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「先輩先輩先ぱーーーーいっ!!」 グラウンドいっぱいに響き渡った甲高い声に、来須銀河はぐらりと体を傾けた。 訓練の休憩中。黙って体を休めていたら、いつの間にかひょろ長くてくねくねした物体が横にいた。 「おやぁ?貧血ですか来須くん。ダメですよ、貴方くらいの体格なら、たまには血の滴る生肉くらいはモリモリ食べないと!」 何をするでもなくなんとなく傍らに立ち、もの凄い真顔で提言してくるひょろ長くてくねくねした物体もとい岩田裕に、さらに体を斜めに倒す。 「…岩田」 「何ですか―――はッ!?とうとう私の自爆装置と、イタリアンでコメディアンなソックスを交換してくれる気にでもなりましたか!?スバラシイ、スバラシイィィイーーーーー!!」 「違う」 「何処に行ったと言えば良いですか?」 「?」 「新井木さんに」 「―――………」 憮然と体を真っ直ぐに戻した。 これだから、この物体もとい岩田裕もとい怜悧で冷静でしかも容赦ない男は油断がならない。 先ほど下らないギャグを叫んだときと同様の笑みをはりつかせたまま、来須にだけ聞こえる声で言ってのけた二言に、来須は黙って帽子を被り直した。 「…別に嘘はいらん」 「そうですか」 「ただ」 「ただ?」 「何か聞かれたら。あきらめろ、と言っておいてくれ」 DearLovers! 〜ディア ラヴァーズ!〜 風が走ってやってきた。 詩人でなくともそんな表現が思いつく勢いで新井木勇美がグラウンドに飛び込んできた時には、グラウンドはなぜか血まみれだった。 「うっわ何これ!?」 きゃー気持ち悪ーい!と、本気で驚いているわりにどこか気楽に聞こえる悲鳴をあげた新井木は、しかし直後に血の海の中心に倒れ付す白い何かを見つけて半眼になる。 というか、ナゼ血の海の中に浸ってて力いっぱい真っ白なのか。 「…げふっ…ニ、新井木さんッ…」 「…あー…えっと。何?」 真っ白というか岩田裕が、のたりと真っ赤の中に伏せていた顔を上げた。 白い白い。 「敵は『チョモランマを征服するのはこの俺だ』と言い残し、去りました…フフフ…僕ぁ精一杯止めようとしたんですが、この有様で」 「ていうかこの赤いの。何」 「この手の仕掛けにはケチャップが一般的且つ有名ですが、匂いがあるので実用的じゃないです」 「で?」 「塗料です。リアルさを追究するならもっと彩度を落とすべきなんですが、ここは見た目の派手さを狙ってですねェェエエッ!?」 「えい」 ぐしゃ。 血というか絵の具を踏まないように気をつけて跳び、新井木はエキサイトし出した岩田を両足で踏みつけた。 あふん、と悲鳴をあげて再び突っ伏す岩田。 「ひ、酷いですよ〜」 「あれ。やっぱり赤いのつかない。なんで?」 「フ…フフフ…訊く前に実験ですか」 「だってまあ、イワッチ相手だし?」 「そこでナゼ訊ね口調なんですか。日本語の乱れが嘆かわしいですねェあァん」 めしゃ。 ジャンプ一閃。 悶え突っ伏す岩田をそのままぐりくりと踏みつけてから、しゃがみこむ。 「まあいっか。ね、イワッチ、来須先輩知らない?」 「ッ…し…知ってます…知っていますからそろそろ降りてくださいぐふゥッ」 ぐきょ。 ジャンプして降りるときには、土台をしっかり踏みつける必要があるのである。 向かい風が気持ち好い。 グラウンドの淵のちょっと小高い芝生に座り、岩田はその風に向かって胸を張る新井木を見て、少しだけ笑んだ。 元気の象徴、無鉄砲の象徴、傍若無人の象徴。 「来須くんなら、さっきまでここで走りこみをしてましたよ」 「ん、それは知ってるんだ。さっきもりりんに聞いたの」 くるりと振り返ったその横顔は、顎の丸みから日焼けした頬、何かの擦り傷付きの鼻の頭まで子どもそのもので、また笑う。 今度は「笑み」ではなくあからさまに「笑った」岩田をねめつけて、口を尖らす新井木。 「何、今の」 「何がです?」 「………ま、いいけどね」 肩をすくめ嘆息する様は大人びた仕草のはずだが、彼女がやるとそれだけで子どもの遊戯のようだった。 大人と子どもで区別されるようでは、男と女の区別がつかないことはままある。新井木はその典型で、つまり彼女は女というよりもまるっきりの子どもであった。 例えば原素子であるならば、岩田を踏むときにはジャンプせずに優雅にぐりぐり踏みにじるだろう。 しかしそれでも彼女は、子どもではなくもしかすると少女でもなく女であるという。 恋しい男を追う女。 「…来須くんなら」 「うんうん」 やせっぽちの体がぐっと乗り出された。 「どこに行くかは言ってませんでした」 「何それ嘘つき!知ってるって言ったじゃん」 「嘘はついてませんよ。僕ぁ来須くんを知ってます〜」 知ってる、知ってるゥとくねくね踊る。 新井木は一度がくりと肩を落とした後でぐっと右足を振り上げた。必殺つま先捻りこみ・みぞおち陥没キックの姿勢。 「こンの変態ピエロッ―――――」 「でも」 「え?」 「こんなことは言ってましたねぇ」 「何」 器用なことに左足一本で不自然な体勢を保ち訊いてくる新井木を見て、岩田は言いかけた真実を引っ込めかけた。 まこと恋という現象は。 甚だ不条理。 自分を欺き他人を欺きそうまでして貫いてみたり。 報われなくても冷たくされても一途に想い続けたり。 想い想われそれでも足りずに求めたり。 何がそうまでさせるのか。 「…あきらめろ。そう伝えてくれと」 「…先輩が?」 「はい」 「…そっか」 どうやら想いを貫くタイプらしい新井木への精一杯の敬意として、岩田は嘘をつくことをやめた。 新井木は二度三度と「そっか」と呟き、どっかりとその場に腰を下ろす。 想い貫き胸を刺されても。 それでも人は恋を繰り返すと。 その概念だけを知識として知っている岩田は、その横に静かにしゃがみこんだ。 それでも、これは無いだろう。 貫くどころの騒ぎではない。 この子どもが泣いていたらどうしようととっさに考え、何がどうしようなのかが分からなくなって90度くらい首を傾げる。 もともと奇行が目立つ岩田の発作的な動作にいちいち驚いていたらキリが無いとばかりに、新井木は少しだけ一緒に首を傾げてから立ち上がった。 「そっか」 もう一度、今度ははっきりと言うその瞳は濡れていない。 「新井木さん?」 「うん。じゃ僕、行くね」 「は?」 「先輩のとこ。探さないと」 「でも」 「明日日曜でしょ?デートの約束!晴れるらしいからプール行きたいなーって」 「どうして」 「どうしてって?」 いやどうしてそこで訊ね口調、と思わず地を出して真顔になりそうな頬を引っ張りながら口を閉ざす岩田の奇行はいつものことで。 だからなのか委細構わず、新井木はくるりと岩田に背を向けた。 向かい風。 微笑むというより、にやりと笑っているのが想像できるやせっぽちの小さな背中。 「僕は絶対あきらめないよ」 「…どうしてですか?」 「だって、まだ『好き』って100回も言ってない」 「………そ…そんなに言うものですかねェ…」 「言うよ?言い足りないもん。大好きって気持ち、ちゃんと伝わるように伝えるには100回でも足りないよ」 先輩相手だし、それぐらいやんないとね。 体ごとふり返り、歯を見せて笑う。 「好きな人には好きって言わなきゃ。先輩は最後まで聞かないでどっか行っちゃうことが多いから、僕決めたんだ。もう何度でも、最低100回は言わないと、って」 「…それは」 来須くんも大変ですねぇ、と、あとは口の中だけで呟いた。 ともすれば今すぐにでも走り出しそうな新井木を見上げる。 太陽の光のせいか、妙に眩しく見える少女に、岩田は閉じかけた唇を再び開いた。 「―――新井木さんは、どうして自分のことを僕と呼ぶんですか?」 「え、何それ。イワッチもそゆこと言うの?いいじゃん、僕の勝手だよ」 「いやそうなんですけれどね」 何それ、は自分の台詞だった。いったい何を訊いているのか。 でも女の子なのに、などとフェミニストが聞いたら冷笑を浴びせられそうな、というか自分が聞いても吃驚な台詞が続きそうになり、舌をかむ。 「アウチッ!」 「何やってんの?」 「…いえなんでも」 「…まあ、ね。そのうち私が似合うときまで、僕。今は僕だよ。そっちのほうが似合うもん」 「そうですか」 「そう。先輩に100回好きって言えたら、伝えられたら、私になれそう。そんな気がする」 「なるほど」 「イワッチは」 「はい?」 「イワッチは、好きな人いないの?」 「僕ですか。唐突ですねェ」 「唐突も何も、あのね、僕思うんだけどさ。うちの小隊の男って根暗が多いよね」 「はぁ。根暗」 それこそ唐突に言われ、きょとんと固まる岩田。 構わず続ける新井木は、鼻息も荒く地団太を踏んだ。 「陰険眼鏡はさ、もっと祭ちゃんに感謝して、ちゃんと好きって言うべきだよね」 「はぁ」 「遠坂くんは気取んなくてもいいからさ。マッキーに素直になったほうがいいよ」 「そうですねぇ」 「委員長は―――あれ絶対ムッツリだよね。何人泣かしてきたんだか。絶対スケベだよ。しかもムッツリスケベ」 「うーん」 「瀬戸口くんは節操無さ過ぎ。でも本気の人には好きって言えないタイプだね。へたれって言うんだよあーいうの。知ってた?」 「なるほど」 「速水くんは…まあいいや。速水君に関してはなんかもう好きにしてって感じかな」 「もっともですねぇ」 「で」 「はい」 「イワッチは?」 「は」 「根暗小隊、モテないよ。イワッチはどう?」 「どうって」 「好きな人に、ちゃんと好きって言える?」 「…」 思わず空気ごと言葉を飲み込む岩田に、新井木は無遠慮にも、ぐっと人差し指を向けてみせた。 「ダメだよそんなんじゃ。チャンス逃がしちゃう。後でコーカイしても遅いんだからね」 「…はあ…覚えておきます」 「ん。そうしなさい!だってさ」 スタンディング・スタート。 駆け出すのだろう、愛しい恋しい男のもとへ。 「だって、好きって伝えたいなら、『好き』って言うのが一番だもんね」 駆け出す直前の風を呼び止める。 衝動で口を開くことが実は珍しい岩田の、この日何度目かの驚きだった。 「――デートのお誘いなら、プールもいいですけれど、サッカー場もいいですよ」 「そう?」 「ええ。少なくとも僕は好きですねぇ。我が一族は、サッカーフリークなんですよ」 好きな人には好きと言え。 なるほど、なるほど。 走り去る新井木の背中に笑った。 後を追って走るには、あまりに素早く小さくなる背中。 甚だ不条理。 なるほど、これが恋ですか。 |