迷走日記 |
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9月23日(土) (表)
今日は秋分の日。秋冬へと向かう一つの区切りです。
私の住む街では地元の天満宮の祭礼が行われています。その天満宮は甲州街道の側にあるのですが、鳥居をくぐって、本堂(で正しいのかな?)がそこよりも低い場所(階段を下りていくという意味です。普通は同じ高さか階段を上った先にあるみたいです。)にある日本でも珍しいところなんだそうです。
私自身は、小さい頃から何度か引っ越しをしたりであまりこういった「地元の行事」には縁がない方なのでちょっと羨ましかったりします。
9月23日(土) (裏)
ひとごと
前回の日記にも書いたが私は某五輪の時も大学受験に向けて勉強をしていた。だからと言う訳じゃないが、オリンピックには何となく否定的な印象がある。正確に言うとオリンピックが嫌いなんじゃなくて、金だ銀だと騒いでいるのが「なんだかな〜」と思う。良い結果を残すことが出来た選手個人個人を讃えるのならともかく、「メダル何個」ってのは別にただの現象でしかないと思うんだけど。
結果が大事だってのは分かるけど、一国の代表になった選手って才能も努力も含めて誰も勝てなかったから代表な訳でしょ?逆説的な言い方になるけど、スポーツは「ある意味」結果が全てな訳で、出た結果については人がとやかくいうもんじゃないと思うんだけど・・・。
さっきも食堂のテレビを見ていたら関口宏が「柔道と競泳以外はメダルが獲れない日本ですが、これどうなんでしょうか?○×さん。」としたり顔で言っていた。ええ、トラベル・チャンス。もう死んで下さい(歪)。そのうち絶対にやった方がいい、『知ってるつもり・関口宏』。サブタイトルは勿論〜人の褌だけで一生相撲をとり続けた男〜。彼って自分の一生をいつもの調子で解説したら何て言うんだろ?「いやー彼は自分では本当に何もしなかった訳ですが、まさに「知ってるつもり」でいたことがああいう一生に繋がった訳です。」って、俺の方が何もしてないな(死)。
結局そうやってイチャモンつけてる限りは私も同類、と言うよりそれ以下である、ということに今やっと気付いたので(死)今日はおしまい。日記書いて嫌な気持ちになっただけだったなあ。何の為の日記か分かりゃしない(死)。また明日。
9月21日(木)・9月22日(金) (表)(裏)
一身上の都合により日記はお休みします。
9月20日(水) (表)
さすがにテレビで見ることはありませんが、世間はオリンピックづいています。会社で、電車の中で至る所で話題になっています。
そう言えば、私は某五輪の時に高校三年生で受験勉強していたのを思い出します。これまでこのサイトに年齢のことを書いたことはありませんが、これが正しいとすると(?)、このサイトに書いてきた情報から総合すると、今年はまだ誕生日が来てないので私の年齢は25歳か29歳ということになります。
誰も聞いてないですね、そんなこと。
9月20日(水) (裏)
今日は自分の事が出てこない珍しい日記
事実、いろんな事情であまり五輪に構っているわけにもいかないのでほとんど見てはいないが、やはり世間の話題の中心のようである。
今日はサッカーの予選が一番熱かったのだろうか?帰りの電車でもへべれけに酔っぱらった如何にもダメオヤジ風のオッサンがサッカーを話題にしていた。「日本はやっぱりあれだね、守りに入りすぎだね。攻撃は最大の防御だよ、仕事も人生も一緒、俺なんか人生いつも攻めてるから。ハハハ。まあ、でも良くやったんじゃないの。」と言っても言わなくても一緒、と言うより言わない方が良いようなことを語っては悦に入っていた。だから会社員が馬鹿にされるんだ、と言うような典型的な会話。
それにしても五輪のサッカー予選の試合を仕事とか人生に結びつけるとはまた突飛な発想である。恐らくこのオヤジ、「自分が攻めてる」事を言いたいがばかりに五輪をダシに使ったのだろうが、本当に底の浅い発言である。こんな事言ってるオッサンに限って、決して「人生攻めてる」なんてことはなく、仕事では上司に責められ(死)、家ではカカアの尻に敷かれているに違いない、と確信した(歪)。大体、五輪代表のように普段鍛練を積んでいるということも無いに違いない。
人間って(勿論、自分を筆頭に(死))哀しい生き物だなあ、と思ったそんな一日でした。
9月19日(火) (表)(裏)
今日は諸事情により更新をお休みします。
9月18日(月) (表)
日記を書く事が日常に与える影響、というものが少なからずあるような気がします。私はこのサイトを立ち上げるまで、旅行に行った時等のごく一部の例外を除き日記を書いた事はありませんでした。
影響のことについて言えば、良い面、悪い面双方あるように思いますが、トータルでみればプラスなのかな、と思います。
日記を書く事も日常の一部と言えば一部ではあるので切り離して考えるのはおかしいのかもしれませんが。
9月18日(月) (裏)
鶏が先か卵が先か
私もかつては文系で国語や小論文と言った場で「自分の感性」で文章を書く機会が比較的多かったが、今はほとんどない。ちなみに昔は小論文は通信添削や模試を何度も受けたが、浮き沈みが余りに激しく悩みの種だった。どうも昔から考え方が偏っており、採点者の感性にはまればかなり高得点になるものの、あからさまに反感を買うことも多く(死)、最後まで「無難に抑える」ということが出来なかった。
最近、会社で反省を兼ねた報告書を書く事になった。定期的な定型業務について忘れないうちに反省を記しおくことで次に活かそうという趣旨である。ところが、いざ、文章を書いてみると、全ての文章がこの日記っぽくなり、なかなかうまく書けない。実際、本当に文末に(死)と書こうと何度思ったか分からない(死)。考えてみると、近頃、文章を自分で考えて書いているのはこの日記くらいのもので、そうなるのはある意味やむを得ない部分もあるのだが。
自分ではその辺をちゃんと直して出したつもりだったが、それを見た上司の感想「なんだこりゃ?お前、人のこと馬鹿にしてるだろう?」である。「大体、形容詞とか副詞が不必要に大袈裟で人をナメてるとしか思えん。『万難を排してでも』とか『致命的失敗』とかやたらめったら使うもんじゃないよ。それに発想が異常に後ろ向きだな。」
だって本当に後ろ向きなんだもん(死)。本気で怒っていた様子ではなかったので安心はしたが、「僕はそれでも相当抑えてます。」と口を衝いて出かかった自分が悲しい。確かに、言われてみれば日記を書くという行為によって自分がダメであるということを再確認し、ますますダメになっていく、という部分はあるかも知れない。
とは言っても本質がダメな訳で、ダメになっていくのを日記を書いてるせいにしちゃいけないんですけどね・・・。
9月17日(日) (表)
新聞その他、オリンピックでメダルを獲った人の記事には「苦労談」の様なものが必ず出ています。かくかくしかじかなトレーニングを積み、これこれの怪我と戦った末のメダル、というような。
ひねくれたことを言うようですが、オリンピックに出てくる人で苦労も怪我もしてない人なんていないんじゃないんだろうか?と思わなくもありません。
私も中学〜大学に至るまで某スポーツにかなりの時間を割いた経験があるので思いますが、勝者の凄いところはお互いしのぎを削る中で、相手がどんな才能を持っていようが、どんな努力をしてこようが、その相手に勝った、というその事実そのものなんだと思います。
無論、最良の結果を求めるからこそ、最良のプロセスであったのも間違いのない事実だと思いますが。
9月17日(日) (裏)
と取り敢えずイチャモンをつけながらもしっかりそういう苦労談とかを新聞で読んでしまっていたりする私。近年はやはり科学的分析に基づいた合理的なトレーニングというものが非常に大事らしい。あの田村選手も技に入るタイミングや投げた時の体の軌跡等を科学的に分析して弱点?を克服したことが今回の結果に繋がった、と書いてあった。
ふと思った。私がダメで無気力な理由って科学的に分析できないのだろうか(死)?この無気力ぶり、ダメぶりを分析して何か有効な手だてが打てればそれは画期的な発見かもしれない。ダメ系、ばいばい。今日から僕も気力漲る頑張り屋さん、ってなことになれば・・・。といつもの如く妄想を膨らませてみた。
しかし一方、あんまり気力が漲るのもどうか、とも思った。もう人間が腐りきっているからそう思うわけだが、私は近頃「ヤル気」とか「前向きさ」に当てられる傾向がある。「皆さん、今日も頑張りましょう!!」的な文章を読んでいると限りなく疲れる(死)。「いいよ頑張らなくったって。別に前向いてたって後ろ向いてたってやることはやんなきゃいけないんだから。」と会社でもこの調子。これで仕事がビシッとこなせていればちょっと斜に構えた格好いい奴なのだが、私の場合「やることやってない」のでただの負け犬の遠吠えである(死)。
日常(プロセス)が充実してない→「結果が全て」と大見得を切る→結果は更にダメ→より一層ひねくれ→(死)。これ、ある意味ダメ系の典型的没落パターンですな。話が最初に帰りますが、これって科学的に分析できないんでしょうかね。
等と言ってる暇があったら勉強した方がいいな。という結論に落ち着いた。チャンチャン(死)。