「ふむ…」 岩田裕は手の中のメスをくるくると回しながら、掲示板に貼り付けてある小隊の技能表を眺めた。 「何やってんだ、岩田?」 通りかかった滝川陽平がひょいと横から覗き込む。 「技能表?…ってうわ。お前、そんな技能何に使うんだよ」 「何って…フフフ。何だと思いますか?」 「え。いや、これってさぁ、どっからどう見ても……」 母の遺言 〜ハハノユイゴン〜 「2日か…」 「うん、2日だって」 夕暮れの司令小屋。 …と、速水たちが呼んでいる小隊司令室で、速水と舞はそろって「うーん」と唸って顔を傾けた。 速水が座っているのは司令の椅子である。 彼には司令として小隊を率いる気は無かった。余程司令が仕様も無い人間ならば、自ら司令として立ち、彼流の戦争を行ってもいい。しかし、善行司令は優秀な司令(特に、というか少なくとも部下にとっては)であったし、将来的にはどうであれ、現在の速水にとってパイロットは天職である。それがどうしてこうなったのか。 「善行も慌しいことをする。引継ぎくらい行ってから帰っても、事の運びに違いは無かろう」 「まあ、ね……」 パイプ椅子を引きずってきて、司令の机の前にどっかと座り、舞は呆れ顔で腕を組んでいる。 速水はぽやんと笑いながら頭を掻いた。 引継ぎは、行われたといえば行われたのだろう。 善行(元)司令が、皆に黙って小隊を離れ、関東に帰還したのは昨日のことだ。 司令職は「自動的」に、上級万翼長の速水が継いだ。……否。 実は、否。 帰還の前日、速水は善行の決意を聞いている。 彼は膠着状態の戦況を根本からひっくり返すため、軍部の中央に舞い戻ったのだ。 大事な小隊を守るため。全員で休戦期を迎えるため。 彼なりの小隊の愛しかた。彼にしかできない、彼なりの愛しかた。 そして、司令の椅子を継げる人間が正に、彼の目の前にいたのだ。 自分に、関東帰還の決意を知らず固めさせていた、真っ直ぐな瞳の少年が。 しかし。 「僕はまだ今は、上から何かをやろうなんて思ってなかったし…」 あくまでも「まだ」ではあったが。少年には、その気は無かったわけで。 幸い、やる気があって、しかも司令として適材な人間は他にいた。 茜大介。 小隊内では下から二番目という若年ではあるものの、彼は十分に小隊を率いる力を持っている。少々ヒステリックな面はあったが、その辺りは親友である速水や滝川、場合によっては義姉である森がフォローすれば何とかなるだろう。 何より、本人、ノリノリである。 「何、司令?君の代わりに?…ふふん、いいじゃないか、僕がなってやろう。使ってみたい戦術が色々あったんだ。それに、善行司令の転戦地区選びも悪くは無かったけれど、それよりも休戦期までと次の開戦からを通してみた戦略的にはね……っと、でも、悪いが3日…いや、2日待ってくれないか?」 「えっ、どうして?僕、なるべく早く三番機に戻りたいんだけど」 「ふん、やっぱりお前より僕の方が司令向きだな。にわか司令でも、全体の把握くらいしておけよ。僕は二番機整備士だ。今、二番機が大変なんだ。知ってるだろう?故障はしていないがボロボロた。ちゃんと直すには、フルでやって2日はかかる。その途中で出撃でもかかってみろ。滝川は不器用な上にバカだから、ボロボロでも出て行くだろ。なるべく速く、完璧に直しておきたい。…チッ、いっそ故障してたらよかったものを…」 「…あ…、そうか」 「まあお前が三番機に戻っておいたほうが、小隊にとって安全なのは分かるけど。とりあえず三番機には誰か最低限動かせる人間を乗せて、前線には出さないようにしておいたら?戦力上、空にはしておけないしな。2日間、5121小隊は実質ハリコになるけれど、この際いいんじゃないか?」 「…うん…」 「…悪い、僕の我侭かもしれないけれど、半端な仕事をして滝川を死なせたくないんだ。二番機はちゃんとしておきたい。2日だ。2日だけ、待ってくれ」 「うん、分かったよ、茜」 かくして、速水は舞とそろって唸ることになった。 口は悪いが友情にあつい茜の意思には逆らえない。 実際、茜が整備から外れて、長期間二番機を危ない状態にしておくのは得策ではないのだし。 こうなると、悩むのは三番機の操縦士である。2日間、なるべく戦わせないようにはするとして、それでも最適の人材を探したい。 「遠坂はどうだ?それなりに戦える能力を持っているし、一番機の整備は大丈夫だろう」 「でも遠坂くんは、どちらかといえばガンナー向きだよ。もしくは軽装甲の単座とか。複座の操縦は向かないんじゃないかな」 「ふむ。それなら若宮はどうだ。あやつならどこでも戦えるぞ」 「うーん、若宮さんは歩兵として戦いたがってたしなぁ…。なんか、戦車は酔いそうだって言ってたよ」 「……それなら来須だ」 「先輩?操縦士とガンナーは息が合わないとつらいでしょ?先輩は頼りになるけど、ちゃんと会話とかできる?舞」 「ええいっ!厚志、そなた真面目に考える気があるのか!?小隊の人間は無尽蔵ではないのだぞ!?」 怒り出す舞を上目使いに見て、速水は頬を膨らませた。机に肘を突いた両手の上に顎を乗せる。 「………なんで男ばっかり選ぶのさ?」 「なんだと?」 「複座に、一緒に乗るんだよ?…ちょっと許せないな」 一瞬おいて。ぼ、と効果音付きで、舞の顔が朱に染まる。顔だけに留まらず、首筋まで赤くなるのを見て「可愛いなぁ」と笑う速水を睨みつけ、舞は椅子を倒して立ち上がった。 「ななな、なにを言うか!わっ、私は効率を考えて選んだまでだ!今、女子に複座に乗せられる適性を持った人間がいるか!?」 「知ってるよ。でも……」 「…っええい、そんな目で見るなっ!!私とて、厚志以外と戦う気など…いや、今私情をはさんでなんになるっ!!」 卓袱台をひっくり返すかのように、舞はぐぐっと両手で下から机を持ち上げた。照れ隠しだ。 慌てて速水は上から両手で机を押し付けた。 ぐぐぐと二人の力が拮抗し、妙な体勢で時が止まる。 「フフフ、グッアフタヌーーン!!…おやぁ、お二人で新種の腕相撲ですか?イィ、スゴクイィですねえぇえェェ!!」 そんな時、ばたんと扉を開け放ち、軽やかなステップで岩田が入ってきた。 すでに脂汗を流し、机越しに格闘している速水と舞をクネクネしながらしばらく眺め、おもむろに陳情用のモニターの前の椅子に腰をおろす。 「イワッチ、こんな時間に陳情?」 「従兄弟殿はもういないぞ。先刻加藤が通信していたが、更紗が出た。」 力は抜いていないので、変に裏返ったり低くなったりした声で速水と舞。 岩田は構わず回線を繋げ、画面に現れた副官更紗に小さな声で何かを告げた。一瞬躊躇するようなしぐさを見せた更紗が何か返事を返し、画面に砂嵐が飛び、収まったときには画面の奥に芝村勝吏準竜師。背後の壁がいつもと違う。一体どこに回線を繋げたというのか。 『!?』 そして、速水と舞が息を呑む傍らで、また小さな声で岩田が何かを囁いた。 ぴくりと片眉だけを跳ね上げて、準竜師がそれに応じる。今度は二人にも、聞こえる声だった。 <よかろう、複座のパイロットだな?……本当に、相変わらず、無茶を言う……> ちん。 回線が切れた。 ぐわっしゃん。 机がひっくり返った。 おやおや、などと呟く岩田の胸倉を両手でひっつかみ、そのまま持ち上げたかったが身長差故にそれは諦め、舞はきっと岩田を睨みつけた。 「今何を陳情した!?」 「フフフ、聞こえませんでしたか?僕が明日から三番機のパイロットになるんですよ」 平然と舞を見下ろして、岩田。 あっさり言い切られ、言葉を失った舞に代わり、ひっくり返った机の下から這い出してきた速水が岩田を見上げる。 「イワッチ、どういうつもり?」 「どういうつもりも何も。…あれ、速水君、今日の小隊員報告書まだみてませんか?」 意外そうな顔で首を傾げてみせる岩田を一瞥し、速水は机からばらまかれた書類を適当に拾い集めた。三枚目で当たりが出る。小隊技能表。 「!……岩田裕…戦車3、夜戦3、狙撃3、格闘2…って、イワッチ…」 「!?………な……」 岩田から手を離し、舞は速水から技能表を奪い取った。確かにそこには、開発だとか整備だとかいうもともと岩田が保有していた技能の他に、生粋の戦車兵でさえここまでそろえないだろうという程の戦闘技能が書き込まれている。 「適役、でしょう?」 ニタリと唇を歪めて邪悪に笑う岩田のわけの分からない迫力に一歩退き、舞は「冗談ではない」と陳情回線を繋いだ。すぐに出た更紗に噛み付くように訴える。 「従兄弟殿を出してもらおうか!今すぐだ!!」 「申し訳ありません。準竜師は中央の会議に出向いたため、あと2日は戻られませんので…」 「何を言うか!先ほどいたのは誰だ!!あの大きな顔を見間違えるものか!!出せ、今すぐだッッ!!」 「………………………………失礼致します」 ちん。 長い沈黙の後、一方的に回線が切られた。 舞の苦悩は、ここから始まる。 「フフフ、今、思い付いたンですが…、人生にはスリルが必要ですね」 次の日。三番機の調整の合間、小休憩中に唐突に岩田が言った。 舞は眉をひそめ、しばし考えた後でごく真面目に答える。 「ふむ、適度な緊張感や興奮がなければ、脳細胞も衰退してしまうからな。そうとも言えるだろう」 岩田は血を吐いて倒れた。 唖然として固まった舞の後ろで、「またか」と滝川と壬生屋が肩をすくめる。岩田の行いには慣れているようだ。 「………」 舞は無視して休憩を終えた。作業中にやらかしていたら、殴っていたところだ。 眉間に深い皺を作っている舞の横顔を見て、何やら楽しそうに岩田も作業に戻ってきた。 鼻歌混じりに、その手つきは的確だった。 次の休憩中には、岩田は熱心にノートを書いていた。 あまりに真剣なので、舞は気になり覗き込む。 そして、びっしりと書かれたギャグのネタにこめかみを押さえた。厚志。思わず胸の中で相棒の名を呼ぶ。 またもや血を吐いて、岩田が倒れた。 「…フッ。あなたは私の才能にシットしまし…って早い、突っ込みが早いですよ芝村さん!?おぐふあぁぁぁあ!!??」 思わず本格的にボコってしまった。 さらにもういくつか下らないギャグを聞かされつつ、夜になり、仕事が終わった。 岩田のギャグの唯一の救いは、作業中には行われないところだ。しかし、休憩の度に巻き込まれるのではたまらない。 舞は一緒に帰る約束をしていた速水の元へ向かうため、司令小屋へ足を向けた。目の前に淡い金髪が、闇夜に浮かび上がるようにふわりと揺れる。 「…茜か」 「ああ、芝村。速水のところへ行くのか?僕もだ」 バインダー三冊分の書類を小脇に持ち、茜が歩調を緩めて舞に並んだ。 いつも気が付けば鋭い視線で自分を見ていた少年が、柔らかい表情をするようになったのはいつからだったろうか。速水や滝川と親しくなった辺りと時期が被る気はしたが、速水が何も言わないので舞も聞いていなかった。 「どうだい、岩田は?変態だけれど、仕事はできるだろ」 「まあな。しかし運動力や体力には不安が残る。明日出撃がかからなければ良いが」 「ふぅん」 「……あやつはいつもああなのか?口を開けば訳の分からないことを言う。私は頭痛がしてきたぞ」 「今更何を。…ああ、芝村は岩田と話したことがなかったのか?」 「一度自己紹介じみた事をした。…言われてみれば、それ以来だったかもしれないな」 「へえ?まぁ岩田は「ああ」いうやつさ。大概誰に対してもね。あいつのギャグの被害にあってない奴は、いないんじゃないかな」 言いながら司令小屋の戸を開ける茜の背を見つつ、舞は自分が岩田と全くと言っていいほど関わりを持っていなかったことに気付いた。 仕事の部署は違うが、岩田は速水と仲が良い。一組にもよく顔を出す。顔を見かけることは一日に一度はあった。その時に見かけた奇行が記憶に残っており、一緒に三番機に乗ると決まったときにはどうしてやろうかと思ったものだが。改めて考えると、岩田ときちんと向き合って話したことは、無い。 舞の方から避けていた訳ではない。 そういえば。 速水の横にいた私に、あやつが語りかけてきたことは、あっただろうか。 「舞、ごめんね、もう少し待っててくれる?」 情けなさそうに笑い、司令小屋に1日詰めていたらしい速水は茜が持ってきたバインダーをぽんと叩いた。どれも本日中の仕事である。 「ふん、僕も手伝ってやるよ」 言って早速バインダーをひとつ取り上げる茜に「ありがとう」と微笑む速水。舞に椅子を勧め、早速書類のチェックにとりかかる。 「私も手伝おう。お前に事務仕事は向かなそうだな」 「はは、ありがとう。ところでイワッチは?」 「………何か訳の分からない振り付けの練習をしていたから置いてきた。あと、明日一日か?なかなかに拷問だぞ、厚志」 「そう。あ、やっぱりギャグ聞かされてたの?」 無言で頷く舞に代わって、「らしいぜ」茜が呆れ顔をする。 「そっかぁ。じゃあさ、「母」がどうこうっていうギャグももう聞いた?」 「何だそれは?」 「それはまだなのか。岩田はほとんど小隊全員にやらかしてるぜ、そのギャグ。明日あたりやられるんじゃないの?」 「だよねぇ」 よりにもよって一番意味不明なギャグを全員にね、と盛り上がる速水と茜を眺め、舞は一日ですっかりこってしまった肩をすくめた。 「何にせよ、あと一日だ」 「まあそうだけどね。イワッチも戦えるだろうけど、明日一日、出撃が無いことを願うよ。あと一日……ああ、自然休戦期も、もうじきだね」 「そうだな。…あと、少し。これ以上増援が無ければなんとか持ちこたえられそうだが…明日一日しっかりやれよ、速水司令」 笑って速水を小突く茜。 舞は、そう、一日、と自分に頷きかけた。 奇人変人。すっかり知った気になっていた岩田。 そうか、まともに話すのは初めてだったか。 明日一日くらい、下らない会話につきあってやってもいいかもしれない。 |