3.胎動


 〈それ〉は、待ち続けていた。
 光も闇もない所で、身動きもせずに。
――まだなのか。おれの出番はまだなのか。
 息を潜めていた、というわけではない。なぜなら呼吸など必要ないものだったから。
 身動きも、できるはずがない。なぜなら体などなかったから。
 しかし〈それ〉は、間違いなく存在していた。明確な悪意を持って、その時を待ち続けていたのだ。
 幸い、獲物は食いついて来た。あとはそいつを捕まえるだけだ――。

(ふむ・・・・・・まあこんなものだろう)
 芝村舞は、弁当箱のふたを閉じた。
 彼女が速水に手渡す弁当箱は、白で無地の外観をしているプラスチック製のものだった。彩りも何もあったものではない。
 それを猫の模様があしらってあるハンカチで包むと、舞は目を閉じた。
 テレパスセルを起動する。八時五〇分現在、学校に来ているのはひとりだけ。他には誰も来ていない。
(平和になったものだな)
 舞は口元を緩めた。
 先週までは、日曜と言えば「仕事に集中する日」だった。平日と同じように登校して、朝から自分の仕事をすすめる日。一部の例外を除けば、5121小隊の ほぼ全員が学校に来ていたものだった。本当ならばあちこちに遊びに行ったり、楽しくやったりする貴重な週末が、戦争の準備なんぞで潰され続けた。
 仕方ないといえば仕方ない。何せ今は戦争の最中だったから。
 だからこそ――
 ここ最近の日報への感慨はひとしおだろう。舞自身もそうだった。一ヶ月以上前は、「幻獣優勢」を示す赤で染められていた熊本の戦況マップがほとんど青一 色になり、幻獣の戦力を示す各戦区の赤い棒グラフも、あるかないかのようになっている。別に鼻にかけるわけではないが、どうやら今日は5121が出ること もなさそうだ。
 久しぶりの、そして5121小隊の今日は最後の日曜日。そうとも、普通だったら、まる一日ゆっくり過ごしていても罰は当たらない。
 そして――普通じゃない男がひとり、学校に来て仕事をしている。
(また電子妖精でも作っているのか?)
 今度はテレポートセルを起動させ、プレハブ校舎の階段の下あたりに向けてテレポートした。

 整備員詰め所の中は、薄暗かった。
 昼間でも、窓がそれほど大きくないために陽の光が入らないのだ。ましてや、今はまだ朝だ。
 外が明るくても蛍光灯が必要なその部屋で、カシャカシャとキーボードを叩く音だけが響いている。
 モニターから漏れる光が、パソコンに向かっている者――速水厚志の無表情な顔を照らし出していた。
 速水は、慣れた手つきで「電子妖精」のプログラムを組んでいた。目が半分閉じられていたが、ひょっとしたら目をつぶっていてもいいのかも知れない。今ま でに何度も作った代物だから、何をどうすればいいのかは手が覚えているのだ。
 不意に彼は手を止めた。人の気配を感じたのだ。
 が、その気配が芝村舞のものであることもすぐに察知する。
 速水は、彼自身のトレードマークである人の好さそうな微笑を顔に浮かべた。そうして、入り口の方に顔を向ける。
 とんとん、とノックされた後、「入るぞ」という低い声と一緒にドアが開かれた。
「朝から精が出るな、速水」
「おはよう、舞」
 舞は速水の方に近寄って、弁当を手渡した。礼を言い、受け取る速水。
「何時からここにいた?」
「えーっと……昨日の一二時くらいからかなぁ……。電子妖精作りがなかなか終わらなくってね。途中で疲れて、結局ここに寝泊まりしちゃったよ」
「となると、この弁当は朝食か……もうひとつ余計に作って来るべきだったか」
「うん、朝食。昼は僕がご馳走しようか?」
「それは楽しみだな……必要な食材があったら買い揃えておくか?」
「それくらい僕がやるよ。舞は自分の仕事やってればいいさ」
 速水は、相変わらずの笑顔を顔に張りつけたままで、ハンカチをほどいて弁当を開けた。
「……速水。今日のお前の予定は?」
「えーと……この電子妖精はもうじき組み上がるから……あとは三番機の整備で潰れちゃうかなあ。……いただきます」
 弁当に取りかかり始める速水。
「出撃だったらかかるまい。昨日の日報を見たであろう。雑草程度にしか生えていない赤い棒グラフと林立する青い棒グラフ。熊本にはもう大した幻獣はいな い。……残したりしたら許さぬ」
「確率はゼロじゃない。遊軍部隊としちゃ、いつも万全の体制でいないとね。……あ、この卵焼きおいしいね」
「日報を見た限りでは、5121の状態に特に問題はなかったぞ。二番機は欠けているが、滝川が今日持って来るはずだ。……ミニハンバーグには自信がある ぞ、試すが良い」
「ちょっとしょっぱいけど、僕は好きだな……。士翼は二体目だったよね、一台目は壬生屋さんが大破させちゃったから」
「しょっぱかったか……何にせよ、熊本は見事に幻獣を食い止めた。痛快だな……装備も行き届いているし、学兵たちの士気も高い。われわれが出張って戦う必 要はもうないだろう」
「……もうひとつだけ、残っているよ」
「……竜、か」
 速水は、口をもぐもぐと動かしながら、一瞬真顔になった。
 が、すぐにいつもの微笑に戻り、口の中のものを飲み込んだ。
「舞……許すって、何なんだろうね」
「……わたしは……あの男から『竜を許せ』と教えられているに過ぎぬ」
「そうだよね……」
 ――竜。
 最強の幻獣にして、幻獣側の決戦存在。
 そして人類の決戦存在であるHEROは、これを許さなければならないという……。
 速水はため息をついて箸を置き、椅子の背もたれによりかかった。
「許して……どうすればいいんだろうね。殺さない? それとも心中でもすればいい? 竜が幻獣の習性に従って、人類を狩っていくのを黙って見過ごす? そ もそも許すってどうすることなの? わからないよ」
 彼は鼻を鳴らした。
「今までは、勝つためにどうすればいいのかを考えていれば良かった。僕が絢爛舞踏になって、全員がすくわれるにはどうすればいいか、ずっとそればかり考え て来たんだ。
 僕が強くなるには? 5121が強くなるには? そして、熊本全土で戦っている学兵たちみんなを強くなるにはどうすればいい? ――そればかり考えて、 答えを実行して来た……」
「それは間違ってはいなかったぞ。そのおかげでわれらは生きながらえているのだからな」
 舞は答えた。
「ただ生きながらえただけではなく、われらは変わった。それらの変化は決して悪いものではなかった。そなたのおかげで、5121はまとまっていった。今で は、わたしもこの部隊は居心地が良い」
「僕も変わったよ」
 速水の笑顔が、暗いものを帯びる。目元がやさぐれたように細められて、舞の顔を見た。
「……自分が変わって行くのが恐かった。敵の攻撃が予測できたりとか、止まって見えるとか、そんなことよりも、自分の心が冷たくなって行くのが分かったん だ……。自分の一挙手一投足を観察して、それが5121のみんなに、大げさに言えば熊本の戦況にどんな意味を持つのか、自然に考えられるようになった。四 六時中、何かを演じているような気分だった」
「セルフコントロールは重要だ。間違っていない」
「役者でもない僕の演技に、僕の周りの人間はきれいにひっかかった。そして、僕の思い通りに動いてくれた。それに恐怖じゃなく、喜びを感じ始めた時、僕は 人間じゃなくなったと思う。みんなが恐がるのは当然だよ。仕方がない」
「わたしはお前を恐れないぞ。お前をそうしたのはわたしだ。恐がる資格などない」
「心の動きを抑えることはないさ。道を示したのは君だけど、それを選んだのは僕だ。責任なんか感じる必要はないよ。
 でも……僕の中には心はないよ。あるのは勝てるかどうかの基準にもとづく判断だけだ」
「自分を追い詰めるな、速水」
 舞は、微かに押し殺した声で言った。危うく怒鳴る所だった。
「お前には心がある。心があるからこそ、勝つために己を律しきることができたのだ。そして、勝とうとしたのは皆を守るという目的があったからだ。そうであ ろう?」
「そして、僕は手段に飲み込まれてしまったんだ」
 速水はにっこりと笑った。
「物事が、自分の思い通りになる事の楽しさに、捕まっちゃった。こうして君と話しながらでさえ、僕は自分の中で考えている。『芝村舞と仲良くなるというこ とには、今後、どんな価値があるのか。芝村の姫をたらし込んで、芝村一族の中で上りつめて行けば、さらに僕は力を得られる。得られた力で何をしようか』 ――」
「速水――!」
 舞は立ち上がり、速水の頬に平手を叩きつけようとした。
 次の瞬間、微笑んでいた速水の顔から表情が消えた。振られた舞の右手を左手でブロック、右の貫手で彼女の喉元を突こうとして――寸前で止めた。
 舞は息を飲んだ。
(――これが絢爛舞踏か……!)
「ほら、舞……僕に心なんてないよ」
 速水が舞の喉元に貫手をつきつけたまま、微笑んだ。
「好きな人にも、こんなことができてしまうんだ――
 そして同時に計算している。『こんなことをしても、芝村舞は僕から離れたりしない。なぜなら責任感の強い彼女は、速水を変えてしまったのは自分だと思っ ている。心優しく誇り高いこの女は、絶対自分から離れることはないだろう』」
「やめろっ、速水!」
 舞はついに怒鳴った。
「自分を貶めるな! 人としての枠を超えてしまっても、お前の中には心がある! おのが醜さをわたしに告げて、わたしから傷つけられることを求めている!
 わたしを利用するというなら利用せよ。掴めるものなら、芝村の力も手にするがいい。
 わたしは喜んでお前に利用されてやる! おまえが何になったとしても、わたしはお前の心を信じている……!」
 言い放ちながら、舞は自分の目頭が熱くなっているのを感じていた。不覚にも、泣いている。
 その涙を拭いもせずに、舞は速水の頭を胸に抱きしめた。
「……恐い時……どうしてお前は泣かなかった……」
「泣いちゃいけないって、そう思ったから。君を不安がらせたくないって。君に失望されたくない、軽蔑されたくないって……」
「なら……今、泣け……」
「泣き方……忘れちゃった。僕の代わりに泣いてよ、舞」
 舞は、速水を抱える腕に力を込めた。
「……胸……小さくて……すまぬ」
「いいよ、これくらいのが……息が苦しくなったりなんてこともないから」
 舞の背中に、速水の腕が回された。
――たとえば、速水ならばこの状態から自分の背骨をへし折ることだってできるだろう。
 そうだとしても、舞には抵抗する気はなかった。「わたしを煮るなり焼くなり好きにするがいい」熊本城攻防戦の時に言ったその約束は、今でも生きている。
 だが、自分がいなくなることで、速水は本当にひとりぼっちになってしまうことだけが気にかかる。
 ――どれくらい時間が経ったのだろう。
 やがて速水は舞から体を離した。舞の胸から離れた時の速水の顔には、いつもの微笑が浮かんでいた。
 そして、「心配かけてごめん」と言うと、何事もなかったかのように残った弁当に取りかかり始めた。

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