〜戯言〜再受験な事情、私の場合。
筆者から一言:
この文章はサイト立ち上げ当時に書いたものです。従って、勤め先等、現在と違っている部分がありますが、その点お含みおき下さい。

 私は今、医学部を目指しています。

1.今の私: 

 私は今、民間企業(某メーカー)に勤めています。私が勤める会社の主力商品は世界的に寡占が進んでおり、わずか3社で世界シェアの60%を占める、そう言う状態にあります。市場規模だけから言えば、恐らく年間10兆円近くに達しようかという規模だと思います。私の勤め先も連結ベースの売り上げが年間2兆円を超える巨大企業です。

 自動車産業の現状を挙げるまでもなく、外資との競争になればそれはもう「食うか食われるか」。選択肢は二つしか残されていません。事実、日々の仕事の中で問題になるのはそれぞれ米と欧に拠点を持つ同業2社をいかに叩くか、ただそれだけです。

 これは製造業のどの会社にもつきまとう宿命ですが、日本に生産拠点を置くと言うことはそれだけでコスト競争力の不利を意味します。日本企業の場合、コスト競争力の不利を補ってきたのは企業の技術力、組織力です。組織力と言えばそれは聞こえは悪くないですが、個人レベルで見ればそれはまさに文字通りの滅私奉公です。国民性の問題なのでしょうが、これは戦前から基本的にはあまり変わっていない日本人の気性なのでしょう。ただ、現在私が物質的に様々な恩恵を受けながら生活出来るのは先人のそういう努力があればこそ、またそれを維持していくのが現代の我々に課された使命であるとも思います。

 日々の仕事は忙しいながらもそれなりのやり甲斐はあると思います。日々移り変わる世界の情報を身近に見ることの出来る部署にいる為、非常に面白いと感じることもあります。年齢や経験に比して責任の重い仕事をさせて頂いているとも。ところが、仕事に不満を感じているわけではないのに自律神経失調症、時には鬱病に近い症状に陥る、ということが入社して数年の間に定期的に何度かありました。(別に通院を要するほどのものでもありませんでしたし、こういうことは誰にもあることなのかもしれませんが。)

 何故か?恐らくは自分の弱さに拠る所が最も大きいのでしょう。ただ、現代の企業はあまりに主体が不在に過ぎるような気がします。企業が誰の為にあるか?株主の為か、否。従業員の為か、否。これが最大の問題なのですが、では消費者の為か、残念ながらそうではない様な気がします。実体は企業は自分が生き残り、他に打ち勝っていく為だけに存在してしまっています(少なくとも私のいる業界はそうです)。飽くまで結果として消費者の役に立ち、株主、従業員に利益を還元しているだけです。私が製造業に就職しようと思った最大の理由は、いかに過酷な競争が存在しようとも最後は人の生活に直接影響力のある商品を供給出来るという「正義」を持っていると感じたからでした。ですが現実は私の予想を遙かに上回って厳しいものでした。

 今は生活の大半を仕事に費やしています。実際年のうち数ヶ月は全く無休です。果たして本当に今の仕事に今後も変わらず打ち込めるか?という疑問がいつしかつきまとって離れなくなりました。日々の仕事に不満を感じることは殆どないですし、忙しい事自体が嫌だと思ったことはあまりありません。ただ、仮に最後まで勤め上げたとしたら本当に「これで良かった。」と思えるだろうか?時々体調や精神状態がおかしくなるのは心のどこかで今の自分に疑念を抱いているからなんじゃないんだろうか、これだけの時間を費やすならもっと納得の行く仕事がしたいと内心思っているのではないか、そう思っています。

 仕事自体がつまらないと感じておられる方や、或いは仕事に就くことが出来ずに困っている人も多い中でこれは只の弱者のたわ事かもしれません。でも、世の中「弱者」は結構いるものです。別の所でも書きましたが非常に身近な所でも自殺者が出ましたし、精神を損ねたりする人も決して少なくはありません。

 自分を取り巻く環境にどうしても適応できないと思った時(私の場合、大学受験の時もそうでしたが)選択肢は結局は二つしかありません。一つはすっぱりその環境から身を引くこと。一つは自らその環境を変えること、です。企業にあって力の無いペーペーの私が採りうる選択肢は前者しかありません。


2.何故医学部再受験なのか:

 私が感じている捉えどころのない疑念は別の会社へ転職したからと言って解消はされない様な気がしました。捉えどころのない疑念、これが解消されない限り、どこへ行っても今の繰り返しになるのではないか、むしろ年を追うごとにそれが大きくなっていくのではないか、そんな気がしています。

 その疑念を解消する努力もしてみました。高杉良や、城山三郎、或いは清水一行と言った人たちの小説を読み、企業に勤める人間のより良いあり方について考えたこともあります。実際、高杉良の「生命燃ゆ」の主人公などはある意味、サラリーマンの理想像と言えるでしょう。ですがいかんせん私は人間がそこまで強くもなければ立派でもありませんでした。正確にはなろうという気にすらなれない、そういう弱い人間だということだけが逆にハッキリしました。

 この疑念を逆に解消する事を目的としてはどうか?そう考えた時に一番現実的かつ実践的な職業として浮かんできたのが「医者」と言う職業です。無論、社会人経験の有る自分の方が高校生の方より医者に向いている、とかそういうことを言う気は毛頭ありません。ただ、長く生きた分、心身問わず「病」によっていろんな大事なもの奪われてきた方を見てきたし、出来ればそういう方の一助になれれば、と思っています。また、仕事が「問題発見と問題解決」という課題と手法から成り立っている事はどの職業も同じだと思いますので、これまでの経験も少しは生かせるのではないかと、そう思っています。結果として今私が抱いている疑念が解消されてくれれば更に言うことはないのですが。

 (というのは綺麗事の世界の話、真相は自分が目に見える形で人を救済出来る仕事に就くことでちっぽけな虚栄心を満たしたい、とか或いは自己否定的な感情を払拭出来るのではないか、という小市民的な欲求。簡単な話、企業という文化に適合できなかった弱者の小理屈、と言う辺りが医者を志した本当の理由なのかもしれません。これは他の医学部受験生の方々に比べ如何にも幼稚で自己中心的な理由な様である気がしますが。)

3.にも関わらず・・・

 まだ暫くは今の仕事を辞める気はありません。別に生活に困ると言った現実的な理由はないのですが、もう少しやってみないと、今勤めている企業や業界の文化が本当には理解出来ないのではないか、それ分かる前に見切りをつけるのが本当に正しいのか、その答えが自分の中で見つからないからです。これまで受けた恩を少しは返さないと、と言う気持ちもあります。

 仕事がつまらなかったら即辞めて受験勉強に励んでいたと思います。未練があるわけではないと自分では思っているのですが、今すぐスッパリ、と言う気持ちにはまだなれません。これが何故かと言われるとうまく説明はつかないのですが、受験をするまでには綺麗さっぱり仕事からは離れるつもりですつもりです。それが何ヶ月先になるのか、或いは何年先になるのかは自分でもまだ分かりません。ひょっとしたら、今の仕事の中で本当に納得が出来ると思える日が来るかもしれませんし・・・。

 (仕事をすぐに辞めない理由、本当は分かっています。今辞めれば上で書いた小市民的欲求とか弱者の小理屈を全部肯定する事になってしまう。一方、私には自分が小市民であり、弱者であるという事実を許容する度量すら備わっていないのです。)


4.結局のところ

 
色々と書いてきましたが、大学或いは短い社会人生活を通して一つ感じた事があります。それは「結果」の重要性です。「プロ」である以上、どんな職業であれ、なろうと思った動機は実は3の次くらいの問題、要は自分のついている持ち場持ち場でベストの結果を出せるか、が全ての様な気がします。今の私が為すべきは会社員として最善の結果を残し、その残りの時間で受験勉強でベストの結果を出せる様にする事、或いは自分の選択が本当に正しいかを見極めること、それに尽きる、そう思っています。

下らないお話にお付き合い頂いて誠に有り難うございました。