|
・・・欲求不満耐性
「これわかんないさ」
雑誌を片手にベッドにもたれていた道徳が、家庭教師よろしく音を上げた天化の後ろから問題集を覗き込む。
「どこ?」
「これ……って、あッ!コーチひでぇさ!それ俺っち買ってきた雑誌じゃん!」
非難の声が上げられたのも当然。道徳が手にしているのは、学校帰りに天化が買った本日発売の少年誌だ。
「気にしない。ほら、わかんないのどこ?」
「するって!俺っちまだ読んでねぇのに!」
宿題が終わったらゆっくり読もうと楽しみにしていたのだ。
大体、かばんの中に入れてあったはずなのに一体いつの間に抜き取ったのか。
勝手に先を越されたことに文句を言いながらも、諦めたように天化はシャーペンの先で『問16』を突付くように示した。
分厚い雑誌を閉じてその問いを確認すると、道徳は問題集を引き寄せてそれに似た例題を問の横にさらさらと書き上げた。
「まずグラフを書くとこうなるだろ?」
表情を変えて、真面目な顔をして覗き込んできた道徳に天化も姿勢を正す。
「求めるべきはxだから、公式はこう…」
「ああ、そっか。じゃあこの値が4のときには、」
道徳の手元に視線を注いで、天化は式に数字を当てはめていく。
「あーなるほど、わかったさー。コーチやっぱり教え方上手」
例題の途中までを一緒に進んでやれば、得心した様子で ぱっと破顔する。
「じゃあさこっちの、この場合には、公式を…こうすればいいわけさね?」
つまずいた他の問題を自分でもクリアしてみせようと、俯いたその首筋に長い襟足がさらりとかかる。
目を引かれて見とれていれば沈黙に気がついたのか不意に視線が上がり、道徳のそれとぶつかった途端、天化はうろたえるように瞳を揺らした。
屈託なかった表情が急に引き締まって、そんなときの彼の顔は急にひどく色香が漂う気がする。
「なに?」
「や。な、んか目がやらしいさ」
見るのをやめない道徳に天化は更に俯いて、それが道徳の悪戯心を誘う。
もたれるようにこてんと額を肩に乗せてみた。
「な、な、なに、」
「だって可愛いこと言うから」
「うわ。また変なこと言って」
そーいうのやめるさ!と小さく噛みついてくるのをなんなくかわす。
「無理だよ」
指先でトレーナーの袖を引き寄せる。
「無理。俺は天化が可愛いから」
シャーペンを握る手の甲を覆うように手のひらを重ねれば、天化の顔が燃えそうなぐらい赤くなった。
天化は。
道徳とキスしたいとか、触れ合いたいとか、そんなことは考えていないのかもしれない。
幼なじみなら当たり前だ。
でも道徳はそうしたい。
今だってこのまま抱き寄せてしまいたい。
手を握ると居心地悪そうに伏せた顔がほんの少し恥ずかしげだとか。
握り返してさえこないけれど離そうともせずにそのまま道徳の手のひらに温もりを預けてくれる態度とか。
道徳の気持ちさえ既に知っているのだろうと思わせる天化の過敏な反応は、決して自分だけの気のせいではないと思う。
「もうすぐ、誕生日」
不意に呟いた天化の声が少しひっかかるみたいに聞こえたのはきっと緊張しているせいだ。
「週末に、うちの母親がケーキ焼く予定」
来れる?と躊躇いがちに上げられる視線。
誕生日、とはいっても天化のではない。道徳の――だ。
共働きで帰宅の遅い両親の代わりに、道徳の誕生日は毎年天化の家族が祝ってくれた。
いい歳をしてと思わなくもないが、昔からずっとのことだし、断るのもかえって悪い気がして好意には素直に甘えることに決めている。
なんせもう天化の家族とは20年来の付き合いだ。
「じゃあ呼ばれる。毎年わるいな」
天化の顔が綻んだ。
「土曜日大学?まっすぐ来れるさ?なんか予定ある?」
「あ、少し遅くなる。約束あるから」
「え、なんで。誰と?か、彼女とか、」
うろたえたように瞳が揺れた。
「あ、…いや彼女とかじゃないけど。教授に呼ばれてるんだ、レポートの課題について相談してたから」
心配顔にすかさず否定すれば ほっとした顔。
それはさ、天化。俺のことが好きだからじゃあないのかな。
いいのではないかと思う。
もう今更だと思う。
多分きっともう待ちすぎている。お互い胸の内は通じ合ってると勝手に信じ込む。
ゆっくりと近づけた顔に、天化はけれども慌てたように俯いてしまった。
窺うように少しそのままの体勢で待ったけれども顔の上げられる様子はなかったから今日はもうこれ以上の接近を諦める。
自分はこんなにも我慢強い人間だっただろうか。
近付きすぎた距離を持て余して天化の髪を撫でるようにして覗き込んだ。
「…今日着てるトレーナーさ、それ新しい?かっこいいね」
「あ、うん!これこの前 発ちゃんと買った。えっと学校帰りに原宿行ったさ」
話題がそれた天化は安堵したように表情を緩め、先ほどまでの雰囲気を打ち消すようにわざとはしゃいだ声を立てたけれどそれが道徳の気に障る。
またそいつか。と道徳は気付かれない程度に苦く顔をしかめた。
『発ちゃん』は天化の親友だ。
高校に入ってからの一番の仲良しで、放課後だけでなく休日にもよく二人で外に出ていることを知っている。
恋人であれば親友よりも立場が強いけれど、果たして幼なじみの立場では親友に勝ち目があるのだろうか。
黙ってしまった道徳に天化はトレーナーの裾をなんとはなしに引っ張ってみたりする。
二枚買ったものだけれど実はもう一枚のほうがお気に入りだ。
制服から着替えるときになんとなく目の前にあったほうを引っ張り出してしまったけれど、せっかく道徳に誉めてもらえるならもう一枚のほうにすれば良かったとも思う。
天化のそんな気持ちを道徳はもちろん知りはしない。
心ここにあらずという様子をきっとそのとき遊びに行ったことを思い出しているからだろうと思い込む。
水を向けたのは自分だけれど、自分といるときにまで友達のことなんか考えなくてもいいのにと身勝手にもそう思う。
いつもそれ以上は踏み込んでこない天化に、まぁ俺は大人なんだし。と引いてやるのにももう慣れたものだったけれどもちろん面白いわけもない。
もう今日は触れないと決めたばかりだったけれど、少しぐらいの意趣返しは許されるんじゃないだろうかとその首筋から手を突っ込んだ。
「うわっち!つ、つめてっ!」
じたばたする身体を後ろから抱え込み、ゆっくり手のひらから暖を取る。
「コーチッ!」
両手で首筋を包み込み黒い髪の毛に頬を触れさせていれば次第に慣れてきたらしく大人しくなった。
「天化、あったかい」
子ども体温?と囁くように問い掛ければ手の甲で鼻っ柱を殴られた。
「…今度、俺とも買い物行こう?」
めげずに肩にもたれかかる。
今日はもう触れないなんて誓いはとっくにどこかへと放り投げて。
首筋に触れたのが唇だと気がついているだろうか。
耳まで赤くして頷いた天化の肩がひどく強張っていて、それが愛しくて、そのまま抱きしめたくて たまらなかった。
「今日何の日か知ってるか?」
姫発にかけられた声に天化はきょとんと振り向いた。
電車通学の姫発とは帰り道が逆方向だ。
正門をくぐりぬけ、今しも彼に別れを告げようとしていたところだった。
「じゃじゃん!駅前のカラオケ屋オープン一周年記念!」
手品のようにばさりと手の中に広げられた極彩色の割引券。
天化の目の前に突きつけて姫発は屈託なく笑う。
「半額だぜ?半額。女の子たち誘って遊びに行かねぇ?って、もうOKもらってるんだけど」
「え、もう約束済みなのさ?」
「おう。天化が昼に委員会呼び出されてたときにちょうどそういう話になって。って、まぁ あらかたいつもの面子だけど」
駅前のマックで昼飯兼集合だから、と促されそうになって天化は慌てて足を止める。
「えーっと、今日はダメさ」
言葉を探してから天化は告げる。
「誕生日だから」
思いがけない台詞を投げられて、姫発はきょとんと目を瞬かせた。
共通の友人の顔を思い浮かべて、彼はその中に心当たりが無いことをすぐに弾き出したのだろう。
「なに?彼女とか?」
「んなわけないさ」
自分に彼女がいないことなんて承知のくせに、わざとからかうみたいに訊いてくる友人を学生鞄でひとつ打つ。
「じゃあ彼女…候補?」
「違うって!もう発っちゃんそんなんばっかし!」
睨みをきかせていたはずの瞳が、けれども僅かに揺れて、天化は頬を微かに染めた。
「でも大事な相手だから」
そう言ってから、うんとひとつ頷いて今度ははっきりと言い渡す。
「すごく大事な相手だから今日はだめさ」
―――大事とか、一応思ってくれてるわけだ。
壁を背に腕を組んで、交わされる会話に聞き耳を立てていた道徳はふうんと口元を手のひらで抑えた。
天化と発の会話に遭遇してしまったのは偶然ではない。
思いがけず早くにレポートの話が終わったからふらりと立ち寄ってみたのである。
おかしくはないだろう。
天化の通うここ私立高校は道徳の母校でもある。
もしもその辺りで寄り道でもするようだったら有無を言わさず連れ帰るつもりだったのだけど。
「…わかってるけどさ」
天化が自分を好きなんだろうってことはわかってる。
自惚れているかもしれないけれど少なくとも嫌われてはいないだろうことだけは確信している。
それでも道徳のいないところで自分を大事だと主張してくれた天化が嬉しかった。
見つめていれば へんに胸の辺りが苦しくなってきて、その熱さに耐えかねて、道徳はばかみたいに深呼吸を繰り返して冷たい空気で肺を満たす。
「しかたねぇな。そんじゃまた今度な」
「明日、話聞かせてさー」
残念そうに肩を竦めた友人に手を振って。とん、と地面を蹴って意気揚々と駆け出した天化のコートが翻った。
姿を現して、偶然を装って「一緒に帰ろう」と声をかけても良かったけれど。
駆けていく天化の後ろ姿を見送って、その口許に笑みを乗せる。
そうしてから、くるりと踵を返して道徳はもと来た道を引き返すように歩き出した。
「ただいま」
「おかえり。遅かったさねっ」
窓越しに道徳を見つけて待ち構えていたかのようにぱたぱたと駆け出してきた天化に道徳は笑って一つ頷いた。
そうしてから目を瞬かせて天化の髪をつまむ。
「甘いにおいがする。どうした?」
家の中からだけでなく天化からもやわらかい菓子の匂いが漂っていた。
問いかけに、どことなくうきうきした調子で天化は誇らしげに顔を綻ばせた。
「俺っちもケーキ作り手伝ったから!もうすぐできあがるからまだ見たらだめさ」
得意げに言い放ち、「入って入って」と天化は甘い匂いのする両手で道徳の身体をぽすんと押した。
「いらっしゃい。もうすぐだから待っていてね」
「いつもありがとうございます賈氏さん。とと、おじゃまします〜」
いつもであればきちんと顔を出していくのだが見たらダメだと天化が力任せに押してくるのだから仕方ない。
キッチンの前を素通りしながらも天化の母親に律儀に挨拶だけ残して二階の天化の部屋に押し込まれた。
「もうすぐだから。できたら呼ぶから。それまでここから出たらダメさ」
ドアの前に立ちふさがるようにして天化は悪戯っぽい笑顔を浮かべて嬉しそうに言い渡した。
「じゃあそれまで俺はなにしてればいい?」
「え?えっと、…なんかで暇つぶししててさ。ゲームとか、雑誌とか」
困ったように慌てて暇つぶしの材料を見繕いだした天化に道徳は笑って。
「じゃあ話し相手」
とりあえずの「暇つぶし」に天化をチョイスしてそのまま手を握って強引に部屋に引き込んだ。
「天化、本当に甘いにおいがする」
髪の毛をつまみながら顔を寄せる。
甘い甘いと繰り返していれば、からかわれているとでも思ったのか天化は拗ねたようにそっぽを向いてしまった。
無防備に晒された首筋に、ほんの少し目のやり場に困って道徳は微笑う。
食べちゃいたいなぁなんて冗談はいくらなんでも天化には刺激が強いかと思い、口にのぼらせるのを我慢して替わりに後ろから抱き込んだ。
「も、コーチまた冗談」
「や、ほらまだ帰ってきたばっかで寒いから」
素肌に触れるなんて。
小さな頃からよくしてた行為だ。
冬に限らず道徳の手はいつも冷たくて、天化の肌はいつもあたたかいから、昔もこうしてよくじゃれあった。
「コーチ」
焦ったように押し返してくる手のひらはまだ自分のものより小さくて、互いの指の絡まるすべすべした感触が気持ちいい。
天化の手を押し負かすようにトレーナーの下から手のひらを忍び込ませて。
腹筋をなぞる。
冷たいのかくすぐったいのかきゅっと力の入ったそこはやっぱり暖かくて。
天化が憮然としてるのをいいことにそのままもう一方の手も滑り込ませて。
平らなそこをぎこちなく行ったり来たりさせた手は一番あったかい腹のあたりで漸く落ち着いた。
しばらくそうしていれば、諦めたのか、その温度に慣れたのか、天化も僅かにとろんとした表情で背中を預けてくる。
いつもなら道徳が離してやるまでじたばたするのに、誕生日だからだろうか、天化のガードは少しゆるい。
「…今日は宿題は?」
見ようか?と聞いてやればそんなに難しい問いはなかったようで、学校で終わらせてきたから大丈夫だと殊勝な返事が返ってくる。
「そうか」
少し考えてから、道徳は天化を促すようにその腹の上で指先を軽く弾ませた。
「天化、かばん取って俺の」
そう言った道徳に天化はきょとんとしたように振り返ってきた。
きょとん、とした顔を見るのは本日二度目で、どこで見たんだっけと考えて姫発からカラオケに行こうと誘われていた時だと思い当たる。
わざとそういう顔を作るわけではないのだろうけれど、そういう顔は無防備でなんだか可愛く見えるからあまり他の男の前ではしないでほしいとわがままにもそう思う。
「かばんって、これさ?」
自分で取ればいいさと小声で悪態をつきながらも今日が誕生日の幼なじみに天化は素直に従ってくれた。
道徳に抱き込まれたまま手を伸ばしてカーペットの敷かれた床を引きずるように手繰り寄せる。
「そしたら中開けて」
言われるままに中を開き、その中に大学の帰りにしては不似合いなものを発見したのだろう。天化の首が右に傾ぐ。
「これってプレゼント、」
もらったのさ?と、不思議そうな顔でリボンのかけられた箱を取り出した天化から道徳はようやく手を離した。
手を差し出したら素直に渡してきたから、その手首を捕まえて、受け取った小さな箱をそのままもう一度天化の手のひらに乗せ直す。
「天化に」
「え?え、なんで?」
誕生日なのは道徳のほうなのに、なぜ自分がプレゼントをもらうのかと分かりかねている顔だ。
瞬く視線があまりにもうろたえていたから下手に焦らすのは止めにして答の代わりにリボンを外す。
こんなのは弱みを見せるみたいで嫌なんだけど、天化がわかっていないと言うのなら、天化から踏み込んでこないなら、―――こっちから譲歩もありかと思う。
「き、れいさ」
まるいプラチナの環っかを天井の蛍光灯に反射させながら天化は呟いた。
厚みのあるなめらかな丸みが、角度を変えるたび やわらかに光の線を反射させる。
「そう?」
天化のベッドにもたれかかるようにして道徳は分厚い漫画雑誌をぱらぱらとめくっている。
階下からはそろそろ用意が出来たのか、かちゃかちゃと紅茶の匂いが立ち昇ってくる。
ぽすん、とベッドに座り込んでしまった天化があんまり呆然としているものだから、間が持たなくて手元の雑誌なんかに手を伸ばしてみたけれど、いつまでたっても指先の上でそれを遊ばせている様子になんだかやきもきして、ぎしりとベッドに乗り上がる。
雑誌がばすんと床で重たい音を立てた。
「コーチ」
大人のはずがとんだ独占欲。
「これって、もしかして俺っちが」
言葉の続きが恥ずかしくなったのか天化は赤くなって黙り込んで。
続くはずの言葉が自分にとってもどれだけ恥ずかしいものか知っていたから道徳は天化の手からそれをひったくって。
それから。
「なくすなよ」
はめてしまった。
「…ぴったりさ」
「そりゃまあ、」
一番近くにいますから?
天化のサイズも。
天化の好みも。
天化に似合うものも承知してます。
それでもって俺なんかもかなり天化に似合うと思うんだけど。
こんなときだから告げてしまおうと思った長年の想いは今更すぎて唇の上にも出せないまま。
せっかくの誕生日なんだから自分の一番欲しいものをもらいたくて用意してみたんだけど。
気恥ずかしさにそのまま背中を向けてしまった道徳には天化がどんな顔をしているのかも見れないけれど。
それでもキレイキレイと繰り返していた天化が黙って背中にくっついてきたからとりあえず、今はもうそれだけで充分だと思った。
○ 後書きとお礼 ○
青桐氷魚さま、リクエストありがとうございました!ご希望には添えましたでしょうか。
可愛い感じということで、恋人の関係になりきれないようなじりじりともどかしい感じをイメージしました。
ちなみに勉強を教えるというシチュエーションは私の好みのひとつのようです。
しかし欲求不満だったのはおそらく道徳のほうのみで、しかも耐性はできていなかったようです☆
多分天化は現状のままでもそれほど不満には思わなかったのではないかと思います。
もっと道徳が平然としていたなら天化も多少焦ったかもしれませんが、この二人の場合、道徳からの触れ合いが多いようなので、言葉にされずとも天化には愛されている安心感があったんじゃないかな、と。
私は道天での幼馴染み設定といわれると、もうそれだけでお互い大好きな二人しか考えられなかったりします。
なにかしらの行動一つで、なんの不思議も躊躇いもなく くっついてしまう、そんな互いへの愛情と信頼感がいっぱいの二人が大好きですv