右脚の怪我がじくじくと痛んだ。 先日の戦いで負った、軽い負傷。 歩けないほどではない。 戦えないほどでもない。 でも、じくじくと痛い、この傷口。 夜闇に舞う 〜ヨヤニマウ〜 ひゅう、と突然吹き付けた風に目を細め、顔を逸らす。 岩田裕の視界の中に滝川陽平の姿が飛び込んできたのは、その時だった。 夜の噴水。 その縁に腰かけている自分の姿に、向こうはもう少し前から気付いていたらしい。 目が合った瞬間、 「…よォ」 少し気まずそうに挨拶してくる。 「グッイブニン!こんな時間まで仕事ですか?熱心ですねェ」 岩田は膝の上の黒猫を落さないようにぐにゃりと1回揺れてから、それに答えた。 もうそろそろ日付が変わる時間帯。 「ああ。まあな。…ん?猫?」 なおも気まずそうに立ち去ろうとした滝川が、黒猫に気付いて足を止める。黒猫は上目遣いにそれを見やり、「ゥナ」と喉の奥で小さく鳴いた。 「小さい猫だなぁ。ていうか普通か?そんくらいで。ブータ見慣れてるからよく分かんねぇけど」 言いながら右手を伸ばしてくる滝川に、黒猫は一瞬警戒してみせたが、向けられた人懐こい笑顔に触られることを許したようだ。ぐりぐりと不器用に頭を撫ぜられ、目の中に指を突っ込まれたらかなわないと顔をしかめつつ、抵抗はしない。 「さあ?僕ァ靴下を履かない生き物のサイズには詳しくないんですよ」 「なんだそりゃ」 即座に真顔でツッコミを入れつつ、滝川は岩田の横に腰をおろした。 厭きずに黒猫の毛皮を撫ぜながら、黙り込む。 「…怪我の調子はいかがです?」 「ン、たいしたことないさ。普通に動くし。血も止まったし」 「でもそれはアレですね。怪我は怪我というアレですよ。寝る子は育つといいますし、欠損した皮膚組織ちゃんを育てるためにも、仕事は早目にきりあげて、休んだほうがいいですよ」 「…………あー。そっか、お前医療技能持ってたっけ。いきなりマジな話すんなよ、ビビるじゃんか」 「アゥチッ!失礼ですねェェェエ!!僕はいつでもマジですよ!モンキーと書いてマジと読むゥー」 「読まねぇし」 即座ツッコミ。手の甲で叩くアクション付きだ。 「…ほら、なんだ、あれさ。……二番機、壊れてボロボロだし。少しでも、直しとかないとヤバイじゃん?」 「確かに今回は派手ーにやっちゃいましたけれどねェ」 「…………………整備、の…………皆も、大変だろ?その……お前とか、他担当のやつらも手伝ってるって聞いて………ワリィな、って思って………」 それが原因か。 らしくない、遠慮がちなその態度。 「何を今更!二番機の整備が大変なのはいつものことですから、皆慣れっこナレナレですよ。アァ〜ナレナレナレナレ〜」 「うっわすっげぇムカつく。悪かったなぁいつもで!」 「フフフ…まぁマジメな話、ここ数日増強している幻獣勢力に対抗するために、士魂号の頭数は揃えておけと上から命下っているようでしてね。……無理矢理にでも故障を直して、ボロボロの状態で戦場に立たせる……整備員一同で、パイロットに死ねと言ってるようなものですね」 「…………」 「もっとも、パイロットが負傷により仕事が捗らなかったりなんかしちゃったりなんかして、パイロット部署が故障していれば、出撃は叶いませんけれど」 「…………」 喉を指先で軽くこすられ、黒猫が目を細める。 「…………俺さ」 消え入るような、呟き。 「こんな怪我する度に、思うんだ。もう戦場になんか、行きたくねぇ、って」 傷口を隠す真っ白い包帯を月光に翳す。 「戦場に出ても、手が震えて上手く戦えないことも、未だにあるし。逃げちまおうかって思うのは、毎回だ。怪我しても麻酔はあるけど、知ってる?俺知らなかったんだけどさ、あれって切れた後、ヘタすりゃ怪我した時より痛いんだぜ」 月のせいか、夜の闇のせいか。 真っ白いはずの包帯は、群青色。 「痛いの嫌だしさ。なんかもう、ホント、逃げたくて」 黒猫がそれを見上げ、頭をめぐらし滝川の顔を見る。 「でも、俺、こんなだから。きっと1回逃げたら、もう絶対に戦場になんか、戻って来れないと思うんだ」 金色の瞳が月と滝川を映した。 「戦わなきゃって思っても、きっと、もう絶対に戦えない。それってさ。なんか、怖いよな。だから、やれる限りやれることやって、俺、戦場に戻らないと」 言って、滝川は自分を見つめる黒猫に照れくさそうに笑みかけた。 空を仰ぎ、自分の告白を吹き飛ばすように元気に叫ぶ。 「あーーなっさけねーーーー!!へへ、いつも逃げること考えながら戦ってるんだぜ、俺って。ダメだよなぁ。それ、戦ってるって言わねぇよ」 照れ隠しにベシベシ叩かれた猫が、迷惑そうに岩田の膝に顔を埋めた。 滝川は勢いをつけて立ち上がると、自分に気合を入れるように右手でぴしりと頬を張った。 「ッし……………………じゃ、俺、もう行くわ。何か変なこと言っちゃったな。んじゃな、猫と岩田」 「僕は猫より後ですか!ンンー、ジェラシージェラシー!!」 「気色悪ッ!ジェラシーとか言うな」 「滝川君はいいツッコミをしますねェ。小隊一のNo.1ツッコミ・トップキング王者ですよ」 「重複してるし」 岩田は血を吐いて仰向けに倒れた。噴水なのに。 驚いて身体を上げた黒猫を、滝川は片手でひょいと抱き上げる。 「あっぶねー。変態に抱かれてるときは気を付けとけよ、猫ー」 「水中イワッチのことも心配してくださいよ〜」 「お前そんくらいじゃ死なないだろ」 「ぬゥ!バレたか!?」 「あー、ハイハイ。じゃあな。って…包帯?こいつ、怪我してるぞ?大丈夫なのか?」 「あァ、石津さんには診てもらいましたよ。歩けるようですし、無茶をしなければ大丈夫でしょう」 「そっか?無理すんなよ、猫」 「そのセリフ、全文まったくカンコピで、そのまま貴方にプレゼントですね」 「俺は猫かい」 「それ!そのツッコミがスバラシィィィイィー」 「あああああ!もういいからさっさと起き上がってこいつ受け取れよ!!片手じゃつらいんだって!」 岩田は笑って華麗に足首だけで起き上がった。 黒猫を受け取り、胸に抱く。 「そうでしたね。左腕、お大事に。無茶しちゃダメですよ」 「ん。…あー、あと、さ。サンキュな。みんなにも言っといて」 「は?」 「故障直しただけの士魂号で戦場に出すなら、もともとの整備士だけで十分だったろ?」 岩田は右脚の傷口に触らないようにしながら、黒猫を撫ぜた。 「イワッチ、まだまだ修行不足です。侮れないですねェ滝川君は」 送られた素直な礼に、ギャグで返すことができなかったとは。 「………え?フフフ、そうですね。そういった意味では、確かに彼はまだまだですね」 岩田は、本当に楽しそうに、楽しくて、くすくすと笑う。 「逃げたいと思うってことは、すなわち戦ってるってことですからね。それを分かっていない」 戦うという選択肢が、自身の中に存在しなければ 逃げたいなどとは、思わない 逃げたいと思うほど、戦いが怖いと思うほどに 戦おうとする、その想いの、尊さ 黒猫は一度瞬き、するりと岩田の腕から抜け出した。 少しよろけながら、それでもしっかりと、地を踏みしめる。 石津が巻いた包帯が、自然に解けて空に舞った。 覗いた傷口の、ピンク色が痛々しい。 「戦うんですか?」 黒猫はゆっくりと、街灯の光の届かない闇の中に足を進めた。 「今日は大事をとるって、言っていませんでしたか?」 振り返らずに、ゆっくりと。 「いえ、そんなことは無いでしょう。まだ痛むはずですよ、その傷では」 遠くで猫の鳴き声か響いた。 猫たちの鬨の声。 「はいはい。そりゃ止めはしませんけれどね」 岩田は苦笑して、湿って額に張り付いた前髪を指で梳いた。 「無駄死にという死はこの世に存在しませんが、それは死を肯定する理由にはなりません。夜を守る戦士に幸運を!…僕はこのアンニュイで繊細な見た目通りの、けっこうな心配性なんですからね。無茶は禁物ですよ!」 とうとう一度も振り返らず、しかし一度立ち止まった後で、黒猫は夜闇に消えた。 「…フフフ。あなたも滝川君並に、いいツッコミをしますねェ!」 |