次の日。 心配していた出撃はかからないまま、仕事時間がやってきた。 明日の朝一番に、速水は三番機に戻り、岩田も整備士に戻る。茜が司令になった後の二番機整備士の穴は、随時手の空いた整備士が埋めることになるだろう。 舞がその後の小隊配置を考えていると、滝川がよっしゃ一休みしようぜ、と汗を拭った。 「そうですね。あ、私、今日おはぎを作ってきたんです。持ってきますね」 壬生屋が言ってぱたぱたと去り、 「俺トイレー」 言わなくてもいい事を高らかに宣言し、滝川もハンガーを出て行った。 岩田はくにゃりと一度背を揺らし、ぐるんと舞に向き直る。 腰と顔の角度が人外で気持ちが悪い。 「……楽しいか、それは?」 「いいえ、ぜんっぜんンー」 楽しそうにぐるぐる回る。舞は無表情で呆れた。 「…今まで黙っていましたが」 「何だ」 「…私は、君の「母」だったのだぁ!」 「……………………」 母。 これか、と納得する。納得はしたが、訳は全く分からない。 岩田と母。これ以上はないくらいちぐはぐだ。 ちょっと会話をしてみようかと思ったらこれである。 下らなすぎて腹が立ち、舞は険悪に唇を歪めて岩田をねめつけた。 「……ほほぉ?」 ことさら尻上がりに相づちを打つ。 「嘘です」 岩田は壮絶に血を吐いて倒れ、動かなくなった。 それならしばらく生き返らないようにしてやる、と、ヤクザ蹴りを叩き込む寸前、ぱちっと岩田が目を開けた。 舞を見上げ、唇に弧を描かせ。 微笑む。 「!?」 「フフフ、これがやりたかったんですよねェ。ああ、イワッチ満足ゥー!ところで芝村さん」 「…な…なんだ」 「キュロットとはいえスカートです。蹴りにはちょっと向きませんねェ」 「何を………?…………!!!!!!」 腹の柔らかい部分を狙ってヤクザ蹴りを3度繰り返したとき、高々と、重苦しく、サイレンが鳴り響いた。 出撃。 敵戦力はミノタウロスを主力とした、ナーガとキメラの編隊であった。 込み合った住宅が複雑な道を作り出している戦区である。 出撃要請と同時に入った通信によって、同戦区の友軍も戦闘に出ていることが明らかになった。 援護は期待できない。まあこれは、友軍の側にも言えることだが。 「でもミノタウロスは2体、足の速いきたかぜゾンビは出てきていない」 速水は指揮車内でモニターを一目見て、無線のスイッチを入れた。 「煙幕弾射出後、滝川機のバズーカでミノタウロスを一体潰して。残り一体を壬生屋機が引きつけるうちに岩田機は前進、ミサイルで小物を潰す」 「だとさ。敵増援が来る前に決着つけるぞ。それなら怖い相手じゃない」 瀬戸口が後を継ぎ、各戦闘員にエールを送る。 「スカウトは突出してきた目標を頼みます。滝川、まだ二番機は本調子じゃない。無茶しないで!あと、舞とイワッチもね!」 『わーってるよ!今日は前には出ないさ』 『フフフ、無茶無理無策も楽しいですがねェ。まぁ、今日のところは大人しく、ミサイルでゴーですね』 『黙れ岩田。通信終わる。行くぞ、滝川、煙幕弾を!」 舞の静かな怒声が戦闘開始の合図となった。 二番機の煙幕弾と同時に一番機が飛び出し、比較的前に出ていたミノタウロスに白刃を向ける。 三番機も遮蔽物を避けるのでは無く飛び越えながら前に出た。 二回目にビルを飛び越えたときに下にいた、意味をなさないレーザーを発するキメラを遠心力のままに蹴りつける。 「岩田機、キメラ撃破!」 ののみのオペレートに、へえ、と加藤が意外そうな顔をした。 「なかなかやるやないの、岩田。頭脳戦やね」 「そうだね。でも、戦闘が続くときついかもしれない」 速水は冷静に機体状況とモニターを見比べた。 「だな。岩田も芝村も、長期戦ができる感じじゃないだろ。早期決着あるのみだ」 瀬戸口は言った後、滝川機ミノタウロス撃破、と付け加えた。ほぼ同時に、壬生屋の太刀が残りのミノタウロスを霧散させる。 そしてスカウトが接敵する前に、決着は着こうとしていた。 無防備に仁王立ちになっている一番機に、吸い寄せられるように集まってきた幻獣の真中に二階建ての民家の屋根を蹴って降り立った三番機は、間髪入れずにミサイルを発射した。 速水の脳裏に、同じ機体に乗っていながら見たことは無かったが、いつも想像していた舞の鮮やかなミサイル操作が浮かび上がる。 ごうん、というそろった低い音が指揮車を揺らし、モニターから次々と幻獣を表す赤い光点が消えていく。全弾命中。 「岩田機、キメラ撃破、ナーガ撃破…」 「敵戦力ゼロ、伏兵は…ありません」 ののみと瀬戸口が慌しく戦果を告げた。 「思ってたより速攻勝負がついたな。ミノタウロスを潰せれば、展開は早い」 「うん、二番機の照準補正、心配してたけど…」 『待て速水!俺だってやるときはやるぜ!?』 『何言ってんだ、滝川。誰が短期間にここまで直してやったと思ってるんだ!?』 始まった滝川と茜の漫才を聞きながら、速水はそっと、小さな安堵の息をついた。 「フフフフフ、クククッ…ハーッハッハッハ!スバラシイ、実に綺麗にまとまった一戦でしたねェェ!!」 「……まぁ、初戦でその機体繰りは誉めてやろう……」 狭いコクピットの中で、下からきんきん響いてくる高笑いに本格的に頭痛を感じながら、舞はわずかに笑って見せた。岩田の操作はあざやかではあったが、慣れない相手の動かし方ゆえか、少し酔ってしまったようだ。 「…芝村さん?大丈夫ですか?」 「何でもない。さて、戻るぞ」 「はい、帰りは飛びませんから、安心してくださいね」 「何のことだ?」 酔いがばれたかと、ことさら強い声を出す舞に答えず、岩田はビルの谷間を縫うように機体を動かした。 「……まぁ、一度とはいえ興味深い経験でしたねェ」 「そうか?私にとってはいつもと変わらぬ戦争だ」 「フフ、戦争もそうですがね。僕のギャグに対する芝村さんの反応、なかなかイィ感じでしたよ」 「…たわけ。できればもう2度と付き合いたくないところだ」 「母に冷たいことを言わないで下さいよォ」 「それは嘘だと自分で言ったであろう。全く…!?」 がしゃん。 突然の揺れ。 決して速い速度で動いていたわけでもないのに、慣性を感じる程の衝撃で士魂号が足を止めた。 「岩田、何を…」 『各員に告ぐ!聞こえているか!?戦闘域各員に告ぐ!敵の増援を確認!!」 「!?」 瀬戸口の切迫した声が、無線からノイズ混じりに繰り返した。 「何!?そんな、突然…」 『幻獣実体化!数は17!!』 モニターに、忽然と赤い光点が現れた。 一番機の周囲に5、残りは距離は様々ではあるが、三番機の周りを取り囲んでいる。 その中にスキュラの姿を認め、舞は唇をかんだ。 岩田の操縦でミノタウロスから機体を隠した三番機のアサルトを、冷静に、すぐ横に実体化したナーガにロックする。 一番機の正面にあった光点がひとつ消える。 煙幕弾の煙は、とうに薄れ始めていた。 「無理に戦わなくてもいい!敵に背を向けないように、ある程度数を減らしたら後退だ!」 速水が努めて冷静な声で指示を出す中で、瀬戸口は目を細めて外部からの通信を切った。ののみが一番機のゴルゴーン撃破を告げる。 「速水、友軍がやられた。中型、大型幻獣中心の部隊相手に、完膚なきまでに、だ」 「…そこで抜かれた分が、こっちに来たのか…」 『三番機の援護に出るぜ!』 短い通信だけを送り、二番機が猛然とダッシュした。弾の無いバズーカがその足跡に転がった。二番機の装備は一丁のジャイアントアサルトのみである。 「待て、滝川!」 落ち着け、と叫ぶ瀬戸口を遮るように、 「岩田機被弾!壬生屋機被弾!神経接続、反応速度、低下!!」 泣き出しそうなののみの声が、速水の耳を打った。 「…滝川、機体を幻獣にさらしちゃダメだ。距離を保って援護して。スカウトも同じく」 無機質なモニターの中で、三番機と10数体の幻獣との距離が詰められていく。 ミサイルの予備弾装は積んでいない。積んでいたとしても、交換している余裕は無かっただろうが。 「岩田機、、ナーガ撃破!ゴルゴーン撃破!」 アサルトと、蹴りか。 道を作って、一歩、後退する三番機。 すぐに回り込んだミノタウロスが、退路を断った。スキュラに機体はさらしていない。しかし、遮蔽物は後退の妨げにもなっている。 「壬生屋機、ミノタウロス撃破!」 壬生屋は善戦していた。 それでも、まだ背は向けられない。三番機の援護には、向かえない。 舞。 司令としてモニターを見ながら。 司令として指示を出しながら。 速水は、走れば数分でたどり着く距離の機体の中の、舞を想った。 三度目の被弾が、三番機を襲った。 スキュラのレーザーだ。かすっただけなのは運が良かった。 衝撃に耐えながら、舞は機体の損傷を確認する。 「長くは持ちませんね。…多少強引に、突破しますか」 続くミノタウロスの突撃を飛んでかわし、岩田。 「同感だ」 答えながら舞は、ロックとほぼ同時にトリガーをひいた。 少し後ろに下がったミノタウロスは、しかしまだ倒れない。時間をかけて狙いをつける暇の無いアサルトでは、一撃でしとめるのには無理があった。 スキュラは距離を詰めてきている。あと少しで、どうやっても射程から逃れられない位置にくるだろう。そうなったら、一方的にいたぶられるだけだ。その前に、どうにか退路をつくらねばならない。 しかし、どうやって? 『芝村、岩田!』 ずしゃっ、と大地が揺れて、三番機から距離にして30の地点に二番機が着地した。 「た…たわけ!軽装甲が、何をやっている!」 『だって…っと、わわわっ!?』 早速そちらを目標にしたゴルゴーンか攻撃の手を向け、二番機は滝川の慌てが伝わったかのように、おどけたポーズでそれをかわした。 「……避けるのは上手いな……」 『んだと!?』 ぐるり、とスキュラが二番機に首をまわす。 それに気付いたのか、滝川はそれ以上軽口を叩かず、回避に専念するかのようにスキュラを睨みつける位置についた。 「たわけ、たわけが!!一発当たったらおしまいだぞ!?」 「…そうですね…でも、スキュラに背を向けられるなら…」 叫びながらも手傷を負ったミノタウロスをロックしていた舞の手から、瞬間、火器の制御機能が失われた。 「っ!?……」 何事だ、故障か? いや、違う。 「ちょっと、コントロールをいただきますね」 「岩田!?何を……」 「全弾、退避方向に一気にぶち込みます。乗じて退避。滝川君もですよ?スキュラが一度攻撃した後を狙います。気合入れて、回避して下さい。…敵をひきつけてくれて、助かりました」 『りょ…了解!』 「岩田!!無茶だ、アサルトは一度撃ってから銃身が冷えるまで……」 「ノォープロブレム!イワッチ必殺技ですよォ!」 なおも無茶だ、と舞が叫ぼうとしたとき、スキュラのレーザーが空気を焦がした。 さすがにそちらに神経を集中していただけあって、二番機は危な気ながらもそれを回避する。しかし、同時に襲いかかったきたゴルゴーンがその左腕を吹き飛ばした。 『滝川機、被弾!』 「行きますよ」 無理矢理身をかがめて覗き込んだ舞の目に、踊るようにコンソールを叩く岩田の指が見えた。 衝撃。 士魂号三番機の目の前に、光の川を創るかのように、着弾の火花が次々と散った。 ビルの隙間から、その火花は指揮車内の面々にも肉眼で見えた。 「…無茶苦茶だ」 つかえる、と言えばつかえるけれど。 事情を察して、瀬戸口と速水は顔を見合わせた。 全弾正射。 なんのことはない、安全装置をどうやってかすりぬけて、言うなれば人間用のマシンガンをフルオートで撃ちきるかのように、トリガーをひきっぱなしにしただけだ。「一度撃った」アサルトに冷却時間が必要ならば、「一度に撃って」しまえばよい。無茶苦茶なことに変わりは無いが。装備中のアサルトは、たぶん原が頭を抱えるような状況になっているだろう。跳ね上がる銃身を支えた腕の人工筋肉も、どうなっていることやら。 瀬戸口は改めてモニターを見た。 その彼よりも先に、速水が、さっと青ざめた。 赤い光点は確かに減ったが、減らしきれてはいない。 よろめきながらも動いているゴルゴーンを蹴りつけ、踏み台にして飛んだ。 少し遅れて二番機がついてきていることを確認し、舞は残敵の数を数えた。先ほどのは狙っていない射撃だ。敵の勢いは押さえられたが、数自体は劇的には減っていない。 『滝川機被弾!』 もう少しで射程外に出る、といったあたりで、二番機が脚を撃ち抜かれた。がくん、と一瞬膝をつきかけ、速度を緩めながら、それでも走る。 それでも、でも、それでは、遅い! 舞は目をしっかりと開けて、拳を握り締めた。スキュラが来る。狙いは滝川か。脚をやられた、二番機。 岩田も同じことを思ったのだろう。三番機の速度を二番機に合わせ、すぐにそれより遅くし、スキュラがいる方向に向き直る。 瞬間、舞は、岩田の息の音を聞いた。 スキュラは、ほんの少し前までいた位置を、わずかに変えていた。 変えた瞬間に、三番機が向き直ったと言ってもいい。 予想されていなかった位置からレーザーが発射される。腹の底に響くような衝撃が舞を襲った。 ジジッと耳障りな音がして、通信がいかれたのが分かった。いかれたのは通信だけか?焦げ臭い匂いがすぐに機体に満ちた。いや、満ちてはいない。外の匂い。足元から、風が来る。コクピット下部にいびつな穴が開いていた。 「…岩田!?」 再び身をかがめ、それでもはっきりと全体が見えないことがもどかしかった。 舞の下方。 岩田の座席がある辺りから、小さな火花と白い煙とが立ち上っている。岩田の体は、その手だけが見えた。ヒビの入ったウォードレスから覗く白い手に、見る間に血が伝っていく。 舞の座席は無傷だった。かすり傷ひとつ、負ってはいない。 「岩田!!」 「…フフフ、機体はまだ動くようですね…」 怒鳴りつけると、明るい声がすぐに返ってきた。 「お前ら、そのまま走れッ!!」 肉声で、滝川の声も聞こえてくる。ぎょっとしてモニターを見た舞の目に、こちらの通信がいかれたことを察したのだろう、滝川が士魂号から顔を出して叫んでいるのが見えた。 「何をやっている!顔を引っ込めろ!」 「分かったから!走れ!!壬生屋が今来る!奴らの後ろにもう回り込んでる!!俺は大丈夫だから、まだ弾はあるし、とにかく、走れ!!」 普段の滝川からは想像もつかないような声量で怒鳴られて、舞は座席に座りなおした。 「行くぞ、岩田」言いかけて、やめる。モニターの中の滝川は、必死の形相で、何を見ていた?何が見えていた? 「岩田?」 「…………」 「岩田!」 「あ、はい、行きましょう」 「よい、貸せ!」 「は?」 「コントロールだ!さっきのお返しだ!もらうぞ!!私が動かす!!」 返事も聞かず、素早く操作して士魂号の全コントロールを奪い取る。 がくんと揺れながら、故障のためかいびつな動作で三番機は走り出した。 その揺れの中、舞の視界に岩田の横顔が見えた。こめかみが真紅に染まっている。 「こっち、コントロールは壊れてませんよ?」 「よい!私がやる」 「…芝村さん、操縦もできたんですねェ」 「当たり前だ」 「でもイメージはガンナーですね。なんとなく」 「そうか」 やけに饒舌な岩田の声は、早口だったが楽しそうで、穏やかだった。 この声は知っている。ごく最近だ。いや、岩田とまともに話したのも、ごく最近だが。いつの声だ? 「芝村さんは、僕のギャグになかなかいい反応をしますねェ」 「それはもう聞いたぞ」 「そうですか?」 「もう喋るな。怪我にさわる!」 「はぁ。でも、喋っていた方が………」 「…喋っていた方が、何だ?」 「…………」 「岩田ァ!」 声が裏返るのが分かった。のろのろと、岩田が返事を返す。 「…はい、…ええと、なんでしたっけ……」 ひゅうひゅうと風はコクピット内に吹き付けてくる。しかし、それよりも濃密な、血の匂いが舞の嘔吐感を刺激した。 無傷の自分の座席。血の匂い。 こめかみの血。 頭か?頭を、やられたのか? 「…なぜだ!」 「は?」 「なぜ、私を庇った!庇っただろう、私を!!たわけ!たわけめ!!すぐに石津の元に連れて行くぞ!!」 「フフ…そんなこと」急激にか細くなった岩田の声に、苦笑が雑じった。 「していませんよ。そんな余裕、あったように見えましたか?」 「うるさい黙れ!」 見えたから言っているのだ、この道化! 「…………………」 「黙るな!気をしっかりと持て!!」 「…無茶を言いますねェ…」 今度の声は、幾分しっかりとしていた。がくん、がくんと士魂号は走る。 頭をやられているならば、これ以上揺らすわけにはいかない。 ええい、不恰好に揺れるな。そなたは侍だろう。揺れるな、揺らすな。 「…ねェ、舞」 「何だ!」 「あなたは、立派に育ちましたね」 「…何?」 「そうなることは分かっていましたが、でも、今のあなたを見ていると、昔見た夢達が幻ではなかったことを、はっきりと、分かることができる」 「…何を言っている」 頭を、やられて。 舞、と自分を名で呼んで。 「出撃前の、ギャグとやらの続きか?まだ私の母だとでも言うつもりか」 「…フフ…ああ……それでも、いいかもしれませんね……舞?」 「何だ」 「なかなかよかったですよ、パイロットになってみるというのも。あなたと、こんなに話すことかできた。もっと早くに、変なプライドを持たずに、そうしていればよかったのかもしれませんがね。…舞、あなたは強く、生きてください。私は」 「遺言のようなことを言うな!!これから、まだ、いくらでも接する機会はあろう!!これが最後ではない!!」 「…フフフ…なるほど、遺言ですか。フフ……それなら…」 「ええい、何だ!!」 「フフフ…遺言くらい、最後まで言わせて下さいよ」 「黙れ黙れ黙れ!!言わせるか、そんなもの!!!」 「そんなァー」 哀れっぽい声。クスクスと笑い声まで聞こえてきて。 つられて舞が、少し頬を緩めたとき、操縦桿に添えられていた岩田の手がずるりと滑った。 ほんの少し血を散らして。 力を失い、だらりと垂れる。 「…岩田?」 走る三番機の目前に、若宮と来須が飛び出してきた。 「岩田」 的確に、冷静に、三番機を止める。膝をつかせる。 「岩田」 呼びかけながらハッチを開けた。上半身だけ外に出す。血の匂いが一気に拡散する。 砂煙を上げて、指揮車が近付いてきた。乱暴に止まったその中から、石津が転がるように駆け下りてくる。速水も顔を出し、舞の顔を見て、それから士魂号を見て、動きを止めた。 若宮がコクピットから岩田を引きずり出そうとして、石津に止められる。その石津は来須の手を借りて、コクピットによじ登った。 「岩田」 返事は無かった。 すぐに石津が若宮と来須に何事かを言い、彼らはゆっくりと岩田を抱え上げた。 「岩田!!」 そこでようやく、舞は士魂号から駆け下りて、岩田のもとまで一気に走った。 指揮車から持ってきたマットの上に横たえられた岩田は上半身を赤く濡らし、動かない。黒い髪の毛の中にはメッシュが入っていたはずだか、赤黒い血に塗れて分からなかった。 舞は無言で、岩田の頭の横に膝をついた。 『幻獣撤退を確認!』 ののみの声が、ドアを開けっ放しの指揮車から聞こえた。 岩田は動かない。 舞は無言で、岩田の閉じられたまぶたを見つめ続けた。いくら見つめても開かないまぶたを。 石津がそっと舞の肩に触れた。 「…たわけが…言いたいのだろう?…最後まで、言ってみろ…」 ギャグでも言うように、聞かせてみろ。遺言とやらを。 笑い飛ばしてやる。 だから。 それでも、まぶたは開かなかった。 そして、代わりに、あっさりと、綺麗に口紅が塗られた唇が開いた。 「…まあ、実は、別に遺言なんかを言うつもりじゃなかったんですがねェ…」 苦笑を雑じらせ。 「最後の言葉を欲して泣く娘がいるうちは、母は死んではいけないものですよ」 早口に、穏やかに。 「岩田…君…、死ぬよう……な、怪我じゃない…わ。血は出てるし、……頭打ってるか…ら、病院行き…だけど…」 石津の言葉を聞きながら、舞は憮然と眉を吊り上げた。 「何を言っている。私は泣いてなどいない」 その通り、その瞳は赤くも、潤んですらおらず、頬にも濡れた痕跡は見えない。 それでも、と言うように笑って。 岩田は、今度こそ唇を閉じ、気を失った。 |