10.勝機


 滝川は、消耗を強いられていた。
 彼の中で、「あと二十五回」が、「あと八十五回」に激増し、さらに「二百九十五回」になり――数を数えるなんて、そんな余裕はなくなった。
 実際に攻撃をされたのは最初の三回程度だった。それらでさえ、紙一重の回避だったと滝川は思っている。しかし、絢爛舞踏的な判断というのは、容赦がな い。複座型は、一撃必殺のポジション――士翼の横位置を取ろうとし始めた。
 巧みなサイドステップは、リズムとスピード両方で緩急織り交ぜたものだった。それらは時として滝川の判断を狂わせ、彼の判断の裏をかいた。
 しかし、それらは結局必殺の跳躍には至らなかった。最初の攻撃が紙一重の回避というならば、これらは紙に半分刃が入った所で避けきった――といった所だ ろうか。実際に複座型が大太刀を振るうには至らなかったものの、「辛うじて」とか「ぎりぎりのところで」という表現すら生易しい一瞬だった。
 が、その一瞬を切り抜けても、張り詰めたこの時間が終わることはない。気を緩めれば、死を告げる絢爛舞踏の一撃が襲いかかる。
 ――複座型が動く。
 ――次の行動を予想する。
 ――滝川が対応のイメージをするよりも早く、予想に従って士翼が対応する。
 終わりの見えない中で――
 滝川は、自分がどこか醒めていくのを感じていた。
 流れる時間の密度が、濃い。
 一秒が十分にも一時間にも感じられる世界に、彼は、いや、彼と「速水」はいた。
(見える……速水の動きが)
 何かが研ぎ澄まされて、冷たく冴える。研ぎ澄まされた自分の中で、何かがざわめき、蠢いている。
 純粋な、そしてどこか歪んだ喜びが、滝川の中に広がっていた。
 ――諦めていた。肩を並べようなんて、だいそれた事は忘れていたつもりだったのに――。
(――オレは……お前みたいになりたかったんだ)
 絢爛舞踏・速水厚志。
 かつては、親友だと思っていた。気がつけば、大きく差を引き離されていた。戦場では幻獣を屠り、学校では全員から愛され、慕われ――いつの間にか畏れら れるようになっていた。
 ヒーロー――滝川陽平がなりたかった「もの」に、速水はなった。それは、滝川が思っていたような、明るく楽しいものではなかった。
 遥かな高みにあり、無敵の強さを持ち、隠しえぬ恐怖を抱かせ、壮絶なまでに孤独なる存在で――そして速水厚志という男は、自ら望んでその次元へと上りつ めたのだ。
 自分なんかが、かなうわけがないと思っていた。自分では為しえないことをやってのけた速水厚志に、だから滝川はずっと憧れていた。
 そして今。「士翼」などの条件つきとは言え、滝川は速水と互角に渡り合っている。正確には、速水と同じ力を持った幻獣なのだが。
 死にたくない。彼はそう思っていた。
 死ぬということは、命をなくすことではなく、速水と戦えなくなることだ。速水と渡り合っていることが、止まってしまうことだ。
 だから――だから絶対に負けない。日が暮れるまで、明日の夜明けまでだって、避けて避けて避け続けてやる――
 彼は知らない。今、自分の顔が、狂気さえ含んだ笑いを浮かべていることに。

 土煙を上げ、地響きを立て、風を巻く――そんな巨人同士の戦いに変化が起きたのは、士翼コクピットのモ ニターが、残り時間一六分四三秒を示した時だった。
 突然、複座型が後方に跳んだ。
(!)
 滝川の中で、百分の一秒後の複座型の位置が推測され、士翼がそれに対応した立ち位置を確保しようとして――
(止まれ!)
 蹴り足、重心移動を辛うじてストップさせ、踏んばった。
 果てしなく長い一秒が過ぎ、二秒が過ぎ、十秒が過ぎた。
 複座型は、士翼から二歩の距離を置いて、大太刀を八相に構えたまま、動かない。
(次はどう動く?)
 肩幅に開いた士翼の両足には、体重を均等にかける。足首と膝、腰はバネをためておくために、微かに屈めておく。次に複座型がどう動いても対応できるよう に。
 モニターの隅のカウントを見た。
 一五分五九秒、五八秒、五七秒……
(長いな……)
 リミットまで、やっと半分――
 それまで、自分が保ちこたえてくれるかどうか……。まだまだ死にたくはないのに。
 残り一五分四七秒、変化が起きた。
 複座型が、構えていた大太刀を下ろした。
 そして、踵を返し、士翼に背を向けて、歩き出した。後部ユニットが突き出している後ろ姿は、隙だらけだった。
 ――逃げるのか?
 ――それとも、諦めたのか?
 残り一五分二八秒で、滝川はようやく気がついた。
(オレには……戦う価値すらないってことか)
 屈辱――滝川の顔が怒りで歪む。
 ――速水厚志を乗っ取り、複座型を操る「幻獣」にしてみれば、士翼号と戦わなければならない理由はあまりない。パイロットの技量はともかく、基本性能は 複座型よりも士翼の方が上だから、「念の為に倒しておく」ぐらいでしかないのだ。
 後で邪魔をされるくらいなら、早めに倒しておくに越したことはない。しかし、士翼の方から攻撃をすることがないというのなら話は別だ。下手につついて手 間を増やすよりも、無視しておいた方がいいではないか――
 舞は、テレポートを使って果敢に攻撃をしかけていった。だから複座型は、舞とは戦わなければならなかったのだ。
(くそったれ!)
 士翼が、地面に突き立てていた盾を抜いた。そして、隙だらけの背中に向かって突っ込んだ。
(速水、オレと戦え!)
 複座型が振り向く。
 士翼が再び地面に盾を突き立てる。ただし、そのまま防御に専念するのではなく、盾の横から大太刀を突き出した。
 避けられることは分かっているが、牽制、というわけではない。複座型の右大腿部を本当に突くつもりだった。
 切っ先は空を切る。
 盾の向こうに気配。
 肩につけていた盾を外し、士翼が後退る。
 盾の真ん中から、大太刀が生える。士翼のいた位置を、盾から生えた切っ先が貫く。
 盾の陰から、複座型が姿を見せた。
 残り一五分二〇秒――。複座型と士翼は、盾を介さずに対面した。
 もう士翼は盾の庇護を受けることができない。
 また、盾からは切っ先が生えたままだ。今、複座型は素手ということになる。一方の士翼は大太刀を持っているが――
(速水相手に、有利だなんてとても言えねぇ)
 そうでなくても、複座型にはミサイルランチャーが装備されている。棺桶みたいに大きなユニットを背中に着けて、そこからミサイルをバラまくことが――
 棺桶みたいに大きなユニットを背中に――
(!)
 滝川の脳裏に何かが閃く。
 その時、複座型が前傾姿勢を取った。膝と腰とが屈められ、踏んばるようなポーズ。
 複座型のこの姿勢がどんな意味を持つのか、熊本で分からないヤツは誰もいない。
 必殺技のミサイルを撃つつもりなのだ、たった一機の士翼相手に!
(芝村のヤロー、嘘つきやがって!)
 複座型の必殺技、ミサイルランチャーの射程範囲は、滝川もよく知っている。彼自身、戦場でばらまかれたミサイルの雨に、何度助けられたか分からない。
 士翼の機動性ならば、その射程圏内から離脱することも可能だった。
 しかし――士翼は動かない。今逃げては、勝てないことを滝川は知ってしまった。
 ミサイルの射程圏内に入ったまま、士翼は大太刀を両手に持ち、右肩の上に構えた。今まで複座型が取っていた形だが、「八相」というよりは野球のバッター の構えを思わせた。
 対地対空両用の、二十四発の有線マイクロミサイルの一斉発射。言うまでもなくそれは、複座型の最大の決め手だ。
(けど、そいつが最大の弱点だ!)
 ミサイルの射程圏内の中で、滝川は複座型を凝視した。

 無線周波数帯には、野次とも解説ともつかない台詞が飛び交っていた。
――士翼が動きを止めたぞ?
――盾なしで複座型と向かい合ってる!
――パイロット、確か滝川って言ったな……あいつ、何考えてやがるんだ!?
――ついに、観念したか。
――ここまでしのいだのに、負けを認めたって言うのか?
――違う、あいつは観念しているんじゃない。覚悟を決めているんだ。
――何だよ、それ!
――勝負時、ってのを悟ったんだよ。あの士魂複座型には、致命的な弱点があるんだ。それはな……
――……なるほど。言われて見れば、確かにそうすれば複座型は止められる。
――でも、それをやるには……。
――だからだ……これが勝負時なんだよ。
――できるのか、あいつに? だって滝川って……。
――何にせよ、次の数秒で、勝負は決まるってことか。
――さっき、5121のヤツが言ってたな。自分たちにボンクラはいないってよ。
――見てやろうぜ。次の攻撃しのぎきれれば、パイロットは文句なしに英雄だ。

(次で決まる……!)
 コクピットのモニターで、前傾姿勢を取る複座型を見ながら、滝川も同じことを考えていた。
 士魂複座型の致命的な弱点――そんなものがあるにも関らず、速水も舞も無事でいられたのは、その弱点を気付かせないように、また、突かれないような戦い をして来たからだ。
 幻獣相手に隠し切ったその弱点も、果たして人間相手にはどうなるか――。
 無論、弱点が見つかったからといって、簡単にそれを突けるわけではない。相手は世界五人目の絢爛舞踏――その絢爛舞踏がぶちまけるミサイル攻撃を全部避 けなければならない。超えるべきハードルはあまりに高かった。
 が、もはや勝機はそこにしかない。
 滝川の中で、一秒一秒の密度が、再び濃密になって行った。コクピットのコンソールが立てる微かな唸り、様々な計器やディスプレイの出す光、それらはもう 彼には届かない。全神経、全精神がモニターの中の複座型の姿と、士翼のセンサーが伝えて来る感覚信号に集中している。
 いや――複座型の中で進められているミサイル発射のシークエンスの流れさえも感じ取れる。
 索敵レーダーが目標を捕捉。
 その位置と行動予測の算出。
 後部ユニットに収められているミサイル軌道制御システムへのデータの転送。
 ミサイル発射口のシャッターに「開口」の信号が――
(届いた!)
 滝川の目の前で、複座型の後部ユニットのあちこちに、小さい穴が開いた。
 そして、今まで数多の幻獣を屠り去って来た二十四発のマイクロミサイルが、後部ユニットからゆっくりと顔をのぞかせ、姿を見せて、煙と誘導ケーブルを引 きながら飛び出して――
「うおりゃあああああああっ!」
 滝川はコクピットで咆哮した。
 同時に士翼が、構えていた大太刀を複座型に向かって放り投げた。
 数トンを超える長い鉄塊は、水平に回転しながら複座型の頭上に向かって飛んで行き、六発のミサイルの誘導ケーブルをからめとった。
 士翼が大太刀を投げた直後、滝川は、残り十八発のミサイルの位置と向きとを凝視し、一発一発の取る飛行軌道を予測。士翼はそのイメージに基づき、複座型 までの移動経路を割り出す。
(行くぞ!)
 そう滝川が思う前に、士翼は既に跳び出している。
 大太刀にからめ取られたケーブルは残らず切断され、有線誘導を失ったミサイルはただのロケットと化し、あらぬ方向へと飛んで行く。
 残り十八発の半分は、士翼の位置周辺に向かって殺到し、残りの九発は複座型の周囲に着弾した。複座型の周囲は炎と煙に包まれ――
 狙われた士翼は、宙を舞っていた。

 熊本城の画像を食い入るように見つめている者たちは、確かに見た。
 複座型の周囲に上がる炎と煙の上を飛び越えている士翼の姿があった。
 空中で弧を描き、殺到するミサイル――士翼はその軌道のさらに上を跳び越えていた。
 対地対空兼用とはいえ、至近距離を高速で動く目標に対しては、ミサイルの誘導能力が追いつかなかった――士魂シリーズは、対幻獣の戦闘を想定して作られ たもので、士魂同士のそれは想定外のものだった。ましてや、恐るべき機動力を持つ士翼の迎撃などできなかった!

 士翼は複座型の後に着地した。体勢は、お互いに背中を向け合っている形だった。
 背後から殺気。複座型が後ろ回し蹴りを放っている。振り向かなくとも、滝川には分かった。
 しゃがんで避けるか――!
(違う!)
 士翼は後方にステップした。回し蹴りを出している最中の複座型のすぐ側を掠めた。
 複座型の蹴りが、士翼の着地した位置を薙いだ時、士翼は複座型の背後に立っていた。
 この瞬間を待っていた!
 士翼の手が動き、後部ユニットを両掌で捕まえた。
「捕まえたっ!」
 メインモニター隅の残り時間は、残り一五分〇三秒を指している。
 複座型が暴れた。士翼の手を振りほどこうとする動きは、子供が駄々をこねているようにも見えた。が、この駄々を聞いてやるわけにはいかない。
(離さねえぞ……! 絶対離してなんかやんねえぞ!)
 もともと不安定に取りつけられている後部ユニットは、複座型の抵抗と士翼の拘束とで軋みを上げる。
 接敵から、滝川陽平の人生にとって最も長かった十分二十七秒。その間の凄まじい消耗と引き換えに、彼はついに勝機をつかみ取った。

 熊本全土のギャラリーは、その瞬間歓声を上げた。
――やりやがった! 野郎、本当にやりやがった!
――それでいい! そのまま絶対離すなよ!
――いけるぜ、滝川……そのまま動きを封じていれば、お前は文句なしに英雄だ!
 

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