2002年活動記録
(2002年12月第4週)
今年最後の週です。今年は年末の気分がでないまま年末を迎えてしまいました。
■ ローマ人の物語11
塩野七生さんの「ローマ人の物語」の11巻が年末になってやっと出ました。
早速、読みました。
今回は哲人皇帝といわれる、マルクス・アウレリウスが中心です。
読んでいて腹立たしくなりました。
塩野さんにではありません。マルクス・アウレリウスに、です。
塩野さんは控え目に批判的ですが、この本による限り、この皇帝は賢帝どころか悪帝ですね。
現場からの距離が、私の最近の善悪の基準なのです。
現場を知らないリーダー、知ろうとしないリーダーには憤りを感じます。
ご存知の通り、この本は塩野さんが毎年1巻ずつ15年かかって、完成することになっています。
長いので読むのがめんどうですが、走り読みで毎年読んでいます。
実に面白いです。
読んだ後に、類似のテーマを扱った本を読むと、視点の違いがわかって、さらに面白いです。
塩野さんの意地の悪さも時に感じますが。
今回は、マルクス・アウレリウス帝の死にまつわる2本の映画がかなり詳しく取り上げられています。
ついでに、その2本の映画も見直してしまいました。
「ローマ帝国の滅亡」と「グラディエーター」です。
2作とも期待を持って観たのに退屈だった映画です。
塩野さんのおかげで、今度は少し面白く観ることができました。
知識の大切さを改めて感じました。
学校は、世界の面白さに気づかせる知識をもっと子どもたちに提供していくべきだと思いました。
学力低下など瑣末な話です。
■ 松下幸之助の直弟子
久しぶりにPHP研究所にいた前岡宏和さんから本が送られてきました。
前岡さんは幸之助さんの面接を受けてPHP研究所に入った第1号の研究員です。
ずっと幸之助研究にとり組まれ、その真髄を学ばれてきました。
最近の企業経営のあり方を憂い、「松下幸之助の名言に見る経営のコツ」を自費出版されたのです。
ご関心のある方はブックのコーナーをご覧下さい。
■ 「山谷」ふるさとまちづくりの会の大崎元さん(2002年12月26日)
東京の山谷でホームレスの人たちを支援する活動に取り組んでいる大崎さんが来てくれました。
大崎さんは建築工房匠屋に拠点を置いて活動している建築家です。
都市計画にもいろいろ関わっていらっしゃいます。
山谷との付き合いは4年くらいだそうです。
お話をお聞きして、私の山谷のイメージとは大きく違っていました。
やはり現場に行かずに、頭で考えることは危険です。
印象的だった話をふたつだけご紹介します。
まず山谷は犯罪が少ない町だそうです。
その理由は、ホームレスの人たちの目が四六時中あるためではないかということです。
街から人の目がなくなっていく中で、これはとても示唆に富んでいます。
もうひとつは、ホームレスと住宅居住者とは、隣接しながらも、それぞれがそれぞれを見ないような関係があるそうです。
人間の目は、見たくないものを見えなくするという特質があります。
その構造が実際に実現しているようです。
これもまた、示唆に富んでいます。
私は最近、自分の住んでいる町を見ていなかったことを反省しています。
いや、いまもたぶんそうだと思います。
それがまさに見える形で山谷にはあるようです。
これからのまちづくりのヒントが山谷には充満しているようです。
大崎さんは東京理科大学の大月さんとも交流があるそうです。
大月さんは東南アジアのスラムの研究にも取り組んでいます。
スラムこそ、まちづくりの原点だと大月さんは言います。
たしかにそうかもしれません。
そうした視点がどうも忘れられているのかもしれません。
まちは創るものではなく、育つものかもしれません。
大崎さんは米国のCDC(コミュニティ・デベロプメント・カンパニー)に関心をお持ちです。
NPOが中心になって、空洞化し荒廃した市街地を再開発していく動きです。
日本でもTMO(まちづくり会社)がありますが、これは言ってみれば行政主導ですからほとんど成功事例はありません。
現場の住民を主役にしたCDCは、出発点が違います。
山谷では、すでにCDC的展開が進んでいるようです。
そうしたことも含めて、来年には大崎さんに山谷のまちづくりのお話をお聞きする機会をつくりたいと思っています。
大崎さん、よろしくお願いします。
■
ソーシャルベンチャーの井上英之さん(2002年12月26日)
井上さんは、今年、コムケアの資金助成プログラムに応募してくれた、若き社会起業家です。
最終選考会で支援先に選ばれたソーシャル・ベンチャー・パートナーズ東京ベイの代表です。
井上さんは、コムケアの理念に共感してくれて応募してくれました。うれしいことです。
選考会のリハーサルで、彼の姿勢と人柄が伝わってきました。
一度ゆっくりと話したいと思っていたのですが、やっと会えました。
最近の若者のパワーには圧倒されます。
面白い話を聞きました。
米国では、コミュニティ活動に汗や資金を身の丈に合わせて出すgiving circleというのがあるのだそうです。
以前、聞いた事があるような気がします。
私が理想とする仕組みです。日本にもあったはずなのですが。
井上さんとの話し合いは刺激的でした。地殻変動は確実に進んでいますね。
■ 年賀状のこと
今年から年賀状をメールにすることにしました。
そしてこのホームページにも元日から1週間、トップに掲載することにします。
今年は年賀状が届きません。
メールでの年賀状は無機的だという人もいますし、私もこれまでは実際には送られてきても見ませんでした。
しかし、この1年、このホームページ活動を通じて意識が変わりました。
メールは極めて人間的なメディアなのかもしれません。
■ 年末の謝辞
今年の私の週間記録もこれが最後です。
かなりの分量になりました。
ホームページを充実させるつもりが、結局は日記を書き込んだだけになってしまったような気もします。
私の生活や考えをかなり赤裸々に出したつもりです。
お付き合いくださり、感謝します。
この年末で、このホームページの構造を少し変える予定です。
新しいホームページ(デザインやスタイルを変えるつもりは全くないため、まあ、あまり変わり映えはしませんが)でまたお会いしたいです。
ではよいお年を。
(2002年12月第3週)
■日本構想学会年次大会(2002年12月14日〜15日)
日本構想学会は、これまでの学会とは違います。
新しい公共空間を目指した試みです。まさにこのホームページと目指す方向は同じです。
主宰者は半田智久さんです。
半田さんと私とは、価値観において正反対のところと全く同じところを奇妙に共有しています。
半田さんと話していると、コミュニケーションの断絶を感ずることが多いのですが、その底でつながりも感じるのです。
半田さんは構想学会を「響創の公共空間」にしたいと考えています。
私は「響創」というような着飾った言葉が嫌いなのですが、私が以前から使っていた「共創」と、なぜか発音は同じです。
人との付き合い方も、私とは全く違うようで同じなのです。
説明できませんが、そう思います。
まあ、そんなことはともかく、2日間にわたる日本構想学会の大会に参加しました。
1日目はフルに、2日目は用事とトラブルで、少しだけでしたが。
私はご案内していた通り、初日の夜、ラウンドテーブルセッションを主宰しました。
テーマは「コモンズ社会に向けての新無尽講構想」です。
話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)の4人の友人に参加してもらいました。
内容の報告は学会のホームページでご覧下さい。ここでは極めて主観的な感想を書きます。
長くなったので、項目だけを書きます。内容は次をクリックしてください。
→構想学会大会2002で気づいた事
○新しい学びの場への構想
新しい学びの場の構想が二つ発表されました。
○構想日本のラウンドテーブル
構想日本は官の立場でしたが、田中康夫さんは民の立場でした。
○コモンズ社会に向けての新無尽講構想
私が主催したラウンドテーブルではマネーと寄付が話題になりました。
○NPOの位置づけ
NPOを行政や企業の下部システムと捉えている目線の高さが気になりました。
○北関東統合医療研究会報告からの思い付き
医療制度のパラダイムシフトの3つの方向を素人なりに考えて見ました。
○学び合いの大切さ
学び合う事の難しさを痛感しました。私も反省です。
○質問の仕方の大切さ
教育で一番大切なのは、質問の仕方を学ばせることだなと思いました。
■「保険詐欺の手口」
これは本の題名です。保険コンサルタントの一花正章さんが最近出版した本です.
文芸社から出ています。1000円です。安くて面白いです。
その一花さんは、成年後見制度に造詣が深く、その関係のNPOを立ちあげ中です。
国際福祉環境推進機構と言うNPOの常務理事でもあります。
一花さんを紹介して下さったのは奥村桂一さんです。
奥村さんも、そのNPOをやっています。
今日はお二人でオフィスに来て下さいました。
奥村さんとは10年ぶりくらいです。
私が東レで企業変革に取り組んでいた時、奥村さんは旭硝子でやはり企業変革に取り組まれていました。
その頃、いろいろと情報交換をさせていただいていました。
奥村さんは、いま様々な社会活動に関わられているようです。
本当は、成年後見制度の話をお聞きしたかったのですが、冒頭の本を一花さんが下さったので、すっかり保険の話になってしまいました。
私は保険にとても関心があります。
保険制度そのものが大きく変わるべき時期に来ているのに、保険会社は何も動いていないように思っています。
不思議でなりません。
私に3億円研究費をくれたら、全く新しい保険を開発してやりますが、残念ながらどこからも頼みにこないのです。
構想学会で14日に無尽講の話をしましたが、これはまさに保険です。
法定通貨だけではもう保険は成立しないと思っています。
大切なのはもっと大きな仕組みです。
コムケア活動は、住友生命から資金を出してもらっています。
その恩に報いるために、新しい保険の開発のための示唆を得られないかと思っています。
まあ、住友生命にはありがた迷惑な話かもしれませんが、借りは返さないとすっきりしませんので。
■美野里町の都市計画マスタープラン(2002年12月17日)
またまた美野里町です。都市計画マスタープランもそろそろ中間集約の時期になってきました。
これからの進め方をみんなで議論しました。
私はこれからの都市計画マスタープランの一つの方向性を「美の基準」に象徴される真鶴のまちづくり条例においています。
真鶴でこれが本当に実効をあげているのかどうかには疑問もありますが、問題を一歩進めた意味で、高く評価しています。
批判は誰にでもできますが、新しい動きを実現することは本当に大変なことですから。
美野里町は、しかし、これを超えなければなりません。いやはや大変です。
それに関する湯島会議や事務局会議、起草委員会などを今週は何回か開催しました。
少しずつ先が見えてきましたが、まだ確信は持てません。
計画の起草は意欲的な若手職員が中心になって行います。
まちづくり会議の8部会で出た意見をできるだけ拾いながら、それを積み上げ整理していく方法です。
それで本当にビジョンや方針が構築できるのか、みんな不安を持ちながらの取組みです。
ふつうは外部のコンサルタントは、当事者に不安を極力与えないのでしょうが、私たちはむしろ不安を与えてばかりいます。
私たちも不安を持って悩みながらの進行です。
これから3月まで、素案づくりに入っていきます。
ぜひとも美野里町モデルと言われるようなものを見つけていきたいと思っています。
■ 世田谷一家殺人事件
世田谷の宮澤さん一家の事件は未解決のまま3年目に入ろうとしています。とても残念です。遺族が関連情報に謝礼金を提供する事にしたと言う記事を新聞で見ました。
これに関連して、最近、気になっていることをメッセージに書きました。読んでもらえると嬉しいです。
■ 生命保険文化センターの高野逸子さん(2002年12月17日)
日中の我孫子駅でぱったりと高野さんに会いました。
場所が場所だけに、地元の人だと言う先入観から高野さんであることをすぐには思い出せませんでした。
人は環境によって発想を自己制約することがよくわかります。
高野さんとは多分10年ぶりくらいです。
高野さんのおかげで、昔、生命保険文化センターの機関誌に何回か原稿をかきました。
その一つはかなり気に入っていますので、掲載します。
「消費者の選択から生活者の選択へ」という話です。
当時はCS(顧客満足)ブームでしたが、その動きに私は違和感を持っていました。
お時間があればお読み下さい。
■ パウサニアス・ジャパンの金田英一さん(2002年12月18日)
金田さんは、プレジデント社時代に日本にコーポレート・コミュニケーション概念を導入した草分けの一人です。
会社を辞めた後は環境問題に関心を深め、その分野での活動もされています。
今も様々なものに関心を持たれ、ご多用の毎日です。
地方紙にもネットワークをお持ちです。
なかなかお会いできませんが、今日は運良く二人の都合があって久しぶりにお会いしました。
会社を辞められたシニアの方々が、せっかくそれまで培われたネットワークやノウハウを、組織を離れたために活かしきれていない事は少なくありません。
社会にとっては、とてももったいない気がします。
社会の新陳代謝の視点からは、それがいいことかもしれませんが、自分が歳とってくると、もったいないという意識が高まってきます。
米国ではシニア起業家が多いと聞いていますが、日本ではシニアのエネルギーはNPOに向かうのかもしれません。
そういう視点で社会の仕組みや制度を構築していくと、きっと元気な社会が実現するでしょう。
「景気対策は経済政策」の時代を終わっているのかもしれません。
少なくとも、エコノミストの時代は終わっているように思います。
■ 山形市共創塾(2002年12月20日)
今年最後の山形出張です。寒かったです。
山形市の共創プロジェクトをどうするかの議論をしてきました。
このプロジェクトは私にとってはとても愛着のあるプロジェクトですが、この数年、納得できる形にはなっていません。
私の責任がかなりあるのですが、私は相手が主役のコンサルタントですから、相手が動かないと何もしないのです。
こんなコンサルタントに仕事を頼むと苦労しますね。
しかし、何もしない苦労というのもあるのです。まあ、勝手な論理ですが。
来年は行政評価の問題に少し取り組もうかと話し合いました。
と言っても、最近ブームのように広がっている行政評価ではありません。
あれは全く価値のないものだと、私は思っています。
時代の変わり目で求められるべきは、手法ではなく価値だからです。
それに「評価」ということばが管理発想であるところが問題だと思っています。
新しい取り組み方を見つけられればと思います。
その後、共創塾にも参加しました。
5つのチームで、具体的な仕組みづくりが検討されています。
いずれも極めて実践的なものです。
■朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」(2002年12月21日)
ばばこういちさんの制作するテレビ番組に久しぶりに出演しました。
テーマは「ユニバーサルデザインと地域活性化」です。生番組ですから、気が楽です。
前半は早稲田商店会の「震災疎開パッケージ」、後半はユニバーサルデザイン教育がテーマでした。
震災疎開パッケージは、年間会費5000円で加入すると、万一災害が発生したら、商店会が連携している全国各地に会の費用負担で一時避難できるシステムです。災害がなければ各地の特産品が送られて来るそうです。実にいい仕組みです。私の考えているコムケア無尽講にもつながります。ご関心のある方は早稲田商店会にアクセスして下さい。
ちなみに、早稲田商店会はエコステーションで話題になりましたが、山形市の七日町商店街の宮崎亙さんたちも、そこから学んで、新しい風を起こしだしています。早稲田商店会の強さは、自分たちが楽しんでいることですね。
ユニバーサルデザインは実にいい内容でした。時々書いていますが、私自身は最近のユニバーサルデザインブームには批判的です。ロン・メイスのUD7原則も退屈です。でも今回は違いました。
番組のレギュラーキャスターの中川聰さんが江東区の第三大島小学校で行ったUD授業の紹介とそれを材料にしたUD論議でした。その授業では、利き手を使わずにカップラーメンを作ることとお菓子の袋を破ることを子どもにやってもらったそうです。その体験から、子どもたちはユニバーサルデザインの本質に気づいていくという企画です。子どもたちが実に楽しそうだったのが印象的でした。この授業を受けた子どもたちは、学ぶ事の楽しさにきっと気づいたことでしょう。それこそが学びです。学校はもっともっと楽しい場であるはずです。授業を企画した浅野努先生も参加されましたが、とてもいい授業をされているようで、とてもうらやましかったです。
ばばさんとは長いお付き合いです。
東レ時代からです。
リンカーンクラブでもご一緒でした。
湯島のオフィスでの集まりには、現在の広島市長の秋葉さんも参加されました。
残念ながら、リンカーンクラブは意見の相違から、それぞれがばらばらになってしまいましたが。
朝日ニュースターでは、私も3か月、キャスターをやったことがあります。
会社を辞めた頃のことです。
会社のトップとのインタビュー番組です。
その時、お会いした経営者では、松下電器の山下俊彦さんとイナックスの伊奈輝三さんが印象的でした。
帰ってきてパソコンを開いたら、「社会教育」編集長の近藤さんから、テレビを見たよ、というメールが入っていました。
そういう時代なのですね。
(2002年12月第2週)
東京は雪でした。全国的に今年は雪が早いですが、年末に雪景色を見たのは久しぶりでした。雪が積もると、風景が一変します。そうした風景に合わせた生活を意識しなくなってから、だいぶたちます。
来年の3月で、私が人生を変えてから(会社を離脱してから)15年が経過します。その時に、友人知人に出した手紙に、「社会に溶融するような生き方」をしたいと書きました。なかなそうはなりませんでしたが、その意識は持ちつづけています。
この雪で、少しまたライフスタイルを変える気分になりました。自然に従う生き方です。どうなりますことやら。
先週のメッセージ風な記録には、フォーラムのコーナーに増山さんから投稿をもらいました。ぜひお読み下さい。議論への参加も歓迎です。
今週はまた記録風に戻しましたが、直接の出会い以外のことも書きました。ちょっと長いです。
■KAEエグゼクティブフォーラムのメンバーとのミーティング(2002年12月9日)
経営道エグゼクティブフォーラムについては以前紹介しましたが(2002年9月10日)、そこで「個人と組織の関係」のテーマに取り組んでいるチームの、3人がやってきました。事務局の堀越さんも一緒です。
3人とは、アサヒ飲料の杉中宏樹さん、日立ビルシステムの和田富男さん、そして富士ゼロックスの姫野直美さん。時代が変わる中で、これからの社員、そして社員と会社の関係はどうあるべきかが、皆さんの関心事です。3時間を越える意見交換をしました。
チームでは、議論のキーワードとして、「自立」と「自律」の違いや意義をかなり議論してきたようです。結論は「自律型社員」がいま求められている、しかしこれからはどうなのか、ということのようです。
私は「自律」にはほとんど価値を置いていない人間ですので(自立者にとっては当然のことですし、自律は目的概念ではないと考えているからです)、なかなか議論は難しかったのですが、久しぶりに刺激的な議論を楽しませてもらいました。
私の視点は、つねに「自分の問題と重ねて考える」ということです。社員と会社の関係を抽象的に考えるほど虚しいことはありません。それは個人個人によって違うからです。むしろそうした個人個人の様々な事情や都合を集めていくと、問題や方向が見えてくるはずです。今回もそういう視点で話していたら、それぞれから生身の人間の話が少しずつ出てきました。それがとても面白かったです。
このチームの成果発表は5月に予定されています。また案内をしますが、きっと面白い成果が出てくるはずです。ご関心のある方はご一報ください。
■自然浴七福神
KAEエグゼクティブフォーラムのシニア版に、経営道フォーラムがあります。私は、そこのアドバイザーなのです。エグゼクティブフォーラムでは、最初に問題提起の話をするだけなのです。
さて、その経営道フォーラムですが、そこの27期生が終了後3年もたつのに、積極的な活動を継続しています。そして毎年、活動報告書を発行しています。なんと150ページもある報告書です。すごいエネルギーです。いつぞやは日本の企業人は元気がないという話を紹介しましたが、元気な企業人もいるのです。
事務局はキャノンの小野田繁義さんですね、きっと。こういう人がいないと、こうした活動はなかなか続きません。小野田さん、ご苦労様です。
私からのEメールも少し載っていました。いつも報告書が送られてきてから、もう少しちゃんとしたメールを出しておけばよかったと思うのですが、ついつい忘れてしまいます。
こうした活動が続いていくことはとてもうれしいですね。メンバーも少しずつ増えているようです。みなさん、また湯島に遊びに来て下さい。
■インキュベーションハウスの総寄り合い(2002年12月9日)
新しい働きの場を目指して、志高く、しかしかなりアバウトにスタートした、インキュベーションハウスは、ライブレポートを書き込むといいながら、その後、あんまり報告していません。それもそのはず、あまり動いていないのです。まあ、新しい事はそう簡単には進まないのです。はい。
しかし、年度末になりました。メンバーの一人である税理士の外崎さんに相談に言ったら、手厳しく怒られました。みんな本当にやる気があるのか、それがないなら解散すべきだ、というのです。折角最近は私の会社では怒られなくなったのに、また怒られてしまいました。だから税理士は嫌いです。外崎さんはとてもいい人なんですが。
しかし、外崎さんの指摘は全く完全に正しいのです。そこで総寄り合いを開催しました。雪にも関わらず8人が参加しました。私は休みたかったのですが。
今年のこの会社の売上は、なんと23万円で、利益は2万円です。これでは外崎さんが怒るのも当然です。本当に存続させるのかどうかを議論しました。結論は存続で、来年はみんなで仕事をともかく探してくることになりました。当面は理念よりも利益です。何だか私がいつも嫌っている会社のやり方みたいですね。しかし、まあ緊急避難的にやむを得ないのです。あれ、これもよく言われる言い訳ですね。いやはや。
しかし、そこはメンバーの良識を信じましょう。絶対に利益目的だけにはならないでしょう。いや、そうならないためにも仕事を見つけなければなりません。
みなさん、何か仕事はないですか。インキュベーションハウスのメンバーは様々な専門家集団ですので、核兵器の開発と宇宙旅行以外はたぶん何でもできます。銀行強盗や仕置き人請負はちょっと辞退しますが、まあ通常の仕事なら何でも来いです。ホームページの作成、商品開発、宣伝広告、イベント、ピンバッジの作成、CI、調査分析、引越しの手伝い、自分史の本作り、風邪の治療、環境経営支援、体験学習、まち起こし、なんでも大丈夫です。ぜひご相談ください。必ずご満足できる結果を提供します。
■ 北九州市のまちづくりチームが訪ねてきてくれました(2002年12月10日)
北九州市小倉北区役所のまちづくり推進課の3人が訪ねてきてくれました。課長は、以前、このコーナーでもご紹介した川口正信さんです(2002年9月10日)。川口さんはいつも刺激的なプロジェクトに取り組んでいます。今回は、同じ職場の若手の森本康成さんと高橋典子さんがご一緒でした。市民フォーラムを来年開催したいという事で、その相談です。
まちづくりはもう疲れたなとちょっと思い出していたのですが、北九州市には借りがあるのです。5年ほど前に山形市で「全国まちづくり先進事例会議」をやったのですが、その時に北九州市の人がわざわざ山形市まで来てくださったのです。借りは返さないとすっきりしません。
今日、山形市の先進事例会議の事務局だった高倉さんに電話したら、一昨日の集まりで、その時のメンバーと先進事例会議の話が出たそうなのです。このコーナーで何回も書いていますが、縁は不思議なもので、こうした偶然が本当によく起こります。
3人の関心は、どうしたら住民たちの自発的な活動を継続発展させられるかです。一時は盛り上がるが、なかなか持続できず、主体的な展開になりにくいというのです。まさにこの事がこれまでのまちづくりの問題でした。
川口さんは、都市計画と各地区の住民主役のまちづくりをつなげたいとも考えています。これはまさに私たちが美野里町で取り組んでいることです。
もう一つ、共感できる話がありました。まちづくりにとって、祭りと掃除が大切だと思うと川口さんは言うのです。最近、祭りの話がよく出ます。まちづくりと祭りのシンポジウムをやったら面白そうですね。
掃除も面白いテーマです。各地のまちづくりの集まりにいくと、日本を美しくする会のメンバーに時々会います。鍵山秀三郎さんを中心とした活動です。私も一度、実践の場の山内さんや創志塾の三浦さんたちのおかげで、鍵山さんと一緒に箱根湯本の公衆便所の掃除を経験させてもらいました。鍵山さんのお人柄にも触れて、実に多くの事を学ばせてもらいましたが、掃除はたしかにまちづくりの重要な要素です。
これを契機に、少し北九州市のまちづくり活動を学ばせてもらう気になりました。引き続き各地のまちづくりに関わるとなるとちょっと気は重いのですが。
■マリア様気分(2002年12月12日)
アーユルヴェーダの佐藤真紀子さんのことは以前ご紹介しました(2002年11月15日)。
女房が喘息だと知って、いろいろアドバイスをしてくれました。そのひとつが乳香(フランキンセンス)です。樹液の一種です。皆さん、ご存知ですか。もちろん私は知る由もなく、手元のデューク版「グリーンファーマシー」で調べました。
ところで、「グリーンファーマシー」はご存知ですか。薬用植物のエンサイクロペディアです。米国ではベストセラーだそうです。私の知人が翻訳しました。家庭の常備書としていかがですか。この本は高価なので売れないのです。本の紹介はブックのコーナーにありますが、私はこういう本の日本版をつくりたいなと思っています。
話がそれました。乳香の話です。残念ながら出ていませんでした(食用が中心だったからです)。そこで、世界宗教大事典やイメージシンボル事典などで調べたらいろいろのことがわかりました。非常に古くからの知恵なのです。真知子さんの解説によれば、「乳香は聖母マリアがキリストを産んだ時に東方の3博士が持参した宝物のひとつ」で、「神経をやわらげる効果」があるとのことです。
真紀子さんが、ぜひ「マリア様の気分をお試し下さい」と乳香を送ってきてくれました。さっそく、女房が焚いてみました。聖母マリアよりもインドを想起させる香でした。事典によれば、サンチャゴのコンポステラの聖ヤコブ大聖堂でも年に1回、大きな吊り香炉で焚かれるとのことです。そう言えば、最近は、サンチャゴ巡礼のことを書いていませんが、黛まどかさんの映画構想は順調に進んでいるそうです。
話が飛び飛びですね。私が興味を持ったのは、乳香がインドやペルシアはもちろん、エジプトやメソポタミアにもつながっていることです。そして、その産地がアラビア地方だということです。興味を持ちませんか?
■ 青豆を最近食べていない丸山冨美さん(2002年12月12日)
あの「青豆食べて元気一杯」の知恵モノの丸山冨美さんがやってきました。この頃、きっと、青豆をたべていないのでしょうか。いつになく、悩んでいました。もっとも元気は全く同じでしたが。悩むことは若者の特権です。いいことです。
先週も書きましたが、彼女はこの数年、実に素晴らしい「まち育ち」支援の体験をしています。その体験をぜひ大きな知恵に育てていって欲しいと思っています。
彼女は長年、自然体験学習やワークキャンプなどに取り組んでいます。この3月までは福島県伊南村の臨時職員として、とても大きな実績をあげてきました。最近は「食」にも関心を深めています。もう少し時間はかかるかもしれませんが、きっとそのうちに爆発するでしょう。楽しみです。
■ 黒岩比佐子さんと村井弦斎(2002年12月13日)
「音のない記憶」の著者の黒岩さんは、いま、実に多忙な生活をすごしています。五木寛之さんの著作活動の編集に関わられたり(最近の本のあとがきなどにお名前が出てきます)、ご自身の関心事のテーマについて調べられたりしています。今日も資料探しで、神田神保町の古書店に来たついでに湯島に立ち寄ってくれました。
以前お話した村井弦斎の著作『Hana』の英訳本は、ネットで見つけて、米国から購入したそうです。インターネットの威力はすごく、まさに取引コスト革命を起こしています。この意味はもっと認識されてもいいでしょう。
その本をわざわざ持参してくれました。存在感がありますね。版画(多色刷も含まれています)が実にきれいでした。こうした存在感のある本が最近はなくなりましたが、改めてこうした本を見ていると、これからの本づくりの一つの方向性を感じます。
■ 宮城大学の半田研究室の来訪(2002年12月13日)
明日から構想学会の大会ですが、そのために上京している半田研究室のメンバーがやってきました。1時間くらいと言っていたのに、激論になってしまいました。半田さんは、学生たちを色々なところに連れていって、激論させているのです。感服の至りです。
私もついついそれに乗ってしまい、気がついたら8時を過ぎていました。
来訪者は半田さんはもちろんですが、大村哲さん、荒川創さん、加藤裕也さん、猪岡武蔵さんの5人です。荒川さんは以前紹介しましたが、食にこだわったNPOを立ちあげていますが、その近況を聞きました。そのあたりまでは私のペースだったのですが、次第に彼らペースになり、NPOと企業の違いとか、寄付と税制とか、色々な議論に発展しました。疲れてしまい、何を議論したか思い出せませんが、こうした議論をどんどんできる場を作ることは教師のとても重要な課題だなと改めて思いました。
しかし今週は、実に議論をする機会が多かったです。明日もまた学会での議論があります。
■ 政治サロン(2002年12月13日)
実は13日は、「拉致問題から国家を語る」をテーマにした政治サロンでした。テーマのせいか、日程のせいか、なんと集まったのは私と代表の木村さんだけです。たまたまそこに前項の宮城大学チームがいたので、その流れに木村さんも巻き込まれてしまいました。木村さん、すみません。
半田チームが帰った後、木村さんと二人でこれからのわくわく政治談議の進め方を議論しました。木村さんは来年の目黒区の区議選に立候補する予定です。そこで、思い切って暫くは、この政治サロンも目黒区のどこかで地域に開かれた形でやったらどうかと提案しました。
木村さんは、志も生きざまも、見識もしっかりしています。しかも、目線が生活レベルです。こうした人が政治の世界で増えていけば、日本にもきっと政治が育つでしょう。今の国政も地方政治も、ほとんどがアマチュアリズムのように思います。 木村さんを応援したいと思っています。目黒区に知り合いのいる方はぜひご紹介下さい。また、政治を私たち生活者の手に取り戻したい方がいたら、ぜひ応援して下さい。
■ 日本構想学会年度大会(2002年12月14日)
日本構想学会の大会が始まりました。私はご案内していた通り、初日の夜、ラウンドテーブルセッションを主宰しました。テーマは「コモンズ社会に向けての新無尽講構想」です。話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)に参加してもらいました。
大会は日曜日もありますので、来週、あわせて報告します。報告したい事が山ほどありますが、大きな気づきもありました。かなり感情的な気づきではありますが。
では来週。
(2002年12月第1週)
今週はちょっと趣向を変えて、メッセージ風に書きました。先週のサロンで、世の中には悪い人などいないといって、みんなに批判されました。そんなこともあって、今週はちょっと私の思いを出来事に重ねて書いてしまいました。ぜひご意見を投稿して下さい。
メールではなく、投稿が私にはうれしいです。はい。
■
大企業に経営者はいるのか/OBM研究会(2002年12月3日)
急成長しているベンチャー企業のリンクワンの社長の河原庸仁(9月19日参照)から同社の経営理念と経営実態をお話いただき、みんなで議論しました。今回は新たに、大阪から田口さんが、福島から原木さんが参加してくれました。今回は韓国から佐々木さんも参加して下さいましたので、すごい広がりです。しかも、シリエズ(10月9日参照)の編集者の松井さんも取材を兼ねて参加してくれました。OBM革命で日本の企業も社会もいとも簡単に変革すると確信している私としてはうれしいことです。
リンクワンの経営にはますます興味を感じます。かつてODSという会社に興味を持っていました。その会社は、社員それぞれの幸せの総和を最大化するというのが理念でした。そして当初は見事にそれを推進していましたが、ある段階でちょっとずれだしました。今もその会社はありますが、最近はちょっと興味を失っています。まあ、私が興味を持とうが持つまいがどうでもいい話ですが。
参加者が一様に感心したのは、河原さんが自らの言葉で信念をもってビジョンや理念を語っていることです。例によって、私はかなり失礼な質問をぶつけましたが、それをしっかりと受け止める姿勢にも感服です。自信のある人の寛容力とオープンさには改めて感心します。もちろん落とし穴はあるでしょうが。
ここではリンクワンの話を書くのは無理ですが、私は彼のような経営者にぜひもっと多くの企業人や若者が会って欲しいと思っています。人生が変わるかもしれません。いつか河原さんの事をもう少し詳しく紹介したいと思っています。
■ 不満からはじまる計画づくりでいいのでしょうか
住民主役のまちづくりに関わっていると時間が本当にかかります。
行政もそうでしょう。だから住民参加は進まないのかもしれません。
ビジネスと言う視点で考えると、外部から関わると膨大な時間がかかり、費用も膨大になります。そこで、まちづくりコンサルタントは形式的な対応をせざるをえなくなります。例えば都市計画策定の予算はこれまでの相場だと2〜3年で1000万円から2000万円です(実際は都市規模によって違いますが)。これまでの方法ではかなりの利益が出せるはずです。極端に言えば、資料さえもらえれば、1週間で作れます。もちろん役には立たないでしょうが、正直のところ、誰も役に立つものをつくろうなどとは思っていませんでした。県や国から言われてしぶしぶ作成している計画はたくさんあります。そうした誰も使わない計画を乱造して、ビルを建てた会社もあるそうです。
しかし、役に立つものをしっかりつくろうとすれば、とてもそんな予算ではつくれません。私たちは、いま、美野里町からそれなりに予算をもらって取り組んでいますが、ビジネスとして考えると残念ながら成り立ちません。しかし、美野里町もそれ以上の予算はつけようがありません。相場があるのですから。そして、見栄えはおそらく従来方式の方が立派なものができるでしょうから、私たちに計画づくりを頼むのは極めて危険なのです。美野里町はそのリスクをとってくれているのです。
もっともその地域にいる人が引受ければ、話は違います。ビジネスとしても多分成り立つでしょう。ですから、もともと地域の計画策定は外部のコンサルタントなどには頼むべきではないのです。そう言う文化を作った日本の霞ヶ関行政が間違っていただけです。
私はこれまでの意味での計画行政は捨てるべきだと思っています。その私が美野里町の都市計画マスタープランの策定を受託しているのですから、困ったものです。無責任と言われそうですが、まあ、過度期なので許して下さい。しかし、こうしたスタンスですので、美野里町の担当の太田さんには迷惑をかけています。今週は、その大田さんや島田さんと方針確認のミーティングを持ったり、納場地区のまちづくり会議に出たりしました。
納場地区の集まりでは、地区の「気になるところ」を出しあいました。ところがメンバーの二人の女性は、この地区は住みやすいし、特に不満はないというのです。そのうちに他のメンバーの意見に刺激されて少しずつ問題点が出てきましたが。
私はいつも悩むのですが、なぜまちづくりで問題点を出しあうのでしょうか。企業変革のプロジェクトでもそうです。まず「不足している事」や「満足していない事」を探し出すことから始まります。もっと楽しくやりたいものです。そして、活性化などと思わずに、気持ちのいい地域社会、気持ちよく働ける企業文化を創ろうとすればいいのでないかと思います。活性化って、どういう意味なのでしょうか。私の嫌いな言葉です。
美野里町の都市計画マスタープランづくりの基本方針は別項にあるように、ポジティブアプローチで、悪い所を直すのではなく、いい所を伸ばすようにしたいと考えていました。しかし、みんなの意識は悪い所を直すのが好きなのです。どこかで間違っているように思うのですが、どうでしょうか。これはメッセージにきちんと書きたいと思います。
■ 良薬は決してにがくはありません
イヴァン・イリイチが亡くなりました。彼の「脱病院化社会」や「脱学校社会」は。私の考え方に大きな影響を与えた本です。そこから発想の転換の意味を知ったといってもいいでしょう。
昨夜、女房が喘息の発作を起こしました。いや、発作というよりもちょっと違う症状でした。そこで、夜中の12時近くだったのですが、かかりつけの近くの慈恵医大病院に行きました。午前3時まで娘と一緒に付き添っていました。
こうした経験は何回かあるのですが、その時の電話の応対や受付の人の対応、もちろん看護婦や医師の対応で、実は病状の変化は全く変わってしまうなといつも思います。
ちなみに、慈恵医大のその病院は、私の母を見送った病院ですが、その時の医師や看護婦の対応は実に献身的で、私は特に看護婦という職業に感動しました。あれだけの使命感は、私にはもてそうもないと思ったのです。
その慈恵医大ですら、毎回対応は大きく変わります。まず緊急病棟に電話します。その対応で、症状が一変に悪化してしまうこともあります。まあそれはそれとして、今回は結果的には無事回復したのですが、今夜のクルーは言葉数が少なかったのが印象的でした。言葉が少ないのは不安を与えます。挨拶の声も明るいかどうかで変わります。
以前も書きましたが、生命に影響を与えるのは医師ではなく看護婦ではないかと私は思っています。近代医学は医術を基本に構築されています。ここに間違いがあったような気がします。中心におかれるのは看護であって医術ではないのではないか、ましてや医学などではないはずです。どんな薬よりも、思いを込めた明るい一言や温もりのあるスキンシップが、生命を輝かすのではないかと思います。
皆さん、良薬は決してにがくはないのです。温もりのあるもの、それこそが最高の良薬です。そして良薬は自分で飲むのではなく、周りの人に飲んでもらうのがいいのです。これが私がコムケア活動にのめりこみだした理由です。
■ 日本橋の上の高速道路は許せません/日本橋学生工房との出会い(2002年12月6日)
日本橋学生工房というグループがあります。
日本橋界隈の再生計画に取り組みだしています。ホームページをご覧下さい。
東北工科芸術大学の東京事務所の東海林さんが面白そうだと紹介してくれました。
早速連絡をとったら、話に来てくれました。東大の大学院生の大西悟さんと中島泰さんです。
私は日本がおかしくなったのは、日本橋の上に高速道路を作ったのが、その始まりだと確信しています。
以来、日本の都市計画関係者やデザイナーに対する信頼感を失いました。
ちょっと短絡していますが、あれをおかしいと声をあげないデザイナーや都市計画関係者は信頼できないからです。
みなさん、東京の日本橋の高速道路の下のよどんだ川を見た事がありますか。
東京人は京都人に比べて、全く美的感覚がないのです。
川を殺してはいけません。日本橋界隈の人立ちは何故放置しているのか不思議です。
ところが今日やってきた若い二人は、川に着目しているようです。
そこにみんなで降りてみようと考えているようです。
川をきれいにしようなどと思うよりも、川と触れ合うイベントや仕組みをつくる事が大切です。
彼らの思いに共感しました。
美野里町でも町内を流れる河川の話がよく出ます。
まちづくりにとって川はとても大事な資源です。
あるいは、人と人、人と自然、人と歴史をつなぐ重要な存在です。
その河川に着目する人が増えてきていることはうれしいことです。
道路行政をめぐって今日「7人の侍」の答申が出されたようですが、まあ、あれはあれとして(今井さんのような人が頂点に立っていた日本の経済界の実体にみんなが気づくといいのですが)、東京の日本橋の上の高速道路撤去運動が起こらないものでしょうか。
お金はかかりますが、間違いなく、東京も日本も元気になるでしょう。
さて、その第一歩はどうやって踏み出せばいいのでしょうか。
どなたかいい知恵はありませんか。
日本橋学生工房に期待したいものです。
大西さん、中島さん、ぜひご健闘ください。
(2002年11月第4週)
週間記録を毎週かなり詳しく書いてきましたが、これはいったいどういう意味があるのだろうかと少し反省しています。このホームページのインデックスにしようと思ってはじめたのですが、肝心のホームページそのものがなかなか構造化されずに、相変わらず整理されていません。そのためインデックスの意味がないようです。週間記録を書くくらいなら、もっとホームページそのものを充実させたほうがいいかもしれないなと思い出しました。
しかし、一方で、この週間記録のおかげで旧交が回復したり、思わぬ人のつながりを発見したりもしています。そんなわけで、躊躇しながら、私の生活を露出するスタイルをもう少しつづけることにします。お付き合いください。
■
二宮バリレストラン"アウラ"(2002年11月25日)
ビレッジハウスの山本秀太郎さんは思想家にしてビジネスマンです。
もっともご本人も含めて、まわりの人は山本さんを思想家とは思っていないかもしれません。
でも私はそう思っています。アーティストでもあります。
私が感心したのは、東中野にある山本さんの作品のグラスチャペルです。
360度ガラス張りのとても開放的な結婚式場を案内してもらったときには、実に新鮮でした。
その周辺はプロバンス風の庭園とレストランがありました。
とても快い空間が猥雑なビルの屋上に創出したのです。
その後、このグラスチャペルのコピーが各地に広がったようですが、その走りを生み出したクリエーターが山本さんです。
その山本さんが、今度は二宮の駅近くに"アウル"という名前のバリ風のレストランを創りました。
アウルとはギリシア語で「そよかぜ」だそうです。
女房ともども、山本さんにご招待いただき、案内をしてもらいました。
食事もご馳走になりました。
ご馳走になったから言うわけではないのですが、山本さんの空間設計にはいつもとても楽しさをもらえます。
日本の建築家はともすると建物を造るだけですが、山本さんは物語を創るのです。
今回のバリ風も面白い仕掛けがいろいろあります。
私にはちょっと違和感があるところもありましたが、とても楽しい空間です。
二宮は東京からは1時間くらいです。
楽しい空間と料理を楽しみに、一度ぜひ訪ねてみてください。
ここでは結婚式もできるそうです。
ランチタイムメニューがちょっと高いのが難点ですが。
山本さんのこれまでの作品は、ビレッジハウスのホームページで見られます。ぜひご覧ください。
■
経営道フォーラム32期スタート(2002年11月27日)
先週、発表会を行った経営道フォーラムの32期がスタートしました。
伊東でそのキックオフの合宿がありました。
私の担当は「企業理念・経営理念」です。
このテーマは、バブル週末期に人気がありましたが、最近はあまり人気のないテーマでした。
理念などはあまり約に立ちそうもないと、みんな思いがちですから。
ところが、今期は第一志望として理念のチームを選んだ人が定員以上だったとのことです。
こうしたところにも時代の気分を感じます。
私は「企業の理念を考えるということは、自らの生き方を考えること」だといい続けています。
企業は、そこに関わるメンバーの意識と行動の集積なのです。
個人から切り離された組織実体などあるはずがないのです。
それなのに、みんな何か「企業」という人格があるような共同幻想を抱いているのです。
そして「企業」を言い訳に使ってしまうこともよく見かけます。
皆さんはどうでしょうか。
企業変革が時代のキーワードですが、その前に自らの生き方を問い直す必要があるように思います。
そんなことを、今日、メンバーのみなさんにお話しました。
そして、企業の経営幹部である人たちがどんなに知恵を出し合ったところで限界がある。
むしろみなさんのパートナーたちに集まってもらって、夫を通して感じている企業像を語り合ってもらい、それをみんなで聞いたらどうかと提案しました。
この提案は5年以上言い続けてきた事ですが、 それが今期は実現しそうです。
実に楽しみです。
皆さんも関心があるでしょう。
発表会は来年の5月頃です。
またご案内しますので、ぜひご参加下さい。
■ リンク(NPOせたがや福祉サポートセンター)との意見交換(2002年11月28日)
コムケアセンターの調査研究支援プログラムのひとつが、「痴呆予防プログラムの実践的検証とその普及方法に関する研究」ですが、それに取り組んでいるのがリンクです。
リンクについては以前、このコーナーでも紹介しましたが、コムケアの理念と非常に重なった活動をずっと前から取り組んでいる、いわば私たちの大先輩です。
その代表の光岡明子さんと、この研究活動の進め方について意見交換しました。
具体的な進め方に関しては近日中にコムケアのホームページに掲載しますが、リンクが展開しているいくつかのフィールドを活用して、実践的なプログラム開発が進められる予定です。
その成果は、ぜひともひろく全国に発信していきたいと光岡さんたちは考えています。
「痴呆予防」という言葉を使っているため、問題解決型の取組みと受け取られるかもしれませんが、そうではありません。
むしろ、「生活を健やかに楽しくしていくための支援」というような意味で、生活者視点での取り組みガ光岡さんたちの基本姿勢です。
私もそこに大きな共感をもっています。
観察者的な関わり方は、コムケア活動としては避けたいところです。
この活動には、ささやかに関わっていこうと考えていますので、また報告して行きますが、このテーマに関心のある方はぜひご連絡下さい。
光岡さんとは、このプログラム以外でも少しお話しましたが、企業の人たちに少し分けてやって欲しいほどの元気を持っています。
時代の息吹を実感しているからでしょうか。私たち、男性ももっと元気に活動しなければいけませんね。
■ 「開発援助か社会運動か」の著者の定松栄一さん(2002年11月29日)
定松さんは「ボルガタンガ便り」を書いてくださっている田中雅子さんのパートナーです。
ガーナ在住ですが、一時帰国されていたのです。
定松さんとは、以前一度電話でお話した事がありますが(当時は確かシャプラニ―ルのメンバーでした)、お会いするのは初めてです。
定松さんの新著、「開発援助か社会運動か」は、ブックコーナーでも紹介していますが、実に示唆に富む本です。
国際開発関係者だけではなく、国内でまちづくりに関わっている人にもぜひ読んで欲しい本です。
定松さんと田中さんのご夫妻は、以前は二人ともシャプラニールにいましたが、定松さんがネパール駐在になったため、田中さんは仕事をやめてネパールに同行しました。
そして、今度は田中さんがガーナに行く事になったため、今度は定松さんが主夫としてガーナに同行する事にしたのだそうです。
お二人とも、イギリスで生活視点を重視した開発学を学んでいますが、まさにその生き方に、お二人の開発やまちづくりへの基本理念が現れています。
定松さんは、今回の本を英訳して、ネパールの現地の人たちに読んでもらおうと考えています。
彼らからもらった知恵を、彼らに戻さなければフェアでない、と定松さんは考えています。
その姿勢にも共感します。
観察者や研究者には知恵は不要です。
知恵を活かせるのは現場の人だけです。
■ 伊南だより
定松さんの話との関係で、もう一人、若き友人をご紹介します。
丸山冨美さんという、元気の塊の友人がいます。
なぜ元気かというと、青豆を毎日食べているからです。
私が元気がなかった時に、青豆を一袋もって来てくれて、毎日食べるように言われたのですが、3日しか続きませんでした。
そのため、私は今でも元気ではありません。
四国の四万十川近くで生まれ育った彼女は、大学卒業後、オーストラリアに渡ったり、NGOで野外活動に関わったり、元気そのものの生活をしていましたが、1999年、福島県の伊南村に移住し、そこで大きな新しい風を起こしました。
そして、今は栃木県の茂木町で活躍しています。
私のオフィスにも、時々、風のように現れて元気を置いていってくれます。
その丸山冨美さんから「伊南便り」が届きました。
3年間の伊南村での活動を小冊子にまとめたのです。
実に面白い小冊子です。
まちづくりに取り組んでいる人たちにも読んで欲しい内容です。
観察者が書いた本は退屈ですが、当事者の本は面白いです。
そして、含蓄があります。
この本は非売品ですが、いつか彼女には本を書いてもらいましょう。
元気の塊かと思っていたら、知恵の塊でもあることがわかりました。
各地で活躍している人たちが、もっともっと触れ合える状況をつくって行くと、それだけで新しい大きな物語が生まれる時代です。
今、まさに時代は変わり目。みなさん、そんな予感を感じていませんか。
10年後はきっと、今とは全く違った社会になっているような気がします。
もちろん、本質を背負い込んでいる現場は、何も変わらずに、歴史を育てて行くだけでしょうが。
何が変わり、何が変わらないか。それを見極めることが大切な時代です。
■ 美野里町都市計画マスタープラン会議(2002年11月29日)
美野里町の都市計画マスタープランは横道を辿りながら進んでいますが、その方針を確認する会議を行いました。
新しい試みの場合、関係者が同床異夢であることはやむを得ず、そのため、なかなかプロジェクトの推進力が出ないことが多いですが、美野里町もいま、そんな袋小路に入っています。
みんなそれぞれにちょっと嫌気を感じ出しているのが実状です。
ここからが本番です。
しかし、新たなる問題が発生しました。
市町村合併です。
これまでもご紹介しているように、美野里町では地道なまちづくり計画づくりという捉え方で、近隣社会的なコミュニティをベースにした住民の話し合いに取り組んでいます。
そうした発想からは、市町村合併の動きは問題です。
私は以前もどこかに書きましたが、「市町村分割論者」です。
統治のための行政から自治支援のための行政にパラダイムシフトしていくためには、生活密着のコミュニティを基本にしていく必要があるからです。
市町村合併などはとんでもない発想だと思っています。
しかし、美野里町にも合併論議が始まりました。残念です。
そうしたことを視野に置くと、いま、取り組んでいる地域計画づくりって一体何なのだろうかと悩んでしまいます。
来週は美野里町に行って、方針を再確認してくる予定ですが、かなり気が重いです。
■ オープンサロン(2002年11月29日)
今年最後のオープンサロンです。
このサロンも15年続きました。そろそろ閉店かなと思い出していますが、本当は常設的なサロンスペースがほしいと思っています。
どなたか空間を無償で提供してくださる方をご存じないでしょうか。
100人の維持会員が集まれば、みんなのコモンズ空間も持てるのですが、考え出すのが遅すぎました。
今年最後のサロンの様子は、サロンニュースをご覧下さい。
議論が盛りあがり、なんと9時半を過ぎてしまいました。
環境クラブの増山さん(「フォーラム」に投稿してくれています)が、サロンに沢山の柿を差し入れてくれました。
増山さん、ありがとうございました。
みんなでいただきました。
増山さんは、安心安全な食べ物を自ら創り、みんなに提供する活動を続けています。
ご関心のある方は、環境クラブにコンタクトして見て下さい。
今年1年、実にさまざまな話題と元気を与えてくださった参加者のみなさんに感謝いたします。
ありがとうございました。
12月は、サロンはお休みです。
来年は今、迷っているところですが、少なくとも3月までは継続します。1月にまたお会いしましょう。
■日立総合経営研修所庭園一般公開(2002年11月30日)
我孫子市に日立総合経営研修所があります。昭和37年に開設されましたが、研習生たちが記念に植樹した樹木がもう大きく育ち、またあまり手を入れていないために(いい意味で、です)当時の我孫子の雰囲気がそれなりに残っています。そこが一般公開されました。我孫子の景観を育てる会が主催しました。
多くの住民が参加しました。庭園は1万5000坪の広さで、市民にとっては気になる存在だったのです。私も初めて見せてもらいました。残念ながら庭は荒れていましたが、とてもいい雰囲気でした。
庭はなぜ荒れたのか。私は人や生物とのふれあいが不足しているのではないかと思いました。
ここを月に2回程度市民に開放し、その代わり市民ボランティアが庭とのふれあい(手入れといってもいいですが) を行ったらどうかと思いました。日立の研修プログラムの中にも自然とのふれあいに場面を入れるともっといいでしょうね。いずれもみんながWIN-WINになれる仕組みです。
主宰した景観を育てる会には私は参加していませんが、以前、まちづくり研究会を一緒にやっていた富樫道廣さん(市民景観会議の仲間です)が以前から取り組んでいます。今日もお会いしましたが、いろいろな市民活動が育っていくと、どうしても考え方の違いから、問題も発生します。私は誰とでもつきあってしまいがちですが(もっともすべて軽い付き合い方ですが)、富樫さんからやんわりと注意されました。市民活動も当事者になっていくと、なかなか難しいものです。
ちなみに、富樫さんは山形市のご出身です。昨年も山形市に我孫子市の職員を連れていってくれました。
■ナンセンスな面白さ
最近、土曜日が不在続きなのですが、今日は1日自宅にいました。娘が、ぜひとも見せたいテレビ番組があるというのです。絶対お父さん向きだというのです。さぞかし知的な番組だろうと思って、番組表を探しましたが、ありません。そこで、時間になって見せられたのが、なんと「メチャいけてる」という番組で、その中の「数取団」というゲームです。見た人いますか。あんまりいないでしょうね。全く馬鹿らしいゲームです。今回のゲストは、あの新庄選手。
見せるチャンスをずっと待っていたというのです。いやはや。全くのナンセンスで、もうお腹が痛くなるほど笑いころげてしまいました。皆さん、来週もありますので、ぜひみんなでみましょう。元気になります。いや、お腹が痛くなります。
もちろん人生の役にはたちません。世界の発展にも役立たないですね。
私はこれまで読んだマンガの中で最高傑作だと思っているのは、いしいひさいちの「地底人]です。ご存知ですか。地底人が地上人を征服しようという話です。もっとも地底人は地表に出てくる道を知らないので、いつも征服計画は挫折するのです。私たちは今も無事なのは、そのおかげです。この本は私の座右の書ではありませんが、まあ座左の本として、繰り返し読んでいます。まあ、読むというよりも、開く感じですが。
ナンセンスな話になってしまいました。すみません。こうした話を書き出すときりがないのですが、おこられそうなのでやめます。来週のメチャいけはお勧めですが、全く無駄な時間に成ると思いますので、予めご了承下さい。そういえば、毎月のオープンサロンも、「全く無駄な井戸端会議」を目指しています。
(2002年11月第3週)
今週は私が参加した3つのフォーラムに絞って、少し詳しく書きました。
■
第1回「子育ち学」全国セミナー(2002年11月17日)
このホームページでもご案内していた、子育ちと地域支援をテーマにした全国セミナーがあり、そこでのトークライブに参加しました。プログラムなどはお知らせの記録のコーナーにありますが、全国各地で子育ちの支援活動をしている実践者の交流会です。
この分野では先駆者の日本福祉大学の小木美代子さんや与論島で実に楽しい活動をされている赤崎隆三郎さんなど、実に多彩なメンバーです。みんな、子育ち学をテーマにした本を書いた人たちです。私だけが読者でした。一番新しい本である「子どもの豊かな育ちと地域支援」をホームページで最初に紹介させてもらったことのごほうびです。この本は面白いです。ブックのコーナーで紹介していますので、ぜひお読み下さい。
パネリストの一人、岡山県の御南公民館の田中純子さんは岡山の高島町に住んでいるそうです。私はそこで保育園をされている流王濃さんとささやかな接点があるのですが、田中さんもその保育園をご存知でした。流王さんはとてもしっかりした理念に基づいて保育に取り組まれています。また、もう一人のパネリスト松浦利明さんは葛巻町の人でした。葛巻といえば、このホームページとつながっている「森と風のがっこう」の吉成さんの活躍の場です。松浦さんもご存知でした。なんとまあ、世界はつながっていることでしょうか。
司会は民主教育研究所の廣田健さんでしたが、今回はあまりお話できませんでしたが、きっと共通の友人がいるはずです。
参加してくれた方にもつながりがありました。
アフタースクールの楢原さんは、このホームページのCWSフォーラムでも書き込みましたが、コムケアサロンに参加してくれた方ですし、キーパースン21の近藤さんはまさにコムケアで接点が出来たばかりの方です。こういう場でお会いできると本当に嬉しいです。それに加えて、なんと美野里町の本づくり(「文化がみの〜れ物語」)に参加した法政大学の学生も参加してくれていたり、色々な方に出会いました。住友生命の渡辺さん(コムケア活動の支援元)もわざわざ参加してくれました。
活動をはじめると、どんどん輪が広がりだします。そして、しばらくするとそれらがつながりだすのです。それが実に面白く、楽しいのです。
トークライブはとても面白かったですが、その内容はいつか、主催者の深作拓郎さんがまとめてくれるかもしれません。
私は、「子育ちを地域が支援するということも大事だが、子育ちが、つまり子どもたちの育ちが地域の成長を支援している事の認識も大切にすべきではないか」とメッセージしました。こう書いてしまうと、私の思いは伝わりませんが、いつかまたメッセージコーナーで書くようにします。子どもたちこそまちづくりの最高の財産です。
■ 経営道フォーラム発表シンポジウム(2002年11月21日)
これもお知らせでご案内していた経営道フォーラムの発表会です。企業の経営幹部が半年間研究してきたことを発表するのです。私がアドバイザーになったチームは「個を活かす経営」をテーマにしました。
個を活かす経営は15年ほど前に経済同友会が提唱していたことがありますが、その中心になった小林陽太郎さんが経営する富士ゼロックス以外ではほとんど取り組まれていないように思います。言葉だけが先行している感があります。そのあたりを今回のチームはうまく掘り下げてくれました。
企業の人たちの研修や企業変革のプロジェクトに私も時々関わっていますが、実体の伴わない言葉の横行には辟易します。現場から遊離した知識の議論では実体は何も変わりません。現場に関わる人たちの知恵と力がのびのびと発揮できるような状況を創ってやることが、問題解決の一番の早道ではないかと私は考えています。その意味では、子育ても企業変革もまちづくりも、みんな同じです。
発表の後、参加者でテーブルディスカッションをしてもらいましたが、長らく米国で仕事をしていた方から面白い話がありました。日本に久しぶりに帰ってきたら、企業の人がみんな元気がないのが気になり、先輩の海外からの帰国者に話したところ、「自分もそう思ったが、半年もたつと気にならなくなった」といわれたということです。実に示唆に富むお話です。残念ながら、最近の企業の人は元気がありません。NPOの人とは対照的です。
最後に私からは生き方を変える事がいかに簡単かを話しました。朝起きる時間を変えるだけでいいのです。嘘だと思ったら、明日、朝1時間早く起きてみて下さい。きっといつもとは違う1日になります。1週間続けると新しい物語が始まります。1年続けると人生が変わります。会社も同じです。問題はそれが続けられるかどうかです。
■ 豊後大山「ひびきの郷」開業記念シンポジウム(2002年11月22日)
パオスの中西元男さんから誘われていたシンポジウムに参加しました。「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンにまちづくりに大成功し、大分県の一村一品運動の元祖になった、あの有名な大山町です。
その大山町に新しくできた、「ひびきの郷」のオープニングに「デザインはまちおこしにどこまで貢献できるか」というシンポジウムを中西さんが企画したのです。
中西さんは私の人生を変えた責任者の一人です。日本のCIの草分けで、それに共鳴して、私は東レでCIに取組み、その過程で自らのアイデンティティの問題に行き当たり、会社を離脱してしまったのです。中西さんからのお誘いは断れません。
実にたくさんの人と出会いました。書き出したらきりがありません。
まずはパネリスト。有名な写真家だったのに突然淡路島で瓦職人に転じてしまった淡路瓦師の山田脩二さん。新潟県のデザイン振興に大きな成果を挙げてきている建築家の黒川玲さん。小布施町の酒屋「桝一」で活躍している利酒師セーラ・マリ・カミングスさん。ユニバーサルデザイン分野で活躍されている(それだけではないですが)梶本久夫さん。そして私です。司会は中西さん。
山田さんのアドバイス?で、壇上のパネリストには大山特産の梅酒とリキュールが出ました。私を除いてみんな名うての酒豪なのです。山田さんとは10数年ぶりにお会いしましたが、全く変わらずにオーラを出し続けている方です。たくさんの元気をもらいました。
フォーラムの後は参加者との交流会がニ次会も含めて12時まで続きました。とてもいい集まりでした。そしてそこでも実に世界のつながりを感ずる出会いがありました。
私は話の中で美野里町の事例を紹介したのですが、なんと数年前に美野里町の花木センターづくりに関わった人がいたのです。これは奇遇でした。小郡市の林洋海さんです。
参加者はグラフィックデザイナーが多かったのですが、中には企業の方もいました。このひびきの郷の施工に関わったのが東亜建設工業ですが、そこの三笘右文さんは数年前に東レとお仕事をされたそうです。今の東レの実態を知らされました。
同じパネリストだった梶本さんとは同室だったため、2時まで話してしまいました。初対面でしたが、そのお人柄にすっかり魅了されました。これまた書き出したら切りがないのですが、共通の知人友人が何人かいることがわかりました。本当に世界は狭いです。梶本さんは、ユニバーサルデザインの世界でもご活躍ですが(梶本さんのところのホームページもご覧下さい)、今の上滑りな風潮に懸念をお持ちです。非常に共感します。
お会いした人たちのことを書き出したら切りがないので、町長のお話だけを書きます。
私は最近の大山町のことは全く知らずに、スピーチでは住民主役を目指す美野里町の話をしたのですが、今の大山町はその上を行っていました。三笘善八郎町長の行動力に裏付けられたビジョンと住民たちの信頼関係(最高のソーシャルキャピタルです)が実に見事にかみ合っているようです。梅栗活動から始まり進化を続けるNPC運動は見事に成功したと思いますが、時代の大きな変化の中で、三笘町長のビジョンにはそれを超える可能性を感じました。
中西さんと三笘さんと大山町住民のパワーで、きっと新しい自治の風が、ここからまた起こるはずです。大山町のことはもう少し私も学んでみようと思っていますが、ご関心のある方はぜひ大山町のホームページをご覧ください。ついでに、ひびきの郷のホームページもご覧ください。ひびき渓谷の写真があまりないのが残念ですが、素晴らしい景観です。
大山町のことはまた改めてご報告したいと思います。
(2002年11月第2週)
恒例の風邪をひきました。私は毎年、4日間、風邪菌に私の身体を提供するようにしていました。
まあ、平たくいえば、風邪をひくわけですが。
昨年から4日間では解放されなくなりました。
居心地がいいのでしょうか、今年は2週間たちましたが、まだ風邪菌は私の身体に居直っています。
困ったものです。おかげで予定が大狂いです。ご迷惑をかけた方はお許し下さい。
一応、2週間目で終わりにしましたが、縄田さんからもらった田七人参茶と佐藤真紀子さんのオーラと廣瀬さんから教えていただいた知恵が決め手になりました。いずれも今週お会いした人です。
そんなわけで、今週は「空白の1週間」でしたが、いくつかの出会いがありました。
■
アーユルヴェーダ(2002年11月15日)
10月30日のこのコーナーに登場した縄田さんのご紹介で、アーユルヴェーダの知恵の普及活動に取り組んでいる佐藤真紀子さんが来てくれました。縄田さんはホメオパシーに取り組んでいる方です。先週、ホームページを書き落としましたので、改めて縄田さんの会社のホームページを紹介します。元気な生活を目指す方は、ぜひご覧下さい。
さて、佐藤真紀子さんです。
真紀子さんがアーユルヴェーダの普及活動に取り組みだしたきっかけは、インド人医師サダナンダ博士に脈診してもらったことのようです。サダナンダ博士は、世界的に活躍しているアーユルヴェーダ医師コンサルタントで、日本にも毎年、来てくれているそうです。
真紀子さんは、ご自身の体験からアーユルヴェーダの知恵を広げていきたいと思い立ち、早速、パルスリーディング研究会を発足させ、昨年まで活動して来ました。今は新しい段階へ進んでいます。
彼女の当面の夢は、日本にアーユルヴェーダ普及のためのセンターを建設することです。
この数年、アーユルヴェーダに関しては一種のブームのような動きもありますが、学生時代から関心を持ちながら、何もしてこなかった私としては、とても興味深い話です。
まだ何が出来るかわかりませんが、応援させていただくことにしました。
とりあえず、 真紀子さんからアーユルヴェーダの話を聴く会を一度開きたいなと思っています。
それにしても女性たちのエネルギーはすごいものがあります。そういえば以前、ここでも紹介した黛まどかさんのサンチャゴ巡礼の映画づくりは着実に進んでおり、様々な方のサンチャゴ巡礼も広がっています。思いを持てば、必ず実現するものです。
真紀子さんのアーユルヴェーダ・センターも間違いなく実現するでしょう。
ご関心のある方、ぜひ応援団になって下さい。
まだホームページが出来ていないようですので、ご関心のある方はとりあえず私にご連絡下さい。
集まりを企画したら、連絡します。
■
NPOと行政(2002年11月15日)
コムケアの選考会に参加してくださった廣瀬正明さんが来てくれました。
浦嶋さんのご紹介です。浦嶋さんは今、農的暮らしを考える研究会を立ち上げ中ですが、これはまたご報告させていただくとして、今日は廣瀬さんです。
廣瀬さんは滋賀県庁の職員ですが、今は、東京の自治大学校に研究に来ています。
取り組んでいるテーマは「行政とNPOの協働」です。そんな関係で、コムケアの選考会にも参加してくださったのです。
風邪菌に身体を預けていたせいで、何を話したかあまり覚えていないのですが、なにやら面白かったです。
廣瀬さんは林業に関わっています。里山保全の活動にも取り組んでいます。
林業に関わっている人は、みんななぜか魅力的です。
現代人の、いかにも貧相な生活リズムとは違うものを感じさせます。
以前も書いたように、私は「協働」という言葉は嫌いなのですが、いまは企業や行政とNPOの協働への取組みが盛んです。
しかし、なかには下請け的な関係や制約はずしのための協働もないわけではありません。
福祉分野では行政との協働の結果、本来の自分たちの活動がおろそかになってきているNPOもあります。
安直にNPOや協働を考える風潮にはいささかの不信がありますが、しかし、どう役割分担をしながら新しい社会の枠組みを構築していくかは大きな課題です。
異質なものが一緒に取り組んでいく場合、大切なのは、何を目指すかというビジョンです。
そしてそれを共有するためには共通の情報基盤を持つことです。
私はそれを「共創」という言葉で捉えています。
一緒に知恵と汗を出し合って、新しい価値を創るという意味です。
私が関わらせていただくプロジェクトは、すべて共創が基本にあります。
■ コラボ物語(2002年11月15日)
今日は、もう一人、来客がありました。コラボレーション研究所の瀬谷重信さんです。
瀬谷さんの研究所とはリンクされていますので、ぜひご覧下さい。最近、更新されました。
瀬谷さんもこの10数年、コラボレーションに取り組んでいます。
瀬谷さんは日本にコラボレーションという概念を導入した最初の人です。
コラボレーションを「協創」と訳出されました。残念ながらこの訳は広がりませんでした。
私はむしろ「共創」という言葉をコラボレーションに重ねて使っています。
瀬谷さんはいま、これまでのコラボレーション体験をまとめた本(「瀬谷流コラボ物語」)を執筆中です。
また完成したらご案内させてもらいます。
■
美野里町羽鳥部会(2002年11月14日)
美野里町の都市計画マスタープランの活動の一環で、各コミュニティ単位で住民たちのまちづくり会議が展開されています。
まちづくり計画は本来、住民たちが議論し作っていくべきです。
それを行政がまとめていけばいいのです。
行政に計画をつくっている限り、住民主役は実現しません。
つまりは地域主権が実現しないということです。
美野里町ではそうした思いから、新しい計画作りを進めていますが、なかなか難しいというのが正直のところです。
しかし、今日の羽鳥地区の会議は実に活発な議論がありました。
こうした議論が広がっていけば、馬鹿な市町村合併などなくなるはずです。
リーダーの伊藤さんも言っていますが、こうした会議にもっと若い世代や子どもたちを巻き込んでいくことが必要です。
羽鳥部会には38歳の安達さんが参加してくれています。うれしいことです。
しかし、もっと若い世代が参加しなければ、まちづくりは本物にはなりません。
まちづくりへの子どもの参画はこれからの大きなテーマです。
総合学習との関係で、学校との連携がしやすくなっているはずなのですが、実際には学校制度の硬直性の中で、これまたそう簡単ではありません。新しい教育基本法にも失望しています。
(2002年11月第1週)
■ 美野里町の文化センター「みの〜れ」が開館しました(2002年11月3日)
これまで何回も経過報告してきた、美野里町の文化センター「みの〜れ」がついにオープンしました。こけら落としは住民劇団によるミュージカル。参加者へのお土産は、わが美野里出版社の製作した「文化がみの〜れ物語」(次項参照)です。
開館のテープカットは、住民も参加して100人によって行われました。式典はちょっと月並みでしたが、若者たちによる、みのり太鼓は素晴らしかったです。
こけら落としのミュージカルは、住民たちの演ずる「田んぼの神様」。4歳から72歳までの幅広い住民が自発的に劇団をつくっての公演です。専門家による厳しい指導の成果で、なかなかのものでした。住民主役の文化センターの幕開けにふさわしいものでした。
オープン式典では、「文化がみの〜れ物語」の冒頭の部分が一部読み上げられました。その部分をぜひお読み下さい。ここをクリックすると出てきますので。
■ 「文化がみの〜れ物語」発売(2002年11月3日)
新しいまちづくりのあり方を示唆する美野里町の文化センターづくりの経緯を住民たちがまとめた本が完成しました。何回か予告していた「文化がみの〜れ物語」(茨城新聞社発行)です。
内容はとてもいいもので、新しいまちづくりのモデルになるはずです。何よりも住民たちが自分たちで書いたこと、しかも反対者まで参加してくれたこと、さらに自分たちでお金まで出したことです。これからどうやって本を売っていくかが課題です。
自治体職員の方はもちろん、各地でまちづくりに関わっている方々はぜひお読み下さい。茨城新聞社でも発売していますし、ネット購入も出来ると思います。このホームページに開店している「コモンズ書店」でも扱っています。
コモンズ書店を通して購入していただければ、その収益は美野里出版社に入ります。この出版社は完全なバーチャル出版社ですが、今回、利益が出れば、第2弾を計画していきます。本の出版とは限りませんが。社員も募集中です。
本の目次もご覧ください。
■ 美野里町。次は「いいとこフォーラム」(2002年11月5日)
美野里町の新しい文化センター「みの〜れ」の大ホールで、「美野里町いいとこ自慢フォーラム」が11月24日に開催されます。都市計画マスタープランづくりのプログラムの一環です。そこで、役場職員によるエンターテイメント・プログラムが行われます。今日はそのメンバーとの打ち合わせです。
意外な人が意外な特技を持っているのに驚きました。組織は、メンバーのほんの一部のポテンシャルしか引き出していないことを改めて感じました。組織に個人を合わせる発想を、個人に組織を合わせる発想に変えたら、組織も個人ももっと元気になることは間違いないですね。パラダイムを変えれば新しい歴史は開けます。
11月24日。皆さん、美野里町に来ませんか。
■
経営道の伝道師 市川覚峯さん(2002年11月7日)
日本経営道協会の市川覚峯さんがやってきました。
市川さんは以前一度紹介しましたが、経営コンサルタントだったのに、突然思い立って、1200日(実際にはそれ以上でしたが)、比叡山、高野山、吉野で修業された行者です。不思議な霊力をもっている人ですが、ほとんど、誰にも理解されていないのが問題です。
私は彼の比叡山での得度式、高野山の21日の断食行明け、吉野の過酷な回峯行の満行式に立ち会いましたが、彼の行は中途半端ではありませんでした。
市川さんの思いは世直しです。特に今、影響の大きい経営の世界に「道」を回復させたいという強い思いを持っています。お知らせで紹介しているKAE経営道フォーラムも、もともとは市川さんが創設しました。
市川さんは、大きな構想を持っています。日本の経営道の先達の思想と実践を一堂に集めた実践経営道の殿堂を建てたいのです。まあ、高々20億円もあれば出来る話ですから、誰かがポンと資金を出せばいいのですが、それがなかなか実現しないのです。みなさんの周りに出してくれそうな方がいたら教えて下さい。市川さんは喜びます。もっとも私はその構想に賛成しているわけではありません。念のため。
■ ベネッセの林田清治さん(2002年11月7日)
ベネッセで新しいビジネスモデル作りに取り組んでいる林田さんがやってきました。テーマがNPOや子育てに関わっているので、そうした分野にささやかに関わっている私のところにやってきたのです。林田構想に共感を持ちました。新しい発想のビジネスです。
ベネッセという会社が、これを契機に変わってくれればうれしいです。これまでのベネッセの事業戦略には、私は否定的です。これまでの二の舞になってほしくないものです。
内容はまもなくベネッセから発表されるでしょうが、私の知り合いも色々と参加しているようです。まさに時代はコラボレーション。共創の時代です。問題はビジョンと理念です。
社会の枠組みが変化しつつある中で、新しいビジネスチャンスは山積みされています。新しいビジネスがどんどん生まれそうです。それなのに何故日本の企業は元気が出ないのでしょうか。たぶん新しい経済システムや社会システムが見えていないのでしょう。あるいはビジョンがないからです。
しかし、現場の人たちには見えているのかもしれません。そこにちょっとの資金を回せば、社会は元気になるように思います。間違ったところにいくら財政を投入しても元気は出てこないでしょう。問題は「お金」の量ではなく、使い方の「質」ではないかと思います。
林田さんたちのような新しい動きが、もっともっと広がることを期待します。
■ 山形市の政策塾(2002年11月8日)
最近は美野里町関連の記事が多く、もう一つの私のまちづくりのフィールドである山形市の影が薄いですね。決して忘れているわけではなく、今週も行ってきました。
山形は寒かったです。今年の暑さもすごかったですが、寒さもまたすごいですね。とてもいい年です。
山形市の共創塾は盛り上がりつつあります。今日は5つのテーマについての中間発表がありました。若い職員たちのエネルギーと才能はやはりすごいですね。それが発揮できないようになっている組織の仕組みを変えてやれば、それだけでも組織は元気を回復するはずです。みなさんの組織はどうですか。
面白い話を聞きました。一つのグループが「電柱の違法広告物を一掃したい」という活動をはじめようとしたところ、違反広告物の除去は県知事に権限があるため、勝手にはがしてはいけないと指摘されたそうです。気がついた個人がはがせるようにするには、条例を作らないと駄目だそうです。馬鹿な話ですが、これがこれまでの行政なのです。財政赤字になるのは当然ですし、業者と癒着するのは必然的結果なのです。
こうした無駄の創出のために私たちの税金が使われていると思うと税金を負担したくなくなります。こうしたことは、無駄の創出のほんの一部でしかありません。財政赤字などと言われていますが、自治体行政はもちろんですが、行政にはお金は有り余っています。自分の家計の感覚で対処したら、歳出は半減どころか10分の1くらいになるかもしれません。
発想が逆転しているのです。統治のための行政から自治のための行政に変わっていかなければなりません。
(2002年10月第5週)
久しぶりに時間をゆっくりすごしています。今週はきちんと書き込みます。ちょっと長くなりますが、お付き合いください。すみません。
■ 書類の整理(2002年10月27日)
昨年5月に転居しました。この1年半、ほとんど転居以来のままで書類などが山積みの状況です。
今日は1日かけて整理を始めました。半年振りに休暇でしたので。
途中でいやになりました。果たしてこれだけの資料や書籍が必要なのだろうかと思い出しました。
1年以上不都合がなかった(少しはありましたが)のだから、すべていらないのではないか。頭の中にある情報すら消化できないのに、また今でも消化量以上の情報が毎日入ってくるのに、こんな無駄な情報をどうするのか、という自問です。
でもまだ捨てられません。蓄積された情報には愛着があるのです。これから半年かけて、情報媒体を捨てていきますが、死ぬまでにすべてを捨てられるかどうか、ちょっと心配です。強欲な自分に時々嫌悪を感じます。
■ 日本フェアトレード委員会(2002年10月29日)
熊本の自立応援団の宮田さんが訪ねてきてくれました。お二人の方とご一緒に、です。
お一人は潟iチュラルコーヒー代表の清田和之さん。清田さんは様々な社会活動を展開されています。そして、奥様のわくわく保育園理事長の清田明子さん。
清田和之さんとは熊本でも以前お会いしましたが、ゆっくりお話しするのは初めてです。
清田ご夫妻と宮田さんが、今取り組みだしているのが、日本フェアトレード委員会の設立です。
出発点はナチュラルコーヒーです。
いま、世界のコーヒー豆は大暴落しています。しかも農家の手取りは消費者価格の2%以下だそうです。
この辺の情報は別コーナーで近々書き込みます。
こうした状況の中で、清田さんたちはフェアトレードに取り組むことにしました。
コーヒーは旧植民地体制の象徴であり、現在はグローバリゼーションの悪しき影響の典型。フェアトレードは、これら南北問題を解決するための一つの現実的なやり方ではないかと3人は考えています。共感します。
清田さんたちのパートナーは、ブラジル有機コーヒー栽培者協会会長のイヴァンさんです。
イヴァンさんと清田さんの出会いが、この活動を加速させることになりました。
今年、7月、イヴァンさんに来日してもらい、熊本で講演会を開催しました。
私も今から25年近く前に、ブラジルのコーヒー園に行った事があります。
朝日新聞社の懸賞論文で入選し、南米各地を回ったのです。
実に広大な豆畑を見て感動しましたが、そこで成功した「勝組み三世」の生活ぶりのも驚きました。
同時に移住された人たちのご苦労の様子も実感できましたが。
日本フェアトレード委員会は今、設立準備中ですが、並行して会員も募集しています。
またコーヒーもすでに輸入し(言うまでもありませんが、生豆で輸入し、日本で焙煎します)、販売を開始しています。
コーヒーを飲むたびに、その一部が現地農家の支えになり、また一部は日本での社会活動に向けられます。
そのあたりの仕組みはこれからもっと見える形にしていく必要があります。
そうした活動に私も荷担しようと思っています。
いずれこのホームページでもリンクもしくはコーナーを作りますが、まずはコーヒーを試飲してみませんか。
基本は200グラム3パックを3000円で購入できます。購入すると自動的に日本フェアトレード委員会に入会となります。
ご関心のある方はぜひご連絡下さい。東京にも小さな支部をつくれればと思っています。
もっともフェアトレードとかナチュラルコーヒーは、すでに様々なコマーシャリズムにものっていますので、「またか」とお思いの方も多いでしょう。
しかし、清田さんたちの活動は、人の顔が見える活動です。
是非ご支援ください。またご報告します。
■ モノづくりの現場を元気にさせたい(2002年10月28日)
素材メーカーの人事部の内海和之さんが,私のホームページを見て訪ねてきてくれました。
企業変革に取り組まれています。お話をしていて、東レでCIに取り組もうと思い出した頃を思い出しました。
企業変革に関しては表層的に考えている人が多く、折角相談に来てもらっても、あまり気乗りしないことが多いのですが、今回は違いました。内海さんの姿勢に共感しました。
企業変革について様々な議論がありますが、私は組織原理を変えれば簡単に変わると思っています。
組織視点ではなく、個人視点で組み替えるということです。
これにつてはメッセージでも語っていますし、何回か書きました。
それがなければ、どんな技法を使おうと多分成功しないでしょう。
内海さんは、いま、工場を元気にすることに関心があります。
これまた簡単な事で、現場の人と一緒に考えればいいのです。
しかし、こんなことは内海さんは百も承知で、しかし、なかなか動けずに苦労しているのです。
組織をよくしたいと思っている人は決して少なくはありません。
にもかかわらず、その人たちは壁にぶつかり悩んでしまう。
どこに問題があるのでしょうか。
多くの場合は、現場から遊離したトップとそれを取り巻く経営幹部です。
しかし、間もなくそうした構図もなくなっていくでしょう。
大企業の変革が、それに間に合うかどうか。私は多分間に合わないと思いますが(15年前に「脱構築する企業経営」というテーマで、日本能率協会の経営雑誌に1年間連載しましたが、その第1回目が「大企業解体の予兆」でした。最終回の結論は協同組合モデルへの展開でしたが、当時はいずれも評判が悪かったです。しかし、事態は全くその方向に来ています)、内海さんの取り組みを応援したいと思います。
内海さん、楽しみにしています。
■ 企業のあり方に疑問のある方がもう一人来ました(2002年10月30日)
不思議なもので、毎週、記録を書いているとテーマが見えてきます。
今週は「企業変革」でした。
内海さんと同じく、今の自分の会社に危機感をお持ちの神成尚亮さんがやってきました。
東レ時代にCIに取り組んだ高坂さんが同行してくれました。
この高坂さんも紹介すべきことがいろいろあるのですが、今回は彼が連れてきてくれた神成さんの話です。
テレビ関係の会社に所属していますが、今の会社のあり方に違和感をお持ちです。
どうしたらいいのか、まさに内海さんと同じ問題意識をお持ちです。
最近、こうした問題意識を持ち人によく出会う一方で、そんな悩みなどなく目先の作業に埋没している大企業の方にも出会います。
神成さんとの話は、結局、自分のアイデンティティの問題から出発するのがいい、ということになったのですが、何か新しい象徴的なビジネスが創出できないかと言うことになりました。
難しい話ですが、実は今は、それが可能性を持っている時代でもあります。
本当に小さな一歩が大きなうねりを起こしだせる時代です。
高坂さんがいたせいで、昔、私が東レでCI(企業文化変革)に取り組んだ時のことを少し思い出しました。
6年間くらい、その仕事に埋没し、結局、それが終わった段階で会社を離脱してしまいました。
何だか、今の状況に似ているなと思い出しました。
コムケア活動に埋没しながら、そろそろ自分の生き方に少し違和感を持ち出しています。人間は変わらないものですね。
■ 銀色応援団(2002年10月30日)
今日お会いした応援団は銀色応援団です。
銀色はシニアの発想のようです。名前がやや安直ですが、まあそれはそれとして、この団体は11月に正式に発足するNPOです。
吉田さんが20日のコムケアの選考会に参加してくれたのを契機に訪ねてきてくれました。
ここでも主役は企業人です。主に企業に属している40〜30代の人たちが13人がコアメンバーです。
高齢者や障害を持つ人を介護している人たちを応援していこうという、それも事業型NPOとして、事業展開していこうというものです。
私が理想とするNPOです。NPOは自立しなければいけません。
社会のサブシステムのNPOではなく、社会を変えていくフロントランナーだと、私はNPOを位置づけています。いつかNPO論を書きたいのですが、何時になったら書けるでしょうか。
高齢者を含む障害のある人や、そうした人を人を支援している人たちをつなげながら、そこをさらに企業や行政とつなげていこうという構想です。
コムケアの構想とかなり重なるところがあります。コムケア仲間もいろいろ紹介できそうです。
関心のある方、是非銀色応援団の応援団になってください。
ホームページをご紹介しておきます。
それはまたそれとして、ここでいいたいことは企業に所属する若い世代が目を社会に向けて動き出したことです。
経営コンサルタントなど頼まなくとも、会社は社員から変わり始めているのです。
それに気づかない経営者の感度に鈍さが、もしかしたら会社の元気をだめにしているのかもしれません。
■ 「つなぐ」をキーワードにしている縄田理恵子さんとつながりました(2002年10月30日)
縄田さんが訪ねてきました。不思議な縁です。
縄田さんと私は以前、ここで紹介した「統合医療研究会」に同席していたのです。
この研究会は、東京女子医科大学の川嶋さんが主催されていますが、私もそこに参加し、質問させてもらいました。
同じ日に、 もう一人質問した人がいました。とても興味を持った質問でした。名刺交換しようと思っていたのですが、会終了後、ゲストの方と話しているうちにその方を見失ったのです。
先日、その人からメールが来ました。それが縄田さんです。
彼女はもちろん私のことをしりません。
彼女が事務局をしているホメオパシー研究会で川嶋さんに話をしてもらおうと川嶋さんのことをネットで検索していて、私のホームページに出会ったのです。
そして、どこかの記事に共感してくださり、メールをくれたのです。
私は全く名前も知りませんでしたが、なぜかすぐに直感しました。
そこでその会に参加していたでしょうと連絡したら、まさにそうでした。
人は出会うべくして出会うものです。
長くなりましたが、まあそんな経緯で、彼女は訪ねてきました。
名刺に「人と人、人と物をつなぐ」リンケージシステム代表とありました。
長年、外資系の製薬会社でお仕事をされていましたが、ある思いから最近、会社を辞め、リンケージシステムと言う会社を立ち上げたのだそうです。
薬剤師にして食品保健指導士。健康食品や健康器具の販売活動や健康関連事業のコンサルティングをしながら、統合医学分野の活動に取り組んでいます。
アーユルベーダにも関わられています。
縄田さんから、たくさんの思いをお聞きしました。私も、やや特殊な「病気観」を持っていますが、共感できることが多く、彼女の応援団にならなければいけなくなりそうです。
統合医療やホメオパシーに関心のある方、彼女に是非お会いください。
ホメオパシー研究会に興味のある方は縄田さんにメールしてみて下さい。
参加されたい方はぜひどうぞ。
■ OBM研究会(2002年10月30日)
今回のOBM研究会は、北村英夫さんから「NPOとOBM」についてお話してもらい議論しました。
NPOとOBM? という人もいますが、私はNPOこそOBMの実験場だと思っています。
NPOに必要なのは、ミッションとOBMだとさえ考えています。
北村さんは、大企業の社員でした。仕事が飽きたといって辞めてしまった人です。
いまはNPOでボランティアをしながら、NPOマネジメントコンサルタントを目指しています。
その仕事では、残念ながらあと3年は生計は立たないでしょうが。
北村さんはBSC(バランススコアカード)についても関心をお持ちです。
OBMとBSCはつながるところがありますが、できれば私もそうしたものも含めて、NPOマネジメント研究会を開きたいと思っています。
そしてその成果をしっかりした本にまとめたいと思っています。
研究会に参加してくれる方はいないでしょうか。
また出版を引き受けてくれる出版社はいないでしょうか。
今回、久しぶりに在韓国のメンバーである、佐々木憲文さんが参加してくれました。
最近の韓国情報も話してくれました。
そういえば最近、佐々木さんのホームページを見ていないことに気づきました。
皆さんも是非見て下さい。面白いです。
なお、次回のOBM研究会は12月2日です。
テーマはまたお知らせのコーナーでご連絡します。
入会ご希望の方はメールをいただければ、メーリングリストに登録します。
■コムケア公開選考会の見直し会(2002年10月30日)
20日の選考会は盛況でした。まだメールが届きます。うれしいことです。
おかげで今年の落ち込みは軽微でした。来週からはまた動き出せそうです。
しかし、まだ印象が強いうちにと、コムケアスタッフの反省会を開きました。
参加者から寄せられたメールを中心に見直しをしました。来援はまた進化できそうです。
みなさんから寄せられた感想は、コムケアのホームページに週明けには掲載します。
是非読んでください。
ややほめられメールが多いのが気になりますが、たまには自分達もほめてやらないと元気がでてきません。お許し下さい。
コムケアのホームページは次をクリックすればつながります。
コムケアホームページ
(2002年10月第4週)
■コムケア選考会余波
20日のコムケアの公開選考会に関するさまざまな反響を届いています。問題点も指摘されていますが、寄付の申し出もありました。選外になった方からのうれしいメールもありました。協力を申し出てくれた方もいます。うれしいことです。
今回、選考会の後で無尽講ビジョンを少し話したのですが、それに賛同してくださる方もありました。
それに勢いづいて、12月の日本構想学会の大会に「コモンズ社会を目指した新しい無尽講構想」をテーマにしたラウンドテーブルセッションを行なうことにしました。半田さんのお誘いです。みなさんもぜひご参加ください。12月14日か15日、東京国際フォーラムで行ないます。詳しくはお知らせでご案内します。もっと詳しくは日本構想学会のホームページをご覧下さい。
■交通問題からまちづくりを考えている田中克明さん
長年、自動車関係のジャーナリズムの世界に身を置いている田中克明さんが訪ねてきました。といっても、取材ではありません。私は自動車には全くの音痴なのです。自動車問題には関心がありますが。
田中さんは、交通問題からまちづくりに取り組みたいと考えています。田中さんの出身地は千葉県松戸市です。そこで新しい都市交通体系を考えたいと言うのです。この分野は私が一時期のめり込んでいた分野です。もう25年くらい前のことですが。
私の提案は「自転車都市」と「マイクロビークル構想」です。いずれも日の目をみていませんが、前者は懸賞論文で入選しました。100万円もらいました。後者は一度、某シンクタンクから照会がありましたが、忙しさにかまけて連絡をとらずにいたら、そのままになりました。まあ、その程度の提案です。懐かしいので、その二つの小論を探して近く掲載します。その小論を書いた頃は、毎週のように小論を書いていました。いい論文もありますが、社会的には全く評価されなかったのが残念です。発表の場がなかったのです。
田中さんのプロジェクトには、荷担したいと思っています。いつか報告できるでしょう。
■美野里町都市計画マスタープラン
美野里町の都市計画マスタープランの関係で、例の文化センターで「いいとこフォーラム」をやることになりました。住民が自分たちの地域の「いいとこ」を自慢しあう会です。小中学生にも「いいとこ自慢カード」を出してもらいました。
私のまちづくりへの姿勢は、問題解決型ではなく、いいところを活かすスタイルです。問題解決は簡単ですが、新しい価値を創発しにくいからです。
このフォーラムは11月24日に行なわれます。美野里町の「みの〜れ」に来ませんか。
■美野里町の大塚佼巳さんの「ヴェルデ・モンターニャ」
美野里町で住民と行政で一緒になって、総合計画をつくったときに、住民委員として参加した大塚さんが美野里町にちょっとお洒落なお店を開きました。大塚さんは会社を辞めてから修業されて、ご自分の夢だったお店を開いたのです。今日はお休みの日だったのですが、声をかけたら、わざわざお店を開いてくれて、パスタを作ってくれて、おまけに美味しいコーヒーを煎れてくれました。
ちょっと甘いソースで、これが大塚味かと感心していたら(私にはとても美味しかったのですが)、急に作ったので塩を入れるのを忘れたというのです。いやはや。でもおいしかったです。
店内の雰囲気はとてもいい雰囲気でした。まさに大塚さんのお城という感じでした。懐かしいオープンリールのテープが、柔らかな音で、60年代の曲を流していましたが、それもあってか、何か学生時代を思い出しました。これからのまちづくりは「思いを語り合う場」がとても大切だと思いますが、ここが、美野里町の新しいまちづくり会議の場になればいいなあと思います。
パスタを作っている大塚さんは実にし合わせそうでした。
このお店は、JR常磐線の羽鳥駅の近くです。歩くとちょっと距離がありますが、大塚さんと機会があったら、訪ねてみてください。但し、パスタを頼む時は、塩を忘れないように注意してやって下さい。
美野里町には、こうした幸せな人がすくなくありません。
■ 美野里町福祉部会
美野里町の都市計画マスタープランでは福祉部会をつくっています。都市計画の基本は福祉ですから、それは当然ことですが、日本では長いこと、都市計画と福祉が切り離されていました。建築と生活が切り離されていたように、です。
しかし、住民と行政とのまちづくり会議の部会を作ったのですが、やはりみんなバリアフリーに関心が向いてしまいます。どうしてでしょうか。道路のバリアフリーなどは当然のことで、計画ではなくすぐやればいいのです。そんなことまで計画で取り組まなければ成らない行政やまちづくりに、最近は辟易しています。
美野里町の都市計画マスタープランのプロジェクトも、どうも最近は私の思いを離れだしたのかもしれません。私の思いが不足しているからかもしれません。
1か月前の報告とあまりに違う報告ですみません。
住民主役のまちづくりは、まだまだ時間がかかりそうですね。
■異業種交流企業家塾(2002年10月25日)
関西生産性本部の主催する企業家塾に話に行きました。アジテーションだったのですが、残念ながらほとんど手ごたえはなく、反発を実感しました。この数年は、こうした場でもかなり手ごたえがある反応が増えていたのですが、今回は意外でした。私の言い方がきつすぎたのかもしれません。東電や食品メーカーの不祥事は、どこでもが抱えている病理ということを言い過ぎたかもしれません。
期せずして、次項のサロンで、「日本の企業人も、その洗脳振りには、北朝鮮の党員と同じ」という話題がでました。私もまさにそう感じました。私は東レのCIで、バッチを廃止しましたが、まだバッチなるものが価値を持っていることに非常な驚きを感じます。
今週は日曜日にNPOの人たちと、火曜日に住民や行政職員と、話し合いを持ちましたが、企業の人たちとの話し合いの雰囲気と全く違う雰囲気が面白かったです。話し振りのなまなましさが、その分野の先行きを予感させます。
EDコントライブの社長の川合アユムさんが、私に続いて話をしてくれました。この会社は、以前から友人から話を聞いており、川合さんとも一度、メール交換していましたが、きちんと話を聞くのは初めてでした。実に共感できました。言葉で語っているのではなく、身体で語っているのがとてもよかったです。同社はある種のオープンブック・マネジメントだと思いますが、卑しさがないのが好感できました。オープンブック・マネジメントには、ある種の金銭主義的卑しさの落とし穴があります。
この塾に誘ってくれたのは、大阪市立大学の川村尚也さんと関西生産性本部の西田隆史さんです。塾では6社の異業種の人たちが自らの夢を語りながら、自らのあり方や仕事のあり方を見直すことが意図されています。議論を聞いていて、感じたのはやはり論理の世界です。20日の会にぜひ参加して欲しかったなと思いました。今、必要なのは身体で完治考えることなのではないかと思います。
みなさん、身体で考えていますか。
■東京ガス都市開発の中島英昭さん
たまには、ふと「袖振り合った人」も登場してもらいましょう。その被害者が中島さんです。
大磯プリンスホテルで、一人で朝食を食べに行ったのですが、なぜか案内の人が、それぞれ別々に行った、私ともう一人の人を同じ席に案内したのです。
お話してみたら、東京ガスの人で、もししたら、共通の友人がいそうです。西尾征郎さんです。世界の狭さについては、このホームページでも時々書いていますが、話をしていると一人のみならず、何人かの友人知人が近くにいそうです。縁とは本当に不思議です。そういえば、先日、訪ねてきた田中克彦さんとも共通の友人を発見しました。
まあ、それだけのことなのですが、人のつながりを私たちはもっと認識しなければいけません。その認識があると、社会の見え方も変わってきます。人は決してばらばらではなく、みんなつながっています。
■ 身体で生きている佐藤和美さん
佐藤和美さんは廃棄物処理施設に取り組む専門家です。新潟の巻町の施設が、和美さんの自慢のひとつです(そうですよね?)。そして、和美さんは、身体で考えている人です。
和美さんは20日のコムケアの選考会に参加し、エールのメールを送ってもらいました。寄付を申し出たお一人です。
このホームページにも掲載されているふじみ湖の関係者にも接点があり、以前、巻町の施設を案内されたとのことです。にもかかわらず、こんな事態になっていたのかと、これまたメールを下さいました。和美さんのメールに刺激されて、このホームページにも環境のコーナーを新設することにしました。和美さんにお願いして、かれのメールをぜひ再録したいです。
これまでゆっくりと話したことはなかったのですが、今回、やっと和美さんと心がつながったように思いました。和美さんは、身体で生活している人だと理解できました。言葉で語る人を、私は信頼しません。お前もそうじゃないかといわれそうですが、自分ではそうではないと思っています。まだまだ言葉が勝っているかもしれませんが。
11月中にホームページの構成を大きく変えたいと思います。環境コーナーにご期待下さい。コーナーに参加してくださる方のご連絡もお待ちします。
■オープンサロン(2002年10月25日)
今日のオープンサロンでは拉致問題や竹中構想が話題になりました。拉致問題では、私は横田夫妻と蓮池さんに感動しています。すごい人がいるものです。
大久保正雄さんが3月に地中海ツアーを企画しています。ご関心のある方はご連絡下さい。一味違ったツアーです。紀陸幸子さんの建築模型コーナーが新橋の亜吐夢館に常設されました。機会を見つけてぜひ一度見て下さい。紀陸さんは、私と違い、本当に一途にビジョン実現に取り組んでいます。男どもにはできないことかもしれません。
会社を卒業した中村公平さんは、今頃、八ヶ岳山麓でジャガイモづくりにとりくんでいるはずなのに、まだ参加しています。まだまだ今の世情が心配で隠居できないのでしょう。
八ヶ岳といえば、今日参加された産経の大串さんも近くに土地があるようで、なぜかみんな老後は自然信仰がありそうです。
自然信仰といえば、農業に一家言ある高須英樹さんがきました。またイタリアの新しいキャベツの種子が手に入ったそうです。高須さんも巻き込んで、安心の食べ物おすそ分けネットワークを年内には始めます。遅れていてすみません。
やはり自然食品に確か取り組んでいたエディターの乾真人さんも参加してくれました。いつも時間が遅くて湯島に来る前に9時になってしまうらしいのですが。乾さんは、いろいろ世情についての事情通なので、彼のコーナーも作りたいものです。
今日は大企業の人は富士通の関口明さんだけでした。関口さんはデッサンをやっています。
サロンの準備はいつも女房に頼んでいます。今日も頼んでいたのですが、準備をしにやってくる途中で気管支喘息の症状が悪化し、ダウンしてしまいました。支度をしてもらい、少し落ち着いてから帰ったのですが、症状が治まらず、翌朝、緊急で病院に行って、今、点滴をしています。
大人になっての気管支喘息は治らないといいますが、どなたかいい方法や医師などをご存知であれば教えてくれませんか。3年位前から周期的に発作が起こります。突然ではなく、徐々にですが。
(2002年10月第3週)
■ 福島県自治研修センター(2002年10月15日)
福島県の自治体職員を対象にした研修の講師を今年も引き受けました。今年4回目の講義をさせてもらいました。講義というよりもアジテーションかもしれません。
今は、自治体が社会を変えていく時代です。この数年、自治体職員の皆さんの意識と行動が変わってきているように思います。しかし、まだそれぞれが自らの自治体の中で仕事をしている感じがあります。もっと横のつながりが必要です。それも市町村合併や広域行政発想ではなく、地域を越えた連携や学びあいが大切です。
そんな思いで「風のまち」をつくりましたが、来年はそこから何かを起こしたいと思っています。何かいい知恵はないでしょうか。
■ 「文化がみの〜れ物語」
美野里町の文化センター作りを住民たちが本にした「文化がみの〜れ物語」が漸く校了しました。ものすごく大変でした。本づくりは金輪際関わるまいと思ったほどですが、校了してしまうと、また作りたくなってきました。これまでとはまた違った仕組みとスタイルの本を企画したいと思います。
美野里町の文化センター作りは、これまでの施設づくりと違い、まさに住民主役・行政支援で行われました。住民参加ではありません。住民参加はまだ主役は行政です。その発想を壊さなければ何も変わりません。
ぜひこの本も読んでください。11月3日に発売です。コモンズ書店でも販売予約中です。
美野里町の共創型まちづくりは、今では、都市計画マスタープランづくりにまで発展しています。
■ コムケア公開最終選考会の準備
コムケアの資金助成先の最終選考会を公開で行いますが、その準備に追われてしまいました。参加申し込みも150人を超えました。うれしいことに、昨年応募され、残念ながら選外になった、さわやか徳島の麻野さんが、わざわざ徳島から参加してくれるとのメールが来ました。うれしいことです。そうした方が何人かいます。
昨年は応募も多く、200団体以上の方が選外でした。その団体に、なぜ選外になったのかの個人的コメントをそれぞれに送りました。大して役に立つ内容ではなかったと思いますが、そのことで私たちの仲間になってくれた人もいます。
ちなみに、申請プロジェクトを選考するという作業は本当につらい作業です。できればやりたくない仕事です。一つひとつの申請書に書き込まれた思いが伝わってきますから、どれも捨てたくないのです。選外になった人からのクレームも、事情がわかるだけに辛いものです。3年が限度だなと思い出しています。どなたか、引き継いでくれる方はいませんか。
■ JUCEEのスタッフがお弁当を食べにきました(2002年10月17日)
コムケアセンターの近くに、日米コミュニティ・エクスチェンジというNPOがありますが、そこのスタッフ4人がコムケアセンターにお弁当を食べに来ました。コムケアセンターはいろんな人のサロンにしたいので、これは大歓迎です。あいにく作業に追われていて、私自身はゆっくりお話できませんでしたが、コムケアスタッフとは話が弾んでいました。
皆さんもコムケアセンターにお弁当を食べに来ませんか。そして、ついでに手伝っていきませんか。
■ 山形市政策塾エコマネー公開フォーラム(2002年10月18日)
山形市の共創塾の今年2回目の公開フォーラムは、加藤敏春さんをゲストにお願いしました。加藤さんとは久しぶりです。以前、EPI(環境業績指標)研究会を日本能率協会の清水さんと一緒に発足させた時に参加していただいたことがあります。とても研究熱心で、エコマネーの創造主にして、伝道師でもあります。
今回は、市民と職員を対象に、エコマネーの紹介をわかりやすくしてもらいました。山形市で何か動きが出てくるといいのですが。
私もエコマネー的なコモンズ通貨を展開していますが、まだ仲間は20人くらいです。とても面白い「取引」が成立しています。皆さん、参加しませんか、豊かになりますよ。関心のある人はジョンギ辞典を見てください。
■ 子育ち学に取り組む深作拓郎さんのシンポジウム(2002年10月19日)
東京は過密都市ではありますが、歩いているといろいろな知人友人に会います。これだけの混雑の中で、よくまあという気もしますが、そこには一つの法則があります。必ずといっていいほど、会うべくして会うのです。必然的な偶然ということが一時期言われましたが、まさにそれを感じます。何かが出会いを用意してくれるのです。
今日は二人の知人に山形出張途中で出会いました。太田さん(我孫子まちづくり交流会)と深作さんです。深作さんは法政大学の講師で、子育ち学とまちづくりに関わっています。11月17日に深作さんたちが主宰する「子育ちと地域支援」をテーマにした公開シンポジウムがあります。案内をお知らせに掲載しています。ご関心のある方のご参加をお待ちします。私もパネリストになるようです。
■ 家族の応援
私は4人家族です。いや実はあまりコミュニケーションできない息子がもう一人いますが、最近は疎遠なのです。ちび太です。このホームページにも彼のコーナーがあります。
今週はコムケアの活動でパンクしていたため、家族に手伝ってもらいました。息子のちび太君は役に立ちませんでしたが、他の3人は不承不承の感はありますが、ボランティア支援をしてくれました。持つべきものは家族です。ところが我が家の娘どもはいつになっても結婚しません。困ったものです。どこかにいい相手はいないでしょうか。引き取っていただければとてもうれしいです。この項は家族に内緒です。
■ コムケア選考会プレゼンテーションリハーサル(2002年10月19日)
コムケア活動の資金助成プログラムの選考会のリハーサルをしました。目的は、発表者のプレゼンテーションを効果的にしてもらうことです。これからのNPOや市民活動は、対外的なコミュニケーション能力がとても大切になります。しかし残念ながら、それがまだ十分ではありません。そこで、今回は余計なお世話とも思いながら、リハーサルを呼びかけて参加してもらいました。これもまた、交流の一環でもあります。コムケア活動は、このように底がないのです。どなたか資金援助してくれる方はいないでしょうか。せいぜい3億円くらいあれば、まあ基盤はつくれます。いかがでしょうか。
ところで、今日、実際にリハーサルをやってきたら、みんな実に見事なのです、今年はリハーサル不要だったかなと思いました。
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コムケア公開最終選考会(2002年10月20日)
今年度のコムケアの資金助成プログラムで、最終選考に残った29団体の発表会と、その中から20団体をさらにみんなで選ぶ公開選考会が行われました。とてもいい会になりました。もっとたくさんの企業人や行政関係者に参加して欲しかったですね。マスコミにも勉強して欲しかったです。
会場は180人だったのですが、補助いすを出しても立ち見がでるほどの盛況でした。
発表を聞いて「目からうろこ」の人も少なくなかったと思います。私の友人は涙が何回も出たと言っていました。数年ぶりに会場でお会いした人もいますが、ゆっくりお話しする暇もなく残念でした。お話できなかった方、すみません。
この会の様子は間もなくコムケアのホームページに掲載します。ぜひご覧下さい。
また発表された29団体のプロジェクト概要も公開します。ぜひ皆さんご支援下さい。
この会で、私のコムケア活動のビジョンを少しだけ話させてもらいました。無尽講構想です。それへのパワーを今日はたくさんもらいました。感謝しなければなりません。
さわやか徳島の麻野信子さんにも会場でお会いしました。ほんの一言二言の会話しかする時間がありませんでしたが、励ましてもらいました。「選ぶ仕事」をしていると、気の滅入ることが多いのですが、こういうことがあると元気付けられます。
他にもとてもたくさんの方にお会いしました。日本の元気の素が充満した会でした。
書きたいことが山ほどありますが、続きはコムケアのほうにきちんと書きます。コムケアのホームページもごひいきにお願いします。なかなか書き込めませんが。
今日の会で、日本のNPO活動が間違いなく進化しつつあることを確信しました。ヨコにつながろうという姿勢が急速に高まっています。NPOも第3世代の時代に入りました。とてもうれしいことです。
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目黒区議選に立候補した木村勝隆さん(2002年10月6日)
先々週、ここでお知らせしましたが、わくわく政治談議の代表の木村さんが、突然に目黒区議会の補欠選挙に立候補しましT。告示の2日前の突然の立候補でした。私は時間破綻の渦中にあり、まったく応援できませんでした。選挙カーも使わず、徒歩と自転車の活動だったそうです。
結果は定数3人、候補6人の中での大差の4位。得票数は3549票でした(投票率27%)。ガチガチの組織選挙だったようです。善戦というべきです。
木村さんの選挙コンセプトは「有名人の推薦は一切受けず、選挙期間だけで面識のない区民に訴え続けること」。演説で訴求したのは「組織より個人重視の社会へ」でした。私は100%共感できます。世界は違いますが、私も今週、会う人ごとに話してきたのが、こうしたことでした。木村さんと同じ活動をしてきたような気がします。
街頭演説を聴いて、わざわざ家から出てきて、深々とお辞儀をされたこともあったそうです。こうした話を聴くと、私は涙が出てしまいます。木村さんはたくさんの感激する場面を体験されたことでしょう。社会はまだまだ健全ですから。
選挙の形も変わりだしています。もう一息かもしれません。
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自治体の新しいデザインを考えるフォーラム(2002年10月7日)
福島県の自治研修センターで、自治体職員を対象にした公開フォーラムを開催しました。NPOの視点からみる社会のリフレーミングがテーマです。とても刺激的なフォーラムでした。1か月前にセンターの遠藤哲哉さんから相談があり、二人で構成した企画でした。
社会のリフレーミングは、8年ほど前に北九州市で開催した全国まちづくり先進事例会議でもテーマにさせてもらったことがありますが、その時はまだピンと来なかったようです。しかし、今は違います。まさに枠組みが大きく変わろうとしているのが見えてきました。
ちなみに、その北九州市の会議のキーワードは「共創の時代」でした。この言葉も、あまり使われていませんでした。「協働」がはやりだしていましたが、私は「協働」という言葉が嫌いです。目線の高い操作用語を感じます。大切なのは「創る」ということです。
その会議では、山形市の共創プロジェクトと美野里町の文化センターづくりを、それぞれから発表してもらいました。二つのプロジェクトは、その後、紆余曲折はありますが、続いています。私のまちづくりの原型は、この二つのプロジェクトにあります。
今回は、「組織発想の時代」から「個人発想の時代」へのパラダイムシフトの視点で問題提起をしました。
それを受けて、午後は3人のゲストとパネルトークしました。ゲストは、浜辺哲也さん(経済産業研究所)、新谷大輔さん(三井物産戦略研究所)、浦嶋裕子さん(農的暮らしを考える研究会)の3人です。みんなは現場重視主義者です。そして私を除き、次の社会を担う若者たちです。私たちの世代よりは、素直な感性を持っています。
NPOについてもだいぶ話題になりました。私は最近のNPOの動きには違和感を持っています。社会のサブシステムに位置づけられているからです。むしろ、NPO(住民活動)は社会の構造を変えていくのではないかと思います。これからの企業や行政の組織モデルはNPOだと思っています。もっとも今のNPO法人は、そのモデルにはならないでしょうが。
■ OBMの取材(2002年10月9日)
シリエズ総研の広瀬さん(代表)と松井さんが訪ねてきてくれました。オープンブック・マネジメントの取材です。広瀬さんは全国の税理士を支援している活動をされているのですが、税理士にとっての新しい役割の視点から、OBMに関心をもっているとのことでした。ご自身の会社でもOBMを展開されています。
OBMについて、とても元気づけられる刺激を与えてもらいました。社会の関心の鈍さに、いささかの不満を持っている私としては、広瀬さんのような方に会うと元気になります。しかし、広瀬さんは「売れてないでしょう」とずばりと指摘されました。その通り、この本は売れていません。第一、書店に並んでいませんから。残念でなりません。この本をしっかりと理解すれば、会社などいとも簡単に元気になるはずですが、そこへの慧眼を持つ人がほとんどいないのです。いや、これは私の勘違いかもしれませんね。反省。私の目が濁っているのかもしれません。
広瀬さんとお話していて、やはりもう少しOBMに真剣に取り組まなくては思いました。
■ KAE合宿(2002年10月10日)
企業の経営幹部が自分たちでテーマ研究する「経営道フォーラム」という活動が15年以上続いています。メンバーは半年単位で変わります。その1部会に関わらせていただいています。テーマは「企業理念」です。この部会に参加する人たちから、実によく企業の動きが見えてきます。7、8年前に大きな変化がありましたが、いままた大きな変化を感じます。
今期のグループは「個を生かす経営」というテーマを選びました。何か10年前のテーマを感じさせますが、パラダイムシフトして発想すると面白いテーマです。発表会は11月21日です。ご関心のある方は招待しますので、ご連絡下さい。
■ 東上まちづくりフォーラムの理事長の柴田郁夫さん(2002年10月11日)
柴田さんは最近流行のSOHOやマイクロビジネスの草分けです。以前、このコーナーでも紹介しましたが、20年くらい前に出会いました。なかなか一緒に仕事をする機会がありませんが、かなり同じ領域で活動しています。
柴田さんの紹介はいずれまたしますが、今日は柴田さんが同行された富士通の熊野健志さんと平野篤さんの話です。お二人は電子行政や住民と行政とのコラボレーションに関心があるようです。最近広がりつつある電子行政には大きな期待がありますが、今の取り組みはこれまでの枠組みで発想していますからうまくいくはずがありません。しかし、このお二人はかなり柔軟に考えているようです。
熊野さんは地元でNPO支援もしているようです。コムケア仲間の団体とも接点があることがわかりました。今週はNPOに縁があります。
NPOにご関心のある企業の方は、ぜひ20日の集まりに参加して下さい。目から鱗です。
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伝統の知恵のフォーラム(2002年10月11日)
伝統の手仕事や祭りの中にこそ、これからの暮らし方や地域社会づくりの知恵がある、という考えから、伝統の知恵のネットワークのメンバーが沖縄や京都を中心とした知恵集めに取り組んでいます。そのメンバーが、公開シンポジウム「伝統の知恵を拓く」を東大の駒場キャンパスで開催しました。私もささやかな登場人物です。
駒場に40年ぶりに行きました。懐かしい思い出というよりも、全く雰囲気が違っていました。しかし、あいかわらずゴミが多く、汚いのが気になりました。
シンポジウムは実に豪華です。ゲストは京菓子の老松の当主である大田達さん、西表島の染色家の石松昭子さんです。お二人のホスピタリティこもった実演、その上、太田さんの手づくり京菓子もいただきました。裏千家の木下さんからお茶も立てていただきました。しかもそれを会場の前に太田さんがつくった臨時の壁のない茶室で、みんなの前でいただきました。お茶の嗜みの皆無の私を木下さんはとても気持ちよくくつろがせてくれました。
茶器や掛け軸なども、滅多にないものとのことでした。掛け軸はまさに、今日、偶然に借りることが出来た沖縄のすごいものだそうです。太田さんが説明してくれましたが、なにしろ壇上でみんなに見られてのお茶席でしたので、それどころでなく、覚えていませんが、確かに何か伝わってくるものがありました。
お二人のお話はすごく示唆に富むものでした。コミュニティケアと伝統が深くつながっていることを改めて実感しました。いずれのキーワードも「つなぐ」です。この場が参加者をもっとつなげられるとよかったです。
お二人のお話の後、私が引き出し役の鼎談をやりました。実に面白く、このテーマで10時間くらいやりたい気分でした。
伝統の知恵のネットワークの中心は、東大大学院の2人の院生です。
この2人の身体の中に蓄積された知恵の情報をいつかまとめてもらいたいと思っています。日本社会をよくするヒントが彼女たちの頭の中に充満しています。期待しましょう。
伝統の知恵のネットワークのコムケア活動の簡単な報告を添付します。ご関心のある方は読んでください。
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コムケア資金助成選考委員会(2002年9月30日)
コムケア活動では、年1回、全国の市民活動から新しいプロジェクトを公募、その中から22団体に総額1300万円の資金助成をしています。資金は住友生命社会福祉事業団から提供されています。この支援の仕組みは、これまでの類似のものとはかなり違っていると自負していますが、それなりの苦労があります。
選考はかなり慎重に行っています。選考委員だけでも20人を超えています。
今日は、その最後の一歩前に選考委員会でした。これまでの3回にわたる選考過程を経て選ばれた約60団体を対象に、最後の絞込みをしました。活動支援と調査研究があるのですが、活動支援は30件を選び、それを公開の投票会で最終的に決定します。最終選考会は公開で行います。10月20日です。これは実に刺激的な会です。みなさんの参加をお薦めします。新しい地平が開けますよ。この会の案内はここをクリックして下さい。お知らせのコーナーです。
それはともかく、今日の選考委員会のメンバーは個性的なメンバーで、全く付き合うのが大変です。メンバーは、片岡勝さん(市民バンク代表)、北矢行男(多摩大学教授)、木原孝久(わかるふくしネットワーク代表)、町田洋次(ソフト化経済センター理事長代理)、高橋流里子(日本社会事業大学教授)、松原優佳(NPOマネジメントカウンセラー)です。3時間の激論の結果、候補が決定しました。
この結果を伝えるのはつらい仕事です。落選したところから厳しいお小言や詰問があるのです。1週間は気持ちが休みません。時には、私も電話で切れてしまいそうに成ることもあります。選考の事務局などはやるものではありません。この役割はあと1年で辞めたいと思っています。
しかし、日本のNPOは唯我独尊がまだ多いのも事実です。時々、電話をしながら哀しくなります。たしかにみんないい活動をしていますが、同じような活動をしているたくさんの仲間がいることに気づいて欲しいです。
まあ、愚痴はこのくらいにします。
■ 本田技研労組専従フォーラム(2002年10月1日)
久しぶりに労働組合の集まりで、話をさせてもらいました。私が書いた企業不祥事関係の小論を読んで、電話がかかってきたのです。本田技研は、そういうこととはかなり無縁の会社だと思いますが、労組からの依頼は意外でした。
私は労働組合がこれからはすごく面白い役割が発揮できる時代だと思っています。時間ができたら一度ゆっくりと意見交換したいと思います。
■ 「文化がみの〜れ物語」(2002年10月4日)
いよいよ原稿が完成し、入稿しました。すごくいい本になりました。茨城新聞社がどのくらい売ってくれるか知りませんが、内容は太鼓判です。自治体関係の人はぜひ購入して下さい。コモンズ書店で、送料込みで1800円で販売します。書店で買うと1400円(税別)ですので、そちらが安いです。
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相島芸術文化村(2002年10月5日)
我孫子市にある手賀沼は干拓によって多くの新田ができています。その一つが、享保年間の相島新田です。そこの旧家の井上邸の蔵の床をはがしたら、貝殻が敷き詰められていました。湿気対策です。これについては以前、ここでも紹介しました。
いま、そこで美術展をやっています。旧家を舞台に11人の作家が展示しています。とてもいい空間が創出されていました。
たまたま当主の井上さんから話しかけられました。壊れかけた家の軒先に見とれていたように見えたらしいのです。事実はそうではなく、その空間全体のかもし出す時間を感じていたのですが。
しかし、どうして昔の建築はいのちを感じさせるのでしょうか。何かホッとしますね。どこが違うのでしょうか。この空間での時間の流れ方は、たしかに違います。
来年は私もスローライフに移行します。所属している会の7割を脱会することにしました。学会は基本的にすべて辞めようと決めました。脱会の通知が行ったら、この記事を思い出してください。
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我孫子まちづくり交流会(2002年10月5日)
運営委員会がありました。この会はまちづくり活動をヨコにつないでいくことを目的にして生まれた会です。私は新参者です。昨年から会には入っていますが、運営委員会に参加したのは今日が初めてです。いつもの悪い癖で、また言わずもがなのことを発言してしまい、ちょっと反省しています。
この会の運営委員は住民と職員と議員の混成です。私の発想とはちょっと違って、運営委員が役割を背負いすぎているように思いますが、代表の太田さんがともかく誠意のある方です。昔、我孫子市でまちづくり研究会というのをやったことがありますが、見事に頓挫してしまっていましたが、この交流会はとてもいいイベントも行っています。また紹介します。
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美野里出版社(2002年9月22日)
美野里出版社では現在、総力をあげて「美野里町文化センター物語」を制作中ですが、この連休は、それに没頭していました。22日には美野里町で最後の編集会議です。どうにか原稿はできあがりそうですが、もう神技に近い進め方です。金輪際、本づくりには関わりたくない気分で、この本が出たら出版社には辞表を出そうかと考えています。業績の関係で無給ですし、もしかしたら逆に寄付を要求されそうです。いやはや、自分で仕組んだとは言え、今回は疲れました。おかげで仕事は後回しで、関係者にご迷惑をかけています。
しかし、まったく疲れていないのが、杉本さんです。彼女は茨城新聞社の若き記者ですが、このプロジェクトの支え役です。極度の楽観主義、もしくは能天気者で、しかもすごいクールなのです。美野里出版社が忙しいのに、海外旅行に出かけちゃいました。
それはともかく、この本は絶対に面白いです。自治体職員は必読です。ぜひご予約ください。発売は11月3日。売れ切れの場合はご容赦ください。価格はなんと1400円(送料は別です)。きっと発売と同時に完売ですが、今なら予約できます。ご注文はコモンズ書店にどうぞ。
■ たべもの通貨研究会(2002年9月24日)
JA兵庫六甲の地域通貨制度研究会の最後に委員会がありました。提案がまとまったのです。
提案内容に関心のある方はご連絡下さい。
以前もここでかなり否定的なコメントをしましたが、今回もやはりせざるを得ません。みんな何故、既存の枠から自由になれないのでしょうか。既存の経済システムをひきづったままの地域通貨は意味がないと私は思っています。それと重要なのは、ビジョンです。
まあ、それを言い出すと、お前も委員ではないかと言われそうですし、熱心に企画立案してきた溝内さんに申し訳ないのですが、ぜひ今回の議論を踏み台にして、いいものにしていってほしいと思います。
研究会といわれたので、想像的な議論が出来ると思ったのですが、説明会で終わったのが残念です。
■ 福祉のまちづくり工学研究所(2002年9月24日)