活動記録2004

(2004年12月最後の週)
12月31日の午後12時に書き終えました。
ちょっと気の抜けた年末でした。
風邪は完治し、元気に新年を迎えられそうです。

毎年恒例になった塩野さんのローマ人の物語も読みました。

■久しぶりの休日は情報整理(2004年12月26日)
この2か月、土日にいつも何かがあり、休めたことがありませんでした。
今日は久しぶりの完全休暇でした。
女房は谷篤さんのコンサートに出かけましたが、
娘たちが大掃除を始めましたので、私も少し資料や書籍などの整理を始めました。
3年前の転居以来、まだ完全な整理は終わっておらずに、極めて狭い書庫に山積みなのです。
ですから調べ物の際には半日資料探しで終わることもあります。
何回か整理に取り組んだのですが、あまりの山積みに途中で挫折してしまいます。
今回も書類整理はすぐに諦めました。きっと近いうちに一括して処分することになるでしょう。
能力以上の資料を溜めこんではいけません。
情報整理は本当に難しいです。

20年前くらいからはワープロが導入されましたが、
最初の機種は5インチのフロッピーでしたから、今は取り出すのが難しいです。
その後、マックにしましたが、これがまた今では取り出しようがありません。
ウィンドウズに切り替えてからは、電子データは管理しやすくなりましたが、それでもまだ整理体系ができません。

会社時代の私は情報整理が大好きで、スクラップや雑誌記事も独自の仕組みで整理していました。
当時はかなりの情報がわりと簡単に引っ張り出せました。
パソコンのない時代でしたが、独自のコードとインデックスブックを手作りし、それを基本に私自身の情報体系ができていたのです。
会社ではトップへの情報提供が私の仕事のひとつだったのですが、その独自の情報バンクはかなりの威力を発揮しました。
それを体系化したいと思ったこともありますが、
そのうちに、ワープロやパソコンを使うようになって、これはすごいと思い、新たな体系作りをしたかったのですが、
情報機器の進化の速さについていけなかったのです。
そのため、逆に私の情報体系が混乱してしまい、今はまったくの放置状態です。
なんとかまた再構築したいのですが、無理のようです。

今日はそんなことを考えながら、少しだけ枠組みの整理をしました。
どなたか情報整理に関するソフトをお使いでしたら、様子を教えてください。

■コムケア基金への寄付(2004年12月27日)
コムケア活動ではコムケア基金を構想しています。
すでにこれまでも何回か試験的に発表したり、寄付を募ったりしています。
しかし、私自身が及び腰ですので、なかなか動き出せずにいます。
にもかかわらず、1万円の寄付がありました。
コムケア活動を支援してくださっている間野さんからです。
間野さんの寄付はこれで2回目です。

これで腹を決めねばならなくいなりました。
来年から本格的に動き出そうと思います。
いよいよコムケア活動の最終ビジョンに向けてのスタートです。
年が明けたら、コムケアのホームページに呼びかけをすることにしました。
これに関しては、コムケアのブログにメッセージを載せています。
関心のある人はお読みください。
新しい結いの実現がビジョンです。
同志を探しています。

■美野里町の沼田和美さんが社会福祉協議会に転籍(2004年12月27日)
私を美野里町に巻き込んだ沼田さんが、社会福祉協議会の事務局長に転籍されました。
沼田さんはこれまで住民主役のまちづくりの実現に取り組んでこられた方です。
そして、この数年は美野里町の合併問題に取り組まれていたのです。
ここでも報告してきたように、沼田さんの努力にも関わらず、美野里町の合併は破綻してしまいました。

美野里町の若い職員たちから驚きのメールが入ってきました。
きっと意外な人事だったのでしょう。
自治体行政の中心課題は、いまや福祉と環境です。
それも行政主導の福祉や環境ではなく、住民やNPOと一緒になっての大きな福祉・環境活動です。
そう考えている私にとっては、意外どころかとてもうれしい人事です。
この分野で、沼田さんはまた新しい風を起こしてくれるかもしれません。

ちなみに美野里町の社会福祉協議会にはもう一人有名人がいます。
石川美恵子さんです。
以前このコーナーで2回ほど紹介させてもらいましたが、
先日は読売新聞で活躍ぶりが大きく取り上げられていました。お読みください。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/sasaeru/20041102sq31.htm

■藏田正章さんからの手作り野菜便(2004年12月27日)
福岡県に転居して、悠々自適の晴耕雨読生活をエンジョイされている蔵田正章さんから自慢の作品が届きました。
手作り野菜です。
義祖母の野菜便はなくなりましたが、
我が家はとても幸せなことに、いろいろな人から野菜が届くのですが、藏田さんからのは驚くほど立派です。
凝り性の藏田さんの性格が出ています。
ネギ、里芋、大根、かぶ、人参、ほうれん草、小松菜、じゃがいもなどがぎっしりと大きな箱につまってきました。
藏田さんからのメールも届きました。

相次ぐ台風で3度種蒔きをした冬野菜が食べれるようになりました。
原始農法で作った野菜なので、店頭の野菜のように器量は良くありませんが、味は「野菜らしさ」があります。
知人にも菜園を開放していますが、「趣味で作った野菜」となかなか好評のようです。
佐藤さんにも試食して頂きたくて、今日、クロネコで少し送らせていただきました。
まだまだ、キャベツ、ブロッコリー等沢山の野菜を入れたかったのですが、
最近、行政と付き合っているためか箱に中身を合わせる習性がつき、それに従いました。

最後のところには、いろいろな意味が含まれています。

藏田さんとは仕事の関係でお付き合いが始まり、とてもお世話になりました。
定年退職後、郷里の福岡県の椎田町に戻られたのです。
見事な人生の切り替えで、その後は、地域活動をする傍ら、農作業を楽しんでいるようです。
藏田さんらしい生活を楽しまれているのが、見事な野菜から伝わってきます。

早速、今夜は野菜たっぷりの食事を楽しませてもらいました。

■ローマ人の物語13「最後の努力」(2004年12月28日)
毎年1冊ずつ刊行される塩野七生さんのローマ人の物語も13巻目になりました。
最近は年末に出るため、年末の2日間の読書が年末の恒例行事になりました。
13巻は「最後の努力」。ローマの再建に取り組んだ2人の皇帝の話です。
昨年の12巻は今の世界状況にあわせながら実に面白く読ませてもらいましたが、
今回は今の日本の構造改革の話と絶妙につながっており、また納得しながら読ませてもらいました。
今の日本の構造改革の行く末が見えてきます。

本の帯には、ローマが「ローマ」でなくなっていく、と書かれています。
昨今、よくあるビジョンのない改革の末路を思い出します。

「ローマ帝国はなぜ滅亡したか」という、魅力的な命題には魅了されていて、これまで気がつきませんでしたが、
この本を読んで、ローマは滅亡したのではなく、役割を終えて、次のかたちに発展させられたのだと思いました。
その主役はオリエントの神です。キリスト教といってもいいでしょう。
多神教としての寛容さを核にしていたギリシア世界が、
一神教のオリエント世界に主役の座を譲った舞台がローマ帝国だったことに気づきました。
ローマ帝国は、オリエント文明がヨーロッパに伝播していく過程だったのかもしれません。
それに成功して、ローマ帝国の舞台は不要になったのです。
それを支えたのが、ペルシアとエジプトだったのかもしれません。
ローマは南下してきたゲルマンに滅ぼされたという素朴な認識を持っていた私にとっては、解釈が反転したわけです。
ローマ人もゲルマン人も、すべては端役でしかなかったわけです。

ローマ帝国に組み込まれていたギリシア理念は、多様さの存在を評価する寛容さでした。
ローマは開かれた国家システムでした。
近代国家とは構造原理が全く違います。
構造を支えるものたちの装置だったのです。
ですからだれでもが市民権を獲得できたわけです。
ローマの主権者は、ローマ元老院ならびにローマ市民だったと塩野さんは書いています(59頁)。
ローマ皇帝は、ローマ市民中の第一人者としての元首であり、軍隊に支持されている意味での勝将だったといいます。
つまり、ローマ帝国の原型にはコモンズの発想がありました。
少なくとも当初は絶対君主ではなかったわけです。
現代の国家とはかなりちがうものでした。

その枠組みを変えたのが、ディオクレティアネスとコンスタンティネスだと塩野さんは言います。
つまり、そのローマシステムを変質させたわけです。
どう変えたかは、本書に具体的に書かれています。

生半可に書いていますが、もっと生半可に言えば、
個人起点の社会が、ローマの舞台を通して、組織起点・制度起点の社会へと切り替わったのが、ローマの物語だったのです。
それがいままた反転しようとしているわけです
その舞台はどこなのでしょうか。
18世紀からのアメリカが舞台だったのかもしれません。
そしていま、アメリカは役割を終えつつあるわけです。
私の歴史観にはぴったりです。
しかし、もしそうならば、まだ数百年はかかりそうです。
歴史の流れは個人の人生を超えています。
私は仕方なく、この末世を生きるしかないようです。いやはや。

現代の日本につなげて言えば、 分権と官僚化と財政赤字の連鎖が示唆に富んでいます。
ディオクレティアネスの構造改革路線は見事に失敗し、しかし思わぬ展開を引き出すわけですが、日本もそうかもしれません。
この行く末は私の生きている間にきっと確認できるでしょう。
塩野さんはこう書いています。

一見するだけならば、ディオクレティアヌスが再編成した後期のローマ帝国のほうが、
アウグストゥスによる「元首政」ローマよりも、組織体としてはより整然としており、ゆえにより合理的であるように見える。
ならば、機能面でも向上しなければならなかったはずです。

しかし、組織体としての進化は逆に衰亡への序曲だったのです。

12巻でも語られたキリスト教が、ミラノ勅令や二ケーア公会議の三位一体論争などを通して、
消滅もせずに世界の主役になっていく契機も語られています。
キリスト教は、コンスタンティネスにとっては「インストゥルメントゥム・レーム(支配の道具)」だったと塩野さんは語っています。
納得します。まさにその延長に現在の不幸があるのですが。

もう一つ是非読んでほしい文章があります。
ミラノ勅令の一部です。

「今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと他のどの宗教であろうと変わりなく、
各人は自身が良しとする宗教を信じ、それに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。
それがどの神であろうと、その至高の存在が、
帝国に住む人のすべてを恩恵と慈愛によって和解と融和に導いてくれることを願いつつ」。

塩野さんは、
「宗教を旗印にしては争いをやめない人々に、読ませてみたいとさえ思う」
と書いています。
同感です。

久しぶりに、ゆっくりと読書できました。
そして、いろいろと考えさせられました。

■雪の仕事納め(2004年12月29日)
今年の仕事納めは企業の仕事でした。
来年は飛躍するかもしれない企業の相談に乗っていますが、来年に向けてのグランドデザインの議論をしました。
その後、もう1社訪問する予定でした。
中小企業は役所のように、28日でお休みとはいかないのです。
わが社もそうですが。

ところが雪がどんどん降ってきたので、帰れなくなると悪いので、午後はキャンセルして帰宅しました。
これ以上、風邪をこじらせると死にかねません。
いや、これは冗談ですが、雪景色が好きな私としては帰宅したくなっただけです。
これがまた、中小企業のいいところです。
なにやら矛盾しためちゃくちゃな論理ですが。はい。

雪のなかを久しぶりに我が家のどら息子のちび太くんと散歩しました。
ところで、いつもは立ち止まりがちのちび太が、走ってばかりいるのです。
そこであることに気づきました。

「いぬは喜び庭駆け回り、猫はコタツでまるくなる」
という唱歌がありました。
あの犬は喜んでいたのではなくて、足が冷たくて走っていたのです。
ちび太は帰宅するなり、コタツに入り、丸くなっていました。

すみません。つまらない話でした。
こんなことをやっているので、今年は企業の仕事はあまり出来ませんでした。
企業の仕事をしないと、わがコンセプトワークショップは経営不振に陥るのです。
来年はがんばりましょう。

ちなみに昨年は12月26日が雪でした。

■東京ミレナリオと丸の内オアゾ(2004年12月30日)
女房が東京ミレナリオをみんなで見に行きたいといいだしました。
ついでに最近出来た丸の内オアゾで家族の忘年会の食事をしようということになりました。

まずはオアゾです。
私は最近のビル内の施設がどうも好きになれません。
もちろんビル街はもっと嫌いです。六本木ヒルズも汐留も違和感があります。
16年前までだったら、きっと違っていたでしょう。居心地がよかったかもしれません。
今はどうも脱落してしまい、気後れすら感じます。

オアゾには食事をするところがたくさんあると女房が聞いていたのですが、どうもぴったりするところがありません。
いいなと思うと混んでいるのです。
結局、小さなベトナム料理のお店での軽食になってしまいました。
一人780円のベトナム麺です。格安の忘年会になりました。
食事を済ませて、東京ミレナリオに行きました。
すごい行列です。なんと入口に着くまでに40分以上かかりました。
これほどの人が集まる東京はすごい都市です。

40分並んでの感想は、
「なんでこんなのを見るために40分も並んだのだろうか」というものです。
なんの感動もなければ、なんの美しさもない、ただの電飾だと言ったらいいすぎでしょうか。
入口からの展望は確かに美しさがありますが、もう少し工夫があってもいいように思います。
街並みや環境とは別に設えられているために、極めてちゃちなものになっているのでしょう。
貧相な街並みに、けばけばしい装飾がとってつけたように臨時に並べられたという感じです。
たったこれだけの仕掛けに、これだけの人が集まることに驚きを感じます。
まあ、私もその一人で、大げさにはやしたてるテレビに踊らされてしまったわけですが、もう来ることはないでしょう。
パンフレットには、「輝きとともに、新しい日欧交流」と書いてありますが、どこが交流なのかわかりませんでした。
昔のバブル時代はまだ生きています。
ここに来た人が100円ずつ寄付していく仕組みをつくったら、とても意義あるイベントになったでしょうに。

東京の街がどんどん壊れていく不安を改めて感じました。
なぜかモヘンジョダロを思い出しました。
東京はすでに廃墟になっているのかもしれません。気がついていないのは住民だけ。
大開発が進む東京に違和感を持っているのは、私だけでしょうか。
なにか大事な年末の1日を無駄にしてしまったようで、損をした気分で帰宅しました。
流行に流されてはいけません。

■寒い大晦日(2004年12月31日)
とうとう大晦日です。

池の金魚が死にました。急に寒くなったせいでしょうか。突然死です。
最後まで悲しい年でした、

午前中、女房につきあって、正月料理の食材の買出しに行きました。
父母が亡くなってから、正月の食卓もかなり簡単になってしまいました。
最近はおせちもセットになりがちで、食卓から個性がなくなってきました。
正月は温泉にでも行くかと女房と話すほどになりました。
さすがにそれは止めましたが。
こうして文化は途絶えていくのでしょうか。

スーパーは開店早々に行ったにもかかわらず、すごい人です。
不況だからでしょうか、好況だからでしょうか。
最近は元日から開店しているお店も少なくありませんから、買いだめる必要はないのですが、
年に1度の浪費は健全な習慣です。
まだまだ文化は残っていますね。安心しました。

それにしても今年の年末は緊張感がありませんでした。
宿題はいつものように、山ほどあるのですが、
明日への展望が確信できずに、意欲が起きません。
まあ、それは口実でしかないのかもしれませんが、気が起きないのです。
それに今日の我孫子はとても寒いです。
金魚が心臓麻痺を起こすくらいですから。
こたつで、福沢諭吉の「分権論」でも読みましょう。

今年の週間記録もこれで終わりです。
冗長な記録をお読みいただいたことを感謝します。
またいろいろなメールや電話をいただいた方々に感謝します。
時折のみなさんの反応がなければ、こうは書き続けられません。
ありがとうございます。

来年はオープンサロンも再開します
よろしければぜひ遊びに来てください。
お会いできるのを楽しみにしています。


(2004年12月第4週)
年末は本当に思わぬことが多いです。
今月に入り、衝撃的な電話が2回もありましたが、もしかしたらと思っていたら、案の定、今週も衝撃的な電話がありました。本当に心臓によくないです。衝撃的な電話は、いつも極めて個人的な問題につながることが多いので、ここでは公開できませんが、ほとぼりが冷めた頃、関連したことにつなげて書き込むつもりです。
まあ、そんなわけで、今週もかなり熱くなってしまい、八つ当たりを受けた方もいます。ご本人はきっと気づいていないでしょうが。すみません。

■企業とNPOのサロン(2004年12月19日)
コムケア仲間のコミュニティアート・ふなばしが主催する「企業とNPOのサロン」に参加しました。
風邪でちょっと辛かったのですが、会場のコミュニティカフェ<ひなたぼっこ>にも一度行ってみたかったのと、
なによりも下山さんからお誘いを受けていたのです。

ひなたぼっこは、船橋駅からすぐ近くでした。とても良い空間です。
MDエコネットの山本さんの活動拠点でもあります。
運良く、ちばMDエコネットの理事長の山田晴子さんにもお会いできました。
そしてちばMDエコネットが企画したドキュメンタリー映画「ひなたぼっこ」の話もお聞きしました。
これについては、ぜひともちばMDエコネットのホームページをお読みください。

サロンの話はコミュニティアート・ふなばしのホームページをみてもらうとして、
ここでは感想を書きます。
驚いたのは高校生もしくは高校を卒業したばかりに人がかなりいたということです。
たとえば、参画を考える高校生と書いた名刺を渡してくれた山浦淋仁さんは東海大付属浦安高校の生徒です。
NPOライツに運営委員をやっています。
しっかりしたビジョンとプランを持っています。

山浦さんと話していたら、できたてのNPOコパティのメンバーがやってきました。
副理事長の渡辺周一さんは松戸こども劇場の仲間たちと一緒に、あらたに活動をスタートさせることにしたといいます。
一番若いメンバーは19歳。みんなワクワクしているそうです。思いが伝わってきます。
愛媛の松山から出てきたという横田創さんは慶応大学の1年生ですが、すでにNGOラドゥガの発起人の一人です。
ウクライナとの交流です。
将来は社会教育の問題に取り組みたいと考えています。
これらはほんの一例です。
風邪のため、端っこで静かに話を聞いていたかったのですが、
次々と来る若者たちの話についつい乗せられて、かなり話してしまい、治りかけの喉がまたおかしくなってしまいました。

NEET問題に取り組んでいる育ち上げネットの安田さんにも会いました。
コムケアセンターの橋本さんや住友生命の渡辺さんも参加していました。
こういう若者たちは、社会のほんの一部なのでしょうか、それとも増えているのでしょうか。
私のつき会っている若者たちは特殊だという友人が多いのですが、そういう人にもぜひ参加してほしいものです。

このサロンの目標は「市民活動シーンの次の10年を育てる」ことだと下山さんはいいます。
確かにあるシーンは垣間見えます。
しかし、それが良いかどうかは、にわかには決め兼ねます。
会場ではとても元気が出ていたのですが、やはり帰路についたらドサッと疲れました。
さて明日は休めるでしょうか。

■美野里町は動かなくなりました(2004年12月20日)
実はちょっと美野里町の魅力があやしくなっているのです。
魅力が失せると無理をしてでも行こうと言う気が出ずに、ついつい足が遠のきます。
最近は、井出さんや大月さんにお願いして、私自身は月に1度くらいしか行っていません。
先週のまちづくり組織条例調査会も井出さんに任せて、私は不参加でした。
しかし、その議事録を読むとうれしくなります。
とてもいい議論がなされているようです。

しかし、です。
問題があります。
クライアントが企業の場合とは違いますので、隠すことはないでしょう。
まず、相変わらずの市町村合併の話が決着していないのです。
馬鹿げた話ですが、ビジョンも理念もなく霞ヶ関のお金に目がくらんだ自治体の首長や議員と
霞ヶ関に忠誠を尽くそうとする県庁の小役人とで演じられている合併話は今もって、各地で決着していないのです。
残念ながら私が関わってきた美野里町も山形市も、その渦中にあります。
もちろん崩壊にむけての、です。
そのため、住民たちの議論が進む一方で、役場での議論がなかなか進まないのです。

今日は関係者での打ち合わせを開きましたが、元気が出ません。
しかし、まあ住民側の基本的な考え方が決まったので、それを条文化することにしました。
それによって、行政としてしっかり議論しなければいけない問題点が具体化するでしょうから、それを行政に提案することにしました。
どうも私が一番嫌いな、コンサルタント主導のスタイルになってきているのがとても気になっています。
どうも美野里町への魅力が失せてきています。
困ったものです。

■懐かしい「現代の理論」の復刊(2004年12月21日)
川本兼さんの「新日本憲法」はとても良い本です。
少し周辺に配ろうと思い、出版社の明石書店にまとめ買いに行きました。
明石書店は湯島のオフィスのすぐ近くなのです。
担当者がいなくて、ちょっと手間取っていたら、
営業部の人が私に久しく休刊となっていた「現代の理論」を当社で復刊すると話してくれました。
立ち話の雑談で私が平和や憲法に関心を持っていることを察しての話です。

「現代の理論」とは、まあ、団塊の世代とその少し前の世代には思い入れのある雑誌です。
いち早く現代文明への異議申し立てをしていた雑誌です。
私は特に愛読したわけではありませんし、大学時代はちょうど休刊していて、会社に入ってから読んだ記憶しかありません。
間違っているかもしれませんが。
ちなみに私がこの種の雑誌を一番読んだのは、会社に入社してからの15年間です。
会社の現実のショックと大学時代の不勉強の反省からです。
そんな本を読みながら、良く仕事ができたものだと思いますが、当時はまだ余裕があったのでしょう。
それに職場が企画調査の仕事でしたから、必要だったともいえます。今では考えられないですが。

営業の人が私に1冊渡してくれました。
貰えるのかなと思ってお礼を行ったら、どうやらそうではなくて、買う羽目になってしまいました。
さすが営業のプロは違います。感心しました。
まあ、そんなわけで、復刊された「現代の理論」を読むことになったのですが、
懐かしさはあるものの、やはりこれは時代の息吹を取り込んでいない懐古趣味だなと思いました。
やはり新しい思潮は終わった世代ではなく、生まれだした若者たちがつくっていくのだということを痛感しました。
先日の高校生たちの熱気に満ちた場に、この著者たちを参加させたい気分がしました。

でもまあ、定年退職されて暇な方はぜひお読みください。
もしかしたら青春を思い出しますよ。

■衝撃的な電話第3弾(2004年12月21日)
今日は4人(組)の人に会う予定でした。
年末にはいろいろな人が会いに来てくれますが、そればかりではありません。
今日の4人はそれぞれに年内に解決しておきたい問題を抱えている人たちでした。
拡散的な生活をしていると、実にさまざまな問題に直面するのです。
まだ風邪も完治していないので、ちょっと重い気分で出かけました。
午前中は、それなりに問題はうまく解決し、気分もかなり和らぎました。
2人目も気持ちよく話ができ、安堵しました。
話せばすべてうまく解決するものです。
しかし、その後に問題が起こりました。
また衝撃的な電話がかかってきたのです。

後半の予定をキャンセルして、その人と会うことにしました。
かなり生々しい話なので、ここでの紹介はやめますが、
これまでの2つの衝撃と同じく、自らが望まない理由によって人生が変わる話です。
世の中は不条理のことが多すぎます。

私は全くの部外者ですので、その問題をここで開示するわけにはいきませんが、憤りと同時にさびしさを感じる事件です。
その関係者は私の知っている人たちなのです。
あまり書くと内容が伝わりますね。

それにしても、今年の年末はどうしてこうも衝撃的な事件が多いのでしょうか。
そういえば、一昨日、友人からも似たようなメールが届きました。
彼の場合は、その「衝撃的な事件」が自らの生活に直接的な影響を与え、一時期、社会嫌いになったようです。
最近全く連絡がなく、気になっていたのですが、連絡がないのはそれなりに理由があるものです。
その衝撃的な事件の当事者の一人も、私が知っている人です。
世界は広いほうがいいと私は思ってきましたが、どうもそうではないようです。

■オープンサロンを再開します(2004年12月22日)
今日は私にとって、とてもいい日でした。
女房の定期検査結果が無事パスだったのです。
これでまた来年の設計ができます。
もっとも最近は女房よりも、私のほうが問題かもしれません。

オープンサロンを再開しようと思います。
お知らせのコーナーで年初にご案内します。
今度は予告ではなく、きっちりと。

■年賀状が届き始めました(2004年12月23日)
不思議なことに年賀状が届き始めました。
まあ、毎年、数通は年内に届くのです。
なかには年末に配達されることを半ば意図しているような内容のものもありますが、
なぜか年賀はがきを使用し、しかも年内に届いてしまいました。手続きミスでしょうか。

私は昨年から年賀状を、メールをやっていない人だけにしました。
年賀状交換していた全体の1割くらいです。
メールはかなり普及していることがわかります。
もっともなかにはアドレスを持っていても、ほとんど見ない人もいるようなのですが。

今年は年内には年賀状を出すのをやめることにしました。
女房と連名での年賀状は、そうは行きませんが、これは女房に任せて写真版にしました。
昨年の実績で言えば、それでもメールアドレスを知らない人が200人近くいます。
なかにはメールを始めた人もきっといるでしょうから、実際には100人くらいでしょう。
100人くらいであれば、いただいた年賀状を読んで、その返事を手書きで出すことも可能でしょう。
今年の年末は年賀状書きから完全に解放されました。
その代わり、三が日は大変になりそうですが。

メールをされている方への新年の挨拶は、そんなわけで、メールになりますので、お許しください。

■子育ち学リサーチ・ネットのNPO法人化(2004年12月24日)
子育ち学リサーチ・ネットに関しては、これまでも何回か書いてきましたが、 いよいよNPO法人にすることになり、
代表の小木美代子さん(日本福祉大学教授)と立柳聡さん(福島県立医大講師)と意見交換させてもらいました。
私自身は、実はちょっと異質な存在です。
事務局をやっていた深作拓郎さんとの関係で、公開フォーラムにパネリストで参加したのですが、
そのままつながってしまい、今回もNPOの理事を引き受けることになってしまいました。
また、その会で行う2月20日の公開フォーラムにも参加します。
このフォーラムは毎年、参加していますが、面白いです。
また、このホームページでもご案内します。

子育ち学リサーチ・ネットが目指しているのは、事業型NPOです。
いま、子育ち環境は必ずしも順風ではありません。
少子化対策でもっと真剣に考えられていいはずですが、
一方では思想のない財政改革で、各地の学童保育や児童館の予算は減少しているようです。
そういう意味では、思いをもったメンバーの多い、このネットワークの出番と言って良いでしょう。
小木さんは既に名古屋で「あいち・子どもNPOセンター」を立ち上げ、着実に活動を展開しています。

子育ち学リサーチ・ネットのオフィスをコムケアセンターと同じ場所に置く方向で検討しています。
正確に言えば、インキュベーションハウスのアソシエイツメンバーという形にありますが、
このオフィスをNPOやソーシャル・アントレプレナーの溜まり場にしたいのです。
まだ4団体くらいを募集しています。
ご関心のある方はご連絡下さい。
ぜひとも面白いコモンズ空間にしたいと思っています。
これについては、お願いのコーナーをご参照下さい。

子育ての分野には、私も3つの接点があります。
まず全国私立保育園連盟です。
ここのある委員会に参加していました
2月8日に神戸でその関係のシンポジウムを開催します。またご案内します。
2つ目はエスクです。
エスクはファミリーサポートの仕組みのモデルとなったところです。
代表の名木純子さんはすごい人です。
3つ目がNPOです。いくつかのNPOとの接点があります。
これらは、それぞれに違うのです。
そして、子育ち学の活動は、またちょっと違います。

しかし、子どもや社会の視点に立てば、いずれも同じものです。
もっと連携しなければいけません。
そんな事を来年は少し考えたいと思っています。
たまたま生命保険協会が来年から子育て支援のプログラムを始めるそうなので、働きかけてみようと思っています。

■78歳の稲村政美さんはますます元気です(2004年12月24日)
稲村さんは千葉の館山に住んでいます。
時々やってきて、大構想を披露してくれます。
1年に1回は、それに付き合わなければいけません。
いささか辟易していますが、なにしろ私よりも一回り以上先輩ですので。

稲村さんの国民賛歌構想は一度書きました。今回もまたその話です。
私には全くそぐわない話ですが、会社を創ってくれないかというのです。
よりによって国家嫌いの私に、です。そこで激論になってしまいました。
それで、治りかけていた咽喉がまたおかしくなってしまいました。
それくらい議論してしまいました。かなり過激な議論です。しかも2時間。
私は「軽くいなす」という事ができない人間なのです。
特に失敗の可能性の多いプロジェクトほど、正面から議論したくなるのです。
横で聞いていたら、なんとまあ馬鹿げた議論をしていることかと呆れられたでしょう。困ったものです。

稲村さんはアイデアマンなのですが、あまりに話が広がりすぎて、失敗が多いのです。
しかし78歳になっても、なお夢を追い続ける稲村さんには感心します。
人生はまだこれから、これから大きな仕事を成し遂げると断言しています。
成功したら、私にこれまでの相談料を払ってくれるそうです。
期待していいでしょうか。

誇大妄想の夢を語る稲村さんにご関心のある方がいたら、私の代わりに次回は話を聞いてやってくれませんか。
これもまた社会活動なのです。いやはや、疲れます。

■谷和原村の城山を考える会(2004年12月25日)
クリスマスなのに、谷和原村からお声がかかりました。
断りたかったのですが、相手が住民では断るに断れません。
風邪が完治せずに、疲れた身体で出かけました。
まあ、病院に行くよりはいいですから。
家にいると女房が病院に検査に行けとうるさいのです。

谷和原村は来年8月に常磐新線が開通し、都心と直結します。
秋葉原まで45分です。
10年後にはきっと様変わるでしょう。
その新線駅の近くにまだ自然が残っている台地と谷津田があります。
ここはおそらく大きな地域資源になっていくでしょう。
どう活かしていくかで谷和原村の未来が変わるかもしれない重要な地域です。

そこをどう活かしていくか。
住民も参加して3年前に立派な構想や計画はできました。
しかし、その後の状況変化で、計画は全く動き出しませんでした。
このままだと構想は絵に描いた餅になりかねません。
そこで住民有志に働きかけて、自分たちの問題として主体的に活動していく住民組織を育てたいと村役場が考えたのです。
そして、国土交通省の地域振興アドバイザーを引き受けている私に依頼が来ました。
昨年、試験的に私が参加しました。
2回ほど参加した様子を見て、国土交通省も地域振興アドバイザーの事務局も、
まだ基盤ができていないので無理ではないかと考えたようです。
私もそう思いました。
なにしろアドバイザー役の私が会議の進行もしなければいけない状況でしたので。
事務局からどうするかと相談がありました。
しかし、失敗の可能性が多いとなるとやりたくなるのが私の悪いくせです。
引き続き私が一人で対応することにさせてもらいました。少し異例のケースなのですが。
そして今日、3回目の集まりに参加しました。

ところがです。
今日は話が盛り上がって、会が発足してしまったのです。
会長も副会長も会計も決まり、参加した人は全員幹事になることになりました。
その上、入会金まで決定したのです。
そのすべてが住民たち自身で言いだし、自分たちで決めたのです。
私はちょっとしたたたき台を説明し議論の整理をしただけです。
私のたたき台は、むしろ否定されました。
当事者以外の人の提案を否定して、自分たちで納得できる計画をつくるのはとてもいいことです。
うまくいくかもしれません。
あまりの展開に役場の担当者が驚くほどです。
しかも2月には公開フォーラムまでやるのです。

前回までの議論は何だったのでしょうか。
みんな意見も違い、自発的に手を上げる勢いを感じなかったのですが、
そして、今日も会議の始まりは否定的な反応もあったのですが、
一挙に急展開です。
前回まではかみ合わなかった議論が一挙にかみ合い出したのです。
機が熟すとはこういうことなのですね。

行政に依存せずに、自分たちでやろうという雰囲気がすごく強く感じられたのがうれしいです。
しかも、行政側もまた住民として参加するというのです。
谷和原村の新しい歴史が始まりだすかもしれません。
無理して出かけて、本当によかったです。



(2004年12月第3週)
出会いと別れの多い1週間でした。
風邪をこじらせて、週末はいささか悲惨でした。

■super College of Tokyo(2004年12月12日)
日本構想学会の大会の2日目のラウンドテーブルセッションはsuper College of Tokyoがテーマでした。
以前ご紹介した最学構想創業研究会のこれまでのまとめを発表し、議論しました。
目標とする学びの場の名称がsuper College of Tokyoと決まったのです。
研究会代表の半田さんの構想もかなり磨きがかかり、具体性が見えてきました。

基本概念はラーナーズ・コレクティブです。
つまり、学びたい人がお金を出しあって、自分たちの学びを実現する場を構築していく仕組みです。
たとえば、現在の大学に飽きたらない学生が100人集まって、1年間、学費(100万円として)を出しあえば、1億円集まります。
それで自分たちで話し合って、ゲストを招き、現場に出かけて行くわけです。
1億円あれば、かなりのことができるはずです。
問題がないわけではありませんが、求心力となるテーマやコンセプトはある程度まとまりつつあります。

私の発想にはぴったりの枠組みですが、
ワーカーズ・コレクティブでも実現は難しいですから、ラーナーズ・コレクティブはさらに難しいでしょう。

半田さんと私とは発想の方向もコアバリューも全く違います。
しかし、全く違うということは往々にして近似しているのです。
半田さんは構想から考えますが、私は構想に向けて考えます。
私は概念の起点から考えますが、半田さんは概念の現象から考えます。
議論すると必ずと言っていいほど、埋めがたい溝を感じます。
しかしだからこそ共感でき、関心が持てるのです。
実はこの構造は杉本泰治さんにもいつも感ずることなのですが。

半田さんは、コミュニケーションとは違いを認識することだといいます。
私は、その先をコミュニケーションと考えるのですが、違いのある人との話は刺激的です。
とても難しいのですが。

このセッションで、久しぶりに加藤誠也さんと会いました。
三浦さんと小山石さんの話がでました。
後でわかるのですが、この時にはすでに三浦さんは、どこかで私たちの話を聞いていたような気がします。

■意識学(ホリスティック・スタディズ)と楠宏太郎さん(2004年12月13日)
「人材教育」と言う雑誌に載った、私のファシリテーションに関するインタビュー記事を読んで訪ねてきてくれたのが楠さんです。
社会経済生産性本部の研修コーディネータです。

楠さんは米国に留学されて、最近、戻られたのですが、留学のテーマは、Holistic studiesだそうです。
不勉強にして、Holistic studiesなるものを知らなかったのですが、あえて訳すと意識学というのだそうです。
そうしたアプローチがしっかりしたディスプリントして存在を確立していることを知って驚きました。
楠さんは、こうした分野での研修事業やコンサルティング事業に取り組もうとされています。

楠さんとの話が、Holistic studiesという言葉から始まったせいか、その言葉に魅了されて、
その時は気づかなかったのですが、これはまさに私の関心事につながっています。
いま、この記事を書きだして、漸くそれらの脈絡に気づくことができました。
話している時に気づかないとは、どうやら脳のシナプスがどこかで切れてしまっているようです。
最近、私の脳はかなりおかしくなってきています。

ホリスティックの概念を私が最初に学んだのは、1980年代の地域主義の動きの時だったと思います。
次の出会いは中村桂子さんをお訪ねした時です。ホリスティック医療という発想を教えてもらいました。
その後、出会ったのが、ホロニックです。
そして清水博さんのホロン概念にも出会いました。
そうした中で、私のテーマは「コモンズの回復」になっていったのです。
しかし、ここしばらく、そうしたことを忘れていました。

1979年にコルドバ・シンポジウムというのが開催されました。
科学と意識の統合を目指す国際会議でした。
その後、1984年に筑波で、それを受けたかどうかわかりませんが、同じような姿勢での国際会議がありました。
私はそれらの記録を読んだだけですが、難解ながらも実に示唆に富む論点がたくさんありました。
そういえば、こうした分野のインストラクターの友人もいます。
カリフォルニア在住の小松さんです。
ヒンズー教をベースにしたホリスティック研修を主催されています。
私も誘われましたが、どうも受講する気になれずに、未体験です。
とまあ、書きだすといくらでも出てきますが、最近はこの世界にはご無沙汰でした。
楠さんのおかげで記憶と関心が甦りました。

来年は少しまたこの分野に入ろうかと思います。
楽しみです。

■インキュベーションハウス総寄り合い(2004年12月13日)
久しぶりのインキュベーションハウスの総寄り合いです。
今回からアソシエイツの田辺大さんにも参加してもらいました。
税理士の外崎さんが参加したので、経営をしていない社長である私が厳しくとがめられるだろうなと心配していたのですが、
参加者みんながあまりに能天気に緊張感のない話をしているのに呆れたのか、外崎さんも呆れたようで怒られずにホッとしました。
しかし、最後にもう少しがんばらないと引責留任から逃れられないと言われました。いやはや。

菅野さんが、こういうスタイルの会社はやはり難しいですねとしみじみ言ったのも印象的でした。
彼は今、勉学に目覚め、改めて経営を学ぶために大学院に通いだしているのです。
菅野さんといえば、もう20年の付き合いになるそうです。
仕事でご一緒した記憶はないのですが、なぜか付き合いが続き、私の道楽にいつも快く対応してくれるのです。
愛すべき若者も、いまや頼れる私の応援団です。
感謝しなければいけません。

平田さんは今、忙しいようですが、この人は忙しくても常に余裕のある人です。
今回もまた弥生期には芋の水田があったとか、韓国の焼畑は日本の占領時代から始まったとかいうレクチャをしてくれました。
平田さんの世界は、いつも魅惑的です。もちろん最近のCIの仕事の話も出ました。

宮部さんからは大きな囲炉裏端構想の話が紹介されました。
これは山形市の話にもつながるのですが、来年はきっと面白い展開になるでしょう。
インキュベーションハウスの仕事にできるかどうかは社長の腕の見せ所です。
社長と言うのは、かく言う私ですが、ちょっと頼りないのが心配です。

田辺さんからは社会起業家の話が少しありました。
外崎さんから厳しい質問もありましたが、田辺さんが参加してくれたので、インキュベーションハウスも活性化するかもしれません。
最近はみんなマンネリで、平和な村の寄り合いのようになってしまっていますから。

インキュベーションハウスでは新規社員を募集しています。
その気になれば、のっとり可能です。
どうですか、参加しませんか。
関心のある方はご連絡ください。
面接を通れば、即入社できます。
いまどき、そんな会社はそうはありませんよ。

■血圧が高くなる理由の捉え方(2004年12月14日)
ついに病院に行くことになりました。私が、です。
朝起きたら、のどが痛くて、風邪だと思ったのですが、女房に約束していたので病院に行かざるを得ませんでした。
風邪が理由ではなく、脳のCTです。
この1か月、後頭部がもやもやしていて頭痛がちで、
しかも先週の土曜日は話していて論理がまとまらないので、楽観主義者の私もいささか心配になってのです。

で、結論は動脈硬化が進んでいるが、まあ大丈夫でしょう、と言われました。
血圧が高いのですが、降圧剤を飲んだほうがいいともいわれました。
血圧は100〜150くらいなのです。
一度、医師から薬をもらったのですが、どうも飲む気になれず、ジンジャーティで治ると言われて飲んでいます。
しかし、なぜか まじめに飲まないので、血圧は下がりません。

私は人間の身体を信じています。
血圧が高くなるには高くなる必要があるからだと思うのが、私の基本姿勢です。
高くなる原因があると思うか、高くなる必要があると思うかで、対応はまったく違ってきます。
しかし、この論法で行くと、死もまた必要があるから死ぬわけで、まあ貫徹はできないのですが。
この議論はとても深いので、ここで展開するのはやめましょう。
もう少しつめてからでないと誤解されそうです。

年内は飲まずに、ジンジャーティで行きますが、それでだめなら薬です。
間に合うでしょうか。

■悔やまれる友の死(2004年12月14日)
先々週、衝撃的な電話の話を書きました。
書き込んだ翌日に消去したため、目にされなかった方も少なくないでしょうが、
電話を受けた後、判断力がなくなり、書き込んでしまったのです。
感情的な記事はできるだけ書かないようにしようと思ったのですが、これはぜひとも書いておきたいです。

三浦康英さんが心不全で急死しました。
56歳です。悔やまれて仕方がありません。
間に合わなかったのです。
彼とは30年くらいの付き合いでしょうか。
最初に会った時から、なんとなく心がつながった人でした。

私が愛した一人です。
最近はほとんど会ったことがないのですが、2週間ほど前に急に一緒に食事がしたいと連絡がありました。
ただその時は、仕事関係の話もあり、3人での食事になってしまったので、個人的な話はあまりできませんでした。
そろそろこっちのほうに来ないかと言いたかったのですが、言えませんでした。
「こっちのほう」とは、私のような生き方のことです。

彼はスウェーデンでヒッピー生活をした後、アルバイトで入ったODSに就職し、その会社のコアメンバーとして活躍していました。
この10年、私は彼に会うたびに「どんどん堕落していくね」と悪口を言っていました。
つまり彼は本物のビジネスプロフェッショナルになっていったのです。
人の痛みや文化の価値を知りながら、組織を背負うノブレス・オブリッジをしっかりともったビジネスマンです。
彼は、しかし物欲がほとんどない人でした。100%信頼できる人でした。

私が会社を辞めた時、彼は喫茶店に連れて行って、コーヒーをご馳走してくれました。
荏原製作所を辞めた人がやっていた喫茶店でした。
そして、佐藤さんがやれるのは喫茶店ですよ、と言ってくれました。
そのアドバイスを受けて、私の会社の定款には「喫茶店の経営」があげられています。

会社を辞めてからは仕事ではまったく接点はありませんでした。
趣味の世界でも接点は皆無でした。
しかし、いつも心に残る存在でした。
そしてはやくこちらに呼ばないと死に急ぐなと思っていました。
一昨日、加藤誠也さんと会った時にもそんな話をしたところでした。
その彼が逝ってしまいました。

この歳になると、人に死には悲しさではなく寂しさと安堵を感じます。
この1か月、どれほどの訃報を聞いたでしょうか。
しかし、三浦さんの死は寂しさよりも悲しさを感じます。
昨年の若い友人の加瀬達也の死と同じくらい、私には悲しいです。
私が愛する友人たちは、なぜかみんな生き急いでいるのが気になります。

■国際比較文化研究所の太田敬雄さん(2004年12月14日)
太田さんと久しぶりにゆっくりお話できました。
太田さんが取り組まれている榛名山麓みどりの大学構想がとても気になっていたのです。
これについては以前、簡単に書いたこともありますが、ホームページをご覧下さい。

太田さんは、学ぶ人の立場で大学を変えていきたいという思いで、この構想に取り組んでいるのです。
評論だけではなく、こうして実際に汗を出している人に出会うと本当に刺激を受けます。

たまたま、昨日、千葉のある老夫婦が10億円を日赤に寄付した話がテレビで話題になっていました。
なぜ日赤かと思いますが、できればこうした太田さんのような構想や半田さんの構想に寄付してもらえれば、
歴史は間違いなく変わるのですが、そうならないのが残念です。
コムケアでもせめて1億円もらえれば、流れが変えられます。
ミッションや思いのあるところに寄付は向けられてほしいものです。

太田さんとはほぼ同世代だと思うのですが、同じ世代の人と夢を語り合えるのはとてもうれしいです。
私が63歳になってもまだ何とか元気を出せるのは、まわりにこうした同世代人や先輩がいるからです。

半田さんの学びの構想と太田さんの大学構想の違いは、大学卒業の資格を保証するかどうかです。
それぞれに一長一短があります。
私はいずれにも魅力を感じましが、実は両者は同じ学びの場づくりを目指しながら、目的は全く違うのだろうと思います。
似ていますが、別のプロジェクトだということを今日、改めて実感しました。

太田さんは来年また、ひだまり交流会を開催してくださることになりました。
うれしいことです。

■コムケア仲間の忘年会(2004年12月14日)
12月のコムケアサロンは忘年会にしました。
ちょっと体調を崩しだしていたので、最初だけ顔を出して帰るつもりが、
あまりに話が面白くて最後までつきあってしまいました。
忘年会といっても、参加者の活動紹介というスタイルで、全員が話し終わったらもう9時半を回ってしまっていました。
コムケア仲間はいつも話す事がたくさんあるので、時間がいくらあっても足りません。

さまざまな話がでましたが、私にとってはどれもこれもみんな引き込まれそうになります。
みんな具体的な現場を背負っているからです。
現場で生きている人の話は、どんな場合も刺激的です。
コムケアの魅力に取り付かれると抜けられなくなるのです。

ユニバーサルデザイン生活者ネットワークの大矢野さんもやってきてくれました。
トステムとのコラボレーションのプロジェクトを契機に、
事業型NPOを志向しての活動を展開してきたのですが、それはそう生易しいものではないと話してくれました。
とても納得できる話です。
この半年で大矢野さんはたくさんの経験をされたようです。
年があけたら、大矢野さんを中心にして、事業型NPOを語る会を開く予定です。

みんなと話している時はよかったのですが、帰路についた途端に死ぬほどつらくなりました。
三浦さんのことがこたえたのかもしれません。

■誠実で出会いを大切にする根本賢二さん(2004年12月16日)
根本さんがやってきました。
一部の人は読んでいると思いますが、2週間前の衝撃の電話の主です。
その項目はあまりにプライベートすぎたので、翌日、削除させてもらいました。
私にはいつまでも記憶に残る電話ですので、ほとぼりが冷めた頃にこっそりと復活させておきたいと思いますが。

久しぶりに2人でゆっくりと話ました。
根本さんの人生にはいくつかの波乱万丈のドラマがあります。
今日は初めて、そのドラマを聞かせてもらいました。

根本さんの信条は3つです。
誠実であること、出会いを大事にすること、急がずに正確であること。
その信条を愚直に守られています。
ですからいまはきっと根本さんには生きづらい時代でしょう。
私もかなり似た信条を持っています。ですから根本さんのことがよくわかります。

根本さんは、私が仕事を頼まれた企業の総務部長だったのです。
もっとも、お付き合いはその仕事が終わってからです。
ゆっくりお話したのは、たぶん今回が2回目です。
しかし、信条が同じであれば、数十年来の知己のように心はつながります。

根本さんは、いま55歳ですが、新しい人生に向かってスタートしようとしています。
団塊の世代には、そうした人は決して少なくありません。
働き場のパラダイムが変わる中で、すべてのしわ寄せは働くものに重くのしかかっています。
経営者や財界人、あるいは政治家たちの無責任な姿勢には腹が立ちますが、
苦労を背負うのはいつも働く現場にいる人たちです。

しかし、誠実さは最大の財産です。
そして出会いを大事にすれば、必ず世界は開けていきます。
誠実さの価値が見失われ、出会いを大事にする姿勢がなくなってきている、昨今の風潮を残念に思います。
そんななかで、根本さんとの2時間の会話は、元気をくれました。
根本さんの再出発にエールを送りたいと思います。
同じような人たちにも、です。

■ローカルマニフェストを評価する(2004年12月17日)
今月の朝日ニュースター「よみがえれ ニッポン!」は、最近話題のローカルマニフェストがテーマです。
三重県知事だった北川正恭さんが全国に広げていこうと精力的に活動されています。
北川さんは出席できなかったのですが、北川さんの取材や9月のローカルマニフェスト検証大会の様子などを材料に話し合いました。
時間が不足するほどの面白い議論でした。
視聴者からの反応も多かったようです。

これは1時間半の生番組です。

北川さんの片腕として活躍した村尾信尚さん(現関西学院大学教授)と
三重でも活躍した中村元さん(江ノ島水族館アドバイザー)と私が、今回のコメンテーターです。
驚いたことに、村尾さんも中村さんもローカルマニフェストに批判的でした。
もちろん私はほとんど価値を見出していません。
また言葉の浪費かと、真面目に考える気にもならないのです。
こういう姿勢がよくないのでしょうが。

福沢諭吉の著書に、ファイナンスリテラシーの大切さが出て来るそうです。
彼は政権と治権を分けて考え、治権については名望家を中心にした分権論を唱えています。
そうした全体像がないままの技術論の導入は、有識者がよくやることですが、
その結果、この国の自治構造や政治構造はずたずたに壊されてきたのです。
大切なのは言葉ではなく、ビジョンと実体のある言葉です。
第一、マニフェストなどという言葉がわかりにくいです。
マーケットリサーチの世界ではかなり昔から使っていましたが。
そんな言葉を使うよりも、まずは公約をしっかり守る文化を回復するのが先決です。
公約を大事にしないで、何がマニフェストサイクルか、です。
まあ、こんなことを書き出すときりがありません。

今回は村尾さんのコメントがとてもよかったです。
私はいなくてもよかったです。
ただ、村尾さんにしても、国民を変えなければいけないといいます。
自らが変われば、まわりは変わるのです。
この点が、少しだけ不満です。

マニフェストなどという言葉に惑わされてはいけません。
数値で評価することは手段でしかありません。
大切なのは、ビジョン(目的)であり、約束を守ることなのです。
住民が主役になれないマニフェストサイクル(特に形成と評価の面で)はおそらく何も変えないでしょう。

今日は熱があったため、きつい1時間半でした。
また風邪をさらにこじらせてしまったようです。



(2004年12月第2週)
人を通して社会の実相は見えてきます。
年末のせいでしょうか、さまざまな実相が生起しています。

そちらに気を取られているせいか、仕事は全くうまくいきません。
そんななかで、疲れと失望のなかで思考停止に陥りつつあった自分に気がつきました。
ブログをまた毎日書きだしました。
今度は「時評」の姿勢です。


■大分の花竹農場からの便り(2004年12月5日)
大分県国見町で農業に取り組んでいる竹沢孝子さんから毎年の便りが届きました。
竹沢さんのことは以前も何回か紹介しましたが、
ご夫妻(パートナーは花崎雅博さんです)で農業をしたいと国見町に転居したのです。
その花竹農場(これは私が勝手に名づけている名前です)から、農作物の年間報告が届きました。
心を込め、手をかけた農産物の販売もしています。
竹沢さんの許可が取れたら、このホームページでもご案内します。
良かったら購入してください。
ご関心のある方は竹沢さんをご紹介します。

おかげさまで、私たちには各地のさまざまな手づくり食材が届きます。
郵送料のほうが高い場合もすくなくありません。
それはお金の問題ではなく、エネルギーの問題ですから、本当はあまり良いことではないかもしれません。
理想はやはり地産地消です。
エネルギー的・環境的には好ましくないかもしれませんが、
心のふれあいや人のつながりという点では、大きな意味があります。
このあたりに、これからの経済システムを考える大きなヒントがあるような気がします。

■我孫子市市民活動支援課青木章さん(2004年12月6日)
青木さんをお訪ねしました。
いろいろな我孫子市民から、市民活動に関するいろいろな話が来たので、一度、お会いしたくなったのです。
議会で忙しい時期だったのですが、お時間をもらい、意見交換させてもらいました。

これまでも書いていますが、我孫子市は市民活動支援に熱心です。
市長の思い入れが強いのです。
しかし、市長の思い入れが強いというのは、実は大きな落とし穴があります。
よほどしっかりした開かれた仕組みをつくっておかないと活動がおかしくなっていきがちです。
なにしろ市長は2年もすれば、必ず裸の王様になりますし、4年もすれば権力者になるからです。
そして例外なく、権力は腐敗します。
どんなにいいリーダーも、そこからは逃げられないでしょう。
それは個人の問題ではなく、仕組みの問題です。

最近、聞こえてくるのは行政ががんばりすぎてしまい、行政主導になっているという声です。
市民は勝手ですから、がんばらないと文句をいうし、がんばってもまた文句をいいます。
ですから行政は市民主役などはやりたくないですし、市民参加にも本気では取り組みたくはないのです。
権力者に集まってくる市民を参加させておくのが一番楽なのです。
これが多くの自治体の現実です。

我孫子市は、一歩踏み出そうとしたのです。
平成12年に、「我孫子市市民公益活動・市民事業支援方針」を策定しました。
そして、平成13年度には市民活動団体代表からなる準備会を中心に検討を進め、
我孫子市市民活動センターをオープンしたのです。
残念ながら、私は全くそうした動きには参加していません。
参加型まちづくりではなく、共創型まちづくりを重視する私としては、
その路線の価値は認められても、参加する気にはなれなかったのです。
さらに正直に言えば、その頃はまだ我孫子を終の棲家とは思えずに、転居を考えていたのです。

3年前から、少しずつ地元の活動に参加し、どうもうまく入れずにいます。
住民活動は理屈ではありません。
しっかりと時間を割いて、汗をかかなければいけません。
それができていないのです。恥ずかしい限りです。

青木さんとは、本音で、しかもストレートにお話をさせてもらいました。
特にコミュニティビジネス支援に関して意見交換させてもらいました。
かなり失礼な発言もしてしまったのですが、青木さんは柔軟に聴いてくれました。
住民とのざっくばらんな話し合いの場が大切なのですが、その仕組みづくりが難しいのでしょうね。
前にも書きましたが、住民の実体はなかなかつかめませんから。

今回を契機に、少し私も当事者として考え行動したいと思っています。

■山形市の共創プロジェクト再開(2004年12月7日)
山形市ではNPO支援のプログラムを、共創プロジェクトの一つとして取り組みだしています。
NPO立ち上げのための資金助成も行いだしました。
来年1月には、市内のNPOの交流会を開催することになりました。
それを契機に、新しい市民活動支援プロジェクトに取りかかります。
今日は、その基本方向について、市役所の共創係と意見交換しました。
基本的な合意が出来ました。うれしい限りです。

私の仕事に対する姿勢は、当然と言えば当然ですが、自らが納得できることです。
仕事だから自分の考えよりも発注者の意向を大事にすべきだという考えもありますが、私はその考えをとりません。
もちろん発注者の事情は大事にしますが。
ですから相手にとってはあんまりいいコンサルタントではないのです。
嫌われることも少なくありませんし、契約停止になることも少なくありません。
ですからコンセプトワークショップはいつも税理士の外崎さんに怒られているのです。
困ったものです。

1月11日に山形市でNPO交流会を開催することになりました。
山形市ではたぶん初めてです。
希望する団体に活動報告してもらった後、NPOと行政のコラボレーションなどをテーマにフリートークをやることにしました。
どうですか、お近くの方、ぜひ参加してください。
この交流会を契機に、新しい展開に入る予定です。楽しみです。

山形市では、もう一つ面白いプロジェクトが始まるかもしれません。
ごみ焼却場です。
ごみ問題にはまった鈴木悦徳さんと出会えました。
仕事を面白がる人は信頼できます。
面白くなければ仕事ではありませんから。
これに関しては1月に報告できます。
私は脇役にも入れないかもしれませんが、何とか潜り込みたいと思います 。
ゴミ問題は私も25年前にはまったことがあるからです。
1月下旬に書き込めると思います。

■元気が出ない理由がわかりました(2004年12月8日)
ともかく最近元気が出ません。
やらなければいけないことが山積みになっているのですが、どうもやれないのです。
机の上は書類の山で、やるべき課題が横の壁に20以上も張り出されています。
中には、電話1本で終わるかもしれないこともあるのですが、電話をかける気になりません。
以前は無理ができましたが、最近は無理をしようという気がおこりません。
まあ、何が起ころうと、私がいなくなっても世界はなにも変わらないと思うと、無理をする気になれません。
体力と思考力が持続できません。
女房は人間ドックと脳ドックを勧めます。
しかし、それさえも行こうという気が出てきません。

ところがです。
今日、突然に元気が出ない理由が判明しました。
元気が出ないのではなく、これが正常なのだということです。
すみません、あまりに馬鹿らしい理由で。

元気がでないのに、無理やり元気を出そうとするのはやめたほうがいいですね。
当分、元気がないまま行こうと思います。
さて、机の整理をしましょうか。いや、まずはその前にブログを再開しましょう。
今日からまた、毎日、書きだします。

■軍縮問題資料は私の一番の愛読書です(2004年12月9日)
「軍縮問題資料」という月刊誌があります。
410円の小さな雑誌ですが、私が一番愛読している雑誌です。
25年前に衆議院議員だった宇都宮徳馬さんが、
公約に掲げた、軍縮・平和を求める新しい活動を起こしていく拠点としてつくった宇都宮軍縮研究室が刊行した雑誌です。
以来、同じ姿勢で、しかも実体を重視した内容を維持している、すばらしい雑誌です。
価格も最初は確か200円だったと思いますが、今も410円です。
私は創刊号から読んでいましたが、最初は少し違和感を持っていました。
そして、しばらくはあまり読まなかったのですが、2年前にまた読みだしました。
そして今は毎号、それこそ総てのページをきちんと読ませてもらっています。

残念ながら来年4月で発行中止になるということだったのですが、どうも発行を継承してくれるところが現れたようです。
この雑誌のことをいつか紹介したいと思っていたのですが、機を失していました。
ホームページをご覧下さい。そしてぜひ購読してください。
とてもいい雑誌です。マスコミとは違った情報も得られます。
http://www.heiwa.net/

■コムケアイベント支援プログラム(2004年12月10日)
コムケア活動のなかに、イベント支援助成プログラムがあります。
今年は10のイベントに資金助成することにし、募集していましたが、19件のおうぼがありました。
それぞれ魅力的なイベントです。
そのうちの10イベントを支援させてもらうことを決定しました。
どんなイベントに支援していくかはコムケアセンターのホームページに掲載します。
またそれぞれのイベントの案内もしていきますが、イベントの効用を最近は強く感じています。

コムケアフォーラムもまた企画していく予定です。

■日本構想学会2004年度大会(2004年12月11日)
東京国際フォーラムで日本構想学会の2004年度大会が開催されました。
今日はその初日です。
2つのラウンドテーブルセッションとシュンポシオン、そしてその合間に会員総会です。

ラウンドテーブルセッションは
「ケアの理論と実践から見えてきた新たなるケア教育への構想」と
「グレート・ブックス・セミナーの実践活動報告」でした。
いずれも問題提起を受けて、参加者みんなで話し合うスタイルです。
時間は2時間ですが、あっという間の2時間でした。

ケアのセッションは、長野県看護大学の江藤裕之さんの企画で、
4人の発題者(長野看護大学の志村ゆずさん、松崎緑さん、岩崎朗子さん、吉田聡子さん)から研究と実践の両面からの話がありました。
とても共感できる話でした。
我田引水的にいえば、私が取り組んでいるコムケアの考えにぴったりと重なっているような気がして、元気付けられました。
コムケア仲間にもぜひ聞いてほしかったです。

グレート・ブックスのセッションは、このホームページでも時々案内させていただいたことのある原田広幸さん(アゴラ・ソクラティカ)の企画のもとに、
実践されている後藤英司さん(横浜市立大学)と木村浩則さん(熊本大学)が報告されました。
これも実に刺激的でした。
後藤さんは横浜市立図書館も舞台にしながらの展開ですが、
新しい図書館の役割としてはとても魅力的なプログラムのように思います。
しかし、実際にはなかなか難しく、横浜以外にはなかなか広まっていないようです。

いずれのセッションでも私は発言しましたが、実は意味不明の事を発言したような気がします。
その後のシュンポシオンでもそうでしたが、なぜか話していて、内容がうまくまとまらないのです。
今日は脳の一部が詰まっているような気がしました。
これってちょっと赤信号ですね。この2週間、ちょっと思考力がおかしいのです。
そういえば、最近のブログも支離滅裂な気もします。
皆さん読まれていて、どうでしょうか。脳ドックに早く行ったほうがよさそうですね。

まあ、そんなわけで内容報告は止めます。いずれ学会のホームページで報告されるでしょう。

会員総会では会員状況や事業収支報告がありました。
私は監事なのですが、この学会はまだ会員が少ないので、運営はかなり大変です。
会員を広げていこうという姿勢よりも、
参加者がだれでもが顔を見ながら本音で話し合っていく文化を大事にしていこうという姿勢が強いのです。
学会と称していますが、いわゆる学会とは違い自由闊達な文化にあふれています。
自分の思い(構想)をぶつけあう場としてはとても刺激的です。
みなさん、入会されませんか。
ホームページを見てもなにやら難しそうですが、実際は気楽です。
関心のある人はご連絡下さい。
10人が私の勧誘目標です。ご連絡をお待ちします。


(2004年12月第1週)
今週はたくさんの人から思わぬ手紙やメールや電話をもらいました。
記録にのこしたいニュースも少なくありません。
一部は来週に回します。
なにやら身のまわりの動きが少し奇妙です。
気のせいかもしれませんが、また新しい局面にはいりたくなりそうな気配があります。

■住友生命社会福祉事業団にコムケアの報告(2004年11月29日)
私が取り組んでいるコムケア活動は、住友生命のおかげで実現したものです。
このプロジェクトとの出会いによって、私の人生は大きく変わりました。
良い面と悪い面がありますが、少なくとも苦労が多くなったことは間違いありません。
これがなければ、いろいろな意味でもっと楽な生活をしていると思います。
しかし、このプロジェクトには、そうしたことを超える大きな魅力があります。
世界が広がるのです。自分の存在の小ささがどんどん見えてきます。

NPO支援に取り組む企業は少なくないですが、これほど自由にやらせてくれる企業は、まずないでしょう。
それは、窓口にいる人たちの人柄のおかげです。

今年の資金助成プログラムの選考が終わって一段落したので、
報告を兼ねて、窓口になっている住友生命社会福祉事業団の安藤常務理事と高原部長を訪問しました。
住友生命本社の窓口である調査広報部の井上小太郎さんも同席してくれました。
いつもそうなのですが、一応、報告資料を作成して持参するのですが、その説明よりも雑談が中心なのです。
最初は戸惑いましたが、私の活動を評価するのではなく、私の人間を評価して判断されようとしているのだと気づきました。
たしかに、こまかな活動内容などはいくらでも着飾れますが、人間は着飾れません。
安藤さんも高原さんも、定年で来年の3月で事業団を離れるそうです。
それぞれの後任の方にもお会いしました。

生命保険の仕事は、さまざまな人に出会う仕事ですから、みんな「人を見る目」をお持ちです。
それに、生命保険にはどろどろした生活問題が常につきまとっています。
ですから奇麗事ではない、人間の本性が現れるのでしょう。
そうした局面での人との付き合いですから、良い面も悪い面も、すべて見えて来るのでしょう。
時には人間不信にもなるようです。

引き続きコムケア活動への支援をしてくれることになりました。
ただ、宿題をもらいました。
実はその宿題は昨年ももらったのですが、約束を果たせませんでした。
叱責されても仕方がなかったのですが、やわらかく指摘されただけでした。
次回は、しっかりと対応したいと思っています。
それなりに難しい宿題なのですが。

■生命保険協会広報部の吉澤良雄さん(2004年11月30日)
子育て分野での市民活動を支援していくプログラムを企画しているということで、
生命保険協会の吉澤さんがコムケアの取材に来ました。
資金助成プログラムが増えるのはいいことですが、
できれば資金助成だけではなく、その周辺のプログラムをいろいろと工夫してほしいとお話をしました。

たまたま昨日、古河市のパクパクサロンからメールがきました。
コムケアでは残念ながら最後の選考会で10位内には入りませんでしたが、そのプロジェクトに関してのメールです。
いろいろと苦労しているようです。
子育て活動に向けて、外部からできることはたくさんあります。
それは必ずしもお金ではありません。

考えてみると、コムケア活動の理念である「大きな福祉」は、
まさに生命保険業界の事業戦略にとっては重要な視点だと思っています。
私は生命保険という商品の持つ光と影を、そろそろ正面から見据えて、長期的な検討をすべきだと思っています。
そうしたことを考える上で、最近の市民活動やNPO活動との交流は大きな意味があると思うのですが、
そうした動きはほとんど出てきていません。まだ、
企業にとっては、NPOは別の世界の存在なのでしょうか。
ちょっと残念です。

■NPOの資金調達に関する調査に取り組んでいる大西たまきさん(2004年11月30日)
大西さんは、現在、米国のインディアナ大学で研究活動に取り組む傍ら、
全米公共テレビ放送の資金調達部で、仕事をされています。
いま、「日本における市民活動の資金調達の状況とその発展ストラテジー」の調査に取り組んでおり、
日本に一時帰国していますが、コムケアの仕組みに関心を持ってくれて、取材に来てくれました。
私のところに取材にこられた方は、逆取材を受けることが多いのですが、今回も実に刺激的な2時間でした。

アメリカのNPOの様子やマスコミの役割などの話で盛り上がってしまいました。
ソーシャル・キャピタルも、大西さんの口からごくごく自然な言葉として出てきました。
すっかり消化されています。日本とは大違いです。
ユナイテッドウェイやフォスターピアレントを例に、米国も問題が多いのではないかと指摘しましたが、
その一方で、米国の資金調達の社会的仕組みから学ぶことは多いです。

税制がNPO活動の制約になるという事に関しては、大西さんも否定的でした。
その発想だけで、大西さんのNPOへの思いが伝わってきます。
税制が制約になると言う人たちは、NPOをこれまでの仕組みのサブシステムと考えている人ですから、私は信頼しないのです。
NPOは社会をリフレームする起爆剤になるべきだと思っている私にとっては、
今の日本のNPOリーダーたちには大きな違和感があるのです。
NPOはもっとラディカルでなければいけません。

話があまりに面白かったので、思い出せないのですが、共感できる話がたくさんありました。
一つ思い出せるのは、NPOのファンドレーザーたちによる社会的な資金活動の仕組みを構築することの重要性であり、
そのための実践者の研究会をつくる話です。
研究者による研究会はどれもこれも退屈ですし、何の役にも立ちませんので、実践者を主役にしなければいけません。
しかし、実践者はみんな忙しいから難しいのです。困ったものです。
大西さんにぜひ取り組んでほしいテーマです。
いや、いま、取り組んでいるのが、そのテーマでした。
ということに気づいて、後半は少し取材に応えました。

久しぶりにテンポの良い、NPO論議をしました。
大西さんは、「社会起業家」の著者、斉藤槙さんとも知り合いのようです。
世界はつながっています。

■旬の社会起業家の集まり(2004年11月30日)
最近の学生たちは就職の呪縛から解き放たれだしています。
会社に入るか自分で起業するか、二つの選択肢を持ち初めています。
そうした若者たちの集まりに参加しました。
主催者やコムケア活動を手伝ってくれているノーマライゼーション・ネットの矢辺卓也さんです。
参加したのは、このホームページでも登場したことのある広瀬さん、富田さん、堂垣さん、平下さん。
それに私とは初対面の斎藤正俊さん(中央大学大学院交通研究室博士課程)です。
それぞれが構想している事業を発表し、それについて議論しようということだったのですが、
あまりに面白い構想ばかりなので、10時を過ぎても終わりそうにもなく、半分は次回に残してしまいました。

今日、議論された、私には初めてのプロジェクトは、斎藤さんの Cycle Communucation構想です。
ホームページができていますので、ぜひご覧下さい。
この活動のコアは二つあります。
自由に使える自転車(EcoRent)とco-fyというクーポン付きの地域情報誌です。co-fyはweb版もあります。
とてもよくできています。
Cycle Communucationは、一人ひとりが身近な地域に対する理解と愛着を深め、
環境・経済・地域と調和したライフスタイルを各々のペースで楽しむ豊かな社会の実現に貢献する事を目的にしています。
とても発展性のある構想です。何よりも地に足つけているのがいいです。

私も以前、書いた「クロバーシティ構想」の都市交通システムに自転車を組み込んだ事があります。
この都市構想は、私はとても気に入っていましたが、ある懸賞論文で入選しただけで、そこから発展させられませんでした。
いずれ、このホームページにも収録する予定です。
25年前のものですが、エネルギー問題も素朴な形で提案されています。

他の構想は、これまでも話は聞いているものであり、このホームページでも少し紹介していますが、
今日、改めて聞いていて、いずれにも強いつながりを感じました。
この会を発展させていくとともに、この会でなにかメッセージ型のフォーラムを開催できないかと思いました。
もうひとつのコムケア活動の母体になるかもしれません。
いやいあや、こうやって、夢を膨らませすぎて時間破産してしまい、
結局は何もできなかったのがこれまでの人生ですので、自重しなければいけません。
しかし、ちょっと心が動きそうです。いやはや。

■コムケア活動イベント支援プログラムの選考(2004年11月30日
コムケア活動ではイベント支援助成プログラムを募集していましたが、18件の応募がありました。
その選考に取り組んでいましたが、今日、ほぼ決定しました。
選考に関わったのは、コムケアセンターのスタッフだけです。
コムケアの理念を一番の基準にしているからです。
10万円で、人のつながりを育てる手作りをイベントをやってもらうわけですが、
やはりコムケアの理念はなかなか伝わらないものだと改めて実感します。

活動支援助成プログラムに関して、すべての応募団体にコメントを送らせてもらいましたが、それへの反応はいろいろあります。
今日も会ったこともない方からこんな
メールがきました。

先日、改めて助成申請の落選通知が来ました。
その中に、佐藤さんのコメントがあり、大変感激しています。
通常、助成団体からの回答として、よくて応募の傾向のみでしたが、
コムケアでは、各団体に所感を返しているようで、すばらしいと思いました。
落ちた団体も励みになると思います。
すごく手間がかかるかもしれませんが、今
後もこのように草の根をサポートすること、志に応えていけるようにがんばってください。

NPO支援組織はたくさんあります。
しかし、いずれもが「心」と「当事者目線」が弱いように感じます。
もちろん私たちのコムケアも同じでしょう。
しかし、少しだけ一歩踏み出してみて感ずるのは、
やはり日本の市民活動支援体制の目線を間違っているのではないかという疑問です。
かつて基礎自治体が住民の目線ではなく地域整備を進めたために、
地域社会を壊したのと同じことが繰り返される恐れを感じます。
杞憂だといいのですが。

■我孫子市の市民活動に取り組む藤田さんと宇野さん(2004年12月1日)
我孫子の市民活動は盛んだという話もあります。
少なくとも行政の姿勢は積極的で、市民活動支援課という組織もあります。
補助金制度では全国でも話題になりましたし、
コミュニティビジネスに関してはモデル事業として経済産業省からの支援も受けています。
まあ、経済産業省から支援を受けているというそれだけで、私などは否定的になりますが。

先週は富樫さんからお誘いがありましたが、
今週はやはり真剣にまちづくりに取り組んでいる2人の女性からお誘いを受けました。
地域コーディネーターの藤田幸子さんと市会議員の宇野真理子さんです。
藤田さんはYULAN(ゆーらん)というコモンスペースを主宰されています。
お2人とも10月のコムケアの選考会に参加してくださいました。
いろいろと意見交換しました。
地域で活動しているといろいろなことが見えてきます。
行政との食い違いも見えてきます。
行政が住民参加や協働を標榜している間は、それは避けられないことです。
そのいずれにも住民主役の発想はないからです。

我孫子もその例外ではありません。
まだまだ住民参加型になっているように思います。
市民が育っていないと言えば、それまでですが、それではいつになっても事態は変わりません。
育つべきは行政職員なのです。
それが理解できない限り、構造は変わりません。

我孫子のコミュニティビジネス支援事業の一環として、
コミュニティビジネスサポートセンターが受託して行っている起業講座があります。
私の知人友人も、その講座に講演に来ていますが、問題は講座のやり方とその前後のプログラムです。
例えば私もいま、東京都特別区のソーシャルアントレプレナー養成プログラムに関わっていますが、
講座だけではほとんど意味がありません。
その周辺の仕組みをどのくらいつくれるかです。
講座は一つのツールでしかありません。

我孫子市では、しかし、その講座の受講生が我孫子コミュニティビジネス協会を立ち上げました。
大きな成果といっていいでしょう。
そこまではとてもいいのですが、問題は、どうもそこが行政とうまく連携できずにいるようです。
しかも今度、コミュニティビジネスをターゲットにした起業センターができるそうですが、
そこの企画運営主体にその協会が主役にはなれないようなのです。
そこに藤田さんと宇野さんは危機意識を抱いているようです。

起業センターがどのようなミッションとシステムなのかよくわかりませんが、これはかなり重要な問題です。
私自身は外部の機関に委託して事業を推進するプロジェクトは信頼しませんから、
ほとんど関心はなかったのですが、お2人の危機意識はよくわかります。
市民活動は、最初の段階でしっかりしたグランドデザインと現場に立脚した体制構想がないと危険です。
山形県のNPO支援ネットワークが挫折したのはそのせいです。

そういえば、我孫子市でソーシャルベンチャーを立ち上げようとがんばっている堂垣さんからも、
あびこ子どもまつりが来年は開けないかもしれないという話を聞かされています。
例のミニさくらのようなイベントです。
どうも推進体制づくりに問題がありそうです。

それにしても、富樫さんも含めて、期せずして4人の方からいろいろと問題意識をぶつけられました。
偶然なのでしょうか。
いやいや見過ごすことはできませんね。

早速、市民活動支援課長に事情を聞きに行く事にしました。
まあ、そんなわけで、しばらくは我孫子の市民活動シリーズは、このホームページでも紹介が続きそうです。
地元のことを書くのはいささか気が重いですが。

■組織化の光と影(2004年12月1日)
コムケアに応募してくださったNPOミトヤの磯辺さんから手紙が届きました。
鉛筆書きのたどたどしい文面です。

身体障害者の仲間作りを考えています。
障害者にも光をあててやれる仕事場が必要だと思います。
会社、個人で一人で、10年間がんばってみましたが、
あるていど団結して行動しないと市町村役場や国、県庁は相手にしてくれません。
コムケアの輪はだれにも開かれていますね。
ぜひ仲間に加えてください。みなさんの協力が必要です。

これは一例です。
各地でがんばっている人たちを支える仕組みは、まだまだ弱いです。
組織化しているところはまだいいほうで、それ以前の活動はたくさんあります。
私はNPO法人化されたところよりも、むしろ個人やわずかの仲間で活動している人たちにこそ支えが必要だと思っており、
コムケア活動でもそういう姿勢をできるだけ意識するようにしています。
しかし、4年間の体験でわかったのは、それは勇気とエネルギーがとてもたくさん必要だということです。
私にはまだできません。
組織と付き合うほうが、間違いなく楽なのです。

組織化をどう考えるかは難しいです。
法人化の話があると、私は基本的に、なぜ法人化しなければいけないかを聞きます。
そして、よほどのことがない限り、法人化は勧めません。
しかし、組織化は勧めます。

コムケア仲間のパクパクサロンの金子さんが、自分たちの活動を組織化することに躊躇しているとメールをくれました。
私は、ばらばらの個人のつながりを見えるようにするために、組織化は効果的だとコメントしました。
問題は組織のあり方です。

「環」という雑誌の最近号、で柳原和子さんの『カンボジアから「がん患者学」へ』という論文を読みました。
とても共感できました。
「援助の組織化は加速をつけてゆく」
「個人としての援助の時期は過ぎていた」
そして、「代弁者の時代」がやってきた。

と、柳原さんはカンボジアでの活動体験を書いています。
そして、それはまた、がん患者の世界でも同じです。
医療や福祉の世界でも、そうした動きが進んでいます。

組織化には光と影があります。
同時に組織化のパラダイムもまた、2種類あります。
個人を殺すチームワークと個人を活かすチームワークをイメージすればいいでしょう。

金子さんが躊躇する組織はどのような組織なのでしょうか。
磯辺さんが目指している組織はどのような組織なのでしょうか。

磯辺さんは栃木県の那須郡馬頭町に住んでいます。
金子さんのパクパクサロンは古河市です。
一度訪問してみようかと思っています。

■久しぶりの起業プロジェクト(2004年12月2日)
友人たちが新しい会社を創ろうとしています。
ずーっとその議論に第三者的相談相手として誘い込まれています。
ひと昔前なら、すぐにでも私も参加して楽しむのですが、
最近は時間と資金が破産状態ですので、思いきって動けません。
それにその事業の成功の確率が高すぎるのです。
成功する可能性が高い事業には、関わりたがる人は多いですから、私は興味ありません。

ところが、幸か不幸か、その構想がなかなか前進しません。
そうであれば、もしかしたら私の出番かもしれません。
最近はソーシャルベンチャーに関心を向けていますが、たまにはギラギラの収益ビジネスにも取り組んでみたいですし。

というわけで、少し関わる気になりました。春には内容を公開できるでしょう。
これが成功すれば、コムケアのスポンサーになれるかもしれません。
失敗すると関係者は生活助成先になるかもしれませんが。
人生は不安定なのが一番です。

■住友生命の井上さんと古河久人さんが来訪(2004年12月2日)
住友生命の新任の調査広報部長が、井上さんと一緒に、わざわざコムケアセンターまで来てくださいました。
普通は逆で、私が挨拶に行かなくてはいけないのですが、恐縮の至りです。

コムケア活動は住友生命のおかげでスタートし、住友生命のおかげで常識を破っての展開ができています。
それもこれも井上さんのご尽力ですが、
私の論理と企業の論理をつなげるために井上さんはきっと大変ご苦労をされているのだと思います。
始まる時に、佐藤さんの言っていることは伝えにくいので部長に直接説明してくれと言われて、説明にいったことがありますが、
当時の部長は、やはりわからないと言って、しかし、プロジェクトのスタートを了解してくれました。
きっと井上さんのこれまでの活動実績が評価されたのでしょう。

ところで、これから来年度のコムケアの資金集めに企業回りを始めたいと思っています。
どこか資金を提供してくれる会社はないでしょうか。
どなたか紹介してくれませんか。

■新潟の金田英一さんからの電話(2004年12月2日)
関係が逆転しているといえば、今日、新潟市の金田さんから電話をもらいました。
地震のお見舞いをすべきなのに、逆にお見舞い電話です。
幸いに金田さん自身は自身の被害はそれほど大きくなかったのですが、いろいろと影響を受けているようです。

金田さんはパウサニアス・ジャパンの同志です。
と言っても、私は最近退会してしまっています。また戻る約束ではありますが。
金田さんは新潟でもいろいろな活動に関わっていますが、一番の関心事は環境問題です。
実践活動にも取り組まれています。

新潟地震の影響は大きいようです。
素晴らしかった棚田も被害が大きく、回復は難しそうです。
産業的な被害も大きいでしょう。
外部にいるとなかなかわかりませんが、長期的な問題がこれから次第に顕在化してくるのでしょうね。

■第3回「沈黙の春」を読む会(2004年12月3日)
杉本さんの問題提起を受けての会も3回目です。
年末のせいか、今日は残念ながら参加者が少なかったです。6人です。
しかし、静岡大学の半田智久教授が初参加してくれました。
今日のテーマは、第4章の自然界に存在しない合成化学物質の脅威について警告です。
併せて、カネミ油症事件のビデオを見ました。

杉本さんの問題提起の話を聞いて、私
は科学技術のパラダイム転換をカーソンがメッセージしているような気がしました。
人間による化学物質の合成が自然界の動きによって創発現象を起こすこと、
自然は大きな仕組みで動いているので要素還元主義的科学技術は限界にぶつかっていること、
そんな含意を感じたのですが、杉本さんからは読み込みすぎはよくないと指摘されました。
もしかしたら、ここにこそ、文系理系の発想の違いがあるかもしれません。
高城さんが技術のパースペクティブの問題を提起してくれました。
パラダイムなどと大仰に言わなくても、パースペクティブの問題かもしれません。

話は諫早干拓の話にまでいきましたが、いろいろと考えなければいけない課題が毎回たくさん出ます。
いつかじっくりと合宿でもしたい気分です。
科学技術と生活に関する議論はもっと広がってほしいです。

今回は年末だったので、ささやかにビールとカナッペでカジュアルにやりました。



(2004年11月第4週)
気持ちのいい青さの空が続きました、
自然の恵みの大きさを感じます。
その青さの下で、今週もチマチマと暮らしました。

■富樫道廣さんの我孫子で考えた都市景観論(2004年11月21日)
我孫子市民の富樫道廣さんのことは前にも書きました。
我孫子市のまちづくりに熱心に取り組んでいる方です。

なぜか、時々、偶然に会うことが多いのですが、先日は近くのスーパーの食料品売り場で会いました。
いずれも夫婦での買い物です。
その時の立ち話で、都市景観論をまとめたので送るといわれました。
その小冊子が届きました。
「我孫子で考えた都市景観論」と題した2部作です。

富樫さんは我孫子の景観を育てる会の顧問なのです。
ブレーメンでまちづくりに関わったこともあり、その分野の専門家でもあります。
2回にわたり、我孫子にある中央学院大学のオープンカレッジで話されたものをまとめられたのです。
ですからとても読みやすいのです。
我孫子の視座で議論されていますが、真鶴や山形、湯布院もでてきます。
その上、社会的共通資本や景観の経済学まで論じられています。
とても示唆に富む小冊子です。

富樫さんたちの活動で、我孫子の景観活動はかなり活発です。
私も少しだけ参加しましたが、最近は全く欠席ばかりでした。
富樫さんの小冊子を読みながら、大いに恥じました。
次回から景観形成市民会議に参加することにしました。
最初の印象があまり良くなくて、実は敬遠していたのです。

自分が住んでいるまちの景観には、もっと関心をもたねばいけません。
どうも言行一致しません。
富樫さんからは一度話したいといわれ続けていますが、富樫さんに合わせる顔もありません。反省。

■意外な読者(2004年11月22日)
ホームページを続けていて良かったと思うのは、思わぬ読者に出会うことです。
先週も北九州市で吉武さんという、思わぬ読者にお会いしました。
それだけで旧知のような気がしてしまい、話がはずみました。

今日は東レ時代の古い同僚から、ホームページを見ているというメールが届きました。
私が入社した翌年に入社して来た高羽明さんです。
元気そのものの若者で、その上、生一本の正義感です。
もう10年以上も会っていないのですが、突然メールが来たのです。
こういうのはとてもうれしいです。
久しぶりに会った人に近況報告すると、もう知っていると冷やかされることもあります。
恥をかきかねません。
記憶は勝手に増殖しますので、ここに書いたことと違う話をしてしまうこともあるわけです。いやはや。
また、仕事関係の人に、読んでいますなどと言われると、何か不都合のことを書いていなかっただろうかと冷や汗を書くこともあります。
今週もそういう冷や汗をかきました。

ホームページが契機になって始まったお付き合いもあります。
今週は京都のグリーン・アクションの小松裕次郎さんから手紙が来ました。

コモンズ書店で、「文化がみの〜れ物語」を注文して来てくれたのです。
小松さんにもきっといつか会えるでしょう。
ホームページを介して、私も知らないところで、だれかとつながっているというのは何だかワクワクします。
もっとも心配がないわけではありません。

先週のJALの記事はこれまた心配ですね。
JALの知人友人が読んでいるかもしれませんね。
もしそうであれば、善意にお受けとめください。ちょっと無理かな?はい。

■我孫子市合唱祭(2004年11月23日)
我孫子市の合唱祭に、女房たちのコーラスグループ「道」が参加していることもあって、私も毎年、聴きにいっています。
みんなとても楽しそうです。
今年は24の団体が参加しました。いずれも熱演です。
今年は高校生グループも参加していました。

みんなが楽しそうに歌っているのを見ていると、毎年、私も参加したいと思うのですが、実現せずにいます。
やはり練習への参加に不安があるからです。
出演者の多くは、高齢者です。
日本では、壮年世代が地元の活動に参加するのは難しいようです。
生き方を変えなければいけないのかもしれません。

しかし、私自身がそれができずにいます。

各グループの選曲や歌い方を見ていると、そのグループの姿勢が見えてきます。
最近は楽しむ姿勢が増えています。
なかに、我孫子の童謡を歌う会というのがありました。
全員が並んで、ピアノに合わせて例をするのですが、これが結構受けました。
「道」は、今年は「万葉集」をモチーフにした選曲でした。とてもいい歌です。

「道」を指導しているのは谷篤さんです。
最近話題のヨン様は、この谷さんに似ています。
会場に出てくると会場がざわめきました。ホームページをご覧ください


谷さんは、このホームページともリンクしているコムケア仲間の須田正子さんたちのグループ(坂戸市)の指導もしています。
そして、毎年、その合唱祭が同じ日なのです。
午前中は坂戸で、午後は我孫子でと、谷さんは大忙しの日なのです。
須田さんから、坂戸市の合唱祭もとてもよかったとメールが届きました。
ついでながら、須田さんたちは合唱祭だけではなく、11月7日に芸術祭もやったそうです。
そのホームページをご覧ください。
須田さんは元気な市民起業家です。

■マレーシアのチョンさん(2004年11月24日)
チョン(張炳輝)さんが久しぶりに来日しました。
日本に留学し、7年前まで日本で働いていました。
以前、留学生サロンを主催していたのですが、そこに参加してくれてからの付き合いです。
オープンサロンにも参加してくれました。
博識で好奇心が強く、なによりも人柄がいいのです。
いまはインドネシアにいます。
今回は起業のための来日です。
日本からの中古の家電や機器をインドネシアに輸入する活動を少しずつ始めているようです。
逆に日本への輸出も考えており、コーヒーなども手がけだしているようです。

チョンさんはマレーシア出身ですので、インドネシアでは外国人です。
いろいろと大変なようです。
インドネシアは治安が悪く、事件も多いようです。
ソーシャル・キャピタルがまだ未成熟なのです。
経済の発展のためには、ソーシャル・キャピタルがある水準になっていることが必要です。
日本や韓国が経済成長できたのは、そのおかげです。
経済成長によって、そのソーシャル・キャピタルが失われつつあるのは、皮肉なことです。
このあたりのテーマはとても魅力的なのですが、なぜか関心を持つ経済学者は少ないです。

チョンさんは、インドネシアでもう6年仕事をしていますので、かなりのネットワークができています。
そのネットワークを活用しながら、日本とインドネシア、あるいはマレーシアをつなぐ仕事をしたいとチョンさんは思っています。
チョンさんを応援したいと思いながらも、なかなか応援できずにいます。
どなたかアドバイスしてくれませんか。いい仕事があれば、ぜひお知らせ下さい。

久しぶりに会ったチョンさんはたくましくなっていました。

■ODSの三浦康英さんとレアソンの島田久弥さん(2004年11月25日)
三浦さんと会うのは本当に久しぶりです。
彼とは東レ時代からの付き合いです。
ピカピカのビジネスプロフェッショナルですが、以前、ここに登場した中川洋さんのように、ピカピカですが、人間的なのです。
話していて退屈しないビジネスマンです。
しかし、仕事が趣味なのです。困ったものです。

ソニーとODSのジョイントベンチャーにも関わっていますが、その社長の島田久弥さんとやってきました。
島田さんとは初対面です。
農学部のご出身だそうです。
それだけで私は好きになってしまいます。私にとっては「農業」はマジックワードなのです。

あるプロジェクトの相談で(すみません)、もしかしたら面白いプロジェクトに進化させられる話です。
ビジネステーマはこんなに山積みなのに、どうして企業は元気が出ないのでしょうか。
どこかに間違いがあるのです。

ODSは話題の企業でした。
経営民主主義が徹底されおり、給与も自分で申告してみんなで議論して決めるという会社でした。
とても好きでした。
ある規模を超えてからは継続できなかったようですが、その頃から付き合いが疎遠になりました。

最近、無性に企業の大きな仕事をしたくなっていますので、何か面白いプロジェクトに誘ってくれるように頼みました。
考えてみると、三浦さんと一緒に仕事をしたことは20年近くないのです。
何か面白い仕事ができるといいのですが。

■KAE36期スタート(2004年11月25日)
KAE経営道フォーラム36期のスタートの合宿です。
今回は「企業理念・経営理念」と「企業風土・企業文化」の2チームを担当します。
参加者が増えたので、また私の担当チームが増えたのです。
しばらく楽をさせてもらってきたのですが。

企業は最近、人材教育に力を入れだしたようです。
いいことです。企業にとっての最大の経営資源は人だからです。
ただし、人の育て方は難しいです。しっかりと考えなければいけません。
既存の研修機関に安直に投げ込んではいけません。
時代はまさにパラダイム転換しているのですから。
ここから先は書くのをやめましょう。差しさわりが出そうですから。

KAEのこのプログラムに、私は当初から関らせてもらっています。もう19年目です。
経営幹部を通して、時代の変化や企業人の変化を実感していますが、それは必ずしも方向が定まっているわけではありません。
奇妙に曲折している気がします。
ただ、10数年前に書いた「大企業解体の予兆」はかなり現実のものになってきているような気がします。

今回のチームメンバーの関心は、
「変革のためのツールとしての経営理念」
「メンバー一人ひとりが生き生き働いている組織」
にあるようです。
どのような方向にみんなの目が行くか楽しみです。

■オープンサロン再開??(2004年11月26日)
1年半ぶりに湯島のオープンサロンの再会です。
と言っても、とりあえずの試行です。
このホームページにお知らせを掲載した以外は、呼びかけはしていませんので、
果たして参加者はいるのだろうかと思っていましたが、やはり誰も来ませんでした。
5人くらいは集まるかなと心密かに思っていたのですが、恥ずかしい限りです。

おかしいなと思って、ホームページを読み直したら予告だけできちんとした告知をしていませんでした。
正式告知を忘れていました。
別に案内はしていませんので、みんな知らなかったのかもしれません。
いやはや困ったものです。
私も出先から戻り、女房もわざわざ出かけてきたのに、完全に肩すかしです。
困ったものです。
女房には「案内もせずに参加者があるわけがないでしょう」と怒られてしまいました。
しかし、案内をしなくても来る人もいるだろうと、疑いもなく思ってしまうのが、私の「すごい」ところです。
つまり、どこか基本的な発想の回路がおかしく、平たく言えば、常識がないのです。
こう言う人って、時々いますよね。
私の場合、自覚症状はあるのですが、「やってしまう」までは気づかないのです。

試行は見事失敗です。
ホームページにこっそり書いて、誰が来るか楽しもうなどという、「陰湿な」発想はやはりだめですね。
性格の悪さも反省しなければいけません。
実は、書き込んだとたんに、黒岩さんと小林さんからメールが来たので、
サロン再開がばれてしまった、と思ったりしていたのですが、
この2人以外はお知らせにまで目がいかなかったのかもしれません。
いずれにしろ、ホームページのお知らせは、あまり効果がないことも判明しました。

さて、年明け後からの本格スタートはどうしましょうか。
今、8時半です。
誰も来ないので帰ることにします。

■富樫道廣さんとの四方山論議(2004年11月27日)
このホームページの書き込みは、基本的にその日に書きますので、同じような記事がかかれることもあります。
21日に書いた富樫さんからお誘いがあり、久しぶりにゆっくりと話しました。
場所は我孫子駅前のお茶屋さんの竹山です。
日本茶を飲みながら気持ちよく談笑できる場です。
ほとんどが女性客なので気がひけましたが、富樫さんの指定です。

女性と男性は集まる場所が違います.
男性は組織に巣食っています。
しかし、
組織を離れると女性の生態が少し見えてきます。
男性は浪費的(自分の浪費も含めてです)で労働的ですが、女性は主体的で学習的です。
それに女性たちは自分を楽しんでいます。若い世代は違うかもしれませんが。

富樫さんはもう70歳を超えていますが、
我孫子市にある日立総合経営研修所の庭園の一般公開を実現したり、
景観つくりシンポジウムを開催したり、新しい試みを次々と実現しています。
それだけではありません。
豊富な実体験をもとに、歯に衣着せない正論を語る理論家でもあります。
そして、なによりも素晴らしいのは夢をたくさん持っていることです。

今日はたくさんの夢(一部は既に実現していますが)の話を聞かせてもらいました。
一番大きな夢は、手賀沼で水上音楽祭をやることだそうです。
しかも、プッチーニだそうです。我孫子とプッチーニは富樫さんによれば、しっかりとつながっているそうです。
来年は、景観を音楽にするイベントを計画されています。
これは実現するようです。景観を音楽で表現する、なにやらワクワクしますね。
富樫さんは音楽にも造詣が深く、これまでもいろいろな活動をしてきています。

こうした人が地域にはたくさんいます。
行政は、そうした人の活躍の場をつくり、またそうした人たちの出会いの場をつくればいいのです。
富樫さんも話されましたが、「協働」などという馬鹿な言葉をつかわずに、
さまざまな人たちが物語を「共創」する仕組みをつくるのが行政の役割です。
しかし、残念ながら、富樫さんのような主体的で自立している人は、これまでの行政からははじき出されがちでした。

富樫さんは、どこにも楽しい物語の題材はいくらでもあるのに、それを活かす発想が行政には乏しいと言います。
同感です。
我孫子市にはたくさんの物語の芽があります。
しかし、それらがどんどん忘れ去られようとしています。
富樫さんのように、他のところから来た人であればこそ、その大切さがわかるのかもしれません。

富樫さんとの話はあまりにも楽しくて、時間があっという間に2時間がたってしまいました。
お茶で2時間。学生の頃を思い出します。
実に刺激的な2時間でした。

今週は、富樫さんに始まり、富樫さんで終わりました。




(2004年11月第3週)

■美野里町の住民たちはますます意欲的です(2004年11月15日)
美野里町の住民たちはまちづくりにがんばっています
今日は2つの住民委員会がありました。
昼間はまちづくり組織条例原案作成委員会、夜はまちづくり計画実践大会の企画運営委員会です。
メンバーは重なっている人もいます。

まちづくり組織条例はほぼ枠組みが決まりました。
住民たちの理解がきっちりと共有されているかどうか、やや不安はありますが、少なくとも行政よりは真剣に考えています。
行政は逃げている感じがしてなりません。
いつも、どこでも、一番先を行っているのは住民です。
なぜならば、住民は生活がかかっているからです。
にもかかわらず、住民の意識が低い、啓発しなければなどという行政職員が多いのです。
それも行政改革に成功した先進自治体の職員に限ってそう言う人が多いのです。
まあ、行政改革とまちづくりとは全く無縁のものですが。いや、時に反比例しますが。
住民の都合も考えずに、なにが行政改革だ、と思いますが、
お上に仕える優秀な官僚や職員はお上に褒めてもらう事が生きがいなのでしょうか。
住民を見下しているとしか思えません。

美野里町では、まちづくり計画の住民配布版も住民の手によって作成されました。
そして、その発表の大会のプログラムも決まりました。
司会もコーディネータも発表も、すべて住民がやります。
めでたく私は卒業です。失職しました。

住民と行政の関係を変えたら、まちづくりも行政改革もきっと大きく変わるでしょう。
米国の基礎自治体のあり方を住民たちがしっかりと学んだら、きっと今の日本の基礎自治体の議員はみんな失職するでしょう。
わけのわからない地域コンサルタントも追放できます。私もその一人ですが。
早くそうなってほしいものです。

■コムケア応募団体にコメントを送りました(2004年11月16日)
コムケア資金助成プログラムの特徴の一つは、
全応募団体になぜ助成の選外になったかを個々にコメントすることです。
これは大変なことです。
時間と資金に余裕があれば、一つ一つに直接訪問してアドバイスしたいのですが、それは不可能です。
そこで、私の私見的コメントをそれぞれに書いて送っているのです。
この作業はとても大変です。
私は124件(最終選考会の対象になった団体には送りません)のコメントを書くのですが、
相手は自分のコメントしか読みませんから、怖い話です。
このコメントにもお叱りや不満も送られてきますから、神経は休みません。
自らを露呈すればするだけ、弱みが見えますから、いくらでも突っ込んでこれるのです。
自らを露呈する生き方は結構疲れます。いつまで続けられるでしょうか。

しかし、その反面、時に私のコメントが相手を元気にすることがあるのです。
そうした人に会うとやって良かったと思います。
それで無謀にも継続しています。
しかし、今年はかなり疲れてしまいました。
書き手が疲れていると、それは必ず文面に出ます。
きっと今年の私のコメントはあまり元気を与えられないかもしれません。
そろそろ止める潮時かもしれません。

今日、124件を発送しました。どういう反響があるでしょうか。
このコーナーではいい反響しか報告しないつもりです。

■JALにはもう乗りたくありません(2004年11月16日)
北九州市に行くためにJALに乗りました。
北九州市空港にはJALしか飛んでいないのです。
私はJALの国内便が嫌いです。不愉快な思いを2度したからです。
ですからいつも北九州市には福岡空港から行っていましたが、今回は私を呼んでくれた協会がチケットを送ってきてくれたのです。
それにJALには知人も多く、きっと最近はよくなっただろうと期待して、乗ることにしたのです。

ところがです。
またまた不愉快なことになってしまいました。
空港で少し北九州市での仕事の準備をしようと予定よりも早めに着きました。
そして自動チェックイン機にチケットを通したのですが、なぜかはじき出されました。
もちろんチケットには、「自動チェックイン機が利用できます」と明記されています。
そこで、案内の人に訊こうと思い、探したのですが、周りにいないのです。
やっと向こうから歩いて来るスタッフがいたので、声をかけたら、ちょっとお待ちくださいとオフィスの中に入って行ったきり出て来ないのです。

仕方なく、窓口の所に行ったらすごい行列です。
最後尾にいたスタッフに事情を話したら、ではここに並んでくださいというのです。
仕方なく並んだのですが、列はなかなか進みません。
10分ほど並んで時間が迫ってきたので、相談しようにも、列の中に入ってしまったこともあり、
案内のスタッフは最後尾にしかいないので、声もかけられません。
列が外と接するところに進んだ時に運良く、スタッフが近くに来たのでまた事情を話すと、チケットを見て、調べてみますと言ってくれました。
ところが、また違う人が別の相談をしかけたため(私と同じような人が何人かいたのです)何やらうやむやになってしまいました。
その後も、彼女は動きそうもありません。
JALのスタッフはただ聞くだけなのですね。サルでもできそうな仕事のやり方です。

結局、出発の20分前までには私は窓口にたどり着けずに、20分前になったら受け付ける窓口に行きました。
あまりの対応の悪さに、いつもこうなのかと聞いたら、驚くことにそうですというのです。
これではもうJALには乗らないと怒ったら、にこやかにすみませんと言われました。
いかにも事務的で、気持ちが悪かったです。

まあ、こんなことを書いても仕方がないのですが、私には信じられない体験でした。
ここに書いたのはまだ一部です。まだ書きたいことはあるのですが、自重します。
私は感情的になりやすいので、文章に品がなくなり、客観性がなくなりかねないからです。

もっとも私だけの体験ではないのです。
飛行機は出発が遅れました。 10人ほどが遅れてきたからです。
中には荷物を抱えて走って乗り込んできた子ども連れの家族がいました。
その一人が乗務員に「地上クルーの人にもっときちんと対応するように言っておいてくれ」と怒っていました。
彼らもスタッフが全く対応しなかったので、手荷物も預けられずに大変だったようです。
飛行機はかなり遅れて出発しました。

もうJALの国内便には乗りたくないです。
現場に、その会社の実態がよく現れます。
このまま行くとJALはまた事故を起こすでしょう。
経営者は お忍びで一度、JALに乗ってみるといいです。
それこそがCSRの出発点です。

■北九州市めかり山荘からの眺めは函館を超えます(2004年11月16日)
ホスピタリティフォーラムに参加するため、前日に北九州市に到着しました。
事務局の古野さんが、前日に来るのであれば、といって、
翌日のフォーラムのパネリストの方々との会食の場をつくってくれました。
北九州市観光協会が管理しているめかり山荘でふぐをご馳走になりました。

パネリストは、市役所の大川博己さん以外は、みんな初めてです。
タクシー会社を経営されている末松祥典さん、北九州プリンスホテルの中島紀子さん、スペースワールドの秀一生さん、環境ボランティアの境悦子さんです。
境さんとは10年前にこの活動が始まった時にお会いしているはずですが。
みんな、北九州市に思いの深い人ばかりです。

めかり山荘は門司のとてもいい場所に立地しています。
そこから見下ろす夜の光景は函館の夜景に決して負けていないと、函館の人に言われたと環境ボランティアの境さんが話してくれました。
ちょっとひいき目かなという気もしますが、なかなかのものです。
それに関門橋を見下ろすのはとてもきれいですし、ライトアップされた対岸の下関の海峡メッセも見えます。
海峡メッセには私も少し関わりましたので、親しみも感じます。

食事のあと、小倉のホテルまで送ってもらいましたが、その間、環境ボランティアの境さんが案内をしてくれました。
めかり山荘利用者には、いま、環境ボランティアがナイトツアーのサービスをしているのだそうです。
北九州市の環境ボランティアは160人以上いるのですが、とてもがんばっています。

■ホスピタリティフォーラムは次に向けて発進です(2004年11月17日)
平成7年に始まった、北九州市の百万にこにこホスピタリティ運動が10年目を迎え、その記念フォーラムが開催されました。
スタート時点のフォーラムに参加させてもらったご縁で、今回も呼んでもらえました。
同じ名前での活動を10年も継続してきたのは、観光協会に古野利幸さんという頑固者がいるからです。
古野さんとの出会いは、まさにこの運動がスタートする時でした。
古野さんは、そのキーワードを大事に育ててきました。
私などは、もっと急いでもいいのではないかと思うのですが、古野さんは着実にゆっくり実体を構築するタイプなのです。
そして10年、浮気もせずに着実に前進です。
これだけの根性のある人が、もし市役所にいたら、北九州市はもっと観光都市として発展していたでしょう。

フォーラムでは、湯布院の観光協会事務局長の米田誠司さんが基調講演されました。
大昔に中谷健太郎さんのお話をお聞きして以来、関心は持っているのですが、なぜか湯布院には違和感があるのです。
つくられた観光地と言うイメージが強く、理念と進め方にどうもピンと来るものがなく、まだ訪問した事がありません。
しかし、今回、米田さんのお話を聞いて、少し感じが変わりました。
来年には女房と行ってみようと思います。
米田さんが配布してくれた資料に、大正13年に現地で行われた林学博士の本多静六さんの「由布院温泉発展策」の講演抄録がありました。
素晴らしい内容です。この講演がどうも今の湯布院の根底にあるようです。
一人の人間の講演が、地域の未来を開いていく。感動的です。
私の地域との関わり方は、それとは全く別に、できるだけ痕跡を残さないようにというものですが、
果たしてそれでいいのかという気がしてきました。
本多さんのような地域との関わり方もあります。いろいろと考えさせられました。

本題から外れてしまいました。
フォーラムはとても楽しかったです。
その記録はきっとその内、なにかの形で出るでしょう。
ちなみに、最初のフォーラムで私が話したことの一部を、このホームページに掲載しています。
ホスピタリティとサービスとの違いや、これからの観光のあり方を少しだけ示唆しています。
ぜひお読みください。

フォーラム終了後、交流会がありました。
このホームページを読んでくれている中嶋重利さんと高橋典子さんが来てくれました。
中嶋さんは研修中なのに、わざわざ休んで参加してくれたとのことです。
高橋さんも仕事が忙しいでしょうに、うれしいことです。
地域にかかわる喜びは、こうした人との出会いです。
私は本当に友人知人に恵まれています。
どこに行っても、とてもいい出会いがあり、それがまた継続させてもらえるのです。
そういえば、同じ国際会議場で日本とスウェーデンの環境関係の会議をやっていましたが、
なんとその受付に北九州市役所の青柳祐治さんがいました。
数年ぶりの偶然の再会です。
青柳さんは今は環境問題の専門家になってしまいましたが、課長研修時の2番目の事務局で、とてもお世話になった人です。
一度、北九州市のエコタウンを2日間、じっくりと案内してもらったことがあります。
こういう出会いもとてもうれしいものです。

交流会でもまた新しい出会いがありました。
一人だけ記録しておきます。きっとまた近々登場するでしょうから。
市役所の吉武聡さんです。
現在、北九州市立大学大学院の博士課程で、コミュニティビジネスやソーシャル・キャピタルに取り組んでいるとのことです。
自治体職員で、ソーシャル・キャピタルにしっかりと取り組んでいる人に出会えるととてもうれしいです。
いつか、きっとなにかでご一緒できるでしょう。

フォーラムの最後で、次の10年は、ぜひ市民を巻き込んだ活動にしましょう、と呼びかけました。
そうしたら、交流会の乾杯の時に、これからは市民版ホスピタリティ運動だと銕尾悦治さん(北九州第一ホテル社長)が話されました。
北九州市のホスピタリティ運動はいよいよ第2段階に進化です。とても楽しみです。

■アルピニストの山下建治さん(2004年11月20日)
アルピニスト山下建治さんの事は前に書きました。
もう一つの顔は元北九州市収入役ですが、いまは北九州都心開発株式会社の会長です。
何だ天下りか、と思われそうですし、また事実そうですが、ちょっと違うかもしれません。
山下さんは、そんなことよりも、山登りとボランティア活動がしたいのですが、なかなか行政から解放されないのです。
私欲の皆無の方です。

山下さんは、北九州市のCIに取り組んだ責任者です。
私は、その関係でお付き合いが始まったのですが、異色の人です。
東京に来るたびに、いつも寄って下さいました。
行政を離れてからは、なかなか上京する機会もなくなったようです。
今回は私的な旅行でやってきたのですが、久しぶりなのでお会いしました。

山下さんは、いま、小倉駅前の旧そごうの後の菅理会社の会長です。
旧そごうの後にはテナントとして伊勢丹などが入りましたが、その管理をする会社のお目付け役です 。
ご苦労をされるだろうなと思っていました。相手が悪すぎます。
それに、なんでそごうの失敗の後を伊勢丹に頼むのかです。馬鹿げた話です。
冷静に考えればあり得ない話ですが、短視眼の市長には合理的な判断だったのでしょう。
時代の変化は裸の王様には見えないものです。いや、これはかなり言いすぎですね。反省。

久しぶりにお会いしたのですが、山下さんはお元気です。
来年はマッターホルンに挑戦されるとのことです。68歳を感じさせない元気さです。

■よみがえれニッポンでのユニバーサルデザイン議論(2004年11月20日)
今月のテーマは「ユニバーサルデザインと文具」でした。面白いテーマです。
今回、企業の人の話を聞いていて、やはりメーカーの発想が全く変わっていないことを痛感しました。
ユニバーサルデザインの言葉がまだ普及していないとか、ユニバーサルデザイン商品はなかなか売れないなどと言う話が出てくると、
ユニバーサルデザインを商業主義的に浪費するのはやめたらどうか、と言いたくなるのですが、
企業の人はユニバーサルデザインとか「だれもが使いやすい」という言葉が、メーカーやデザイナーの言葉であることにすら気づいていないのです。
個人にとって大切なのは、誰でもが使いやすいことではなく、自分が使いやすいかどうか、使いたくなるかどうか、なのです。
そんなことにも気づかずにユニバーサルデザインを語っている人たちを見るとこっけいですらあります。
まあ、この概念は早晩なくならなければ困りますし、なくなるでしょうが、流行は恐ろしいものです。

ユニバーサルデザインが問いかけているのは、
商品と個人との関係性の見直しであり、大量消費発想の問い直しではないかと思います。
そうした視点で考えると、昨今の取り組みには違和感があります。
個人の視点で考えるという社会構造原理の転換の文脈で考えると新しい地平が開けてくるはずなのですが。
まあ、こういう議論をユニバーサルデザインを語り合う場で話しても、
一度も反応されたことがないので、私が間違っているのかもしれません。
私は確信はしているのですが、まあ、間違うことも多いのです。

■パソコンは落とすと直ります(2004年11月20日)
モバイルのパソコンが動かなくなってしまいました。
そのため、18日は音信不通になっていました。
だめになったら、マニュアルも読まずに、勝手にいろいろと試してみるタイプなのですが、
強制終了などを繰り返していたら、「OSが見つかりません」と出てしまいました。
そして訳のわからない画面が出たので、また勘に従って、いろいろとやっていたのですが、
そのうちに、電源すら入らなくなってしまいました。
未練がましく、30分、いろいろとやってみましたが、どうにもなりません。絶望的ですね。
サービスセンターに電話しました。
まずユーザー登録をしていなかったようです。
困ったものです。皆さんはちゃんとしていますか、これはお勧めです。
私は基本的に富士通ファンなので、これまではすべて富士通でしたので、登録は済んでおり、その後は登録しなくともなんとかなったのですが、
今使っているモバイルはシャープなのです。

電話の担当者が出て、事情を話すと、それはもう修理に出さないと駄目ですと言われました。
で、まあ、修理工場やいろいろ尋ねている間に、うっかりモバイルをデスクから落としてしまいました。
慌てて、モバイルにご免ご免と言いながら、拾いあげました。

電話を切った後、さらに未練がましく、電源を押してみました。
何と動き出したのです。
それからまた、サービスセンターに電話して、無事、回復しました。
いろいろなことがわかりましたが、一番の収穫はパソコンもまた「たたくと直る」と言う偉大な発見です。
電子機器は衝撃に弱いので、たたくのはダメなはずなのですが、時には効果もあるのかもしれません。
これからは具合が悪くなったら、声をかけながらたたこうと思います。
「声をかけながら」というところがポイントです。
しかし、まあ、みなさんがやった場合、直らなくても責任は持てません。
私のモバイルの個性かもしれませんので。

モバイルは復活しました。これでまた、このモバイルに付きまとわれる生活に戻ります。

(2004年11月第2週)
週末を除くと、とてもいい1週間でした。

■黒岩さんがサントリー学芸賞を受賞しました(2004年11月8日)
黒岩比佐子さん「食道楽の人 村井弦斉」がサントリー学芸賞を受賞しました。
予告通り、弦斉ブームのスタートです。
みなさん、くれぐれも置いてきぼりされないように、この本を読みましょう。
全部をきちんと読むのは結構大変ですが、ゆっくり読むとそれぞれが実に面白い本です。
改めて、このホームページの関連記事をぜひお読みください。

ついでに、黒岩さんのブログもどうぞ。
このブログにこそ、黒岩さんの真髄が出ているように思います。

■KAE経営道フォーラム公開発表会(2004年11月8日)
経営道フォーラム第35期生の公開発表会がありました。
これからの企業経営のあり方を考える3つのチームの発表です。
最近はメンバーに勉強しようという姿勢が強く、
自分たちの考えをまとめて提案していこうという独自性が弱まっているところに不満がありますが、
各チームとも、しっかりとまとめて、発表にも力が入っていました。

ちょっと身びいきな気もしますが、
私が関らせてもらったチームは、自分の問題として消化していたように思います。
最後にお話させてもらったのですが、新しい企業経営のあり方に関して、
さまざまなことが語られているわりには、企業は変化しません。
そこが問題だと思うのですが、企業を離れて見ていると、
だれも本気で企業を変えようと思っていないからではないかと思えてなりません。
私もそれなりに変えようと東レでがんばったのですが、
途中で会社を辞めてしまったので、あまり大きなことをいえませんが。

これからの企業のあり方は、そこにいる社員の生き方にかかっているという話をさせてもらいました。
いま、問われているのは、企業のあり方ではなく、企業人の生き方だと、私は思っています。
自分の問題だと思わなければ、いくら勉強しても何も変わりません。
そこにみんなが気づきだせば、日本は大きく変わっていくでしょう。

企業人にとってはとても面白い時代です。しかし、楽しんでいる人が少ないのが残念です。

■24時間テレビ事務局長の神成尚亮さん(2004年11月9日)
31日のコムケアの公開選考会に参加してくれた神成さんが来てくれました。
初めて参加してくれたのですが、コムケアの考えと仕組みにとても共感してくれたのです。
たぶん、それを伝えたくて、わざわざやってきてくれたのです。
神成さんの思いをたくさん話してくれました。
こういう人が一人でもいるだけで、コムケアをやっていてよかったと思います。

神成さんとは2回目の出会いです。
最初は東レのCI仲間だった高坂さんが連れてきてくれました。
しかし、今回、コムケアに参加して、はじめて私の考えや活動が実感としてわかってくれたようです。
私の話だけでは、多分、なかなか伝わらないのでしょうね。
私のコミュニケーション能力不足です。人のことは言えません。

神成さんは今年から、日本テレビの24時間テレビの事務局長になりました。
この番組が始まった時、我が家も家族全員大ファンでした。
しかし、最近は募金もしないし、あまり見なくなってしまいました。
新鮮さがなくなっただけではなく、なにか「くささ」を感じるのです。
神成さんも、いまの番組のありかたに満足していないようで、いろいろと新しいことを考えています。
意見交換させてもらいました。
テレビのパワーは甚大です。
その気になれば、大きなことができるはずです。

神成さんのおばあさんは102歳だそうです。
まだお元気で、庭の掃除などをしています。
それを見て、ひ孫が自然と掃き掃除をするようになったといいます。
とてもいい話で、それこそがまちづくりや福祉の原点です。
私は残念ながら、そうしたことに気づくのが遅かったのです。
親に反発しながら育ってきたからです。
おそらく、これは私だけの話ではなく、時代がそうだったような気がします。
その結果が、今の社会状況です。
親にも子どもに悪いことをしたと反省しています。取り返しのつかない反省ですが。

神成さんもコムケアの応援団になってくれました。
コムケアもどこかで24時間テレビとの接点が出来ればと思います。もちろん「いい意味」での接点です。

NHKの清水さん、そして日本テレビの神成さん。
思いを持ったテレビ人に最近続けてお会いできて、うれしいです。

■我孫子市の市民活動支援課の杉山敦彦さん(2004年11月10日)
杉山さんと久しぶりに会いました。
杉山さんとは、私が我孫子市の総合計画審議委員会の委員をさせていただいて以来のお付き合いです。
いまは市民活動支援課で健闘しています。
また自らも市民として地元の花壇整備に取り組んでいます。

我孫子の市民活動支援の現状とコミュニティビジネスの動きをお聞きしました。
我孫子は市民活動への補助金でかつて話題になりましたが、市民活動支援も積極的です。
各地からの視察も多いようです。
私自身は、完全に共感しているわけではなく、いささかの違和感もないわけではないのですが、
我孫子市が市民活動支援に熱心なことには間違いありません。
むしろ熱心のあまり、がんばりすぎてしまっているような気がしていますが、
それは市民側、つまり私も含めて,私たちが甘えていることの反映なのでしょう。

久しぶりにきちんとお話をお聞きしました。
私も無責任に対応すべきではなく、きちんと何かを始めないといけないと痛感しました。
年明けには、動き出そうと考えています。
まだ具体策はないのですが、ともかく動き出さないといけません。
ここに書いておかないとまた延びそうなので書いてしまいました。

■私の娘のホームページにリンクしてもらえました(2004年11月10日)
以前も書きましたが、私の娘がスペインタイルをやっています。
Taller de JUN(タジェ−ル デ ジュン)です。
そのホームページに、このホームページがリンクされました。
それがどうした、と言われそうですが、
私のホームページなど見ようともしなかった娘がリンクを申し出てきたときは、
やっと娘も私の生き方に敬意を払うようになったかと思ったのです。

実は娘が2人いますが、私はあまりいい父親ではなく(最近やっと気づきました)、2人からは全く尊敬されていないのです。
尊敬する人は父親です、と言う若者に出会うといつもその父親がうらやましいです。
皆さん、子どもたちに尊敬されていますか?

ところがよく聞いてみると、まだリンク先が少ないので、賑やかしのためのリンクのようです。
いやはや。まあ、それでもいいでしょう。
リンクするためにバナーも創ってくれました。
ついでに、このホームページのマークも変えました。

娘のホームページは、スペインタイルのホームページですので、私のホームページとは読者が全く違います。
さて、訪問数は増えるでしょうか。
きっと最初のページを見ただけで逃げ出すでしょうね。
私のホームページは、意図的に写真やイラストを入れていないので、退屈でしょうね。

お返しに、私もリンクを張りました。
ぜひTaller de JUNのホームページもご覧ください。



クリスマス時期ですので、購入もご検討ください。
ただし、父親の知り合いだからという恩典は皆無だそうです。
しっかりした娘です。はい。

■東北芸術工科大学での授業(2004年11月11日)
毎年、一度、山形の東北芸術工科大学で話をしています。
大宅憲一教授の「社会のデザイン」の一こまです。
大宅さんのことも時々書いていますが、夢見る構想家です。
その夢も失敗したり、実現したり、けっこうドラマティックな人生を送っています。
最近は年に1度、お互いに会うために、この講義をやっているような気もしますが、
それはともかく、話は「新しい物語を始めませんか」というメッセージをしました。
時代の変わり目の中で、いまは若者が活躍することのできる面白い時代です。
彼らにぜひそれに気づいてほしいと思っています。

ところで大宅さんとの話です。
大宅さんは福岡市の出身です。
そのため福岡市にはともかく深い思い入れがあるのです。
福岡市には私もVIプロジェクトでささやかな接点を持ちましたが、面白い都市です。
福岡市は「自治」を標榜しています。
自治なんて当然過ぎるじゃないかと思われるかもしれませんが、
現実に自治を目指している自治体は決して多くはありません。
自治論に関してすっかり話が盛り上がってしまいました。

もう一つ、合意できた議論があります。
日本のジャーナリストの問題です。
大宅さんは30代のジャーナリスト、特にテレビ界の若手たちを集めて、
しっかりしたジャーナリスト魂とパワーを育てる塾が必要だといいます。共感します。
終わったジャーナリストの世代である、筑紫さんやばばさんたちに、ぜひともやってほしいテーマです。
日本のジャーナリストの貧しさは大きな社会問題です。

■山形市の共創仲間との食事(2004年11月11日)
私が山形市に来ることを知った市役所の杉本肇さんから突然メールが入りました。
やたら漬け屋で仲間と食事をしているので、時間があったら来て下さいというのです。
大宅さんも東京に帰る用事ができたというので、大学で別れて、食事場所に行きました。
やたら漬けはとてもおいしい漬物屋さんです
主人の新関さんも山形市のまちづくりでがんばっている方です。久しぶりにお会いできました。

共創プロジェクト仲間の若者たちとも久しぶりです。
中には3年ぶりの人もいました。
みんな元気そうで何よりです。
長い付き合いのおかげで、こうした人が山形市にはたくさんいます。

食事ではご一緒できませんでしたが、途中で佐藤一大さんに会いました。
胃腸が悪くて帰宅する途中だったようです。
実はタクシーを間違った場所で降りたおかげで、運良く会えたわけです。
偶然とは思えない、なにかの力を感じます。
一大さんは、私の考えにとても共感してくれて、一番長く共創プロジェクトの事務局をやってくれた人です。
最も信頼できる若者の一人です。
最近、なかなか接点がもてなかったのですが、今日偶然に会えたのはきっと何かの意味があるはずです。
人は会うべき人に出会うものです。

若者たちからの雑談の中から、組織が置かれている状況は良く見えてきます。

■山形市長との久しぶりの話し合い(2004年11月11日)
若者たちとの食事の後、市川市長を訪問しました。
久しぶりにゆっくりお話しました。
近隣市町との合併話が問題になっていることもあり、心労と過労で一時、入院されていましたが、
もう回復され、お元気そうなので安心しました。

市川さんは問題を生真面目に正面から取り組んでいますので、大変です。
今回はちょっと我孫子市の話を紹介しました。
市民活動支援の体制の話です。
いい接点が出来ればいいのですが。

ちなみに市川市長は共創プロジェクトに共感してくれています。
私が山形市から離れられない理由です。

■山形市役所の共創プロジェクト(2004年11月11日)
共創仲間、市長の後は、共創係の斉藤さんと小田さんとのミーティングです。
実はこれが今回、山形に来た用事なのですが、
仕事以外のことばかりしていて、肝心の仕事が最後になってしまいました。
しかし、その前の3つの活動が実はとても重要な意味を持っているのです。
まあ、我田引水かもしれませんが、これが私の仕事の進め方なのです。
なお、この間にタクシーの運転手からの情報入手もきちんとしています。

共創係はNPO支援のプログラムを開発中ですが、とてもうれしい提案がありました。
山形市でのNPO支援をコムケア方式でやりたいというのです。
場合によっては、それをコンセプトワークショップで受託できないかという相談です。
願ってもないことですが、コンセプトワークショップで受託するのがいいかどうかは慎重に考える必要があります。
これ以上、時間を割くのは私の体力の限界を超えています。
でも、コムケアモデルを山形市で育てると言うのは魅力的な話です。
ついつい引き受けてしまいました。はてさて。

斉藤さんたちと話して、かなり具体的な展望が開けてきました。
モチベーションが高まりました。
これからはまた山形市にまた通いだす予定です。
今度こそいい仕組みを実現したいです。

■谷和原村の住民の意欲(2004年11月12日)
谷和原村のプロジェクトは以前も書いたように、魅力的な話ですが、相手のパートナーが良く見えません。
テーマは城山地区の谷津田や雑木林、農地を保全しながら活用しようというものです。
その近くに、実は来年、常磐新線の駅ができるのです。
都心からの移住者が増えて行くはずです。
放置していたら、きっと大変なことになるでしょう。

そこに3年ほど前に、立派な農業公園を建設しようと言う大構想がまとまりました。
まとめたのは住民委員会と行政ですが、実際には外部のコンサルタントです。
幸いなことに財政的な問題で実現に向かって進みださなかったのです。
これが進んでいたら、もっと大変なことになっていたでしょう。
商業主義的な地域コンサルタントは本当に困ったものです。

しかし、行政としてはなにか動き出さなければいけないというわけです。
それで私にアドバイザー役のお鉢が回ってきたのです。
ともかく住民と話したいという要望に、谷和原村役場の担当者が応えてくれました。

その大構想を作成した住民委員の中から公募に応じた6人の委員とその地区周辺の行政区の3人の区長、
そして谷和原村唯一のNPO法人古瀬の自然と文化を守る会のメンバーに声がかけられました。
みんな真剣に考えている人たちばかりです。
とてもいい議論ができました。
特にうれしかったのは、ともかく現場に行って、自分たちができると今年から活動を始めようということになったことです。
谷和原村は動き出しそうです。
わざわざ出かけて行った甲斐がありました。
来年も少し行くつもりです。

余計な情報ですが、耳よりな情報です。
谷和原村にできる常磐新線の駅は「みらい平」ですが、
その駅から歩いて10分以内のところに、60坪くらいの敷地の個建て住宅が4000万円代で売り出されるそうです。
お勧めです。地価も割安です。それに、田園風景がとてもいいです。

■悪夢の週末(2004年11月13日)
悪夢の週末を過ごしています。
コムケアの資金助成プログラムに応募者してくれたのに、
資金助成の対象にならなかった124の団体に、
申請プロジェクトがなぜ選外となったかのコメントとプログラムへのアドバイスを書いています。
ともかくすべての応募者に個々にコメントさせてもらうのがコムケア流なのですが、
これがとても大変な仕事なのです。
毎年、書き終わった後は死にそうなほど疲れます。
しかし、これで元気を出してくれる人がいると思うとやめられないのです。

もっとも昨年は、ある団体から、選外にされた上にコメントされるのは心外と怒ってきた団体もあります。
難しいものです。
まあ、何か普通と違った事をやれば、必ず一人くらいは非難してきますから、謝っておけばいいだけですが。
それでも疲れます。はい。

ホームページの更新は気分転換になりました。



(2004年11月第1週)
元気が出てきた途端に風邪をひいてしまいました。
人生はうまくいきません。
しかし、風邪のお陰で、ホームページを書く気になりました。
ブログも再開です。

■コムケア資金助成プログラム公開選考会(2004年10月31日)
第4回コムケア資金助成プログラムの公開選考会です。
今年は144件の応募があり、その中から厳選された20件が発表され、それを公開の場で投票で10件に絞る選考会です。
資金助成プログラムはいろいろとありますが、こう言うか立ちはさほど多くはありません。
選ぶ事よりも学びあいの場にしていきたいという思いもあって、このスタイルをとっています。
今年は200人近い方が参加し、100人を超す方が投票してくれました。

一番と遠くからの参加は福岡の共生支援センターの西川義夫さんです。
コムケアの理念に共感してくださり参加してくれました。
発表者は福岡から青森まで全国からの参加です。
1歳から70代までの幅広い世代の参加で、発表も小学生グループもありました。
小学生のボランティア活動に取り組もうと言う団体です。
今年は気を抜いてしまい、発表のリハーサルをやらなかったのが反省点ですが、それでも中には徹夜で練習して来た団体もありました。

選考結果などはコムケアセンターのホームページに掲載していますので、もしご関心があればご覧下さい。

会場ではバタバタしていましたが、受付名簿を見たら、いろいろな人が参加してくれていました。
うれしいことです。みなさんともゆっくりお話したかったです。
根本賢二さんが体調の悪い中を来てくれたのも、うれしいことです。久しぶりの再開です。

今回の選考会は、橋本さんと矢辺さんと言う2人の若者がほとんど仕切ってくれました。
段取りと準備は橋本さんが、スタッフ集めと機器操作は矢辺さんが中心で動いてくれました。
当日は、学生を中心としたボランティアスタッフが実に見事に動いてくれました。
若いスタッフに恵まれて幸せですね、と数名の参加者からいわれました。
司会をやってくれたのは古閑陽子さんです。
来春には日本テレビに入社されるそうです。テレビでまた会えるかもしれません。
宮部さんが記録をしっかりととってくれました。ビデオもありますので、観たい人はご連絡下さい。

たくさんの出会いがあったことに感謝しています。

■第2回沈黙の春を読む会
(2004年11月1日)
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読む会も2回目です。
今回から新たに3人の方が参加してくれました。
今回は第2章を材料にし、杉本さんからの問題提起に基づいて議論しました。
今回、新たに参加してくださった茶之木淳さんが、宗教と倫理を話題にしてくれました。とても面白い話題でした。

後半では、「センス・オブ・ワンダー」の映画を紹介したビデオを観ました。
最近、この映画界や「センス・オブ・ワンダー」を読む会が広がっています。
「センス・オブ・ワンダー」はレイチェルの最後の作品ですが、とても感動的で示唆に富む作品です。

今回、改めて、「沈黙の春」と「センス・オブ・ワンダー」を重ねて話し合ってみて、
この2つの作品が同じメッセージを出していることに気づきました。
これまで渡しは別々のメッセージを受けていたのですが、
「沈黙の春」は決して科学技術批判の書ではなく、自然の素晴らしさをメッセージしていることに気がついたのです。

次回は12月3日です。
ご関心のある方はご連絡下さい。

■ローカル・ジャンクション21戦略会議(2004年11月2日)
ローカル・ジャンクション21が経済産業省の助成を受けて、新しいコミュニティビジネス起こしに取り組んでいます。
今日は経済産業省や事務局の三菱総合研究所などとのミーティングがありました。
私もローカル・ジャンクション21の理事として参加しました。
このプロジェクトは、どうせやるなら中途半端にではなく、産業パラダイムを変えるくらいの姿勢で取り組んでほしいと考えているのですが、
それはローカル・ジャンクション21の今の体制では難しい話です。
しかし、そのための芽を創ることはできるはずです。
もう一人の理事の澁澤寿一さんも、ほぼ同じ姿勢なので、ローカル・ジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんは大変です。

モノを売ってお金をもらうビジネスではなく、知恵を出し合って価値を創るビジネスが、これからは大切だと思っています。
その結果として、モノが動きお金が動くわけです。
そういうビジネスモデルが創出できるかどうか、少し心配しながら期待しています。
来年3月には発表できると思います。

■ ゴミ年表プロジェクト(2004年11月3日)
環境クラブの増山博康さんがまた新しいプロジェクトをスタートさせました。
「あなたの町のゴミ年表を作ろう!」プロジェクトです。
増山さんの活動は、いつも頭だけで考えたものではありません。
身体発想の取り組みです。ですから増山さんの取り組みは、いつも実践的で信頼できるのです。
環境クラブのニュースレターから引用させてもらいます。

ゴミ処理に使われているお金は、全国で年に2兆5千万円。膨大な額です。
どうしたら、ゴミを抜本的に減らせるのでしょうか?
そこで、ゴミ年表をみんなで作ることを思いつきました。
各地でゴミの量がどんな風に増えてきたか、どんなことをしたら減ったか? 
そういうデータを集めて、年表にして、お互い情報交換したら、ゴミを減らすことについての知恵が出るんじゃないか?
そう考えて、この連載を始めることにしました。
この連載を読んで、実際に調査を行い、ゴミ年表づくり、各地の情報交換にご参加いただければ幸いです。

連載第1回では、地元の清掃工場や清掃課に過去のゴミの量に関する資料をもらい、
取材のお願いをするファックスの書き方とゴミ年表づくりの流れが詳しく書かれています。
子どもたちにもお勧めのプログラムです。
まわりに関心を持ってくれそうな方がいたらぜひご案内下さい。

環境クラブニュースは購読制になっています。環境クラブのホームページから申し込めます。
環境クラブは、このほかにもさまざまなプロジェクトを展開しています。

■ISLのビジョンとミッション(2004年11月5日)
先日ご紹介したISLの向谷さん、東さん、松本さんがやってきました。
活動を広げていくために、ISLのビジョンやミッションを見直していると言うことだったので、
それに関する意見交換をさせてもらうことにしたのです。
代表の野田さんはじめ、この活動に関わっているメンバーの熱い思いが、前回伝わってきたので、
少し本気で議論してみたいと思ったのです。

議論の再現はやめますが、
いま、大きな時代の変わり目の中で、これまでの延長で考えていていいのか、
現在のリーダーたちは本当にこれからのリーダーたりえるのか、
今の社会にもし問題があるとしたら、それは今のリーダーたちの考えの結果なのではないか、
などなど、かなり辛らつな意見を述べさせてもらいました。
少し撃ちすぎたかなと反省したのですが、とてもうれしいメールがきました。

佐藤様の真剣なまなざしとお言葉に、
自分自身に火がついたように感じております。

私にとっては、最高にうれしい言葉です。
向谷さんたちのこれからの活動が楽しみです。
私も少しは責任をとらなければいけませんが。

■若者たちの不安(2004年11月5日)
コミュニティアート・ふなばしの下山さんは、
若者こそが現代の社会的弱者だといいます。
私は納得できていませんが、しかし、現在の日本は若者にはあまり居心地のいい社会ではなさそうです。

30代の友人がやってきました。
彼はもともと関西で仕事をしていましたが、会社の転勤で数年前に東京に転勤になりました。
ところが、仕事の過労で病気入院、その関係で会社も辞めることになりました。
幸いに健康は回復しましたが、無理はできなくなりました。
いま、求職中です。
心を開いて相談する仲間も、そんなわけでほとんどいません。
しかも、独身。身軽さはありますが、逆に生活を共にするパートナーの不在は、精神的な拠り所の不在にもつながります。
才能は豊かなのに、いい仕事に出会えていません。
将来のみならず、今も不安だといいます。

こうした友人知人が増えています。
30代といえば、一番がんばれる時です。そうした時に、がんばれる場がないのは辛い話です。
どうすればいいか。
自らで、働く場を創っていかねばいけません。
そのための環境はかなり整ってきたように思いますが、
しかし、一人で、あるいは仲間と一緒に仕事を起こすことはそう簡単な話ではありません。
私も会社をやめてから15年、仕事づくりをしてきましたが、収入がなかったときもありました。
いまでもそうあるわけではありませんが、まあ何とかやっています。

30代の若者たちを、そうした状況に追いやっている社会には、やはり大きな問題があるというべきでしょう。
やる気があれば、仕事などいくらでもあるはずだ、と言う人がいるかもしれませんが、そう言える人は幸せです。

いまの社会のあり方、あるいは経済や仕事のあり方に、大きな疑問があります。
彼の不安を分かち合えないのが寂しいです。
そんな思いで始めたインキュベーションハウスを、もう一度、真剣に考えてみたいと思います。
30代に限りませんが、一緒に仕事起こしをしたい人はご連絡下さい。
今月中に集まりをやりたいと思います。


(2004年10月第3〜4週)
このホームページは毎週更新してきましたが、先週初めて更新をしそこないました。
川に飛び込んだわけではなく、パソコンが壊れたわけでもなく、
無理をすれば更新できたのですが、ただ「その気」になれなかったのです。
そんなわけで今週は2週間分を一挙掲載します。

■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年10月18日)
美野里町都市計画マスタープランの住民配布用のパンフレット作りは、住民たちの手によって、ほぼ完成しました。
私のような外部者のプランナーから見れば不満ですが、これを作成する課程がとても重要だったのです。感激ものです。
今日は最終確認が行われました。
続いて、発表のためのまちづくり実践大会の打ち合わせです。
意見交換のセッションの進行役が私に来るかなと内心期待していたのですが、
今回は住民のみなさんが自分たちでやることになりました。
私はお払い箱になってしまいました。喜ぶべき前進です。

住民たちがその気になれば、ほとんどのことが出来るのです。
そのことに気づくかどうか、そしてやる気になるかどうか、
それがまちづくりのポイントです。
今日はとてもいい気分で美野里町から帰れました。

■作家の黒岩比佐子さん(2004年10月19日)
「食道楽の人 村井弦斉」の著者、黒岩比佐子さんと女房と3人で食事をしました。
女房も1年半ぶりでした。
黒岩さんは超多忙な人ですが、時間をとてもうまく活かしている人です。
つい先月も、クロアチアに旅行に行ってきました。
クロアチアといえば、なにやら生臭い東欧か中欧をイメージしていたのですが、
アドリア海沿いに開かれた場所なのです。私の認識不足でした。
遺跡と自然が見事に調和し、そこにまた人間どもの戦いの傷跡も見事に残った、魅力的なところのようです。
写真を見せてもらいましたが、とても魅力的な風景や人があふれています。
私たちも久しく海外に行っていないので、なおのことすべての風景が美しく見えました。
なぜ東洋と西洋の風景はこんなにも違うのでしょうか。
そして、なぜ東洋文化に中で育った私までが、うらやましく思うのでしょうか。

黒岩さんの村井弦斉の本はちょっと高いのでなかなか売れませんが、
いろいろなところで話題になり出しているようです。
我孫子市の図書館にも、私が注文する前にすでに入っていました。
我孫子市の図書館にはだれか目利きがいるのでしょうか。

以前も書いたように、村井弦斉は来年大きな話題になる人だと思いますが、
なかなかその兆しが見えないです。いやはや。
しかし、間違いなく来年は時の人です。
皆さんもぜひお読みください。

黒岩さんは、しかし、すでに次の企画に取り組みだしたようです。
黒岩さんの旺盛な好奇心とテーマをしぼる目に、いつも感心します。
しかし、ライターとして生計を立てるのはかなりの意志とエネルギーが必要です。
黒岩さんの柔らかな強さが、どうもそれを可能にしてきているようです。
おそらく、それが作品の作り方にもでているのでしょう。
プロフェッショナルな生き方を、いつも教えられます。

久しぶりにゆっくりお話できて、よかったです。
来年はそうそう気楽には会えなくなるかもしれませんし。

■コムケア選考会に向けて(2004年10月19日)
コムケアの資金助成プログラムの公開選考会が近づいてきました。
200人が目標ですが、まだ申し込みが30人です。
まともに考えると胃が痛くなってきますが、まあ、きっと今週中には100人を超すでしょう(週末に100人達成しました)。
しかし、いつも不安にさいなまれます。

しかも今回は事務局のキーマンは3人です。
橋本さん、矢辺さん、そして私です。
みんなフルタイムスタッフではありません。
そんな事情はきっとだれも想像していないでしょうね。
今回は橋本さんが全体をマネジメントしてくれています。

なぜこれでできるかといえば、みんなが応援してくれているからです。
やる気があれば、一人でもやれることがたくさんあることを、この頃改めて実感しています。
面白い時代です。
10月31日のコムケア選考会。
今年は例年より少し地味ですが、もしお時間があればご参加ください。
人生が変わるかも知れません。

■赤ペンを持って憲法を読もうの著者と語る会
(2004年10月19日)
このホームページでもご紹介した憲法の本の著者、武田文彦さんを囲んでの集まりです。
残念ながら6人の小さな集まりになりました。
しかし論客ばかりで、定刻を過ぎても終わらず大幅に遅れてしまいました。

日経の岡崎昌史さんが久しぶりに来てくれました。
それにこのホームページによく投稿してくれる石川博史さん。かんき出版の編集者の藤原雅夫さん。
そして、最後は初対面の新田さんです。
新田さんは、武田さんの「民主主義進化論」の大ファンだそうで、
私のホームページからリンカーンクラブを知り、アクセスしてきてくれたのです。
思いのあるパワフルな人です。
新田さんが来てくれたおかげで、リンカーンクラブ復活の話にまで行きました。

藤原さんがプロデュースした「憲法おもしろフォーラム」が10月28日に慶応大学で開催されます。
小林節さん(憲法学者)と武田さんが中心で、そこに国会議員も何人か参加するそうです。
このメンバーで、もう私などは興味を失ってしまいますが、予定では私も巻き込まれそうだったのです。
幸いなことに私が日程を間違って承知していたために、他の用事と重なり行けなくなってしまいました。
藤原さんには迷惑をかけてしまいましたが、ホッとしました。いやはや。

それはそれとして、しかし、何かを始めなければいけません。
憲法論議はろくろく憲法を読んだこともない人が、頭で理屈を考えているだけですから、私たち生活者には無縁の論争です。
しかし、ひとたび憲法が変われば、いま以上に私たちの生活は制約され、強制されるようになるでしょう。
行動を起こすためにも、リンカーンクラブを復活する意義はありますが、だれか中心になって動いてくれる人はいないでしょうか。
新田さんのほかに、後2人必要です。
やってもいいという人はご連絡ください。
きっと面白い展開になると思います。間違いなく苦労するでしょうが。

■ノーマライゼーションに取り組む矢辺卓哉さん(2004年10月20日)
ノーマライゼーションネットの矢辺さんは、大学を卒業するまでに自分の会社を立ち上げるのが目標です。
半年前の出会いから考えると、急速に視野を広げています。
ただ相変わらずつめが甘いのと、オリジナルアイデアを創出するための材料が不足しています。
しかし、いい根性と明るさを持っています。

新しいアイデアについて意見交換したいということで、議論しました。
企業とNPOのコラボレーションにつながる新しい事業モデルの開発です。
今回は今までの中では一番リアリティがあります。
内容は彼の許可を得ていないのでかけませんが、発展性があります。
来週またコンフロンテーションをやることにしました。

新しい事業を考えることは実に楽しいです。
時代の大きな変わり目の中で、新しい事業機会は山積みです。
それに気づかないのは、企業人が現場に出てきていないからだと私には思えてなりません。

■ 熊本で明篤館を開いた宮田喜代志さん(2004年10月20日)
熊本の宮田さんは、コムケアの大きな福祉に共感し、その理念を実際に実現しようと取り組んでいる方です。
私にはとても心強い同志です。

東京に来るたびに会いに寄ってくれるのですが、今回は来年から開所する明篤館のことを教えてくれました。
明篤館は要介護高齢者対応型の小規模多機能ホームです。
1階にデイサービスや通所介護事業所があり、2〜4階がバリアフリーの居住空間です。
そこに約20世帯が居住し、「みんなの家」として育てていく計画です。
もちろん宮田さん家族もここに居住します。
宮田さんはここの館長であり、住民であり、相談役であり、住民たちの生活をつなぐ存在です。
宮田さんのこれまでの生活ぶりを知って、入居された必要とも少なくないようです。

宮田さんは、論理と感性とが見事にバランスしている人です。
また研究者の側面と実践者の側面を併せ持つ人でもあります。
宮田さんの書く文章に、それが読み取れます。
今度の明篤館は、そうした宮田さんの生活の場でもあり、研究の場でもあり、実践の場でもあるのです。
つまり集大成の場です。
言い換えれば、宮田ワールドですね。
一度訪ねたいと思っています。

これからの展開が楽しみです。

■突然やってきた斉藤哲也さん(2004年10月21日)
私のホームページを見て、会いたいとメールをくれた人がいます。
たまたま今日、時間が空いているのでと返信したら、早速やってきました。
斉藤哲也さんです。
斉藤さんは、ソーシャル・キャピタルに関心を持って、ネット探索しているうちに私のホームページを見つけてくれました。
ソーシャル・キャピタルから入ってきた人は初めてです。

斉藤さんは、この4月で人生を変えた人です。
ブログがありますので、ぜひ訪問してください。
http://blog.goo.ne.jp/cheolsaito/
幅広い関心をお持ちのようですが、私との共通点もたくさんありそうです。
しばらくはまちづくり系のNPOにかかわりながら、将来はまちづくり分野で仕事をしたいと考えています。
最近は自らのやりたいことをやるために、会社を辞める人も増えてきました。
この動きはきっと大きな潮流になっていくでしょう。

斉藤さんのことはまたきっと紹介できる日が来ると思います。
楽しみです。

■空白の1週間(2004年10月28日)
21日以来、いろいろなことがありました。
東京にはほとんどいなかったのですが、これは空白の1週間です。
たまには「秘密」もいいでしょう。
というほどのことはないのですが、書く気力がありません。
この1週間は省略です。

■台風と地震(2004年10月29日)
先週から今週は、私には少し過重な週でした。
23号台風で、友人知人、さらには家族にも思わぬ事故がありました。
それが収まったかと思ったら、今度は新潟地震です。
私の両親が新潟出身です。

幸いに親戚や友人知人には大きな被害はなかったのですが、
こう繰り返し自然災害が起こるとなにやら動けなくなります。判断が止まるのです。
9月11日よりも、最近の日本の状況のほうが、私にはこたえます。

そして、またまたイラクでの日本人誘拐です。
さすがの私も、思考がついていかなくなってしまっています。
判断できないのです。
勝手なことをやって、と被害者を非難したくなっている自分に気づいて、ちょっとゾッとしたり、
そうした身勝手な行動が増えているのも私たち世代の生き方の責任だと 自己嫌悪に陥ったり、
精神的に安定しません

そうした状況を感じられたのか、広島の折口さんから電話とメールが来ました。
電話は出られませんでしたが、メールにはとても考えさせられる情報が乗っていました。

メールには、
けさホームページを見ていましたら、
佐藤さんが最近つぶやかれておられることと似たようなことをある方が書いておられました

とありました。
イラクでの日本人誘拐事件に関する、あるホームページからの引用記事です。
冬山の怖さをしらず、軽装備で冬山に入った。そこで遭難した。
彼の行動は責められて当然である。
しかし遭難して助けを求める者に、自己責任を理由に救助を行わないことが許されるだろうか

やっと判断力を回復しました。

そのホームページの筆者は、最後にこう書いています。
日本人は正常な感覚を取り戻して欲しい。
何か最近は、日本人の気持ちの中に無関心、無感動が広がっていないか

あぶなく私もそうなりそうだったことに気づきました。
折口さんのメールを読んでいて、急に涙が出てきました。
そして、疲れすぎの弊害を改めて思い知らされました。
いつになっても成長しない自分に恥ずかしくなります。

折口さんにまた、救われました。
やはり過労気味のようです。

31日はコムケアの選考会です。
それがすんだら、1週間休もうと思います。
折口さんは、このホームページの更新がないので心配してくれたのですが、
そう思っている人もいるかもしれません。
それで中途半端ですが、21日までに書いていたものに本日のこの項目を書き足して、ともかくホームページを更新しておきます。
ご心配をかけました。

■広島の原博己さんから酉の土鈴が送られてきました(2004年10月30日)
昨日、ホームページを更新したつもりが、忘れていました。
今日、またメールが来たのです。

事件も一つありました。
広島の折口さんの友人の原さんが、手作りの土鈴を送ってきてくれました。
以前も土笛と土鈴を送ってきてくれたことがあります。
ちなみに、私は原さんとは全く面識がないのです。
折口さんが私のことを話したところ、なぜか私に笛を送ってくれたのです。
そして、今日は土鈴です。土笛も入っていました。
きっと折口さんがまた私の事を話してくれたのでしょう。
みんな本当にやさしいです。


明日はコムケアの最終選考会です。
よかったら来てください。午後1時からです。
これが終わったら、また1週間、空白にしようかと思います。

新潟の寒さが心配ですね。
イラクの事件も心配ですが。


(2004年10月第2週)

自らの容量以上のものを最近引き受けてしまっているようです。
精神的に余裕がなくなってきています。逃げたい気分がどこかにあります。
一昨日、橋をわたりながら、下を見たら、急に飛び込みたくなりました。
危険状況です。
そんな1週間でした。
今週お会いした人には、疲れきった私を見せたようで恥ずかしいです。

■ ISLの野田智義さん(2004年10月12日)
ISLは、Institute of Strategic Leadershipの略で、新しい社会のリーダーの育成に取り組むNPOです。
創設した野田智義さんのキャリアはとても興味深いものがあります。
欧州経営大学院戦略経営担当教授からの転身です。
詳しくはホームページでご覧ください
テレビでも話題になった、高校生たちとマレーシアのマハティールとの出会いの場をつくったり、
次世代の戦略的リーダー養成プログラムを展開しているグループです。
そうしたリーダーたちのコミュニティづくりに取り組んでいますが、
コミュニティという言葉のご縁で、野田さんと3人のスタッフの方がやってきました。
福岡大学の田村馨さんが私に会うことを勧めてくれたそうです。
田村さんは、福岡市のある委員会でご一緒したのですが、
私のことを記憶してくださっていて、時々情報を送ってくれるのです。

野田さんたちとはかなり「青臭い」議論をしました。
意味のある議論をするためには、言葉で語るのではなく、言葉の含意する実体で語らなければいけません。
そうした議論はめったにできません。
みんな言葉だけでの空疎な議論をする癖をつけてしまっているからです。
しかし、野田さんはどうもそうではないようなので、言葉の質問から始めました。
おかげで約束の予定が倍以上になってしまいましたが、とても刺激的な時間でした。

最近のビジネスリーダー養成の動きには不満があります。
価値観と社会性が欠落しているからです。
その原因の一つは、米国流の組織起点の経営理論に立脚しているからです。
そこには、かつての日本の経営にあった「三方よし」「他利自利円満」の考えはありません。
あるとしても「社会貢献」の思想です、二元論発想ですから、ホリスティックな思考が不在です。、
しかも「貢献」などとは、本末転倒としか思えません。
それで果たして、これからの企業経営はいいのか。
私には疑問があります。

言葉だけは綺羅星のごとくきれいに並べられていますが、実体の議論はあまり感じられません。
その証拠に昨今の経営者には倫理やビジョンを感じられません。
そして日本の産業の健全性は回復していないように思います。
相変わらずの儲け過ぎと儲け隠しが横行しています。
真面目な中小企業にシワ寄せしながらです。
いつか書き込んだように、日本の経営は3流に堕ちています。
主体性がないのです。
問題を起こした企業の経営者の反応をテレビで見れば納得してもらえるでしょう。

経営者にも「道」が必要だといって経営塾を開いたのは、市川覚峯さんです。
これが経営道フォーラムですが、残念ながら最近は研修プログラムになってしまっています。
今まさに、新しい経済界のリーダーや社会のリーダーが求められています。
いや、リーダーではなく、リーダーシップかもしれません。
いうまでもなく、リーダーとリーダーシップは別のものです。

私が野田さんに興味をもった理由は、
野田さんが企業の「株主価値」を研究していて、それに少し問題を感じたというお話を聞いたからです。
企業価値が議論され出した時に、ほとんどの人は米国経営学の流れの中で、
キャッシュフローとしての企業価値、すなわち株主価値を話題にしました。
しかし大切なのは、社会にとっての存在意義としての企業価値です。
それを忘れた日本の経営学者の視野の狭さが日本の企業をダメにしてきたように思います。
経営を守銭奴たちに明け渡したと言ってもいいでしょう。
その典型が金融業界です。今の銀行は昔の銀行ではありません。
企業とは一体何か。そのミッションは何か。経営とは何か。働くとは何か。
そうしたことをしっかりしていないで企業を経営できるわけがありません。

野田さんたちの活動が、そうした認識のもとに、新しいリーダーを育てる場づくりをしようというのであれば、ぜひ関わりたいと思います。
一度、野田さんたちが何を目指しているかをテーマに議論させてもらうことにしました。
面白い議論ができそうで、とても楽しみです。

■ 生業としての農を考えるコムケアサロン(2004年10月12日)
今回のコムケアサロンは、いつもとは違う雰囲気のサロンになりました。
テーマが「農」でしたから、無理もありません。
しかし、農の知恵にこそ、ケアや福祉のすべてが凝縮されていると私は確信しています。
最近の社会の問題の本質は、「つながりを壊すことによって発展する工業の時代」に起因していると私は考えていますが、
農は「つながりを育てる」ところに本質があるのです。
大きな福祉は農と深くつながっています。

問題提起者は環境クラブの増山康博さんです。
私がまだ余り理解していない人です。しかし、理解できなくても信頼できるタイプの人です。
彼は自ら畑を耕し、農業をやっています。
信念に基づき、ドメインを広げていますが、しっかりした基軸があります。
それに一番は嘘をつかない人です。
環境クラブのことはホームページをご覧下さい。

農業に特に関心のある参加者はこのホームページにも登場した降旗さん塩野さんです。
それに宮部浩司さんです。私もかなり関心があります。
それに小学校の時の同級生の鎌田芳郎さんが息子さんと一緒に参加してくれました。
息子さんの鎌田敏治さんは「ハコプロ」という会社を創立し、住宅のリノベーションなどに取り組んでいます。
ちょっと場違いのテーマだったと思いますが、まあ、むしろさまざまなテーマと参加者がサロンの重要な要素です。
いつものケアメンバーがあまり参加してくれなかったのが残念です。
呼びかけ方にきっと問題があったのでしょう。

いろいろと面白い議論がありました。
百姓の意味や農社会では最後のライフラインは保証されるというような話も出ました。
増山さんが構想している「就農支援セミナー」もまもなくスタートしそうです。
農と食の話はいつかまたやりたいと思っています。

■ アクサムの南山宏さんと最近のブランディングの動き(2004年10月13日)
アクサムの南山さんとはもう15年くらいの付き合いですが、久しぶりに彼のオフィスを訪ねました。代官山にあります。
南山さんはCIの世界で仕事をしています。
新鮮さと若さとコンセプト重視が強みです。
最近あることで、彼の仕事振りに触れることがありました。
その感想を話しに行ったのです。

私は最近、企業のCIの実務からは離れています。
しっかりしたプロジェクトであれば、やりたいのですが、残念ながら出会えないでいます。
それに最近のCIが、ブランディングやマーケティングにあまりにシフトしているのが納得できずにいます。
私にはそれこそが退化しているように思えるのです。
ちなみに、15年ほど前に書いたCI関係の小論を掲載しました。
関心のある方はお読みください。
古い物ですが、残念ながら事態は進化していないように思います。

最近のブランディング理論やメソドロジーもまた、米国流の20世紀型経営手法に乗っ取っているのです。
ブランドエクイティを金銭的資産価値で評価する発想は、おそらくもはや終わろうとしている概念でしょう。
ところが、今や日本のブランディングで大きなプロジェクトに取り組んでいるのは、
欧米の企業のメソドロジーを導入した外資の息がかかっているところのようです。
第一、ブランディングのテキストの多くが米国人によるものであり、あるいはそれをなぞった大学教授のものです。
もっと日本の実践の場にいるコンサルタントが自らのメソドロジーを創出しなければいけません。
そんな話を久しぶりにしたわけです。
アクサムのホームページをぜひご覧下さい。魅力的な作品がたくさん見られます。


■ 自殺対策支援センターライフリンクの清水康之さん(2004年10月13日)
大人たちの集団自殺というショッキングな事件が起こりました。
日本では相変わらず毎年3万人の自殺者が出ています。
これは社会が病んでいる証拠です。
いつ自らの問題になるかわかりません。

清水さんはこの春までNHKの「クローズアップ現代」のディレクターでした。
3年ほど前に「自死遺児=親が自殺し遺された子どもたち」についての番組を作ったことがきっかけで、
ひとりの大人として日本の自殺問題についてしっかりと考えていかないといけないと強く感じるようになり、
同じように考えている人たちと一緒に、創設しようとしているのが、自殺対策支援センターライフリンクです。

私が清水さんを知ったのはコムケアのおかげです。
そのメーリングリストに清水さんが投稿されたのです。
そこでお会いしました。
感激しました。テーマに出会えると人はこんなにも魅力的になれるのかと思いました。

清水さんの活動に心から共感しました。
私もなにかお役に立ちたいと思っています。
自殺予防の仕組みとしてはフィンランドが一番進んでいるとのことでした。
フィンランドといえば、参議院議員のツルネン・マルティさんがフィンランド出身です。
最近はご無沙汰ですが、議員になる前に、ツルネンさんと一緒にアンテナ市民の会の活動をやっていた事があります。
彼が関心を持ってくれるかもしれません。
時間ができたら、一度、会いに行こうかと思ったりしています。

自殺と犯罪被害者と交通事故は、私にとってもとても関心のあるテーマなのです。
大きな福祉の、まさに中心課題だからです。

■ KAEジュニアエグゼクティブ一期の井坂匠さん(2004年10月13日)
井坂さんは沖ソフトウェアの社員でした。
昔、私がそこに講演に行ったのですが、その後、井坂さんはKAEのジュニアエグゼクティブを受講され、
その関係でまた関係が強まり、それ以来のお付き合いです。
しかし久しくお会いしていなかったのですが、久しぶりに訪ねてきてくれました。

井坂さんは、今は別の会社で、IT関係の最新の分野の仕事をされています。
出向ではなく、完全な転職です。
新しい会社と前の会社の企業文化の違いに慣れるまで、とても大変だったと言います。
いずれも私からすれば、とても企業文化のいい会社ですが、やはり違いは大きいのですね。
とても興味深い話でした。
企業合併が含意する企業の未来が見えてきます。

ところで、KAEでは実にさまざまな人と出会いました。
みんなそれぞれに社内では経営層になっています。
うれしいことですが、最近の企業の状況をみているとKAEでの学びは役に立ったのかと心配です。
そうした人たちにぜひ、NPOやまちづくりの世界に触れてもらいたいと思います。
それと私の企業論をいまこそ聞いてもらいたいと思います。
今の経営層が生き方を変えないと、若い世代はますますおかしな方向に進んでいくような気がします。
日本の企業は今なお進路を間違っているように思えてなりません。
NPOから学ぶ事が多いはずなのですが、学ぶ視座も余裕も能力も失いつつあるようでとても残念です。
私の思い違いであればいいのですが。

ちなみに、井坂さんは、コモンズ書店に「ライフスタイル発想」の本を購入しに来てくれたのです。
コーヒー付きの販売です。この本はとても読みやすいです。
まだの方はぜひ湯島のコモンズ書店に買いに来てください。
著者の今成さんから5冊預かっています。
返品はしたくないので売り切りたいと思っています。みなさんもぜひどうぞ。

■ ソーシャル・アントレプレナー養成講座スタート(2004年10月14日)
昨年のソーシャルベンチャー講座が今年はソーシャル・アントレプレナー要請講座として、スタートしました。
東京都特別区職員研修所のプログラムです。
開講までにいろいろな事件続きでしたが、なんとかスタートです。
私はコーディネーターですが、極めてアバウトなコーディネーターなのです。
一応、開講式なので話をさせてもらいましたが、私の役割はなんとアジテーションだそうです。
「ソーシャル」と「アントレプレナー」について話しました。
要約すれば、ソーシャルとは人のつながりから考えることであり、アントレプレナーとは物語を創る事であるという話です。

この2つの言葉をあいまいにして、語っていては何も変わりません。

ソーシャル・アントレプレナーの方の話として、ケアセンターで有名なNPOやわらぎの石川治江さんをゲストでお呼びしました。
とても刺激的な話をしてくださいました。

この講座の参加者は今のところ7人しかいません。アドバイザーの人数の方が多いという豪華なプログラムです。
これからどうなりますか。
半分楽しみ、半分不安なプログラムです。

■ 得度したいという友人(2004年10月15日)
このホームページには、以前は私の周辺の出来事をほぼ完全公開していましたが、
相手がいる事でもあり、時に問題を起こす事があります。
ですので、今回は匿名の記事にします。

得度したいと相談に来た友人がいます。
かつて、市川覚峯さんから得度するので比叡山に来てくれと言われた時には驚きましたが、今回も驚きました。
もちろん論理的に考えれば予想ができた人ですが、彼は会社の社長なのです。

そういえば、今週だけでも、1週間の内観に行ってきたというメールとサンチャゴ巡礼から戻ったというメールが来ていますが、
どうも最近、そうした動きが増えています。社会が病みだしている、これも一つの現われでしょう。

将来に向けての夢や希望がどんどん失われ、しかも現実の不安が高まると同時に、
かつては自分には遠い世界の話だった、自殺や倒産、殺人事件や事故への巻き込まれなどがいつ自分に起こってもおかしくない状況が広がっているのです。
信仰や神への帰依が求められる時代です。
にもかかわらず、日本にはきちんとした信仰を支える仕組みがありません。
宗教に対する考えも仕組みも奇妙なものしかないように思います。
日本の宗教界はなぜ動かないのでしょうか。
不思議です。

■ 「オオバン我孫子市民債」(2004年10月15日)
我孫子市には、かつては利根川の一部だった「古利根沼」があります。
その自然環境を保全して行くための用地取得費として、2億円の市民債を発行することになりました。
利率は国債を下回る低利率でしたが、申込みが殺到し、1255人が応募し、目標の5倍の10億円の申込みがありました。

私も申込みましたが、残念ながら抽選で外れるかもしれませんが、とてもうれしい動きです。
こうした動きはきっと各地に広がって行くでしょう。
もう国の財源を当てにするのではなく、市民債で資金を集め、それを基に行政が利益を創出して市民債を返済して行く時代です。
あるいは市民基金でもいいでしょう。
自分たちの生活社会は自分たちで創っていかねばいけません。
それこそが、コモンズの回復です。

社会は大きく変わってきています。
こうした動きの中にも、それが読み取れます。
先入観を捨てて発想する時代がまさに来ています。

[追記]
このオオバン市民債に関してはその後評価が変わりました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/07/post_46d5.html

■ 日本構想学会カンファレンスでの最学構想議論(2004年10月16日)
日本構想学会のカンファレンスが開催されました。
最初のセッションは、真の学びの場づくりに取り組む最学構想創業研究会の公開議論でした。
提案者は半田智久さん。とても示唆に富む構想の発表がありました。
内容は構想学会のホームページに掲載されていると思いますので、例によって省略ですが、刺激的な議論が行われました。
久しぶりに、中西元男さん(パオス)、中馬淳さん(博報堂)、加藤誠也さん(ダイナアーツ)とも議論できましたし、宮城大学の学生諸君とも話しあえました。
関西大学の水野由多加さんにも初めてお会いできました。

教育と学びとは全く次元の異なるものだと、私は思っています。
教育は組織起点の発想であり、そのために価値尺度は一つですが、
学びは個人起点の発想であり、評価基準は主観的基準しかありません。
パラダイムが全く違うのです。その立脚点に立てば、実現は簡単ですが、
時間軸はかなり長くなり、その形成プロセスこそが学びの場になるということになりますから、
構想自体の意味合いがダイナミックなものになります。
しかし、どうもこうした私の発想はなかなか伝わらないのが残念です。

この構想は半田さんのライフワークです。
今回の議論を踏まえて、構想はきっと進化するでしょう。
いつも私はアンチテーゼばかり出していますが、今日はいろいろと示唆をもらいました。
面白い展開ができそうな気がしてきました。
しかし、どうも半田構想と外れていくような不安もあります。
半田さんとまた議論したいと思います。

■ ドナルド・ノーマンの「エモーショナル・デザイン」(2004年10月16日)
日本構想学会のカンファレンスの2番目のセッションは「エモーショナル・デザイン」です。
15年ほど前に話題になった「誰のためのデザイン」の著者のドナルド・ノーマンの
新著「エモーショナル・デザイン」を翻訳した安村通晃さんをお招きして、要旨をお話いただきました。

「誰のためのデザイン〕には、実は私は少し違和感がありました。
しかし、今度の本は副題を見ただけで共感しました。
副題は「微笑を誘うモノたちのために」です。
実はこれは翻訳の副題なのですが、著者のノーマンがとても気にいって、改訂版を出す時にはこの副題を使うと言っているそうです。

本の帯に書かれているコピーを引用させてもらいます。

使いやすいだけではデザインではない。
ハッピーにしてくれるか?
自慢したくなるか?
物語があるか?

どうですか。読みたくなりませんか。
最近の退屈なデザイン論議とは全く違った、ワクワクするような気分になりませんか。
来週から書店に並ぶそうです。
私はまだ斜め読みしかしていませんが、前著より読みやすいです。
お勧めします。

■ 「よみがえれニッポン」でのユニバーサルデザイン議論(2004年10月16日)
エモーショナル・デザインの次は、ユニバーサルデザインです。
毎月出演している朝日ニュースターの番組「がんばれニッポン」です。
今日のテーマは「ユニバーサルデザインと人間の自立性」。
伊勢のバリアフリーツアーセンターの話と
ユニバーサルデザインが人間本来の自立的な機能を衰弱させるのではないかというのが具体的な話題でした。

前者はとても面白い事例で、障害者や高齢者に伊勢志摩に来てもらって楽しんでもらう活動です。
「パーソナル・バリアフリー」という発想で、これまでとは違い、それぞれがやりたいことをやれるようにするという、アクティブなバリアフリー発想をとっています。
すでに成果が上がりだしているそうで、そのプロジェクトを推進して来た中村さんは全国に広げていきたいと言っています。
障害のある人も一緒になってバリアフリー化を進めているなかで、観光関係の人や地域の人が意識を変えてきたそうです。
そして、旅館も宿泊客が増えているそうですし、伊勢駅では車イスの人がずいぶん増えてきたそうです。
とても共感できます。
ただ大きな落とし穴もあります。
きっと本当の成果は3〜5年後にならないとわからないでしょう。
しかし興味はあります。

ユニバーサルデザインと人間の自立性の話題は、トステムの亀下さんが問題提起者でした。
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークとのコラボレーションを実現した、あの亀下さんです。
バリアフリーのお風呂にしたら、身体がむしろ弱ってきたという話が、ある人から寄せられたというお話から、
ユニバーサルデザインと身体機能の関係を問題として出されたのです。
私は、バリアフリーよりもバリアチャレンジの発想が強い人間ですので、この話にはとても興味を持ちますが、
しかしおそらくこれでユニバーサルデザインすべてを語ってしまっては危険です。
別の次元の話なのです。

それにバリアフリーにしろユニバーサルデザインにしろ、余りにも当然の事が、さも特別のように語られる昨今の風潮にはどうも納得できません。
しかし、亀下さんの問題提起のおかげで、この番組に参加して以来はじめて面白い議論ができました。
こうした議論をもっとしなければいけません。

今回はいつもメンバーに加えて、メディア教育開発センターの黒須正明さんが参加されました。
帰りの電車の中で、構想学会のカンファレンスで話題になった「エモーショナル・デザイン」を読み出したら、
なんと黒須さんのことが出てきました。世界は狭いです。


(2004年10月第1週)

今週もいろいろとありましたが、少し疲れ気味で、まさに忙しさを感じました。
5年前までのような気力の持続も最近はむずかしくなりました。
しかし、皮肉なことに台風のおかげで、週末をゆっくりと過ごす事ができました。
生活をかなり取り戻しました。元気もです。
今週は、環境、平和、音楽、企業、NPO、まちづくり、さまざまな出会いがありました。
その一部をご紹介します。

■手賀沼流域フォーラム(2004年10月2日)
私の住んでいる我孫子市の大きな財産は手賀沼です。
我孫子市の総合計画でも、この手賀沼がまちづくりの中心におかれています。
手賀沼は、しかし、我孫子市だけのものではありません。
直接接しているところだけでも、柏市と沼南町と我孫子市の3つです。
私自身は手賀沼水質浄化の活動に直接参加していませんが、
30近い市民活動団体が連携をとりながらさまざまな活動をしています。

その3つの自治体で毎年順番に手賀沼流域フォーラムが開催されています。
今年は我孫子市の番です。
我孫子市の水の館を会場に、さまざまなグループが出展し、イベントも行われました。
市民団体と行政と企業、さらには学校も含めた、手賀沼流域フォーラム実行委員会が主催です。
女房と一緒に、会場に足を運びました。
みんな楽しそうな雰囲気です。
我孫子市環境レンジャーや手賀沼トラスト、手賀沼にマシジミとガシャモクを復活させる会、
ふれあい手賀沼の会など、20近いグループがブース展示をしています。
それぞれがみんな魅力的な活動です。
環境保全活動は楽しくなければいけませんが、みんな楽しそうです。

会場で偶然に、3月までの手賀沼課長と4月からの手賀沼課長に、それぞれ会う事ができました。
最近、なぜかご無沙汰の知人友人との偶然な出会いに恵まれています。
これもきっと意味のあることなのでしょう。

ちなみに、我孫子市ではいわゆる環境担当の課の組織名が手賀沼課なのです。
前任課長は石原正規さん。
1999年に山形市で、「環境と共創」をテーマに全国地域づくり先進事例会議を開催したのですが、
その時、事例紹介に山形市まで行ってくれた人です。
ひょんなことからコムケアとの接点も、つい最近できました。
現在の課長は渡辺和夫さんです。
我孫子市の総合計画の審議委員をさせてもらった時にお世話になった人です。
湯島にも来てくれました。

先日ご紹介したヨシの話もあって、一度、手賀沼課を訪問しようと思っていたのですが、
手賀沼は水質や土質などの点でヨシはあまり向いていないようです。
コムケアが一段落したら、渡辺さんのところを訪問することにしました。
私もいずれかの活動に参加しようと思っています。
実は春から考えているのですが、魅力的なものが多く、目移りして決めかねているのです。
困ったものです。

■アサザプロジェクト(2004年10月2日)
手賀沼流域フォーラムのイベントの一つとして、霞ヶ浦のアサザプロジェクト代表の飯島博さんの講演がありました。
私は直接お話を聞いたことがなかったので、聞かせてもらいました。
やはり直接話を聞かないと活動の意味が理解できないものだと、改めて思いました。
とても共感できる話でした。
飯島さんは環境から入りましたが、やはり福祉へと視野が広がっています。
まさに「大きな福祉」の話に通ずる話をしてくれました。
終了後、お話したかったのですが、予定が詰まっていたため、残念でした。

アサザプロジェクトは実にビジョナブルです。
感服しました。
社会は大きく動き出しているということを改めて実感しました。
やはり実践者はすごいです。
環境問題への関心の有無にかかわらず、ぜひ一度、アサザプロジェクトのホームページをご覧ください。
たくさんの示唆をえられるはずです。

■世界恒久平和の実現に取り組む小松昭夫さん(2004年10月4日)
朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」の番組を見た、島根県松江の小松さんが、
キャスターのばばこういちさんを介して、私に会いたいと言ってきました。
小松さんは水問題にも取り組んでいる方のようですので、もしかしたら宍道湖の水質浄化のヨシの話かなと思いました。
それにしても番組ではそんな話はしていませんし、
それに当該番組はテーマや進め方にかなり違和感があり、
私はあんまりいい態度ではなかったのではないかという記憶しかありませんので、いささか心配でした。
ばばさんと一緒にお会いしました。
小松さんは奥様と一緒で、さらにけやき出版の交易場修さんもご一緒でした。

お会いした途端に、小松さんは話を始めました。
残念ながらヨシの話ではなく、平和の話でした。
この10年、小松さんが取り組んできた構想の話です。
その構想の機が熟し、準備が整い、いよいよキックオフに取り組みたいと言うのです。
その構想は壮大なものですが、しかし具体的な要素がたくさん準備されています。
話はアインシュタインからピタゴラス、そして靖国問題から昇華理論、出雲の語源から中海干拓、教育や産業、ギリシアから特攻隊。
自由自在に飛びますが、その核にあるのは平和です。
しかも世界恒久平和です。
こういうことを語る人には、これまでも数人出会っていますが、いずれも胡散臭さがあります。
それに、平和の意味もあまり考えていない人が多いのです。
しかし、小松さんはこれまでの人と全く違います。「邪気」が感じられないのです。

実に楽しいプレゼンテーションを受けましたが、構想の内容はほとんど理解できませんでした。
しかし、小松さんのビジョンと課題は伝わってきました。
私に出きることは何でしょうか。
難しい問題です。
なにしろ小松さんというエネルギッシュな人が10年かけて構築してきたことを、
1時間で受け止めさせてもらったわけですから、私の頭もいささかの混乱です。
ばばさんと小松さんの奥様が、それでは伝わらないし急ぎ過ぎだとたしなめても、小松さんはひるみません。
そのくらい小松さんの思いは熟し、先が見えてきているのです。
よくわかります。
これは思いを詰めてきた人にしかわからないことでしょう。

なぜ私に話してくれたのでしょうか。

15日にシンポジウムがあるそうです。
私はいけませんが、どうもそれと構想はうまくつながりません。
たぶんグランドデザインが弱いのでしょう。
もしかしたら、「コンセプトデザイン」が必要なのかもしれません。
もしそうであれば、私の出番です。
私の職業は「コンセプトデザイナー」なのです。

一度、松江に行ってみようと思います。
出雲には深い思いもありますし。
ご関心のある方は小松さんの研究所、人間自然化学研究所のホームページをご覧下さい。

■揚原祥子さんのピアノリサイタル(2004年10月4日)
揚原さんは女房が大好きなピアニストです。
やさしさの中に勢いを、勢いの中にやさしさを感ずるというのです。
CDで聴かせてもらうと確かに躍動と思念を感じます。
素晴らしいから一度一緒に行こうと誘われていましたが、やっと付き合えました。
最近少し疲れ気味だったので、気分よく眠れるかなと半分は期待していました。
音楽に包まれて気持ちよく眠るのもまた、ひとつの鑑賞法だというのが私の考えなのです。
ところが、2時間の演奏時間、眠るどころではありませんでした。
こんなにパワフルなピアノ演奏を聴いたのは初めてです。
ピアノの世界の広さを改めて認識しなおしました。

曲はベートーベンとブラームスとリストでしたが、すべてが初めての曲でした。
特にリストの『巡礼の年第二年「イタリア」より』の5曲は恐ろしいほどのパワーです。
これはリストがスイス、イタリアの巡礼中に出会った、ルネサンス絵画や文学に霊感を得て創られた曲だそうです。
ルネサンス期の「暗い」時代の気分を感じます。
まだ色濃く残っていたであろう、おどろおどろしさも感じました。
正直に言えば、あまり気持ちのいい音楽ではありませんでした。
それを予想してか、最後のアンコールには2曲も心和む曲を弾いてくれました。

ともかく迫力のあるコンサートでした。
少しつかれましたが、いろいろと思うことがありました。
揚原祥子さんの後援会の公式サイトを紹介しておきます。
http://soloist.press.ne.jp

■美野里町まちづくり湯島会議(2004年10月5日)
美野里町外野チームの検討会です。
最近は東京理科大学で開催しています。
今回のテーマは、まちづくり組織条例に関してです。
前回の美野里町での会議で、これまでの行政区を一気に変革するのではなく、
これまでの体制のそれぞれの段階のなかに、新しい住民活動支援の芽を入れていくことを提案していくことになりました。

まちづくりはいま、さまざまな意味で変わる絶好のチャンスを迎えています。
それに気づいている首長がいる自治体は幸せですが、首長だけでは限界があります。
住民にもしっかりした実践者がいないと難しいでしょう。
しかし、取り組む人はあまり報われないのも事実です。
多くの住民は応援するどころか、冷ややかにしか反応しないからです。
新しい事を起こす場合、最初に人は自己満足でしか報われない事が多いのです。
それでもきっとやる価値はあるでしょう。
そう言う人が出てくるかどうか、それがこれからのまちづくりの方向を決めて行くのではないかと思います。
美野里町はどうでしょうか。

■オレオレ詐欺事件(2004年10月5日)
ついに我が家にまで、オレオレ電話がかかってきました。
電話に出たのは女房です。
家族全員、電話に出たかったと残念がりましたが、我が家にまでかかってくるとは他人事ではありません。
電話は娘の名前をかたったものだったそうです。
「○○だけど、今困っている」と言う内容を泣き声で話したそうです。
たまたま本人が我が家にいたのですが、名前が男性か女性かいずれにもとれる名前なので、
犯人は迷ったのでしょうが、男の声でかけてきたそうです。
娘はいうまでもなく女性です。
女房は笑いをこらえて、電話を長引かせようとしたそうですが、成功しませんでした。
きっとオレオレ詐欺会社の新入社員だったのでしょうね。

私のところにも、昔から商品投機の電話はよくかかってきます。
昔は、仕事を変えたほうがいいよと諭すようにしていましたが、最近はすぐ切るようにしています。
いつになってもなくならないのは問題ですね。
こうしたことを助長しているのも経団連に代表される財界人だと私は確信していますから、
奥田さんや北城さんがどんなに奇麗事を言っても、彼らは信頼しません。
というよりも、彼らの欺瞞性を許せません。
まずはそうした基本を正す努力をすべきです。
それがないのが日本の経済人です。
彼らは経営や経済のプロではありません。

話が思わぬ方向にとんでいますが、娘がなぜ名前と電話番号がわかったのだろうと不思議がっています。
卒業生名簿や通販のリストであれば、名前と性別もわかるはずだから、違うルートだというのです。
それに彼女はとても慎重な性質で、過剰と思えるほど電話や個人情報の漏洩には気使っています。
出所はどこでしょうか。
ここにもどうしても企業や行政の存在を感じます。
企業や行政の仕組みをもう少ししっかりと考え直す時期です。
CSRもCSも良いでしょうが、その前に企業や財界がやるべきことはたくさんあるのです。
基本ができずに、大口をたたいてはいけません。
日本の政治が3流ならば、経済も経営も3流です。
彼らに恥はないのでしょうか。

■東レ経営研究所との交流(2004年10月6日)
東レ経営研究所の武澤泰さん(副社長)と渕野康一さん(取締役)がやってきました。
武澤さんとは久しぶりの再会です。
東レ経営研究所は、人材開発と技術調査をドメインにしています。
私の関心事に重なるところも多く、一緒に仕事できる分野もかなりあるのですが、
これまでは全く興味がありませんでした。
しかしこのところ、なにやら接点が見え始めたのです。
接点探しも含め、気楽な意見交換をしました。

武澤さんは邪気のない人です。
昔、学生の時の仲間とつくったという本をもらったことがあります。
仲間と本を書くと言うのは、普通のサラリーマンはやりません。
それがずっと気になっていました。
彼と何か仕事を一緒に出きるのはきっと楽しいことでしょう。何かが始まるかもしれません。
コンサルタントにとって最大の報酬は面白い仕事です。
そして一緒にやる仲間です。
東レにはある種のアレルギーもあったのですが、まあそろそろ解禁してもいいでしょう。

私は自らも企業や行政のコンサルティング活動をしていますが、
基本的にこの20年の日本のコンサルタントやプランナーの活動に対しては否定的です。
形式的なものが多いからです。
いい加減にやっても効果を上げられた時代は終わりました。
本当の意味での価値創造力が問われていますが、それはそう簡単には育てられません。
東レを辞めた後、新しいスタイルのコンサルティングのフレームを構築しようと思ったこともありましたが、
なかなか実践場を得られずに、取り組めないまま、今日に至っています。
しかし、企業業績を上げるのは簡単だと言う確信はえられています。
後は顧客です。

私の場合は、基本料金が3億円ですから、みなさん躊躇するでしょうが、
本気にやろうとすればそのくらいのリスクをとらなければいいプロジェクトにはなりません。
この金額は冗談ではなく本気ですが、その真意はなかなか伝わりません。
実際には3億円はすぐには無理でしょうが、それくらいのリスクをとる姿勢があるかどうかです。
企業で仕事をするのであれば、そのくらいの気概がなければいいプロジェクトにはなりません。
それに3億円は、大企業にとってはそう驚くほどのものではありません。
まあ、そこが問題なのですが。
ちなみに、私の場合はまだ3億円の仕事の受注はありません。
だから当社も赤字から抜け出られません。
日本ではコンサルタントも育っていませんが、それを使いこなす組織も育っていないのかもしれません。

余計な話はともかく、かつての会社仲間との話はとても楽しいものがありました。
今日はコンサルティング料としてお昼をご馳走になりました。
食事をご馳走になると立場は弱くなります。
最近、ご馳走になることが多いので心配です。はい。

■コミー株式会社社長小宮山栄さんの箸道の夢(2004年10月6日)
今日は夕食もご馳走になってしまいました。
コミーという会社をご存知ですか。
万引防止のために店舗につけるミラーや航空機の座席上の荷物入れの中が簡単に見えるようにするミラーなど、
視覚を生かす気配りミラーで世界的に有名な会社です。

社是は「私たちは売上の拡大よりも"出会いの喜び""創る喜び""信頼の喜び"を味わえる仕事を大切にしています」。
ちょっと光るところのある会社ですが(ホームページもぜひご覧ください)、
その社長の小宮山さんがまた実に面白い人物です。
一度ゆっくり話したいといわれていたのですが、
今日、共通の知人であるコムケアセンターの橋本さんも一緒に、食事をしました。
昨日の小松さんに続く、異色経営者第二弾です。

話はいろいろ広がりましたが、ここでは箸の話を紹介しておきます。
最近は箸をうまく使える人が減ってきたことを小宮山さんは嘆きます。
そこで箸道の普及に取り組み、その家元のNPOを創設したいと考えています。

箸を使う時に、5本の指はすべて働いているといいます。
しかも動いているのは2本だけです。
これは小宮山さんの最近の発見です。
つまり、箸を上手に使えるということは,脳とという監督が指のチームワークを生かせた結果なのです。

ものづくりの基本もトヨタ生産システムも、すべて箸につながっているといいます。
ケーキも箸で食べるのがいい、とまで言われると少し抵抗がありますが、
その理由とビジョンを聞くと納得できるかもしれません。
片手で引き裂く道具は箸以外にあるだろうか、という問いかけに皆さん答えられますか。

箸についての小宮山さんの、実に興味ある論考と提案が、
コミーのホームページ(このホームページのネットワークでもリンクしています)の「駒込通信」に書かれています。
ぜひお勧めです。示唆に富んでいます。
一度、小宮山さんに「箸を語る会」を企画してみたいと思います。

■KAE経営道フォーラム合宿(2004年10月7日)
KAE35期生のまとめの合宿です。
大企業7社の経営幹部が「魅力ある企業」をテーマに議論してきたことのまとめです。
この忙しい時代に、企業の要職にある部長たちが2日間もかけて、
企業とは何か、経営理念とは何かを議論するということは、そうあることではありません。
しかし、そうしたことがあまりになくなったことが、今の大企業のパワーダウンの最大の理由だと私は思っています。

ところでこの研究成果は、11月8日の公開シンポジウムで発表されます。
詳しくはまたお知らせのコーナーで案内しますが、ご関心のある方はご連絡下さい。
参加できるように事務局に頼んでみます。

■ライフスタイル発想に取り組む今成宗和さん(2004年10月8日)
ブックのコーナーでご紹介した今成宗和さんがやってきました。
「ライフスタイル発想からビジネスは変わる」はかなり反響があり、うれしいことです。
ネット販売でもけっこう売れているようです。
私の湯島オフィスでも何冊か預かっていますので、ぜひ買いに来てください。
コーヒーをご馳走します。
最近は本を書くにはかなりコストがかかり、著者の持ち出しが多いのです。
ですから私は、新しい本を出版する人をできるだけ応援しています。

今成さんは、これも私のブックのコーナーで紹介した「泥棒国家の完成」を購読して、
感想を聞かせてくれました。辛らつな感想でした。
話を聞いて納得しました。
多くの人に推薦したことを反省しなければいけません。

今成さんのコメントは、結局、この人の発想の根底にあるのは「これまでの経済至上主義発想」だというのです。
私が後半が退屈だったのは、そのせいです。
最初の部分にあまりに共感したために、私の判断基準が甘くなってしまったようです。
すみません。

今成さんのコメントは、このホームページのフォーラムのコーナーを見てください。
そこから今成さんのブログにつながります。

ところで、今成さんのライフスタイル論は、これまでの経済至上主義者のライフスタイル論とは違います。
そこで、今成さんを中心に、身体的マーケティング感覚育成塾のようなものを開けないかと思いつきました。
有料参加者が10人集まると実現できます。
今成さんに企画しないかと提案しました。
どうでしょうか。

サポーターを募集します。

■コムケア資金助成プログラム評価会議(2004年10月8日)
コムケア資金助成プログラムの最終予備選考のための評価会議を開催しました。
普通のプログラムとは違って、コムケアでは選考委員会とはいわないのです。
資金助成先を決めるのは事務局です。
その決めるための評価を選考委員に集まってもらい、
書類審査で評価の高かったプロジェクトに対して内容的なコメントをしてもらうのです。
しかも、今年から予備選考に参加してくださった方々にも参加してもらえるようにしました。
できるだけ選考過程を透明にしていくためです。
選考委員は個性的な人たちです。
片岡勝さん、北矢行男さん、木原孝久さん、町田洋次さん。
今年は全員が男性です。高橋流里子さんが大学の関係で今年は参加できなかったためです。
ちょっと残念でした。

2時間にわたる議論でほぼ絞込みはできました。
最終決定は事務局です。
応募団体に責任を持って、なぜダメだったかを説明していくためには、
最終決定は事務局が行うべきだというのが私たちの考えです。
そこが多くの資金助成プログラムとの違いと言ってもいいでしょう。
しかし、また辛い決断と連絡をしなければいけないわけです。
胃が疼く1週間がはじまるわけです。

■最強の台風の恩恵(2004年10月9日)
最強の台風がやってくるそうです。
そのために、この週末は福島の予定だったのですが、中止にできました。
この1週間、時間破産していましたので、ホッとしました。
これで机の近辺の書類の山を片付けられます。

それにしても、私のような、あまり仕事もしていない個人ですら、
毎週、かなりの資料や本が送られてきたり、持ち込まれたりするわけですから、大企業の人はもっと大変でしょうね。
メールですら、最近は少なくなりましたが、1日に100通を超えます。
仕事をしている人はもっと多いでしょうから、対応力を超えている人も少なくないでしょう。
コムケアの選考委員をしている片岡さんは、「了解」「OK」という、それだけの返信が多いのですが、
逆にそこに彼の誠実さを感じます。
私のメールは冗長なので、きっと迷惑している人も多いでしょう。

今日は1日、書類整理とメール整理に埋没しようと思っています。
これも、台風がメッセージしていることの一つかもしれません。
我孫子(11時半)はまだ風はなく、いささか不気味な雰囲気にありますが。



(2004年9月第5週)


■アウラと二宮漁場(2004年9月27日)
ビレッジハウスの山本秀太郎さんと二宮漁場の中川洋さんとの出会いに関しては以前に書きました。
共通点は二宮でした。大磯の南の二宮です。

二宮にある山本さんが設計したレストランのアウラについても以前紹介しましたが、人気が高まってきています。
相模湾を一望できる、とても気分の良い立地もあって、結婚式はだいぶ先まで予約でうまっているようですし、
平日のレストランも活況を呈しています。
アウラから見える二宮漁場の定置網漁業権を持っているのが、中川さんです。
証券アナリストからの華麗な転身です。

今日は、アウラで3人で食事をしました。
ゆったりした気分の中で、予定以上の長居をしてしまい、その後が大変でしたが、
まあ、レストランはそのくらいの魅力がなければいけません。

前回に引き続き、いろいろ面白い話が出ました。
地元で揚がる魚をアウラで料理していく話も具体的に動きそうです。
今の食品の流通構造は工業化されていますので、それをブレイクスルーしていかねばいけません。
小さなところからでもやる価値はあります。

そういう話は別として、3人とも社会の主流からは少しずつ外れている生き方をしているので、いろいろと息投合してしまいました。
そのおかげで、中川さんを医療問題に巻き込むことができそうです。
中川さんは医薬業界に関するアナリストとしては最高の実績をもっています。
残された余生(まだとても長いですが)を医療界に新しい風を起こすことに取り組んだらどうかと無責任なお勧めをしました。

資力あり、行動力あり、ノウハウあり、そして時間もある、比較的若い世代が増えてきています。
しかし、そうした人の多くはお金の使い方が見えていない可能性もあります。
ライブドアの堀江さんは、プロ野球ではなく、もっと投資する分野がたくさんあることを知るべきです。
馬鹿な世界は楽天のような古い体質の企業に任せておけばいいのです。
いや、これは我田引水の暴言でした。撤回。

ところで、アウラは平日のランチなのに満席でした。
その多くは女性グループです。
ランチに5000円もかけて、気ままに談笑する女性の文化が各地で広まっています。
男性たちは、500円のコンビニ弁当で貧しいランチを済ませて、労働に精出しているのと、なんと対照的なことでしょうか。

しかし、どちらが「生産的」で「社会的」であるかといえば、それは判断に悩むところです。
労働が社会的な価値を生む時代は終わったのかもしれません。

■「沈黙の春」を読む会(2004年9月28日)
お知らせのコーナーでもご案内していた「沈黙の春」を読む会がスタートしました。
今回は顔合わせを兼ねてのキックオフです。
技術士の方が4人、文科系出身者が5人でした。
様々な立場の人が集まる魅力的な場になりました。

今回は杉本泰治さんにお願いして、第6章の一部を抜粋して、今の翻訳の問題点を説明してもらいました。
原文と翻訳の二つの違いが見えてきました。
ひとつは科学技術に対する基本姿勢。もうひとつはコンテキストの違いです。
レイチェル・カーソンは、技術のもたらしたマイナスだけを指摘しているのではなく、
技術がそれを解決するだろうという期待も抱いていたようです。
彼女が問題にしていたのは科学技術者ではなく、実は私たちの生き方だったのです。
だからこそ、遺作「センスオブワンダー」を残したのかもしれません。

この会は毎月行うことになりました。
一応固定メンバーですが、毎回、1〜2名のゲストは受け入れ可能です。
ご関心のある方はご連絡ください。

■美野里町の住民たち(2004年9月28日)
美野里町のまちづくり会議企画運営会議が開催されました。
今日のテーマは、みんなで作成したまちづくり計画(都市計画マスタープラン)の全住民配布版の原稿確認です。
この原稿はまちづくり会議メンバーが自発的に自分たちで作ると言い出して、分科会をつくり検討してきたのです。
できあがった原稿は、まあ、専門家からみたら不満でしょうが、そこに至るプロセスが意味を持っているのです。
多くの人が関わり、文章はともかく実体がいろいろとできたようです。これこそが私が目指すまちづくりです。

美野里町の住民の皆さんは元気です。
最初の頃と違い、みんな意識の違いを対立的にではなく、共創的に提出するようになってきました。
高齢者が多いため、それぞれが大人的な気遣いをしていますが
、ここに行動的な実践者が入ってきたら、面白い展開になるはずです。
環境は整備されてきていますが、まだまだ猪突猛進型のフロントランナーが出てきません。
もう少し時間がかかるかもしれません。

11月か12月に、まちづくり会議が「まちづくり計画実践大会」をやることになりました。
また住民たちに雇われるおそれがあります。
ギャラがもらえないのが残念ですが、住民たちとの間にささやかながらの信頼関係が広がっているのがとてもうれしいです。
お金がなくなったら、美野里町に移住すればなんとかなりそうです。

■黒岩比佐子さんのブログ「古書の森」(2004年9月29日)
黒岩さんから「百寺巡礼」の最新巻が送られてきました。
五木寛之さんの「百寺巡礼」です。
あとがきに五木さんが書いているように、この本は黒岩さんの構成のもとに作られています。
黒岩さんは五木さんと寺まわりも同行しています。
うらやましいことです。どんな秘話を聞いているのでしょうか。

今回は高野山から始まり、四天王寺へという、山の寺から街の寺へという構成です。
この、実に魅力的な流れがもう少し掘り下げられるともっと面白いものになったと思いますが、
今の忙しい出版スケジュールでは望めないことかもしれません。
そうやって、折角のテーマを浪費していることに、最近の出版界の経済主義を感じます。
黒岩さんの個人的著作「食道楽の人 村井弦斉」とは対極にある本です。
どちらがいいかは価値観の違いですが。

ところで、その黒岩さんがブログを始めました。
「古書の森」というブログで、古本中毒症患者の身辺雑記とサブタイトルがつけられていますが、
全体の雰囲気も含めて、実に黒岩さんらしいブログです。
記事内容も、本来の黒岩さんさしさが感じられ、とても気持ちのいい文章です。
お勧めのブログです。
ちょっと知的な贅沢感も味わえます。

こうしたものを読んでいると、出版物としての本というのは何だろうかという疑問が起きてきます。
このブログはきっといつか本になると思いますが、
本は読むものではなく、見るものになっていくのかもしれません。

■社会起業家田辺大さんのインキュベーションハウス参加(2004年9月29日)
自らも社会起業家として、社会起業家を支援する活動をしている田辺大さんが、
インキュベーションハウスにアソシエイツとして参加してくることになりました。
本郷のオフィスはいま、NPOやソーシャルアントレプレナーの溜まり場にしたいと思っています。
そして、できればみんなで維持費をシェアできる体制に持っていく計画です。

私自身は企業とNPOとのボーダーは消える方向にあると考えています。
ですから、そうした人たちの溜まり場をつくりたいのです。
できれば行政職員もいっしょにしたいと思っています。
そこで「風のまち」の東京オフィスにしても良いかなと思い出しています。
その資金をどうやって捻出するかが難しいですが、実現できれば面白いですね。
どなたか良い知恵はないでしょうか。
小さな自治体の東京事務所機能を委託してくれるところはないでしょうか。
月3万円でも5万円でもいいのですが。

ともかくそうしたコモンズオフィスを実現したいと思っています。
これから本格的に動き出す予定です。
協力してくれる人はいないでしょうか。

ところで、まだアソシエイツを募集していますので、ご関心のある方はぜひご参加ください

■ナイト・スタディ・ハウスに取り組む塩野哲也さん(2004年9月29日)
インキュベーションハウスで取り組んでいるナイト・スタディ・ハウスは、順調に展開しています。
それをプロモートしてくれている一人が、塩野さんです。
塩野さんは有名な「室内」の編集に関わっています。
今は主に広告担当ですが、これまでに構築したネットワークを活用しながら、さまざまな場づくりに取り組んでいます。
活動内容は、ナイト・スタディ・ハウスのホームページをご覧下さい。

今日はナイト・スタディ・ハウスの報告に来てくれたのですが、そのついでに思わぬことが判明しました。
塩野さんが農業関係の仕事に取り組みたいということです。
塩野さんと農業は、正直にいって全く結びつかないイメージだったのですが。
野菜を中心とした新しい流通構造と生産者と消費者との新しい関係性の構築が塩野さんの関心事のようです。
まあ、それだけなら、今でもさまざまな活動が展開されていますので、取り立てていうほどのないことですが、
最近、こうした話に出会う事がとても多いのです。
就農支援活動も含めて、早く取り組まないといけません。

時間がもっとほしいです。
たぶん私の生き方に問題があるのでしょうが、時間破産から抜け出せずにいます。
といっても、それほど忙しいわけではないのですが。

■笹川平和財団理事長の入山映さん(2004年9月29日)
入山さんとはきっと3年ぶりくらいです。
会社を辞めてから出会った人ですが、私をいつもエンカレッジしてくれる人です。
口が悪いのと私を子ども扱いするのが問題ですが、嘘をいわないので信頼できる人です。
まあ、彼も子どもですが。
子供は嘘をいいません。言葉の嘘ではなくて、身体から発する情報のことですが。

今回も、会うなり、徒手空拳で野垂れ死ににもせず、よくやっているねといわれました。
言い方がぶっきらぼうなので、ついつい野垂れ死にを期待してるのですかと言い返してしまいましたが、
これは私への最大の褒め言葉なのです。
まあ、私がそう考えているだけですが。

久しぶりに会ったので、いくつかの相談に乗ってもらう事にしました。
技術者倫理講座、コムケア活動、真の学びの場づくり
いずれもあいまいな話であり、
しかも明日からヨーロッパ出張だという時でしたので、
さぞかし迷惑な話だったことでしょう。
長居をしずぎたことをちょっと反省しました。

今年のコムケアの最終選考会は、入山さんのご好意で、日本財団の会議室をお借りできました。
私が会社を辞めてからの活動は、実に多くの人の好意に支えられています。
ペイフォワードしていかねばいけません

入山さんが、時代の流れに対して、いつもよりも冷めていたような気がしたのがちょっと気になります。
私もそうですが、お互いに歳をとってしまいました。

■宝蔵院での銀杏拾い(2004年9月30日)
女房と一緒に、菩提寺である近くの宝蔵院に銀杏を拾いに、朝、行ってきました。
大きな銀杏の樹が1本あり、それは誰でも拾っていいことになっているのです。
昔はともかく、最近は拾う人もあまりいないのでしょうか。
女房も私も、そうした自然からの恵みをもらうととても幸せになるタイプなのです。
拾った銀杏は小粒ですし、お店で買えば500円もしないでしょう。
しかし、何かとてもうれしい気分になります。
昔は栗拾いや野草摘みなど、自然の恵みに感謝する機会がたくさんありました。
それがどんどんなくなってしまっていることは残念です。

昨夜の台風の風で、今日はだいぶ落ちていました。
うれしい収穫です。
500円どころではない、もっと大きな幸せをもらいました。
今日は台風一過の青空です。
豊かな1日になりそうです。

■東レに久しぶりに行きました(2004年10月1日)
コムケア活動を支援してくれている会社のひとつが東レ株式会社です。
ここは私の古巣であり、16年前までの職場でもありました
最近の活動報告もかねて、東レの斉藤取締役を訪問しました。
斉藤さんのところに来ると、ついつい東レ時代を思い出して、企業を語り出してしまいます。
あっという間に予定の時間をオーバーしてしまうのです。

コムケアやNPOにからんで、2人の人を紹介してもらいました。
コムケア担当に突然なってしまった逆井克子さん、そしてIR室次長の高橋健治さんです。
これで東レをさらにコムケアに巻きこめるかもしれません。
まあ、こちらに魅力があればの話ですが。

東レは急速に若返り、いまや平均年齢は34歳だそうです。
これはすごいことです。
しかし、そのせいで私の知り合いも少なくなってきていますが、
エレベーターホールで偶然に2人の人に会いました。

私は東レを辞めた後、東レの第2次CIに外部から関わったのですが、
そのときの東レ側事務局にいた宮木宏尚さん。
いまは複数の会社に関わりながら、仕事を楽しんでいるようです。
もう一人は大志万俊夫さんです。東レ退社後初めての再会です。
今は東レに工業材料事業部の部長です。とてもうれしい出会いです。
自分が辞めた会社に行くのは、いささか恥ずかしさがあります。別れた女房の家に行くのはこんな気分なのでしょうか。
まあ、それはそれとして、たまには行くのもいいものです。
昔の知己にあえるのはとても幸せなものです。

■早稲田大学国際情報通信研究センターとコミュニティケア(2004年10月1日)
早稲田大学の国際情報通信研究センターの針尾大嗣さんから突然メールが来ました。
コミュニティケアに関して調べていたら、コムケアセンターのホームページに行き当たり
、コムケアプログラムに関心を持ってくれたのです。
同じセンターの助教授の小舘亮之さんと一緒にやってきてくれました。
針尾さんはまちづくりの、小舘さんはIT技術の、それぞれ専門家です。
そして、コミュニティケア。
このつながりがとてもいいです。
最近の大学は変化してきています。
私のところに来る若い大学関係者はほとんどがこれまでの制度を踏み外している人が多いです。
これまでの枠組みのなかで動けなくなっている人も少なくありませんが。

大きな福祉にも共感を持ってもらいました。
身体的に考えれば、大きな福祉は素直に受け入れられる概念だと思います。
「有識者」はみんな反対しましたが、こうした身体で考える研究者が増えているのはうれしいです。
同志に出会えたような、うれしい気持ちになりました。
これからきっとまた接点が生まれてくるでしょう。

ちなみに、ITはこの3年で社会の基盤を変えたように思います。
その意味をしっかりと認識して、社会のデザインを考えている人がどのくらいいるでしょうか。
むしろ表層的な利用にとどまっている人が多いような気がしています。
ITとコミュニティケア、そしてまちづくり。とても面白い三大話です。

■ 不幸の手紙(2004年10月2日)
今週、私は元気がありませんでした。
その理由は、104人の人たちから「夢」を奪うことをしたからです。
不幸の手紙をだしたのです。
コムケア資金助成プログラムについては時々書いていますが、
その第1次予備選考が終わり、そこで落選した104団体に、落選の通知を出したのです
受け取った人にとっては、夢が破れる通知です。
大げさに聞こえるかもしれませんが、人の夢を壊すことの辛さはやってみなければわかりません。
私にそんな権利があるのか、いつも悩みます。
私が資金助成プログラムが嫌いな理由はここにあります。
早くやめたいです。
事務的にやれば何でもないのかもしれませんが、
コムケアは応募者と人間的なつながりをつくってしまうプログラムです。
事務的にはやれないのです。

選考は、対象が何であろうといやなことです。
選ばれた人に視点をおいて考えれば、感謝を受けることになります。
コムケアでも資金助成をした団体のイベントに参加すると、とても感謝され、歓迎されます。
お土産までもらったこともあります。
私が資金を出したわけでもなく、私が選んだわけでもないのですが、感謝されるわけです。
こそばゆいですが、そういう場面はとても気分がいいです。
いつも女房からたしなめられますが。
しかし、選ばれた人はほんの一部であって、多くの応募者は落選の不幸を味わうのです。
その人たちの夢を破った痛みはなかなか忘れられません。
最初の年は2か月気力を無くしていました。

にもかかわらず、「不幸の手紙」を出すのも今年で4回目になりました。
なぜこんな苦行を続けられるのか。
それは仲間からケアされるからです。
こんなメールが来ました。

「疲れを感じてしまうのは私だけではないのかなと思い、ちょっと安心したりしました。
いつもお元気な佐藤さんではないところがあるのも魅力です」

元気でないことが、人に安心と元気を与えることもあるのです。
そして、そういう気づきが私に再び元気を与えてくれるのです。
このメールをくれたのは阿部愛子さんです。
NPO法人海から海へを拠点に、みずき美術館の実現に取り組んでいます。
ホームページをぜひ見てください。きっと元気が出ます。
こういう活動に取り組んでいる人たちがいることを知るだけでも元気が出ます。
2年前に阿部さんたちの夢も支援できませんでした。夢を破る私からの手紙の受取人だったわけです。
にもかかわらず、ご夫妻でコムケアを応援してくださいます。

明石にも高崎にも、熊本にも、福岡にも広島にも、山口にも徳島にも、
本当に全国各地にコムケアを応援してくれる人たちがいます。
来週は元気になって、また次の不幸の手紙を書かなければいけません。
そして10月31日に、公開選考会です。
皆さん、私を元気づけにぜひやってきてください。



(2004年9月第4週)

■ コムケア予備選考会(2004年9月21日)
コムケアの資金助成プログラムの予備選考が終わりました。
この選考過程はコムケアの特徴の一つです。
選考にこれまで応募してくださった方を含めて、誰でもが参加できるのです。
今年も20人を超える方が自発的に参加を申し出てくれました。

予備選考委員には分担して選考評価をしてもらいますが、
私は144件の申請書をすべて読ませてもらいました。
思いをどっさり受け止めなければいけません。

今年は、なぜか不登校児問題への取り組みが多かったような気がします。
ちょっと気になる傾向です。

第二次選考に向けて40件が選ばれました。
次は有識者による専門的な評価です。
コムケアセンターのホームページに、選考刑かも順次発表しています。

■ CIプレゼンテーション(2004年9月21日)
久しぶりに、CIのプレゼンテーションに参加しました。
4年ぶりくらいでしょうか。
懐かしさを感ずるくらいの空白期間ですが、
いろいろな気づきがありました。

一番感じたのは、企業にとってのビジネスディシプリンとコミュニケーションメソドロジーの問題です。
今回、CIに取り組んだのは、依頼企業も受託企業もいずれも若い会社です。
それぞれに元気な会社ですが、どうも何かが欠落しているように思えてなりません。
昨今のベンチャービジネスに感ずるものと同じです。
「危うさ」と言ってもいいでしょうか。

かつての企業と違い、最近生まれる企業には、生き生きしたものを感ずる一方で、どこかにもろさを感じます。
いま話題の楽天やライブドアも、どのくらい続くのか疑問です。
企業もまた消費される時代に入ったのでしょうか。
複雑な気分です。

■ 大学での技術倫理の冠講座(2004年9月22日)
科学技術倫理フォーラムの杉本泰治さんとお会いしました。
とてもワクワクするお話をお聞きしました。

前にもお聞きしたことがありますが、
技術倫理の冠講座を開設したいと杉本さんは考えています。
大学を含め、すでに準備は整えられつつあります。
あとは冠講座のスポンサー探しです。
杉本さんは2〜3社の支援を考えているようです。
費用的には6000万円もあれば大丈夫のようです。
これだけの資金で、技術倫理のしっかりした講座ができるのです。
プロ野球球団もいいですが、こうしたことにももっと目を向けてほしいものです。
これが実現できないようでは日本の経済界の未来はないでしょう。
コムケアでは1000万円も集められなかったので大口はたたけませんが、
動いてみたくなりました。

昨今の日本の科学技術者の倫理の欠落に、私はとても不信感をもっています。
経済学者や経営学者とそう変わらないように思えてなりません。

■ ヤップの若者もイラクで参戦しているそうです(2004年9月22日)
「ヤップ島の約8割の男性が米軍に職業軍人として志願してイラクへ行っているそうです」
という話が、あるメーリングリストで届きました。
ヤップ島は、ミクロネシアにある島です。

イラクはヤップまでも巻き込んでいるのか、と驚きました。
ヤップといえば、宮部さんが以前、何回か行っているところです。
宮部さんが関わっているエコクラブが1992年から毎年ヤップ島での青少年プログラムを実施しています。
そこで、宮部さんに実状を聞いてもらいました。

最初の反応は、「この人に、こうしたセンセーショナルなことを他の人に伝える前には、詳細で綿密な取材を重ね、きちんとデータや情報源の裏付けをして、正確に近い情報をもとに推敲を重ねてからやったほうがいいとくれぐれも言ってもらえないでしょうか」ということでした。
とても共感できます。
最近のメーリングリストではかなりいい加減な情報が、もっともらしく語られます。
イラクでの日本人誘拐事件の時も、3人の素性や人柄についてまで、耳を覆いたくなるような誹謗中傷が出回っていました。
メールは怖いです。

今回の件に関しては、エコクラブの高橋さんからの情報を、そのメーリングリストに投稿させてもらいました。
しかし、最初のメールだけを読んだ人の意識は変えられません。
情報社会は、とても不安定な脆い社会であることがよくわかります。
メールは両刃の剣なのです。

ところで、8割はともかく、ヤップの若者がイラクに参加しているのは事実のようです。
しかも、あまりトレーニングされずにです。
外国人をお金で引き込むアメリカのやり方には、高橋さんも憤りを感じているようです。
この点は私も同感です。
イラクで戦っているのは、一体誰なのでしょうか。

■ 医師が信頼できる時(2004年9月22日)
女房の定期検査の結果を聴きにがんセンターに行きました。
3か月ごとに検査をしてもらっています。
そこでの会話から、担当医師の先生がトライアスロンをやりだしたことを知りました。

私たちは、手術以前から、この先生に全面的な信頼を感じています。
それは論理ではなく、もっと人間的なものです。
手術前に、時間をかけて、インフォームド・コンセントしてくれましたが、それが充分に理解できるわけではありません。
大切なのは医師を人間的に信頼できるかどうか、そして気楽に相談できるかどうかです。
気楽に話せるかどうかは、信頼関係があるかどうかによって決まってきますから、
つまりは人間的な信頼関係の有無につきます。
セカンドオピニオンの話がありますが、担当医師との信頼関係がなければ、言い出す事もできません。

ところで、先生がトライアスロンを始めたというのは、患者としてとてもホッとする話なのです。
つまり、医師の個人生活が垣間見えるからです。
同じ人間なのだという親しみと白衣を着ていない時の姿がみえることは、
とても信頼感を高めることだということに、気づきました。
これでまた、私たちの信頼感と安心感が高まりました。
医師は表情をもっと豊かにしていくのがいいです。
表情のない医師が、まだまだ多すぎます。



(2004年9月第3週)
前半はゆったりと、後半は目まぐるしく、過ごしました。
周辺で、実に面白そうな動きがあったのですが、フォローできずに心残りの週でもありました。

■ヨシ研究所所長の西川嘉廣さん
(2004年9月11日)
東近江環境保全ネットワーク代表幹事の丹波道明さんに近江八幡を案内してもらいました。
丹波さんとお会いするのは10数年ぶりです。
丹波さんは、前にも書きましたが、私が東レに入社した時の最初の上司です。

会社を辞められてから、介護の問題にも関られたそうですが、
介護保険などの制度が整ってきたので、環境分野へと活動を移し、
今はヨシや琵琶湖内湖の環境整備に取り組んでいます。
丹波さんは安土町にお住まいですが、
近くの西の湖のヨシは昔から琵琶湖水郷特産江州ヨシとして有名だったそうです。
琵琶湖には以前はたくさんの内湖がありましたが、今は面積が大幅に減っています。
西の湖は、残ったなかでの最大の内湖です。
そこが丹波さんたちの活動の場です。
昔は淡水性の真珠もとれたようですが、最近は原因不明で育たなくなっています。
原因不明が問題だと丹波さんたちは考えています。
水には私たちの生活や経済のすべてが象徴されていますから、
これはこの地域の環境問題にとってのシグナルといえるでしょう。

丹波さんたちの活動は多岐にわたり、しかもホリスティックです。
自治会の自立化や西の湖ブランドのヨシ商品開発など、わくわくするようなテーマがたくさんあります。
地方に仕事がないなどというのは、狭い経済主義にこりかたまった官僚や有識者の言葉でしかないことがよくわかります。

丹波さんが一緒に活動されているのが西川嘉廣さんです。
西川さんは、江戸時代から続く近江八幡の葭卸商「西川嘉右衛門商店」の17代当主です。
薬学博士で、国内外の大学での医学関係の研究教育活動の後、郷里に戻り、
自宅敷地内にヨシ研究所、ヨシ博物館を開設し、ヨシの活用普及に取り組んでいます。

丹波さんに、西川さんを紹介してもらいました。
西川さんは道を究めた洒脱な好々爺という感じでした。
女房や、その友人たちも同行したのですが、実に気さくにお話を聞かせてもらいました。
近著「ヨシの文化史」(サンライズ出版)をもらいました。読ませていただき、その博識ぶりに驚きました。

ヨシ研究所やヨシ博物館は、まだ西川家の土蔵を利用したものです。
あふれるばかりの資料やヨシ関連の品物が所狭しと並んでいます。
海外からも見学者が来るそうですが、これではちょっともったいないと思います。
他にもまだ、2つの蔵にたくさんの古文書が残っているそうです。
近江八幡市は大事な地域資源にまだ十分気づいていないようです。よくあることですが。
どなたかこれらを整理展示できる場づくりを支援する人はいないものでしょうか。
いつもこうした所を見せてもらうたびに、そう思います。
若い頃にもっとしっかりと稼いでおけばよかったです。はい。

■田舎の法事(2004年9月12日)
今回の滋賀行きは女房の父母の法事が主目的でした。
法事の変化を通して、文化の変容をいつも感じます。

結婚当時は(もう40年ほども前ですが)、冠婚葬祭はいずれも時間的にも長く、飲食の量も半端ではありませんでした。
親戚や隣近所の人が集まって、到底食べられない量の料理が用意されます。
供物はすべて参列者に分けられます。
足りないものは喪主の側で補充します。
いつも私はポトラッチを思い出していました。
ポトラッチは日本にもある文化でした。
お酒の量も豪快です。
アルコールが駄目な私にとっては、辛いものがありました。
その一方で、ゆったりした「無意味な」時間がなんともいえない心地よさを感じさせてくれました。
お経を上げているときはみんな正座です。長い時は2時間です。

しかし、今は違います。
お経も料理も簡素化されました。
料理は近くの仕出し料理が中心になりました。
お酒の飲む量も激減しました。
もちろん時間も短くなりました。
それでも今回は2時間近い読経でした。
しかし、多くの人は途中であぐらに切り替えます。
私は35分正座を続けましたが、周りの人の中では一番がんばった部類です。

こうした法事に、村の人たちの生活文化や意識が象徴されています。
私はいつも楽になったと思いながらも少し寂しさを感じます。
義父母はもっと寂しがっているかもしれません。
日本の文化は間違いなく壊れてきています。
それを前提に、未来を構想しなければいけません。

■常宮神社と西福寺(2004年9月13日)
法事が意外と早く終わったので、翌日、敦賀によりました。
義姉夫婦が住んでいます。兼業農家です。
農業政策や農家の意識などに関して、いつも面白い話を聞けます。
中途半端な私の農業知識をいつも確認させてもらっています。
今年から農業生産者は農業事業収支をきちんとつけなければならなくなりました。
自家消費用に収穫したナスでも見做し計算がなされて収入に計上されるそうです。
高齢の夫婦だけの農家はどうするのでしょうか。
また農協か役場にだまされるのでしょうか。
彼らは金融業者とどこか似ています。いや、これは言いすぎでした。

印象的な二つの寺社を案内してもらいました。いずれも初めてです。
まずは西福寺。浄土宗の、おそらくかつてはかなり大きな伽藍だったと思わせるお寺です。
私の大好きな造りです。このホームページは原則としてテキストベースですが、この寺の本堂の写真を掲載します。


西福寺(敦賀大原)           勝林寺(京都大原)

これが私の大好きなお寺の造りです。
私が悪魔に出会った京都大原の勝林寺もこの造りです。
と書いて、今、気づいたのですが、西福寺も大原山といいます。
どこかにつながりがあるのでしょうか。

もう一つが常宮神社です。
昔は気比神社の奥社だったそうです。
敦賀らしく総社宮には応神天皇が祭られています。
気比は吉備と思い込んでいる私にとっては、この周辺も魅力的な地域です。
常宮神社には日本で一番古い新羅の鐘(国宝)があります。1300年前のものです。
神主(たぶん)が撞いてくれました。とてもいい音色です。

常宮神社は敦賀原発や美浜原発が突端にある、突き出した地形の真ん中辺にあります。
海に面したいい立地です。海から神を迎えうける構造になっています。

その神社の後ろをとおって、原発に向けての道路づくりの計画があるそうです。
自動車道路が出来れば、このあたりのとてもいい自然環境(かなりの古木があります)は壊れていくでしょう。
ところが地主は売りたがっているそうです。今が最後の機会になるでしょうから、その気持ちはわかります。
しかし、住民が使わない道路って一体なんだと、神主は怒っていました。

山の裏側の海は有名な美浜の水晶浜です。沖縄の海を思わせる素晴らしい海です。
この海はいつまでその美しさを残していけるのでしょうか。
いや、見掛けはともかく、もう壊れているのかもしれません。
世界の気象がおかしくなっているのは決して突発的な異常事件ではないのです。
海を見ながら、自らの生き方を少しだけ反省しました。はい。

■バリアフリーの都市交通に取り組む2人の「ちから」さん(2004年9月14日)
全国リサイクル商店街サミットのために、夜、山形市に入りました。
同じくサミットに参加される熊本市のバリアフリーデザイン研究会事務局長の白木力さん
沖縄市の路面電車の実現に取り組んでいる丸山力さんとお会いしました。
初対面です。お二人とも名前が力。「ちから」と読むそうです。

私は最近のバリアフリーやユニバーサルデザインには大きな違和感を持っている人間ですが、
この2人もどうやら共通点がありそうです。
その分野のプロであり、実践者であることは言うまでもありませんし、
丸山さんはユニバーサルデザイン原則を言い出したメイスを直接訪問し、議論してきたようです。
この2人の活動はここで紹介するには紙面がなさ過ぎます。
それぞれのホームページを見てください。お勧めします。

都市交通問題は東レ時代の私の関心事でした。
私は比較的若い頃から一応エコロジスト志向でしたので、一時はアンチ自動車派でした。
公共交通システム中心の社会を、トヨタや日産の懸賞論文に応募し、入選しました。
当時もその両社には友人は多かったのですが、私のアンチクルマは知ってもらっており、
その上で、たとえば、トヨタ自動車の友人は、私を交通システムのフォーラムに招いてくれたり、
同社の技術系の社内活動のアドバイザーを任せたりしてくれました。
今、トヨタで活躍している北川尚人さんです。

50代に近づいてから、どこでどう間違ったか、私も運転免許をとってしまい、歳とともに自動車のお世話になるようになりました。
しかし、今もエコロジストを自認しています。

いまはもう都市交通の最近の動きには全く疎くなっていますが、
いまもなお、現状の日本の都市交通には違和感を持っています。
それにまちづくりにとっては極めて重要な要素であるにもかかわらず、
発想の転換やシステム思考が皆無なのは専門家の怠慢でしかないと思っています。
その専門家にお会いしたわけですが、動いている人は動いています。
自分の思い込みを恥じなければいけません。

とてもいい話をお二人からお聞きしました。
ゾーン30やゾーン20という考え方があるそうです。
地域内での自動車走行に速度制限をかけていくという仕組みです。
都市交通規制に関しては、歩行者専用ゾーンやトランジットモール、パーク&ドライブなどばかりイメージしていましたが、
これは面白いです。
私が面白いと思ったのは、たとえば時速20キロにすれば、交通信号や横断歩道が不要になるからです。
人間が主役に戻れます。
但し、視覚障害のある方への対応は工夫しなければいけませんが。
これは仕組みの問題ではなく、基本姿勢の転換につながる発想だと思いました。

■全国リサイクル商店街サミット山形大会(2004年9月15日)
お知らせでもご案内していた第7回全国リサイクル商店街サミットが15〜16日と、山形で開催されました。
全国の商店街関係者を中心に、毎年やっているサミットです。
起点は、いうまでもなく、有名な早稲田商店街のエコステーションです。
これに関してもこれまで何回か書きましたが、その活動がどんどん広がり進化しています。

今回のテーマは「サステイナブル・コミュニティ」です。
500人を超える参加者がありました。
山形市の七日町の商店街の若手ががんばったのです。
1999年に開催した全国地域づくり先進事例会議と同じく、共創型で展開しました。
今回は、商店街の事務局の下田さんと若手メンバー、
そして山形市役所の石川一幸さんが、感激的ながんばりで、見事に会を成功させました。
会の報告はまもなく七日町商店街のホームページで報告されるでしょう。

基調講演はサステイナブル・コミュニティ研究所の川村健一さんに頼みました。
川村さんは既に一度、話に来てもらっているのですが、それをさらに深化させてくれました。
サステイナブルであるためには、つねに手を入れつづけておくことが大切だという川村さんの指摘に共感しました。
サステイナブルとは生きつづけることであり、そうであれば、常に新しいエネルギーが必要なのです。
エントロピーを意識した自立です。
もちろんこんなややこしい議論をしたわけではありません。
私の気づきです。

引き続き5つの分科会に分かれてのテーマ別の事例紹介と議論です。
テーマは「商店街の元気」「公共交通」「商店街ネットワーク」「エネルギー」「こども」です。
新鮮な切り口がたくさんあると思いますが、それぞれを若手が分担してプロデュースしたのです。
それを受けて、さまざまな切り口から商店街の新しい役割のようなものを考える全体会を開催しました。
そして、最後に主催した七日町商店街が「山形宣言」として、自分たちのアクションプランを発表しました。
イベントは終わったところから本当の始まりがあると言うのが、私の考えです。
この宣言で、少なくとも5つの物語が動き出すはずです。
私はほとんど何もせずに、横から見ていたのですが、大成功だったと思います。
早稲田商店街の安井会長もいいサミットだったと講評してくれました。

内容的なことはまた報告書ができるでしょうから、それにゆだねます。関心のある人はご連絡ください。
ここでは、とてもうれしい事件を1つと出会った人のことを簡単に書いておきます。

うれしい事件は、山形宣言の取りまとめのときに起きました。
各分科会を担当した若者たちが、議論し出したのです。
すでに前日までにコアメンバーでたたき台をまとめていたので、その確認作業の予定だったのですが、
真夜中の
0時近くまでかなり真剣な議論が行われました。
若い世代とその上の世代の本音の議論でした。
納得できないことを見過ごさない文化は、とてもうれしい文化です。

出会いもいろいろありました。
青森市の商店街活動で有名な加藤博さんにお会いできたのはうれしかったです。
お話にとても共感しました。青森の商店街が元気なのはよくわかります。

埼玉県の小川町で自然エネルギーに取り組むNPOふうどの高橋優子さんもゲストで参加してくれました。
小川町といえば、有機農業の霜里農場が有名ですが、
その農場をやっている金子美登さんのパートナーの金子友子さんは私の小学校の同級生です。
オープンサロンに立派な野菜を届けてもらったこともあります。
高橋さんは、その友子さんとも知りあいです。高橋さんの霜里農場レポート記事もぜひお読みください。

千葉県の佐倉市で、ミニさくらという魅力的な活動をやっている、
NPOこどものまち代表の中村桃子さんは、コムケア仲間なのですが、今回はゆっくり話すことができました。
この活動は実に面白いです。ホームページをぜひご覧下さい。

鶴岡市で「だがしや楽校」をやっている阿部等さんにもお会いしました。
阿部さんは書店を経営されています。
ネット販売の発展で町の本屋さんはこれから大変でしょうが、阿部さんはいろいろと新しい展開をお考えのようです。
きりがないですね。このくらいにします。

■子育てランドあ〜べ(2004年9月15日)
あ〜べはNPOやまがた育児サークルランドが運営する、公設民営の子育て支援ステーションです。
山形市のど真ん中にあります。
これが生まれるまでには、やまがた育児サークルランド代表の野口比呂美さんのがんばりがありました。

私が野口さんに出会ったのは、山形市で共創プロジェクトをスタートさせ、
まちづくり市民会議(私はすばらしい仕組みだったと思っていますが、挫折しました)をはじめた時です。
野口さんたちが、まちづくり市民会議に登録してくれたのです。
私も当時は保育の世界にささやかに関わっていましたので、応援していましたが、
野口さんたちの提案は最初はなかなか行政に聞いてもらえませんでした。
今では行政との関係もいいですが、
NPOと行政の最初の出会いは、いつもぎこちなさが双方にあるためにうまく行かないことが多いのです。
その時に苦労を知っているだけに、いま、こうして行政から運営を委託されて、
活動を発展させていることがとてもうれしく、いつも気になっていました。

訪問したいと思いながら、山形市に行くと目いっぱい時間を使い込むため、なかなか行けずにいました。
それになぜか時間ができて行ってみるといつもお休みなのです。
相性が悪かったのです。
今日は、野口さんを商店街サミットの分科会にゲスト出演してもらったので、その合間にあ〜べを見学させてもらいました。
なかなか活気があって良い空間です。
子どもだけではなく、母親たちにとってのいい空間だなという感じも受けました。
まだまだ活動は広がりそうです。
あ〜べは、商店街の真中に立地しており、年間の利用者は4万人近くもいます。
にもかかわらず、残念ながら、商店街との接点はあまりないようです。
商店街にとっては、ものすごい価値のある空間のはずですが、どうもまだ気づいていないようです。
今回のサミットを契機に、つながりが広がることをぜひ期待したいものです。

野口さんは今では全国的に活躍されています。
現場での苦労を積み上げてきた人は理屈だけの人とは違います。迫力があるのです。
子育て関係の仲間はコムケアにもたくさんいます。
彼らは必ずエネルギーをもてあます時がやってきます。
実はそこからが面白い展開になるのです。
野口さんたちの活動も、まさにそういう意味で、間もなく子育てを超えて広がっていくはずです。
楽しみです。

■子どもたちと商店街(2004年9月16日)
今回のサミットで、議論になったことの一つが「子どもたちと商店街」です。
私も、分科会ではここに出ましたが、商店街の人たちの反応にむしろ興味を持ちました。
私はいまの商店街の人たちは、子どもたちをどう見ているのでしょうか。

実は、その点を問い直すだけで、商店街のあり方は変わるはずです。
昔は、子どもたちにとって商店街は魅力的な場所でした。
今は郊外の大型ショッピングセンターがその役割を担っているように思います。

しかし、その両者は似て非なるものです。
顔の見える人の触れ合いがあるかどうかです。
ここに商店街やまちづくりのポイントがあるような気がします。

■KAEエグゼクティブフォーラム開講式(2004年9月17日)
KAEには大きなプログラムとして、経営道フォーラムとエグゼクティブフォーラムがあります。
後者の開講式で基調講演をさせてもらいました。
この数年、いつもやらせてもらっています。
普通の経営学者やコンサルタントは違った、どちらかといえば現在の企業に批判的な人間が基調講演をするのですから、
聞き手は頭を混乱させるかもしれません。
どのくらい私のメッセージが届くか不安ですが、懲りずに毎年やっています。

今回は冒頭に3つの質問をしました。
○ 仕事は楽しいですか。
○ 最近、仕事以外での新しい出会いはありましたか。
○ 10年後の自分をイメージできますか。

私はこれからの企業人は、ビジョンとコンピタンスとプロデューサビリティが必要だと思っています。
そのためには、経営の勉強よりも、世界を広げることが大切です。
その余裕が持てなければ結局は消費されるだけでしょう。
企業は使うものであって、使われるものではありません。
主客を間違ってはいけません。

今回聞いてくれた26人の方の中から、一人でも視点を変えてくれる人が出るとうれしいと思っています。

■朝日ニュースターへの出演(2004年9月18日)
ばばこういちさんの番組に、コメンテーター出演しました。
毎月第3土曜日の夕方の、「よみがえれニッポン」です。
90分の生番組のコメンテーターです。

今回のテーマは、「痴呆状況の数値化」と「企業の社会貢献活動」です。
まあ、それはそれなりに面白かったのですが、
その番組のなかにビデオ登場した松江市の小松昭夫さんの発言に、メーリングリストからうろこでした。
日本の湿度の高さは日本だけの資源だと言うのです。

感激しました。
僧です。湿度が高くて蒸し暑いなどというのは贅沢な話なのです。
その価値を考えなければいけません。

小松さんはまた、食料自給率が低いと言う事は要するに日本は世界から水を輸入していることだといいます。
これも納得ですね。
エビアンの水を飲まないなどと言う話ではなかったのです
今日はとてもよかったです。


(2004年9月第2週)

■コムケア資金助成プログラム選考検討会(2004年9月6日)
コムケアの資金助成プログラムの募集を閉め切りました。
今回は143通の応募がありました。
みんな意欲的な提案です。

ところで、いよいよ選考に入ります。
10件に絞り込まないといけません。
みんな自分のプロジェクトが一番だと思って応募して来ますから、新潮に対応しないといけません。
選考に応募者が参加できるのがコムケアの特徴の一つです。応募者だけでなく、だれでも参加できます。
コムケアのメーリングリストで呼びかけたら、全国から22人の応募がありました。みんな自発的です。うれしいことです。
ちなみに、資金助成プログラムの選考を体験すると、こうした申請書の書き方のポイントがよくわかります。
視点を変える事は、とても大切なことだということがよくわかります。
それに社会の実相を実感できます。

ところで、いよいよこのプログラムの最終選考会は10月31日に開催されます。
コアメンバーで、その打ち合わせをしました。
今年は企業関係者と学生に重点を当てて呼びかけることになりました。
目標は200人です。
呼びかけ前からなぜか申込みが3人ありますが(しかも一人は福岡からです)、
みなさんもぜひ参加してください。先着順です。
プログラムなどの詳しいお知らせは、コムケアセンターのホームページで行います。

新潟リッセ協同組合の佐藤裕さんのワークショップ(2004年9月7日)
佐藤裕さんとはもうかなり長い付き合いですが、
出会いは裕さんが事務局長をしていた卸流通センターのCIに取り組んでいた時です。
このCIは意欲的なCIでした。ビジョンを感じました。
裕さんは、ものすごい勉強家であり、行動家です。
彼から「森のある学校」やホリスティック教育の話を教えてもらったこともあります。
今、裕さんが関心を持っているのは、どうやらビジネスワークショップです。
これに関しては、私の方が少しだけ詳しいかもしれません。

ワークショップを学ぼうとする人が、最近、私の周りでまた増えています。
各地のNPOセンターなどでも、技法としてのワークショップの研修は増えており、NPOの集まりに行くとみんな見事にファシリテーターをつとめてくれます。
しかし、企業ではどうでしょうか。たしかにまだ不十分で、せいぜいが昔ながらのブレーンストーミングです。
以前、「タコツボから出よう」という小冊子を、いすゞの企業変革に取り組んだ北村さんたちと作成し、研究会も続けた事がありますが、そこでも新しいスタイルのワークショップが時々話題になりました。場の研究で有名な清水博さんも時々参加してくれていました。
裕さんも、実際には、これまで独自のワークショップスタイルで仕事を進めてきているのですが、それらの体験と最近のさまざまなノウハウを統合して、中小企業の企業力アップのためのワークショップを構築したいという思いを持ち出しているようです。
面白いテーマです。
裕さんが近くであれば、一緒に取り組みたいテーマです。
一度、またゆっくり話すことにしました。
発展させたいものです。

■ インキュベーションハウス総寄り合い(2004年9月7日)
久しぶりにインキュベーションハウスの総寄り合いを開催しました。
みんな忙しくて、なかなか開催できないのですが、今日は、税理士の外崎さんをのぞき、全員参加です。
インキュベーションハウスはワーカーズコレクティブ方式による有限会社です。
メンバーは9人、それぞれ得意分野と仕事をもちながらの参加です。
参加の意味合いはそれぞれに違いますが、単なるビジネスではなく、なにやらホッとする人のつながりを大切にするようになってきています。

しかし、そうはいっても、利益の上がる仕事をしないと維持できません。
それで今日もみんなでどうしたらいいか話し合いました。
1億円のビッグプロジェクトから、月額1万円のマイクロプロジェクトまで、いろいろと話は弾みました。
こんな話も出ました。
ある会社経営者から、月1万円で住所だけを貸してくれないかという話です。
デスクを置くと3万円が必要ですが、デスクなしで、しかし時々はオフィス使いをするという申し出です。
登録者が100人になると、毎月100万円収入があります。これはいいビジネスです。
しかし、だからといって、そう考えないのがインキュベーションハウスのいい所なのです。

インキュベーションハウスのメンバーが考えるメリットは、さまざまな人の出会いの場になると言うことです。
インキュベーションハウスの寄り合いだと、いつも同じメンバーで、大体誰が何を言うかはわかってしまっています。
そこにさまざまな人が参加するようになれば、場の魅力は高まります。
いや、実はこれこそがインキュベーションハウスの最初の構想だったのです。
で、けっきょく、これは「儲かるビジネス」だからではなく「面白いビジネス」だからと言う事で、実行することにしました。

どうですか、月額1万円で、素晴らしい仲間と場所が持てます。
第1期は5人募集することにしました。
ご希望の方は至急ご連絡下さい。

早い者勝ちです。
但し、理念を共有している事が重要です。
理念は、楽しくやることです。

■ はた坊さんのコムケアサロン(2004年9月7日)
インキュベーションハウスの寄り合いとコムケアサロンが重なってしまいました。
今日のサロンのテーマは「社会全体で取り組む子育ては可能か?」でした。
問題提起者はにこにこキッズの畑山さんです。
こちらにも出たかったのですが、参加者が多彩なメンバーだったので、こちらを失礼したのですが、
参加者に会いたくて(中には高崎から来てくれた人もいますので)終わり際に参加させてもらいました。
議論が燃えていました。

このテーマは、まさに私の「コモンズの回復」のテーマでもあります。
ソーシャル・フォスターリズムと言う、挫折した活動もあるのですが、私はむしろ、「子育ては社会育て」という意見を持っています。議論に参加できずに、ちょっと残念でした。

しかし、またいろいろな人に出会えました。
きっとまたこのコーナーに登場することになるでしょうが、新しい出会いはいつも新しい物語を誘発します。

コムケアサロンは、参加者を集めるのに苦労した時期もありました。
メーリングリストが活発だとサロンにも人が集まるという事を最近感じています。
オンラインとオフラインは連動しています。
改めてそのことを実感しています。
次回は、環境クラブの増山さんの「社会契約的市民活動の勧め」(私の勝手な解釈ですが)です。
刺激的です。みなさんもどうぞご参加下さい。誰も歓迎です。
案内はコムケアセンターのホームページに掲載されます。

■ 中小零細企業の苦戦(2004年9月8日)
たまには企業の仕事を書きます。
ある設計デザイン会社とアドバイザー契約をしています。
月に2回程度、その会社に行っていますが、ソフト関係の会社の経営環境基盤の脆弱さを痛感します。
まず仕事に関する契約書締結ということがあまりきちんと行われておらずに、
口約束で仕事がやり取りされている事が多いのです。
最初から見積もりなどと言うと、金にうるさいなどという評判を立てられてしまうこともあるようです。
正式な契約がないため、途中で仕事が中止になってしまうとお金をもらえずに、タダ働きになってしまうこともあるようです。
第一、日本ではまだ構想やアイデアにはお金を出してもらいにくいですから、
よほど有名にならないと安く使い込まれてしまうようです。
無念ながら私も3回ほど、提案を頼まれて提案したらそのまま音沙汰なくなった体験があります。
いずれも上場企業でした。

最初、この会社に関わらせていただいた時には、契約書を作らずに仕事をやることに驚きを感じていましたが、
そこを正していくのは大変なようです。
いつか書いた下請け法の存在意義は高いです。
問題は、それもまたたぶん、強い企業、大きい企業に有利になっているということです。

中小企業、零細企業の経営の実状をもっと政治家や官僚に知ってもらいたいです。
税金をもらって、利益を上げながら、しかも困っている中小企業には融資もしない大銀行に荷担している官僚や政治家は犯罪者にしか見えません。
零細企業や個人企業の大変さは、なかなかわかってもらえないのが残念です。
大企業の人は、きっとリストラにならない限りわからないでしょうね。

ちなみに、私もそれなりに大変なのです。はい。

■ ソーシャルアントレプレナー養成講座検討会(2004年9月9日)
東京都特別区職員研修所のソーシャルアントレプレナー養成講座が10月から始まります。
今日は、そのサポーターたちのミーティングでした。
研修所の千葉さんの執念のプロジェクトですから、ちょっと気に食わないことがあっても応援しないわけにはいきません。

昨年は行政職員と企業人とのコラボレーションでしたが、今年は行政職員に絞り込んでの展開です。
新しい研修(この言い方が問題なのですが)モデルの開発も目指しています。
サポーターは多彩なメンバーです。

私は、ソーシャルアントレプレナーやソーシャルベンチャーと、これまでのただのアントレプレナーやベンチャーとの違いにこだわっています。そうしたこだわりのない、ソーシャルベンチャー論や社会起業家論が多すぎます。
昨年の開講式でも話したのですが、企業の事業も、みんな社会価値を創造し、社会性を高めようと努力しています。
社会性を意識しないアントレプレナーやビジネスはありえないのです。
そこをしっかりと整理しておかないと、単なる流行に終わってしまいます。
今のコミュニティビジネスはそうなりかねません。

私は三つの点を重視しています。
まずは理念です。組織起点の発想から個人起点の発想へのパラダイム転換です。
アントレプレナーの対概念は「エンプロイー」です。
組織に依存するかどうかです。
ちなみに、ここでいう個人はいうまでもなく、人と人とのつながりの中での表情のある個人です。
この当たりはこのホームページで何回も書いていますが、東京都の職員研修所の報告書にも少し書きました。

第2は要素です。
イノベーティブであること、サステイナブルであること、プロフィッタブルであること。この3点が重要です。

そして第3は意義です。
これは社会のセクター構造のリフレーミングです。
言い換えれば、新しいソーシャル・キャピタルづくりです。

一応、今日はそんなことを少しだけ話させてもらいました。最後は伝わらないだろうと思い、省略しましたが。
しかしまあ、参加した人が面白くなればいいのです。

今年は、もう一つ、この分野のプログラム開発をしたいと思っています。

■ 東レ経営研究所の渕野富士男さんとMOT(2004年9月9日)
渕野さんは、かつて東レでCIに取り組んだ時の同志です。
今は東レ経営研究所の役員の一人です。
さまざまな社会活動に取り組んでいるほか、自分の生活をしっかりもっている、新しいタイプの企業人です。
ソーシャルアントレプレナー養成講座に巻き込んでしまい、そのミーティングに参加してくれたので、
その後、久しぶりに食事をしました。

いま、MOTに関心を持っているようです。
MOT(Management of Technology)には、私もある思いがあります.
1970年代末に私がまだ東レでCIに取り組む前に、技術の問題に関心を持っていました。
東レという会社をとっても、たくさんのデッドテクノロジーが山積みでした。
東レは技術の会社だったのです。その技術を経営的に活かしていきたい、
そのためにマーケティングの風土を高めなければいけないと考えていました。
当時、私は経営企画部という組織にいましたが、研究所にかなり出入りしていました。
上司に、研究所に転籍してほしいと頼みましたが、駄目でした。
それがCIに取り組む一つの動機でした。

取り組み出した頃、米国のMITで、製造業の復活の研究報告書が発表されました。
確かそれを訳したのは東レ経営研究所の関係者でした。
私はCIにのめっていましたので、横目でしか見えていませんでしたが、魅力的なテーマでした。
日本でもさまざまな研究が行われ、東レの先輩たちも関わっていました。
わたしもかかりたかったのですが、それどころではなく、分厚い報告書をもらって羨ましく読んでいました。
しかし、報告書は退屈でした。

そして、日米の製造業が逆転したのです。
今、流行のMOTはMBAと同じ流れですから、まあだめでしょう。
これが私の、かなり主観的なMOT観です。
渕野さんは、しかし本気のようです。

もし日本がMOTに取り組むのであれば、まずは思想からです。
杉本泰治さんが訳した「科学技術者の倫理」を読むべきでしょう。
そこにチャレンジャー号の話が出ています。経営者の帽子と技術者の帽子と言う有名な挿話です。
そこに経営の本質に関わる問題提起が含意されています。

MOTに限りませんが、日本の研修プログラムは根本的なメソドロジーを変えなければいけません。
この分野は実に魅力的です。
コンセプトワークショップに委託しないかと提案しましたが、価格が高すぎてだめでした。
受託希望価格が3億円です。
しかし、それくらいの価値はあります。
誰か私に受託しないでしょうか。

■美野里町のまちづくり組織条例事務局検討会(2004年9月10日)
美野里町のまちづくり組織条例の事務局会議を開催しました。
大きな方向転換をやるかどうかの議論です。
参加者は美野里町の町長公室の4人と我々美野里町外野チームの3人との小さな会議ですが、
語られている内容は革命的なのです。
少なくとも、私にとってはパラダイム転換です。

霞ヶ関主導の自治行政は集権行政のパラダイムの中での小手先の対応でしかありません。
地方分権一括法などはすべて中央集権体制の強化策です。
といっても、実は私はあまり読んでいないので、断定はできませんが、その後の動きを見ているとそうだと思わざるを得ません。
その最たるものは市町村合併です。
ひどいものです。ビジョンが皆無です。

いままでの住民組織は、最近のNPO法人も含めて、ほとんどが、
そうした枠のなかで、霞ヶ関省庁の権益拡大の方策でつくられています。
「おろかな住民」を統治していくために、行政計画を作らせ、住民組織を作らせてきたのが、これまでの自治行政です
税金を使って、自分たちの儲け場所を拡大してきただけです。
そのパラダイムの中での住民参加はアリバイ工作でしかありません。
小賢しいコンサルタントが、参加から参画へ、だとか、協働とかパートナーシップとか、言葉遊びをしていますが、
彼らはそうした霞が関の権益に寄生しているだけの話です。
ビジョンも情熱も感じられません。
かく言う私も、大きな意味ではその一人に位置づけられるかもしれません。
自分ではそうではないと思っているのですが、まあ同じようなものかもしれません。

美野里町のまちづくり組織条例は、そうした下請け住民組織からの脱却の契機になるかもしれません。
そうした方向を目指そうという方向が、今日は確認できました。
まあ、理解度は人によって違うかもしれませんが、歴史の始まりはそんなものです。
東西ドイツを分断していた壁も、そうした勘違いから始まったと言いますし。
楽しみです。

担当者の太田勉さんがこの記事を呼んだら驚くかもしれません。
しかし、きっと太田さんはわかってくれていると思いますが。

(2004年9月第1週)

■「沈黙の春」を読む会が始まります(2004年8月30日)
以前、予告していた「沈黙の春」を読む会をスタートさせることになりました。
メンバーが決まりました。
10人強の多彩なメンバーになりそうです。
大学教授もいれば、子育て関係のNPOの人もいますし、エディターもいれば、企業人も官僚もいます。
もちろん 技術士会のメンバーもいます。
リーダーは、科学技術倫理フォーラム代表の杉本泰治さんです、
そういえば、科学技術倫理フォーラムのホームページが完成しました。
ぜひご覧下さい。

「沈黙の春」と石牟礼道子さんの「苦海浄土」が、私の環境への関心の原点でした。
「苦海浄土」は何回も読みましたが、「沈黙の春」は通読したのは1回だけです。
今回、改めてしっかり読んでみようと思います。
杉本さんの新しい訳をベースにして、私も訳文をつくってみるつもりです。

できれば、毎月、1回程度の例会を行い、
技術系の人と文系の人との議論を通して、
内容理解を深め、カーソンのメッセージを受け止めていきたいと考えています。
この会を企画した杉本さんは、どうやら理系と文系とのコラボレーションを期待しているようです。
そんな視点からの議論が、いま科学技術倫理フォーラムの機関紙上で行われています。

「沈黙の春」を読む会は、一応、メンバー制ですが、
もし参加ご希望の方がいたら、杉本さんと相談します。
また、当日のオブザーバーは、1〜2人は大丈夫だと思いますので、関心のある方はご連絡下さい。

お知らせに案内を書いておきますが、9月27日の夜、湯島のコンセプトワークショップで開催する予定です。

■会場探しから考えたこと(2004年8月31日)
コムケアの資金助成プログラムの最終選考会を10月31日に開催することにしました。
その会場探しで少し苦戦しました。
土壇場で私の不手際から日程を変えたこともあって、担当の橋本さんには苦労をかけてしまいました。
まあ、これは毎年の事なのですが、私が事前に準備をしっかりするタイプではないため、スタッフは毎回、迷惑を受けています。
困ったものです。反省していますが、毎年繰り返します。

それにしても、東京で会場を探すのは大変です。
今回は150人から200人くらいの会場を20万円程度の予算で借りるのが課題でした。
その分野に通じているだろう人に、メールで協力要請をしました。
10人近い人がすぐに動いてくれましたが、結局、ぴったりするところがなかったのです。
しかし、みんなすぐに動いてくれたのには感謝です。
某社の役員だった友人が、わざわざ会場探しに動いてくれたのも感激しました。
今までは航空券だって秘書に買わせていたのではないかと思うのですが。
親切さが心に沁みました。

いい会場は1年前から埋まっているところが多いのです。
私のような、計画的ではない状況主義的人間にはとてもついていけません。
1年先の事を決めて生きる生活は、私には無理です。困ったものです。
あいている場所はたくさんあるのに、本当に会場探しは難しいと、同じような活動をしている人が言ってきました。
そう思います。社会資源が効果的に使われる社会的インフラがまだ不十分です。
会場探しビジネスは充分成り立つ可能性があります。
それにしても、公共施設はもっとちゃんと公共的に使えるようにしてほしいものです。
あるいは、企業もまたあいている会議室などを休日は開放してほしいです。
空間は独占的私的所有にすべきではなく、ゲルマン法理の総有概念を適用すべきです。

最終的に絞ったところを橋本さんと一緒に見て回りました。
とても使いやすそうなところがあったのですが、橋本さんから問題外と評価されました。
理由は何だと思いますか。
トイレです。車イスの人が使えるトイレがないのです。
これでは公開の会議はできないです。
トイレは今や重要な要素です。そこに気づかないと顧客を失う時代です。

会場などのバリアフリー化の規制ができていますが、そろそろ発想を変えるべきでしょう。
発想が変われば、 法律など、本当は不要なのです。
管理の時ではなく真心の時代になれば、法律は意味を変えてきます。
これはソーシャル・キャピタル論にもつながっていきます。
バリアフリーにすべきなのではなく、バリアフリーにするほうがいいと言うことです。
この違いはとても大きいのです。
つまり、バリアフリー化をコストと考えるか、バリューと考えるか、です。
いまの企業はコストで考えています。
法律があるからかもしれません。法律は人の発想を受動的にさせます。 特に日本の場合は。
ここに日本企業の限界があります。
その発想のパラダイム転換をすれば、日本の企業は元気になれるのですが、狭い経済主義に埋没している経営者にはそれが見えません。
困ったものです。

なんの話かわからなくなりましたが、そんなわけで会場は決まりました。
10月31日。コムケア最終選考会。場所は虎の門の日本財団ビルです。
後は200人が集まる魅力的な集まりにする工夫をすればいいだけです。
さてどうしましょうか。

■赤ペンを持って憲法を読もう(2004年9月1日)
先々週予告した「赤ペンを持って憲法をよもう」(かんき出版)が完成しました。
9月6日から書店に並びます。
編集担当の藤原雅夫さんと著者のリンカーンクラブ代表武田文彦さんがやってきました。
この本でどう新しい風を起こせるか、を考えるためという口実のもとに、久しぶりに3人で会食したのです。

この本に関しては、ブックのコーナーに紹介していますので、ここでは書きません。
本は出すだけでは意味がない、と言うのが私の考えです。
ですから問題は、この本を使って何をやるかです。
私が提案したのは、「憲法添削会」と「公開フォーラム」です。
だいたい憲法なんて、みなさんもちゃんと読んだ事はないでしょう。
検事になりたいという明確な志をもって法学部に入り、憲法の講義は真剣に聴いた私ですら、
解釈的にしか憲法を読んだ事がありませんでした。
解釈していたら、本当の実体は見えてきません。
多くの人も、読んだ事はないでしょう。そのくせ、みんな、護憲、改憲といっぱしのことをいいます。
偉そうな事をいう前に、まずは読んで見ろといいたいです。
きちんと読めば、憲法がいったい何ものかがわかるはずです。

そこで、秋から「憲法に赤ペンを入れる会」をやったらどうかと思います。
つまり、主体的に憲法を読もうということです。
これは武田さんも賛成しましたから、実現するでしょう。
もうひとつは、憲法を主体的に読むための公開フォーラムの開催です。
これはリンカーンクラブの主催がいいと思いますが、いま、このリンカーンクラブの推進体制が脆弱化しているのです。
どなたか事務局長に立候補しませんか。
武田さんに代わって募集中です。
関心のある方は、ぜひ連絡下さい。
リンカーンクラブをのっとるいいチャンスですよ。

■カイロプラクティックコンシェルジェ(2004年9月2日)
コムケアの資金助成プログラムへの応募を考えている若者がやってきました。
堂垣翔平さん。大学生で、なんと私と同じ我孫子市の市民です。
テーマは、カイロプラクティックコンシェルジェ。
最近、安直に広がりだしているカイロプラクティックに、堂垣さんは危惧の念を持っています。
そして、正しいカイロプラクティックの情報を広めていくと共に、
信頼と安心のおけるカイロプラクターを「コンシェルジェ機能」により生活者に提供していく活動をしたいと言うのです。
堂垣さんのお兄さんがカイロプラクティックを学んでいるのが、この発想の背景にあります。

統合医療への関心は私もありますし、情報のコンシェルジェは必要だとつい最近の会場探しで実感していたので、応援する事にしました。
資金助成プログラムでえこひいきすると言う意味ではありません。
その当落に関係なく応援すると言う意味です。
考えて見ると、この1か月、コムケアの関係で、そういう安直な約束をたくさんしてしまったような気がします。
困ったものです。
しかし、まあ、人間はできることしかできないから、どうにかなるでしょう。

カイロプラクティック、統合医療、コンシェルジェサービス。いずれもこれからのテーマだろうと思っています。
彼はまだ一人で取り組んでいます。
応援してくれる人はいませんか。紹介します。

ちなみに、私も上部頚椎カイロプラクティックを受けていますが、不思議な体験です、ここしばらくはちょっと行っていませんが、

■お客様にとっての企業価値(2004年9月2日)
KAE経営道フォーラムのメンバーが、研究活動の中間報告をしにやってきました。
今回のテーマは「お客様から見た企業の存在意義」です。
これまでに4つの企業を取材してきました。
福田金属粉箔工業、キューピー、タカハタ電子、でん六です。
キューピーはともかく、後の企業はあまり有名ではありませんが、それぞれに素晴らしい経営をしているところだそうです。
メンバーがどういう点に共感したかを聞きました。

総じて言えることは、
・ 事業の内容にこだわりを持っている
・ 拡大戦略ではなく継続戦略を重視している
・ 人が触れ合える人数的に規模を大切にしている
などのようです。
これは、いうまでもなく、商人道に通じた話です。
あるいは米国的経営ではなく欧州的経営です。

その教訓から何を引き出すか、楽しみです。
KAEの発表会は11月8日です。
関心のある方は招待します。

■アーユルヴェーダコンサルテーション(2004年9月2日)
アーユルヴェーダに取り組んでいる佐藤真紀子さんから、ドクター・サダナンダによるコンサルテーションの案内が届きました。
真紀子さんは、昨年、インドでちょっとした事故にあい、心配していたのですが、活動を開始されたようです。
アーユルヴェーダには、私も関心があります。
ドクター・サダナンダには、女房も脈診をしてもらいました
カイロプラクティックもそうですが、
アーユルヴェーダのような生命の根源に関わっていく非西欧医療に、もう少し触れたいと思っています。
これはまた報告をさせてもらいます。

■田んぼの守構想(2004年9月3日)
コムケアのメーリングリストが、ますます盛り上がっていますが、
そこに丹波道明さんからこんな提案がありました。

(東京の)どこかで実験的に水田を造り稲を育て、
刈り取った後も水を張っておく(冬季淡水)すると、
驚くほど多種多様な生き物(気持ちの良いものだけとは限りませんが)が戻ってきます。
何代も前に東京に出てきた人も瑞穂の国のDNAを持っていますから、きっと人もまた集まってくるように思うのです。 
うまく行けば豊島区の公園に古代米からコシヒカリなどの田んぼだらけになる。
並みの緑地ではない公園が出来上がる。
田んぼの守は、公園に寝泊りする人にしてもらう。
とれた米で故郷の自慢料理を作り上げ、
日ごろ迷惑そうにしている健全な市民に、マクドナルドの前で振舞うなどで自立支援のツールとする。

これは、環境クラブの増山さんの問題提起への返信なのですが、心から共感しました。
特に最後の3行が最高ですね。
「公園に寝泊りする人」はもちろん「ホームレス」であり、
「健全な市民」は私たちのような「自由を売り渡して不健全な生活をしている人」であることはいうまでもありません。
そして、極めつけは、「マクドナルドの前で振舞う」です。
私は日本のマクドナルドの創業者の藤田田さんを許せないと思っている人間ですので、拍手喝采というところです。

これに関して、山谷や兵庫でホームレス支援に取り組んでいるコムケア仲間などからも投稿があり、
議論は盛り上がりましたが、これは魅力的な構想です。
国土交通省の都市整備局の工藤さんにも提案したくなりました。
メールを送ることにしました。
先日の研究会以来、さまざまな案内や呼びかけをしているので、工藤さんは迷惑をしているでしょう。すみません、
しかし、この提案は感激してもらえるかもしれません。
いや、ちょっと甘いでしょうか。やはり迷惑かな?

しかし、なんと工藤さんたちが関心を持っていた不耕起栽培に取り組んでいる岩澤信夫さんとも、丹波さんはつながりがあるようです。
もしかしたら、可能性があるかもしれません。
急に丹波さんに会いたくなりました。

ところで、丹波さんから、こんなメッセージも届いています。
私の提案をもとに面白く脚本作っていただいて映画にならないかと思っています。

どうでしょうか、どなたか一肌脱いでくれませんか。
次回の宝くじで3億円当たったら、私が取り組みますが。

■コムケア資金助成プログラム締め切り(2004年9月4日)
コムケアの資金助成プログラムを閉め切りました。
まあ、まだ少しは来るでしょうから、確実ではありませんが、今日でほぼ140通です。
これからこれらをすべて読み込んでいきます。
楽しみと憂鬱さの交じり合った、奇妙な気分です。
今年はどんな物語に出会えるでしょうか。

この選考の手伝いをしてくれる方も募集しています。
よかったら参加してください。
いまは公募に応じて、22人の方が手を上げてきてくれています。
選考会にはわざわざ福岡から出てくるという方も出ています。
コムケア精神が広がっているのが、とてもうれしいです。



(2004年8月第4週)


■スペインからの来客(2004年8月22日)
スペインタイル(Taller de JUN )をやっている娘
がスペインでお世話になった友人夫妻が、娘の工房を見にやってきました。
奥さんのカヨさんがタイルをやっているのですが、スペインに転居し、そこでスペインの人と結婚されたのです。
毎年、夏に1か月、休暇をとって日本に来ています。ヨーロッパ的な生活です。
旦那さんはラモさん。ちょっとシャイで、日本が大好きな人です。

2人が住んでいるのは、バレンシアのオレンセです。
ラモさんはそこで生まれ育ちました。
ラモさんは日本大好きで、日本にもやってきますが、ラモさんの両親はまだ日本に来た事がないそうです。
これからも来ないだろうと2人ともいいます。

2人によれば、オレンセの人たちは、自分たちの町の生活に満足し、誇りを持っているので、他の所に行きたいという発想が起こらないのだそうです。
ほとんどの人が町から出たことがないそうです。
外ばかり向いている日本人とは全く違います。

数年前、熊本の地獄温泉に行きました。
その旅館の庭を掃除していた60歳くらいの男性と、朝、少し話をしました。
その人は生まれてずっとここで生活していて、熊本市にも下りたことがないと言うのです。
毎朝、旅館の庭掃除をするのが日課です。
感動しました。こういう生き方もあるのです。
その人にとっては、イラクの戦争やオリンピックなどは、どうでもいいことかもしれません。
いや、むしろ逆かもしれませんね。

スペインの人は、街中で遠くの人を呼ぶ時に名前を呼ばないとラモさんはいいます。
オーイとか、口笛を吹いたりするそうです。
たくさんの人がいる中では名前を呼ばないことの意味を考えると面白いです。
文化の違いはさまざまです。

ところで、娘の工房(Taller de JUN )も少しずつですが、ファンが増えてきたようです。
子どもの誕生日に毎年記念のお皿を創りたいという人もいるそうです。
タイル教室をやってほしいと言う声も寄せられているようです。
最近、地域情報紙にも掲載されました
みなさんも我孫子に来たら、ぜひお立ち寄りください。
工房の様子はホームページを見てください。

■二宮漁場の中川洋さん(2004年8月23日)
野村総研の若手アナリストたちとの交流については前に書きましたが、
その一人である中川洋さんに10年ぶりに会いました。
先々週、その元若手アナリストたちと話していて、ある話題になったら、
それは「中川がいい」ということになったので、早速会うことにしたのです。
外資系の投資会社で大活躍し、今はそこを卒業しています。
投資家中川洋との再会です。もしかしたら、コムケア活動にも1億円くらい出してくれるかもしれません。

都ホテルのラウンジを指定してきましたので、期待は高まりました。
反面、1億円も出されたらいやだなという不安も高まりました。
ところが、そこにいたのは、あの懐かしい中川洋さんです。
全くイメージ通りのいでたちでした。すごくうれしくなりました。
その上、最初に渡された名刺が、なんと二宮漁場の取締役です。
要するに網元ですね。彼のイメージにぴったりです。
それに真っ黒に日焼けしているのです。時間を超えて、すぐさま、昔の関係に戻ってしまいました。
ちなみに、日焼けは2週間、キューバでバケーションしていたためらしいです。

今回は山本秀太郎さん(ビレッジハウス)をお引き合わせしました。
山本さんの話はあまりしていませんが、今回お引き合わせする理由も含めて、いつかまとめて書き込みます。
山本さんは、二宮のアウラという話題のレストランの設計者です。
湘南の海に面した、とてもいい場所にあるレストランです。
その目の前の海で漁業をしているのが、中川さんなのです。
二人の話しが弾んでしまったことはいうまでもありません。
その上、中川さんは目黒の碑文谷で、母庵(ままあん)という和食のお店もやっているのだそうです。
これまた山本さんの関心領域です。

久しぶりだったので、いろいろと話したかったのですが、2人に主導権をとられてしまいました。
困ったものです。また会わなければいけません。
今度は二宮のアウラで会うことにしました。またきっと、魚の話ばかりですね。

そういえば、こんな話が出ました。
毎朝、水揚げした魚は、ある基準で商品化されるものは市場に回されるが、
それ以外のものはただ同様で飼料会社に引き取られるのだそうです。
しかも、漁師が苦労して採ってきた魚の価格は市場で決められるわけです。
これをどうにかしたいと、中川さんは思っているようです。
中川さんのことですから、きっとどうにかするでしょう。
彼の発想と行動力は期待できます。何かが変わるかもしれません。
楽しみです。

■豊かなシニアライフ(2004年8月24日)
最近、またメールの輪が広がりだしています。
私は最近、メール中心の交流になってきていますので、メールをやっていない人とは疎遠になりがちなのですが、
そうした人たちからメールを始めたという連絡があるととてもうれしいです。
最近も何人かのエントリーがありました。
そのお一人の蔵田正章さんからのメールを本人の了解を得て一部紹介します。

私の方は、"楽しくなければ人生ではない"を口実に、
地球に負荷をかけ、周囲には老害を撒き散らしながら、遊びに熱中しています。
しかし、これも友あってのことで、近頃は友の有難さをしみじみと実感しています。
地域のお役立ちである「町の合併検討委員会」は一部の人のエゴで、
合併そのものの枠組みが壊れたままで開店休業です。
今が合併を本気で考えるチャンスだと思っています。
「政治倫理委員会」の方は、「平成16年資産等報告書」のとりまとめ中ですが、
オリンピックと高校野球に時間を取られ、だんだん後がなくなって来ています。
素人百姓の土いじりは面白さにはまり、本職と勝負をするまでになりました。
夏は甘い西瓜を60〜70個ほどとりました。
貰っていただいた人の評判も良かったみたいです。
これからは秋・冬野菜の種蒔きです。
妻は60の手習いで自動車の免許を取りましたが、車の修理に追われています。
本人の体が壊れないだけが救いです。
では、またお便りします。九州にお越しのときはお声をかけてください。

蔵田さんは大手企業を数年前に退社され、
奥さんと一緒に郷里の九州に帰り、悠々自適の生活をされています。
このメールに書かれているように、
遊び(文化活動)と社会活動と生産活動(経済活動)である農業に取り組まれ、
会社時代とは全く違った人生を謳歌されています。
春には毎年、近くの海で採取したといって、立派なアサリをどっさりと送ってくれます。
一時は福祉活動にも取り組まれていました。
まさに豊かで充実した生活です。

こうした人たちが全国的に増えてきているように思います。
特に地方での高齢者の生活は、社会的であり、文化的であり、生産的です。
まだまだ日本には豊かな生活や社会が残っているのです。
首都圏の高齢者をみていては、高齢者会の実相は見えてきません。
高齢社会の到来は、時代の文化を変えていきます。
高齢社会到来万歳です。

■東近江水環境自治協議会の丹波道明さんの豊かな生活(2004年8月24日)
もう一つ、豊かなシニアライフの紹介です。同時に、豊かな日本文化の紹介でもあります。
先日もこのコーナーに登場した丹波さんからのメールです。
丹波さんは、私の東レ時代の先輩で、今は滋賀県にお住みです。

いま、われわれの活動の原点である西の湖(滋賀県に残存する内湖で最大のもの)の
治水、利水、景観、環境の保全整備に関し、
住民の意見を代表する組織として西の湖保全自治連絡協議会(仮称)を
近江八幡市4自治会、安土町5自治会に呼びかけて結成準備をすすめています。

東近江水環境自治協議会が事務局となり、
これら自治会のネットワークのワイヤつなぎとワイヤメンテナンスを自治体の枠を越えてやろうという試みです。
保全整備を行政とのパートナーシップで進めるほか、提案力を持つ組織へと成長したいと考えています。

CWSの日記を拝見させていただくと奥様の盆の里帰りの記事がありました。
私の住んでいる下豊浦(大字)永町(ながまち)は天台宗西光寺の檀家、活津彦根神社信徒と自治会が三位一体となって
隣近所との色濃い人間関係を作り上げている集落です。
今年の親の墓参りには、父の88歳と85歳の兄弟が帰ってきてくれます。 
若いときにはうっとうしく感じた盆の諸行事も年を取るとしみじみとした情感を持つ行事に代わってきます。
しかも、この色濃い昔ながらの人間関係が
東近江水環境自治協議会というアソシエーションというか好き寄りの会のパワーの源泉になっているのが面白いのです。

私が外国の環境NPOの人たちを西の湖に案内したあと必ず宮さんと寺を案内し、
その後永町公民館で地元の人との交流会を奥さんやお婆さんの手料理でもてなしてやっています。
最高90歳を越えた清五郎さんの「さき婆さん」も手伝いに来てくれた次の朝、
「道明さん、昨日は祭りやったな面白かったな、またやってやー」とか、
どこでどう通じたのか定かでないのですが、
「わしがな90超えてるのやというたらな外人さんがホーッと感心してらったで」というようなことがおこっています。
こんなことがあるのでボランテア活動はやめられません

こうした日本の豊かさが、いま、急速に失われてきているような気がする一方、
そんなに簡単にはなくならないだろうという気もしています。
一昨年、高知県の中村市で体験した幡多昔むかし祭がとても懐かしいです。
きっとまた秋祭に向けてみんながんばっていることでしょう。

■フードインストラクターに向けての食育通信講座
(2004年8月25日)
先月、食育通信講座とフードインストラクターについて予告的な記事を書きましたが、
いよいよ動き出しました。ホームページができました。

このプロジェクトはJOBAの加藤雅之さんがプロモーターです。
現在の「食の危なさ」を変えていくために、NPOみんなの食育が中心になって、
生命の基本を学ぶ本格的な食育講座が10月からスタートしますが、
その受講生募集に荷担することになったのです。
みなさんのまわりに、もし関心のある人がいたらぜひお勧め下さい。
ホームページをみてもらえると詳細が書かれており、そこから申し込めます。
ちなみに、上記のホームページから申し込むと、ここに手数料が振り込まれるのだそうです。
1万人くらいが申し込んでくれると楽ができそうですね。
こういうスタイルのビジネスが広がっているのでしょうね。
ビジネスのあり方が急速に変化しているのが良くわかります。
どのくらい手数料がもらえたかは、また報告します。

ところで、肝心のこの通信講座とフードインストラクターですが、その発展性に関心を持っています。
順調にスタートできれば、きっと面白い展開が可能になるはずです。
この分野の周辺の活動はかなり接点があるのですが、もう一つ物語が描けません。
このプロジェクトが何か新しい風を起こしてくれることを期待しています。

詳しくはお知らせのコーナーをご覧下さい。


■北九州市百万にこにこホスピタリティ運動(2004年8月26日)
北九州市観光協会の古野利幸さんが久しぶりにやってきました。
古野さんとはもう10年のお付き合いです。
なぜ10年だとわかるかというと、10年前に古野さんと一緒に、
北九州市で「百万にこにこホスピタリティ運動」のフォーラムをやったのです。
この運動は古野さんの企画です。
最近でこそ、ホスピタリティという言葉は広がっていますが、当時はまだあまり一般的ではありませんでした。
古野さんは苦労したと思いますが、それからずっと活動を継続し、ついに今年で10年目なのです。

古野さんは、私が知りうる中で、もっとも誠実で言い訳をしない人の一人です。
いつ会っても気が満ちています。
ホスピタリティ運動も10年目なので、今年は集まりをすることになったそうです。
そこへのお誘いを受けました。うれしい話です。
もちろんお引き受けしました。何をするかは、これから一緒に考えることにしました。

北九州市百万にこにこホスピタリティ運動は、主に観光関係の企業や観光ボランティアの人を中心に、
北九州市にきた人たちへのホスピタリティマインドを広げていこうという運動です。
一般市民へも広げていきたい意向はあるようですが、100万都市になると、それはそう簡単なことではありません。
それに古野さんは、形だけの展開では満足せずに、実体を重視する人なのです。

ところで、北九州市と観光は、皆さんの頭の中ではつながるでしょうか。
古野さんがこの仕事に取り組み出した20数年前には、
まだ北九州市には「観光」という発想は行政にはありませんでしたが、最近は、観光に力を入れているのです。
そうした観光行政の変遷を体験してきた古野さんには、たくさんの情報がつまっているはずです。

私は、観光とはまちづくりだと思っています。
北九州市はハード重視のまちづくりからソフト重視のまちづくりへと大きく変わりはじめていますが、
古野さんの役割はこれからますます大きくなっていくでしょう。
行政がきちんと活かせるかどうか、それが問題ですが。

10年前のホスピタリティのフォーラムの冒頭で、少しだけお話させてもらった記録が出てきました。
その部分だけを採録しました。古い話ですが、お読みください。

■国見町でのうれしいつながり(2004年8月26日)
ホスピタリティの話でやってきた、北九州市の古野さんからうれしい話を聞きました。
北九州市と大分県国見町は15年ほど前から交流があるのだそうです。
僧清虚という人がそのつなぎ役です。
この人の話も面白いでのですが、それはホームページに任せます.
ここをクリックしてください。
http://www.i-port.go.jp/data/pdf/puerto34_10.pdf

僧清虚を偲んで、北九州市観光協会と国見町とは毎年お互いに訪問しあっているのだそうです。
そのきっかけもどうやら古野さんらしいです。
今年も8月に観光協会の事務局長の川口正信さんと古野さんも国見を訪問したのですが、
ちょうど国見町の大光寺で文化講演会があったので、それに参加しました。
そうです。昨年、私が参加させてもらった会です。
そこで、私が昨年国見に来たことを知ったのだそうです。
お二人ともきっと驚いたことでしょう。
講演嫌いの私が、よりによって国見町のお寺に講演に来ているのですから。

大光寺の話は昨年書きましたが、この講演会は毎回すごく盛り上がります。
終了後、「おせったい」として食事が出るのです。
すべて無料です。まだおせったいの文化があるのです。
サンチャゴでなくても日本にもこうした文化はまだわずかですが、残っています。
それを生かす方向ではなく、商業化の方向で巡礼道整備が進んでいるのはちょっとさびしいです。
ちなみに、巡礼者の鈴木さんに、なぜサンチャゴまで行くのかと聞いたら
国内よりもお金がかからないし、気持ちが良いから、という答えが返ってきました。

昨年の私の講演会は、コモンズ村民の石本君代さんが、
「社会教育」という雑誌に、とてもいい報告記事を書いてくれました。
ぜひお読みください。
その記事を読んで、社会教育の関係者が13人も視察に来たと、大光寺のご住職の奥さんからちょうど手紙をもらったところでした。
うれしいことです。お寺のできることは今でもたくさんあるのです。

院内町の向野さんからも、この講演会に参加したとのお手紙を先週もらったばかりでした。
大分出身の国会議員、後藤博子さんの機関誌にもその記録が載っていたとメールをくれました。
北九州市の中嶋重利さんも参加されていたようです。
私の知り合いが、私の知らないところで偶然に場を共にしている。
なんだかとてもうれしい気分です。
それがどうした、と言われそうですが。

つながりの気づきを広げられれば、戦争はなくなるかもしれませんね。

■環境ケア基金(2004年8月26日)
環境クラブの増山康博さんは、ビジョンをもった社会運動家です。
片岡勝さんのところで活動をスタートしたためか、片岡さん的なところがあって、興味深いです。
しかし、最近の増山さんの活動を見ていると、突進しすぎて整理できていないのではないかという危惧を感じます。
それに、増山さんが盛んにいう、社会契約思想がどうもまだ見えにくいのです。
たぶん誰もわかっていないのではないかという気がします。もちろん私も含めてです。
まあ、余計なお世話なのですが、一度、雑談でもしようよと声をかけました。
久しぶりにゆっくり2人で話しました。
よくわからない話が、私は大好きなのです。

増山さんは、つい最近、環境ケア基金なるものを始めました。
これが、彼の持論の社会契約思想の具現化の一つだというのです。
環境ケア基金のことは、環境クラブのホームページをぜひお読みください。
そして、よかったら募金してください。

といっても、実はそのホームページを読んでもよくわからないのです。
増山さんの思考回路はちょっと普通ではないので、彼とコミュニケーションするのは難しいのです。
もしかしたら私もそうなのでしょうが。
彼が配っている環境ケア基金のチラシの冒頭の文章を引用します。

エネルギーや水を節約したり、ゴミを減らしたりして、「浮いた」経費を森や海のために募金しませんか? 
水やエネルギー、ゴミには、社会全体としても個人としても、膨大なお金をつぎこんでいます。
その生活を見直し、環境保全型の社会を、都市の人も田舎の人も一緒に作っていく第一歩が「環境ケア基金」です。
明日から、あなたひとりでも始められ、各地の人達ともつながることができる「環境ケア基金」にご協力下さい。

わかりますか?
これに参加することが、社会契約発想の第一歩なのだそうです。
10月のコムケアサロンで、増山さんにこのあたりの話をしてもらうことになっています。ちょっと不安ではありますが。

ところで、私もコムケア基金なるものをはじめています。
あまり呼びかけてはいないためか、まだ3万円弱しか集まっていませんが、環境ケア基金はもう10万円を超えたようです。
コムケア基金では、1億円以内であれば、募金可能です。はい。

■就農準備セミナー(2004年8月26日)
環境クラブの増山さんは農業を学び、社会活動資金を農業から得ているのです。
これもすごい話です。

ところで、今度、就農準備セミナーを始める計画です。
最近は、毎年6万人の人が新規に就農しているという統計があります。
増山さんは、日本の環境を守るためには、その3倍が必要だといいます。
しかし、就農はそれほど簡単ではありません。

私の知人では、大分県の花崎(竹沢)夫妻のように本格的な就農者もいますし、
降旗さんのような本格的な転身希望者もいますが、挫折した人も少なくありません。
自治体などがやっている農業大学への参加も、よほどの覚悟が必要です。
そこで、もっと参加しやすい入り口をつくろうと言うわけです。
今、企画スタッフ募集中です。
どなたか参加しませんか。
私は荷担することにしました。
何しろ増山さんは見ていて少し、いやかなり危なっかしいので、荷担せざるを得ないのです。
まあ、私が荷担するとますます危なっかしくなる可能性もあるのですが。

これに関しては、できれば9月に一度、ブレーンストーミングの会を開催することにしました。
日程が決まったらこのホームページでも告知しますが、関心のある方は私に連絡してください。
参加されるときっと人生が変わります。
不幸への入り口かもしれませんが、それもまた人生です。

■NPOイーパーツ(2004年8月27日)
コムケアの資金助成プログラムに応募したいので相談にのってほしいとNPOイーパーツの生尾尚子さんがやってきました。
このNPOの中心人物は会田和弘さんです。
コムケアの関係で知り合ったのですが、この2年ほどご無沙汰でした。
会田さんは今回はこられませんでしたが、会田さんの構想が着実に進んでいるのがわかりました。
うれしいことです。

イーパーツは、リユースPCの寄贈活動を行いながら、そのPCを活用した活動支援をしています。
詳しい内容はホームページをご覧下さい。

次の課題は、これまでのつながりを活かしたコミュニティづくりのようです。
独自の強みを持つNPOが創りだすコミュニティには関心があります。

どんなプロジェクトが申請されてくるか楽しみです。

■美野里町まちづくり組織条例(2004年8月27日)
美野里町に最近ちょっと行けていませんが、プロジェクトは順調に進んでいるようです。
まちづくり組織条例調査会も発足し、条例づくりに向けて動きだしました。
今日は、その応援団の美野里町外野チームの検討会です。


美野里町には、地縁組織としては、行政区とコミュニティ組織の二つがあります。
その関係が我R我には当初理解できなかったのですが、
行政区は人を基準として設計されており、コミュニティ組織は空間を基準として設計されている事がだんだんわかってきました。
自治の歴史を知る事ができます。
今回の条例づくりで、そうした組織原理も見直していければと思っています。

悩ましい問題は議会とまちづくり組織の関係です。
基礎自治体の議会は大きく変えて行く事が望ましいですが、それが難問です。
具体的に考えて行くにつれて、問題も見えてきます。
どこまでやれるか、楽しみです。

■コムケアメーリングリスト(2004年8月28日)
コムケア活動のメーリングリストがにぎやかです。
現在250人強の参加者がありますが、今日だけでも10通くらいの投稿がありました。
私が参加しているメーリングリストでは、公共哲学、ユニバーサルデザイン、ゲゼル研究会、社会教育、子育ち関係などが投稿の多いものですが、
コムケアもそれらにまけずに面白い議論が盛んです。
しかし、ともすると発言者が限られてしまいます。
それが過ぎると仲間サロンに陥ります。難しいです。

コムケアのメーリングリストは、とても面白いです。
メーリングリストだとどんどん消えていってしまいますので、テーマ別に編集して残って行くような仕組みができないかと思います。
つまりはホームページの掲示板とのリンクです。
どなたかそうした仕組みをご存じないでしょうか。

コムケアのメーリングリストの内容は、「大きな福祉」に関する情報交換・意見交換です。
誰でも参加できます。さまざまな人が参加してもらえると、メーリングリストもさらに面白くなるはずです。
皆さん、参加されませんか。
参加希望のかたは、私宛に「コムケアメーリングリスト参加希望」と書いてメールしてください。招待メールを送ります。
佐藤修へのメール 佐藤修へのメール
しばらくは、私はこのメーリングリストを主舞台にしようと考えています。

ちなみに、これまで私もいくつかのメーリングリストに取り組みましたが、どうも持続できないのです。
ファシリテーターとオフ会が必要ですね。
私はメルマガはやったことがありません。
登録しているメルマガは10以上ありますが、なかなかきちんと読めません。
メルマガを勧められた事もありますが、さすがに最近は勧められません。
ホームページではブログが広がっていますが、これもどうも双方向に持って行くのは難しいです。
私も1か月以上、毎日書き込みましたが、なにやら空転している感じでした。
また最近復活していますが、書き込み頻度は少なくなりました。

ネットの活用はまだまだ初級ですが、メーリングリストやブログなどと組み合わせて、
このホームページの目的である、コモンズ型ホームページに近づけていきたいと思っています。
気楽に投稿してもらえるとうれしいです。



(2004年8月第3週)

■巡礼者鈴木章弘さん(2004年8月16日)
鈴木さんと久しぶりに会いました。
時々、このホームページに投稿してくれるときの名前が「巡礼者」なのですが、
今はサンチャゴ巡礼を続けています。
すでに2回にわたり半分以上を歩き、今年の9月で歩き終わる予定だそうです。
サンチャゴ巡礼は、黛まどかさんの映画作りプロジェクトを以前、このホームページでも紹介しましたが、
結構、身近にも関心を持っている人が多いのに驚きました。

鈴木さんは、ともかく「歩く」と幸せになるといいます。
予定の目標地が近づくと、もう終わってしまうという気持ちが強まり、
いま歩いている道への愛おしさが高まるといいます。
昨年、出会った日本人は、このまま死んでもいいというくらいに歩くことの幸せに浸っていたそうです。
ランニングハイとは、また違ったことのようですが、歩いてみないとわからないといわれました。
私にも巡礼を勧めてくれました。

鈴木さんと知り合ったのは、保育と企業を考える研究会でした。
この研究会は、私が保育問題にかかわる契機になったものです。
そこでさまざまな人に出会いましたが、結局、今もって付き合いがあるのは鈴木さんくらいです。
鈴木さんは保育とは無縁でしたが、その研究会の記録をまとめてくれていたのです。
まあ、それだけの付き合いだとなんということはないのですが、
なぜか鈴木さんが私を「密命を帯びて人類の意識改革のため地球に立ち寄った宇宙人の」と考え、
私は鈴木さんを「時代を超えて生き続ける時の旅人」と考え、良く分からない付き合いが始まったのです。

実は当時、さまざまな不思議な事件が私の周りで起きており、
まあ何が起こってもおかしくない状況だったのです。
これについては、いつかまたお話します。


鈴木さんは当時、紀行文を中心に、執筆活動をしていました。
彼が書く、紀行文には、生命のやさしさとしたたかさを感じました。
人間の表情がある、とてもいい文章でした。
その後、インドのアシュラムに4ヶ月ほどこもったり、シルクロード全行程の無謀な旅をしたりしていましたが、
今は雑誌の編集部におさまってしまいました。
しかし、毎年、長期休暇をとってサンチャゴに出かけているのです。

昔は、2人が会うと、いささか危ない話が多かったのですが、
最近は2人とも常識人になってきました。
人間は歳をとるにつれて、前世のことや生命に埋め込まれた無意識世界の記憶を忘れてしまいます。
その代わりに、来世のことが見え始めるのですが、常識人のメガネで見てしまうので、なかなかそれに気づきません。
とまあ、こんな話をすると、また人格を疑われそうですね。

今回は久しぶりだった割には、常識的な話に終わってしまいました。
残念。鈴木さん、また会いましょう。

■「憲法の話」の予告(2004年8月17日)
かんき出版の藤原雅夫さんは、いつ死んでもおかしくない生活を送っています。
睡眠時間があるのだろうかというくらいのハードワークを、この数年続けています。
しかも行動範囲は広くて、時々、刺激的な情報を送ってきてくれます。

今度、リンカーンクラブの武田文彦さんの本を出すことになりました。
憲法の本です。
憲法の本と言えば、川本兼さんの本も紹介しましたが、なかなか広まりません。
また、武田さんといえば、このホームページにもコーナーがあるのですが、誰も気づいていないかもしれません。
武田さんも2回でやめてしまいましたし。

その武田さんの憲法論が、藤原さんの支援で出版されることになったのです。
来月はじめに書店に並ぶようです。
ご期待ください。

■福島自治研修センターでの夜学(2004年8月18日)
今年4回目の管理者研修で福島にやってきました。
残念ながら天気が悪くて安達太良山が見えませんでしたが、翌日は快晴で、素晴らしい姿を見せてくれました。
毎日、こうした風景に接しているかどうかは、きっと意識に大きな影響を与えるはずです。
空のない東京は、そこに住む人間を変えていきます。

研修終了後、会費制の自由参加の夜学をひらきました。
これが実に面白いのです。
地域で何が起こっているかがよくわかります。

現場情報ではないのですが、土木関係の技術者の石田さんから面白い話を聞きました。
土木工事のコンクリート構造物の多くがそろそろ耐用年数の限界を迎え始めているそうです。
確かにさまざまなところで、剥落問題が起きていますが、そうした予兆かもしれません。
米国では公共投資の4割がメンテナンスに向けられているのに対して、日本では15%程度とのことです。
日本ももっとメンテナンスに資金を向けるべきだが、そういうことを大きな声で言う人がいないと石田さんはなげいていました。
正確な数字は別にして、日本では新しい施設づくりにはお金がまわるが、維持管理には予算が付きにくいそうです。
その理由は、企業が儲からないことと仕事が目立たないからではないこということです。
納得できますね。

現場情報ではこんな話がありました。
高等学校の授業料の未納や兼営住宅の家賃の未納が倍増しているそうです。
どうしたらいいかの相談です。私の処方箋はいつでも簡単です。
情報を公開していけばいいのです。プライバシーなどは理由にはなりません。
もちろん払えない正当の理由がある場合には、別の解決策を見つけることとセットです。

年金もそうですが、未納を放置する文化は変えなければいけません。
未納が恥であることを社会の中で確立すべきです。
罪ではなく、恥なのです。
恥を知らない人たちが、国会を制していますが、彼らは真っ当な日本人ではありません。
模範にしてはいけません。反面教師なのです。
これほど恥ずべき首相はいないはずなのに、なぜか小泉首相は人気があります。
私たちもまた、恥ずべき人間になってしまってきているのでしょう。

産廃の場所を設定するのに住民が反対するのにどう対処すべきか、という問題も出されました。
これも簡単です。
行政が知りえるべき情報を住民言葉で公開すれば、解決策は見えてきます。

豊島のような事例を繰り返してきた行政が、この分野で信頼関係を回復するには、自らをさらけ出すしかありません。
しかし、これはまさに命がけの仕事です。
そこまでやれるかどうか、それは難しい問題ですが、住民が一丸になって取り組むべき課題です。
廃棄物の世界は、行政の責任逃れの中で、おかしな世界とのつながりがあまりにも深まってしまったのです。
まあ、これも恥を忘れた人たちにのっとられた、もう一つの世界です。

もう一つのヒントとして、ウィーン郊外にあるフンデルトバッサーのごみ焼却場の話をしました。
ごみ施設は観光施設にもなりえるのです。
これについては、佐藤和美さんや宮部浩司さんたちが構想している「大きな囲炉裏場構想」がまもなくお目見えしそうです。
これは面白いです。まだ私の口からは公表できませんが。
和美さんの許可が下りたら、報告します。

まあ、こんな話やら、そのほか、さまざまな話で盛り上がりました。
地方はまだ健全です。
しかし、これがまだどんどんと壊れているのが日本の現実です。残念ですが。

■自然の豊かさ(2004年8月19日)
今日は福島を早朝に出て、山形に向かいました。
昨日の雨のせいで、空気が澄んでいるせいか、緑もいきいきしています。

福島の吾妻小富士や安達太良がとても見事でした。
山形新幹線沿いの緑も、いつもながら見事です。
こうした緑を見ていると、前にも書いたように、環境問題など無縁なような気になります。
これは錯覚なのでしょうが、どうもそうは思えないほど、いつも感心します。
昨日も夜学で、個人でのごみ焼却が禁止されている話がでたのですが、
これだけの緑があるのであれば、少しくらい燃やしてもいいように思います。
個人がそれぞれの責任において、焼却することが禁じられたのはとても残念です。
まとめて焼却する発想を見直すことはできないのでしょうか。

リサイクルにも異論がありますが、
いまの環境問題のとらえ方にはどうも違和感が多いです。
生活から切り離された環境問題対策が多すぎるように思います。
無責任な言い方ですが、環境問題に関する常識も吟味すべき時代かもしれません。

それにしても、日本の緑は素晴らしいですね。

■全国リサイクル商店街サミット山形会議幹事会(2004年8月19日)
9月に山形市で面白い集まりがあります。
リサイクル商店街サミット山形会議幹事会です。
ホームページがありますので、ぜひご覧ください。
そして興味をもたれたらぜひ参加してください。
山形市は遠いですが、いろいろとホスピタリティあふれるプログラムもあります。

今日はその幹事会です。
このサミットは、早稲田商店街から始まりました。
有名なエコステーション活動を始めたところです。
その関係で、その言いだしっぺの一人、藤村さんも参加しました。

今日は会議のコンテンツの確認です。
5つの分科会をつくったのですが、それぞれを山形市の七日町商店会の若手が分担して担当し、
コーディネーターとの折衝や中身を詰めていくという方式をとりました。
最初は、みんなどうやっていいかわかりませんから、
時間がかかりますし、相談に乗っていた私としては一向に動かないので心配でした。
それに私の構想とはどんどん違った方向に行きますので、心配でした。
しかし、その方式をとってよかったと、今日は改めて思いました。
みんなそれぞれにいい取り組みになってきているのです。
おこがましい言い方をすれば、育ってきています。

5つの分科会の中身は、次のとおりです。
○元気が出るまちづくり(元気商店会の名物リーダーの激論対談です)
○バリアフリーな商店街(都市交通問題も扱います)
○外とのつながりのいり具との商店街(震災パックも出てきます)
○エネルギー自立の商店街(農業問題まで含まれています)
○子供の遊び場、学び場として商店街(ミニさくらも登場します)


どうですか。おもしろそうでしょう。
商店街の世界を大きく超えているでしょう。
詳しくはホームページをご覧ください。
私は全体会のコーディネートをさせてもらいます。
山形でお会いできるとうれしいです。

■山形創造NPO支援ネットワークの須藤路子さん(2004年8月19日)
山形に来たついでに、何人かの人に会いました。
その一人、須藤さんのことを書きます。

須藤さんは山形県が中心になって設立した山形創造NPO支援ネットワークの理事です。
山形市が市民活動(NPO)を支援するプログラムを検討していますが、
どうもこのネットワークとは相性が悪く、コラボレーションが実現していません。
共創を標榜している私としては、とても残念ですが、
実は私もこのNPOネットワークには設立当初から違和感があったため、これまで接点はとってきませんでした。
創設当初はニューズレターなども送ってくれており、動きは少しわかっていましたが、
1年もたたずに情報がこなくなってしまったのです。

行政が主導し、資金を注ぎ込み続ける市民支援組織はうまくいくはずがありません。
他人頼みの団体やステータス欲しさの有識者が集まるだけで、効果的な実践は広がりにくいからです。
NPOの良さは、ボランティアシップと透明性ですが、行政は基本的に透明性を嫌います。
不思議なことですが。

私が嫌いなのが、依存型のNPOです。
それを助長する行政主導のNPO支援組織はどうも苦手なのです。
ですから、山形市がNPO支援をすると言い出した時にも、この組織のことはほとんど念頭にはありませんでした。
しかし、それでは、「共創」の理念に反するではないかと、最近気づいたのです。
それに「現場に直接当たる」という、私の姿勢にも反します。
大いに反省して、須藤さんに会うことにしたのです。
やはり情報は直接自分で確認しないといけません。

私の思い込みは、半分は正しく、半分は間違っていました。
いま、山形創造NPOネットワークは、自己変革の途上にあります。
そのやり方は、私が一番嫌いなやり方ですので、おそらく成功しないでしょうが、
しかし、その中でがんばっている人がいることは評価しなければいけません。
それは山形市の財産にもなるはずですから。

須藤さんは「ただのおばさん」ということで、結構、厳しい目で見られているようですが、
ただのおばさんがいまや大事なことなのです。

短い時間でしたので、ネットワークの全体像や現況がわかったわけではありません。
しかし、たくさんの発見がありました。

■森林づくりビジョン共創フォーラム
(2004年8月20日)
滋賀県の廣瀬正明さんから、森林づくりビジョン共創フォーラムの案内が届いています。
お知らせにも掲載しましたが、昨年の記録を漸く読ませてもらいました。
感激しました。
特に、その中に出てくる新潟県上越市で活動している協同組合ウッドワークの関原剛さんの話は刺激的でした。
こうしたNPOが増えてくれば、日本の社会も健全になるでしょう。
その記録は、次のサイトにあります。
http://www.pref.shiga.jp/d/mori/fo-03
ぜひお読みください。
NPOの事がきっと理解できます。
頭だけで、森林問題を考えていると会の有識者たちにも、ぜひ読んでほしいです。

ところで、この案内をくれた廣瀬さんとは一昨年にお会いしました。
最初の議論が「協働と共創」でした。懐かしい議論です。
廣瀬さんは件の職員ですが、やまんばの会という活動もされています。
こういう人が行政を変え、地域社会を変えていくのでしょう。

廣瀬さんとのメールのやり取りの中で、いろいろな人を引き合わせたくなりました。
比良山のさとやまづくりの三浦美香
さん。
三方ヨシの丹波道明さん

みんなこのホームページ2登場した人です。
異質な出会いが、また新しい物語を生み出すとうれしいです。
このホームページが、そうした出会いの場になれば最高にうれしいです。

滋賀大学教授だった大村和夫さんから、滋賀は元気だという話をお聞きしていましたが、本当に元気のようです。

■朝日ニュースター「よみがえれニッポン」出演(2004年8月21日)
ばばこういちさんがキャスター役をやられている CS放送朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」に出演しました。
今回から趣向を変えて、さまざまな分野の人による討議番組です。
メンバーは武者廣平さん(マルチタスクデザイナー)、村尾信尚さん(関西学院大学教授)、
小林完治さん(弁護士)、中村元さん(江ノ島水族館アドバイザー)、そして私です。スポンサーのコクヨの杉本洋一さんも参加されました。
テーマは「よみがえれニッポンとUD」です。

私は、このホームページにも何回か書いていますが、昨今のユニバーサルデザインの動きにはいささか違和感を持っています。
安直に、しかも商業主義的に使われすぎているからです。
それにユニバーサルデザインは、工業時代の作り手発想の延長に思えてならないからです。

しかし、ばばさんはそうは考えていません。
ばばさんは、ユニバーサルデザインを「参加と対話による新しい生き方をデザインするための新しい思想」と考えています。
その思想とは、一人ひとりが主役になることとお考えのようです。
そう考えれば、私のコモンズ発想大きな福祉の発想に通じています。

今回は新しいスタイルの第1回目でしたので、まあ、顔合わせのようなものでしたが、いくつかの面白い問題も出て来ました。
私自身は論争のない討論はあまり意義を感じませんので、論争したかったのですが、
90分の生番組は、時間があるようでないもので、難しかったです。

スタジオに、日本にユニバーサルデザインの動きを持ち込んだ功労者の一人、五十嵐重雄さんが来ていました。
久しぶりです。
昔、ようやく日本でもメイスの7原則が話題になりだした頃、
五十嵐さんと鈴木淳さん(ユニバーサルファッション協会)の3人でお話したことを懐かしく思い出します。
五十嵐さんの呼びかけで、ユニバーサルデザイン関係のメーリングリストもできていますが、これは面白いメーリングリストです。
岸田能和さんの「ものづくりのヒント」(かんき出版)が生まれたのも、このメーリングリストのおかげです。
五十嵐さんとゆっくりお話できなかったのが残念でした。

この番組は毎月1回放映されることになっています。
私自身いささか場違いな気はしますが、出演者がそれぞれ魅力的な人なので楽しみです。
CS放送なので見る人は少ないでしょうが。



(2004年8月第2週)

夏休みの時期です。都内の交通機関はすいています。
ビジネス街では昼食場所が夏休み休業のため激減しています。
日本のだんだん健全になってきたというべきでしょうか。
緊張感の1週間を過ごしました。

■ブログの再開(2004年8月9日)
CWSプライベートの書き込みを再開しました。
再開1号は、アジアカップの中国サポーターの行動についてです。

半月、書き込みを休みましたが、ブログを毎日書いていた時に比べて、自分自身の意識の違いを感じました。
ブログを書いている時は、目と頭が外部に向かうのですが、
書かなくなってからは社会のことがあまり気にならなくなったのです。
大げさに思えるかもしれませんが、実感です。

最近、ブログを書く若者が増えています。
まあ、かつての日記のようなものでしょうが、大きく違うのは読者を想定しているということです。
読者、つまり社会を意識した生活は、必ずその人の価値感に影響を与えていきます。
ブログを書き続けることによって、人の言動はどう変化するか、実に興味あるテーマです。
これに関する情報があれば、ぜひ教えてくれませんか。

■ダ・ヴィンチ・コード(2004年8月10日)
話題になっている「ダ・ヴィンチ・コード」(ダン・ブラウン)を読みました。
久しぶりのミステリーです。

大学生の頃、入学動機の検事志望をやめた後、考えたのが「探偵作家」です。
高校の頃から、ヴァン・ダインやエラリー・クイーンにはまっていたのです。
しかし、1作も書く間もなく、次の職業志望に変わってしまい、実現しませんでした。
当時の文庫本を大事にとっていたのですが、先月、すべて廃棄しました。
私もそろそろ身辺整理したくなる歳になってきたのです。

まあそんなことはどうでもいいのですが、
娘に勧められて、久しぶりにミステリーを読みました。
読み出したらやめられずに、一気に上下巻を読みました。
ミステリーやサスペンスとしては、そう凝っているわけではなく、
大きな筋書きも途中で見えてきてしまうのですが、
題材にしているキリスト教聖杯伝説とイエスにまつわる話が、最近、その分野に疎くなっている私には刺激的でした。
シオン修道会とかテンプル騎士団など、魅力的な素材がちりばめられています。
内容に関する中途半端な紹介は、ミステリーの場合は、タブーですので書きませんが、
ジェンダーや人権に関する大きなメッセージを感じました。
本の帯に「ついに、歴史は塗り替えられる!」と書かれていますが、それくらいの衝撃的な話題といっていいでしょう。

ただ、前半の面白さに比べて、最後の終わり方はちょっと現実的で退屈でした。
もっと大胆な物語にして欲しかったです。
しかし、この種の、壮大な物語の結末は、読者が自分でつけなくてはならないのかもしれません。
聖書の謎をテーマにした最近の本を、少し読んでみたくなりました。

時間のある方への、お勧めの小説です。

■クリエイティブワークの価格(2004年8月11日)
先週、書き込んだ契約トラブルは、両社の合意ができてほぼ落着しました。
よかったです。
しかし、ここで考えさせられたのは、クリエイティブワークの価格です。

私は、コンセプトデザインを仕事のメインにしていますが、
この部分は、往々にしてビジネスの前段階と位置づけられており、
対価をもらえることはほとんどありません。
さらに、仕事になった後も、価格評価の着目点は人によって全く違います。
たとえば、私は美野里町の都市計画マスタープランの策定を委託されましたが、
私が重視するのは計画づくりのプロセスです。
完成した計画書は、私にはほとんど価値がありません。
重要なのは、その計画書を使っての次のアクションです。
こういう意識は、多くの場合、先方には理解されません。
幸いに美野里町の場合は、理解してもらっていますが、完全には共有されてはいないでしょう。

たとえば、会社のマークやスローガンの開発を考えてみましょう。
NTTのマークの開発費が2500万円というのは有名な話ですが、
あのマークに2500万円の価値があるわけではありません。
またコストとしても、あのマークだけを考えれば、学生が手慰みに創ったものとほぼ同じかもしれません。
しかし、多くの人は、完成したマークだけをみてしまいますから、マークひとつに2500万円となってしまうわけです。
もしマークの開発が契約対象になるのであれば、価格の設定は極めて難しくなります。

クリエイティブワークやコンサルティングワークの価格決定は極めて難しいのです。
私は、基本的に価格に合わせて自分のエネルギー配分の目安を設定します。
時間や資金だけではありません。
価格によって、実際には「気」の配分が無意識的に決まってくるものです。
言い変えれば、価格によって仕事の質は変わってきます。
しかし、それは私の意識の話であり、クライアントや社会の評価とは違います。
そこがおもしろいところです。
価格は、一物一価ではないのです。

念のために書けば、報酬は金銭だけではありません。
価格は最小限の要素でしかないと言うべきかもしれません。
相手との信頼関係や共感が高い時には、それが大きな報酬になります。

つまり、ソフトの仕事の価格は、あってないようなものなのです。
仕事が終わってから、相手が自分で価値を評価して対価を決めるのが理想的なのですが、
実際にはそれはいくつかの理由で不可能です。
ですから、最初に価格設定をしておくしかないのです。
最初の価格設定は、発注者のリスクになります。

もう一つ重要な点があります。
ソフトの仕事の成果の価値は、結局は発注者の姿勢によって大きく変わってくるということです。
NTTのマークの価値をどう引き出し、育てて行くかは、まさにNTTの問題であって、
制作者の手は離れてしまうということです。
ソフトは、モノとは違うのです。
ユニバーサルデザインなどという工業時代の議論はここでは通じません。

工業時代の価格観と情報時代の価格観とは全く違うのです。
ついでにいえば、農業時代の価格観もまた、それらとは違います。

価格問題は実に面白いテーマです。
今回の契約トラブル事件で、私はたくさんのことを考える材料をもらいました。
どんな事件からも、必ず恩恵を得られるものです。
感謝しなければいけません。

■三都航路2004(2004年8月12日)
東北芸術工科大学教授の大宅憲一さんからめずらしく手紙が届きました。
大宅さんは、このコーナーにも何回か登場していますが、構想家です。
福岡出身で、「福岡/九州が元気になることに積極的に加担するという余計なお世話」をするために、
85年以来の月1回の福岡行きを励行して入人です。

私との接点は、実は「21世紀は真心の時代」です。
この論文を当時評価してくれた数少ない一人です。
その後、「評判システム」構想に巻き込まれましたが、それは見事に失敗(時期が10年早かったのです)。
いまは大学教授の傍ら、相変わらずの構想三昧をしている人です。
大宅さんが以前から話していた夢の一つが実現しました。
「三都航路2004(福岡釜山山上海山福岡を周遊するクルージング)」です。

手紙には、こう書いてあります。

この度福岡では、福岡の未来を見据えた都市戦略「ビジターズ・インダストリー戦略(おもてなしのまちづくり)」
および「フオザ九州フオザ・アジア戦略」のシンボル事業として、
「三都航路2004(福岡釜山山上海山福岡を周遊するクルージング)」を実施致します。
「三都航路2004」の狙いは、観光開発をはじめとする「三都市連携」を実現することですが、
とりわけ上海では、同時期開催中の「上海観光フステイバル」に福岡/博多の代表的な祭「山笠」と「どんたく隊」を派遣することや
「三市長サミットを核としたシンポジウム」の開催など多彩丈企画を実施します。

さらにこう続いています。

「三都航路2004」を一過性のものとして終わらせることなく、
上海や釜山との広範な交流促進の大いなる契機にすること、
また福岡/博多を名実共に東アジアのクルージング拠点港とすることが、夢であり目標です。

いよいよ大宅産の夢が始動し出したようです。楽しみです。
ちなみに、「ビジターズ・インダストリー戦略(おもてなしのまちづくり)」は、私も少し関わりがあります。
2002年に、その委員会に何回か参加しました。
その後、何の連絡もなかったのですが、いろいろと動いているようでうれしいです。

ちなみに、地元経済界の支援を得て創刊された福岡のパブリック・アクセス誌『フォーラム福岡』が同封されていました。
編集委員に知っている人も参加しています。
福岡は元気です。

■女房の帰省とビデオテープの処分(2004年8月12日)
大病後、女房は初めて一人で滋賀の親元に帰りました。
母の新盆です。今回は私は行かないことにしました。
女房の出身地では、お盆には各地に出ている人たちが戻ってきて、お寺に集まるのです。
そこ久しぶりに出会う人もいるわけです。
こうした文化はとてもいいです。
どこかで自分の根っこを感じることができるはずです。
しかし、私たちの娘の世代になると、そうした根っこが見えにくくなりますし 、
育ってきた地域社会の原風景も激変していますから、自らの立脚点が危うくなって行くような気がします。
昔、こうしたことに関して書いた小論があるのですが、その頃の危惧が今、実現しているような気がします。
自らの立脚点を実感できないと、精神的にとても不安になるような気がします。
それが、最近の社会の不安現象の広がりの原因だと思います。

女房の帰省の間に、私は資料や書籍の整理をしました。
60歳を過ぎた頃から、もう書類や書籍は読みきれないなと思い出しており、いつか整理したいと思っていたのです。
3年前の転居時には、まだ捨てる勇気がありませんでしたので、そのまま新居に運んだのです。

資料類の山を整理していると、自分が取り組みたかったテーマが思い出されます。
恥ずかしながら、ほとんどが手付かずです。
不甲斐なさを嘆かずにはいられません。
かなり思いきって処分することにしました。
しかし、やはり書籍は捨てがたいです。愛着があるのです。

ビデオが1000本くらい出てきました。
半分は記録のためですが、半分は映画です。
一時は映画ライブラリーをつくろうと見境なく録画していた時期がありました。
従って、70年代前半以前の映画はかなりあるのです。
実は大学時代に、検事を諦めて探偵作家になろうかと思ったのとほとんど同じ時期に、
映画評論かもいいなと思い、学生時代は大学よりも映画館に通うほうが多かった時期もあるのです。
まあ、すべて中途半端で、結局は中途半端なサラリーマンになってしまったわけですが。

しかし、改めて整理してみたら、予想以上にたくさんのビデオが出てきたので、我ながら驚きました。
このホームページでも古い映画が話題になるとすぐに見る事ができたのはそのおかげです。
「ローマ帝国の滅亡」も「トロイのヘレン」も、「パサジェルカ」も、みんなあります。

しかし、今回、ほとんどすべてを廃棄することにしました。
いまは、もう情報を私有する必要がなくなったと思い出してきたからです。
山積みにされた廃棄テープを見て、娘からなんと無駄な事をと怒られました。
人生には本当に無駄が多いものです。

ビデオの中には、私が引き受けた経営者インタビューのテレビ番組のシリーズも出てきました。
12本あるのです。
これは捨てずに残しましたが、死ぬ前に見る時間はあるでしょうか。

たかがビデオや書籍ですらこうですので、財産を活かすことは難しいことです。
何も残さずに死ぬことができるように、少しずつ生活のあり方を見直す必要がありそうです。

女房がいなかったせいか、とても哲学的で、かつ身体的な1日でした。
極めて狭い書庫と書斎がだいぶきれいになりました。

■コムケア資金助成プログラムの選考委員(2004年8月13日)
コムケア活動の資金助成プログラムの選考に、多くの人に参加してもらいたくて、選考委員を公募しました。
うれしいことにすでに参加の申し出が15人を超えました。
目標の20人がほぼ実現しそうです。

NPOに対する資金助成プログラムは増えていますが、選考過程を公開しているところはそう多くはないと思います。
私自身は資金助成そのものにはあまり意義を見出していないのですが、
支援先を選考する過程は学びや気づきの場としてとても価値のあるものだと思っています。
ですからそこに多くの人を巻き込みたいと思っているわけです。
コムケア活動は、私がかなり時間を割いているプロジェクトです。
そのホームページに「コムケアセンターからのメッセージ」というコーナーが、独立したブログの形で創られており、毎週、私が書き込んでいます。
このホームページのトップのインデックスからも入れますが、ぜひ読んでもらえればと思います。
そしてコムケアのメーリングリストにもぜひご参加下さい。とてもいいメーリングリストだと思います。

今日、今回最初の申請書が届きました。
今年はどんなプロジェクトが届くのでしょうか。
とても楽しみです。
選考は辛いですが。

■今週は思わぬ人からのメールが続きました(2004年8月14日)
思わぬ人からのメールが時々あります。
今週は「社会起業家」の著者の斎藤槙さんからのメールも意外でしたが、
北九州市観光協会の古野さんからのメールはうれしいメールでした。
古野さんがメールを始めたのか、といううれしさです。
内容もうれしいメールでした。
これに関しては再来週報告できそうです。

今日、奥田哲也さんからのメールが来ました。
とびあがるほどうれしい名前でした。
すぐにメールを開くと、残念ながら、やはりパートナーの奥田かずこさんからでした。

奥田哲也さんはコムケア仲間の一人で、インフォームド・コンセント事業に取り組みだしていたのですが、
過労のためか意識障害を起こし、今も意識が戻りません。
インフォームド・コンセント事業に関しては、その発展系を期待していたこともあって、とても残念なのですが、
パートナーのかずこさんから連絡をもらった時はショックでした。
他人事ではありませんが、市民活動はビジネスと違って、限度がありませんから、
どんどん深みにはまって、自分の健康に気が行かなくなることも少なくないのです。
ビジネスの過労死とは全く違いますが、結果は同じになりかねないのです。
人はなぜ病に倒れるほど働いてしまうのでしょうか。

コムケアの最初の頃、応援してくれていた堀口逸子さんからもメールが来ました。
彼女も医療問題に取り組んでいます。
漸くNPOも立ち上げ、政策提言も始まりだしたようです。

最近、メールが少ないと思っていましたが、
なぜかこの2日間、めずらしい人からのメールが続いています。

■アテネオリンピック開幕(2004年8月14日)
オリンピックの開幕です。
3時間の開会式をついつい見てしまいました。
下山さんのように、まだスポーツに見切りをつけられずにいます。
ただ、今回のオリンピックもまた、お金のにおいが強すぎますね。
金メダルが、どうしても「お金」という言葉に聞こえて仕方がありません。

ちなみに、今日、星野仙一さんが新聞で、
「たった200万円で、渡辺さんが辞任するのはおかしい」
と発言していました。
ここまで彼らは腐っているのかと、悲しくなりました。
星野さんは完全に洗脳されてしまっていますが、
こうした人が指導者であるスポーツって、なんなのでしょうか。

やはり、私はオリンピックに興味を持てません。
といいながら、けっこう観ている自分に困っていますが。


(2004年8月第1週)
ちょっとした事件に巻き込まれ、寂しい思いをした週でした。
しかし、一方で旧友との再会もあり、うれしい他よりもあり、元気ももらえました。
相変わらずの暑さですが、とてもいい夏です。

■子育てコンビニ(2004年8月2日)
NPO法人子育てコンビニの新堀仁登李さんと北山さんが相談に来ました。
子育てコンビニは、孤独な育児からの開放、育児を楽しめる環境作りを目指して、
育児サークルの交流促進、育児情報の提供等 総合的な子育て支援を行っている事業型NPOです。
お話を聞いていると、
ミッションは、主婦の経済的自立を目指し 再就職支援、起業支援を行うことのようです。
詳しくはホームページをご覧下さい。

このグループがいま取り組もうとしていることのひとつが、
子育て団体を支援するネットワーク「あつまろ!ねっと」の構築です。
9月4日に、その発足記念フォーラムを開催する予定です。

「子育て」と「子育ち」ということへのこだわりが私にはありますし、
コンビニという名称に違和感をもちますが、
主旨には共感できますし、活動は見事に展開されているように思いました。
企業とのコラボレーション活動にも取り組んでいます。
行政との関係も、共創的です。
こうしたNPOが、これからはどんどん増えていくのだろうと思います。

しかし、そこからが問題です。
これまでの産業社会や集権的な管理国家体制を「深化」させるのか「変革」するか、
のふたつのシナリオが描けるのですが、
いまはまさにその岐路にあるように思います。
私はもちろん後者を望んでいますが、なかなか確信が持てません。
この点に関しては、ぜひ前に書いた小論をお読みください。

ちなみに今週はなぜか子育て関係の話が多かったです。
にこにこキッズの畑山さんからは子供企業塾の話がありました、これも面白い活動です。
子育ち学リサーチネットも悩みながら前進しているようです。
代表の立柳さんから今週もお電話をいただきました。
先々週に登場したほうや幼稚園の鈴木さんの読売新聞の記事も届きましたし、育て上げネットの安田さんにも会えました。

■ローカル・ジャンクション21戦略会議(2004年8月2日)
ローカル・ジャンクション21が経済産業省の支援を受けて、
日本各地の自然を守ることを目指した「むらとまち」モノづくり共創事業に取り組みだします。
コアメンバーが集まっての「戦略会議」(名前がよくないですが)が行われました。

集まったのは、事務局の2人と
ローカル・ジャンクション21理事の澁澤寿一さん(樹木・環境ネットワーク協会)、
結城登美雄さん(民俗研究家)、
そして私。私もいつの間にか理事になってしまいました。困ったものです。
さらにウォーターサテライトの山本哲さんと増刊現代農業編集長の甲斐良治さんです。
今回、取り組むプロジェクトのコンセプトと具体的切り口に関して、意見交換しました。
内容はローカル・ジャンクション21のホームページにお任せするとして、
私にはとても興味深かったことを一つだけ紹介します。

結城さんからお聞きした、町の豆腐屋の話です。
昔は1000人に一軒、豆腐屋があったそうですが、最近はどんどん無くなっているそうです。
結城さんは豆腐屋がなくなると、その町はおかしくなっていくという感覚をお持ちのようです。
とても納得できる話です。
コムケア仲間の町田市のもやいの会は、作業所での豆腐づくりに取り組み成功していますが、
代表の五十嵐さんが学んだのが、蔵王のはらから豆腐です。
このはらから豆腐にも結城さんはつながっているようです。
とてもうれしい発見でした。
本物はみんなどこかでつながっていることを改めて感じました。
つながりを壊して発展した工業と、つながりを育てて持続する農業との、原理の違いが見えてきます。
農業的なモノづくりをもっと真剣に考えたいものです。

豆腐屋が減る一方で、町のパン屋さんが増えています。
これに関しては、私はちょっと複雑な気分です。

ところで、この集まりのことを聞いた山形の長井市の人が、大きなスイカを送ってくれました。
ローカル・ジャンクション21の応援団は全国にいるようです。
ローカル・ジャンクション21のホームページもぜひ見てください。

■共同通信の神田英彦さん(2004年8月2日)
神田さんは最初の頃から、コムケアに関心を持って、時々参加してくださっている記者です。
テーマを追いかける遊軍記者になっているので、テーマがあると時間破産になるようですが、
ちょっと一段落したようで久しぶりに取材に来てくれました。
まあ、私の場合は、取材と言っても雑談になってしまい、
どちらが取材者か分からなくなるのが普通なのですが、いろいろとお話できました。

ここでも一つだけ話題を紹介します。
エスカレータの右空けに関して、東京新聞が問題提起し始めたそうです。
私も最近、違和感をもちだしており、ブログに書く予定だったのですが、ブログを休止しているために書けませんでした。

短いエスカレータの場合、歩く人がいますので、空ける意味は大きいです、
しかし、たとえば上野駅の新幹線ホームへのエスカレータなどはとても長く、歩く人は極めて少ないです。
しかし、右側をあけるために輸送能力はほぼ半減です。
それよりも重量が偏るために故障につながらないかが心配です。
しかし問題は、左手が不自由な人の場合、どうしても右側に立ちたくなることです。
ユニバーサルデザインの発想から言えば、こうした使い方は問題でしょう。

ユニバーサルデザイン視点からの駅や公共施設のチェックは盛んに行われるのですが、この問題への言及は少ないような気がします。
どこかに問題がありそうです。
エスカレータにではなく、ユニバーサルデザイン発想にです。

■東大の田中弥生さん(2004年8月3日)
先月やってきた田中さんが、また至急会いたいと行ってきました。
私のオフィスは、一種の駆け込み寺ですので、来る人は拒まないことになっています。
それにしても、東京は実にさまざまな人がいます。

湯島のコンセプトワークショップには実にさまざまな人たちが来ます。
上場企業の社長や会長もこれまでに3人来ました。
国会議員も来ましたし、革命家も来ました。警察も来ました。
大学教授はよく来ますが、高校生や学生も来ます。
失業者も来れば、資産家も来ます。
下駄ばきの主婦も来れば、BMWに乗った事業家も来ます。
奇妙な場所です。
この場所にいると、社会の実相のある側面が見えてきます。
それは、みんなそれぞれに自分の生き方を考え出しているということです。
そして、にもかかわらずみんな余裕を失っているということです。
自分の生き方を自分で決められないでいる人が多いのです。

田中さんは、これまでとてもいい仕事をされて来ています。
今のポジションも常識的には羨ましいほど恵まれています。
しかし、だからこそ、自分の生き方が見えなくなることもあります。
それに気づく人は少ないでしょうが、彼女はどうもそれに気づいたようです。
また新しい課題に取り組むようです。
これも面白そうです。
もう少し具体化したらご紹介します。

■東京コミュニケーションアート専門学校の佐藤泰弘さん(2004年8月3日)
コムケア活動を一緒に立ち上げてきた佐藤泰弘さんは、 4月から専門学校に移籍し、
彼のライフワークである自然体験学習や環境教育の問題に取り組みだしています。
専門学校はともかく忙しいらしく、なかなか会えなくなりましたが、
数少ない夏休みがとれたといってやってきてくれました。
超多忙で、寝る時間もないようですが、好きな仕事のせいか、元気でがんばっているのがよくわかりました。
うれしいことです。

泰弘さんとは、いつか環境教育や環境NPOの分野で、
コムケアのような活動を起こしたいと思っているのですが、
もうしばらくは彼に時間ができそうもないようです。
でもまあ、その中から何かコラボレーションできるものを見つけていきたいと思っています。

■久しぶりのコムケアサロン(2004年8月3日)
しばらくさぼっていたコムケアサロンを再開しました。
矢辺さんのノーマライゼーションがテーマです。
事前の申込みが少なかったのですが、珍しい人も含めてとても刺激的な会になりました。
会の正式な報告はコムケアセンターのホームページでご覧下さい。

ここでは参加者のことを書きます。
新たに参加されてくれたのは、NPO法人「育て上げ」ネットの安田英文さん、
21世紀教育研究所の宮元万梨子さん、
それにコムケア仲間の鈴木政孝さん(イーエルダー)、
菊井正彦さん(関東シニアライフアドバイザー協会)、
大串さん(産経)が久しぶりに参加。
またOBM研究会のメンバーでもある武藤博志さんもやってきました。
ほかに、最近の心強い応援団の山本佳美さん(MDネット)、下山浩一さん(コミュニティアート・ふなばし)、そ
れにノーマライゼーションねっとの矢辺さん、コムケアセンターの橋本さんです。
問題提起者は矢辺さん。ちょっと甘いですが、急速に世界を広げています。

みんな実質的に忙しいメンバーです。会社で忙しいとかいうのとは違います。
その人たちが集まっての意見交換会ですから、考える材料は山積みされています。
やはりコムケアサロンは継続すべきだと思いました。
次回は9月7日。問題提起者はにこにこキッズのはた坊こと畑山さんです。
さらに盛り上がることは間違いありません。
ぜひご参加ください。

■契約トラブル(2004年8月4日)
とても残念な事件の発生です。
企業が関係していることは普通は書き込まないのですが、
今回は私にも大きなダメッジがありましたので、書いてしまいます。
関係者が読むと、さらに問題を複雑化しかねないので、軽くですが。

ある会社からの相談を受けて、知人の会社を紹介しました。
その仕事は、とてもいい結果を生みました。
もっとも紹介した私には、いずれからも報告はなく、少し残念に思っていました。
これはよくあることですが、当事者は意外と気づいていないのです。
おそらく私も同じことをしているでしょうから、それはそれでいいのですが、今回はちょっと事情が違いました。

その仕事の成功を踏まえて、さらに新しい仕事を私が知らない間に頼んでしまったのです。
それが結果的に満足できる仕事にはならず、支払も含めて関係がこじれ、裁判の話まで出てきてしまったのです。
いわゆる下請法の改正がその背後にあるようです。
裁判沙汰に持って行く直前に私のところに連絡があり、急遽事情をきくことになったのです。
私の紹介が発端ですし、双方とも知人ですので、放置はできません。

両社の社長からの話は、かなり食い違っています。
芥川龍之介の「藪の中」を絵に書いたような話です。
さらにそこに第三者がどうも参加して来たようです。
この人も私の知っている人です。話はややこしくなりかねません。
さて、みなさんならどうしますか。

湯島は駆け込み寺ですから、頼まれた以上は解決しなければなりません。
しかし、市民活動やコモンズ的な事件なら納得できますが、
両社とも経済的な利益に関わるビジネスの事件です。
争点はお金を払うかどうかの話です。
プロのビジネスマンなら起こすはずのない事件です。
関係者に会ったり、電話したりで、全体像がかなり見えてきましたが、
双方いずれものビジネスディシプリンがいい加減です。
いずれも一度は、私もとても評価した会社なのですが、とても残念でなりません。

2日かかってなんとか解決できそうなところまで来ました。予断は許せませんが。
まあ、それだけの話なのですが、とても寂しい事件でした。
おかげでまるまる1日は予定をキャンセルさせてもらい、別の友人には迷惑をかけてしまいました。
さらに翌日は元気が出ずに空ばかり見ていました。
友人知人が多いことは決して幸せなことではありません。
そんな気になってきました。
そろそろ隠居すべきなのかもしれません。

この事件に関連して、下請法のことを少しまわりの人に聞いてみました。
たしかにいい動きですが、それを悪用する人が出て来ることも間違いないです。
まわりの人に話したら、
「下請法の関係で仕事がこなくなった」
「下請法を使いたいが、そんなことをしたら関係が壊れて仕事がこなくなる」
というような話がいろいろでてきました。
友人の会社は、まさに昨日、仕事を反故にされ、お金を全く払ってもらえなかったと言います。
腹が立ったので聞いて欲しいと電話が来ました。
難しい問題です。

さて、今回の事件は、どうしたらいいでしょうか。
私の判断基準は、いつも法律ではなく、法律の精神です。
ですからいつも答えは簡単なのです。

■我孫子市市民活動支援課長の青木章さん(2004年8月6日)
我孫子市には市民活動支援課というのがあります。
その課長が青木さんです。
青木さんとは、我孫子市の総合計画策定のときにお世話になったのですが、今は市民活動支援課に移られています。
青木さんは、昨年のコムケアの最終選考会に参加してくださいました。
今回の資金助成プログラムに関してもいろいろ応援してくれています。

我孫子市はこの数年、急速に市民活動が充実しているように思います。
ちょっと行政主導すぎるような気がすることもありますが、
実体的にも活動は広がり深化していることは間違いありません。
我孫子市の市民活動支援課は人口規模から言えば、充実していると思います。
できれば私が関わらせていただいている山形市や美野里町にも、
こうした組織づくりを提案していますが、まだできていません。
トップにその気があれば、簡単なはずなのですが。

今日は、コムケア活動と美野里町の動きを少しだけ報告させてもらったのですが、
一度、青木さんたちの活動をしっかりと聞きたいと思っています。
我孫子市はいろいろと先進的なことに取り組んでいるのですが、意外と市民は知らないものです。
私も知らないことが多いです。
みなさん、住んでいるところの役場の誰かに話を聞きにいったことはありますか。
きっといろいろな発見がありますよ。

■ナナ・コーポレート・コミュニケーションの佐野りかさん(2004年8月6日)
社内誌コンペティションの事務局の佐野りかさんが湯島に来てくれました。
佐野さんが所属しているナナ・コーポレート・コミュニケーションは、福西七重さんが設立した会社です。
福西さんとも久しくお会いしていません。
コンペティションの選考委員をさせてもらいながら、選考会や発表会に私はいつも参加できないのです。
明日の選考会も参加できないので、わざわざコメントを聞きに来てくれたのです。
選考はいつもそうですが、一人で考えていると袋小路に入ってしまいます。
佐野さんと少し話しただけでも自分の評価に揺らぎが出てしまいます。
選考は本当に難しいものです。

社内誌について、ひとつ提案させてもらいました。
全国の企業の社内誌が一緒になって、
連帯して何か事を起こしたら、社会に大きな影響を与えることができるのではないか。
そうしたことに取り組む研究会かプロジェクトチームを発足させないか。
これが私の提案です。
何ができるか、私にも全く見えませんが、面白い事が起こせるのではないかと思います。
いかがでしょうか。統一キャンペーンを展開するだけでも違うでしょう。

たかが社内誌、されど社内誌、です。
何ができるかを私も考えてみたくなりました。
社内誌は面白い世界です。

■元企業アナリストたちとの再会(2004年8月6日)
東レ時代、CIのプロジェクトに関わる前は、トップに対する企業環境報告などを担当していた時期がありました。
だれのチェックもなく、自分のビジョンや意見をトップに直接提案できる仕組みがあったのです。
その頃、交流していたのが野村総研の若いリサーチャーたちでした。
産業動向に関して何か知りたいことがあれば、彼らに訊くとさまざまな情報が得られました。
社外に10人のブレーンをもっていたようなものです。20年以上前の話です。

最近の企業には、戦略も論理も感じられませんが、当時の企業にはまだ論理と実体があったように思います。
ですから企業調査や産業調査はとても面白い仕事でした。
当時の企業アナリストたちは、最近のアナリストとは違い、実体と実態をベースに考えていたように思います。
今とは全く違うはずです。
勤務先が近かったこともあり、彼らとはよく会いました。

その一人が以前登場した大村和夫さんですが、
大村さんの心遣いで室井伸一さん、秦信行さんと4人での会食が実現しました。
久しぶりのとてもうれしい再開でした。
室井さんはいまも野村證券にいますが、大村さんと秦さんは大学教授になっています。
当時のメンバーは、他にも何人かいますが、みんなそれぞれの分野で活躍しています。
退社してそれぞれ別々の道を歩んでいるのに、つながりはしっかりと続いているようです。
うれしいことです。

大村さんがこうした場をつくってくれたきっかけは、私のホームページの「銀行融資」の記事です。
私が資金に困っていることを知って、相談に乗ってやろうということになったのです。
感謝しなければいけません。
彼らにすれば、私が必要としている金額などは、あきれるほど小さいのでしょうが、いろいろとアドバイスしてくれました。
本来であれば、お金の話は私には不得手なのですが、彼らと話していると何の抵抗もなく入ってきます。
不思議なものです。

とても楽しい時間でした。
なぜでしょうか。

■手賀沼の花火(2004年8月7日)
手賀沼恒例の花火です。
我が家の目の前が会場の一つです。

山本秀太郎さん(ビレッジハウス)、武田文彦さん(リンカーンクラブ)、それに橋本典之さん(コムケアセンター)が、遠路にも関わらずに来てくれました。
屋上からの花火は、それなりに迫力があります。
今年は4か所からの打ち上げでした。
昨年は花火どころではなかったのですが、今年は女房も若干の料理の準備もできるようになりました。
私よりも元気です。

ところで、今年の新しい話題は、
市の公園の、花火が見える最良の場所を市が確保し、1区画5000円で有料提供したことです。
これには大きな拍手を送りたいと思います。
これまでは花見と同じで、早朝からだれかがおさえてしまうのです。
誰でもに権利があり、早い者勝ちです。
どちらが市民にとって公平か、私は前者だと思います。
これからの自治体行政は稼ぐことが大切です。
公共施設だから利用料を無料にするなどの発想が、これまでの発想でした。
そこに、「自分のいたみ」ではなく、納税者のいたみで大盤振る舞いする政治家や従来型の役人の発想の基盤があります。
その頂点が小泉首相です。彼から「いたみ」を分かち合おうなどとは言われたくないものです。

さらにいえば、現場で汗している人々から収奪して、そのほんの一部で文化を支援していたメディチ家と同じです。
つまり、いまの企業のメセナ活動や社会貢献活動と同じです。

そうした行政や企業の文化を見直さない限り、未来は開かないような気がします。
我孫子市の今回の行為を高く評価します。
クリーンな電力にはちょっと高い電気代を払う、ドイツのアーヘン方式のように、
行政の施設の利用料は、むしろ民間のものよりも高くていい、というのが私の発想です。
どうも私の常識はなかなか受け入れられませんが、20年後にはたぶんそうなっていると思います。
但し、利用料を金銭だけで考える必要はありませんので、金銭だけで考えるとそうはならないでしょうが。

視座を変えると、今の経済システムはほとんどすべて逆発想になっていきます。
私はそこに大きな未来を感じています。
新しいシステムが広がるまでは生きながらえないのが残念ですが、
せめて自分のまわりでは可能な範囲でそうしたいと思っています。



(2004年7月第4週)
人のつながりを感じた週でした。
その一部を書きこみました。


■ほうや幼稚園との因縁(2004年7月25日)
鈴木夫妻が訪ねてきてくれました。
鈴木(坂谷)信雄さんは、このホームページやブログに時々投稿してくれています。
最近の投稿はなかなか面白いものでした。
私が書いた「花の水やり」を「子育て」に置き換えた文章を投稿してくれました
結婚されて、いまは練馬区にお住みです。

結婚された相手は鈴木朋子さん。彼女は祖父が開いた幼稚園の副園長です。
最近、読売教育賞に応募され、幼児教育保育部門で見事に最優秀賞に選ばれました。
読売新聞の記事をお読みください

幼稚園のことを話しているうちに、
なんと私の下の娘が通っていたのが、朋子さんの「ほうや幼稚園」だとわかったのです。
私は気がつかなかったのですが、女房が気づいたのです。
この一事をもってしても、私の子育て態度は問題がありますね、反省。
話がとても弾んでしまいました。
女房によれば、当時からしっかりした方針を感じさせる幼稚園だったそうです。

ほうや幼稚園の活動は、ぜひ、ホームページを見てください
朋子さんは、この幼稚園で様々な活動に取り組んでいます。
園児の家族によびかけて、「子育てを考える会」もやっているそうです。
「子どもの成長には母親の影響が一番大きい」というのが、朋子さんの基本姿勢です。
メンバーは延べ200人を超えており、そこから始まった活動もいろいろあるようです。
幼稚園でも、こうした取り組みをしているところがあることは、とてもうれしいです。

保育園もそうですが、幼稚園で仕事をしているときっと社会の実相が見えているはずです。
子どもは家族や社会の鏡です。
いいかえれば、子どもこそが、実は社会の先生なのです。
その考え方が、以前少し書いたソーシャル・フォスターリズムです。

今回はすっかり子育て論や家族論になってしまいました。
朋子さんが書いた論文は、秋には本になるそうです。
もし出版されることになったらご案内します。
こうした活動がもっと広がっていってほしいと思っています。

■「水ヨシ・葦ヨシ・農ヨシ」の三方ヨシビジネス(2004年7月25日)
今日は、もうひとつのつながりのメールが届きました。
ローカルジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんが、
滋賀県でヨシの保全に取り組んでいるNPO東近江水環境自治協議会を訪問したのですが、
別れ際にそこの代表が私の会社時代の先輩だったことを知ったそうです。
この人は丹波道明さんといい、私が東レに入社した時の最初の上司でした。
会社時代はいろいろとお世話になりました。

早速、双方からメールが届きました。
さまざまなところで、人のつながりが見えてくることはうれしいことです。
世界は本当につながっています。
前にも書きましたが、世界中の人は、6〜7人を介して、みんな知り合いです。
それが実感できれば、戦争などは起きませんが、なかなかそれが実感できません。
しかし、少し話してみると同じ知人がいることは意外と多いものです。

ちなみに、いま、丹波さんたちが取り組んでいるプロジェクトの一つは、
ヨシの二期作で「水ヨシ・葦ヨシ・農ヨシ」の三方ヨシ環境コミュニティ・ビジネスの構築というものです。
展開が楽しみです。

■ソーシャルアントレプレナー養成講座(2004年7月26日)
東京都特別区職員研修所の千葉優子さんがやってきました。
昨年のソーシャルベンチャー開発研修プログラムを発展させて、
今年はソーシャルアントレプレナー養成講座に取り組みたいというのです。
私の思いとはちょっと違うのですが、彼女の真剣さに全面的に協力することにしました。
私も少し頭を切り替えないといけません。

千葉さんは、このプログラムに確信を持っています。
自分が転勤になっても、残るようなプログラムにしておきたいと、かなり力が入っています。
果たしてアントレプレナーが講座などで養成されるのかどうか、不安ですが、
自治体職員のアントレプレナーマインドを喚起すれば、社会は大きく変わることは間違いありません。
実践的な楽しいものにしたいと思います。

■個人共創の時代の社内報(2004年7月27日)
48の社内誌を読みました。一つひとつにコメントを書き、全体の審査講評を書きました。
社内誌のことを少し書きます。

メディアのパワーは大きいです。
日本を今のようなひどい状況にしたのに大きく「貢献」したのも、
小泉純一郎を人気者にしたのも、
韓国ドラマをヒットさせたのも、
みんなメディアのパワーのおかげです。
その事実を知っているはずなの、企業はあまり社内報というメディアを重視していません。
これまで社内報を使って自らの経営変革に成功した企業もありますが、
本気で考えていなかったためか長続きはしませんでした。

組織管理の時代から個人共創の時代に移るにつれて、社内報の役割は大きく変わって行くはずです。
しかし、各社の社内報はあいも変わらずのスタイルです。
それは宣伝広告が情報社会になったにも関わらず、変わっていないのと同じです。

今回、48の社内報を読ませてもらって、相変わらず本気で社内報を活かそうとはしていないことを感じました。
どうしてでしょうか。
それはみんな会社を人の集まりだとは思っていないからではないかと思います。
組織は意識の束なのですが、それが認識されていません。
人の意識もまた「管理」出来ると思っているのです。

個人から発想する時代における企業経営にとって、社内報の戦略的意義は大きいです。
社内報の製作方法も活用方法ももっと発想を変える必要があるように感じます。
どなたか新しい社内報モデルに取り組みませんか。
面白いテーマだと思います。

■美野里町まちづくり組織条例の悩ましさ(2004年7月28日)
美野里町のまちづくり組織条例プロジェクトをどう進めていく、について事務局検討会を開きました。
美野里町に限りませんが、自治体行政の実態を知れば知るほど、日本の自治制度が霞が関に翻弄されていることを感じます。
自治の実態を壊してきたのが、爾本の自治政策だったのかもしれません。

今回の条例づくりは、現場での実績をベースにして、それを支援する形での条例づくりを目指しています。
管理型の条例ではなく、支援型の条例です。
美野里町では「住民主役・行政支援」を標榜していますが、その行政姿勢の具現化のひとつとして、まちづくり組織条例をつくれればと思います。
しかし、さまざまな価値観と生活基盤を持つ住民の活動をまとめて行くのは至難なことです。
第一、「まちづくり」という言葉自体が、実体の分かりにくい言葉ですし。
考えれば考えるほど、難題であることがわかってきます。
題一歩が踏み出されれば、それで成功と考えたいですが、果たして行政や住民が満足するかどうかです。

■食育通信講座とフードインストラクター(2004年7月29日)
大井町プロジェクトに実践的に取り組んでいる加藤雅之さんが、食育通信講座とフードインストラクター制度の構想がまとまったというので話に来てくれました。
大井町の一角にも「食育工房」構想がありますが、
現在の「食の危なさ」を変えていくために、NPOみんなの食育が中心になって、
生命の基本を学ぶ食育講座を10月からスタートさせます。

このホームページも、それに荷担することになりました。
間もなく申込みコーナーをこのホームページにリンクさせます。
このホームページからの申込みがあると、若干の手数料がこのホームページに振り込まれることになります。
このホームページが、そういう形で収入を得る場になっていく可能性があるかどうか、その実験も兼ねています。
間もなく受講生募集を打ち出しますので、ご関心のある方はよろしくお願いします。
発表はもう少しお待ち下さい。

加藤さんは前回ご案内したACUBE事業についても、企画提案書をご自分でまとめて持ってきてくれました。
これもまだ、私自身消化できていませんが、関心のある方は加藤さんをご紹介します。
私にご連絡下さい。

■平井憲夫さんの原発現場からの報告(2004年7月30日)
「21世紀は真心の時代」を読んだ鈴木信雄さんが、ある講演記録の存在を教えてくれました。

「原発がどんなものか知ってほしい」
平井憲夫さんの講演記録です。
プラント配管技能士として、長く原発の現場で仕事をされてきた方です。
現場の実態を広く知らせたいと講演活動に取り組み、
原発被爆労働者救済センターの代表をつとめられていましたが、
1977年に逝去されました。

私も女房も一気に読みました。
女房ももっと多くの人に読んでほしいと言い出しました。
ぜひ読んでください。

CWSプライベートを再開することにしました。



(2004年7月第3週)

■コムケア活動とのリンク
(2004年7月19日)
このホームページでも時々登場するコムケア活動に参加してくださったことがあるでしょうか。
活動を開始して、もう4年目です。
この活動の最大の山場は、資金助成先を決める公開選考会です。
毎年200人以上の人が参加し、感動的です。
企業の人にはぜひ参加してほしいイベントでした。
企業の中にいては見えない社会の実相を実感できるからです。

そのコムケア活動が第2期に入りました。
新しい展開に取り組みだします。
それを契機に、このホームページとのリンケージを深めることにしました。
コムケアのホームページには、私からのメッセージのコーナーがあるのですが、
あまり書き込めずにいました。
それをブログ方式にし、今度は毎週、書き込もうと思います。
コムケア活動が目指しているのは「コモンズの回復」です。
このホームページと同じです。
そこで、このコムケアブログを、コムケアセンターとCWSのホームページのいずれにも内部化することにしました。
これも新しい試みです。

そんなわけで、まずはそのメッセージをお読みいただければうれしいです。
また、コムケアではメーリングリストもやっています。
現在250人くらいの人が参加していますが、いろんな議論が展開されています。
とてもにぎやかなメーリングリストです。
参加者は限定していません。
出来るだけ多様な人たちの交流の場にしたいと考えています。
CWSの読者に方にもぜひ参加してほしいです。
参加方法は簡単です。
私かコムケアセンターか、いずれかにメーリングリスト参加とメールしてください。
登録させてもらいます。
ちなみに、コムケアセンターにメールを送っていただくと、私にも自動的に転送されてくるようになっています。

みなさんのご参加をお待ちします。

■リサイクル商店街サミット幹事会(2004年7月20日)
9月15日と16日、山形市でリサイクル商店街サミットを開催します。
テーマはサステイナブル・コミュニティ。
環境先進都市を標榜している山形市の行政もかなり力を入れています。
私は、そのコーディネーター役です。

幹事会に初めて参加しました。
これまでは主催発起人の山形市七日町商店会青年部会のメンバーが企画してきました。
私は企画段階こそが面白いと思うので、ほとんど口を出さずに、ノイズだけを入れてきました。
しかし、そろそろまとめていく時期です。

多彩なメンバーで、まさに共創型の幹事会。
数年前にやった全国地域づくり先進事例会議を思い出しました。
この時の体験が、今回のサミットの根底にあります。
5つの部会に分かれて準備を進めていますが、その報告を聞かせてもらいました。
広報部会や交流部会など、みんながんばっています。面白いイベントになりそうです。
今回は、初めてみなさんとお目見えしましたので、私の考えを少し話させてもらいました。

イベントを成功させるよりも、プロセスを楽しもう、プロセスから新しい学びを得よう。
これが私のスタンスです。
与えられた役割をこなすのではなく、
与えられた役割の中に、自らのやりたいことをしのび込ませて、
自分の世界を広げようと提案させてもらいました。
大切なのは2日間のイベントではなく、それを契機に始まる物語です。
これが私のすべてのスタンスです。

今回は、会議そのものの内容に関しても議論しました。
なにしろテーマが「サステイナブル・コミュニティ」なのです。
どうやって商店街と結びつけるか、結構難しいですね。
5つの分科会に分かれて展開します。
詳しくはサミットのホームページをみてください。
それぞれの担当責任者がこれから知恵を絞ることになります。
みんな七日町商店街を支えていく若者たちです。
「自分のやりたいことをやろう」というのが、私のアドバイスですので、
仕事と思っていた人には、戸惑いがあるかもしれません。
思い切り楽しんでくれるといいのですが。

■山形市の2人の共創仲間(2004年7月20日)
山形に来たついでに、市役所の秘書課の高倉さんと会いました。
高倉さんは、私が山形市と関わりだした当時の担当者で、共創への思いがとても強いのです。
今は、新市長の下、秘書課で共創精神の定着に取り組んでいます。
私はかなり辛口のコメントをする性癖がありますが、
一緒に共創プロジェクトを起こしてきた同志としての信頼感がお互いにありますので、
本音ベースでの付き合いが実現できています。
今回もかなり辛口のコメントをしましたが、全くめげません。
見上げたものです。

山形市の共創プロジェクトでは、もう一人、仲間がいます。
佐藤一大さんです。
久しぶりに彼の職場も訪ねました。今は高齢福祉課で仕事をしています。
福祉の仕事は、まさに「共創型」でないといい仕事が出来ません。
一大さんにとっては、共創を実際に仕事において実現していることになります。
しかし、視点を住民において仕事をすることは結構大変なことです。
これまでのように、上からの福祉を仕事と思っている限り、いい仕事はできません。
共創型の仕事の先端職場が福祉の分野なのです。
一度、彼から現場からの共創観を改めて聴こうと思っています。

こういう仕事をしてきたので、
いくつかの自治体に私の共創思想を知ってくれている職員がいますが、
なかなか仕事で継続できるところはありません。
それが少し残念ですが、それを補うために、
共創感覚を持った自治体職員を中心とした「風のまち」というメーリングリストがあります。
発起人の一人が、一大さんです。
まちづくりでは、土の人と風の人と、よくいわれますが、その「風」を集めたまちです。
なかでも一番外にいる風が自治体職員ではない私です。
ちなみに私はCWSコモンズ村の村長という資格で参加していますが。
その私がさぼっていたのですが、これから少しがんばって活性化したいと思っています。

もしこのホームページを読んでいる中に、自治体職員の方がいたら、ぜひご参加下さい。
転入者大歓迎です。住民税は不要です。
私にメールいただければ、手続きします。

■市長も町長も村長も孤独です(2004年7月20日)
山形市で久しぶりに市長にお会いしました。
山形市民には内緒ですが、孤独な市長が市長室にいました。
そういえば、先週、美野里町の町長に会いました。
美野里町住民には内緒ですが、難問を抱えていても口にはできない孤独さを感じました。

ところで、私も村長なのです。
コモンズ村という過疎村の村長です。
この1年、活動を全くしていないので、村民はきっと村長が住民税を持って逃げたと思っているかもしれません。
事実、唯一の村民のつながりを保証するメーリングリストも不通になっています。
過疎村をどうするか、孤独な村長は悩んだ上に、公務を放棄していたのです。
いやはや。どこかの総理大臣と同じです。

自治体行政をめぐる環境は激変しています。
しかし、それを補佐すべき霞ヶ関は本気で支援しているとは思えません。
まじめな首長ほど悩んでいるように思います。
住民たちこそ味方だと気がつけば事態は一変するのですが。

■Art Agentのビジョン(2004年7月21日)
Art Agentは「心のサプリメント運動」に取り組んでいる若者グループです。
そのグループのお2人がやってきました。
東大大学院総合文化研究環境の博士課程の山野泰子さんと
愛知県でキャリアコンサルタントをしている伊藤麗子さんです。
コミュニティアート・ふなばしの下山さんの紹介です。

心のサプリメント運動とは、アートを通じて人々の心の種の成長を応援していく活動です。
Art Agentのホームページから引用させてもらいます。
詳しくはホームページを見てください。

私達の考えるアートとは、感動を表現すること。
そして私達は「感動の連鎖」を引き起こすアートの触媒力に信頼しています。
アートがまた新たなアート、つまり、感動とそれに続く表現を呼び起こし、
自分と他者との間に新たな関わりが生まれること、それによって全く異なるタイプの
人、分野、世代が一つになる世界を、私達は目指しています。

感動を通して、すべての人がつながっている社会。
素晴らしいビジョンです。共感します。

現在、20人くらいの仲間で活動しているそうです。
既にかなりの場で活動を展開しているようですが、
来年の愛知万博での市民参加の分野でも活動していくそうです。
若者たちのエネルギーと思いのすごさには本当に圧倒されます。
政治家や財界人に、少しは知って欲しいです。
もっとも、彼らはちょっと触れ合うと「感激」してしまって、とんでもない予算を大判振る舞いしかねません。
普段接していませんから、本物と偽者を見分けられないのです。
そして、資金のために駄目になって行くプロジェクトもあります。
また余計な話をしてしまいました。
なにしろNPOバブルの不安がぬぐえないものですから。

いろいろとお話をお聞きしました。
この活動と私のテーマである「コモンズの回復」やコムケア活動は、かなり重なりそうです。
アートは、人間の本性につながっています。
技術に偏った産業社会パラダイムを変えていくには、やはりアートの視点を回復しなければいけません。
福祉も教育も、環境問題も、すべてアート的視点を基本に置くことが大切です。
Art Agent風にいえば、「感動」です。

これからの発展がとても楽しみな活動です。
私も何か役に立てられればいいのですが。

ちなみに、Art Agentは、NPOを目指さずに、中間団体を申請中でそうです。
その姿勢にも共感が持てました。

Art Agentによるアーティストサロンも始まっています。
関心のある方は、ぜひホームページをご覧下さい
そして応援してやってください。

■下山さんのアート系NPO構想(2004年7月21日)
Art Agentの2人と一緒に、下山さんも来てくれました。
下山さんは不思議な人です。
今日、ささやかな接点が見つかりました。
山形の高畠町の星寛治さんです。
10数年前に高畠町で農業体験されたようです。
具体的にどうというわけではありませんが、うれしくなりました。
農民詩人の星さんは尊敬すべき生活者であり、アーティストです。

下山さんがパネリストになった、企業メセナ協議会のシンポジウムに山野さんは参加したそうです。
そして、下山さんの本物さを直感して、シンポジウムの後、まっしぐらに下山さんのところに行ったそうです。
現場で活動している人は、直感で分かりあえるものです。

私は企業メセナ協議会には、少しばかり違和感があります。
メディチ家のパトロネージのにおいを感ずるからです。
やや「被害妄想」かもしれませんが、
昔書いた小論がありますので、お暇の方はお読みください

下山さんは、コムケアセンターと一緒に、
アート系のNPOに関わる人と企業でメセナ活動に関わる人とのサロンのようなものをやりたいと提案してくださいました。
サロン好きな私にはうれしい提案です。
ぜひとも具体化したいと思います。
問題は私の時間です。
しかし、どうしてこうも毎日、面白い話が飛び込んでくるのでしょうか。
疲れたなどとは言っていられませんね。

■江戸っ子まちづくりのプロをめざす広瀬眞之介さん(2004年7月22日)
ノーマライゼーションねっとの矢辺さんの紹介で、また元気な若者に会えました。
東洋大学4年生の広瀬さんです。
地元の小石川を元気にする事業を起こしたいというのです。
すでに構想はできています。

この構想の実現に取り組むために、親から2年間の猶予をもらい、大学院に入るそうです。
こういう行動スタイルの若者が増えていますね、うれしいです。
目標が明確で、生活スタイルも主張があります。
コムケアセンターに関わってくれている橋本さんも矢辺さんもそうですが、
しっかりしたライフスタイルとビジョンがあるのです。
これについては、またいつかご紹介したいです。

ところで、なぜ広瀬さんが小石川のまちづくりに取り組むことになったかです。
実は会社に就職しようと考え、受験したのです。
ところが、そこの会社の専務面接で、
「君には他にやりたいことがありそうだ」と言われたのだそうです。
「そうだ、やりたいことをやろう!!」
それが広瀬さんの決断でした。
これがとても気に入りました。
そうです、人間はやりたいことをやらなければいけません。

なにをやるか。
「このままでは私の故郷が全く別物になってしまう。
何もできないし、何ももっていない。
だけど小石川をよくしたい。
この町のよさを伝え、創り、育み、教わり、楽しみ、遊び、分かち合いたい!」

ということになったのです。
こう書くと、なにか軽いなあ、と思われそうですが、
決してそうではありません。
この結論のためには、さまざまな生活体験や大学での野外調査などの蓄積があるのです。

まあ、詳しくは、広瀬さんのホームページを見てください。
また一度、彼とお会い下さい。
こういう若者を支援するのは、社会を壊してきた私たち世代の責任です。

広瀬さんと小石川のことは、また報告できると思います。

■ナイト・スタディ・ハウス(2004年7月22日)
しばらく報告もしませんでしたが、
インキュベーションハウスが関わる活動の一つとして、ナイト・スタディ・ハウスを実施しています。
私自身が全く参加できなくなっていましたが、
その企画推進者の菅野さんと塩野さんが、活動報告に来てくれました。
今年は塩野さんのご尽力で、新しい取り組みも広がっているようです。
活動内容は、ナイト・スタディ・ハウスのホームページを見てください。
秋には素晴らしい企画も予定されています。

この2日間、素晴らしい若者たちに会いましたが、
ちょっと上の世代の、菅野さんや塩野さんの活動にも感動します。
2人とも会社の仕事とは別の活動です。
クリエイターたちを囲む、ぜいたくな場づくりがこのプロジェクトの特徴です。
こうした集まりの中から、きっと面白い物語が生まれるでしょう。

この活動の傍ら、菅野さんは多摩大学の大学院に通っています。
これまでの仕事の実績を踏まえて、修士論文に取り組みだすそうです。
学ぶことが若者だけに独占されていた時代は終わろうとしています。

横道ですが、半田さんの「学びの場」づくりプロジェクトも、基本コンセプトが議論されだしています。
10月には構想が発表される予定です。
これもまた案内します。

■48社の社内報(2004年7月23日)
昨年に引き続き、社内報コンテストの審査員を
今年も引き受けてしまいました
いつも引き受けた後、後悔します。
そもそも「審査」することはつらいことです。
コムケアの資金助成プログラムの審査も、やった後、1か月くらいは疲れが残ります。

社内報の審査を引き受けるのは、自分の選考感覚を広げておきたいという気分があるからですが、
はじめるとあまりに辛いので、後悔するわけです。
なぜ辛いのかは書きにくいのですが、なかなか「ひかるもの」に出会えないのも理由のひとつです。
残念ながら、今回も出会えませんでした。
もちろん面白い記事はありましたが、驚くような新機軸はありませんでした
情報社会の実現にも関わらず、企業の発想はなかなか進化しません。

社内報を見ていると、それぞれの企業のおかれている情況がよくわかります。
それはとても面白いことです。
内容的なことは書けませんが、企業の無駄や問題も見えてきます。

私のところにも、いくつかの会社から社内報が届きます。
正直に言えば、みんな退屈です。
なぜもっと思い切った取り組みをしないのでしょうか。
時代は大きく変わっています。
社内報の問題は取り組みたいテーマの一つですが、なかなか取り組めないのが残念です。
共創型社内報をどこかの会社で挑戦しませんか。

■久しぶりの成田空港(2004年7月24日)
Taller de JUN の佐藤ジュン(娘ですが)が、スペインに材料などの買出しに行っていたのですが、
今日、帰国しました。
社内報の審査で頭が疲れきっていたので、その合間に女房と迎いに行きました。
我が家から成田空港までは車で1時間くらいです。

最近、海外に行っていないので、久しぶりの成田です。
予想に反して、警戒は厳しくなく、いつものような雰囲気でした。

今回、娘はスペインで学んでいた時にお世話になったところに宿泊させてもらったのですが、
そこの2人(ラモちゃん&カヨちゃん夫妻)も日本に来るので、一緒に帰ってきました。
彼らから私はワインとソーセージをもらいました。
娘から聴くスペイン社会は、実に健全で、二昔前の日本社会を思い出させます。
以前、スペインに移住したいと言っていた先輩を思い出します。



(2004年7月第2週)
活動のリズムが少しずつ戻ってきました。

■原博巳さんからのフクロウの土鈴(2004年7月11日)
6月19日に「ホームページの恩恵」を紹介しましたが、
そこに庄原市の原さんから南天の土笛をもらった話を書きました。
とてもいい音色の笛でした。
笛と一緒に、原さんの書いた「小雀チッチ」の小論が送られてきました。
拾ってきた小雀の話です。
普通、雀は人になつきませんが、とてもなついたようです。
原さんのお人柄がわかります。
まだお会いしたことのない原さんに礼状を書きました。

今日、原さんから荷物が届きました。
開けてみると、フクロウの土鈴など5つの作品が出てきました。
みんな原さんの作品です。

土笛は、イクラソウとクサギでした。
前回の南天もそうですが、いずれも実際の葉を粘土に写して創った「写し土笛」です。
南天は難を転ずる、イクラソウは元気がでる漢方薬、だそうです。
いずれも我が家にもあります。
クサギは、残念ながら我が家にはありません。
運命を分ける木という意味があるようです。
原さんからのメッセージがとてもうれしいです。
原さんが作った、木の葉を写して作った土笛はすでに130種を超えているそうです。
それぞれ違った音色がします。

原さんはフクロウの土鈴もたくさんつくっているようです。
私はフクロウの置物を集めています。
実は、原さんがフクロウを作っていることを知ったので、いつか入手したいと思っていたのですが、それが通じたのでしょうか。
原さんが贈ってくれた土鈴は、とてもあたたかく少し思索的な表情のふくろうでした。
早速、私のフクロウ村に仲間入りしました。

私は、原さんとは全く面識がないばかりか、私たちをつないでくれた折口さんとも会ったことがないのです。
とても不思議な気分です。
原さんのお手紙に、
佐藤様のこと、折口さんからお話を聞き、親しみを感じておりました。
と書かれていました。
会わなくとも世界はつながっていくものです。
きっとそのうちに、原さんともお会いできるでしょう。
楽しみです。

■参議院選挙の失望(2004年7月12日)
選挙結果が出ました。
もしかしたらと期待していたので、結果にはショックでした。
前回の衆議院選挙の「悪夢」の再来です。
CWSプライベートに書きましたが、投票率の低さと小泉肯定者の多さには愕然としています。
そして、その結果を故意か浅慮か、歪めて総括論評している識者やマスコミに、やりきれなさを感じます。
こうして国家は滅んでいくのでしょうか。

今年の「ローマ人の物語」が唯一の楽しみです。

■コムケア第4回資金助成プログラム募集開始(2004年7月12日)
コムケアの資金助成プログラムをスタートさせました。
みなさんに送ったメールを掲載します。
応募されませんか?
また皆さんのまわりの方々にも転送してくれませんか。

○ 第4回コムケア資金助成プログラムのご案内(転送歓迎!)
大きな福祉を目指して、共創型相互支援の輪づくりに取り組む、コムケアセンターからのご案内です。
第4回コムケア資金助成プログラムの募集を開始しました。
みんなが暮らしやすい社会を目指して、新しいプロジェクトを起こそうとしているグループへの資金助成と活動支援のプログラムです。
今回から少し内容が変わり、資金助成額はこれまでよりも規模を縮小しましたが、
お互いに支え合う輪づくりには、これまで以上に力を入れて行く予定です。
単なる資金助成だけではなく、また支援する側と支援される側にわかれるのでもな
く、みんなで支えあいの輪を育てていこうという点が、このプログラムの特徴です。
たとえば、支援先の決定にも応募団体が参加する仕組みや、応募団体がそれぞれ得意なノウハウを提供しあうような仕組みを取り込んでいます。応募の相談にものっています。
資金助成とは別に、活動の相談に乗ったり、交流会を行ったりもしています。
目標は様々な市民活動の相互支援の輪づくりです。ともかくさまざまな市民活動をつなげていきたいと考えています。
みなさんのまわりに関心を持ちそうなグループや活動があれば、ぜひご案内いただけないでしょうか。もちろん、みなさんご自身の応募や参加も歓迎です。

詳細は、コムケアセンターのホームページをご覧ください。
募集案内と申請書がダウンロードできます。
http://homepage2.nifty.com/comcare/

応募締め切りは9月3日です。
お問い合わせ歓迎です。
ご応募をお待ちしています。

■ウトロを知っていますか(2004年7月13日)
「ウトロ」ってご存知ですか。
京都府宇治市にある在日コリアンの街です。
60年も昔の話ですが、
日本の敗戦により京都飛行場建設工事に従事していた朝鮮人労働者とその家族は、
政府や企業からの補償もないまま、工事用飯場に置き去りにされました。
その飯場跡の地名です。
本来は、宇土口でしたが、口(くち)が誤ってロ(ろ)と読まれ、それが定着してしまいました。

「置き去りにされた街 ウトロ」(かもがも出版)という本があります。
そこから引用させてもらいます。

 戦後も祖国に帰れずこの地で生きることをよぎなくされた人びとはわずかな畑を耕し、家畜を飼い、過酷な労働に耐えて生きてきました。差別と貧困の中、少しずつ飯場跡を住
宅に建て替えて子や孫を育ててきたのです。
 ある日突然、不動産業者から土地明け渡し通告書が内容証明付きで送りつけられ、裁判所から「訴状」が各戸に届きました(1987年)。住民は腰も抜かさんばかりに驚きました。土地所有者・日産車体(株)が住民に何も知らせることなくこの土地、約6400坪を売却していたのです。立ち退き裁判は現在も続いています。

ウトロには、現在、在日韓国朝鮮人約50世帯220人が住んでいます。
高齢者・生活保護世帯の比率が高く、ウトロを追い出されたら他に行き場のない人々が数多くいます。
ウトロを守る会ができたのは、1989年です。
私が東レを辞めた直後です。
当時、さまざまなことに関わりたいと思っていた時期でしたので、この活動にも関心を持ちました。
守る会には参加しましたが、結局、現地にも行かずに終わってしまいました。
みんなの応援にもかかわらず、最高裁で立ち退き判決が確定しました。
しかし、ウトロの人たちは自らの居住権を守るために住み続けています。

久しぶりに、守る会から手紙が来ました。
8月8日に、ウトロを守る緊急集会とデモが行われることになったのです。
みんながんばっています。
一度、ウトロを守る会のホームページを見てください。
念のために言えば、これはこうした現実のほんの一部かもしれません。

北朝鮮拉致事件への関心は高まっていますが、こうした日本人の行為には余り関心が高まりません。
最近の曽我家族への対応や報道姿勢をみる度に、私はウトロを思い出します。
そして、どこかにおかしさを感じます。

拉致問題に関しても、最近の対応には違和感が強まっています。
もっとやりようがあるはずですし、
最大の問題は、解決の糸口さえ見えていない家族の問題です。
そこがどうも軽視されているように思えてなりません。
増元さんの落選がとても残念です。

こうした事件が起こる本質的な問題への無関心さも気になります。
もしその問題に目が向けば、ウトロへの関心も高まるはずです。
脱北者の問題も同じです。

どうも曽我家族は、マスコミや権力者に利用されているように思えてしまいます。
もちろん、一番利用されているのは、私たち国民です。
ウトロのことも、ぜひ覚えておいてください。

■OBM研究会とIPテレビ会議(2004年7月14日)
OBMに興味を持ってくれている久保田謙三さんからIPテレビ会議の活用ができないかという提案をもらいました。
中断しているOBM研究会を再開しなければという思いで、久保田さんとお会いしました。

テレビ会議はとても懐かしいです。
東レ時代にはこうした分野に関心を持っており、会社でも実際に実験してみたりしました。
当時はまだ技術的な問題も多く、どうも馴染めないものがありました。

考えてみると、私が会社に入った昭和39年頃にも、情報化が盛んに言われていました。
しかし、何も変わりませんでした。
1970年代には国を上げての情報化騒ぎでした。
正確には覚えていませんが、多摩での双方向テレビの実験(HI-OVIS)には大きな期待を持って、放送局にヒアリングにいったりもしました。
NECが提唱していたC&Cには大きな共感が持てました。
しかし、それでも何も変わりませんでした。
むしろ非情報化が進んでいるという思いが強まりました。

流れの変化を感じ出したのは3年ほど前です。
情報ガバナンスが反転する状況が育ち出しました。
インターネットが世界を変える予告は、SFの世界では早くからありました。
最近の「ターミネーター3」は、映画は退屈ですが、設定にはリアリティを感じます。
みなさんは自分のパソコンが、気分を持っていることを感じませんか。
私はすごく感じます。
わずかばかしでしょうが、機械も思考する主体性を持っているように思います。
そもそも「生き物」とは何なのか、それほど自明ではないような気がします。

話が広がってますね、すみません。
IPテレビ会議の話です。
同じ「テレビ会議」という言葉でも、私が関わっていた頃と今とでは全く「似て非なるもの」なのでしょうね。
なにしろ情報社会は3年前から新しい局面に入っています。
先入観は捨てなければ行けません。

テレビ会議の効用を少しまじめに考えてみたいと思いました。

OBM研究会を秋から再開したいと思います。
参加希望の方はご連絡ください。
今度はOBMコンサルティングプログラムの開発を目的にしたものにしたいと思います。
事業として取り組む人の参加をお待ちします。

■谷和原村の農業公園構想(2004年7月14日)
昨年、一度だけ訪問した茨城県の谷和原村の職員の皆さんがやってきました。
常磐新線が来年開通するのですが、谷和原はその沿線の村です。
昨年書きましたが、そこにとてもいい谷津田と雑木林があります。
そこに、農業公園をつくろうという構想を数年前に「住民参加」でつくってしまったのです。
しかし、それが動き出せないでいるのです。
そのプロジェクトへのアドバイスを要請されているのです。
ところが、例によって、市町村合併の動きの中で、どうも行政は動けずにいるのです。

私からすれば、解決はいとも簡単な問題ですが、行政職員にとっては難問らしく、頭を痛めています。
それで大挙して相談に来たのです。
いろいろとアドバイスしましたが、私のアドバイスはあまりにこれまでの発想と違うので、伝わったかどうか心配です。

私にとっても、魅力的なテーマなので、関わりたいのですが、
相手が本気でないと本気になれないタイプのコンサルタントなので、少し様子見をすることにしました。
発展していくといいのですが。

■「問題解決型経済」から「問題発見型経済」へのパラダイム転換(2004年7月14日)
今日は次々とひっきりなしの来客です。
それもどうもよくわからない相談が多いのです。
私の名刺に書かれている肩書きは、「コンセプトデザイナー」です。
見えない状況に道筋をつけることがミッションです。
そのためか、さまざまな人が来るのですが、問題が見えないためか、話し合いは結構疲れます。
しかも、現在の「社会常識」では、それらはビジネスにはなりません。
もちろん、私はそれを承知で相談に応じていますから、いいのですが、
これまでの体験からいえば、
その段階(つまり、ビジネスになる前の段階)が問題の当事者にとっては一番大切なのではないかと思います。
その部分がしっかり評価されずに、
技術的な対応が経済行為として重視されている現在の経済システムに、大きな問題を感じます。
たとえば、「医療」です。
医療で重要なのは、病名をつけて医学的に対処する前の入り口ではないかと思います。
かかりつけ医師の大切さが言われていますが、制度的にはそうなっていません。
「問題解決型経済」から「問題発見型経済」へと、経済システムのパラダイムを転換させていことが必要です。
そういう認識に基づいて、私の会社である株式会社コンセプトワークショップは動いているのですが、
そのせいか、業績は低調です。
コンセプトデザインにはなかなか対価がつきません。

話がそれましたが、今日の4番目の来客は、Factoryもも代表の梅木桂子さんです。
2回目の相談なのですが、やっと少し問題が見えてきました。
梅木さんは、女性の経済的自立を支援していくための情報メディアを創出したいと、仲間と取り組んでいるのですが、
さまざまなノウハウとネットワークを、どう編集していけばいいかが見えていないようです。
まさに、コンセプトデザインの問題です。
大きなスケルトンが定まらないうちに、個別のアイデアや方法が広がりすぎて、形式議論が先行してしまっているようです。
改めて、きちんとしたワークショップをやる必要があるようです。
彼女たちが取り組もうとしているプロジェクトのホームページは間もなくできるそうですので、またご案内します。

■ローカルジャンクション21の大構想(2004年7月14日)
今日、最後の来客はローカル・ジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんです。
ローカル・ジャンクション21のホームページは最近、どんどん進化しています。
もちろん活動が広がり発展しているからですが。
ぜひご覧下さい。面白いイベントの呼びかけもあります。

今回の相談はとても大きな構想です。
しかも、両刃の剣のような、可能性と危険性を持った構想です。
もっと平たくいうと、私が理想とする経済システムと私が一番嫌悪する経済システムとの、
いずれの要素も含み、いずれにも向かう大きな可能性を持っている構想です。
結局、私も巻き込まれることになりました。
さて、どうなりますか。
思わせぶりな書き方ですが、
ローカル・ジャンクション21のホームページでまもなく発表されると思いますので、内容はそちらをご覧下さい。

ローカル・ジャンクション21は、時代の流れを受けて、順調に発展しています。
さまざまな人や活動と触れ合える「ジャンクション」です。
参加されませんか?

■美野里町まちづくり会議全体会での驚き(2004年7月15日)
美野里町のまちづくり会議の全体会が久しぶりに開かれました。
昨年作成した「美野里まちづくり計画」を、実現するために、ダイジェスト版を自分たちで作成し、
また先導プロジェクトに関しては、自分たちで一歩踏み出そうと言う取り組みを始めているのです。
その会議に参加しました。

司会は、まちづくり会議の幹事のみなさんです。
行政側は町長も出席しましたが、あくまでも主役は住民たちの自主運営です。
これまでの経過が幹事メンバーから報告され、これからの取り組み課題が提案されました。
行政計画でもある「まちづくり計画」の住民配布用ダイジェスト版を自分たちでつくろうという、画期的な取り組みも、
あっけないほど異論もなく、みんなに受け入れられました。
大丈夫かなと、部外者の私などは心配ですが、まあ私たち外部者よりはいいものをつくれることは間違いありません。
うれしいことです。
さらに驚きは、計画を効果的に実現して行くために、まちづくり組織条例を作ることになり、
その委員にもまちづくり会議から代表を出してほしいと行政から提案されたのですが、
なんとその代表が決まってしまったのです。
それも、アッという間に、です。

そういえば、住民たちでのダイジェスト版作成も、行政は最初意図していませんでした。
打ち合わせがあった訳でもありません。
まちづくり会議の場で、
委員長が「ここまでやったのだからダイジェスト版も自分たちで創ろう」と発言し、
それが通ってしまったのです。
これも「アッという間の決定」です。
行政の担当者からは、とても言い出せないことを、住民たちは気楽に言いだすのです。
そして決まってしまう。
しかし、決めてしまえば、やらざるを得ません。
慌てて行政は補正予算をとって、支援することになりました。
まさに、「住民主役・行政支援」のスタイルです。
そしてまた、今回はまちづくり組織条例への住民たちのコミットです。

正直に言えば、だれもあんまり深く考えていないのかもしれません。
今回の議論の司会はまちづくり会議メンバーの女性が担当しました。
ちょっと頼りなさがありました。
ところが、逆にそれが住民たちには頼れることだったのです。
そして、まちづくり会議からは委員は出さなくてもいいのではないかという意見から始まったにも関わらず、
代表4人が決まってしまったのです。驚愕しました。
市町村の議会は、こういうスタイルにするといいですね。
たくさんのことに気づかされた会でした。

私が市町村に関わりだした時に書いた小論を思い出しました。
このホームページに掲載されています。
読んでもらえるとうれしいです。


(2004年7月第1週)


■千客万来の日曜日(2004年7月4日)
今日は多彩な来客の1日でした。
午前中に、娘の工房(タジュール・デ・ジュン)に隣の高城さん夫婦が友人の越智夫婦と一緒にやってきました。
時計とイアーズプレートを購入してくれたそうです。
スペインタイルの話が終わった後、私たち夫婦も一緒に話をさせてもらいました。

2夫婦ともとても若い夫婦です。
いずれも2歳の子ども連れです。
高城さんとは、ほぼ同じ時期にここに転居してきました。
しかし、なかなか夫婦でゆっくり話す機会はありません。
若い人たちは、子どもを通して知り合いになれますが、世代が違うとなかなか接点ができません。
その点、女房は全く違います。女性はやはり地域に生きる生活者です。
時々、我が家には奥さんたちが来ているようです。

午後は兄夫婦が姉の母と一緒に訪ねてきてくれました。
姉の母は91歳です。川崎に住んでいますが、元気です。
介護保険の話になりました。
いろいろと問題がありそうです。
お年寄りは自分のためよりも、ケアヘルパーのことを気遣っていることがわかります。
そうしたところに、さまざまな「ビジネス」が入り込んでいくのですね。その延長が「オレオレ詐欺」です。

3番目の来客が一番問題でした。
黒猫の来客です。
近くに徘徊している野良猫のようですが、庭の隅の物陰に潜んでいるのを娘が見つけました。
声をかけたら牙をむいて怒ってきたそうですが、よくよく観察すると、どうも動けずに、様子がおかしいです。
喧嘩をして咬まれたか、あるいは毒物を食べたかです。
追い払おうとしても逃げないで怖い目で睨みます。
これほど怖い目の猫を見たことがありません。不安ではなく、怒りの目です。
毒物を食べたのかもしれないので、病院に連れていこうかということも考えましたが、近づけません。
放置しておいたら、ぐったりとしてきて、呼吸が絶え絶えになってきました。
棒でつついても動きません。
早くしないと死んでしまうと思う一方、もう死んでしまったような気もします。

家族みんなで悩みながら、関係先に電話したのですが、日曜日でどこも通じません。
困ってもう一度、猫が倒れていたところに行って見ると、
なんと物置の下に隙間に潜り込もうとして、そのまま意識を無くして呼吸もせずに横たわっています。
さてどうするか、議論しているうちに、またいなくなったのです。

猫は死を悟ると、人目につかないところに行って死ぬといいます。
その黒猫は我が家を死に場所と決めたのかもしれません。
確かに、その猫がうずくまっていたところは人目につかないところでした。
迷惑な話ですが、可哀想な話です。
そして、いよいよとなって、物置の下に無理をしてもぐろうとしたのでしょう。
最近の家は、縁の下に入れないようになっていますから、死に場所は見つけにくいのです。
引きずり出すのも気味が悪く、朝になったら保健所に連絡して回収に来てもらうことにしました。
みんな死んでしまったと思ったのです。

ところがです。
暗くなってきたので、念のためにその場所に行って見ました。
そうしたら、またいないのです。
最後の力を絞って、物置の下の小さな隙間にもぎりこんだとみんな思いました。
明日、どうやって引きずり出すか、嫌なことになってしまったと思ったのです。
しかし、懐中電灯で、物置の狭い隙間を覗いても、どこにもいないのです。
大騒ぎになりました。
まあ、平和な騒ぎですが。

元気になって出ていったのかと安堵しました。
しかし、またまたもっと見つけにくいところにいたのです。
縁台の下の小さな隙間です。どうやって入ったのでしょうか。
少し元気がでてきたようにも見えました。
夜に庭から出ていけるように庭の扉を開けておきました。

朝、気になって早起きしてそこを見に行きました。
幸いにいませんでした。女房ともども、安堵しました。
念のために、庭や家の周りを調べました。小さな隙間も残さずにです。
どこにもいません。元気になって出ていったのです。
多くの花に癒されたのかもしれないと勝手な解釈をしました。

と、まあこれで終われば良かったのですが、そうではなかったのです。
娘が少し遅れて起きてきたので、黒猫は元気になったようでいなくなったといいました。
娘もホッとして、庭に出ていきました。
と、出た途端に大きな悲鳴が聞こえました。
猫が死んでいると言うのです。
慌てて出てみました。
なんと庭の一角のハーブコーナーの真中に、堂々と横たわって死んでいました。
あまりに真中過ぎて、私たちには見えなかったのです。
エドガー・アラン・ポーの「盗まれた手紙」を思い出しました。
あまりにも見えすぎていたために、私も女房も気がつかなかったのです。

長くなりましたが、これだけの話です。
すみません。
私たちはきっとたくさんのことを見落としているのでしょうね。

黒猫はクリーンセンターに連絡して、引き取ってもらいました。
最近はきちんと埋葬してくれます。
合掌。

■美野里町湯島会議(2004年7月5日)
美野里町で始まった、まちづくり組織条例づくりの作戦会議です。
湯島会議と言いながら、最近は東京理科大学で開催しています。
形にこだわらずに、実をとる。これが私たちの方針です。
しかし、それぞれ主張のあるメンバーなので、コラボレーションは結構難しいのです。
それぞれが単独で仕事を受託したほうがきっと仕事的には楽でしょう。
最初の頃は、それぞれに遠慮しあって、シナジーが生まれにくかったように思います。
それで、定期的な湯島会議で足並みを揃えたり、相互の理解を深めたりしてきたのです。
そこから得るものは大きかったですし、プロジェクト自体もいい発展をしたと思います。

いわば、異業種のコラボレーションだったのですが、
井出さんたちからは私の進め方はかなり違和感があったようです。
建築や都市計画をやっている人にとっては、
住民たちのために何かをやってやらなければという職業的な責任感があるために、
どうしても専門家的な視点から考えてしまうのだそうです。
ですから、私のように住民に責任を持たせる発想には違和感があったのでしょう。
私の視点は、住民や職員の目線に立って、もし彼らが自分の問題としてやるのであれば、
そしてそれが私にとっても面白いのであれば、あくまでも協力するという視点です。
あくまでも支援役です。
完成物にはあまり関心はなく、そのプロセスとアウトカムを重視します。
もちろん私も最後にはしっかりと「けじめ」はつけます。念のため。

今年の課題は、条例づくりです。
時間的にはかなり厳しいわけですが、その条件の中で、どう実をとっていくかは面白いテーマです。
仕事は難しくなければ楽しくありません。

実はある程度、行政サイドでは進め方が決まりつつあるのですが、
改めて、基本的なところから考え直してみるように提案しようということになりました。
基本は近隣社会である行政区に置こうという確認もできました。
まさに住民自治への発想の転換です。
15日に事務局との会議です。
うまく行くといいのですが。

■建築家たちとの会食(2004年7月5日)
湯島会議の後、これまでの3年間の反省会も兼ねて、会食しました。
おかげで、先週に引き続き、また建築に取り組んでいる4人の方たちとゆっくり話すことができました。
先週紹介した井出さんと、東京理科大学の大月助教授と安武助手、それに学生の渡辺さんです。

昨今の都市計画や建築の在り様に、井出さんも大月さんも批判的です。
いや、都市計画関係者の中にも、批判的な人は少なくないようです。
問題は理想と現実のギャップです。
理想を掲げていても、暮らしがかかってくるとお金になる仕事をせざるを得ないのです。
そうしたものに与しない井出さんたちには、敬意を表します。

最近、住宅建設がまた増えてきていますが、
私の感じでは相変わらずの住宅づくりで、10年後にはまた問題を起こすように思います。
人口が減りだし、高齢化が進むことを考えれば、住宅の作り方は全く変わっていくはずです。
しかし、今はまだ10年後には厄介者になるような家の作り方です。
30年前に、すぐに建て替えるようになる住宅を作っていた時代の再来です。
これは住宅メーカーと建築家の陰謀かもしれません。
自分の仕事をなくさないためには、本格的な問題解決をし、ストックを作ってはいけないのです。
産業のジレンマは、意図的に作られているのです。

同じようなことが都市計画の世界にもありそうです。
都市計画家は本当に、都市のことを考えているのでしょうか。

大月さんも井出さんも、最近のまちづくりワークショップブームにはかなり否定的です。
といっても、二人とも住民の話し合いには価値をおいています。
今のようなワークショップに代わる、新しいメソッドを一緒につくれればと思っています。
まだ見えてきませんが。

井出さんから、内田雄造さんの論文をお借りしました。
読んでみるつもりです。

■村井弦斎はとても面白かったです(2004年7月6日)
ブックでご紹介した、黒岩さんの「村井弦斎」を読み終えました。

内容がすごく密度の濃いものですから、いつものように速読ができませんでした。
正直に言えば、途中から読書の速度ががくんと落ちました。
黒岩流に話題がどんどん広がり、その一つ一つが、これまた黒岩流に深く掘り下げられているのです。
但し、本論から外れるためにそう紙面は割けず、
実際にはおそらく調べたことのほんの一部しか書かれていないのだろうなというのが伝わってきます。
弦斎の作品の紹介も面白いです。
「日の出島」は読みたくなりました。

黒岩さんが言っていたように、後半に入るにつれて、どんどん面白くなりました。
弦斎の関心事が私の関心事にほぼ完全に重なっていることもあって、実に面白かったです。
弦斎という人に親密感を持ちました。
考えにもほぼ共感できます。生き方にも。

読み進むうちに、あの「音のない記憶」を読んだ時の興奮が蘇りました。
特に、最後の章、「人類と宇宙の一元論」は黒岩さんらしい語り口がいろいろと出てきて、とても読みやすかったです。
なんと最後の方には謎解きまで出てきます。
もちろん黒岩さんは、その謎にも答を見つけだしています。

この本に対する私の唯一の不満は、
その素晴らしい章の後に「現代に生きる村井弦斎」なる解説的な章があることです。
せめて中扉で、分けてほしかったです。
それ以外は、ほぼ完璧に満足です。
とてもいい本です。改めて推薦します。
時間の無い人は、しかし、この終章の「現代に生きる村井弦斎」を読まれるといいです。

じっくり読むとたくさんの示唆を得られます。
最近流行の「食育」もそうですが、今、改めて注目されていることを、弦斎はいち早くこの時代に提唱しています。
内容を書き出すときりがありません。
ここでは最後の章(本当は最後の前ですが)の終わり近くにある文章を引用させてもらいます。
とても気にいっている文章です。

一時はあれほどよく読まれていたその作品のほとんどが、絶版になったまま現在に至っている。
その「忘れられかた」があまりに見事なことには、唖然とせざるをえない。
だが、特に明治の後半期において、彼の小説が大衆の心をつかみ、熱狂させたという事実は、歴然としてそこにある。
歴史とは後世の人の手で創られるものだが、この事実まで否定し、消し去ることはできない。
353頁

黒岩さんは、章の最後にこうした趣向の文章を時々書くのですが、そのメッセージが私は大好きです。
黒岩さんの弦斎への愛を感じます。

来年は村井弦斎ブームになることは間違いありませんね。

■福島での管理者研修(2004年7月7日)
福島の管理者研修です。
夜学を楽しみにしていたのですが、急用ができて日帰りになってしまいました。残念です。
そのため、敢えて書きこむこともないのですが、たまには研修の事を書きます。

テーマは「管理者の役割」です。4時間です。
最初に「これからの自治体行政のあり方」を話します。
参加者の頭を壊すことが目的ですので、盛りだくさんです。
内容がたくさんありすぎてついて行けないと夜学などで言われていますが、それが目的です。
次のセッションは、グループ討議とその発表です。
楽しくやるのが方針です。
発表では、これからの管理者にとって一番大切なことを話してもらいます。
今回は、「愛」「世界でひとつだけの花」というのがありました。
うれしいことです。
最後に、私からのささやかなメッセージを送ります。
その最初のメッセージは、「脱管理のすすめ」。
そして、管理者の役割は自分で創るものが結論です。
これで研修になるでしょうか。心配です。

グループ討議は私も聞きにまわります。
実に面白いです。
アドバイスをしたいことがたくさんあります。
どこかで私を行政全般の具体的カウンセラーとして雇ってくれないでしょうか。
きっと役に立つはずです。
まあ、私が適任かどうかは別にして
、そうした仕組みをぜひ作るといいのではないかと思います。
つまり、職員が自由に自分のアドバイザーとして使えるブレインを役所として制度化するのです。
数名雇用するとしてもたかだか月に100万円もあれば、大丈夫でしょう。
職員を2人雇う程度で、大きな成果を上げられるはずです。
どこか実施しないですかね。

■東京大学に移った田中弥生さん(2004年7月8日)
田中弥生さんは、私をNPOや保育の世界に引きずり込んだ人です。
私が会社を辞めた頃、どういう経緯か記憶がないのですが、私のところにやってきました。
当時、彼女は笹川平和財団のプログラム・オフィサーで、コーポレート・シチズンシップのテーマに取り組んでいました。
それを本にしたいという相談でした。
よく覚えていませんが、私はその頃、たしかフィランソピー研究会をやっていたのです。
コーポレート・シチズンシップは、1970年代にも話題になりましたが、定着しませんでした。
私は会社に所属していましたが、それなりに関心を持っていました。
東レでCIに取り組んだのも、そういう背景があったからです。見事に失敗しましたが。
田中さんは見事にコーポレート・シチズンシップの動きを日本に定着させました。
彼女の功績は大きいです。
彼女に協力して、「コーポレート・シチズンシップ」を講談社から出版しました。

その後、彼女に誘われて保育の世界に関わらせてもらいました。
そこでまた、さまざまな人との出会いがありました。

しかし、彼女が関わっている人たちは、ほとんどがメジャーというか、エスタブリッシュメント層なのです。
私にはどうも不得手です。
彼女の好意で、東大の哲学の教授の井上達夫さんが中心の市民社会研究会というような、
大学教授たちの研究会(その時書いた小論を掲載しています)、
あるいは堀田力さんが座長の福祉評価研究会のような会にも参加させてもらいましたが、
どうにも波長が合わないのです。
もちろんそれなりに面白いのですが、どこかで不協和音だったのです。
そんなわけで、次第に距離が出てきました。
しかし、時々、近況報告に来てくれます。

昨年、彼女は東大の助教授になってしまいました。
社会基盤学科国際プロジェクトコースという、新しい学科の構築に取り組んでいます。
国際協力分野での事業評価は彼女の専門でもあります。
彼女のことですから、きっと新しい風を起こしてくれるでしょう。

1年ぶりくらいだったので、話は盛りだくさんでした。
盛りだくさんすぎたので内容は省略です。
彼女の話としては、最近の大学生への評価はとても高かった事だけを書いておきます。
大学でいい授業をしている人は、みんなそういいます。
私は、ODAなどもうやめたほうがいいといいました。
思想がない外務官僚に国際協力などを任せていることを危惧します。
昔、ある委員会で外務省のODA担当の課長と一緒でした。
思いだすと腹がたってくるのでやめます。はい。

■環境と福祉に健闘されている金田英一さん(2004年7月9日)
金田さんとはパウサニアス・ジャパンで知り合って以来、15年近いお付き合いになります。
私よりも年長ですが、私よりも元気に活躍されています。
環境問題に造詣が深く、東京都の環境学習リーダーもされていますし、新潟の水辺の会のメンバーでもあります。
現在は介護の関係もあり、毎週、新潟と東京を往復されています。
それだけでも大変だと思うのですが、会うたびに、新しい活動の話をお聞きします。

今日は久しぶりに訪ねてきてくれました。
会うと次から次へと話題が出てきます。
様々な世界に関わりながら生きていると、話題には事欠きません。なにしろ問題山積の面白い時代なのですから。
今回もいろいろと考えさせられる話がたくさんありました。
しかし、ホームページに書いてはいけないと言われてしまいました。
最近は、そういう人が多いのです。
私に会うと勝手なことを書かれてしまうので、きっと迷惑されているのでしょうね。
困ったものです。少し自重しなければいけません。

私のまわりをみていると、老後の生き方は二つの方向に分かれます。
社会との関わりを最小化するか、身体的に深入りしていくか、です。
前者が多いように思います。みんな幸せそうです。
しかし金田さんや杉本さんは、後者です。
問題を広げようとされますから大変ですが、楽しそうです。
さて、あなたはどちらを選びますか。
私は最近、前者を目指したくなっています。


(2004年6月第5週)

活動再開を決意したら、不思議なもので千客万来に戻りだしました、
電話もいろいろと入りだしました。

いろいろ書いてしまいました。

■21世紀は真心の時代
(2004年6月28日)
私はこれまで雑文をいろいろと書いてきましたが、管理が悪くて、その多くは散逸してしまっています。このホームページに、そうした雑文を集めて残していこうと思い、時々、見つかったものを採録しています。まあ、古い論文なんて回顧趣味だと思われそうですが、何しろこのホームページは、私のすべてを盛り込むことにしているのです。
だから面白くないホームページになってしまっているのですが。

見つかってもデータ化されていないものがありましたが、
やっとスキャナーを購入したので、これから順次、データ化し再録していく予定です。
その第一弾が「21世紀は真心の時代」です。
私にとっては思い出多い論文です。もっとも何を書いたかはあまり覚えていなかったのですが、読み直したら、なかなか示唆的?なのです。まあ自己満足的な自画自賛ですが、久しぶりに自分の書いた論文を読み直すのもいいものです。

この論文は、毎日新聞社の懸賞論文に応募したものです。
入選し、賞品としてワープロをもらいました。
当時はまだワープロが170万円くらいしていた時代です。
今では粗大ごみですが、捨てられずに我が家の狭い空間を今でもシェアしています。
ああ、これは前にも書きましたね、すみません。

この論文に、ナノテクノロジーという言葉が出てきます。
最近はよく見かけますが、私の知る限りでは、当時そんな言葉はなく、私の造語です。
こうした新しい言葉、言い換えれば新しい概念を発見した時の喜びは大きいです。

この論文では、科学技術者の責任問題も少し触れています。
粗雑な論文ですが、読んでもらえるとうれしいです。
時代のさまざまな問題を解決する処方箋も書いてあります。
国際紛争も企業の問題も、すべて解決できる処方箋です。
そのメソドロジーは書いていませんが、それを明示していくのが、コンセプトデザイナーとしての私の仕事です。
時代の方向が逆転していますので、仕事がなくて困っていますが。

■社会起業家支援の田辺大さん(2004年6月28日)
これからのコムケア活動の展開も含めて、田辺さんと意見交換させてもらいました。
田辺さんは、新しいスタイルで社会起業家たちを支援する会社をやっています。
最近、クライアントのひとつが大盛況で忙しくなったようです。
田辺さんのコンサルタントのシステムが成功したようでうれしいことです。

NPOやソーシャルベンチャーに取り組む人で、もし壁にぶつかっている人がいたら田辺さんに相談して見るといいです。
親身になって考えてくれます。

田辺さんはまた、4月のコムケアフォーラムを契機に、社会起業家の勉強会をスタートさせています。
ここでもいろいろなことを考えているようです。これも関心のある方はぜひ田辺さんにアプローチしてください。
田辺さんのホームページも、このホームページとリンクしています。

田辺さんとは、社会起業家支援の研修プログラムに取り組もうかと相談しています。
そろそろ企業人にも行政人にも、そうした感覚が必要になってきています。
これについては、またご報告したいと思います。

■建築のあり方(2004年6月29日)
今週は二人の建築家とお話しする機会がありました。
山口県の東孝次さんと環境計画機構の井出建さんです。
二人とも社会的視点を持って活動されている方です。

東さんはもう15年来のお付き合いです。
東レ時代に都道府県の基本計画に関心を持って、調べたことがあります。
それに対して、とても丁寧に回答してくださいました。
それが契機でお付き合いが始まり、山口県との接点が出来ました。
東さんは「手づくり景観賞」を始めたり、コムケアの里づくりに取り組みだしたり、
私にとっても、とても共感できる活動をされています。
東京に来ると立ち寄ってくれます。

28日に湯島に来てくれたのですが、またわくわくするような話を聞きました。
東さんの仕事上のテーマのひとつです。
昨今、空洞化しつつある中心市街地に、郊外で生活されている高齢者に転居してもらうことが、
多くの自治体のテーマになっているようです。
高齢者にとっては、市街地のほうが生活しやすいからです。
病院もケア体制も市街地が好都合です。
それになによりも市街地の空洞化対策になります。
しかし、高齢者は転居を好みません。
利便性や安心性は理解できても、環境変化は高齢者にとってはつらいことです。

さて、この問題をどうするか。
こうした論理矛盾する難題を解くのが私はとても好きなのです。
ぜひとも実際の問題解決に関りたいものです。
一般論では面白くありません。
私に発注してもらえないですかね。
でも山口はちょっと遠すぎますね。

ちなみに、バリアフリー住宅が話題になっています。
私はこれに反対です。
バリアのない住宅は退屈です。
むしろバリアだらけの住宅、バリアチャレンジ住宅のほうが高齢者には優しいのではないかと思ったりします。
高齢者のことを知らない暴論だといわれそうですが、建物はハードがすべてではありません。

井出さんは、美野里町のまちづくり計画づくりでご一緒させていただいています。
これまでの都市計画に満足していない、都市計画家です。建築家でもあります。
美野里町の帰路、少しお話しました。
考えてみると、じっくりと井出さんのお話を聞いたことがありませんでした。
建築原論、都市計画の歴史、住宅政策の変遷への評価、など、とても刺激的な話をお聞きしました。
これまたわくわくします。もっときっちりと聞きたくなりました。

建築も都市計画も、すべて統治(支配)のための道具として発展してきた、
というのが井出さんの建築史観の視点です(これは私の勝手な解釈なので間違っているかもしれません)。
社会変革のための建築や都市計画という取り組みもあるのでしょうが、
たしかに最近の建築は生活視点ではなく管理視点ですね。
私が建築家に持っていた違和感の原因がやっとわかりました。
私は安藤忠雄の作品も好きになれません。

建築原論という言葉を、初めて意識的に聞きました。
なにやら面白いにおいがします。
しっかりと建築原論を語れる人は、今の日本には多くないそうです。

早速、勉強してみたくなりました。

■コムケアセンターの橋本典之さん(2004年6月29日)
コムケアセンターにスタッフとして週1回来てくれている橋本さんのことは、最近あまり書いていないかもしれません。
今ではコムケア活動を背負ってくれるほど、思いを込めてくれています。

橋本さんが、今一番時間を投入しているのはグループホームの仕事です。
そこで様々な体験を通して、ケアや福祉、仕事のあり方や、時には生き方を学んでいます。
そこでの問題や気づきを時々話してくれます。
今日は食事をしながら、話をしてくれたのですが、その話し方がとても情熱的です。
堰をきったように、話がどんどん出てきます。話している時の橋本さんの顔は輝いています。圧倒されます。
きっとたくさんのことをもっと多くの人たちと話したいのだろうと思いました。
一時期、橋本日記を送ってきてくれていたのですが、
いつか、彼のつぶやき的日記をこのホームページに掲載したいと思っています。

橋本さんは、非常に意欲的で、様々な活動に関わっています。
全国マイケアプラン・ネットワークには、もはやなくてはならない存在です。
橋本さんはまた、意欲的に情報や知識の吸収にも取り組んでいます。
最近、三好春樹さん(生活とリハビリ研究所)の講演を聴きにいったそうです。
三好さんといえば、新しい介護観を出し、福祉の世界では話題の人です。
若い人がとても多かったのに驚いたそうです。
福祉の世界に、いま、若い世代が入りだしています。
これから大きく変わっていくでしょう。
そうした変化が見えなくなっているのが企業や行政の人たちです。
そこに大きな問題がありそうです。

■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年6月29日)
まちづくり計画の住民配布版を自分たちで作るとともに、
計画で決められたプロジェクトを自分たちで推進しようと言う意気込みで始まった、
美野里町の住民によるまちづくり会議の企画運営委員会がありました。
その進行役を仰せつかっています。しかし、そろそろ卒業できそうです。
卒業するとなると、ちょっと寂しい気もしますが、うれしいことです。

この活動は住民たちにとっては完全な手弁当集会です。
つきに数回の集まりに、よく住民の方々は参加してくれます。
ちなみに私は一応仕事の一環ですから、お金をもらっています。
議論はとても活発です。まあ、いろいろな意見が出ます。
若い世代がいないのが残念ですが、汗もかいてくれます。
もうじき私たち外部の者はお払い箱になるでしょう。
うれしいことです。

まちづくり組織条例の策定にも取り組むことになっています。
まちづくり組織のあり方を住民たちが中心になって決めていく、素晴らしいことです。
美野里町のこれからが楽しみです。

■「沈黙の春」の新訳はできるか(2004年6月30日)
「沈黙の春」に関する私の思いは、6月11日の「沈黙の春」の記事をお読みください。

科学技術倫理フォーラムの杉本さんと一緒に、「沈黙の春」の新訳が実現できないかと考えていますが、問題は著作権です。
私のように、知的所有権を個人に帰属させることに反対な者にとってはわずらわしいのですが、
この問題は経済の視点からますます利権化していますから、対応を間違うと大変です。
全く、非知的な社会になったものです。

この分野に詳しいダイヤモンド社の岩崎卓也さんに湯島に来てもらいました。
今年から編集部に入った新人の松崎英吾さんも同行されました。
岩崎さんと会うのは久しぶりです。
岩崎さんは「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」の副編集長ですが、私が知っている数少ない信頼できる編集者です。今は雑誌で忙しいですが、岩崎さんの書籍への愛着はかなりのものです。

いろいろと話をお聞きすると、やはり一度、翻訳が出版されると新約するのは難しいようです。岩崎さんにも、時代に合わせて、しっかりと翻訳し直したい本がたくさんあるようです。しかし、難しいようです。

「沈黙の春」の翻訳のどこに問題があるかを、改めて杉本さんからお聞きしました。
確かに問題です。
しかし、新訳出版は無理のようですので、まずは「沈黙の春」を読む会を始めることから始めようということになりました。
9月頃から月1回、原文と新訳と現訳をつき合わせながら、
しっかりとメッセージを消化していく「沈黙の春を読む会」を杉本さんの問題提起のもとに開始したいです。
もしご関心のある方がいたら至急ご連絡下さい。
面白い会になるはずです。

■久しぶりの降旗文郎さん(2004年6月30日)
10年以上、お会いしたことのなかった降旗さんが訪ねてきました。
企業のコミュニケーション戦略の仕事に関連して、以前お会いしたことがあり、
それを契機に個人的な付き合いが始まったのですが、
その後、降旗さんは、大地の会に移籍され、なかなかお会いする機会がなくなりました。
大地の会の後、またブランディングの会社に戻り、今春まで仕事をされていましたが、農業に取り組もうと退社されたそうです。
農業、です。

降旗さんは長野の安曇野のご出身です。
そう遠い先ではない時期に、そこでファームを作りたいというのが降旗さんのビジョンです。
グランドデザインはもうできているようです。

農業への関心が急速に高まっています。
先週、たてしなファームの話も書きましたが、時代の方向は間違いなく変わってきています。
しかし、実際に農業で生計を立てていくのは、まだそう簡単ではありません。
自然を相手にした事業は、誰でもできる工業型事業とは違います。
そして、だからこそ面白く、魅力的なのでしょう。
私も是非とも応援したいと思います。
降旗さんは、まずは農業関係の組織で働きながら準備を進めていきたいそうです。
なにかいい仕事はないでしょうか。
どなたか、ぜひ応援してやってくれませんか。

■大村和夫さんとの心の交流(2004年7月1日)
10年ぶりの来客がもう一人訪ねてきてくれました。
大村和夫さん。法政大学ビジネススクールの教授です。
今春までは滋賀大学でしたが、ある事情で東京に戻ってきたのです。

大村さんと知り合ったのは、もう20年以上前です。
当時、私は東レという会社で、産業調査や事業企画などを担当していました。
その関係で、野村総合研究所と付き合いがあったのですが、
当時の野村総研には魅力的な若いアナリストやリサーチャーがたくさんいました。
大村さんもその一人です。
一回り歳が上の私は、彼らからいろいろと刺激を与えてもらいました。
彼らの多くは、しかし、その後、外資系にヘッドハントされてしまいました。
大村さんもそうですが、さらにその後、大学に転身されたのです。

大学に移った直後に、大村さんの自動車産業論も読ませてもらいました。
精緻な分析と、どこかに突き離した冷静さのあるところが大村さんの持ち味です。

「佐藤さんは私の先行指標ですから」と大村さんが言ってくれたので、
最近の私の心身的な状況を話しました。
もし先行指標であるならば、さまざまな赤信号が出ているからです。

私を先行指標にしているという方は、以前は何人かいましたが、
最近の私の迷走ぶりを見て、路線を変えた人も少なくありません。
5年前であれば、私も胸をはって、モデルになったのですが、最近はあぶないです。
大村さんには、ぜひ反面教師としてみてもらいたいです。

大村さんとはさまざまな話をしました。
最近の若者への期待や大学での学びの意味。
具体的な新しい事業企画の話も出ました。内容は「企業機密」です。はい。
その話は、私が以前考えていたものとつながる話です。
昔書いたマイクロビークル構想とクローバー都市構想という小論を思い出しました。

しかし、今回の焦点は、2人が自分をさらけ出したことです。
みんなそれぞれに悩みや問題を抱えています。
ちょっとだけですが、心が通いあった気がします。
人生は楽しいと共に哀しいものです。

■同窓だった山本秀太郎さんと小川清史さん(2004年7月1日)
ビレッジハウスの山本秀太郎さんは、コンセプトを大事にしながら空間設計するデザイナーです。
結婚式場の世界に新しいコンセプトやスタイルの発想を持ち込んだのも彼ですが、
事業家的ではないため、だれかに成果をとられてしまうことが多く、山本さんの名前はなかなか世の中には出てきません。
歴史というのは、そういうものなのでしょうね。
小川さんはインキュベーションハウスの仲間です。
ちょっと思索的で、思いつめたところがある30歳代の異色ビジネスマンです。
私がいうのもなんですが、2人とも山ほど問題を抱えている人です。
しかし、人は問題を抱えるほど、やさしくなります。
私がその証拠です。はい。

2人とも、うそをつかないところが共通しています。
正確には「つかない」のではなく「つけない」のですが。
それに、2人とも、どこかで私の世界につながっているところがあるのです。
この2人をつなげると何かが生まれるかもしれないと思い、お引きあわせしました。

ところが、何と2人とも大学が一緒なのと、若い頃、かなり「外れた生き方」をしているという共通点があったのです。
大学は京都私立芸術大学。2人とも、組織人的ではありません。
それがわかった途端に、彼らだけがわかる仲間の会話が始まりました。
不思議なものです。
せっかくお引き合わせしたのに、わたしはもう味噌っかすです。
まあ、人生はそんなことの繰り返しですね。はい。

■市町村合併のほころび(2004年7月1日)
美野里町の市町合併の話が壊れそうになってきました。
これまで順調に展開されてきましたが、最後の詰めの段階になると、さまざまな問題が、それも「政治的」に出てきます。
最後に正常な感覚が、異常な形で出てくるのです。

今日の茨城新聞の記事です。

美野里町・玉里村・八郷町・石岡市合併協議会(会長・島田穣一美野里町長)の第
十三回会合が三十日、石岡市杉並の市保健センターで開かれ、新市名称を「常陸野
(ひたちの)」と決定した。しかし石岡側委員は前回の七人退席に続き、九委員のう
ち、横田凱夫市長を含めた八委員が欠席した中での審議だった。横田市長は「現時点
では四市町村枠組み堅持」とし、今後協議会"復帰"への打開策を探る意向を示した
が、順調に進んできた「合併協議」に、にわかに暗雲が漂い始めた。

私が関わっているもう一つの自治体である山形市も、どうやら合併時期が延びそうです。
今回の市町村合併には私は全く意義を感じませんし、歴史への犯罪行為だと思っていますが、
こうした動きが出てくるのは当然のことだと思います。
美野里町や山形市だけではなく、多くの所でこうした問題が起きているのではないかと思います。
しかし、そのお陰で一体どのくらいの税金が無駄になったのかと思うと本当に怒りを感じます。
イラクの政府と日本の政府と、どちらがしっかりしているか、私には判断できません。
ちょっと言いすぎですね。

■村井弦斎の著者の黒岩比佐子さん(2004年7月2日)
「村井弦斎」の本の話を、CWSプライベートに書き込んだら、早速、黒岩さんがコメントしてくれました。
忙しさのなかでの早速の反応に驚きましたが、その直後に電話があって、突然やってきました。
そういえば、今は湯島の比較的近くにすんでいるのです。

黒岩さんのCWSプライベートへのコメントを一部引用します。

一応、文筆業と名乗っていながら、
「売れない」と言われる本ばかり書いていることに矛盾も感じながら、
売れなくても、自分が書くべきだと思うものを書いていけばいい、と突っ張る気持ちもあります。
新刊本が氾濫する昨今、3ヶ月で書店から消えて、あっという間に絶版、というわびしい話を聞くと、
この先、出版業界はどうなっていくのだろう、と思わずにはいられません。
厚い本を何日もかけて読むような人は、どんどん減っているようです。
そんな中で、こんなページ数の多い評伝を出版できたことは奇跡のようなものだ、と版元の人からも言われました。
この幸運をかみしめつつ、今後もこの自分に恥じないものを書いていきたい、と思っています。

書店に行くとどこも結構お客さんがいます。
しかし、書籍は売れていないようです。
不思議ですが、お客を集めながら売れないと言うことは、明らかに作り手の問題です。
最近の人は本を読まないという責任転嫁は当てはまらないように思います。
まあ、それはそれとして、
黒岩さんのように、真面目に取り組んでいる文筆業の人は大変なようです。

その大変ななかを、7月にはクロアチアに行くそうです。
その行動力には驚嘆します。
超多忙な生活にもかかわらず、元気そうでした。
やりたいことをやっている人は、みんな元気ですね。
最近、私に元気がないのは、やりたいことでないことをやっているからでしょうか。
いやはや、困ったものです。

「村井弦斎」の本の紹介はブックのコーナーにあります。

■Taller de JUN工房オープン(2004年7月2日)
娘の工房が完成し、近所の人たちにお披露目もかねて、お茶に来てもらいました。
残念ながら私は参加できませんでしたが、好評だったようです。
我が家の狭いに庭に建てたおもちゃのような工房です。
近くに来る機会があったらお立ち寄り下さい。

作品は少しずつ売れているようです。
出産祝いや結婚祝いにも好適です。
周りの人にもぜひお勧め下さい。
工房の写真はTaller de JUNのホームページに掲載されています。

私の友人がネットで購入してくれました。
お礼のメールを出したら、
「おまえもやはり親だなあ」と言われました。
親はいつになっても親でしかありません。


(2004年6月第4週)

いろいろな面でふんぎれた週でした。
来週からまたアクティブな生活スタイルに戻ります。
この2か月ちょっとウジウジしていました。

■市民ジャーナリズムへのリンク(2004年6月21日)
マスメディアの商業主義化への動きの一方で、市民メディアや個人メディアが広がりを見せています。
CWSプライベートで情報ガバナンスのことをちょっと書いたら、早速、坂谷さんから投稿がありました。

[今、必要なのは、金科玉条に「公正中立」をうたうマスメディアより、
最初から、視聴者に対して、こんな方針で情報を編集し、提供しているということを、表明し、
わかりやすく情報を整理して提供するというソーシャルキャピタルとしてのメディアかもしれません。
]

同感です。
そろそろ中立性を口実に匿名で私見を披瀝する情報メディアの虚構性から自由になっていい時期です。

ところで、このホームページは、出来るだけ多様なホームページとリゾーミックにリンクさせてもらっていますが、
CWSプライベートのリンクの申し出がありました。
渋谷のまちづくりに取り組んでいる手島幹雄さんからの申し出です。

現在地域メディアを現在のマスコミを超える水準にすることを目指して
渋谷WESTマガジンを公開しています。
http://www.shibuya-west.com/6magazine.html
渋谷WESTマガジンがリンクしているサイトは
マスコミの論調と全然違います。
政府批判はインターネットが主流になるのかもしりません。
新聞、テレビより面白いと思っています。
リンクさせてくれませんか。

もちろんリンク大歓迎ですので、リンクしてもらいました。
ここにリンクされているものを見ると、実に多彩です。
そして楽しんでいるのは、編集者としての手島さんです。
こういうメッセージのあり方や市民メディアの作り方があるわけです。
この発展形は無限ですね。
CWSコモンズのホームページは、リゾーミックなコモンズ型ホームページを目指してスタートしましたが、
そうした取り組みがもう簡単に実現できるようになっているのです。

情報環境はこの数年で、新しい局面に入りつつあります。これからが楽しみですね。
新聞が面白くなくなってきたのは当然ですね。
市民に評価能力がついてきたのですから。

■悠々自宅でア行生活者の安藤邦臣さん(2004年6月23日)
安藤さんは東レ時代の同期生で、いまは私と同じ我孫子の住民です。
昨年、東レを退社し、現在は「悠々自宅」(安藤さんの自称)の生活を楽しんでいます。
これまでは「カ行生活」だったので、これからは「ア行生活」でいくといっています。
「ア行生活」とは、彼の場合、「アート・囲碁・運動・園芸・お経と音楽」だそうです。
「カ行生活」は、「会社・企業・経営・・・」というわけです。

安藤さんは我孫子市の生涯学習プロジェクトの市民委員を引き受けたとのこと、その関係で意見交換をしました。
会社で活躍していた人が突然行政と一緒に何かをコラボレーションしようとすると、まずは戸惑うはずです。
安藤さんもどうもそのようです。
まあ、地域社会のためなどと思わずに、自分の思いを優先させて、楽しくしていくことが大切だとお話しました。
行政には、市民に何かをやってもらうことが、市民参加などという、ばかげた発想を早く捨ててもらいたいものです。

こうした企業卒業生がこれから増えていきます。
その人たちの生き方が、これからの日本の社会を大きく変えていく源泉になるのではないかと私は思っています。
高齢者会は世界を豊かにして行きます。
高齢者会を暗く描いている人たちの悪意を感じます。
高齢社会到来万々歳です

問題は、その人たちに魅力を感じさせる場をだれがつくるか。
それこそがこれからの行政やNPO、企業の課題かもしれません。
政党もまた、そうした人への関心をもっと持つべきでしょう。
コムケアセンターも、そうした人に活動の場を与えていきたいと思っているのですが、
なかなか実現できずにいます。

■駅前花壇の水やり(2004年6月23日)
女房が花かご会というグループをつくって、仲間と一緒に我孫子駅前の花壇の整備活動をしています。
我孫子の社会福祉協議会の広報紙に紹介された記事を、もし時間があれば読んでください。
4ページ目です。

花壇の整備は、思いのほか、手間がかかるものです。
それで今日は水やりを手伝うことにしました。
花壇の近くには水道の口があります。しかし、無断で使う人がいるので、最近は鍵が施されました。
ホースは盗難にあうので交番の後ろにおいてもらっているそうです。
道具類は近くの市役所の分所の物置にあるのですが、ここも最近盗難事故のために鍵がついてしまったそうです。

鍵、鍵、鍵。なさけない時代です。
社会から信頼関係がなくなると、無駄が多くなります。
そして、GNPが大きくなるのです。経済の発展は社会の退化、と最近の私は思っています。
難しく言えば、経済は誰のものか、です。
最近話題になりだしたソーシャルキャピタル論議は、こうした視点で議論すべきですが、まだそうした議論は出てきていません。
先日、三井物産戦略研究所の機関誌のソーシャルキャピタル特集で座談会がありました。
座談会よりも論文にしたいと提案したのですが、残念ながら駄目でした。
時間ができたら、どこかの雑誌に投稿しようと思っています。
いつになりますことやら、そのうちにきっと誰か書いてくれるでしょう。

それはともかく、真夏のような暑さの中の水やりは、何やら充実感があるのです。
汗をかくことの大切さを感じます。

花壇の近くに、タクシーの待ち場があります。
タクシーの運転手たちがこうした活動をやれば楽しいだろうに、と私は思ってしまいます。
あるいは、我孫子駅前の商店街の人たちはなぜ花壇整備の声をあげないのでしょうか。
水やりだけでもやったらいいのにといつも思います。
女房たちは働きかけているようですが、動かないらしいです。
自分たちの近くの環境整備に無関心な商店街って一体なんなのでしょうか。

そういえば、9月に山形市で商店街の集まりをやります。
この後にその記事も出てきます。そこの商店街の若者たちは全く違います。
我孫子商店街が元気が出ない理由がわかるような気がします。

我孫子市役所にもちょっと不満があります。
この花壇づくりに関して、私はアドプト制度の話を女房にしました。
花壇に「この花壇は・・・・と花かご会がお世話しています」と看板で明記したらいいと思っていました。
・・・・には花代などのスポンサーの名前を入れます。
市民活動支援センターの窓口の人も同じ意見で、市役所に提案してくれたそうですが、
結局は実現しませんでした。残念です。
アドプト制度の効用はとても大きいです。まあ設計次第ですが。

私は滅多に手伝いませんが、1回でも水をやると愛着が生まれます。
まちとのつながりは、そうやって育つのです。
市民参加などという目線の高い姿勢は捨てなければいけません。

■女房の検査結果(2004年6月23日)
女房が胃がん手術をして1年経過しました。
この1か月は、さまざまな検査が行われ、二人ともドキドキの1か月でした。
予定では先週の16日に判明するはずだったのですが、結果判明が1週間延びました。
先週はちょっとグレイだったのです。
従って先週は報告できませんでした。
辛い1週間でした。

今日、すべての結果がわかりました。
うれしいことに大丈夫でした。
今日は久しぶりに熟睡できます。
明日から、本格的に仕事と新しいプロジェクトに取り組みます。
どうなるかわからなかったので、すべてに腰が入らなかったのです。
だらしない話ですが、なかなか覚悟は出来ません。
ご心配のメールを送ってくださった方、ありがとうございました。
感謝感謝です。

■トロイ (2004年6月23日)
現金なもので、心配から解放されたら緊張感がほつれてしましました。
不謹慎ですが、映画に行きました。
映画にはかなり懲りているはずですが、懲りずに行きました。
「トロイ」です。
私も一応、パウサニアス・ジャパンの事務局長だったので、見ておかねばなりません。

しかし、やはり失望しました。
全く面白くありません。
私は最近の映画の流れにはどうも乗れそうもありません。
ストーリーが不在ですし、想像力が欠如しています。
それに殺し合いばかりです。
こんな映画がなぜ人気を博するのでしょうか。

ブラッド・ピットのアキレスとオーランド・ブルームのへクトルのやりとりが中心に描かれていますが、
なぜか、手塚治虫の「火の鳥ギリシア編」のアキレスとへクトルのイメージとぴったり重なりました。
アキレスは完全といっていいほど同じです。
パリスもヘレンも存在感はありません。筋は皆無。
CGも新規性を感じられず、全く退屈な映画です。
また酷評過ぎるでしょうか。

高校の頃観た「トロイのヘレン」は今でも印象に残っています。
ロッサノ・ポデスタ演ずるヘレンが魅力的でした。その魅力に惹かれて、シュリーマンを読みました。
ギリシアが好きになりました。
その印象のせいか、トロイ遺跡を訪ねた時には、ものすごく違和感がありました。
私にはもっと広く豊かなイメージだったのですが。
しかし、今回の映画を観ていたら、あまり違和感はなかったかもしれません。
この映画はイメージを広げさせない映画のような気がしました。

先週会った大学の同期生たちが、面白かったと2人も言うので、期待して行ったのですが、がっかりして帰ってきました。
最近は観て良かったと思う映画に出会えません。
最後に感動したのは、5年前くらいに観た「永遠と1日」です。
観た人はいるでしょうか。ギリシア映画です。
嗚咽が抑えられないくらい、涙が出ました。
銀座の映画館を出てからもしばらく涙がとまりませんでした。
一緒にいった女房は涙も出しませんでしたが。

■山形からのサクランボ(2004年6月23日)
山形の市役所の佐藤一大さんから、どっさりとサクランボが届きました。
一大さんは、共創プロジェクトの担当だったのですが、
共創発想に心から共感してくれた一人です。
苦労ばかりさせて、彼の役にはあまり立てなかったのですが、
最近は山形市に行ってもなかなか会う機会がありません。
今は高齢福祉課で仕事をしています。
女房へのとてもいいお祝いになりました。

実は私が、女房の「無事1年のお祝いのケーキ」を買ってこなかったので、
家族全員からあきれられていたのです。
とその時、まさにサクランボが届いたのです。
一大さんに感謝しなければいけません。
この1年、ほとんど会ってもいないのです。

サクランボはとても幸せになる果物です。
私は下戸で、お酒が飲めません。
タバコもだめです。つまり「嗜好品」はだめなのです。
ワインもチーズも、苦手です。
しかし、果物と野菜は大好きです。
果物や野菜が好きな理由の一つは、表情が豊かだからです。
サクランボの表情はとても豊かです。
どうしてあんなに優しい表情ができるのでしょうか。

昨年、一大さんからサクランボが届いた時に、我が家にサクランボの樹を植えました。
もう少ししたら実をつけだすでしょう。
楽しみです。
サクランボに、また一つ、うれしい意味が付け加わりました。

■科学技術倫理フォーラム総会(2004年6月24日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの総会に初めて参加しました。
やはりちょっと場違いかなと感じましたが、面白い議論に参加させてもらいました。
初めてだったので、ちょっと遠慮しましたが、もっと突っ込みたいテーマもありました。
メンバーはほとんどが技術士やエンジニアとお見受けしました。
私は、やはりちょっと場違いでした。
この頃、どこに行っても場違いだらけで、私がいかに社会から脱落しだしているかがわかります。

北海道大学の佐伯昇教授が、
技術者視点からの技術者倫理と哲学科倫理研究者視点からの技術者倫理の違いを話題にしてくれました。
そこから面白い議論が広がりました。
じっくり話したら、実に面白い議論になりそうです。
刺激的な会でした。

突っ込みたかったテーマを一つだけ紹介します。
倫理と和、もしくは葛藤の話です。
佐伯教授が、
倫理に従って問題を公表(内部告発)すべきか、組織の和を重視して自分の中にとどめておくべきか、
という問題があると発言しました。
この答は私には明確です。CWSプライベートに最近書いたところです

しかし、このテーマは面白いです。
和とは何かですが、問題は和を考える世界の広さです。
つまりソーシャルキャピタル論の「ボンディング」と「ブリッジング」につながる話です。
組織の和を大事にするか、もっと広い日本社会の和を大事にするか、さらには地球市民の世界の和を大事にするか。
世界が広がるにつれて、倫理の意味も変わっていきます。
そして、世界は人間を超えて、命あるものすべてにまで広がり、最後にはいのちまでをも超えていくでしょう。

つまりは、私たちがどういう世界に住んでいるかによって、和も倫理も変わっていくのです。
アメリカ大陸にわたったスペイン人やアングロサクソン人にとっては、
ネイティブを殺害することは倫理に反する行為ではなかったのです。
そこでの倫理や和は、アングロサクソンの内部の問題でした。
日本にもそうした時代がありました。
いや今もあるのかもしれませんが。

大切なことはみっずからの立脚点をどこに置くかです。
会社の和を大事にすることが、社会の和を壊し、
現在の和を大事にすることが、次の世代との和を壊すこともあるのです。

わくわくするほど面白い問題です。
しかし、こんなことを面白がっているのは私だけでしょうか。
ちょっと不安になってきたので、ここでやめます。

この科学技術倫理フォーラムは面白いNPOです。
年内にはホームページもできます。
沈黙の春プロジェクトも、ここを発表の場にしていくかもしれません。
関心のある人はご連絡下さい。

■山形市共創プロジェクトの再スタート(2004年6月25日)
山形市の共創プロジェクトをどう進めていくかの3回目の打ち合わせです。
継続していくことに決めました。
私のイメージとは全くといっていいほど違うのですが、
長年付き合ってきた山形市ですから、まあもう少しやってみます。
それに昨日、サクランボをもらいましたし。
もちろんサクランボは仕事とは無縁ですが、あまりにもタイミングがいいですので、何かの意味があるのでしょう。

今年は、市民活動支援の指針づくりがテーマになりました。
目的は指針ではなく、指針づくりを通して、共創の精神を広げていくことと、
市民活動のつながりを育てていくことだという共通の認識が合意されたので、安心しました。
山形県には山形創造NPO支援ネットワークという県主導でつくったNPO支援の仕組みがあります。
創設する直前に県を訪問し、事務局の人と話たことがありますが、
形式だけのものでしたから、たぶん育たないと思っていました。
案の定、いろいろ問題にぶつかっているようです。
それにしても、自治体はどうしてこうも無駄なお金ばかり使うのでしょうか。不思議です。
最初からこの結果はわかっていたはずです。
今でも、私に頼めば、1年で元気な仕組みにしてやるのですが。はい。

山形市で、できればコムケアネットワークのようなものもできないかと思っています。
そうした仕組みづくりを働きかけようと思っています。

■リサイクル商店街サミット山形大会(2004年6月25日)
9月15日〜16日、山形市でリサイクル商店街サミットが開催されます。
早稲田商店街から始まったサミットですが、
今年の山形大会は、ぜひ新機軸を出したいと関係者はがんばっています。
今まではちょっと横からの怠惰なアドバイザー役立ったのですが、
今日、コアメンバーと会い、総合プロデューサー的な役割を引き受けることにしました。
推進主体の中心は山形市七日町商店会の青年部会です。
そこに、山形市と山形県のメンバーや山形県中小企業団体中央会などが参加しています。
できれば国土交通省やNPOも巻き込みたいと思います。
以前やった全国先進事例会議の再現です。

行政と話し合うのとは違い、実践的なのがいいです。
行政には企画力と実行力がほとんどなくなっていますが、NPOや民間企業に学んでほしいものです。
このメンバーは若く、20代も2人もいます。
納得すれば彼らは自発的に動きます。組織人ではないからです。
組織人は動かされても動かないのです。チームワークはしにくいのです。

このサミットのテーマはサステイナブル・コミュニティ。
私の表現では、7代先に誇れるまちづくりです。
そのために、商店街はなにができるかがテーマです。
会の最後には具体的なアクションプランの発表もやりたいです。

そう言えば、とてもうれしいことがあります。
小倉北区のライブトークの事務局をやった高橋典子さんが職場を変えて、
今商店街活性化に取り組んでいますが、
彼女からこのサミットへの関心が寄せられました。
ぜひ彼女にも参加してほしいものです。
その意味でも、面白いものにしたいと思います。

みなさんも参加されませんか。
夜の交流会にも、さまざまなプログラムが用意できそうです。
まもなくこのイベントのホームページが開設されます。
またご案内します。

■コムケアの決意(2004年6月26日)
パブリックリソースセンターの北村さんから久しぶりに近況報告をもらいました。
私と同じように、会社を離脱し、NPOの分野も含めて新しい仕事の創出に取り組んでいましたが、
先が見えてきたようです。うれしいことです。
北村さんにはコムケア活動に参加してもらいたかったのですが、
すでにパブリックリソースセンターに参加していたために実現できず残念でした。

しかし、北村さんからのメールを読んで、私自身のこれまでのコムケア活動の取り組みを反省しました。
北村さんほどの生活をかけた意気込みが私にはなかったのです。
資金も企業に依存する発想になっていました。
いつの間にか、みずからもまた、悪しきNPO文化に侵されていたことに気づきました。

コムケア活動を新しい段階に進化させることを決意しました。

そう思い出していた時に、資金支援をお願いしていた企業から断りのメールが届きました。
それを当てにしてプログラムを企画していたのでショックでしたが、なぜかホッとした気持ちもあります。

やっとふん切れたのです。
人の財布を当てにしていた安直な発想を恥じなければいけません。

今年、コムケアを支援してくれるのは、住友生命と東レです。
他の2社を当てにしていたため、資金は半分近くになってしまいましたが、
むしろそれをプラスに転ずるように、発想を変えて取り組むことにしました。
それができなければ、私がいつも言っていることが嘘になります。

さて、また苦労が始まります。
悠々自宅奈生活は、また少し先になりそうです。

■たてしなファームからのトマト(2004年6月26日)
前に紹介した、たてしなファームから自慢のトマトが届きました。
最近は各地で野菜や果実に取り組む人が増えて、さまざまなものが届きます。
評価が難しいのですが、生産者の思いがいずれからも伝わってきます。

今回の新製品は、王様トマトです。
王様トマトは、おいしさや栄養価を高めた「赤塾もぎりトマト」の統一ブランドだそうです。
水耕栽培ではなく、土で育てたトマトです。
化学農薬や化学肥料は一切使用していないそうです。
樹で赤く熟してから採るトマトを赤塾トマトというそうです。
多くの商品トマトはそうではないということなのでしょうか。

蓼科ファームの農園主、安江高亮さんは、
本物のおいしさと健康のトマト。子どもが残さない、調味料に味負けしない安心安全の品質ではどこにも負けない
と自信を持って話しています。

直接生産に当たられた保坂農園長の言葉をたてしなファームのホームページから引用します。
「僕の味は普通のトマトを食べ慣れてる人には最初は判んないけど,すぐにやみつきになる。うまさは甘みだけじゃあないんだよ!」
「今,甘みだけが騒がれすぎだよ!」
「甘みを強くするには,肥料濃度を上げればいいが,そうすると虫がつきやすくなり,無農薬が難しくなるんさ。
そのぎりぎりのところで踏んばってるって訳さ!そこが,自然界と化学界の分岐点になるのかな」

詳しくは、たてしなファームのホームページをご覧下さい。
ほかにもイチゴジャムやアナスタシアピクルスなどの食品や竹酢液や木酢液なども通信販売しています。
美味しい食品や健康に感心のあるかた、ぜひ一度お試し下さい。



(2004年6月第3週)

■イラク派兵に関する憲法違反訴訟の傍聴(2004年6月14日)
各地で様々な人が、自衛隊のイラク派兵に関する憲法違反訴訟を起こす「毎日、毎日訴訟運動」が展開されています。
ぜひそのホームページを読んでください。
http://comcom.jca.apc.org/iken_tokyo/
このホームページでも案内した北沢洋子さんも訴訟を起こされた一人です
その第1回口頭弁論を傍聴に行きました。

裁判所に入るのは初めてでしたが、いろいろな発見がありました。
基本的に感じたのは、裁判所には人間が不在で、裁くお上と裁かれる名前のない人民がいるということでした。
したがって、逆に誰でもが裁判所には足跡を残すことなく入廷できます。
中央官庁の出入には要求される身分証明書の提示は不要です。

裁判所での冒頭のやりとりは、CWSプライベートのほうで報告しましたが
コミュニケーションを拒否してのお裁きを象徴する面白いやりとりがありました。
是非お読みください。

ちょっと失望したのは、主任弁護士が遅れてきたことです。
にもかかわらずお詫びの言葉がありませんでした。
これは意外でした。
私には、裁判官も弁護士も同じだなと感じました。いずれもお上です。
瑣末なことのように聞こえるでしょうが、私はこうした瑣末なことに、ことの本質を感じます。
つまり、この裁判運動には真実感がないのです。
裁判官と弁護士には緊張感も感じられませんでした。
映画で見ているアメリカの法廷とは大違いです。

しかし、念のためにいえば、これは北沢さんとは無縁の話です。
北沢さんは事前に提出していた訴状とは別に、その後の進展も含めて、問題点を指摘しました。
被告である国側の代表も裁判官も、一応聴いていましたが、儀式的でした。
傍聴席は満席でしたが、多くはこの運動を支援している人たちのようでした。
終了後、打ち合わせの声がかかっていました。
傍聴を通して運動に参加している人も少なくないはずです。
それはそれで意味がありますが、私には少し違和感があります。
資料もその人たちの中でまわされていたようで、私たちには渡してもらえませんでした。
少しひがみっぽいですが、それでは運動は広がりません。
平和の出発点は、境界を作らないことだと私は思っています。
閉じられた仲間活動が気になりました。
もちろん、半分くらいの方は、私たちと同じように、初めての参加かもしれません。

ブログのほうでは、裁判官を手厳しく非難しましたが、実際には裁判官は丁寧に柔軟にやさしく話していました。
私はむしろ好感をもったくらいです。
しかし、すべてが儀式的であり、茶番であることには違いはありません。
こういう活動に多額の報酬が支払われているのかと思ったら、急に税金をおさめたくなくなりました。
どこかで何かが間違っている気分でした。

次回は9月6日です。しかも15分くらいだそうです。
これが裁判?
どうしようもないですね。
裁判員にはなりたくありませんね。

感想を北沢さんにメールしました。
こんなメールが戻ってきました。

私は、このような問題を民事で地裁にしか訴えられない日本の司法制度ですので、最初はためらいましたが、
大勢が原告になって、弁護士に裁判をお任せするのでなくて、
1人が国家と向き合って、正義を争うのだと思い、原告訴訟をいたしました。
次の公判が9月6日午前10時15分になりましたが、
その前に国側の答弁書が出てくるはずですので、その内容をお知らせします。
木で鼻をくくったようなものがでてくるのではないかと思いますが、当日はこちらから質問するつもりです。
私はこの裁判は、どう考えて見ても、憲法違反ですので、
もしかしたら、福岡の靖国判決のような判決が出る可能性があると希望しております。
そうでなかったら、到底バカバカしくて続けられません。
自分も皆様にも時間をとることになるのですから。

北沢さんの気持ちはよくわかります。
私の友人の多くは、そんなことをしても意味がないと冷たいです。
しかし、意味がない、無駄だと思って、手をこまねいていたら、何も動きません。
北沢さんの行動に敬意を表します。
しかし、どこかで何かが違っているようにも思えてなりません。

これからも北沢さんの活動は応援していく予定です。
理屈ではなく、行動を起こした人は応援しなければいけません。
勝算などは私には関心がありません。
小賢しい計算は事を起こすためには邪魔になるだけです。
それが私の信条の一つです。

■大学同窓仲間との会食(2004年6月14日)
北沢さんの裁判を傍聴した夜、大学時代の仲間と会食をしました。
仲間の一人の大川真郎さんが大阪にうつるので、その歓送会です。
大川さんの職場は、昼間傍聴に来た東京地方裁判所の隣のビルです。
彼は日本弁護士連合会の事務総長だったのです。
そこで、司法改革に取り組み、裁判員制度を実現したのです。

私を入れて6人が集まりました。
不思議なもので集まると、それぞれの立場を超えて、世界がつながります。
今回感じたのですが、それぞれが勝手な思い込みで、学生時代を思い出しているようです。
その誤解がどんどん膨れてきているのを、毎回強く感じます。
それぞれの現在の生き方を見ながら、学生時代の記憶までが軌道修正されているようです。
これは面白い発見でした。

前回、環境問題の話がでたのですが、その関係で、大川さんから環境問題の著書を贈呈されました。
豊島の産廃事件の顛末紀です。中坊さんと一緒に、この事件を担った一人が大川さんです。
早速読みました。そして、一気に読み上げてしまいました。
ブックのコーナーで紹介します。是非読んでください。
弁護士嫌いの私も、かなり認識を変えました。

しかし、弁護士の実態をもっと社会に見せていくことが必要ですね。
日弁連という組織の活動にも少し興味をもちました。
大川さんのような人を事務総長にする組織には希望があります。

ちなみに、大川さんは、このホームページで紹介した坂和章平弁護士とも知り合いです。
社会的活動をしている弁護士は決して少なくありません。


■ECHO放送開局(2004年6月15日)
日本経営道協会の市川覚峯さんを訪問しました。
市川さんは特異な人物です。
それに関しては以前書きましたので、お読みください

市川さんの年来の夢だった、経営道伝道のための放送局が開局されました。
ブロードバンド回線を活動した動画放送です。
ECHO放送といいます。ECHOは廻向でもあります。
会員制の放送ですが、これまでの市川さんの活動の記録も編集されて流れています。
毎月、市川さんの講和も流れます。
ブロードバンド放送ですが、画質はとてもいいです。

市川さんは日本で初めて、経営道を本格的に主唱し広げてきた人です。
KAE経営道フォーラムも、市川さんが始めたものです。
彼は、企業経営の世界にも、また仏教界にも広いネットワークを持っています

何よりも、市川さん自身、1200日にわたる修行を重ねてきましたし、
今も毎年山籠もりをし、行を欠かしません。
経営者と一緒に、少し短い行体験を指導されることもあります。
私は1200日の行の節目に比叡山、高野山、吉野に市川さんで彼の行を見せてもらいました。
並の人には出来ないことです。

ECHO放送はこれから本格的に動き出すようです。
個人の場合、毎月1000円の会費で、番組を見ることが出来るそうです。
これからの企業経営幹部の方々にはお勧めです。
関心のある方はECHO放送のホームページを見てください。

もっとも私は、経営と仏教をつなぐことのできる市川さんにはもっと違うことに取り組んでほしいと思っています。
ぜひとも大きな風を起こしてほしいと思っています。

■オゾン戦争(2004年6月17日)
先週、沈黙の春に関連して、私の以前書いた小論を紹介しましたが、一編だけ見つからないものがありました。
それがオゾン戦争です。
見つかったので、掲載します。
これは私が書いたのではなく、取材で話したことをライターの方がまとめてくれたものなので、私の好みの文体ではありません。
ちょっと気になるところもありますが、読んで