CBS, AT&T, and Simon & Garfunkel

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 "It Would Be So Nice If You Weren't Here : My Journey Through Show Business"

 俳優・プロデューサーのチャールズ・グローディン氏の自伝であるこの本では,彼がプロデュースし,1969年11月30日に放映されたサイモン&ガーファンクルの特別番組『Songs Of America』について1章が割かれています。かなり興味深い内容だと思われますので,こちらに試訳を掲載したいと思います。
 もちろんこれが全て真実とは限りませんが,製作当事者の証言として,今までのサイモン&ガーファンクル関連の伝記本では窺い知ることのできない部分についても書かれているように思えます。 前章は映画『キャッチ22』の撮影について取り上げていました。その末尾部分から書いていきます。


 ―Catch-22 and Mike Nichols ―

 『キャッチ22』撮影全体を通して築いた最も有意義な関係はアート・ガーファンクルとの友情であった。彼はこの映画で俳優としてデビューしたのだ。撮影終了の数ヵ月後,ロサンゼルスに戻ると,アートはパートナーのポール・サイモンに私を紹介した。そのことが,次に語る並外れた体験へとつながったのである。


 ―CBS, AT&T, and Simon & Garfunkel―

 60〜70年代におけるサイモン&ガーファンクルの名声と影響力の大きさは,どれほど強調してもしすぎることはない。テレビ局は何年にも渡って彼らに特別番組を作るよう提案していた。彼らは世代の代弁者と呼ばれるようになり,彼らのパフォーマンスとキャリアの持つ力は巨大なものであった。彼らはテレビ特別番組のきりのない申込みを受け―そして断っていた。私の考えでは,彼らが気が進まない様子なのは,持ち込まれた企画がつまらないと思っていたからだった。ひょっとすると申込んでくる『支配者層』に対する彼らが生来持っている反抗心によるものだったのかもしれない。
 友人になった後,彼らは私にこのまだ存在しない特別番組に参加しないかと誘ってきた。彼らが見たように,私は物事に対して多くのアイディアや感想を抱く特質をもっていた。加えてこちらのほうが重要なことであるが,経験がなかったので,私が参加することで『慣習的な』影響が出るおそれは一切なかったのだ。私は彼らに次のことを指摘した。自分には成功しなかったオフ・ブロードウェイの共同執筆と監督(彼らは悲惨な初日の夜の光景に同情してくれた)と,ブロードウェイでコメディを監督した経験しかないのだ。テレビだって? 確かに,『Candid Camera』はやった。でもこの仕事に向いているとは思えない。もっと適任の人物を探してみるよと彼らに言った。
 テレビ業界にどっぷり浸かっているわけではないが,なんらかのテレビ番組の経験がある人たちと何度かミーティングをしているうちに,高い評価を受けるようになってきたCMディレクター,マイケル・チミノと出会った。後に『天国の門』で映画スタジオを丸々潰した彼である。特別番組に関する彼のアイディアは面白かったが,話しているうちに,非常に短い期間に,私だけではなくサイモン&ガーファンクルが彼,チミノのために働くということが彼を幸せな気分にさせているのではないか,という印象を彼の目付きから受けた。面談して過ごした数週間が経つと,自分はベテランのような気持ちになったが,もちろんまだなにも成し遂げていなかった。自分だったらサイモン&ガーファンクルの特別番組としてどんなものが見たいか,『彼らの世代の代弁者』(この称号は彼らを自己冷笑でいっぱいにしていた)から何を見たいのだろうか,と自問した。
 サイモン&ガーファンクルの番組について,テレビ局の基本的なアイディアは次のようなものだった。音楽番組で,『The boys』(テレビ業界内では彼らは広くこう呼ばれていた。)がヒット曲を歌い,有名人のゲスト・スターを招き,『特別』番組とする。彼らの幅広い人気のため,ネットワーク局のCBSは80万ドルを投入する予定であった。1969年当時,娯楽番組の特別番組では最も巨額の予算であった。
 熟考の結果,私が彼らに提案した特別番組は,サイモン&ガーファンクルの音楽が彼らの時代によってどのように形作られたかをシンプルに示すものであった。一見当り障りのないものに思えた。しかしよく見るとこのようなものなのだ。例えば,『ミセス・ロビンソン』を歌う『The boys』と,公立学校での人種統合の初日に,白人女性が小さな黒人の子供たちを嘲り,叫んでいる姿が交互に映し出される。"Here's to you, Mrs. Robinson. Jesus loves you more than you will know-wo, wo, wo." 『The boys』が私を見つめた。
 この番組で『明日に架ける橋』が披露される予定だった。画面では,近年暗殺された3人の指導者,ジョン・ケネディ,マーティン・ルーサー・キング,ロバート・ケネディの映像が流れる。最後にはロバート・ケネディの葬列を呆然と見つめる国中の人々が映し出される。すべて既存の映像だ。『The boys』は私を見つめつづけた。
 『スカボロ・フェア』の曲が流れる時には,ベトナムで撃たれた兵士がストレッチャーに乗せられて運び去られる映像が使われることになるだろう。
 手短に言うと,特別番組が本質的に語ることは次のようなことである。「ベトナムから出て行こう,黒人を迫害するのはやめよう,アメリカの欠点を明らかにして,アメリカの特性の心優しい面,寛容の旗を掲げよう。」私はこのテーマに関して,さまざまなバリエーションを出し続けた。この企画はポール・サイモン,アート・ガーファンクル,私が1969年に自国に感じていたことをかなり反映していた。私はこう言った。「これを娯楽特別番組と見る人はほとんどいないだろう。」 数少ない経験から,この番組では高視聴率は望めないと考えたし,『スペシャル・ゲストスターはグレン・キャンベル!』というようなタイプのものにした方がずっとうまくいくだろうと思った。でもここに,彼らがどのような者であるのか,彼らの拠って立つ立場はどのようなものかを記録に残す機会があるのだ。そのうえ,『世代の代弁者』が特別番組を作るとき,一体全体どのようなものを期待されていると言うんだ?
 私はこれは単なるアイディアだと述べ,もし最新のゲストスターを呼んで正統派の音楽特別番組にしたいと思うなら,その方向で手伝うと言った。彼らは社会的・政治的なアイディアを採用することに決定した。その時,我々は誰もアメリカが1969年にどこに向かっているのかわからなかった。ワシントンにはリチャード・ニクソン大統領とスピロ・アグニュー副大統領,ベトナムではまだこの国は戦争を続けていた。
 1969年,ちょうどスマザーズ・ブラザーズ(Smothers Brothers)が『リベラルすぎる』と判断されてコメディ番組を打ち切られたところだった。
(注:http://www.grimsociety.com/wayback/junewb.html に,下記のような記述があります。

June 8th, 1969 - SMOTHERES BROTHERS - CBS cancels "The Smothers Brothers Comedy Hour" last airs. The show was canceled not for bad ratings but because it's format highlighted liberal and anti-Vietnam War performers like Buffy Saint-Marie, Bob Dylan and Pete Seeger. Producer Tommy Smothers (Mom always liked Dick best...) was constantly battling nervous network executives, already leery of the show's dealings with issues like birth control and women's lib, to let Seeger sing songs like Big Muddy, a direct criticism of U.S. war policy. Finally, when President Lyndon Johnson(注:ニクソン大統領の間違いでは?) personally called CBS chief Bill Paley to complain, the show was yanked. )

 我々が作ろうとしているような『娯楽』特別番組など存在したことがなかった。これはCBSのドキュメンタリー特別番組―例えば『飢えとの戦い』のような―の方に近かった。しかしこの番組が放映されるのは日曜の夜9時,ボブ・ホープの時間帯だ。ネットワーク局,広告代理店,スポンサー―AT&T―は,ショーがどのようなものになるのか概要を提出するよう求めてきた。提出した。何も隠し事はしなかった。私はアートとポールに自分の考えを述べた。AT&Tが営利的に引き合うと考えたとしても,誰かに電話で接触して,我々にこう言ってくるだろう。「その企画はやめろ,ヒット曲を歌って,コントを演じて,ベトナムと平等権のことは忘れろ。」 我々は待った。何も起こらなかった。当事者,つまりCBSとAT&Tの誰からも何の意見も寄せられなかった。
 我々は企画を進め,ロバート・ドリュー(Robert Drew)という名の者を雇った。彼はビデオヴェリテという手法(注:リハーサルなしのドキュメント風テレビ番組制作―goo英和辞典より)の発案者であり,第一人者であると見なされていた。賞を受賞したドキュメンタリーを何本も撮っていた。ボブは製作責任者となり,製作設備を全て提供することになる予定であった。私が番組の概要を説明した時,彼はネルソン・ロックフェラー副大統領の写真の下のデスクに無表情で座り,その企画の代りに作曲についての特別番組を製作するべきだと示唆した。我々はもっとメッセージ性の強いものを作りたいのだと説明した。ボブはさりげなくこう告げた。その企画を進めると,我々はある種の,こう言っては何だが『厄介なこと(troubled waters)』に向かうと思うと。しかし設備と専門知識を提供することには同意した。
 私はもうしばらくCBS,AT&T,広告代理店からなにか反対意見が出てこないか待っていた。依然として誰も概要の内容に意見を返してはこなかった。私に推測できることとしては,長い間切望してきたサイモン&ガーファンクルの特別番組を製作することにあまりにも興奮していて,誰もわざわざ概要を読もうとしなかったのだろうといったところだ。私は番組製作を進めていった。
 南部の白人女性が,学校統合された小さな黒人の子供達に金切り声をあげる映像は使われなかったが,マーティン・ルーサー・キング牧師の『I Have a Dream』の一部は使われた。暗殺された指導者達。ベトナムの兵士達。コレッタ・キング(注:キング牧師の妻)が「貧困とは無教育な子供のことである。」と語っている。ジェシー・ジャクソン(注:黒人指導者),セサール・チャベス(注:労働運動指導者)の若い頃の映像,サイモン&ガーファンクルのインタビュー映像,それを見ると2人が真正面からベトナムでの戦争に反対していることがわかる。アートがこう言っている。「我々が人々を殺すには,ものすごくはっきりとした理由,強い理由がその前にあってしかるべきだと思う。」この発言が暗示しているのは,アートが未だにそんな理由は聞いたことがないということだ。サイモン&ガーファンクルのツアー映像が散りばめられた,迫力のある素材の集大成であった。
 サイモン&ガーファンクルが各地をツアーするのに,フィルムクルーがついていき,私はコンサートの開催地がどこであろうとそこに行ってサイモン&ガーファンクルのインタビューを収録し,ボブ・ドリューの製作設備のあるニューヨークに戻っては手練のエディター,エレン・ギフォード(Ellen Gifford)とルーク・ベネット(Luke Bennett)とフィルムをまとめていた。我々全員が奇妙に思っていたが,ボブ・ドリューはそれには携わらず,部屋で自身のアイディアである作曲風景を写した映像を整理していた。CBSとAT&Tに手を引かれる気配にボブは備えているのだろうと私は推測した。しかしCBS,AT&Tは依然として何も言ってこなかった。
 ついに,数ヶ月かかって,エディターと私は番組の最初のラフ編集バージョン―『素材の集合体』―をまとめ上げた。本来あるべきものの2倍の尺となっていたが,出来上がりを見る機会はそれが初めてだった。アートとポール,ボブ・ドリューに見せた。上映が終わってから,ボブ,ポール,アートと私はボブのオフィスでミーティングを行った。ボブはおなじみのロックフェラーの写真の下に座り,番組は『airworthy(注:本来は飛行機が耐空性があるという意味)』ではないと言った。その言葉を耳にしたのは初めてだったが,間違いなくその意味するところ『放映できるほど出来が良くない』はわかった。それのみならず,ボブはクレジットから自分の名前を外したがっていた。
 ポールとアートは不安そうに見えた。2人にとって,見たばかりの内容に反論を唱えるのは難しいことだったのだ。結局のところ彼らはテレビ人ではなくレコーディング・アーティストであって,放映する価値のあるなしは彼らの専門分野とは言えなかった。2人は予算の80万ドルのことを思い,番組は少なくとも『airworthy』であるべきだときっと感じていたことだろう。
 ところでボブである。大柄で力強い立派な男,大統領や大使の役を軽々と演じそうな彼は,しばらく黙って彼の言葉の重みが浸透するのを待った。そしてこう続けた。「この番組が救われる道はただ1つ,チャックが降りて,指揮権を私に渡すことだ。」


 

 今やボブ,ポール,アートの3人がこちらを向いて私を見つめ,返事を待っていた。ここにいるのはロバート・ドリュー・アソシエイツのロバート・ドリュー,この分野の王者であり,ビデオヴェリテの父。そして彼はこう言っているのだ。「こいつを追い出せ!」 『Candid Camera』のクレジットから2度首を切られたこの私は,今度は皆の凝視の的となった。実に緊迫した一瞬だった。重大な拒絶であった。ただ,ボブはビデオヴェリテの王者かもしれないが,この私も拒絶取扱の達人となっていたのだ。私の性格はいつだっていわゆる『のんきもの』であった。私はほとんどの場合,仕事の場で苛立ちや不快感などの態度や,論争的な態度を一切表に出したことはない。『Candid Camera』のときのように実際に怒鳴りつけられたら別だが。内心は激怒していた。しかし表向きは平気なそぶりでこう言った。「うーん,番組はとても良いものになりそうだよ。とてもパワフルにね。正にあるべき姿。ただ1点だけ,長すぎるのが欠点だ。でも色々集めたのだから当然だ。自分に少し考えがあるよ。」 そしてボブをじっと見つめた。「ボブ,この番組をあなたが支持したことは一度もないね。あなた自身の政治的な理由で不愉快に感じているのだと思う。あなた以外の誰も興味を持っていない作曲風景のアイディアにずっとかかりきりで。もし番組を本当に手伝いたいというのなら,ここにはいないで家にでも帰って下さい。あなたのような否定的な人がいても,皆が憂鬱になるだけなんですよ。」 私は自身の怒りをコントロールしようと努めたが,あまり成功しなかった。面子の問題ではなかった。エディターと私は番組を素晴らしいと思っていたし,ボブの『airworthyではない』という皮肉に私は本当に腹を立てていた。後に,映画スタジオで誰かが何かを『公開できない』いうのを聞く度にこう思った。「何と比較して?(これまで何が映画で公開されてきたと思っている?)」 そして,今までテレビでオンエアされてきたものを考えてみれば,そしてこの番組に関わった誰もがどれほど良い仕事を,どれほど一生懸命してきたかを考えあわせると,『airworthyではない』の言葉は本当に私の怒りを招いた。私は心底腹を立てていた。
 ポールとアートは長い間私を見つめていた。これは彼らが一度も目にしたことのない私の一面だった。2人の目はボブへと戻った。ボブは私が一言も喋らなかったかのように振舞っていた。沈黙以上,水を打ったような静けさだった。
 私は言葉を続けた。「今夜夜通しエディター達と番組をカットしますから,実際の放映時間に近いものを明日皆で見ることにしませんか。そしてその出来を見て,どう思うか見てみましょう。」 ミーティングは不穏な沈黙に包まれて終了した。
 私は夜通しエディターと作業をして,番組を放映するサイズに近づけるようカットしていった。明け方4時頃の休憩時間に,私は1人で終夜営業のデリカテッセンにサンドイッチを食べに出かけた。角のボックス席に1人で座り,サンドイッチを取り上げると,自分の手が震えているのに気づいた。緊張しているせいか疲れ果てているせいかわからなかった。しかし手が震えようと震えまいと,私は戻ってエディターと仕事を続けた。
 翌日,ボブ,ポール,アートが編集室に戻ってきて,今度は『ラフ・カット』と呼ばれる改良新バージョンを見ることになった。上映が終わる頃,ボブがこう宣言した。「私が今まで見た中で,一番素晴らしいラフ・カットだよ。」 私はボブが本心からその意見を言っていると確信した。最初のバージョンを見た後,ボブはパニックに陥ったのだと思う。それにボブは私のことを全く知らなかったので,出来あがりを自分で見るまで私がやり遂げられるとは信じられなかったのだろう。それからボブは支持を表明してくれた。
 新たなミーティングを行うため,我々はボブのオフィスにまた列を作って戻っていった。ボブが列の先頭に立って廊下を歩き,アートがその次,ポールがアートの後ろで,私がしんがりを務めた。そのときポールが突然,歩調を全く乱すことなく,本職の体操選手のようにくるっと宙返りをした。ポールがそんな動きをするのを,私はそれ以前にも以後にも1度も見たことはない。我々の全員が,新しい側面を見せていた。
 今度のミーティングは和やかだった。改めて言うことはしなかったが,ボブは作曲風景を取扱う自身の特別番組の編集を行うのをやめ,私が提案したように,施設内にほとんど姿を見せなくなった。最初の障害は乗り越えた。私は次に待ち受けているものが何かは全く知らなかったのだけれど。
 番組は完成した。依然として,CBS,AT&T,広告代理店からは何も言ってこなかった。番組が納品された。数日がたち,さらなる沈黙。そして電話が鳴り出して止まらなくなった! ミーティングが召集された。口火を切ったのはAT&Tの代理人と広告代理店だった。彼らはこう言った。「あの番組は言語道断だ! AT&Tは今の状態ではスポンサーには絶対になれない。ベトナム戦争を支持している数百万のアメリカ人への攻撃だ。」そしてこうも言った。「電話料金は地方で管理されていて,アラバマの責任者はブル・コナー(Bull Conner)〔黒人に犬をけしかけ,放水を行った責任者の警察署長〕だ。貧者の行進の類の映像は絶対に彼のお気に召さないだろうよ。」「ケネディ一族に対して親しみを込めた言及が7ヶ所ある。アドレイ・スティーヴンソン(Adlai Stevenson)(注:1952年の民主党大統領候補。アイゼンハワーに破れた。1962年のキューバ危機時のアメリカ国連大使)を好意的に取扱ったのが1ヶ所。アイクはどこだ?」 彼らは知りたがっていた。
 私はこの番組はサイモン&ガーファンクルの考えや意見を反映していて,彼らはスティーヴンソンを支持してきたのだと言った。
 ある広告マンはこう言った。「ゴルフをするアイクというのは,いい映像になると思う。」
 私はまたこう言った。「この番組はサイモン&ガーファンクルの意見を表現しているんです。」
 部屋にいた多くの人たち―10名ほど―が私を睨みつけた。ついに,AT&Tの代理人が私の目をまっすぐ見ながら腹立たしげにこう言った。「君は我々の金を自分のイデオロギーを売るのに使っているんだ。」
 「私のイデオロギーって?」と私は尋ねた。
 彼は苦々しげに答えた。「人道主義的な姿勢だよ。」
 私は笑みを浮かべた。彼が冗談を言っているのだと思ったからだ。それから彼が本気だと悟り,全く無邪気にこう聞いた。「人道主義的な姿勢に反対する人たちがいるとおっしゃりたいんですか?」
 「ああそうだよ,くそ,確かにいるんだよ。」と彼は答えた。
 私は34歳だったが,そんなこと思ったこともなかった。そう,アメリカにはいないだろう。会社としてそんな立場をとるなんて。孤立した偏見に満ちた人というのは存在しているかもしれない。でも主たる方針として? まさか。
 部屋が不快な沈黙に満たされた。ポールは後でこう言った。人道主義な姿勢に反対するこうした人たちが存在するとその男が発言したとき,私は一瞬椅子から半分立ち上がりかけていたと。私はその男がその非人道的な人間の1人だと考えたが,彼を殴ろうとする衝動を抑えた。
 「私は違うよ。」AT&Tの代理人はすばやく言った。彼が指したのは外部の,他の人々,人道主義に反対している人々のことだった。しかしビジネスと人道主義との選択を迫られたら,そう,人道主義の方が絶対に消えなければいけないのだ。
 彼らは何点か削除を要請してきた。コレッタ・キングが「貧困とは無教育な子供のことである。」と言っているシーンについて,音量を下げるよう要求した。
 私は言った。「どのレベルまで?」
 彼らは言った。「聞き取れないくらいまで。」
 彼らは更なる削除や含まれるべき言及の提案の非常に長いリストを我々に渡した。そして現状では絶対にAT&Tの名前はこの番組に出せないと宣言して出て行った。
 ポール,アート,私だけが残って座っていた。私はこう言った。「あいつらが今夜ディナーの席で奥さんや子供に自分達がコレッタ・キングが貧困について話しているのをやめさせたんだ,と話すのを想像できるかい? いったいどんな人生なんだ?」 私は2人に,どうしたいか尋ねた。彼らは即答した。自分達はこの番組が本当に気に入っていて,誇りに思っている。1つたりとも変更するつもりはない。
 私はこう言った。「私も同じ意見だ。次に何が起こるか見てみよう。」
 その夜,数人の友人と食事に出かけた私は,奇妙な体験をした。レストランの隣のテーブルから,男がこう話しているのが聞こえた。「そうだよ,サイモン&ガーファンクルは,魔術師(スヴェンガリ/Svengali)のチャールズ・グローディンに魔法をかけられているのさ。」 私と一緒にいた人の1人が彼の方を向いてこう言った。「チャールズ・グローディンならここにいますよ。あなたの心を読んでもらったらどうです?」
 彼を見ると,AT&T担当の広告代理店の社員であることがわかった。ひどい緊張が漂った一瞬だった。私は「なかったことにしよう。」といい,両テーブルはぎこちなく食事を続けた。その広告代理店が極度の重圧下にあることや,AT&Tとの取引を失いかねないことは明らかだった。私はひたすら不思議だった。なぜ彼らは自分たちの仕事,つまり概要に目を通して,今の事態になる手間を省くことをしなかったのだろう。
 翌日はCBSが電話をかけてきた。CBSは番組放映についての問題を話し合いたがっていた。ポールが同行した。緊迫状態にも関わらず―あるいはそのためにか―状況全体が喜劇的な様相を呈してきた。ポールは私のオーバーコートをミーティングに着ていきたいと言った。(ポールの足首まで届いた。)
 番組業務部部長(検閲担当)のウィリアム・タンカースライ(William Tankersly)は親切な目をした50代後半の長身痩躯の紳士であった。彼との2時間のやりとりの中で,私はこう主張した。この番組は世界的にも大変名高い2人の音楽アーティストの視点を偽りなく提示したものであり,同意しない人は数多くいるかもしれないが,それは別の話である。このような番組が今まで娯楽特別番組として放映されたことは一度もないが,そろそろその時期がきたのかもしれない。驚くべきことに,CBSの担当者は同意した。彼は我々が真剣であり,悪意があったり中傷する意図はなく,多くの面で我が国の政府と意見において誠実な相違を持っているのだと判断したのだ。
 AT&Tは番組から自社の名前を外した。そしてアルベルト・カルヴァー社(Alberto Culver)がスポンサーとなった。金額は大幅に縮小された。CBSは映画俳優のロバート・ライアン(Robert Ryan)が次のように前口上を述べるフィルムをつけた。「あなたがこれから見る番組は,一部の人たちの感情を損ない,論議を呼ぶ題材を取り扱っている可能性があります。しかしこの番組は,この形で意見を聞いてもらう権利を獲得した2人のアーティストの主張を表現したものなのです。」
 番組はアメリカの美しい風景を写した映像で始まった。ポールとアートが『アメリカ』を歌っている。小麦畑,山々の頂,この国の美しい風景が映し出される。そして次第にゆっくりと,街角での暴動や血を流す人々へと移っていく。ロバート・ケネディの葬列が映されて,最初のコマーシャルタイムになった。この時点で,100万人が番組を見るのをやめた。これまでの『娯楽』特別番組中屈指の低視聴率であった。国中から激賞のレビューが寄せられたが,同時に,あの番組の娯楽特別番組としての存在権に異を唱えるレビューも同じくらい書かれた。TVガイド誌は3週間後にこのような報告を掲載した。同誌が受け取った同誌の立場に異論を唱える投書の数は今まで最多であったと。特別番組はファン,あるいはファンの親で,対立する立場をとる者からのサイモン&ガーファンクルに対する非常な怒りを顕在化させた。ホワイトハウスは番組のフィルムのコピーを要求した。ワシントンポスト紙は『現在の政治情勢下において』このような番組が放映にこぎつけたことさえ驚くべきことだと述べる社説を掲載した。
 この特別番組がサイモン&ガーファンクルのテレビ業界でのその先のキャリアを傷つけたのは確かだったと思う。約20年後の今でもポールとアートが私の親しい友人であり続けてくれているのを嬉しく思っている。あの番組は私のプロとしてのキャリアの中で最良の業績だったと感じている。サイモン&ガーファンクルと私はあの番組で,多くの人々が望んでいない時期に,真正面から記録を残し公表したのだ。私の代理人であるウィリアム・モリス・エージェンシーは私ににべもなくこう告げた。私が起こした多くのトラブルのため,これから長い期間,テレビの仕事があるとは思わないでくれ。
 番組は二度と再放送されなかった。



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