熊本城――。
四月に行なわれた熊本城包囲戦での大勝利と引き換えに、その城郭は無残な廃墟となっていた。
豪壮な天守と、それを囲むように建っていた櫓の数々は、今は見る影もない。ミサイルやらロケットが飛び交うような激闘の中で、ほとんどが吹き飛ばされた
り焼け崩れたりしている。
それでも、「清正流石垣」として名高い高石垣は未だ原形をとどめている。城郭の水堀の役も果たしている坪井川を渡って城門跡を抜ければ、目前の石垣また
石垣という光景に圧倒されることだろう。
そして――
熊本城跡の東寄り――本丸には、屋根が吹き飛ばされ、壁に大穴が空いている大天守がそびえていた。その周囲はまったくの焼け野原となった「広場」と化し
ている。
大天守前の広場に、巨大な人型が一体佇んでいた。
人型戦車・士翼号。
この熊本を5121小隊とともに駆け回り、いくつもの幻獣を屠って来た「士魂」シリーズの上位機種で、攻撃力、機動力は士魂型のそれを遥かに凌駕する。
足音が聞こえて来る。重々しい足音だ。
坪井川を渡り、石垣で曲がりくねっている道を歩いて来る巨大な――そして異形の人影。
背中に棺桶を背負っているかのようなシルエット。右手にジァイアントアサルト。左手に大太刀。そして右肩には、複雑な装飾が施されているライフルともバ
ズーカともつかぬ巨大な「銃」――NEPがあった。
それこそは、人型戦車・騎魂号――通称「複座型」。狂った絢爛舞踏・速水厚志を乗せた、5121小隊が迎えた最大にして最強の敵。
「……来たな」
士翼のコクピットで、滝川が唾を飲んだ。
――最近の5121の状態はどうなってるんだ?
――さっき派手にドンパチやった芝村舞ってどんなヤツなんだ?
――次にあいつと戦う滝川陽平ってどうなんだ?
熊本全土の学兵の多くは、そんな事を考えていた。
――熊本中心部に非常事態発生――いざ、駆けつけようとした熊本の学兵は、突然待機を命じられた。本部に文句をつけてみると、こんな答えが帰ってきた。
「今回の事件は5121内部で起きた不始末。その責任を持って、5121だけで事態を収拾する。他の部隊の手出しは無用」
不幸中の幸いとして、熊本中心部上空を飛ぶAWACSから捉えた映像を見ることはできた。暴れる複座型に立ち向かうのは、ウォードレスもつけない学兵ひ
とり――「自分たちだけで決着をつける」と大見得をきった張本人、芝村舞。敵に回った複座型を倒すことはできなかったが、しばらく足止めをした後彼女は離
脱――この奮闘の場面は、「ギャラリー」たちの心証をかなり良くした――5121の本隊と合流した後、図らずも別働隊という形になっていた同じ5121小
隊の滝川陽平に連絡を取った。
無線を傍受していた者から、恐るべき現状が熊本全土に広がった――何者か(幻獣共生派?)がコンピュータ・ウイルスを作り出し、脳内プログラムを経由し
て絢爛舞踏・速水に投与した。ウイルスに侵された速水厚志は敵対行動を開始、手始めに5121の設備を壊滅させた。
人類最強の男が敵に回ったわけだが、大見得を切った芝村舞は、対抗策をちゃんと考えていた――ウイルスにはワクチンを作って、これをぶつけてやるとい
う。一方、別働隊である滝川は熊本城跡で待機、速水厚志の乗った複座型の迎撃の任務が課された――
5121を除く熊本全土の学兵たちは、この戦いを見ているだけしか出来ない。熊本中心部の地域の部隊のみならず、他の地域の部隊も何かあればすぐに出撃
できるような態勢は取っている。しかし、前述の通り生徒会連合からは待機を命じられており、じりじりとした時間を過ごすしかなかった。現在、この危機に立
ち向かうことを唯一許されている――いや、独占している――5121のことを調べるくらいしか、できることはなかった。
そして、彼らの中には情報収集や整理に長けた者がいたらしい。しばらくすると、今回の件に直接関っている速水・舞・滝川に関する情報――パーソナリ
ティ、これまでの詳しい戦歴、その他――のデータベースが組み上げられ、熊本のネットワークの中に流れ始めた。
それに伴って、岩田が即席で組み上げた得体の知れない装置「岩田マシン」――熊本のネットワークへの接続から士魂へのリンク、通信の送受信までできる得
体の知れないツール――には、熊本中から問い合わせが殺到していた。
集中する質問の多くは、次の内容につきる。
――滝川ってヤツは本当に頼りにできるのか?
(失礼千万だな、まったく)
舞は「岩田マシン」のスピーカーをにらみつけた。
問い合わせの対応をしている瀬戸口も苦笑している。
現在熊本中を流通している滝川の情報には、総括コメントとして次のようなものが付されているそうだ。
「小隊編成以来、士魂二番機のパイロットとして戦い続けた人型戦車操縦のベテラン。しかし、またの名を「5121のチキン野郎」。戦場ではさして突出もせ
ず、もたもたしている間に幻獣に取り囲まれ、防戦一方で手も足も出ない所を毎回毎回複座型の援護で救われている」
舞にしてみれば、こんなコメントを付けたヤツの目は節穴だった。
チキンというあだ名が示す通り、滝川はパイロットにしては多少臆病なきらいがある。しかし、単なる蛮勇は戦場で人を早死にするだけだ。過剰な臆病もまた
兵士としては致命的だが、滝川はそんな恐怖を上手く消化している方だろう。
「死にたくない」という気持ちは、彼の感覚を研ぎ澄まし、襲いかかるミサイルやらビームやらを回避させていく。そうして滝川に引きつけられていた幻獣
は、複座型のミサイルによってなぎ払われて――その撃墜スコアは速水のものとなっていった。
滝川はただの臆病なパイロットではない。さっき、舞が滝川を説得するのに並べた言葉は、世辞でもなんでもない。なだめすかして、という面はあるにせよ、
舞の持つ評価を素直に言っただけだ。
本気の速水厚志の攻撃に、熊本の中で一番耐えきることのできるパイロットは、間違いなく滝川だ。茜が言ったように、滝川より強い者もいないわけではな
い。それこそ、速水厚志と互角に戦える者もいるだろう。しかし、そういった者は、刺し違えを覚悟で速水を殺しにかかる、という問題もあった。
今、速水を死なせるわけにはいかないかった。今だけではない、これからだってそうだったが。
「どういう戦い方をしていようが、あいつも死線を何度もくぐって来たんだ。5121には、ただのボンクラなんかいやしない。ギャラリーは黙って見て
ろ!」
瀬戸口が、マイクに向かって怒鳴った。もっと強く言ってもいい、と舞は思った。
その時、ノートパソコンの液晶をにらんでいた茜が、舞の方を振り向いた。
「芝村のネットワークのサーバにつながった!」
舞は頭を切り替えた。熊本のギャラリーは、瀬戸口に任せておけばいい。
「そのサーバ内に『ネットワーク・タクティクス』サーバへのリンクをつなぐファイルがある。それを実行すると……」
「パスワード入力のダイアログが出て来た。ここは“BLUE THE BLUE”じゃないのか?」
(電子妖精の使い手は、わたしや速水だけではなかったようだな)
が、今は苦笑している暇もない。
「そのパスコードの強度では入れぬ。わたしのコードを使え。“PERFECT BLUE”だ」
「トップシークレット級のコードを僕に教えていいのか?」
「合言葉なぞいくらでも替えられる。それよりも、さっさと『洗脳セル』というディレクトリを見ろ。ウイルス・マッチングの検査プログラムがあるはずだ」
「ウイルスのサンプルはあるのか?」
「ある。今、そなたが使っているノートパソコンに仕込んである」
――このノートパソコンは、尚敬学園の職員室からわたしが持ち出したものだ。持ち出す前に、整備員詰め所から外したパソコンを接続して中身を調査した
ら、電子妖精を多目的結晶体にインストールするファイルがまだ残っていた。そのファイルはノートパソコンに転送してある。――
そこまで詳しく話している時間すら、今は惜しい。
「このノートが汚染される可能性は? ネットワークそのものが汚染されたりはしないか?」
「多目的結晶体は珪素生物だ。パソコンやネットワークとはまた違う。そのノートが突然暴走することはまずない」
茜が頷き、キーボードの上に指を走らせた。
舞の指示に対して、茜の反応は素早く、そして的確だった。
彼は、かつては芝村一族を憎み、舞をも復讐の手駒として利用しようとさえした。が、今は自ら舞の手となって動いている。
これもまた変化だ。舞自身が人とつるむようになったり、石津萌が若宮を一喝するまでに精神的にタフになったりしたのと同様の、速水厚志が5121にもた
らしたよき変化に違いなかった。
だからこそ――
たとえ人の枠を超え、人から恐れられ、うとまれるようになったとしても、速水厚志は決して死ぬべきではなかった。
速水厚志だけではない。誰一人として。
「接敵したぞ」
モニターを見ていた瀬戸口が言った。
「岩田マシン」のスピーカーから出ていた文句や野次も、ぴたりと止んだ。
石垣をぬう道を上って、複座型が本丸の敷地に足を踏み入れた。
待っていた士翼が、右半身を退き、構えた。その左肩には人型戦車に比してもあまりに大きな「盾」――展開式増加装甲が装着されている。武器は大太刀一
本。それを両手に持ち、刃を自身と盾に隠す位置に。剣道で言えば、脇構えに似た体勢だ。
士翼には、それ以外の装備はない。
滝川は、士翼のコクピットの中で、モニターに表示されているタイマーに目を走らせた。
残り二五分三十秒。
茜がネットワークに接続してから、まだ五分も経過していない。
(なあに……この五分たらずを五回ちょっと乗り切ればいいだけの話だ……!)
滝川は額の汗を拭った。
モニターの中で、複座型は本丸の石垣の際に立ったままだった。立ったままで右手にあるジャイアントアサルトを地面に置く。その次に肩のNEPを外して手
に持ち――
(!)
――それもまた地面に置く。
そして、手の中に残っている大太刀を両手に持ち、右肩の上に構えた。剣道で言う、八相の構えといういうやつだ。
その立ち姿から、張り詰めた空気が吹き出した。
「剣気」――それが、士翼の体やモニターを突き抜けて、滝川の心身を打つ。
その剣気の塊が、じりっ、と間合いを詰めて来た。
(やっぱり、お前も格闘戦か……!)
ある意味、予想通りではある。
――NEP、ジャイアントアサルト、そしてミサイルランチャー。熊本城本丸にたどりつくまで、複座型は決してそれらの「飛び道具」を使おうとはしなかっ
た。
その理由は、今後の戦いのために、無駄な弾を撃ちたくない――ということだろう。
有り体に言えば、滝川はナメられている。
が、滝川としてはありがたい話だ。手加減されれば、その分だけ生き残る確率は高くなる。
実は滝川としても、そういった展開を見込んでの、大太刀と盾の装備だった。盾は確かに邪魔だったが、絢爛舞踏相手に丸裸でいる度胸はない。
複座型の姿勢が、微かに前に傾いた。
(来る!)
そう思った時には、複座型がこちらに向かって走り出していた。
士翼は盾を地面に突き立てた。同時に盾の中に仕込まれていた二枚の装甲が左右に開いた。
盾を挟んで、目前に複座型。次の瞬間視界から消える。
滝川の脳裏に、複座型の次がイメージ。士翼がそれを神経接続経由で読み込む。
――複座型は体を沈め(士翼から見れば、盾の陰に隠れた形)、低い体勢のまま左前に(士翼の右側に)踏み込み、斬りつける――。
滝川より早く、士翼が動く。盾の地面に刺さっている点を軸にして、時計周りに体を捌く。複座型の斬撃。士翼の体ごと回転した盾の縁に払われる。
攻撃に失敗した複座型は距離を取り、八相の構え。
滝川は止めていた息を吐いた。
(……士翼は自分で考えて、戦うことができるんだったな……)
しかも、反応速度は自分よりも速い――。
複座型が、盾の向こうで再び動いた。
瞬速の踏み込み。盾を挟んで複座型。今度は左側。
士翼は、反時計回りに動こうとして――
(違う!)
士翼の触覚・聴覚が、滝川に異状を伝える。ただの踏み込みとは違う、複座型が強く地面を蹴った感触。
士翼の足が踏んばり、地面を蹴る。時計周り、三分の一ほど回転して、正面に大太刀の突きを狙う複座型。
士翼の左側への踏み込みはフェイントだった。
真っ直ぐに突き出された刀身は、危ういところで盾の縁に弾かれた。
直後、ずん、と盾全体に衝撃。
盾の上からは、文字通り目と鼻の先に複座型の顔。
士翼の足元。光がよぎった。
複座型が大太刀を持ちかえた。そう悟る。左手から右手へ――。
(左から来る! 盾でぶっとばせ!)
士翼は思い切り体重を載せて、時計周りに回った。
士翼を盾越しに斬りつけようとしていた複座型は体を押され、たたらを踏む。
が、すぐにバランスを取り戻す。間合いを取り、構える。
そして、間合いを保ちながら、士翼の周囲をゆっくりと周り始めた。
滝川はタイマー表示に目を走らせた。
残り二四分三五秒。まだ一分も経っていない。
コンソールパネルから生えている神経接続用ソケットの感触を、左手で確かめた。
少しだけ自信が生まれた。オレは士翼で戦っているんじゃない。士翼と一緒に戦っている――
残り二四分三〇秒。
(こいつをあと……二十五回!)
勝てるかも知れない。
いや、勝つ!
それは、闘犬を思わせた。
二者が、同じ位置で独楽のようにもつれ合い、めまぐるしく動いている。
士翼は、複座型と自分の位置関係が、必ず盾を挟んだものとなるように動いている。複座型はそんな膠着状態を打破しようと鋭いステップを踏むが、士翼はさ
らに素早い体捌きで応戦する。
応戦――一合も斬り結んではいなかったが、それは確かに息詰まる戦いだった。
立ち位置ひとつで勝負は決まる。複座型にまともに斬りつけられれば、おそらく士翼は耐え切れない。
しかし、いかに絢爛舞踏といえども、盾ごと士翼を両断できるかどうかはあやしい。盾一枚が、士翼の命運を握るというわけだ。
「岩田マシン」のモニターに見入る者たち――茜とののみ、狩谷――からは声も出ない。その姿を見ながら、舞は目を細めた。
(いい動きを見せているようだな、滝川)
そうでなくては困る。
――現在、5121の他のメンバーは熊本城への援護に向かっている。援護といっても、滝川本人の援護ではない。彼の任務である足止めの時間の引き伸ばし
を補助するためだ。
すなわち、本隊の介入は、滝川が戦闘不能になった時点からになる――
このことに抗議をしたのは、ののみだけだった。今必要なのは時間稼ぎなのだということや、この任務に一番耐え切れるのは滝川だけということを聞かされて
も、ののみは納得しなかった。
ののみの納得するしないを無視して、5121の本隊は出発した。近所から「徴発」してきたトラックに乗って、やはり裏マーケットから大量に「徴発」して
きた武器と一緒に――ここに残っているのは、別な任務があるか、それとも「戦力外」の者だけだった。
一方、ワクチンソフト作成の作業は、現在一段落、という状態だ。
茜は舞の指示に従い、ウイルスチェックのアプリケーションを実行していた。チェッカーが、ウイルスの「遺伝子」の照合を終えるまで、舞の指示も茜の作業
も必要ない。
舞は木の根元に座ったまま、目を閉じ、幹に頭をもたれさせた。疲れは大分回復していた。
――本隊が出発する時、司令の来須は敬礼して「後は頼む」と告げた。舞は敬礼を返す前に、こんなことを話した。
一パイロットでありながら、僭越にも生徒会連合に働きかけてこの状況を作ったこと。それはパイロットの分を越えた重大な越権行為であり、罰が課かされね
ばならないこと。
お前の処置は間違ってはいない、とした上で来須は「覚悟しておけ」と答え、背を向けた。
(他にも言い方があったかも知れないな)
本当は、生きて帰って来いと言いたかったのだが――
ののみの「かえってこなきゃ、めー」という台詞にかなり救われた。
死んでなどもらっては困る。速水にも、5121の仲間にも、誰一人として。現在もっとも危険な任務についている滝川にだって、生きて帰ってもらわなけれ
ば困る。
その時、ノートパソコンのビープ音が鳴った。ウイルス照合の段階が、最終フェイズに入ったらしい。そろそろ手作業が必要になって来る。
「茜、準備をせよ」