思えば、今まで追いかけられてばかりだったと思う。
 だからか?
 その、仕返しなのか?
 恋人同士になった今、追いかけてるのは俺の方だ。







愛より近く、恋より遠く 〜アイヨリチカク、コイヨリトオク〜







 人類の決戦的存在、ヒーローが現れた。
 見たことの無い人型戦車を伴って出現した青い髪の「彼」によって戦争は終わりを告げたが、だからといっていきなり全てが元通りになるわけではない。
 その最たるもののひとつが、学兵の生活だ。
 教育体制が整えられるまで、とりあえず、彼らは戦時中と同じ学校で学ぶこととなった。
 学力的に、そして年齢的に、同じ学校で学び続けることは不自然ではあったが、しかたがない。今この国をまとめる軍部は混乱しており、そちらにタッチできる状態ではなかった。その裏では芝村や、中央に帰還した善行や、そして「彼」が暗躍しているようだが、熊本でのんびりしている瀬戸口には関係の無いことであった。戦いが終わってしまえば、彼の力が必要とされることも無い。あとは、人間の仕事だ。
「いや…俺も、人間なんだけど、ね」
 自分の言葉がくすぐったくて、笑う。
 昼近くのよく晴れた午前中、瀬戸口はプレハブ校舎の屋上で授業をさぼっていた。 俺も、彼女もただの人だ。
 過去からのしがらみも、運命などという言葉も、関係ない。
 鬼と、シオネとしてでなく。
 瀬戸口隆之と、壬生屋未央として、過ごす今。
「なっちゃん、あとちょっとや!」
「分かってる!うるさいなぁ…」
 下から聞こえてきた声は加藤と狩谷のものだった。
 二人で遅刻して、病院に行って来た帰りだろう。リハビリ中の狩谷は、誰かの補助は必要としつつも立って歩けるまでに回復していた。その補助は、悪態をつき合いつつも当然のように、いつも加藤がつとめている。
「…仲のいいことで…」
 少しうらやましくなって、憮然と口を尖らせる。
 愛の伝道師たる自分が、恋人として付き合い始めてからの壬生屋には連戦連敗状態なのだ。
 昼には壬生屋手作り弁当を二人で食べるし、休みの日には二人で遊びにも行く。
 しかし、壬生屋はキスどころか手を握らせてもくれない。
 抱きつこうとすれば武芸達者なその身にひらりとかわされ、見つめる瞳は逸らされる。
 嫌われているわけではない。
 それはその度の壬生屋の表情や態度から、分かりすぎるほどよく分かった。
 要するに、照れくさくて仕方がないのだろう。そう思う。
 今までしつこい程に逃げてばかりだった「ツケ」だとも、思った。追いかけてばかりであった壬生屋には、瀬戸口のほうから歩み寄られることの免疫が無い。
 …それにしたって、なあ。

「『ぎゅう』は、私だけ。キスも…」

 そう言ったのは、壬生屋なのに。
 その言葉に、素直に従っているのに。
 その壬生屋が、指一本触れさせてくれないというのは…
「…もう!また、こんなところでさぼって…」
「おー、来たか」
 ごろごろと寝転がっていると、昼休みになったのか、当事者壬生屋がやってきた。
 手には弁当箱を持っている。もちろん瀬戸口も、朝手渡された手作り弁当を持って来ていた。
 起き上がり、二人で膝の上に弁当箱をのせたところで、おや、と瀬戸口は首を傾げた。
「今日晴れてるのに、人来ないなぁ」
「整備班の方々、戦車のクリーニングらしいですよ。本格的に、終戦が決定したので…。他のみなさんは、今日は味のれんに行くって…」
「…へえ。じゃ、もしかすると今日は屋上、俺たちだけか」
「……そう……ですね」
 じり。
 座り込んでいた壬生屋が、少し身を引く。
 …やれやれ。
 他愛の無い会話をしながら弁当を口に運び、不意に瀬戸口はイタズラ心を起こした。
「壬生屋、口の横。米ついてるぞ」
「え、えっ!?」
「違うって、そこじゃなくて。……ここ」
 すい、と手を伸ばして、親指の腹で壬生屋の頬に触れる。
「っ…と…取れました、か…?」
 驚き、体を硬くしつつも、動かない壬生屋。
「ん。…取れたよ」
 言いながら、触れた指は離さない。
 そのままゆっくりと唇に移動させ、………
「私!本田先生に!呼ばれてました!!行ってきますッ!!!」
「お、おい、壬生……」
 おきまりの「不潔です!」ですらなく、完全にはぐらかされて、瀬戸口は一挙動に立ち上がって駆け出した壬生屋を見送った。
 そういえば。
 そのせりふすら、しばらく聞いていないのだ。



 あまりに情熱的に追いかけられていたから、忘れていた。
 壬生屋は決して、恋に器用なたちではない。
 過去を振り切れない自分が逃げに逃げている間、どんな気持ちで追いかけていたのだろうか。
 でも、だからといって。
 それにしたって。
 確かに、追いかけはじめのころは、それも自然で楽しかった。
 本気で拒絶もしてないくせに真っ赤になって必死に逃げる姿は、まるっきり、子どものようなイタズラ心を刺激した。
 それも、悪かったのかもしれない。何せ、彼女に思わせぶりな冗談は通じない。
 でも、だからといって。
 続くと、さすがにへこたれる。
 彼女の優しさや、深い深い愛情や。
 それは確かに感じるのに、腕の中に彼女はいない。

 …どうにかしてくれ。



 放課後。
 むしろ、時間帯はもう夜だったが。
 瀬戸口は暗い廊下を玄関に向かって歩いていた。
 廊下の照明以外は明かりは皆無で薄暗い。小隊職員室も照明が落されているところが、戦争が終わったことを感じさせた。
 教室の隅でうたた寝をしていたらこんな時間になってしまった。
 この分だともう誰も残っていまい、と歩く瀬戸口の視線の端に、ひらりと白と赤がひるがえった。袖口の白と、袴の赤。
「壬生屋?」
「瀬戸口君?どうしたんですか、こんな時間まで」
 シャッターの閉まった売店前で立ち止まった瀬戸口のもとに、玄関を出かけていた壬生屋が駆けてきた。
「寝てた。お前さんこそ、何やってんだ」
「パイロットは、まだ少し仕事があるって前に言ったでしょう?」
「ああ、そうか。ちょうどよかったな、一緒に帰ろうぜ」
「はい」
 頷く壬生屋に笑み掛けていると、腹が鳴った。二十時半。そういえば昼から何も口にしていない。
 …そういえば家には、昨日ブータと酒を交わしたときにつくった肴や、食べものが残っている。
「壬生屋、腹空いてないか?」
「そうですね、夕食まだでしたから…瀬戸口君もまだなら、味のれんにでも行きましょうか?」
「いや、うちに来ないか?これから」
「え…あの…これから…?」
「旨い刺身があるからさ」
「でも…遅いですし…」
 ちくり、と針でつつかれるイタズラ心。
「食べるだけだろ。そんなに遅くなんかならないさ。…それとも、遅くしたい?」
 しまったと思ったのは、言ってしまってからであった。
 一瞬きょとんとした壬生屋が、次の瞬間首筋まで赤くなる。
 しまった。
 また逃げられる。
「あの!私、その、明日の朝は早いし…家、帰らなくちゃ!」
 赤いままでくるりと背を向け、走り出そうとする壬生屋に、瀬戸口はとっさに手を伸ばした。
 ばさりとひるがえった黒髪を一房、掴む。
 軽く引かれて、振り返った壬生屋が、咎めるように口を開いた。
「何を…」
「………」
 答えず瀬戸口は、掴んだ黒髪に唇を寄せる。ふわりと何かの香りがした。甘い。
 びくり。
 震えた壬生屋が、少しずつ後ろに下がる。
 それに合わせて前に出ていく瀬戸口は、簡単に壬生屋を玄関脇の壁際に追い詰めた。背中を壁につけ、きっと壬生屋は眦を上げる。
「放してください」
「嫌だ」
「…ふ…不潔です…」
「はは。…久々だな、それ」
「からかわないで!!」
 ちん、と涼やかな音がした。見れば、壬生屋の左手が鬼しばきの抜刀準備を整えている。ここでしばかれてはたまらないと、瀬戸口は一気に体を寄せて、空いている方の手で包み込むように、壬生屋の頬に触れた。昼よりも少し冷たい頬。それがすぐに、熱くなる。
「からかってなんかないさ」
「…放してください」
「だーから、嫌だって。…本気だから」
 言いながら、ゆっくりと輪郭に沿って頬を触る。触ったところから熱くなる感触。
「い…いや…」
 心なしか瞳を潤ませて、壬生屋は力ない両手で瀬戸口の胸板を押した。
 元人型戦車のパイロットの腕力ではない。
 逃げながら、避けながら。
 それが拒絶ではなく、遠まわしな受け入れであることは、分かっていた。
 愛されていることは、よく分かっている。
 それだけじゃ足りない俺は、我侭だろうか。
 自分が追いかけられていた分を、追いかけることすら飛び越えて。
「…逃がさないぜ。もう」
 壬生屋の両手首を片方ずつ掴み取り、壁に押し付ける。
 ゆっくり、ようやくこちらの顔を見た壬生屋の瞳に、どうしたのかと思うくらいに情けない顔をした自分が映っていた。
「まさかと思うけど、俺にはお前さんだけだって、信用してないとか?」
「そ…そんなこと…疑ってなんか、いません」
「だろ?…だったら…」

 他には絶対、しないからさ。
 お前さんに触れるのは、許してくれよ。

 子どものおねだりだ。
 そう思ったが、それで、両手に感じていた抵抗が止んだ。
「壬生屋」
「べ…別に、許していない、わけじゃ…」
「そうだったら…なぁ…」
 耳元でそっと囁いた声が、壬生屋に届くか届かないか…
 そのとき、背中から滝川のすっとんきょうな大声が響き渡った。
「師匠が壬生屋を襲ってるーーー!!??」
「たっ…滝川!」
 すぐ後に、茜の上ずった声。
「………お前ら………」
 自分でも鬼のようだろうと推測できる顔で振り向くと、仕事の後でぶらぶらしていたのか、運動場からこちらに気が付いたらしい二人がいた。
 瀬戸口の形相と壬生屋の様子から、自分が勘違いをしていたと言うか、思い切り邪魔をしたことが分かったのだろう。えへへ、とわざとらしく笑う滝川の口を塞ごうとした形で固まっている茜は、そもそも分かっていたようだか。
「あ…あはははは。じゃ、そういうわけで!」
「ったく、ほどほどにしとけよ!」
 二人はあわてて、運動場に走り去った。
 そしてさらに、そのとき。
「てめぇらーーッ!!校内でいちゃつくなと言ってるだろうがーーーッ!!!」
 物凄い勢いで小隊職員室の扉か開かれ、真っ暗な室内から本田教官がマシンガンを手に走り出てきた。
 前髪の変なくせを見る限りでは、居眠りをしていたに違いない。
「しかも無理矢理か?ああ?瀬戸口、いい度胸してるじゃねーか!」
「え、いや、ちょっ…誤解!誤解です!!なっ、壬生屋!!」
「え、えええええ、えっと、はい、あの、別に嫌じゃ…って、何言わせるんですか!不潔!不潔です!!」
「まっ待て!こら!痛…痛いって、こら!!」
「…て・め・え・ら…いいかげんに、しやがれーーーーッッ!!!!!」







 肩を並べて。
 走って逃げて。
 逃げながら怒っている壬生屋。
「ちょっと待てよ!俺のせいじゃないだろ、さっきのは!?」
「待ちません!不潔です!!」
「ああもう、聞けってば!よし、うちで食事でもしながらゆっくり話すぞ!」
「あ、ちょっと、放してください!不潔不潔不潔ーーー!!!」


 じたばたあばれる壬生屋の手をがっちりと掴んで、瀬戸口は笑った。



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