13.贄


「……な……何が……?」
 滝川の正面のメインモニターには、ノイズが走り回っていた。
 神経接続ソケットを通して、士翼が今起きた事を伝えて来る。背中ごしの攻撃。サマーソルトキック。宙返りを利用して、後部ユニットを振りほどかせた――
「……何て……ヤツだ……」
 全身から、力が抜けて行く。
 体だけではない、心からも。
 サマーソルトキックなんていう離れ技を極められたから、ではない。
 弱点を突いたと思っていた戦術は、実は複座型にとっては――正確には複座型を乗っ取っているウイルスにとっては――破ろうと思えばいつでも破れるもので しかなかった。
 背後を取るまでにかかった時間は、数秒にさえ満たない――それでも、背後をとる瞬間に至るまで、自分が費やした気力と、体力と、想いと――。
 それらも、絢爛舞踏にとっては大したものではなかった。
 さっき、わざと捕まったのは、速水を封じ込めるためだった。オレは、単に速水を閉じ込めるための、体のいいコマでしかなかった――!
 ノイズだらけのモニターで、背中を見せて屈んでいた複座型が立ち上がり、滝川の方に振り向いた。
 今日の朝から、たった一機で熊本を混乱させている――いや、恐怖させている化け物。状況を完全に自分の思い通りにコントロールしているもの。
――勝てるわけない……
 絶望が滝川の中に影を落としかける。しかし、
「逃げろ! 逃げるんだ!」
 速水の声が、スピーカーからがなりたてて来た。その台詞が、滝川に歯を食いしばらせた。
「黙れ……」
「勝てない! 一対一じゃ、誰もこいつに勝てやしない!」
「黙れよ……!」
「こいつは僕の能力を全部コピーしている! 僕の能力を全部出し切ることができるんだ! 手加減なんか絶対……!」
「黙れえええっ!」
 バランスを崩しかけていた士翼が踏んばり、構えを作った。しかし、体を支える両脚は細かく震え、左肩はひしゃげている。悠然と立っている複座型に比べれ ば、その姿はあまりに痛々しかった。
「オレは負けねえ……お前には負けない!」
 自分の中から力を――力となりそうなものを総動員する。
 力あるものへの羨望、敵愾心、劣等感、怒り、自尊心――。かえって自分を惨めにしてしまうような思いの数々。それこそが今の自分を支えることができる。
 士翼のダメージ量は、「痛覚」に変換されて滝川に伝わっていた。サマーソルトで叩き込まれた衝撃は、左肩を破壊し、のみならず全身の各所に損傷を与えて いるのが分かる。駆動系がやられたらしく、足に力が入らない。全身の痺れは、センサーもあちこちいかれてることを示している。
 しかし――動かないわけじゃない。
 複座型を凌駕する機動性は、まだ残っている。
(この機動性を生かして、複座型の懐に飛び込んで、それから――)
 それから――それに続く戦術が思いつかない。
(避ければいいんだろ! くそっ!)
 ひとつひとつの攻撃を、ひとつひとつ避けていけばいい。芝村も言っていた。いつもやっていることを繰り返すだけの話じゃないか!
 士翼が走った。複座型は自然体のまま、待ち構えている。
 士翼がつかみかかろうとした瞬間、複座型が視界から消えた。
 ――いつもの滝川で、士翼が通常の状態であれば、それが複座型の体さばきによるものだとすぐに分かっただろう。自分のすぐ右に複座型が位置をずらし、攻 撃の体勢に入っているであろうことも、それに対応して回避の動きに移ることもできただろう。
 しかし、気付くのが、一瞬遅れた。
 そしてそれは、致命的な一瞬だった。
 重低音の衝撃が、士翼の右脇腹――ひいては滝川の右脇腹に叩き込まれた。
 パンチをねじこまれたことは、すぐに分かった。
 崩折れそうになりながらも、士翼は右側に向き直り、腕を持ち上げる。胴体をガードしようとした両腕の隙間を縫って、複座型の右拳が士翼の頭部を殴りつけ た。
 士翼のコクピットで、滝川が悲鳴を上げると同時に、メインモニターの映像が切れた。自身の悲鳴にかき消されて、通信機から名前を連呼する速水の声も聞こ えない。
 胴体をガードしている両腕に、打撃。蹴られたのだと分かる。押される力が強くて、士翼はまた後方によろめき、今度は仰向けに倒れた。
 轟音と、地響きが熊本城跡の中に響き渡った。
 滝川の意識が遠のいた。
 通信機は、相変わらず速水の叫び声を鳴らしている。「止まれ、止まれ」と喚いたり、「もうやめて」とか「お願いだから逃げてくれ」とか、そんなことを 言っている。
 が、滝川には聞こえていない。
 彼に今聞こえているのは、複座型のたてる音だけだ。
 叩きのめされた士翼の全身で、辛うじて生きている各種のセンサーが、外界の状況――とりわけ複座型の動きをパイロットに伝えていた。頭部のカメラはほと んど壊れかけている。仰臥する士翼の見上げる熊本の青空だけを、メインモニターにノイズだらけで映し出すだけだ。
 複座型が、走って来るのが分かった。近づいて来る足音と地響きにまぎれて、金属の軋む音がした。
(……今の何だ?)
 ぼんやりとした頭で、滝川は考えた。あの金属が軋むような、ひしゃげるような音は――
 ノイズだらけのモニターに、影が射した。
 逆光気味の複座型の姿があった。手に何かをぶら下げて。
 滝川の頭の中で、何かが焦点を結んだ。
 地面に突き立てられていた盾。あれはそのまま放っておかれたはずだ。盾に突き刺さっている大太刀も、そのまま――
 盾から大太刀を抜く時には、金属がこすれ合い、軋むような音を立てるだろう!
 メインモニターの中で、複座型が死刑執行人のように大太刀を振り上げた。
「死にたくない!」
 滝川の叫びが、通信機の電波に乗った直後――
 微かに身をよじらせた士翼の胸に、超硬度大太刀が突き立てられた。

――滝川!
 熊本全土で、その名が呼ばれた。
 返事は返ってこなかった。
 かわりに、熊本のあちこちで、幻獣が大量に出現し始めていた。
 昼間でも不吉な姿を青空に映えさせている黒い月は、熊本の想い――「絶望」をしっかりと汲み上げていた。

 


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