迷走日記 |
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9月16日(土) (表)
人に何か平等な点があるとすれば、それは「誰にとっても1日は24時間である」ということを聞いたことがあります。
それを聞いたとき「なるほど。」と思った記憶があります。しかし、さにあらず、それは毎日何事もなく終えていくのが当たり前という前提があっての話。極端な話をすれば今日にだって急病や事故で命が終わってしまう事だってあり得る訳で、24時間あるという保証はどこにも無いんでしょうね、きっと。
唐突に日記に書くような話ではないのかも知れませんが、あることをきっかけに今日はそんなことを考えていました。
9月16日(土) (裏)
雷が一日中鳴り響き、オリンピックに湧いた(らしい)日
時間の流れに付随する話で言うと、今日部屋の掃除をしている時、部屋のカレンダーの月がまだ2月のままであるのを発見した(死)。「発見」なんて白々しく言っているが、私の部屋のカレンダーは元より一つしか無く、ずっと2月だなーと思っていたりした。「何となく気付いているけどやらない。」得意技炸裂である。「あー。」と呆けているうちに実に半年近く経っていたことになる。
しかし、考えようによっては私は今年に入って九ヶ月半のうち七ヶ月は実質死んでいたも同然だったのかも知れない(死)。そう言う意味では「わたし暦」ではまだ2月、というのは間違いとも言えまい(と無理矢理自分を正当化)。確かに普通の人が出来ることの2/9くらいが私の能力の適正な評価だろう。
普段は勉強してただ寝てるだけの部屋ながら、ふと暇になった時にこういうものを見つけると、自分のダメさ加減を痛烈に思い知ることになり、決していい気分ではない。「本当に今年に入ってから何してたんだろうか、俺は?」と超落ち込み気分である。無論何もしてないから(死)、こういう事になる訳だが、一体これまで自分がどれだけの時間をロスして生きて来たかを考えると、目の前が真っ暗になり、目眩がした。
確かにそうだ。ちょうど今日はオリンピックで女子柔道の田村選手が悲願の金メダルを獲得したが、私は4年前は勿論のこと、8年前の彼女の姿だって昨日のように(死)覚えている。「負けてふくれっ面してるってのは、本来の柔道の精神に大いに反するよなあ(歪)。柔道ってのはそう言う勝ち負けとか小さい次元から脱却するための修養だから「道」ってついてるんだろう?」と今と変わらず歪み切ったことをほざいていた事もハッキリと記憶にある。
多分この8年の間、常人の1年分くらいの中身しかない時を過ごしたんだろうな・・・。全て自分の責任とは言え、本当に虚しい(死)。
9月15日(金) (表)
今日は敬老の日。なぜ私まで休みなのかよく分かりませんが、とにかく休日でした。日本はこの先「敬われる」方の割合が増え、どうなるんだろう?と思わなくもありません。
正直言ってただでさえ多くない所得の多くを税金に持って行かれてはこちらが生活苦に陥りそうです。今の行政では本当に破綻してしまう日が来てもおかしくない様な気がします。
いつぞや読んだ藤子不二雄の漫画に近未来の話として「人口が増えすぎたので今日から政府は○×歳以上の方への補助を全て打ち切ります。」というものがありました。書かれた当時はブラックジョークで済んだのかも知れませんが、現実味すら出てきているような気がします。
9月15日(金) (裏)
敬老の日。人生が(精神的に)明日にでも破綻してもおかしくない私(死)としては長年生きてこられたというだけで年齢の行かれた方は尊敬の対象である。
物理的な年齢とか生きた時代の違いはあるが、人間年齢よりも気の持ち方の方が大事なような気がする。今住んでいる市の市民プールは夜の9時まで開いているので、運動不足解消と気分転換を兼ねて夕方泳ぎに行ったりするが、私は年の割に衰えた肉体を晒し(死)、かつどう見ても「おじいさん」という方に泳ぎの速さでも負け、更に息も先に上っている(死)。
風呂があり、時々見ず知らずの人と話をしたりする。
「アンタ、年はいくつだい?」
「2×です。」
「へー、意外と若いね(死)。まだまだこれからなのに、そんな暗い顔してたらダメだよ。わたしゃ今年で□△歳だけどなんとかかんとか。」
この会話が今の私の全てのような気がする。見た目が明らかに年齢不相応、見ず知らずの人にすら指摘されるほど陰鬱な表情。「まだまだこれから」なんてことはなく、本当はもう既に終わってます(死)。
と、結局気分転換の為に泳ぎに行ってもより一層落ち込んで帰ってくるだけ、何の為に行ったのか分からない。そのくせ、「たまには綺麗なお姉さんとかにも話しかけてもらえたらなあ。」と心の片隅で思っていたりする(死)。本当に身の程知らずで浅ましいというか、屑だ。
敬われる対象となる日まで破綻しないように生きていこう、と実に心許ない決意をし、一日を終えた。
9月14日(木) (表)
掲示板の様子がおかしくなったので新しいものを借りることにしました。
客観的に言ってこのサイトは管理人たる私自身私のレスが遅く、かつ、すぐ低レベルに話をまとめに行って話の腰を折るケースが多いので掲示板が盛り上がるということがあまりありません(死)。反面、荒らしっぽい方もいらっしゃることもありませんが・・・。
サイトは一日二日のものではないので、暫く経つと否応なく運営者の方の人柄が出てくる様に思います。そういう意味で言えば、いろんな意味で私らしい掲示板だな、と思います。
日記等に気乗りするような話題があったらまた書き込みを宜しくお願い致します。
9月14日(木) (裏)
掲示板の背景が勝手によそのサイトのものと入れ替わってしまい制御不能、かつ掲示板の貸出先の管理人さんがどうも行方知れずのようなので諦めて他のところから借りることになった。
最初何が起きたのか分からなかったが、私とはおおよそイメージのかけ離れた背景もながら、入れ替わった先が「出会い系サイト」というのもなあ・・・。掲示板のトップ、何ですか?「九州・沖縄 男性登録」。日記の中で私があまりにモテないモテない連発しているので誰かが気を利かして「じゃあここに登録しなさい。」といういたずら半分のアドバイスの意味でやったのかとすら思った(死)。(ちなみに掲示板の元の本家サイトに行って本当に登録しようかと一瞬思ったが(死)残り僅かな理性でとうにか踏み止まった。)
サイトを立ち上げて痛感するが、余程器用な人でない限り、サイトには運営者の人柄がモロに出てきてしまう様な気がする。特に日記なんか書いていると考え方から行動パターンから(本当に洒落にならない一部の事を除き(死))大体のことは公表してしまっているし。日記に書いてる事より更に「洒落にならない」ことがまだあるのか?と思われた方もおられるかも知れないが、ココに書くことすら出来ない事が実は結構あったりする(死)。
他サイトとの関わり方、サイトの訪問者の方との関わり然り。ここらへんでも私の実生活と変わらぬ引き籠もりぶりが遺憾なく発揮されている(死)。大体、サイトを運営している方に書き込みをして頂いたら、挨拶なりなんなりそちらにも顔を出すのがマナーというかネット上での付き合い方だと思うのだが、私の場合、掲示板に書き込みをせず、唐突に思い詰めたような長文のメールを送り付けたりすることが多い。本当に失礼である。
と言う訳で昨今、掲示板に書いて下さるのは本当に許容力のある心の広い方か、「あんまりに寂れてるし何か書いといてやるか。」という心の広い方だけ、という結果に落ち着いている。
正直言って、なりたいなりたくないは別として、誰とでも上手くやっていけるタイプではないので落ち着くべきところに落ち着いているのかな、とも思うが・・・。ROMの方も気が向いたらメールなり書き込みなりで苦情感想お待ちしています。
9月13日(水) (表)(裏)
今日は更新をお休みします。
9月12日(火) (表)
強い雨でした。ちょうど出勤する時に雨足がピークに達してしまった様で、冗談でなく、服は水浸し、靴に水が溜まってしまいました。ひどく濡れたことは嫌でしたが、無機質な最近の日常の中にあって自然をふと身近に感じた様に思います。
「雨」と言えば何と言ってもCarpentersの"Rainy
Days And Mondays"ですね。それともちょうど9月だから「九月の雨」(太田裕美)かな?
時代感覚が20年以上ずれてますけど(笑)、どっちも好きな曲です。
9月12日(火) (裏)
それにしてもひどい雨である。電車が止まってしまって出社しなくていいのではないかという非常にダメダメな希望を抱きつつ駅へ向かったところ、傘など全く役に立たず、僅か10分歩いただけで靴に水が溜まる程の強い雨に見舞われてしまった。恐らくこの街に住み始めて以来一番強い雨だったのではないだろうか?
電車は遅れながらも運行しており、運休に賭けていた私はここでまず儚い望みと共に一日分の気力を失った(死)。ハッキリ言って上着ズボン共にビショビショを通り越した状態で仮に会社に辿り着いても仕事になどならなさそうな状態であったし、かと言って強い雨の中戻りもならず、仕方なく電車に乗る。
「凄い雨だなあ。」と思って外を眺めていたところ二、三駅過ぎたところ辺りから嘘の様に雨足が弱くなり、会社の辺り至っては道路が乾いているという有様。冗談抜きで足首まで水に浸かっていた私は何?状態。同僚からすれば雨が降っていないのに突然ドリフのコントのように濡れた男が遅刻して現れたものだから皆怪訝な表情をしていた。
私:「遅刻してしまって申し訳ありません。いやー、本当にひどい雨で、こんなに濡れちゃいました。」
同僚:「またまたー。だって全然降ってないよ。さては寝坊したから雨のせいにしようと思って東京駅で頭から水でもかぶって来たんじゃないのか?お前ならそれくらいはやりかねんな(死)。」
私:「そんなことないですってば。本当に凄かったですよ。」
私の会社における信用度を遺憾なく窺い知ることの出来る会話である(死)。しかもこの話の流れになると、私が躍起になればなる程嘘っぽく聞こえ始め、ドツボへと落ちていく。そりゃないよ(泣)。
様々な情報を総合するに、私はどうやら好きこのんで滝のような雨の降っている僅かな時間帯にピンポイントで出勤してしまったらしい。自然現象にも見放された人生である事、本日判明(死)。
「知力、体力、時の運、どれも無いけどどうしましょう(死)。そろそろおしまい、私の人生。」ウルトラクイズ的に言えばこういう感じかな。もういいです、本当に(死)。
9月11日(月) (表)
私の勤める会社はいわゆる都心にあり、休日に自動車で出勤した時などは、新宿駅の側を抜け、国会議事堂横、皇居、更には銀座のど真ん中を走ることになります。
何となく、「ああ、今、日本にいるんだな。」と思わせる場所ばかりです。
とは言いながら、私個人的は実はいわゆる「都会」はあまり好きでなく、もし行けるのであればどこかいわゆる「地方」の大学に行ければいいな、と思っていたりします。なにぶんあの喧噪は疲れますので・・・。
9月11日(月) (裏)
東京ダメストーリー
(表)の通り、私の勤める会社ビルはいわゆる都心の更にど真ん中と言うような場所にあり、善くも悪くも「東京」にいることを実感することが出来る。都会の喧噪の中を行き交うビジネスマン達。私も勤め始めた当初は東京のオフィス街でバリバリと仕事をこなしつつ私生活もきっちり充実、いわゆる「東京ラブストーリー」の主人公の様な男を目指そうとモテない系お約束の低級な妄想を抱いていた。
しかし、現実がそう甘かろう筈もなく、後に妄想は所詮妄想に過ぎないことを嫌と言うほど知ることになる。むしろ、逆に大都会の中にいると器が立派なだけに自分の惨めさが際立っているだけである。「掃き溜めの鶴」とは逆の現象、華麗な鶴の群の中に何故か醜い豚が紛れ込んだようなものである。銀座も会社のすぐ側だが、時々夜なんか歩いているといわゆるイケてる系カップルとすれ違う度、身分の違いを思い知らされ、「俺って惨め〜。」と痛烈な劣等感に駆られたりする(死)。
今となっては「か〜んち」なんて世界に憧れていた自分がイタい。まあ、「か〜んちがい(死)」していたと言う意味においてはちょっとだけ東京ラブストーリー。地理的にはすぐ側にあっても現実的には決して手の届かない世界、一緒に行ってくれる相手なんて永遠に現れそうもないしな(死)。もう期待もしていないのでハッキリ言って早く離れたくて仕方がない。もう少し身の丈にあった暮らし方とかそういうものがある筈なのに、なまじ魅惑的な大都会の中に身を置いたばかりに自分もその一員であると勘違いし、逆に痛手を負ってしまった。
小田和正つながりで言えば、オフコースは
♪君の嫌いな東京も秋は素敵な街、でも、大切なことは、二人でいること〜
なんて歌っているけど、東京なんて秋は一層嫌な街でしかないし、大切も何も一緒にいる相手がいません(死)。そんな私はどうすればいいと言うのか(屍)。
東京駅から会社へ向かう道々、「早く大学に受かって地方でひっそりと暮らしたいなあ。」と思わずにはいられない毎日である。
9月9日(土) (表)
9月10日(日) (表)
諸々の事情により、(裏)のみ更新します。更新が滞りがちですが、今週から恐らく元の調子に戻ると思います。
9月9日(土) (裏)
9月10日(日) (裏)
わたくし的未来日記
体調が落ち着いたので、この週末は少し溜めてしまった仕事をしに会社へ行き、残りの時間は家で勉強、と特にどうということもなく過ごしていた。「はあ〜。」と溜息をつき、「そう言えば溜息をついたのは今日何回目だろうか?」と考えてしまうような、「ただ生存していただけ」の低調な週末。日記を書いていても字面から腐臭がしてきそうである。ほんっとうに冴えない(死)。
しかし、ココだけの話、受験勉強がなかったら・・・、と仮定するとココに書くことすら憚られるような更に情けない休みを過ごしていたであろう事が想像に難くないだけに、「良かった、やることがあって。」と反面少し安心していたりもした。今や受験勉強ですら(プラス方向の)イベント。常人の理解の域を超越した低レベルかつ楽しみの少ない人生と言えよう。しかもそうやってやっている勉強がどんどん成果に結びついているならともかく、残念ながらそう言う気配もあまりない(死)。
ちなみに、「これは△□で何回目の○×だろうか?」というのは私の頭の中ですぐに浮かんでくる発想の一つである。過去、日記を書いている最中に「そう言えば日記を書き始めて以来、通算何回(死)を使っただろう?」と思ってなんの脈絡もなく数え始め、途中でその行為のあまりの阿呆らしさと虚しさで泣きそうになった結果、日記の更新を放り出したこともある(死)。
普通、2×歳と言えば、人生のステージ上、最もいろんな事があって良い時期なんじゃないか、と思う。その時期をむざむざ死んでいるのと同等か或いはそれ以下、という様な過ごし方をしていることに対して途方もない虚しさを感じ、気が狂わんばかりな今日この頃。本当は既に狂っているからこういう事になっているのかもしれないけど・・・。ちなみに私は過去そうやって俗に「青春」と人が呼んでいる時期を文字通り「無為」に過ごした実績を持つ(死)。一般的に充実している筈の時期ですらこれ。本当に年を食ったらどうなってしまうんだろうか?という気がする。
20年後の私の自己紹介
私、Glacier。当年とって4×歳。無職独身。住所不定(今の部屋も家賃滞納でそろそろ追い出されそう)。
趣味:大学受験勉強(ただし成績には反映されていない(死))、読書。趣味って言うより他にやる事無いからやってるだけです。
性格:とにかく無気力(近頃食事をするのが面倒になってきた)。
他に書くことがありません(死)
これ、笑い話だといいんだけど、今のまま年を食ったら間違いなくこうなることが分かっているだけに自分では笑えない。あ"〜、ヤバイよ。どうしよう〜(死)。
9月8日(金) (表)
体調が思わしくない為、(裏)のみ更新します。
9月8日(金) (裏)
仕事が落ち着くと出る毎度の如くの体調不良、会社も半休等を貰いながらどうにかこうにかやり過ごすことが出来た。最近の会話。
上司:「調子が悪いのか。どうした?」
私:(「人生の調子は常時悪いです(死)。」と言いたいのをこらえ)「症状は複合的で特にどこと言うことはちょっと難しいです。ああだこうだ・・・。原因は多分疲れだと思うんですが、毎年この時期になると似たような症状が出ますね。」
上司:「この時期も何も、(何もしない割には)お前いつも疲れてるからなー(死)。まあでも緊張の糸が緩むと得てしてそういうもんだよ。それに故障するってのはある意味人間らしいと言うことも出来るんじゃない?」
私:「そうかも知れませんね。」
これは励ましと言うか慰めなんだろうか?上司が私の為を思って言ってくれているのは間違いないようである。しかし、よくよく考えるとこの会話、ところどころ変な様な気がする。特に、最後の「ある意味人間らしい」のくだりはどう考えてもおかしい。
これって裏を返せば、「故障している」事以外に私には人間らしいと認められる部分がない、という事になるのだろうか(死)?確かにその通りだが(屍)。「いくら事実でもそりゃないよ。」という気分である。どうにか一日が過ぎていったが、私はかくの如く、人が元気付けようと掛けられた慰めの言葉でダメージを受け、更に弱っていた。
厳密に言えば、「緊張の糸が緩んだ」という言い方も本当は正しくない。実際はいつも呆けて緩んでいる糸が一瞬張りつめた為に調子を崩しただけだし(死)。
久々に書いた日記がこれってのも冴えない話だな、本当に。反面、「所詮俺の日常なんてこんなもんか。」、と非常に納得もしたが・・・。
9月5日(火)〜9月7日(木) (表)(裏)
体調を崩した為、更新をお休みします。
9月4日(月) (表)
会社で健康診断がありました。恐らく、「義務づけられているからやっている」と言う手のもので非常に形式的なものです。様々な測定の後、最後に問診があるという。今日は最後に問診をしていた先生がえらく若かったのが印象的でした。恐らく駆け出しのお医者さんではなかったのでしょうか?
何人も診ているせいか明らかに疲れ気味でした。「先生、しんどそうですね、お疲れですか?」、と話しかけようかと思いましたが、疲れに負けず一人一人丁寧に診ていらっしゃる様子だったのでやめておきました。
9月4日(月) (裏)
健康診断。特に体に異常は見られなかったようである。まあ、(表)にも書いたように35歳以下だと非常に形式的なもので、今日程度の検診の中で問題が見つかったらそれこそたいへんな訳だが。会社に一つ希望を申し述べるならば、体の健康診断と共に「心の健康診断」も是非実施して頂きたい。私などは間違いなく、「かなり重症、完全に頭がイッちゃってます。」ということで「通常業務にも耐え得ず。就業に支障をきたすレベルである。」として真っ先に引っ掛かってしまいそうだが(死)。もういっそのことそういう理由で解雇されてしまった方が後腐れもなく辞めれられるのに、と思っていたりもする。それは言い過ぎだとしても、実際、最近あまりの鬱感から仕事中に放心状態になっていたり、涙を流さんばかりにふさぎ込んでいたりすることもよくあるし・・・。
今日は問診の時に聞かれもしないのに言ってみた。「仕事が忙しい時よりも寧ろ落ち着いたりした時に妙な虚脱感から抜け出せないんですが・・・。」「仕事はどんな感じですか?」「かくかくしかじか。」「それは軽症の一種のバーンアウトみたいなものですね。」うーん。バーンアウトと言われても、それは文字通り何かに「燃えて」いた人の話で、私の場合別に燃えてもいないのでただ単に「アウト」ってことか(死)。
「体の調子は如何ですか?」「いやー、今ちょっと人生が『アウト』でして・・・。」今ちょっとも何も常時完全にアウトではあるのだが、「なるほど。」と妙に納得してしまった(死)。
しかし、これだけ体がだるかったり、眠れなかったりするのに何の異常もないなんて事無いと思うんだけどなー。本当に大丈夫なのかな?
9月3日(日) (表)(裏)
諸事情により本日は更新をお休みします。