4.使命あるもの
〈それ〉のすぐそばでは、多くの命令と信号が飛び交っていた。それらがひとつの形を作り出して行く。
電子妖精――軍用としても使われているハッキングソフト。あらゆるファイアーウォールをぶち破り、プロテクトを食い荒らし、データベース内部の全ての秘
密をかっさらってしまう凶悪な妖精。
きわめて高い情報処理技術と知識がなければ、一日かけても作れない。
しかし――
絢爛舞踏は、それをやすやすと組み上げて行く。驚異的なスピードで。
これこそ、〈それ〉の待ち望んでいたことだった。
ある程度まで組み上がってから、〈それ〉は電子妖精の中に自分を滑り込ませた。
そうして、自分自身を「電子妖精」の中で、あるべき姿に変えて行った。最初は小さなデータにしか過ぎなかったものが、急速に姿を変えて行く。密やかに、
速やかに。
全ては予定通りだった。
――だが、もうひとつ、必要なことがある。
そしてそれは、必ず起こる。
「電子妖精」の中で増殖する〈それ〉は、最後の仕上げの時を待っていた。
滑らかにキーボードの上を走る手は、確かに何をどうすればいいのか覚えていた。
速水が試しにしばらく目を閉じてみたら、その間も指は寸分の狂いもないプログラミングを続けていた。
(――システムなんだな……僕は)
無表情だった速水の顔に、暗い笑みが浮かんだ。
絢爛舞踏とは、息をするように次々と敵を屠って行くというが、ただの戦闘機械というわけではないだろう。
例えば、こんな風に電子妖精を早々と組み上げる。そうして、ネットワークセルを用いてこれをばらまき、情報をかき集め、次の戦いの準備に備える。
――戦いの中に生き、勝利し続けることに特化した、人の皮を被ったシステムそのもの。間違いを見つけたらビープ音でわめくパソコンの方が、遥かに人間臭
い。
この戦争が終われば、自分は正式に芝村の一員となる。世界を牛耳る芝村の中に入れば、そこではやはり戦いの日々が続くだろう。その戦いは、人脈を作り、
必要な情報を収集し、それらを駆使して、成すべき事を進めて行くというものになる。なんと言う事はない、それらはこれまで自分が5121でやっていること
と同じだった。
だが、その前にやらなければならないことがある。
竜との戦いだ。
舞は、竜を見つけ出し、「許せ」と言った。
また、士魂も言った。戦いには自分を使え、そして竜を許せ、と。
「絢爛舞踏は神様じゃない」
速水はつぶやいた。
「僕に出来るのは、それが勝利につながるかどうかを判断することだけだ」
今まで、勝利につながるから部隊内の結束を固め、士気を上げて、そしていろいろな裏工作もしてきた。ただ勝つ為。そのためのシステムに徹してきたのだ。
だから――今更できない。ひとつの存在の是非を問い、それに「正しい」決定を下すことなんて。しかもその決定は、あらかじめ決められている。
――「許す」って何だ?
その答えは、どうしても出てこなかった。
舞も士魂も、「倒せ」とも「倒すな」とも言ってないのだ。
「許す」という言葉は動詞だ。動詞である以上、行動する主体と、その行動を受ける客体とがある。
客体は竜。
主体は自分自身・・・・・・正確には自分の内面。「許す」とは、自分の内面で行う「判断」だ。
自分はこれまで数限りなく「判断」を繰り返してきた。それらの基準は、勝利にプラスかマイナスか、というものだった。正しいか間違っているかなんてい
う、主観的な基準なんて、今さら持てない。
ここで仮に客観的――という名前の人類中心の主観的な――判断基準を持ち出せば、竜は許される存在ではない。何といっても最強の幻獣であり、放置してお
くにはあまりに危険過ぎる。
そして、猫の英雄妖精ブータによれば、竜はすぐ近くにいるという。おそらくは、自分が守ろうとした仲間の中に。やりきれなくて、嫌なことだった。
「参ったな」
速水は苦笑した。
「こんな所が、まだまだ人なんだな、僕は」
その時、パソコンがビープ音を鳴らした。電子妖精が組み上がったのだ。
〈それ〉をたっぷりと中で成長させた電子妖精は、多目的結晶体にインストールされた。
直後、多目的結晶体に思念が送られた。――「電子妖精・起動」。
――その時を待っていた。
結晶体の中で暗号化されていたデータは明確な目的を持ったプログラムとなり、自身の在るべき姿への変容を遂げた。脳から多目的結晶体に送られてくる「思
念」という名の信号の経路を逆にたどり、〈それ〉の情報処理の触手は、一瞬にして脳への経路を駆け抜ける。
〈それ〉は、絢爛舞踏の脳内で弾けるシナプス間の信号の流通を掌握した。まずは、運動神経を完全に支配下に置いた。
腕を奪った。
足を奪った。
胸を奪い、腹を奪い、胴体全部を奪った。
「ぐあああああっ!」
「絢爛舞踏」が悲鳴を上げた。
自決などされても困るので、顎と舌、呼吸器も奪ってしまおう。
心は――絢爛舞踏の脳が持つ、信号流通のパターンは――すぐには掌握できそうにない。とりあえず信号の流れが流出しないように一ヶ所にまとめて、封印し
た。じっくり時間をかけて、飼い慣らしてしまえばいい……
その時、速水の「心」の部分から、信号が飛び出した。その信号は、巧みに〈それ〉の網をすり抜けて、多目的結晶体の領域にたどりつき、テレポートセルを
抹消した。そして、テレパスセルの内容を組み替え、起動と同時にそれも消してしまった。
直後、完全に速水の「心」は封印された。
かくして――絢爛舞踏の行動を完全に支配し、〈それ〉はついに任務を開始する。
任務は――熊本要塞の破壊。
遂行する上でもっとも効率的な方法――絢爛舞踏の乗機による熊本要塞への侵攻。
テレポートセルを消されたのは痛かったが、それは今後の行動が多少面倒になるだけにすぎない。