「このはっぱ、つるつるしていてきれいだな!」
「これはヒメアオキですね」
「ふーん。あっ、このきのはっぱはでっかいぞ!きもでっかい!」
「プラタナスです。…もともと大きくなる木ですが…ああ、樹齢もかなりいっていそうですね。」
「へぇ……あ!とりだ!きれいなとりだぞ!」
「ルリですね。人里まで来るとは珍しいです」
 チチ、と特徴的な声で鳴いた青い小鳥が飛んでいく。
 そこで少女は思い切り頭を反らして天を見た。
 それでやっと長身のメイジと目が合って、笑う。
「トランはすごいな!なんでもしっている」
「いえ。わたしの知識は、もともと刷り込まれたものですから」
 凄いのはダイナストカバルの技術ですよ。
 そう続ける長身のメイジに、少女は本当に不思議そうに問いかけた。
「…トランは」
「はい?」
「トランは、ほめられるの、きらいか?」
「え…」
「うれしいなぁ、たのしいなぁ、って、おもわない?」
 あしたはおもうんだけれど。
 困ったように続ける少女に、今までピクリとも表情を変えなかったメイジが困り顔になった。さえない下がり眉のままに頭を掻き、少女を見下ろす。
「…わたしは。―――わたしには、よく、わからないんですよ。アルテア」

 アルテア お前がトランに 心を教えるのだ

 村長は言って、微笑んだ。

 トランは優秀な男だが 創られたばかりで 人の心が分からんのだよ

 ダイナストカバルの技術力を結集して誕生した人造人間。強大な魔力と黎明たる知識を身に付けたメイジの青年は、しかしにこりとも笑わない。

 …むずかしそうだ おさ あたしに できるかな

 少女がそう弱音を吐いたのも当然といえば当然のことで、村長はさらに微笑んで語りかける。

 お前なら大丈夫だよ アルテア

 どうして?

 老いたこの村で 唯一 一番 煌く希望に満ち満ちたお前なら

 ……よくわからない

 それに

 それに?

 トランは人の心を持たないのではない

 ?…

 人の心が まだ 分からぬだけなのだから 







大きな彼方の木の下で 〜オオキナカナタノキノシタデ〜







 困った顔のトラン・セプターの脚を(脚でなければとどかない)にぎり拳で軽く叩き、アルテアは頬を膨らませた。
「さえないかお!トランはそれがなければ、つよいし、あたまもいいし、かんぜんむけつにかっこいいとおもうぞ」
「…はぁ…」
 まあさえないかおでもトランはトランなんだけどな、と口の中でもごもご呟いてから再びどんっと脚を叩く。
 どうすればこの男の困り顔以外を見られるのか。それが目下、トランの教育係であるアルテアの使命だった。それは「心を教える」という村長の当初の依頼からはずいぶんずれてしまっていたが、それはそれで問題が無いと考えているのは当の村長で、アルテア自身は何も考えていないのが本当である。
 ともかくも、アルテアは幼い思考で必死に次手を考える。
 うーんうーんと比喩では無しに唸る少女に、益々トランは眉を下げた。
「……迷惑をかけます、アルテア」
「――――えっ!?い、いやちがう、トランはわるくないぞ!」
 しょんぼりとしてしまったトランの様子にぶんぶんと首と手を振る。
 ―――見る人が見たならば、指摘しただろう。アルテアの心を思いやり心を痛めるその姿は、最早立派な1人の「人間」であり、この小さな教育係はとっくに使命を果たしていた。
 しかし、指摘したとしてアルテアが納得するかどうかはまた別の問題でもあった。
「トランはわるくないけれど、……こまったかおいがいもできたほうが、ぜったいにいいとおもうんだ」

 えがおをみたい。

 自身が笑顔の塊である少女は、考えていた。
「困った顔、以外……ッアルテア!?」
 首を傾げるトランの腕をぐいっと引っ張り走り出す。
「トラン、すきなものはなに?」
「っ…えっ?」
 急な運動に息を切らせつつ問い返すトランを走りながら顧みて、アルテアは笑った。
「あたしはヒメアオキもプラタナスもルリもすき!トランはっ?」
「―――――すみませんアルテア、わたしにはそういう「好き」とかは、よく、」
「…うん。わからなくてもいい」
「…え…?」
「これからつくればいいとおもう!」
「――――」
 それはどういう、と問い質す途中で唇の動きが止まる。鬱蒼と生い茂る、村はずれの森。枝枝を掻き分け抜けた先には、大きな野原があった。ぱっと明るくなった視界の先には、一本の大樹。
「…これ、は…」
 博識のメイジも思わずぽかんと口を開ける。
 見事な大樹は柔らかい芝生に木漏れ日を落とし、複雑に絡み合う幹と枝を時々風に揺らしながら悠然と佇んでいた。
「これ、あたしが『いちばんすきなき』だ!」
「見事ですね…」
「だろだろっ?あたしがみつけたおきにいりだ!ここのしたでひるねすると、サイコーなんだぞ!」
「なるほど。なんの木でしょうね…ここまで大きいと、ちょっとぱっと見には分かりませんが…」
 枝が根となり地面を目指す、となると…―――などと呟きだすトランを見上げ、太陽の眩しさに目を細めてから、アルテアは遠慮がちにそのローブの端を引いた。
「アルテア?」
「…このばしょ、みつけたばっかりで、まだ、だれにもおしえてないんだ」
「そうだったんですか」
「トランにさいしょに、おしえてあげる」
 照れくさそうに笑った少女を、太陽よりも眩しそうに見てからトランはふと、つかまれたままの腕を軽く引いた。少しつんのめって近付いた少女の手を逆に掴みなおす。
「どうした、トラン?」
「…わたしも、きっとこの木が好きですよ」
「きっと…?」
「はい、きっと」
 何せまだよく、「好き」などという難しい感情は分かりません。
 言って唇を小さく歪め、にぎったアルテアの手を胸に押し付ける。
 心は何処に宿るのか。
 哲学めいた思想までは、ダイナストカバルの知識焼付けの及ぶところではない。
 きゅうと締め付けられるように熱い痛みが心ならば、此処に宿るに違いない。
「―――分からないけれど、でも」
「でも?」
「でも、アルテアが好きなものなら、きっとわたしも好きな気がする」
 優しく細められた眼差しが木漏れ日を反射した。
 あれ、とアルテアが首を傾げる間もなく、トランが微笑む。笑う。
「きっとわたしは、アルテアのことが『好き』だから」





 永い永い一生をかけて忘れないものがあるとするならば

 押し付けられた胸の熱さ、握られた手の暖かさ
















 * * *
















 困った顔のトラン・セプターの脚を叩くことすらできずに、アルテアは頬を膨らませた。
「だーからもー『神殿の正義』は聞き厭きましたよ」
「なんだとぅ!?これだから悪の幹部は…」
「これだから神殿の犬は…!」
 困った顔は呆れ顔に。くるくる目まぐるしく変わる表情を見られずに、俯いて頬を膨らませる。
 トランの帰還に喜んだ昨日が遠い日のようだった。
「って、ノエルッ!!」
 ふと傍らを歩く少女の方を見たトランが顔色を変える。

 ―――しらない

「あきゃあ!?」
「危ないっ」
 何も無いところで唐突に足を滑らせた少女を抱きとめ、ほっとしてから眉根を寄せる。
「どーしてあなたは何も無いところで何度も転べるんですか…」
「あう〜…ごめんなさい…」
 ぽんと軽く肩を叩いて開放してから、こぼれる苦笑。

 しらない。

「そのうち頭でも打って、クリスみたいになったら大変ですよ」
「なっ―――どういう意味だ悪の手先め!!!!」
 むっとする少年神官戦士をかわして、苦笑ははっきりとした笑みになる。
「まあ大事が無くて何よりですよ」

 ―――こんなかおするトラン、あたしはしらない!!

 全くもって幸せそうに笑顔を交わし、村を周るノエル・グリーンフィールド一行の案内らしい案内ができたのは最初のうちだけだった。さえない顔立ちは当時のままに、別人のように表情豊かなトランを見るのがなんともいえず悲しい気持ちで、アルテアは次第に一行の1番後ろをのろのろと歩き出していた。
 結局あの日、ただの一度だけ見られた笑顔の記憶が薄れるほどに、声を上げてメイジの青年が笑う。
 ねえおさ。
 あたしじゃなかったみたいだよ。
 トランに「こころ」をおしえられるのは。

「…なあ、ノエル」
 ぎゃあぎゃあと子どものように騒ぎ立てる男共を尻目に小さく口を開いたエイプリル・スプリングスは、最後尾を来る幼い少女の視線がこちらを向いていないことを改めて確認して、ノエルに顔を寄せた。
「アルテアの様子がおかしくないか?」
「――ああはい、あたしも気になって……ここはやっぱり、…うん、そうですね」
 ひとつ頷き、トランの元へと駆け寄り耳打ちをするノエルを瞬間だけアルテアが見上げた。
 ぷいとすぐ顔を背ける様子に首を傾げてから、エイプリルは隣に戻ってきたノエルを憮然と見やる。
「トランさんに伝えてきました!」
「…なんでトランなんだ…?あいつ、朴念仁だろ」
 祭の折に、金勘定に夢中になったトランに対する愚痴を散々聞かさせた記憶はまだ新しい。
「そうなんですけどね。でもここはトランさんですよ!」
 昨晩大変だったんですよ〜と苦笑して、ノエルは続けた。
「だってアルテアさんは、トランさんが大好きなんですよ」
 続けて、見るからに慌てた様子でアルテアに駆け寄るトランを顧みる。
 いや嫉妬とかじゃありませんけどね、と誰もいない空間に突っ込みを入れつつ、ノエルは大きく伸びをした。

「アルテア、どうかしましたかっ!?」
 さえない困り顔のトランを見もせずに、アルテアはますます頬を膨らませた。
「どうもしないっ!」
「…そ……そうですか……」
 めちゃくちゃ何でもありそうな棘のある返答にひるんだトランの気配を感じつつ、熱いものがじわりと鼻腔に沁みた。
 いいんだ。
 トランはいまのほうがしあわせなんだ。
「ノエルたちのところにいけば?」
「…ええと…アルテア…?」
 だって、むらのことも、あたしのことも、トランはほとんどおぼえてなかった。

 きっと

 あたしやむらのことより

 ノエルたちのことのほうが―――――




「…っあ!そ、そうだアルテア!お昼ごはん食べたから、眠くなったんじゃないですか!?」
「――――――は?」




 もうすでに大量の冷や汗をダラダラと流しつつ怜悧黎明な頭をひねったトランが、ぱっと「これだ!」の顔になる。あまりにも鈍い一言に、アルテアのみならずノエルとエイプリルも「どうしてくれようこの男」と固まり、そもそも蚊帳の外だった少年神官戦士、クリス・ファーディナントは「そうだったのか?」とこちらはこちらでずれた感想を抱いて立ち止まった。
「よし、そうと決まればアルテア!」
「え、な、なに―――――」
 首を傾げるアルテアの腕をぐいっと引っ張り歩き出す。
 いったいどこに、と問い質す途中で唇の動きが止まる。鬱蒼と生い茂る、村はずれの森。枝枝を掻き分け抜けた先には、大きな野原があった。ぱっと明るくなった視界の先には、


「あの木の下で、お昼寝しましょう!」


 一本の、大樹。




「こんな森の外れに…見事な大樹だ…」
 悪の組織云々と文句を言う隙もなく、素直に感嘆したクリスが重たい鎧の留め金を外した。
「うわあ!あの下で眠るの、気持ち良さそうですよ〜!!」
「確かにな…」
 こちらも嬉しそうに笑うノエルとエイプリルを見て、少女の腕を取ったまま、メイジの青年は誇らしそうに片目を瞑ってみせる。
「でしょう?なんたって、わたしが1番好きな木なんですからね!」
「!―――なんで、トランッ…」
「え?」
 驚き浮かびかけていた涙を引っ込めて詰め寄るアルテアに、あれ、違ってます?とまた困った顔になったトランは、それでも先を続けた。
「―――いや、実際この村でのことはほとんど覚えてないんですよ。後付でいろいろ改造されたときの後遺症だと思うんですが―――」
 懐かしそうに大樹を見やるトラン。
 気を利かせたのか一足先に大樹の下へ歩き出した三人を一緒に視界に納め、眩しそうに微笑む姿に、今度は悲しいものは感じなかった。
「――なぜでしょうね」

 ――なんでだろう

「あの木を好きだったことは、はっきりそうだと確信できるんですよ」

 たまらなくなって長身を見上げた。
 今度ははっきりとボロボロ零れ落ちる涙に、ぎょっとしたトランが慌てる。
「ちょ、アルテア……ッ!?」
 慌てるその胸に、飛びつく、抱きしめる。
「トラン」
「は」
「トラン」
「…………アルテア…?」

「トラン、だいすき」

 涙で滲む目に笑顔は映らなかった。
 それでもその笑みを確信し、自分も笑い、唐突に理解する。
 みえないけれど、わらっている。

 きっとさいしょから、トランは わらってくれていた。
















 * * *
















 きっと、最初から。














 心はずっと、己の中にあった。

 嬉しいも

 楽しいも


 好きも


 この旅路で得たと思っていたけれど、ああ、そうだ

 分からなかっただけ

 気づかなかっただけ

 それは、ずっとここにあったみたいだ




「……そこの男、この村の者か?」
「……ええ、そのようなもんです」

 絶望は無い

「では念のために聞こう」

 これから訪れるであろう、破滅に対する恐怖も

「そこで何をしている?」

 全ては希望の光がまぶしくて
 もうわたしには それしか見えない

「あなた方から、この村を、守ろうと思いまして」
 トラン・セプターは唇に笑みを浮かべ、軽く小首を傾げて見せた。
 ふてぶてしく笑って見せたつもりが、なにやら優しいものになってしまい、苦笑する。期せずして笑みは皮肉気なものになったが、優しく緩んだ目元だけは隠せなかった。
 それはそれで壮絶なものを感じさせたのか、多少怯んだ白銀の鎧の群れに、静かに杖の先を向ける。
 被りなおした帽子のへりが視界を掠める一瞬見えた気がした木漏れ日は、昼間のことなのになぜか途方もなく懐かしく、また新しく「分かった」気がする何かを抱くように、振り払うように、瞬間だけ笑みを消す。

 絶望も恐怖も無いけれど、ただもう1度だけ、今は彼方のあの木が見たいと。
 思った理由を理解する日がこないことは、自分が1番よく分かっていた。







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