12.笑顔と嘲笑


「この大馬鹿者おおっ!!」
 最初に速水に返事をしたのは、舞だった。
「つまらぬウイルスなんぞに侵されおって! 貴様はそれでも絢爛舞踏か!? わたしがどれだけ心配したか分かっているのか! この馬鹿、馬鹿、馬鹿、馬鹿 ああっ!」
「ごめん、舞」
「ごめんで済んだら警察はいらぬ! この馬鹿者! せっかく、せっかく今の今まで生き残ってきたというのに、それが全部無駄になるところだったのだぞ!  お前も、わたしも、お前を足止めしていた滝川も、5121の仲間も、みんなみんな死ぬ所だったのだぞ!」
「……ごめん」
「ごめんなんかで済まぬと言っておるだろう! 人の話をちゃんと聞いているのか! この馬鹿……!」
「……ごめん。本当に……ごめん」
 通信機越しに、舞と速水は「馬鹿」と「ごめん」を言い合った。言い合っているうちに、二人とも泣き出していた。しゃくりあげるたびに、今まで抑えつけて いたもののタガが緩んでいく。
「……この馬鹿!」
 何十回目かのその台詞を言うと、舞はもう何も言えなくなったようだ。
(……丸聞こえだぜ、会話)
 士翼のコクピットでぐったりしながら、滝川は思った。
 さんざん「馬鹿」を連発して、今は泣きじゃくっている声。それは、ついさっきには揺るぎない剛さで自分を励ましてくれたのと同じ声だ。
 芝村舞とは、偉そうで、頭が良くて、変なとこで抜けてて、頼もしくて、泣いたりもする、とても優しい――そんな女の子だったようだ。
 そんな彼女は、速水厚志の恋人だ。いつもはにこにこと笑顔を振りまきながら、戦場では数多の幻獣を屠り、今は涙を流している、世界で五人目の絢爛舞踏・ 速水厚志の恋人だ。
(――そういえば、速水や芝村が泣いてるのなんて、初めてだな)
 いや――
 今までだって泣いていたのかもしれない。人前で涙を流さなかっただけで、くやしかったり悲しかったり、辛かったり――。
(何だ……人間じゃないか、お前ら)
 並外れた頭と、並外れた戦闘能力を持ってるけど――それだけの、普通の人間じゃないか。
 速水に謝らなきゃ。
 住む世界が違うとか、笑っているけど次の瞬間にはオレを殺せるとか、ずいぶんひどいことを言ったっけ。
 通信マイクを口元に寄せた時、スピーカーから声がした。
 しゃくりあげたままで、速水が通信機から呼びかけて来たのだ。
「……滝川……士翼・滝川……応答せよ」
「……こちら、滝川……感度良好」
 滝川の返事には、さすがに力がない。
「……大丈夫?」
「……んなわけ、ねえだろ。こっちは、マジになった絢爛舞踏の攻撃受けてたんだからよ」
「ケガとか、してない?」
「疲れただけだよ……めっちゃ疲れた……でも、全部避けきってやったぜ」
 疲れ切った表情で、それでもニヤリと笑って、親指を立てる。
「……すごいよ、滝川……それとも、絢爛舞踏が大したことないのかな?」
(……よく言うぜ)
「……勘弁しろ。もう一回本気のお前と戦えって言われても、オレできねえよ」
「……ごめん」
「謝るの、オレだ、速水……すまなかった」
「え?」
「住む世界が違うとかさ……そう言ったこと」
「そうだね……少なくとも君は、笑っている僕に、次の瞬間殺されることはないものね」
「笑えねえよ、バカ。へへへ……」
「笑ってるじゃないか……」
 泣きじゃくっていた声が、ちょっとだけ笑った。
 その笑いは、嗚咽していた声の中でどんどん大きくなって、疲れてくたくたになった声の笑い声もどんどん大きくなって――
 やがて、二人は通信機越しに大声で笑い出していた。
 二人の笑い声は、無指向性の電波に乗って、AWACSに拾われ、熊本中に響き渡った。

――終わった!
 安堵と、それから歓声が熊本中に広まっていた。
 恐るべき敵だった。人類の敵となった――正確には、ウイルスに精神を乗っ取られた――絢爛舞踏・速水厚志。
 その戦闘能力が完全に発揮されていたら、どうなっていただろう。うかつに大軍勢を要して迎え撃とうとしたならば、どれほどの被害が出ていたか――。同じ 仲間の迎撃任務を独占する形になった5121小隊だが、結果は自部隊のハンガー及び武装の壊滅、という程度の被害に終わらせている。
 近隣住民を避難させ、他の部隊を締め出した――事を大きくした責めはあるものの、町の中に突然出現した「幻獣」を相手に戦闘し、民間人を含めて死者を一 人も出さなかった功績は、その責めを補って余りあるだろう。何より、「幻獣」と化したはずの絢爛舞踏を取り戻せたのは大殊勲だ。
――やってくれたぜ、5121!
――ヒヤヒヤさせるなぁ、五番目の絢爛舞踏!
――舞って言ったっけ。芝村は伊達じゃねえってことか、見直したよ!
――どこのどいつだ、滝川をチキンなんて呼んだバカは。オレがぶん殴ってやるぜ!
 自然休戦を目前にして起こった最大の危機を乗り越えたことで、熊本全土の士気は向上していた。同時に彼らは確信を強くした。「自分たちは勝った」「自分 たちは生き残った」「幻獣の勢力もすっかり消えている。おれたちはもう、戦わなくてもいいんだ」――。
 最後の危機は、乗り越えられた――はずだった。

 その時、速水の目前で異変が起こった。
 電源を切られ、完全に停止状態にあったはずのコンソールに灯が入る。
 複座型の再起動シークエンス。その唸りが、コクピットの中に響いて来る。
(神経接続がなければ、士魂は動かないはずなのに!)
 ウイルスは消えたはずだ、自分は元どおりになったのに……
 ウイルス――ウイルスは、感染する――
 次の瞬間、速水はマイクに向かって怒鳴りつけた。
「全員逃げろ! こいつはまだ死んじゃいないっ!」

 速水の言葉を聞いた瞬間、滝川の背筋を冷たいものが走った。
 とっさに士翼をバックステップさせた時、目前を何かが薙いだ。
 わずかに後退った士翼の目の前では、複座型がこちらを見て立っていた。左半身の体勢で、軽く握られた拳が構えを作っている。
 今し方目前を薙いだのは、立ち上がりざまに出された複座型の蹴りだ。避けなければ、士翼の頭は消えていた。
「いきなり何しやがる! シャレんなんねーぞ!」
 滝川が怒鳴った。
「僕じゃない……! ウイルスが、まだ生きているんだ!」
「何っ!?」
 そう叫んだのは、滝川だけではないだろう。
 しかし、ショックから一番最初に立ち直ったのは、やはり舞だ。今まで泣いていたのを拭い去り、すかさず速水に指示を出す。
「脱出しろ、速水! 複座型だけならば、空爆で倒すことができる!」
「だめだ、脱出できない……故障したみたいだ!」
「バカな! 降車装置はそうそう簡単に壊れたりしないはずだ!」
「ハッチが何かにひっかかって開かない……フレームが歪んじゃってる!」
 ――フレームが歪んでいる? 
 滝川は、胸に重いものを飲み込んだような気がした。
(……オレのせいだ!)
 その瞬間、複座型の貫手が士翼の胸にまっすぐに突き出された。

(全ては計算通りだ)
 闇の中で、〈それ〉は再び活動を開始した。
 〈それ〉は、ワクチンソフトによる侵入を受ける前に、自身を複製し、圧縮したデータを複座型のコンピュータ内に転送していた。そして、一定時間経過の後 に、圧縮状態を解凍し、今度は複座型の機体そのものを乗っ取った。
 ――全ては、計算通りだった。
 芝村舞がワクチンソフトを作り出すことも。滝川陽平が士翼の機動力でもって複座型の弱点を突き、足止めを食わせて来ることも。そうして、熊本全土が偽り の勝利に沸くことも、全て予想通りだった。
 絢爛舞踏を正気のままで封じ込め、その目前で彼の守り抜いて来たものを討ち滅ぼす。絢爛舞踏はなすすべもない。
 脱出しようにも、さきほどの「たきがわようへい」の大奮闘で後部ユニットのフレームはしっかりと歪んでいる。後部ユニットのフレームは、乗降用ハッチを 含んでいる。例え内部機構が正常でも、フレームが歪んでしまってはハッチは開かない。ごくごく単純な仕掛けだ。
 テレポートセルは絢爛舞踏本人が自分で消去している。自身による脱出の方法はない。
 絢爛舞踏に打つ手はない。人類にも打つ手はない。
 かくして、人類と絢爛舞踏の絶望への道は開かれる。
 そして生まれよ、「竜」――今こそその道を切り開こう。
 これが世界の選択なのだから――

 数センチの差で、複座型の指先は士翼を捉えきれなかった。滝川が反応したのではなく、士翼が避けてくれ たのだ。
 手を離さなければ良かった――わき上がりかけるその気持ちを押さえつけた。
「機体を捨てて逃げて、滝川! 今の君じゃ、こいつには勝てない!」
 スピーカーから聞こえる速水の声に、滝川は言い返した。
「わめくな、速水! また捕まえればいいだけだ!」
 そう……さっきと同じだ。さっきと同じように、攻撃を徹底的に避けて、後ろを取って、背中を捕まえる……。
 複座型から拳や蹴りが、矢継ぎ早に繰り出された。全長九メートルの巨人が、軍隊格闘技や古武道や拳法がいっしょくたになったマーシャルアーツを披露して いた。
 一方、滝川には、攻撃の回避がだんだん厳しいものになって来た。
 やるべきことは同じでも、状況は全然違っている。彼自身の消耗、速水が正気を取り戻したこと、なくなってしまった盾による防御、そして複座型が出す技の 切れ具合。
 避けにくくなっているのは、滝川自身の反応が悪くなっているからだけではない。数分前に比べて、複座型の動きは数段早く、そして巧みになっていた。
 複座型は、今まで手加減していた――
 そのことに滝川とギャラリーが気がつくまで、それほど時間は要しない。
 防戦を強いられる滝川の士翼を責めることなどできない。むしろ、先程に比べて強くなっている複座型を相手に、生き長らえていることを誉めてしかるべき だ。並みのパイロットであれば、例え士翼であったとしても今ごろスクラップの山が築かれていただろう。
「逃げろよ、滝川! 君じゃ無理だ! 勝てないんだよ!」
(黙れよ、畜生!)
 スピーカーからのわめき声に、そう怒鳴り返してやりたい。しかし、そんな余裕もない。呼吸ひとつ間違えただけで何かのリズムが崩れ、そこからサンドバッ グにされそうだった。
 士翼の各所にしかけられているセンサーが、複座型の拳風を感じるようになった。それは滝川にも直接伝わった。ひゅっ、ひゅっ、といういやな風が、彼の肌 に吹きつけた。
――仕切り直さないと、やられる!
 士翼にひときわ大きなバックスステップを踏ませた。士翼の巨体が、地面の上を滑るようにして後方に引いた。石垣の際までで止まると、さすがに複座型は追 いかけて来るような真似はしない。足の速さでは、士翼に絶対かなわないのだ。
 複座型と士翼が十分離れた瞬間、
「撃てっ!」
という号令とともに、崩れかけた天守閣から火線と硝煙が伸びた。
 5121の本隊が、並べていた歩兵用火器を斉射したのだ。
 ひとつの武器を撃つのに、数人がかりという様ではあったものの、近距離から一〇丁近いライフルやらミサイルポッドやらの射撃は、複座型を蜂の巣にした ――はずだった。
 火線は全て外れていた。
 水平発射された弾道は、その場で垂直に跳んだ複座型の足の下を通り抜けていた。
 空に跳んでいる複座型はいい的だ。しかし、歩兵用火器をぶっぱなしたことで、5121の面々は残らずひっくり返ったり、あるいは火器そのものの弾倉が空 になっていた。もともと、生身の人間が扱うようなものではないのだ。
 が、それらは無駄ではなかった。
 宙に跳んでいる複座型は、引力に引かれて自由落下を開始する。
 地面に到着するまでの時間は、無防備な状態が続き――
 その程度の時間があれば、士翼なら複座型の落下地点に走ることができる――正確には、複座型の背後の位置、弱点である後部ユニットを捕まえられる位置 だ。
 これが最後のチャンスだ。
――行け!
 士翼が走った。複座型が落ちるよりも早く、望んでいた位置を取る。
(ここなら、空中からの蹴りを食うこともない!)
  そして、後部ユニットを捕まえることができる――。
  士翼の目の前に、ゆっくりと、複座型が降りてきた。こちらに向かって張り出している後部ユニットは、今ならつかめる位置にある。
  士翼の手が伸びて、後部ユニットを捕まえた。
  複座型の足が、地面に着いた。
  その瞬間、士翼の手の中で何かが滑る感触があった。
(!?)
  なぜか、複座型の顔が、正面から士翼を見ていた。
  直後、士翼のコクピットに上からすさまじい衝撃が叩きつけられた。

 その時、何かがひしゃげ、潰れる音がした。
(今……何が起こった?)
 その光景に立ち会った者でさえも、今自分自身で見たものが信じられなかった。
 張り出した後部ユニットを捕まえた士翼。テコの原理で動きを封じられたはずの複座型は、自分もまたテコの原理を利用して、その戒めを解いた。
 自身の体を力点・作用点、、後部ユニットの捕まえられている部分を支点とした、後方宙返り――。複座型の全身で生み出された力は、後部ユニットに連動し て、士翼のクラッチをあっけなく振りほどいた。のみならず、複座型は空中で身体をくの字に折りながら士翼の上からつま先を振り下ろす。
 士魂によるサマーソルトキック――全長九メートルの巨人の軽業。
 一瞬のことだ。そんなもの、実際に見たとしてもそうそう信じられるものではない。
 しかし――
 手から着地して、地面の上で屈んでいる複座型。
 死角から強烈な打撃を叩き込まれ、後方によろめく士翼。
 それら二体の巨人の姿が、今し方起こった事を物語っていた。

 


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