いがく受験と私〜日頃の行いも大事〜
- & 私が医学を志した本当の理由???健康第一 -


天誅 現役時代のお話

プロフィールの所でも述べた様に、私は高校時代、何をしたいのか自分で分からなかった。
(注:今でもよく分かっていない)
正確には文系に属する学問はどれもやってみたいと思っていたので一つに絞り切れなかった、
と言う方が正しいのかもしれない。

数学や理科と言った科目に関しては問題外と言った状態で英語や社会の文系科目には
それなりに興味のあった(≠勉強する)私は迷わず文系を選択。

そういう無目的な状態で大学受験勉強という行為自体が馬鹿らしく感じられた為、
学年が進むにつれ「大学に何の為に行くのか。」等の不毛な議論を教師に持ちかけたりしては
相変わらず社会、英語以外の科目は微塵ほども勉強しなかった。
(懇切丁寧に私の議論に逐一つきあって下さった先生には非常に申し訳ないが、
そんな議論なんぞしている間にもっと人生の役に立つ挑戦をしておけば良かった
今では大いに後悔している。)

と言って、いわゆる進学校にあって進学しないという選択をする度胸も持ち合わせていなかった
私だった(今考えると本当に考え方が甘い)が、或る時、「入学してから進路が決定できる」大学
のあることを知った。

それは「進振り」と言って厳密に言えば「入学してから進路が決定できる」とは異なるのだか、
それを知るや私は「これぞ私のための大学」といつもの大勘違いをしたのだった。

ところがその大学というのは他でもない天下のT京大学。

当然ながら私には勉強もせずT大に合格する程の学力は無い。

しかし、私にも望みはあった。T大は、私がその目的が理解できず死ぬ程嫌いだった
(本当は成績が悪いから嫌いだっただけであるが)
センター試験の配点が極めて低く、しかも2次の配点が「英国社各120数学80、数学は
難し過ぎてあまり得点差がつかない」という私にはこれ以上無い受験環境だったのである。

一応目標は決まった。嫌々ながらも受験勉強を始めたものの、
受験校の配点や数学であまり差がつかないというのをいいことに
勉強時間の7割強を社会に投入するというとてつもなく誤った勉強
をしていた。
結局興味本位の勉強から抜け出すことが出来なかったのである。

特に嫌だったのがセンター試験。「あれで人の何が分かるというのか。」という
不勉強人間特有の逃げ口上を吐き、真摯さのかけらもないまま受験を迎えたのだった。

ところが、センター試験前日、どうも頭がフラフラする。「慣れない勉強をしたからか。」
などと減らず口を叩いていたもののそのうち寒気がし始め、一応熱を計る。
そしたら何と、40度を超える熱があった。

学力はともかく、体調の不備だけはあってはいけない。」、と手洗い、うがい、
あらゆる対策を講じたにも関わらず、悪質の流感に罹っていたのだった。

それを見たせいか時間が経つにつれ意識は朦朧、立ってすらいられなくなった。
だが、ご存知の様にセンターには追試がある。追試受験には医者の診断書が
必要だったが、その日は1月15日(当時は祝日)で病院はどこも開いていなかった。
タクシーに担ぎ込まれて無理矢理市の休日診療所まで行き、どうにか追試を受ける
手筈を整えた。

全国に2つしかない追試の会場の1つが家から近い大阪大学だったので
「まだ俺にもツキがある。」と柄にもあわぬ前向きな考えで意識朦朧のまま追試に臨んだ。
(ちなみに追試は本試の1週間後の土日に行われる。)

が、やっぱり世の中そう甘くはない。
今とは違い、当時のセンター試験の数学は数学嫌いな私でもあまり失点をしないで済む
簡単な試験だった。要するに時間内で計算間違いさえしなければほぼ満点、という代物。
ところが、試験を受けてみると、計算間違いは愚かそれ以前に問題が解けない

追試は本試より問題が少し難しめに作られているとは聞いていたが、
その年の数学の追試はそんな難しめとかそういうレベルではなかった(と私は思っている)。
体調不良と相まって目の前が真っ白になったのを今でも覚えている。

聞けば本試の数学は簡単で
私は配点が低く、合否に実質影響の無い筈のセンターで致命傷を負ったのだった。

現役の時はセンター後の追い込みが大事と言うが、
ただでさえ人より一週間余計に嫌々マークシートを塗っていた上、
その後も体調不良から全然追い込みも利かず、私の現役は過ぎていった。

教訓:1.健康第一
    2.人生何が起きるか分からない 
    3.運も実力のうち
    4.馬鹿にした教科、試験で必ず痛い目に遭う
    5.生産性のない議論よりも勉強   


天誅再び 浪人時代のお話

かくして浪人することになった私。
だが、一年目の失敗の要因は、

「学力不足ではなく、運の悪さのみ。」と
根底から誤った分析をした。

だからという訳ではないが、別のところでも書いたようにパチや競馬の間に勉強という
屑の様な浪人生活を送っていた(親には悪いとは思っていたが生活は何ら改めなかった)。

しかも、相変わらず少ない勉強時間の大半を社会につぎ込むという常軌の逸し方。
数多く受けた模試の判定も、全てが測ったように40%,50%,60%のみという低空安定型。

普通ならここで危機感を感じてもっと勉強するか、志望校を変更するか、どちらか、
というのが受験生のあるべき姿であると思うが、

「いくら勉強したって(本当は大してしてない)どうせ半々。そのうち受かる。」

とまさに屑人間の開き直りをし(我ながらどうかしている)、
「数学なんかこの世から消えてまえ。」(当時関西人)
と教科書よりも分厚い社会のノートをせっせと作っていた。

特に成績が向上も下降もしないまま試験が近づく。
予備校で面談のようなものがある。

「確かに(低値)安定はしてますね。でも微妙な成績ですね。私立も考えてみては?」

「受かっても多分行かないので受けません。」
(当然受けても受かる筈はない。本当は私立用に新たに勉強をしたくなかっただけ。)

と傲然と言い放った私。そのまま貫き通せばそれはそれで格好良かったのかもしれないが、
不安を感じ、さすがに二浪は嫌という事で後期のみ受験校を変更するという
姑息な手段に出た。

また、去年の二の舞は御免ということで、前年より更に念を入れ、
小学生の様にインフルエンザの予防接種まで受けてどうにか無事二次試験の会場へ。

ところが、神は私を許してはくれなかった。

苦手の数学。過去何度も苦汁を飲まされてきた。「今年こそは。」
と勢い込んで試験問題に向かった瞬間、鼻の辺りがムズムズする。

「やっぱり寒いと風邪を引いてなくとも鼻水は出るわな。」
とポケットティッシュを多めに用意しておいたことに内心満足しながら鼻をかんだ。

が、次の瞬間、私は目を疑った。何と

出ていたのは
鼻水ではなく鼻血だったのである。

結局、数学の時間は問題とではなく、溢れ出てくる
鼻血との格闘のみで過ぎていった。
答案用紙には答えではなく
ばかりがビッチリ、寂寥とした風景である。


何が何だか分からないうちに試験は終わっていた。

未だに敗北感にまみれて辿り着いた帰りの東京駅の新幹線のホームは良く覚えている。

聞けば私が受けた2年間は数学がかなり易化し、数学で差がついたとのことである。
当然、私は落ちた。(余談であるが社会は会心の出来であったことを付記しておく。)

振り返ってみると、私は1年目の教訓を何一つ生かせなかった(死)

結局、身の程や自分の限界を嫌という程思い知った私は失意のうちに
後期で受けた多摩文科大に何故か合格。お世話になることを決めたのである。

受験生の皆さん、日頃の行いは必ずここ一番で出ます。気をつけましょう。
私も今度こそは生かせるかな・・・?
でも、二度あることは三度あると言うし・・・。