愛し子達よ

 そんな一節から始まる詩を、知っている。
 正確には知っていた。
 今はただ、その一節だけが頭の隅にこびり付き、ふとした拍子に思い出される。








find out  〜ファインド アウト〜







 岩崎仲俊は浅いため息をついた。
 たぶん「今日はどこに泊まるの?」と尋ねるために自分を探す山口葉月から逃げ隠れることしばし。今はハンガーの隅で腰を下ろし、息を潜めている。
 ため息が浅いのは、別にそのためではなかった。意図しての動作はオーバーリアクション気味の岩崎であったが、意図しない、生理的な動作は普段から極めて小さい。
 もう一度、ため息。
 葉月の切なそうな顔を、今日は真正面から見てしまった。それだけでキリキリと痛む心臓を、いっそ捨ててしまえたら、と思う。
 そう、もっと冷酷に。
 冷徹に、全てを切り捨て、任務を全うする。
 そうすることができれば、どんなにいいか。

 …いや、よくはないかなぁ。

 ため息の代わりに苦笑がこぼれた。

 そんなことをしたら、葉月さんが悲しむ。

 結局そこに戻ってしまう。
 いったい、山口葉月という人間が目の前から消えてしまえば、自分はどうなってしまうのか。
 苦笑を深めた岩崎は、三度目のため息を吐き出した。
 葉月の家に帰れないのには理由があった。
 どうやら自分は、許される範疇を越えて動き回ってしまったらしい。確かに小隊への弾薬補充はやりすぎた。今、冷静に考えれば、どうしてそんなことをしてしまったのかが分からない。
 情が移ったのか。あの、不幸で純真な、青い髪の隊長に。
 自分の本来の任務よりも。
 この、不幸で純真な、健気に生きる小隊に。
 ともあれ、何やら監視の気配、疑心の目が付きまとう。芝村だけならまだしも、会津の視線もまとわり付く中で葉月の家には帰れない。危険に巻き込む恐れがあった。…その危険を避けるために、葉月を悲しませるという、岩崎にとっては何よりも恐ろしい危険を冒しているわけなのだが…
 足音。
 岩崎は顔だけを上げ、微笑を作った。
「やあやあ、竹内君。仕事かい?もう夜だよ?」
「…違います。岩崎さんを探していたんですよ」
 疲れた顔の竹内優斗が横に座った。肩で息をしている。
「葉月さんに頼まれて。まったく、どこにいたんですか?」
「うーん、僕もいろいろ忙しい身でねぇ…ところで葉月さんは」
「もう帰りましたよ。夕飯作らなきゃ、って」
「いやぁ、そうかい。うんうん、それならそろそろ僕も今晩の家に帰るとするかな」
「……葉月さんのところには帰らないんですか?」
 思わず少し顔を向けたところで、竹内の青い目と、まともに目がかち合った。
 息が詰まる。
 竹内の目の中に、葉月と同じものを見つけてしまった自分が信じられない。
「―――帰らないよ。ちょっとね。今日はちょっと義理があって、行かなきゃいけないところがあるんだ」
 本気で自分を案じる目。
 視線をそらすことで振り払った。振り払おうとした。
「…そうですか」
「うんうん。そうなんだよ」
 笑って立ち上がる。ハンガーの入り口から洩れる夜気が冷たい。
「岩崎さん」
「ん?」
 視線が頬に絡みつく。
「岩崎さん、何か悩みでもあるんですか?」
「……なんでそう思うんだい?」
 本気で自分を案じる視線。
 振り払おうとしてできないのは、つまり、それだけ竹内が本気だからだろう。
 観念して顔ごと目を向けると、真剣というよりも、不安げな子犬のように自分を見上げる竹内がいた。
「いえ。なんとなく、なんですけれど」
「…なんとなく、ね…」
「僕ができること、何かあるならなんでもしますよ?」
「………」
 懐かれたものだな、と。
 内心で、冷ややかに、岩崎は嘲笑した。
 葉月を危険にさらさない為に葉月を悲しませるという、どうにもならないジレンマでいらいらもしていた。
 するりと、自然に口が開く。
 石田隊長に、弾薬補充の話をした時と少し似ていた。
「…実はね、今、小隊内に裏切り者――というか、スパイがいるんじゃないか、って、気になっていたんだよ」
「スパイッ!?」
「しーッ!!叫んでどうするんだい?」
「あ、そ、そうですよね、すみません、……でも、スパイって…」
「僕の気のせいかもしれないんだけれどね」
「…そうだったんですか…うちの小隊に…」
 うーん、と首をひねる竹内を見て、暗い愉しさが胸にこみ上げた。
 透き通った青い瞳。この人の好い青年は、この世ににスパイなどという裏世界の人間が本当にいるなどと、想像すらできないに違いない。
 ましてや、人類の裏切り者ではないにせよ、自分の目の前にいるなどと。
 ひとしきり内心で竹内を嘲った後で、岩崎は気持ちを切り替えた。稚拙なからかい、気分転換はここまでだ。
「冗談だよ」と笑うために笑顔を作る。
 作ろうとして、失敗した。
 いつの間にか竹内が、また自分を真っ直ぐに見据えている。
「な――何だい?竹内君。ちなみにさっきの話は」
「LOGです!」
「え」
「LOGです、岩崎さん!僕が調べてみせますよ!」
「何を言って」
「僕、ずっと岩崎さんに嫌われてると思ってたんです。でも実は、頼りにされてるんですね!」
「……」
 本当に申し訳無さそうに、竹内は言った。
 ぐぅ、と音が出るほど空気を飲み込んで、岩崎は口元を引き結ぶ。
 君は、どうして。
「でも、違ったんですね。そんな話をしてくれるなんて」
 だから、君は、どうして。
 どうして、そんなに真っ直ぐに。
「LOGです、命をかけても調べてみせますよ!」




「まずは隊長の周辺をちょっと注意して見てみたんですよ。いえ、もちろん隊長を疑ってるとかそういうんじゃないんですけどね。でもやっぱり何か見えてくるとしたら、隊長の近くかなって」
 翌日、放課後のハンガー。黒皮(もちろんフェイクだろうが)のメモ帳を片手に真顔で語る竹内を右隣に、岩崎は引きつった笑みを浮かべてスパナを握りなおした。
 行動力があるにも程がある。昨日の今日でこれなのか。
「…うんうん、それで?」
「…谷口先輩に睨まれました…」
 しょんぼり竹内。
 その時の様子を想像し岩崎は、はははと平坦に笑ってみせた。
「そりゃそうだろうねぇ」
 耳元の、盗聴器のイヤホンを付け直す。
 まあ行動力があるといってもこの程度。
「あ、またラジオですか。軍の放送ですか?今日は何て言ってます?」
『聞いてください、彩華!今日という今日はあきれ返りました!谷口の鼻の下の伸び方といったら、もう…!!』
『あー、はいはい。聞いてる聞いてる、聞いてるわよ。それより明後日の市街戦、厳しい感じだね。ゴルゴーンの出撃が――』
 横山亜美と村田彩華の会話に耳を傾けながら、微笑む。
 我ながら嫌な笑いかただと思った。
「いつも通り。人類優勢、オールハンドゥ・ガンパレードだそうだよ」



 結局逃げるように、宵の口にはハンガーを出た。
 まいったなあ。竹内君、あそこまで本気になるなんて。
 人の好さそうな童顔には甚だ似合わない黒皮のメモ帳とボールペンを片手に、整備の合間を縫って諜報活動(?)を行う竹内の姿は、滑稽と言うほか無かった。そしてそれを哂うには、岩崎の中に残っている良心とやらが少し多すぎた。
 しかし今更「嘘だよ」と告げるのも(いやホントなんだけれどねぇ)どうだろう。
「…怒るかな。竹内君」
 ポソリと呟く。
 息が白い。
 ちらちらと舞う雪が、その息に揺らされて空気に溶けた。
 雪は好きだった。
 雪は、雨のように冷たくはないから。
「…まあ僕には関係ない、さ…」
 そんな話を以前、竹内にしたことがある。他愛の無い、場つなぎの会話。
 竹内は笑って頷いた。
 そうですよね、なんとなく分かります、それ。
 別に君に分かられたくない、と思ってしまった瞬間に、たぶん、顔に出た。竹内はちょっとだけ首を傾げて、問いたださなかったけれど。
 その時からだと思う。
 調子が狂う。
 すらすら出てくる魔力を持った言葉の羅列が、竹内の前では列を乱し、足並みを乱して無様に転ぶ。
 思えば、このごろの自分の態度は、竹内に嫌われていないのがおかしなくらいだった。人に警戒されず、嫌われず、のらりくらりとやってきた自分が、だ。
 ふと、足を止めた。
 髪に貼り付いてから溶けた雪が目に入る。

 踏み込まれたくない内心にまで、ずかずかと入り込んでくる竹内。
 岩崎さん、岩崎さんと後をついてまわり、絶対の信頼を向けて。
 どうしたんですか、岩崎さん。
 訊かれなければ、辛い気持ちなどに気付かず済んだ。

 きらきらとした、汚いものなど映さないような青い瞳を、真っ直ぐこちらに向けてくる竹内。
 まるで、この世の全てを綺麗と信じているような。
 この世に綺麗なものなんて、そうないよ。
 僕も含めてね、と言い切る前にきょとんと返される。
 でも、僕、小隊の皆とか、岩崎さんとか、好きですよ。


 むしろ、嫌われてしまったほうがすっきりするんじゃないのかい?

 隊長の監視、隊の監視。
 人類の為といえば聞こえはいいが、人の世の裏で、すっかり汚くなった両手。

 汚い僕。

 なんと間のよいことだろう。

 竹内が自分に行き着いても、口封じなど後でいくらでも、どうとでもなることだ。

 全てが明らかになって

 嫌われて、しまえば




「岩崎さん?」
「!――――――た…けうち、君」
 一挙動で振り返る。
 髪の毛から滴った水滴が、弧を描いて飛ぶところが、妙にゆっくりと瞳に焼きついた。
「あ、いや、そんなにびっくりしました?道の真ん中で突っ立ってるから、どうしたのかな、と…」
 よほど酷い顔をしていたのだろう。覗き込むようにしてこちらの顔を見る、竹内の瞳が揺れている。
「―――いやいやいや。ちょっと頭痛がね。もう治ったよ、大丈夫」
 とっさに笑顔を造った。
 コトコトと速く揺れる心臓が気持ち悪い。
「そうですか?顔色、悪いですよ」
「気のせいだよ。いやぁ、頭痛なんて久々だからねぇ。子どもの頃みたいに―――――」

 ――――子どものころは。
 頭が痛いと泣いたことが、そういえばあったかもしれない。
 否定されたり、冷たくされたり、叱られ、ケンカして―――嫌われるのでは、という恐怖に泣いたことも。
 忘れていたけれど、覚えている。
 物心ついて間もない子どもにとって、世界に等しい周囲の人間に否定され、拒絶されることは紛れも無い恐怖だった。
 冷たい雨の中、たった一人で絶望し、世界のうち、やっとその手の暖かさに触れられたほんの1人を除いて、ほとんどすべてを信じなくなったあの日までは。
 確かにそれは、恐怖だった。




 おねがい おねがいです  ぼくを  

 ぼくを

 きらいにならないで







「…はは。僕ぁ、子どもみたいだねぇ」
「―――なぁに言ってるんですか、岩崎さん!」
「っと、た、竹内君!?」
 唐突に、ぐいっと手を引っ張られてつんのめった。少し怒った顔の竹内が、ぐいぐいと手を引き、学校へ向かって歩き出す。
「今なら山口先輩が学校にいますよ。診てもらわないと」
「別にいいよ、子どもじゃないんだから」
「何言ってるんですか、本当に」
 竹内がくるりと振り返る。

「子どもでしょ、岩崎さんだって」







 無言で竹内の後ろを歩く。
 つないだ手と手は、いつの間にか離れていた。
 それでも手に残った、竹内の掌の熱を軽く握りしめる。
「……岩崎さん」
「…ん?」
 頼りなく細い背中から発せられたいつもの彼よりほんの少し低い声色に、こちらの声も少しだけ低くなった。
「実は僕、今、岩崎さんを追いかけてきたんです」
「…へぇ。なんだい?」
「今日一日で、小隊全部を調べ終えて、それで、どうしても岩崎さんに言わないと、って…」
「………」
 立ち止まった竹内は、振り返らなかった。その背がかすかに震えている。

 辿り着いたか、『僕』に。

 冷静に今後の処理の手順を思い浮かべる頭の回転とは裏腹に、握った手の中が急速に冷えていく。

 汚い僕に、行き着いたなら。




 泣き声が聞こえる。
 子どもの泣き声。
 雨は嫌いだ。
 髪の毛から滴る水滴。まるで、雨のように。

 雨の中、全てに捨てられた。
 泣いても救われないと悟ったときから、恐怖が消えた。

 おねがい、ぼくを、―――――




「ッ――――……竹内君、僕ぁ」
「岩崎さん、ごめんなさいっ!!」
「――――――ぁ?」
 ぐるんと振り返った竹内が、そのまま土下座でもするような勢いで頭を下げた。竹内の体温で溶けた、雪だった水滴が舞う。
「た…竹内…君?」
「調べたけれど、結局わかりませんでしたっ!!」
「……………………………………」
「でも、どうにも全員、怪しいところないんですよ。まあ、ほっとしましたけれどね」
「……………あー……ええと。それはなんとも。うんうん。ははは」
「あ、でも調べてる途中で凄いもの見ちゃいました。黒板の裏いっぱいの」
「うんうんうんうん。まあそれはいいとして。―――僕もほっとしたよ。スパイなんていないほうがいい」
 微笑む。笑う。
 呆れるくらいにほっとした自分がおかしかった。
「……ああそうか、うん、うん、…分かった気がするなぁ」
「え、なにがですか?」
「『愛し子達よ』っていう一節で始まる詩があるんだけれどね。その続きは覚えていないけれど。その詩を知った時、僕ぁまぎれもなく子どもだったから、疑問に思ったものだよ」
「何をですか」
「子どもの僕が、『愛し子達よ』と呼びかける矛盾をね。あと、対象のあまりの広さと大雑把さとか」
「…凄い子どもですね…」
 まさか小学校の国語の授業とかじゃないでしょうね、と竹内が頬を引きつらせた。
「うんうん。我ながら可愛げのない子どもだよねぇ」
「ホントですよ」
「でも、そんな子どもが詠んでもいいんだよ。赤ん坊でも。青年でも。老人でも。愛しいものを想って詠めばいい」
「……岩崎さん」
「まあ要するに、きっと、この詩を詠った人には、世界中が愛しく見えていたんだろうねぇ」
「……そうですね。…きっと。って何圧し掛かってんですか!?重い!重いですって!!」
「いやぁ、やっぱりさっきから頭痛が痛くてねぇ」
「あーもーホントに子どもっぽいんですから岩崎さんはッ!!」
 呻きながら、岩崎を半ば背負ったまま、竹内が1歩踏み出した。
 ずるずると引きずられながら、笑う岩崎。

 冷徹に冷酷に、全てを切り捨てられない子ども。

 大好きな人の悲しむ顔を見てイライラし八つ当たりする子ども。

 ―――嫌われたくないと恐怖する、子ども。

「ああ、そうか。ここにいたんだねぇ」
 口の中だけで呟いて、岩崎は目を閉じた。
 次の瞬間には自分の足で立ち、自分の目で見据える大人の覚悟を誓いながら、竹内に導かれるままに、子どものように体を任せる。
「何か言いましたか?」
「いや?なんでもないよ」
「…そういえば岩崎さん、スパイを見つけたらどうする気だったんですか?」
「え?あー…うんうん。当然隊長に報告して……。…竹内君なら、どうする?」
「僕ですか?うーん、そうだなあ…」

 やっと見つけたよ。
 今まで探してもみなかった、子どもの頃の、僕。

「僕は結局、小隊の皆のこと、大好きですから。その人とも一緒にやっていける方法、探しますよ」
 あっけらかんと言い切ったその台詞に、ぽかんと一瞬固まった。
 綺麗なものも、汚いものも、全てを愛しいと青年は笑う。
 全く君も子どもだねぇ、と吹き出して、岩崎も笑った。

 愛し子達よ。
 詩の続きは思い出せないけれど、僕ならなんと続けようか。


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