平成14年 管理人日記 保管庫
  
 
(27)大晦日   (26)最近の忘年会   (25)友達の死   (24)ゲストブック    (23)J-WAVE   (22)ペタ   (21)寝過した   (20)1周年   (19)都大会   (18)最近の心境    (17)新入団員「森祐二」君へ   (16)鈴木部長退団    (15)競技内容   (14)分団研修旅行    (13)人気がないなぁ   (12)引退試合   (11)トレーナーはおやじの象徴?   (10)障害   (9)前野町の火災   (8)本団員   (7)自覚を持とうよ


(27)平成14年12月31日(火) 晴れ 大晦日

 町内の火の用心に続き、2日間の消防団夜警が終了した。神社や寺を受持つ分団は、今晩も初詣の警備に出かけるが、幸い第7分団の受持ち区域内に該当はない。
 今年の夜警初日で感じたこと。それは夜警が町会の火の用心となんら変りがないのではないかと感じた。拍子木を打って見回る様態に大差ないが、気持まで同じであることに疑問を感じた。「豊島消防団」と縫込まれた作業服を着ている。左腕には「特別警戒」という腕章をしている。これらは何を意味するのか?地域住民安全のために今晩我々は何をどのようにすれば良いのか?毎度の年中行事の一環として取り敢ずこなせばそれで良いのだろうか?切ない思いで初日を終えた。

 2日目に指示したこと。
1.私語を慎み、笑い声を上げながら歩くな。
2.2列で進め(話し込むと横に長くなる)。
3.ハンドマイクで警戒を呼びかけろ。
4.町内設置消火器の封印と存在の確認。
 自分が入団した年の歳末警戒では、「寒いもん」と言いながら防火服を着ていた先輩団員、気付くと横でタバコを吸っていた先輩団員がいた。決して忘れることのない、信じがたい光景だった。それからすると、最近は随分まともだと思うが、まだまだ納得行かない。
 私語は各団員の意識次第だ。長時間仲間と歩いていれば、いろいろな話をしたくなるのは人情だが、何で仲間と今歩いているのかが分っていない。横に3人並べば、後ろから来る自転車の邪魔になる。車の往来にも危ない。
 第7分団は「目白隊」と「高田隊」に別れて警戒をするのが恒例である。今年は各隊6名ずつ2列で歩いた。各隊拍子木2、団提灯1、懐中電灯3、ハンドマイク1。分団本部には分団長以下4名が待機した。
 拍子木だけで「うるさい」と苦情が来る時代だが、敢て更にうるさいハンドマイクで警戒を呼びかけたが、苦情はなかった。消火器箱の封印確認は寺西部長が以前から口を酸っぱくして言っているが、団員自覚意識にも役立っていると思う。
 
 面白可笑しい話をしながら町内を歩き回る団員に同調したい。寒い中歩き回って居るんだ。年の暮れ、一年の思いを語りたい。が、自分がそれらを否認しなければまた過去の年末警戒の姿に戻りかねない。


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(26)平成14年12月11日(水) 晴れ 最近の忘年会

 第7分団の忘年会が7日(土)池袋にて行われた。目白所長、広瀬副団長の参加もあった。
 消防団の忘年会は、皆楽しいと思う。会社関係と違い、利害関係が無いから・・・。ところが最近の忘年会は気合が入らない。以前は地元だと2次会の場所に苦労するので「池袋がいい」と言うことになり、池袋が続いている。しかし、これと言った2次会がなくなっている。
 勿論、1次会で解散する団員は数少ない。終ると麻雀組ができる。麻雀をするものは、終焉の頃から人集めを始めるが、麻雀をしない者は参加しようがない。飲みに行くか行かないかは個人の判断に因るが、麻雀のできないものは選択の余地がない。
 ピンク系に走る団員もいる。だから「池袋」で行うのだけど・・・。これとて、結構年齢が制限されてくる気がする。麻雀と違い、行くか行かないかは個人判断だが、判断基準が広範囲だから戸惑う。
 数何前のように、怒濤のように次の店に押掛ける勢いはなくなった。人生横丁の店がなくなったのも一因かもしれない。
 それにしても、麻雀が好きな団員に、忘年会時は自粛とも言えまい。麻雀より魅力ある2次会を企画するしかないのかもしれないが、麻雀による弊害を感じているのは、麻雀をしない団員だけなのだろう。麻雀を予定している団員の飲み方は軽くなり、味気ない忘年会になってきたような気がしてならない。
 「消防団の忘年会」がこんなに軽くていいのだろうか?

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(25)平成14年12月4日(水) 雨 友達の死

 中学の同級生だった。以来25年以上の付合いが続いていた。
 中学時代は、15cmのリーゼント庇。
 池袋の繁華街にあった自分の通う高校脇を歩いているとき、悪い生徒が熊達をからかって2階からチョークを投げた。怒った熊達は校長室に怒鳴り込みをかけようと入ってきた。「変な奴らが校長室に押掛けようとしているぜ」と聞き、興味本位で駆けつけてみると、息巻いている熊がいた。
 錦糸町のホストクラブで働いているときは金回りがよかったのに。浅草吉原の事なら、店名を言えば場所を知っていた。ダイアナを唄わせれば右に出る者はいない。
 心臓を患い入院中、見舞金を持出してパチンコ屋へ出かける。院内共用の冷蔵庫の食い物を夜あさる。休憩室にエロ本を持込む。そろそろ退院と言う頃に、金が無く脱走。街中をチャリでフラフラ走っている姿を見かけて、熊が退院したことを知るのだ。目白では彼をふうてんの熊と呼ぶ。
 つい2ヶ月前の10月には池上本門寺の御会式に一緒に行き、雑司が谷鬼子母神の御会式で3日間連続一緒だった。当日しか参加しない若者が多い中、熊は日曜日の午前中から万灯の片づけをした。若いときは纏7人衆と言われて、熊と一緒に、自分らはいつも講の先頭を切って目立っていた。年と共に若手に譲り、近年では人が嫌がるリヤカーを牽いていた。目立たない役回りをしてたので、近年の熊の写真は手元にない。祭の写真を撮る人は、誰一人リヤカーを牽く者は撮らなかった。
 熊の親父が死んで、遺産分割を自分が請負った。自宅を世話した。金を貸した。今では不良債権どころか、債権放棄せざるを得ない。みんな、あきらめようぜ。
 45年間のツッパリ人生が幕を閉じた。熊の遺骨は、今まで経験したことのない太くてでかい骨だった。
 職業:パチプロ(自称)
 他界:平成14年12月1日未明大往生 享年45才

 追加
 人は足の爪を切らないとどうなるか。20代の頃、御輿場で褌姿の熊の足を見て驚いた。熊は数年間足の爪を切っていなかった。爪は指先に沿って曲っていく。裸足で歩くので、爪の先端はコンクリートで見事に削られている。だから切らなくてもそれ以上長くはならない。すげーモンを見せて貰った。
 すげーモンと言えば、中学時代、熊の部屋にはたくさんのエロ本があった。見たこともない女体があらわになっている(肝心な部分はマジックで塗りつぶされている)。マーガリンやベンジンでマジックを消す作業をしたが、消そうとすると写真のインク自体まで消えてしまう。薄くかすれ、かすかに面影が残る写真を見て、みんな興奮していた。「もってけよ」と言われ、ドキドキしながら自宅へ持帰った。「熊ってすげーな」と感心。
 もっとすげーのは、数年前2階のタンスが床を抜いて1階に顔を出した。「床がくさっちまって」と熊は言う。風よけなのか、家の周囲にはサラ金の看板がたくさん打付けられていた。抜けた窓ガラス代りに、ビニールを画鋲で貼っていた。「仲間なんだからなんとかしてやれよ」と言われ、マンションへ引越する手伝いをした。
 熊とは、ずるがしこいと思われがちだったが、情に厚く、かっこつけしいなヤツ。告別式の帰り「可哀想だな」と言う自分に「ヤツはここで死んで良かったんだよ」と言われた。遺族には申訳ないが、数日経って考えると、それが正解だったのかもしれない。母親は自分の年金が使い果されなくて済むことにもなった。
 熊、さらば!

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(24)平成14年11月21日(木) くもり ゲストブック

 おととい「ゲストブック」なるものを新設した。
 「掲示板」と「ゲストブック」の違いは何なんだろう?「掲示板」は連絡、問題提議とかに対して色々な意見や返事をするところ、と思っている。では、ただ見に来ただけの人は「掲示板」に投稿しようがない。投稿する行為のハードルを低くしたものが「ゲストブック」になろうか・・・・。
 理屈ではない。ホームページを管理している者の人寂しさが露呈しているに過ぎない。ホームページ管理者は、相手の顔が見えない。カウンターの数字は増えているものの、誰が来てくれているのか知りたいのだ。自分の投げかけた結果が、アクセス数だけでしか判断できない孤独。更に、ものぐさだから、アクセス管理をしていない。昨日は何件なんて分りようもない。
 ここに来てくれた人の1割でもゲストブックに入れてくれたら、すげぇ数になるんだけどな。つまり、自己満足を満たしたいが為のゲストブックなんだろう。だから、他人のホームページを見て「ゲストブック」があると、極力投稿している自分が居る。寂しさを分ち合うってやつかな。
 どうであれ、以来、自分は豊島消防団第7分団のホームページを見るのが楽しくなった事は間違いない。

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(23)平成14年11月15日(金) くもり J-WAVE

 夕方FM局81.3J-WAVEの電話取材を受けた。
 中学時代にニッポン放送のクイズ番組に出たことがある。3月からはとしまテレビで収録もしてきた。今回は事前に質問内容を聞いていたから万全と思っていたが・・・。
 難しかったことは、相手がいないこと。きたむらさんという構成作家の方と電話口でしゃべったが、ON AIRで彼の声は流れないから、きたむらさんが質問内容を話して「どーぞ」と言われて話し始める。話している間、先方は黙っている。相槌のない事の難しさ。要は留守番電話に入れているのと同じ状況だった。質問に対してどの程度の長さで話したら良いのか、こんな話で良いのか見えないというのは戸惑った。準備していた内容を見ていると、棒読みになってしまう。棒読みなら、もっと歯切れの良い団員を選定して読ませれば同じ事。聴視者にはその人物が誰か分らないのだから。でも、今更こんな事、言っても仕方ない。
 会社で話していたので、ラジオの収録を知らない社員が「○○さんが来客されています」と言うメモを持ってきたりした。立上がって会釈して「時間かかる」とメモに書く。そのうち、自分が何を話しているのか分らなくなる。目の前に準備していた内容があるので、気付くと棒読み状態。のどがカピカピになってきた。
 きたむらさんの突っ込みは結構厳しい。としまテレビの時は、団員数など数字を間違えるミスがあったので、今回は数字を間違えないよう注意を払ったつもりだったが、先方の思惑は数字ではない、メンタルな部分を要求された。消防団員として不満な点、改善点などを掘下げて話してもらいたいようだった。自分としては、消防団組織を理解して貰いたい事が主眼だったけど。
 事前の質問内容から、番組制作の主旨を理解していなかった事に途中で気付く。高齢化に関しては、本音を語れなかったと思う。不満に関しては作業服が1着しかない程度に留めた。
 きたむらさんが「後はこちらで編集しますから」と言ってくれたので少し安心。何を話したかよく分らなくなってしまったが、質問内容が後から入る事、自分の話に対してどのようなコメントをされるのかで構成はかなり違ってくるのだろうな、と思っている。

 放送予定 11/19(火) FMラジオ 81.3Mkh J-WAVE  JAM THE WORLD(ニュース番組) 20:00-22:00 の 21:30頃 

 放送されている時間、自分はサンシャインプリンスホテルで宴たけなわ中である (^^ゞ

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(22)平成14年11月12日(火) くもり ペタ

 松井の抜けたGはヤクルトのペタジー二を欲しがっている。どこまでどん欲なんだろう。プロ野球は嫌いではないが、G中心の球界にうんざりさせられる。球界がG中心で回っていることに異論はないが、ここまで他球団と戦力に差があると興ざめする。戦うときって負けたくはない。Gを応援していれば、喜びも悲しみも共有できる?数年来プロ野球から興味が失せてきたのはG以外のファンには多い現象ではないだろうか?今年なんか、何処が首位で誰が打率トップだったかも分らない一年だった。
 かといって、国際試合以外のサッカーも今ひとつ。ワールドカップでは一生懸命応援したがJリーグ中継を見たことがない。いったい何チームあるのかも分らない。
 濱の番長「三浦」がFA宣言をして残留となったことが自分にとってはプロ野球最大のニュースだったとは・・・・。

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(21)平成14年10月19日(土) くもり 寝過した

 今朝6:30から、高田のオリジン電気にて震災訓練があった・・・・、寝過した!
言訳。それは1週間前から始った。
 ---最近の夜の行動---
 11日(金):台湾から取引のある家族が来日し、歓迎会。その後24:00頃操練訓練を終えた団員と合流し懇親会。
 12日(土):池上本門寺御会式参加。26:00解散。
 13日(日):鬼子母神御会式準備。
 14日(月):栃木へ。その足で帰宅する。
 15日(火):荷物を抱えて出社。台湾家族と食事会。24:30解散。
 16日(水):御会式町内回り。26:00解散。
 17日(木):御会式、護国寺コース。25:00解散。
 18日(金):御会式、池袋コース。27時解散。
 19日(土):6:30震災訓練・・・・・寝過す!
        ちなみに、19日は片づけの後、19:00からなおらいだぁ。
 明日は、池袋・豊島消防団合同点検だけど、自分は宅建試験監督員なのでそちらへ。夕方終ってお通夜へ。
              そして、いよいよ洗濯物を抱きかかえて夜帰宅します。かぁちゃんゴメン。

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(20)平成14年10月15日(火) 晴れ 1周年

 ホームページを開設し25日で1年が経つ。10月は御会式があって忙しい月だ。「御会式なんて3日間の行事だろう」と言う人もいる。そりゃ、やるのは3日間だが、そこまでの準備までは大変な労力がいるわけで、終った後の片づけだって大変な作業。そんな時期に、どうしてホームページを作る時間があったのだろうか・・・・・。
 数ヶ月、連想ゲームの様なことをしていたが、心許ない低俗人間により中断したことが残念だった。ネットの世界は相手が見えないから、このような人間が出現するのだと納得できた。
 思いの外アクセスが多いのが、学校関係だった。国立大学をはじめ、多くの大学からのアクセスがあった。今時の学生は、消防団に興味があるのかな。それとも、暇すぎてこんな所までたどり着いたのかな?アクセスの動機は分らないけど、消防団に少なからず興味を抱いていてくれることがうれしい。女子大が2割ぐらいあるけど、少々理解に苦しんでいる。
 仲間の団員から「掲示板が寂しい」と言われたが、これらはみんなで作っていくものなので、「見てるだけなら来なくていい」と思ってしまうのはどこの管理人も同じだろう。「運営している者にしか分らない苦労なんだ」と自分を慰める。それと、ページ更新がままならないのは、画像が撮れない。一人ぢゃ無理だ。行事があっても、いつもカメラ小僧でもいられない。年輩団員は、カメラを向けるとなぜか嬉しそうだけど、自分がどのように映って公開されているかは、パソコンが無いので見ることはない。
 1周年を期に、ホームページを作り直そうかと考えたが、まったく別件のホームページ(これは力作)を作成し終えたばかりで、その余力が無い。
 いろいろ悩みながらの一年だった。1年で、約8800件のアクセス(この内自分が1割は占める?)。これは、全国の消防団仲間がリンクを貼ってくれたお陰でもあると思う。もうしばらく、変更なしでいかせてもらおう。

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(19)平成14年10月12日(土) 晴天 都大会

 東京都消防操法大会。今年は、消防団創設55周年にあたる節目だ。10:00からなので池2は既に会場となる消防学校へ行っていることだろう。彼らの健闘を祈りたい。
 ところで、今日は二日酔い。昨晩は操練訓練の終了した団員と合流して深夜まで飲んでいた。一人、また一人と時間と共に団員は帰っていったが、最後まで飲んでいた。愛ちゃんの店に「ハイネケン」がメニューに加わったのが嬉しい。店の「ハイネケン」は全て飲干された。今週は毎晩団員と夜飲んでいたように思う。自分は操練選手ではないのが少し寂しい。
 今晩は池上本門寺の御会式。大森消防団が警備しているとのこと。御会式も節目の年だ。日蓮宗の何かが(日蓮上人が誕生か没年とか?)550年らしい。そんなことも分らず、「なんみょうほうれんげっきょう」と唱えていいのですか?

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(18)平成14年9月30日(月) 小雨 最近の心境

 操法が終って、皆気が抜けている。
 今日は、東池袋にある豊島公会堂の前の公園で、区の震災演習が行われた。 各分団から5名程度参加した。 区民センターに逃げ遅れた人が出たと想定して、レスキュー隊がロープでよじ登っていったが、雨で靴が滑るらしく、スルスルと上れない。ほとんど腕力だけで登り切ったが、途中で挫折しそうな隊員がいた。
 署長が代ってから、団員の出場回数が増えた。でも、皆気が抜けている。池2は、都大会に向け、我らのホームグランド(目白小学校)で訓練をしているが、一度応援に行ったきりそのままである。としまテレビからも「是非第7分団の応援風景を撮りたい」と言われているが、気乗りがしていない。
 東京都大会当日は、池上本門寺の御会式。御会式は夜だから、都大会を見に行こうと思えば可能だが、団として見学の予定はない。個人的にも、池上本門寺へ行くには、日中仕事をこなさねばならないので、どっちを取るかになろう。
 目白の街はすでに御会式ムードに突入している。

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(17)平成14年5月10日(金) 雨 新入団員「森祐二」君へ
 よくぞ我ら第7分団へ入団してくれた。太極拳が趣味というスポーツマン、年齢も若く前職が陸上自衛隊というのも期待がもてる。
 これまでにも多くの入団者を見てきた。多くは消防団の何かも分からず入団し、ポンプ繰法の選手に選ばれ活動してきた。自分もその一人である。君もそうだろう。
 しかし、君には光るものがあった。街の餅つき大会でも率先して体を動かしていたことだよ。要領よく端っこで参加している人とは違い、一生懸命手伝いをしていた。子供相手の餅つき大会も同じボランティア活動だ。そこでがんばれる君は、きっと消防団活動でも華を咲かせることだろう。
 思い過ごしかも知れないが、心配なのは君の仕事。昨年「レッツゴー永田町」というドラマが放送されていたけど、まさに君の仕事は「レッツゴー永田町」なのである。衆議院解散ともなれば消防団活動ができなくなるだろうけど、それは仕方ない。その時は皆逆に君を応援することだろう。そんな関係が築けるようがんばってほしい。

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(16)平成14年4月2日(火) 晴れ 鈴木部長退団
 長年務めた鈴木部長が退団した。
 私が小学生の頃、勉強部屋を増築してくれたのは大工をしていた部長の亡くなったお父さんだった。JRに勤務し電車が大好きな部長から、数年前「日本国有鉄道」の秘蔵プレートを戴いた。今でも大切に玄関先に飾っている。
 ビールが大好きで、「ばぁ〜ろぃ」と言っては団員をたしなめた。備品が壊れれば真っ先に修理に手がけ(治るかどうがは五分五分、完全に壊すときもある)、ホースを巻く補助板なども非番時に作ってくれた。団活動に於ける逸話は沢山あるが、いつも「鈴木部長だから仕方ない」で終ることが多かった。
 時が流れ、部長の10年、20年前を知る団員が少なくなると、「この人はこれで良い、でも君たちはダメ」という差が不明瞭になり閑却できなくなり始めた。部長の人間性を理解しようとする団員の擁護意識が薄れた一方、部長自身も組織変化に順応して行かなければならない時が数年前から到来していたと思う。
 昨年私が「熱血ジャンパー」制作の提案をしたときに、「おめぇーら、格好ばかり気にしやがって!絶対作らせねぇ」と頭ごなしに反対したのも部長である。その時は熱くなって反論したが、後で思うと旧国鉄、JRに長年勤務している部長は制服社会の中にいる。自営業者や一般会社員とは制服に対する思い入れが違うのではないかと考え始めた。
 分団内も、考え方や方向性は確実に変化(進歩ではない)している。第7分団は最大年齢差45才の中に22名が在籍している。みんなが同じ考えで同一方向に向かうことはとても難しい。
 今回はジャンパーを作ると言う事に対しての是非で、結果作りたいという希望者が圧倒的だった為、部長の疎外感が膨張してしまったのではないかと考えている。
 となると、退団の引き金は熱血ジャンパーということになり、なんとも気が重い。部長にはやはりJRに務める子息がいる。父の意志を継いで入団して戴ければこの上なく嬉しいのだが。

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(15)平成14年3月13日(水) 晴れ 競技内容

 平成14年度のポンプ操法競技会の内容が未だに告示されていない。大会まであと2ヶ月半だ。「平成14年度の競技会なので、正式発表は年度が明けてから」という如何にもお役所的見解に我慢の日々だ。
 「基本操法は必ずあるのだから、5名の選手だけでも先に始めたら」と申出があった。早くスタートした分、5名のレベルアップが図れるというものだが反対である。競技は選手全員の和が大切だと思っている。2線延長ともなれば、選手は7名になる。2線延長となった時から、選手2名を補填させることになるが、後から選ばれた選手の気持を考えると、今から訓練を始めることに賛成できない。
 一人ずば抜けた選手がいても、良い結果になるとは限らない。この訓練を通じて選手同志、分団員の結束がさらに強化されることが大切なんだと思う。
 はやく競技内容を知らせてくれぬものだろうか。

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(14)平成14年3月1日(金) くもり 分団研修旅行

 
石神井5が研修旅行に出掛けたと掲示板に書かれていた。
我ら豊島7は何故研修旅行がないのだろうか?研修とまでは行かなくとも、単なる旅行で良いのだ。分団員に旅行代理店の経営者だっているが、計画されないまま8年近くなる。
 お金の面では、積立て方式がいいと思う。いきなり「5万円です」と言われれば躊躇する。
 最近は旅行に魅力がないカナ?ちょっと広めの露天風呂に浸って、おきまりの宴会。上品とは言えない最近のコンパニオン相手にエロ話し。無理矢理勧められてのカラオケ大会。最後にホテル内のラーメン屋でラーメン食べさせて、翌朝高額な請求に青ざめる。「もうあんな奴ら相手にするもんか」と、毎度おなじみの自責。
 ポイントは、「消防団」の旅行に尽きるんじゃないだろか。町会とも、同業者とも家族とも違う、異質ののグループということ。お馴染みの旅行との違いは、行くメンバーがポイントになりそう。
 実行に至らないのは日程が難しいからなんだろう。飲食店、バイク屋は日曜日も営業している。それと墓石屋。土日に納骨が集中している。平日だと、サラリーマンは有給休暇を取ってまで参加できないんだろう。要は、団員全員の行事に、初めから参加できない団員が生じる事なんだと思う。

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(13)平成14年2月18日(月) 晴れ 人気が無いなぁ

 消防団の団員構成を見ていると、年々団員数が減少している。高齢化が進み、自営業団員とサラリーマン団員の比率が逆転してきた。その中で、女性団員が増加しているという。
 このまま将来像を描くと、50歳のサラリーマンが消防団を構成することになる。
日中は会社に行っているので不在。夜だって何時帰宅するか分らない状況。女性が増え、アットホームな雰囲気が強くなり、救護・救急の活動がメインになる。
 消防団ってそんなに人気がないのかなぁ。
地方では必要不可欠の消防団も、都市型消防団は人気が無い事より、必要性に問題があるんぢゃないかな。

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(12)平成14年1月30日(水) 晴れ  引退試合

 団員の意識の中に、今年のポンプ操法が芽生え始めた。昨年の屈辱を晴すべく、優勝旅行の話しから持上がったのは第7分団らしい。
 さて、昨年指揮者の任にあたったが、最後の選手のつもりでいた。40歳半ばで選手というのも如何なものか?一昨年指揮者を努めた団員が、不慮の事故で大けがをした。3ヶ月の入院生活、3度の手術。仕事に復帰するまで1年7ヶ月を要した。未だリハビリ中で選手どころではない。
 そうなると、自分が続投ということになるか。正直やりたい気持と、もう限界だよと言う気持が錯綜している。消防団員生活で、選手を引退するときが一つの区切りだと思う。そう思うといつまでも選手でいたいものだ。しかし、いつまでも若いつもりでいても、体力の衰えは著しく、都大会ビデオを見て「ああすればいいんだ」と考えていても、体が付いていかないのが現実。
 選手生命を終えた団員はどうするべきか?良き指導者であるべきだろう。団員をまとめて行くべきだろう。指導が出来なくなり、団員をまとめきれなくなったときが、自分の潮時なんだろうな。
 今年が生涯最後の選手になるんだろうな。

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(11) 平成14年1月20日(日) 晴れ     [トレーナーはおやじの象徴?]


 ジャンパーに続いて、トレーナーを作ろうと言う案が2ヶ月以上前からある。 トレーナー制作には未だ結果が見えてこない。 タダで支給されるならまだしも、お金を回収して購入するのだから取りまとめは大変だ。 ジャンパーデザインを決めるために、何度も飲みに行き、気が付けばジャンパー代金以上の飲み代を払っていた。 トレーナー立案者は自分ではないので、今回はノータッチ。

 予想外の意見が若い団員から出た。 「トレーナーですか?」と制作に否定的なもの。 自分の普段着と言えば、ジャージにトレーナーという典型的なおやじスタイルである。 これが一番楽だと思っている。 外出の際は、ジャージをジーパンに履き替えて準備完了。 ジャンパーよりずっと利用価値が高いと思っていた。 若い年代は、パジャマ代わりにしかならないのだという。 トレーナーがパジャマ代わりとは、おじさんには理解できない。

 分団員の多くは未だに作業帽に未練を持っている。 アポロキャップに馴染めないで苦悩している。 それを裏付けるかのような企画案が浮上した。 それは「法被」制作である。 地方の消防団ホームページに、法被姿の消防団員がよく登場している。 「あれ、格好イイ!」と我々は考えている。 嗜好の違いはあれ、法被とアポロキャップはやはり相反する時代背景を感じざるを得ない。

 今のところ法被が完成に至る可能性は薄いが、襟に「豊島消防團」と「第七分團」、背中に「豊七」をいれ、膝下まである長半天。 消防カラーのオレンジを採り入れたデザインにする。これだけで話は深夜まで盛り上がる。 今の勢いなら、本当に作ってしまいそうだ。
 でもさっ、いつ着ようか?


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(10) 平成14年1月17日(木) 晴れ       [障害]

 事務所に夜遅くまでいるとき。 日々追われる煩雑な作業をしている。 日中は人と会って打ち合わせをし、夜は事務作業になる。 9時、10時を過ぎても終了しない事は日常茶飯だが、最近は「仕事をしている」と思われず、「ホームページを作っている」と思われているようだ。
 ホームページは作ってみたものの、維持・更新にこれほどの手間暇を要するとは想像もしていなかった。更新作業が深夜2時に及ぶことは当たり前で、これが続くと仕事にも影響が出る。
 仕事なら邪魔になると思ってくれていた団員も、ホームページ作りと思えば励ましも含め(?)立ち寄って来る。 分団員もよくホームページを見てくれているのだ。

 団員が来ると「しばし休憩」と思い手を休めるが、電気がついているのを見た会社帰りの別の団員も事務所に入ってくる。 団活動に話が発展し「ちょっと一杯」ということになると、本日の総ての業務が中止と言う結果になる。 「あとちょっと」と言う事は許されない。 即刻中断である。 ホームページの更新作業が遅れるだけで、団員の親睦が深まるのだから仕方ないか。
 問題は、本当に仕事中(?)のときである。 明日までに準備する書類作成、査定書作成、数字の集計作業をしているなどの時は辛いんだ。

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(9)
 平成14年1月16日(水) 小雨     [前野町の火災]

 14日成人式の朝、東京都板橋区前野町で火災があった。掲示板に投稿してくれている志村消防団第4分団の地域であった。成人式の休日、テレビのニュースで志村4団員が複数名映し出されていた。
 これまで、他地域の火災で活動する人々云々について考えたことが無かったが、ホームページに登場してくれていたメンバーであったことは感慨深かった。
 特別区消防団の場合、消防署員と装備が違うので消火活動にも制約がある。残念ながら、最前線で消火活動する事は難しい。歯がゆい思いもする。


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(8) 平成14年1月11日(金) 晴れ     [本団員]

 
ある新年会で、本団員と飲む機会があった。
 豊島消防団の中で、分団間の交流は薄いが、本団となると更に薄い。そもそも第7分団員のOBが本団に入った記憶は、昨年鈴木敏彦氏が入団する以前は20年以上ブランクがあった。だから、第7分団員にとって、本団という組織への認識はほとんど無かった。
 本団員と接触する機会が少ないと、他の分団の様子は伝わってこない。話すほど第7分団は井の中の蛙であるような気がしてきた。本団員は10名以上籍があるのに、第7分団OBが数十年不在であったとは・・・・。
 2名の本団員と話したが、両名とも第5分団のOBである。第5分団と言えば先の東京都ポンプ操法大会で優勝した第6分団といつも優勝を争っている。レベルの高さを、「選手が若いから」と考えていたが、実は熱血指導があったからだと分った。ポンプ操法に関する話は、両名とも熱かった。飲めや歌えやの会合はご免だが、楽しい新年会であった。

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(7) 平成14年1月10日(木) 晴れ     [自覚を持とうよ]

 6日、今年も「例年通り」の始式に参加した。
まさに「例年通り」と言う言葉以外の何物でもないように思うのだが、式典会場で思うことは、「どうして毎年同じ注意を受けなければならないのか」ということ。制帽は深くかぶり、名前を呼ばれたら大声で「はいっ!」と返事をする事。着席時、手は軽く拳を握り膝の上、云々。
 分かっちゃいるが、その通り出来ない団員が居るから檄が飛ぶのだ。注意を受ける内容はいつも初歩的な事に終始している。内容を把握していない団員には、分団幹部が指導すべきであろう。幹部も一緒に檄を飛ばされていて何とも思わないのが不思議である。
 始式が終わり、各分団員が会場を後にする。その後ろ姿は、勇姿という言葉からはほど遠い。会場のサンシャイン60ビルの警備員の方が凛として見えたのは私だけなのだろうか。

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