茜大介の指が、凄まじい速さでキーボードの上を走っていた。
ウイルスの「診断」は終わり、内部の解析も大体終わった。大まかな所はウイルスチェッカーがプログラムを自動生成し、細かいパラメータについては舞が指
示を出した。彼はそれに従い、プログラムの仕上げにかかっている。
芝村のデータベースの中には、「洗脳セル」の研究――脳内プログラムの応用で人間の精神を操れるか、という研究があった。実際にいくつか「実験」もされ
たらしい。
この実験の中でサンプルがいくつか作られたが、その中に、プログラムの構造が「電子妖精」に酷似しているものがあった。攻撃能力は保証済みだから、方向
を外部ではなく内部に向けた、ということなのだろう。
起動させると、多目的結晶体が「宿主」の脳を走査してシナプス間の信号の流通を抑制、精神活動のみを停止させる。そして、何かのゲームのコマのように
「能力値」だけになってしまった人間を支配して、その体を自由に動かすというわけだ。
しかし、「洗脳」された個体の精神活動の抑制は、個体の「性能」の発展や成長をも抑制する、という欠陥があった。幻獣との戦闘が長期化する中、必要とさ
れているのは自分で考えて適切な作戦行動を取れる「兵士」であって、言われたことにただ従うだけの家畜やロボットではない――そのことから、この研究は封
印されたらしい。
それらの実験のプロジェクト名は「寄生虫」。
(確かに、戦時中は必要ないだろうな、こんなもの)
そのデータを見た時、茜は胸くそ悪くなった。まったく、多目的結晶体を埋めこんでいる第六世代にとっては致命的だ。
(この件が片づいたら、このデータは消去してやる)
茜はそう決めていた。
胸くそが悪くなったのは、それだけではない。もっと根本的なことだ。速水厚志の暴走は、作為的なものだ。誰かがこの中にあるデータから、「寄生虫」のサ
ンプルを取り出して、5121のパソコンに忍ばせていたのだ。
(やったのは芝村か!)
芝村舞は無関係だろうが――一体何を考えている?
その時、公園の中でののみが、
「やったあっ!」
と叫んだ。そして、「岩田マシン」のモニターを指差しながら、隣にいる狩谷の顔を見上げた。
「みてみて、なっちゃん! よーちゃんが、おばけにつかまっているあっちゃん、つかまえたよ!」
水を向けられた狩谷は、ちらりと横目でののみを見ただけで、すぐにモニターへ目を戻す。その表情はひどく険しい。モニターを睨みつける目元や、引き結ば
れた真っ白な唇が、微かに震えていた。
(……ばかな。絢爛舞踏が……ただの人間に動きを封じられている?)
そんなことがあるはずがない――悪の魔王を普通の人間がやっつけるみたいな、そんなおとぎ話のようなことなんて――
原理そのものは、決して難しいものではない。
複座型の姿の特徴は、後方に大きく張り出したユニット部分にある。その長さは、機体自体のバランスをも危うくしかねない程であり、それをからかって誰か
が「複座型って自分で背中を掻くことができない」と言ったことがある。
その冗談は、いみじくも複座型の最大の弱点を指摘していた。
まぎれもない体の一部である、背中に無理に据えつけられたユニット部分には、複座型は手が届かなかった。ここを捕まえられると、暴れるか武器で背後を攻
撃するかしなければ、戒めを解くことができないのだ。
のみならず、テコの原理の応用で、複座型の動きが完全に制御されてしまう。後部ユニットを力点とし、機体本体を支点・作用点としたテコが出来上がれば、
複座型は鎖につながれた獣も同然だった。
この弱点をつくにあたっての最大の問題は、後部ユニットのランチャーにミサイルが装填されていた場合だ。そんな状態で背後を取ったら、自爆覚悟でゼロ距
離からのミサイルを撃たれてしまう恐れがある。
――が、今はそのミサイルすらも撃ち切られてしまっていた。
まさしく、千載一遇のチャンス。それをつかんだのは、チキンの滝川――。
狩谷の中では、得体の知れない感情が渦巻いていた。「ただの人」が人外たる絢爛舞踏を下してしまうことへの痛快さ。人外たる絢爛舞踏が「ただの人」に下
されてしまうことへの怒り。そして、「ただの人」たる分際で絢爛舞踏を下してしまう者から、見下されるかのような――!
(あるはずがない! あるはずがない!)
絢爛舞踏が負けるはずがない! そんな奇跡みたいなことが、あるはずがない! あってたまるか!
そんなことがあり得るのなら――どうして――
(どうして僕に、そんな奇跡が降りてこないんだ!?)
危うく叫び出しそうになるのを堪えた。理性と自尊心が、喉まで出かかった台詞を辛うじて飲み込ませる。
――そうしている間にも時間は過ぎて行った。時間とともに、ワクチンプログラムも完成に近づいて行く。
そして。
やがて至るであろう「その時」は、勝利を意味するはずだった。
士翼コクピットのメインモニター隅で、タイマーが一〇分四八秒を示した時、5121の本隊が熊本城跡に
到着した。
駄々っ子のように暴れもがいている複座型と、その背中を捕まえている士翼がいた。ぎしぎし、というフレームの歪む音が、彼らにも聞こえて来た。
たちの悪い冗談にも見える光景に、笑い声を上げる人間は誰もいない。
「あいつ……本当に足止めしやがってる」
そう洩らしたのは、瀬戸口だったか。それとも若宮だったか。
(今なら、複座型を殺れる)
天守台に布陣して、滝川の士翼を援護しようとして銃口を向ける者たちを、来須は止めた。
「撃つな……今、複座型を止めてしまえば、速水がコクピットから脱出する……まだ、ワクチンは投与されていない」
歯噛みしたのは、ひとりふたりではなかった。
――ワクチン完成まで、あと十分。
見守るだけしかできない者たちにとっては、恐ろしく長い。5121の仲間だけではなく、熊本全土のギャラリーにも。
――頼むぞ、芝村舞。
彼らは祈った。
「あと二分でできる!」
茜の台詞に、舞が立ち上がった。そして「岩田マシン」に駆け寄り、今まで切っていた通信機の電源を入れると、マイクを取ってAWACSを呼び出した。
「AWACS! こちら5121芝村、応答せよ!」
「こちらAWACS! 5121、何か用か!?」
「頼みがある! 今から、データ通信用のリンクをそちらに向かって張る! 準備をしてくれ!」
「……準備完了! データ送信どうぞ!」
舞は、「岩田マシン」の中に無理矢理組み込まれているPDAを起動させた。その液晶画面を操作しながら、同時に「岩田マシン」のあちこちをいじる。
PDAの液晶に「接続」の表示が出ると、通信機から答えが来た。
「こちらAWACS! 接続確認!」
「感謝する! 次は、複座型とのリンクをつなぐ準備をして欲しい! こちらの合図でリンクを設定、こちらから複座型に送るソフトウェアの仲介をしてく
れ!」
「了解! いつでもいいぞ!」
その答に、舞は後を振り返る。茜が自分の膝の上にあるノートパソコンを睨みつけながら、キーボードを叩いている。ノートパソコンからはケーブルが伸びて
おり、「岩田マシン」とつながっていた。
そして、茜がモニターから顔を上げた。
「できた!」
舞がマイクに叫んだ。
「リンクを張れ!」
一秒もしない内に、スピーカーから「設定完了!」という答が返って来た。
「茜! ワクチン起動!」
舞の言葉に、茜がリターンキーを押した。
「行けぇ!」
ノートパソコンのモニターに、細長いゲージが表示された。プログラム転送の進展を示す帯の中を、青い部分がのろのろと満たして行く。
舞と茜には――、いや、その場にいた狩谷やののみでさえも、茜のノートパソコンから転送されるワクチンソフトが、ケーブルを伝い、「岩田マシン」から熊
本上空を飛ぶAWACSに送られていくのが目で見えるように感じられた。
ワクチンソフトは、「岩田マシン」からAWACSへの通信回線を経由し、熊本城跡で暴れている複座型のシステム内を走査した。そこからパイロットの多目
的結晶体へのリンクを探し当てると、そこへ侵入した。
多目的結晶体内部にインストールされ、現在実行中だった洗脳セル「寄生虫」は、その活動を無理矢理中断されてしまった。同時に、「寄生虫」が速水厚志の
脳内に張り巡らせていたリンクは次々に寸断された。
速水厚志の脳内シナプス信号流通復旧が確認されると、ワクチンソフトは「寄生虫」の削除を始めた。多目的結晶体内部にあった「寄生虫」は、抹消され――
滝川の目の前で、モニター隅のタイマーが残り六秒を指した時、今まで暴れていた複座型は動きを止め、そ
の場にへたりこんだ。その時後部ユニットがずり下がり、士翼の手から離れた。
舞がテレパスセルを起動させた。その時熊本城跡にいる速水厚志の反応は、ごくごく普通のそれを示した。
そして――複座型のコクピットでは、自分を取り戻した速水厚志が神経接続用ソケットから手を引き抜いて、機体を停止状態にすると、通信機のマイクに向
かって第一声を発した。
「こちら速水厚志! 5121小隊、応答せよ!」