むかし むかし あるところに
 いたみをかんじない ひとがいました
 いたみをかんじないものだから
 そのひとは いつも わらっていたのです

 でも かれがわらうと
 かなしそうにするひとたちが いました

 かれは ふしぎでたまりません
 かれは かなしくてたまりません

 わらっていてほしいから ぼくも いつでも わらっているのに







いたいのいたいのとんでいけ  〜イタイノイタイノトンデイケ〜







 ああ、しまったなぁ。
 岩崎仲俊がとっさに思ったのは、その程度のことだった。
 ヒトがヒトとしての肉体的な弱さを失ったことによる利点は大きい。多少の負傷ならばすぐに治るし、そもそも幻獣との戦という場合でもない限り、負傷をすることも少ない頑強な肉体。
 利点があるならばそれに相応する欠点もある。
 痛みに対する恐怖心の少なさは、いずれ必ず、種としてのヒトを滅びの時へと導くはずであった。強さは弱さでもある。この時代のヒト―――つまり人間と呼称される種族のほとんどがそのことを知ってはいたが、だからといって脆弱な肉体に戻りたいかというとそういうわけでもない。種としての本能は戻りたいのかもしれないが、そうではない。進化の行き詰まり。前進から後退へ。言い方はいくらでもあるが、すなわち。

「俊くんは、怪我はない?」
 衛生兵の山口葉月に笑んで見せる。
 栄光号への補給の折に、数体のアンフィスバエナの奇襲に遭った補給部隊は、散り散りの各自応戦を迫られた。最初の一撃に真っ先に気付いたのは岩崎であり、ゆえにそれほど運動能力に優れているとは言えない体も真っ先に動いた。弾薬の詰まったコンテナを己が身で庇いながらの銃撃に、アンフィスバエナがひるんだのはほんの一瞬。振り上げられたその腕を避けたところまでは良かったが、その際にあらぬ方を向いた銃口から飛び出した数発の弾丸はコンテナで跳弾し、狙いとは別のアンフィスバエナに直撃した。幸運といえば幸運である。しかし飛び散った幻獣の堅固な表皮の破片は、そのため、思いも寄らない方向から岩崎の左腕にぶつかり、直後に霧散した。
 その頃には岩崎に数瞬遅れて奇襲の衝撃から立ち直った補給部隊と、横山亜美の乗る栄光号が連携を取り始め、戦い自体は難なく収束を迎えた。岩崎のもとには竹内優斗がすぐに駆けつけ、拙い機銃掃射で援護してくれたためもあり、それほど大きな怪我ではない。
 ただちょっと、二の腕が持ち上がらないだけ。
「大丈夫ですよ、葉月さん。葉月さんこそ、怪我はありませんか?」
「私は全然。野口君がちょっと――」
 言う葉月の視線を追うと、地べたに敷いた救急マットの上で右大腿からの出血を包帯で手当てされている野口道也が、苦笑しながら手当てする工藤百華に何事かを語りかけていた。
「…でも、大丈夫みたい」
 痛み止めであろう注射のアンプルを持った吉田遥がパタパタと走る。
 隊長以下数名の人間が、後方待機していた大隊の本部に行ったまま戻ってこない。野口の手当てが終わり次第に学校に帰るというわけにはいかなそうな様子であった。勝利に終わったとはいえ、戦場の端っこで待ちぼうけなのは楽しいことではなかったが、よくあることではある。数時間はここで待機になるだろう。
「……俊君?」
「はい、何でしょう葉月さん」
「疲れてる?」
「そりゃあ、ちょっとは。何せ、僕ぁ普段戦闘要員じゃありませんからね」
「―――そうね。今日は大活躍だったものね」
 微笑む。
 笑う。
 コンテナの後ろには、葉月たち非戦闘員を乗せた警戒車があった。
「そういうわけで、ちょっと寝たいので、失礼します」
「…うん、はい、―――おやすみなさい」
 ちょっと首を傾げた葉月から、左腕を隠す。右腕を上げ、手を振った。
 左を使わないのは右利きの岩崎にとって、不自然なことではない。
 ウォードレスを着っぱなしなのは、皆一緒だ。
 たぶん酷く腫れているだろう左腕をウォードレスから抜くときには1人の作業は大変そうだが、まあなんとかなるだろう。
 明日1日は動かせないかもしれない。土曜なのが幸いした。土日と休めば、月曜には無理をすれば人と同じに振舞える。
 痛みはあった。
 でも、問題なくやり過ごせる。
 知らず滲み出ていた額の脂汗を拭い、岩崎は彼が結果的に守りぬいたコンテナの後ろにもたれた。
 笑みが消える。
 もともと葉月のための笑みだった。
 1人になったことでようやく苦痛のうめきを漏らし、左腕を抱きしめる。
 声を出せは痛みがまぎれるだとか、抱きしめると楽になるだとか。
 科学的な根拠以前に、それはもっと原始的なものである気がした。
 ずくんずくんと重たい鼓動を伴って、湧き上がる痛みを抱きしめる。
 痛みこそが生きている証、と。
 ヒトという種について論じているときならばともかくとして、現実に痛い思いをしている時にまで同じことを言う気は無かった。痛み止めがほしいのが正直なところであり、いっそ野口のように脚でも怪我して隠し様がなかったらよかったのに、と思わないでもない。
 でも。
 隠せるならば、隠すだろう。
 たぶんこの先、ずっと。
 自分の痛みよりも他人の痛みが痛いと思えることは、果たして。
 種として正しいことだろうか。
 ヒトとして、利口なことだろうか。
 声を漏らし、抱きしめることで和らぐ痛みは、しかし、あのひとが悲しむことで、辛そうなことで、強まる痛みでもある。
 辛そうな顔を、見たくない。

 そんなことだから、人一倍気配にも敏感なのだろう。
 申し訳程度に忍ばせた足音に、視線を上げて、左腕をきつく抱きしてめた右腕の力を抜いた。
 緊張して、表情から緊張を抜く。
「どうしたんだい、竹内君?」
「あ、寝てましたか?岩崎さん」
 申し訳無さそうな竹内がコンテナの向こう側から顔を出すのと、こちらの呼びかけはほぼ同時だった。苦痛から少しかすれた声を、寝入りばなを起こされたと勘違いしたらしい。訂正せずにわずかに笑う。
「横、いいです?僕も眠くて眠くて、でもほかの場所は周りが煩くて眠れないんですよ…」
「うんうん、疲労だね。銃を撃つことなんて滅多にないものねぇ」
 横に座り込んだ竹内から、硝煙の匂いがした。だるそうに、拳を握り、開きを繰り返す。
「明日は筋肉痛かも」
「ははは。…僕ぁ寝るね」
「ああはい、邪魔してすみません」
 もっともだよ竹内君。
 瞼を落としながら、心の中で嘆息した。
 極力平静な顔を作りながら、寝た振りに向かって呼吸を整える。
 痛覚の鼓動は少しずつだか収まりかけていた。たぶん、麻痺してきているのだろう。
 出血はしていなさそうだし、骨にも異常――髄液が漏れ出している感覚もない。
 医者にかかる必要も無い、そのまま治るなら都合がいい――――――

「………岩崎さん」
「………」
 呼びかけは、非常に申し訳無さそうだった。
 蚊の鳴くような声量に、寝たふりを決め込む。
「…………岩崎さーん…?」
「………」
「…寝てます?ホントに?……ええと、どっちでもいいんですが」
「………」
「ごめんなさいっ」
 何事か、と身構える暇も無かった。
 ぎゅうっと右腕を握られる。ウォードレスは頑強だが、向こうだってウォードレス。筋力が増強されている分、力いっぱい握られれば、柔らかい関節部位の装甲が歪む。
 慌てて目を開ける。跳ね起きようとする。瞬間の差で、間に合わなかった。
「――――ッぐぅ!?」
「え、あ、あわ、わわわわ…!!!いっ、岩崎さんごめんなさいッ!?」
 右腕が開放されたのと同時に握られた左腕。
 飛び跳ねて悲鳴を上げた岩崎に、おろおろと手を放した竹内も悲鳴を上げる。
「やっ、山口先パーーーイ!?」
「〜〜〜〜ッ…ちっ、ちょ、待った!ストップ!黙ってくれるかい竹内君!」
「いやでも」
「大丈夫だから!」
「そんな真っ青で何言ってるんですか!?」
「……そんな真っ青って」
「は」
 じりっと後ずさる竹内。
 午後の陽光を反射するきれいな青色の瞳に、ちょっともの凄い形相の自分が映っていた。
「そんな真っ青って、誰のせいだい竹内君」
「ぼ、ぼぼぼ僕のせいですごめんなさい…」
 項垂れた竹内に、がっくりと力が抜けた。
 一度素直に苦痛を作った表情は、もう戻らなかった。


「先パイにですね、頼まれたんです」
 不機嫌を絵に描いたような岩崎の左腕を甲斐甲斐しくウォードレス越しに擦りながら、竹内がぼそぼそと切り出した。
「何を」
「岩崎さんが、どこか怪我していないか、確かめられないか、って」
「……………」
 隠さず舌打ちが洩れる。よろけたとろこでも見られていたのか。
「…さすが葉月さんだね…。で?」
「は?」
「竹内君は、僕と葉月さんと、どちらの言うことを聞くんだい?」
 にっこり。
 この日1番の、大輪の笑顔である。
 ぎくりと頬を歪め目を逸らした竹内は、あー、だの、うー、だのとしばらく呻きながらも、岩崎を擦る手を休めない。
「僕ぁね、竹内君。葉月さんに心配をかけたくないんだよ。悲しませたくない」
「え、あ、………えぇと……」
 一転して、神妙な顔を作ってみる。
 情に訴えられると弱い竹内は、ぐっと詰まって空を見た。よし、もうひと息。
「これくらいの痛み、僕ぁなんともないからね。我慢しているよ」
 撫で擦る手が止まった。
 先刻握られた痛みを体が思い出し、瞬間、神経が引きつる。
 しかし竹内は、そのまますぐにまた手を動かし、今度は幾分しっかりとした眼差しで岩崎を見据えた。
「…ごめんなさい、岩崎さん。山口先パイを呼んできます」
「…竹内君、僕ぁ、」
「岩崎さんは、山口先パイが痛くても、平気ですか?」
「?………竹内君?」
「山口先パイは平気じゃないんです。僕も。岩崎さんが痛いんだったらどうしようって、気が気じゃないんです」
「………」
「岩崎さんは我慢できても、僕たちは我慢できません。だから、山口先パイを連れてきます」
 言いながらも、その手は優しくウォードレスを撫ぜる。
 怪我を気遣い、力を込めていないのだろう。感触は、無かった。
 ただその手が優しく動く様子だけが見て取れる。
 しばらくの沈黙の後、軽くため息をついて、竹内が腰を上げようとした。
 離れるてのひら。
「――――待ってくれるかい、竹内君」
 それを繋ぎ止めたいかのように、声が出たのはたぶん偶然だった。
「待ちませんよ」
「違うよ。僕が行く。脚は何てこと無いんだから、自分で歩いていって、葉月さんに言うよ」
「……はい、分かりました。付き添いますね」
 また撫ぜ擦られる、感触ではなく感覚がこそばゆい。
「…で、さっきから何をしているんだい竹内君」
「え?知りません?『いたいのいたいの、とんでいけー』って」
「…いや、知ってるけれどね」
 飛ばしていないじゃないかと突っ込む前に、笑う竹内が照れくさそうに呟いた。
「効き目があるかは分からないけれど、僕はこうされると、けっこう痛みが引くんですよ」
「…………うんうん、君はそんな感じだねぇ…」
「あと」
「うん?」
「こうしていると、ちょっとでも役に立てている気がして」
 勝手かもしれないけれど、それが嬉しいです、と、笑う竹内。
 岩崎といえば、我慢を解いたことで噴出した痛みが増す一方で、寧ろ逆効果なんじゃないのかなぁそれと思い、苦痛のままに表情を歪めようとして失敗した。
 痛いのに笑顔を作ってしまったのは、なぜだろう。
 たぶん理由は、始めとは違う。










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