迷走日記 |
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9月1日(金)・9月2日(土) (表)
休みになるとネットを見ている時間が長くなるのが少し不健全な気がしたので、昨日は日記を更新しませんでした。
新聞記事に、ボクシングの元世界チャンピオンの輪島功一氏の事が書いてありました。何でも彼は20年以上、毎朝近所の公園のゴミ拾いをしているのだそうです。私はテレビで見るちょっと変わった人という印象しかなかったので、意外な一面を見た気がしました。
最初はためらいがあったそうです。「やっぱり、面と向かっては『立派ですね。』と言っていても、陰では『いい格好してる。』と言われるのがちょっとキツかった。」とも。
他人の捨てたゴミを拾う人の陰口を言うというのは如何にも寂しい話ですが、それでも20年以上続けて来たということにはただただ感服しました。
9月1日(金)・9月2日(土) (裏)
「落ち込み気分を忘れたいから勉強」という本当にどうしようもない夏休み。落ち込んでいるのにはこれという理由はなかったりする。正体がハッキリし過ぎているのか正体が無いのかよく分からない鬱々感と同棲中。こんなものと同棲なんかしたくないのに(死)。しかもかなり激しい。
冷静に考えてみると、私は人並みに忙しくしていればすぐ「忙しくて死にそう。」などと大袈裟に騒ぎ回り、暇になればなったで「鬱々感で死にそう。」とふさぎ込んでいるような気がする。要するにいかなる状況下であっても死にそうである、ということが判明(死)。結局何してもアカンということか・・・。
こうなると歪みも倍増、人に対して凄まじい劣等感を感じたりする。劣等感も何も実際に劣っているので仕方ないが(死)、普通に暮らしている人を見ても「本当に凄いなー。」とか思ってしまう。(表)に書いた新聞記事なんてどこの世界の話ですか?というようなもの。テレビでいくらボケかましてても、生活の中でこういう風に振る舞える人は本当に凄い。ゴミを拾う以前に、私など自分の部屋で自分で出したゴミを外に捨てることすらしていない。「どうせ誰にも迷惑かからないし捨てに行くのが面倒くさいしいいや。」という感じでどんどん溜まっていき、いつの間にか凄い量になる。
その溜まったゴミを見、「はぁ、こんなダメ人間生活しててもゴミだけは一人前に出るんですか。」とまた非常に嫌な気分になっていたりする。ちなみにJRの駅のゴミ箱は「ビン・カン」「新聞・雑誌」「その他」に分かれているが、ゴミ箱の側を通りがかるとよく自分から「その他」の中に身を投じたい気分に駆られたりする(死)。恐らくある日突然、「貴方は本日公布の条例によって社会のゴミとみなされましたのでいまから埋め立て地に強制連行されます。」と言われても「ああ、そうですね。」と何の抵抗もせず納得してに連れて行かれそうである。まあ、こんな事想像してること自体がゴミである証であるような気もするが・・・。でも、もしそういう選別をしたら、「社会のゴミ・粗大部門」とかにかなり上位で当選しそう(死)。
ま、少なくとも自分はゴミ箱以外の場所にゴミは捨てない、という「マイナスでない」という貢献しかできなさそうだし、せめてそういうことだけには気をつけよう、と思った。
8月31日(木) (表)
8月が終わろうとしています。今年も何も良いことありませんでした(死)・・・、おっと、こっちは(表)でした。もう秋の足音が近づいています。日によってはまだまだ暑いですけれど。
暑いのが嫌いなせいか、活動的な人間でないせいか、私は秋とか冬が好きです。私の住んでいる街には『大学通り』という名のメインストリートがあり、その通りと並木が季節を映し出しています。
これという理由があるわけではないですが、木が青々としている中よりも、落ち葉の中を少し寒そうに人が歩いている風景の方が何となく好きです。
大学に入った時からこの街に住んでいますが、季節の変わり目にはいつも思います。「もう何回目の秋なんだな。去年そう思った時から自分は何か変わっただろうか、来年も此処でこの景色を見るのだろうか」と。
ありきたりながら時間の過ぎるのは速いものです。
8月31日(木) (裏)
〜秋の気配〜思い詰め詩人チック
今年も8月が終わる。それでも、何度でも言うがやはり何もいいことありませんでした。去年の秋のからこの一年は不遇な私の人生のなかでも最低ランクの一年だった。受験以外のところでも例年より色々キツいことが多かったしな。ま、それはそれ。どうせ初めから運があるなんて思ってないし(死)。
秋、暑さで疲れることもなく思いっ切り思い詰め全開の季節である。何故私が夏が嫌いで秋冬の方が好きか。一番の理由は暑さにとてつもなく弱いことだが、それ以外に自分自身中身がが極めて寒い人間であることもある様な気がする。夏は寒々しく思い詰めるのにふさわしくないし、何より暑さで何も考える気力も湧かない。それに引き替え秋はどうだろう、道には落ち葉、身には寒風、気温の落ち込み具合、周りの風景からして私の人生を象徴する寂寥ぶりである。
(表)にある、「もう何回目の秋なんだな。去年そう思った時から自分は何か変わっただろうか、来年も此処でこの景色を見るのだろうか」季節の変わり目には言わずにはいられないお約束の台詞。(表)では問い掛けだけして似非詩人っぽく締めくくっているが、答えなんか最初から分かりきっている。「去年そう思った時から自分は何か変わっただろうか?」確実にひとつ年を取って老けた以外には何も変わっていない(死)。こういうことを人一倍思う割には変わる努力は人一倍してないし。年々歪んでいくという意味では「変わった」のかも知れないけど。
とは言いながら、そういうことを思う度、言い知れぬ虚ろな気持ちになって落ち込み最高潮である。そう、落ち込みの秋。「来年もきっと、此処で、こうやって何もせず、何の実りもなかった一年を振り返って落ち込むだろうな。」街を歩きながらもう半泣き(死)。こういうことを考えずに済む日が来るんだろうか?
♪ここが私の嫌いな場所、通りが見渡せる汚い寮の部屋
〜こんな秋も今まで通り、ぼくがぼくらしく壊れていく(死)
思い詰めの季節にぴったりのオフコース。ファンの皆様ゴメンナサイ。
8月30日(水) (表)
仕事が一区切り付いたので、ちょっと遅い夏休みを取ることになりました。
休んでみて思いましたが、一日が本当に長く感じられました。大袈裟に言うと時間が止まったような感覚になった瞬間さえありました。普段は流れるように過ぎている時間なのに、本当に不思議なものです。
これから何年自分が生きるのか分かりませんが、その時間を如何に「最適」に過ごすか、ということに対して自分でのビジョンを作ることも、行動を起こすことも出来ていない、ということを強く実感しました。再受験をするということでビジョンの方は最近になって漸く築くことが出来たと言えるかも知れません。
本当は、一旦走り出したのに自ら好んでスタート以前の状態に引き返そうとしている、と言う方が正しいのかも知れませんが・・・。
8月30日(水) (裏)
♪時の過ぎゆくままにぃ、この身を任せ〜(by
ジュリー)
堕ちてゆく幸せ
夏休みである。本当は触れたくない勉強の話を少しすると、「まとまった時間があるから出来る」系のことに少し取り組んでおこうと思う。「地道に進める」系は逆に今のように時間の制約がある方が日々目標が立てやすく、時間が無制限に近い時よりも捗っているような気がするのだが、どうしても集中的にやっておきたいこともあるので・・・。
勉強ネタはこれでおしまいにして(死)、もはや考えたくもないのに頭に浮かんでくる(表)の話。毎度のことながら、暇になる→要らないこと考える→鬱モード→(死)というお約束パターン一直線である。
とは言いながら、すぐ死ぬ死ぬ言う一方で、一般的な水準では理解し難いしょうもないレベルのことでも明日への活力となってしまうのもダメ系の特徴かも知れない。逆の意味で「いいこと」に対する耐性が皆無に近いのである。普通に一日生きれば「今日は何かラッキー。」という感じだもんな。
正しい意味でラッキーなことなんかあったらもう大変である。「こんないいことあって明日死ぬかも。」という不安に駆られたりもする。って別に明日にならなくとも今日も死んだも同然な訳ですが(死)。全く、不遇に生まれると辛いものである。
最近なんか、「今日はどこそこのサイトの日記が最高に面白かった。」とかそれが生きる動機になってるし。そうだな、それ以外の楽しみ・・・やっぱり何もない(死)。おー、あったあったそう言えば。今日は水曜日なので明日発売の『週刊プロレス』を買うっていう楽しみが。えー、所詮そんなもんですよ。
ふう。疲れた。寝ます。
8月29日(火) (表)
このサイトのトップページにあるカウンタが10,000を回りました。サイトを立ち上げたおかげで、同じ目標に向かおうとする方、或いは学生として学んでおられる方、更には医師として活躍しておられる方との交流を持つことが出来たことを大変嬉しく思っています。またご覧頂いている皆様にはこの場を借りて御礼申し上げます。
10,000という数字に対する感想は、「やはり積み重ねの力は馬鹿にならない」、という極めてありきたりなものでした。更新しているのは日記だけで、その日記も結果的には某サイトの亜流(パクリ)同然という非常にタチの悪いサイトであるという状態です。本当は自分の性格を考え、一月くらいしか持たないかも知れないと思っていたのである意味上出来だと言えるでしょう。
サイト運営に要している時間と、サイト運営を続けることによるメリット(生活リズムの一定化、モチベーションの維持等々)とを秤に掛けて自分の中でサイト運営の意味があると判断しているうちは更新していくつもりです。
ご感想等ありましたら是非お知らせ下さい。今後とも宜しくお願いする次第です。
8月29日(火) (裏)
(死)線の彼方へ
ちょうどキリが良かったので生活への反省の意味を込めサイトを立ち上げてからの日記を簡単に読み返してみた。その前にこの何ヶ月間の自分の生活の中のトピックスを挙げてみようと思ったのだが、見事なまでに何もなかった(死)。まあそりゃそうだろう。常に無気力と鬱的症状に支配されて何もしてないんだから。それに生活全てが「痛恨」と「悔恨」によってのみ彩られているのに今更反省も何も無いと言えば無いのだが。それにしては何だか長い日記書いてるなー。非生産的、と言うより「何もないところから更にゴミを生み出してる」ようなものか。
当初、日記に臨場感を出すにはどうしたらいいかが結構課題だった。臨場感と言っても「如何にダメか」とか「こんなにもやられてます」、また「これ以上はなく低調」とかそういう雰囲気を如何に出すか、という意味においてであるが(死)。ただ漢字平仮名という日本語文字を羅列しただけでは表現し切れないダメっぷりなもので(屍)。そこでダメだから「日常を充実させよう。」という発想が湧かず、「如何にダメっぷりを正しく表現するか。」という発想に傾くところがダメ系から抜け出せない根本的な問題点なのであろう。
最初はネット特有の文字というのもあったのでこれの導入を検討してみた。いわゆる「顔文字」というやつ。(^^)とか(^o^)の類である。これは激しくキャラに合わない(死)ということで却下。というより寒すぎる。いわゆる「ほのぼの系」サイトならともなく、こんなダメダメ感一杯のサイトに(^^)も何もあったものではない。ちなみに今も、私が嬉しそうに顔文字をキーボードで打っている姿、というのを想像したら自分で勝手に失神寸前になった(註:顔文字自体を否定しているのではなく、「私が顔文字を使うこと」を否定しているだけです)。
かと言っていきなり(wとか(藁もなー。と思った。結果は別にして人を攻撃しようという意図もあまりないので・・・。で、落ち着いた先が(死)である。最初に見た時「これだ!」と思った(死)。「私こんなにもダメです。」というのを実に端的に表現していて、かつ顔文字のようにキャラに合わない、ということもない。と言うより私、と言う人間を文字情報で簡単に表現しようとすると、今や(死)以上の表現は思い浮かばない。
はぁ。何言ってんだか。暇な時に勉強の事とか考えるわけでもなく、「やっぱ俺は顔文字じゃなくて(死)向きのキャラだなあ。」とか愚にもつかないことを延々考えているわけである。そりゃ日記が充実するはずがないのも道理だ、と痛感した(死)。
8月28日(月) (表)(裏)
体調不良につき更新をお休みします。
8月27日(日) (表)
特に書くようなことがなかったので今日は(裏)のみ更新します。再開したものの、(表)と(裏)の線引きが非常に曖昧になってきた様な気がします。それだけ単調かつ低調な生活を送っています。
8月27日(日) (裏)
昨日の続き
かくして昨日は大目標をぶちあげた私。「日記にも書き、ネットに上げたらさすがにやんないと。」と言う気分になった。実生活がこの上なくしょうもないこの日記に支配されているということが判明(死)。ほとんどゴミ同様のネット上の日記に支配される実生活・・・。心の底から自分の薄っぺらさを悟った。完全に手遅れですが(死)。
そうは言っても、「まあそうは言いながら、行動することになっただけまだサイトの存在意義もあろうというもの。」と実は100%は自分の人としての間違いを認めていなかった。ところがいざ結婚式の招待状の返事を書こうと思ったら、部屋が汚くて招待状が見つからない(死)。いくらダメ人間でも人としてやっていい事と悪い事があるが、完全にその一線を越えてしまった。自分のあまりの屑ぶりに目の前が真っ暗になり、その場にへたりこんでしまった(ちなみにへたりこんだ瞬間に誤って缶ジュースの缶を倒し、部屋はその後暫く「阿鼻叫喚の地獄」と言う様相を呈していた事を付記しておく)。
結果的には、招待状は部屋で唯一世間並みに綺麗にしてある勉強机の方に事前に避難させてあり、無事発見出来た。以前ならいくら部屋を汚くしていても何がどこにあるかはおおむね把握していたが、最近寄る年波には勝てず(死)、その辺の管理も杜撰になってきたみたいである。さすがに反省し、一般的な状態にまでは部屋を掃除しておいた。
しかし、来た日に開いて○つけて投函すればいいだけの結婚式の招待状一つで、ココまで生きるの死ぬのいってる馬鹿は私くらいのもんだろう。低調でダメな生活をしていても疲れる(死)。本来、人並みな気力や努力が不足しているからダメなのに、それにすら疲れるって・・・。人生の終幕も近いのかも。最近本当に自分でも死んだ方が良いんじゃないかって言う気もするし、もういいや(死)。