「みんな、幸せになるといいですね」
 例えば「夕飯はカレーになるといいですね」とか、「明日は晴れるといいですね」などと他愛の無いことを口にするのと同じ口調で、竹内優斗が言った。
 整備の合間の小休止。竹内を超筆頭戦士に皆はラジオと思っている盗聴器のイヤホンを耳から外し、岩崎仲俊はひそまりそうになった眉を笑みの形にする。竹内からこちらの顔は見えないが、笑顔を作らずに優しい声を出すのはなかなか至難の業である。
「…竹内君は唐突だねぇ」
「そうですか?僕、わりといっつもそう思ってるんですけどね」
 それを馬鹿正直に口にするか、腹の底にしまうかでだいぶ違うと岩崎は思う。心底思って口にするか、適当な言葉つなぎのために口にするかでもだいぶ違う。
 岩崎にしてみれば、世界中の人間のうちいったい何人までが前者なのか、それを考えて、馬鹿正直に口にする人間たちのほとんどを笑みに隠した冷めた視線で見送ることになる。
 竹内は前者の前者である。思い認めて吐き気を感じた。
 扉を開け放したハンガーの床に、背中合わせに座り込んでいる竹内の、触れてはいないがほのかに伝わる体温が鬱陶しかった。
 暖かい。
 山口葉月だけでいい。
 あの冷たくて寒い日々から自分を救ってくれた、葉月がいれば。
 暖かいのは、葉月だけでいい。
「でもそうだなぁ」
 のん気に竹内が三度口を開く。
「今日、暖かいですよね」
「うんうん。そうだねぇ。4月上旬並みの暖かさだそうだよ」
「え、そうなんですか?そりゃ扉開けっ放しで丁度いいはずですね」
 伸びをする気配。
 ハンガーの扉という切り取られたような四角の空間からは、きっと青々とした空が見えるのだろう。
「まあともかく。ほら、寒いときでも皆がいれば暖かいでしょう?」
「、ああ」
 ちょっとだけ吹き出す岩崎。思い出した。
 去年の暮れに、もの凄く寒い日があったのだ。元気だったのはペンギンだけで、108警護師団の面々は保健室のストーブの周りにひしめき合った。
 ところがあの狭い空間に人が集まりすぎて、今度は今度で暑くなりすぎて。
「暑過ぎることもあるけれどね。まあ確かに」
「でも僕は好きですよ、そういうの」
「うんうん、君はそうだろうとも」
「そうなんです。体が暖かいってだけじゃなくて、皆でいるっていうのが、なんていうか。幸せだなぁ、って」
「………うんうん」
「だからですかね。暖かい日は、特に。皆幸せになればいいなぁ、って思うのは」
 そう言いながらもこの青年はきっと、寒い日も、涼しい日も、暑い日も、普通の日も同じことを願う。
 本気で願う。
 そして戦うのだろう。
 彼なりのやりかたで。
 儚い、大き過ぎる、歴史を辿れば数多の神すら叶えることが不可能だった、そんな願いのために。

 吐き気を感じた。

「…岩崎さん?」
 立てた片膝に顔を埋め動かなくなったこちらに、竹内の心配そうな声が絡みつく。
 その本気の気遣いにさらなる胸のむかむかをやり過ごそうと、岩崎は完全に動きを止めた。
「…寝ちゃったのかな…まあ暖かいし…」
 とん、と。竹内の背が背に触れた。軽くだけかけられる体重。
 それきり聞こえるのはハンガー内の機械音だけになり、岩崎は静かに目も閉じた。
 自分が所持する手数を思う。
 その手数で守りきれるのか、甚だ自信が無い葉月を想う。

 馬鹿じゃないか。
 馬鹿じゃないか、君は。
 守れないだろう、そんな大きな願いなんて。
 闇を切り裂く剣を持った、豪華絢爛たるヒーローでもない僕たちは、この手に抱ける一人の人間すら、全力で挑まねば守れない。

「みんな、幸せになるといいですね」

 なんと傲慢な、なんと子どもじみた願い。
 岩崎自身も葉月以外の幸せを願うことはある。基本的に人の幸せは皆嬉しい。
 それを馬鹿正直に口にするか、腹の底にしまうかでだいぶ違うと岩崎は思う。心底思って口にするか、適当な言葉つなぎのために口にするかでもだいぶ違う。
 岩崎にしてみれば、世界中の人間のうちいったい何人までが前者なのか、それを考えて、馬鹿正直に口にする人間たちのほとんどを笑みに隠した冷めた視線で見送ることになる。


 では己はどうなのだ。


 己は後者の筆頭戦士。


 己で己を冷めた目で見送る。



 ほ ん と う に ?



 いよいよもって耐えられず、伝わる体温、暖かさを振り払おうとして身じろぎしたところで気が付いた。
 竹内はただこちらに体重を預けているわけでなく、岩崎の体重も少し自らに引き受けて、支えあい―――――

 だから暖かいのだと

 あなたも、わたしも、あたたかいのだと

 こみ上げる涙の暖かさが悔しくて、切なくて、やりきれない。
「―――あ。飛行機雲」
 今飛ぶならば軍用機であろう、それでも翼のあるものに対する青年の思慕と、それ以上に青年の大空への想いを想い、そう想う自分自身に愕然として。
 岩崎は少しだけ、泣いた。







 戻る