二人とも助かるのが不可能だとしたら
 さあ、どうする?どうしよう?



 本の中のヒーローは、ほとんど葛藤することもなく、自らが犠牲となって海中に消えた。ページ数はまだかなりあったから、もしかしたらこのヒーローも、どこかで生きているのかもしれないけれど。
 何であれ、それ以上読む気もなく、速水は本を棚に戻した。分厚い専門書を探し当てた舞が戻ってきたからだ。

 ふと、気になる。
 僕と舞なら、どうするだろう。
 舞がいないこれからなんて、考えられないから。
 僕は、海中に没することを選ぶ…んだろうな、きっとね。
 でも、そうしたら、舞は怒るんだろうな。

 たわけ、たわけめ!
 お前より、私のほうが泳ぎがうまいし体力もある!
 お前がこの木っ端につかまるほうが、よほど理にかなっているだろう!?

「…………いや確かにそうなんだけどそれはあんまり…………」
「?…どうした、速水。なぜ睨む」
「…別に。……ねぇ、舞、もし、さ」
「何だ」
「もし、僕たちが………」

 言いかけて、気付いた。

 そもそもこんな質問、するだけで舞は怒り狂うだろう。
 怒って怒って、きっとしばらく口も利いてもらえない。

 たわけ、たわけめ!
 お前がこんなに愚かだとは思わなかったぞ、速水厚志!
 不可能だと?
 私に、そんな言葉を使うのか?
 お前が、そんな言葉を使うのか?




 もし
 小さな板きれ以外に何もない海原に投げ出され
 二人そろって、その力が尽きかけても

 互いに信じあい(誰かを信じるだって。この僕が!)
 あきらめずに(まぁこれは昔から得意だったな。今とはちょっと違う意味で、ね)
 知恵を絞って(うん、これも、得意)
 希望を捨てずに頑張れば(…僕、いつからこんな楽観主義者になったんだっけ?)





「……やっぱり、いいや。ごめん」
「何だそれは。言いかけてやめるとは…やましいことでもあるんじゃないのか?」
「はは、違うよ。…いや、そうか、そうかもね」
「言ってみよ、気になるだろう」
「んー。やめとくよ」
「速水!」
「だってさ」
「うん?」
「簡単に不可能なんて言ったら、怒るでしょ?」


 何を当たり前のことを、と。
 眦をあげて胸を張る舞を見て吹き出した速水は、司書に怒鳴られるまで、図書館中を逃げ回ることになった。




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