15.幻視


 ――ここはどこだろう。
 「そこ」に立って、滝川陽平が始めに思ったことはそれだった。
 今町公園――とはちょっと違う感じのする公園の中に彼は立っていた。空は燃え上がるような夕焼け。公園は妙に広くて、自分以外に人影はない。
 どこからか聞こえて来る、幼い子供の笑い声。漂って来る夕飯の匂い。とんとん、という包丁がまな板を鳴らす音も一緒に聞こえて来た。
(帰らなきゃ――)
 そう思った。
 もう家に帰る時間だ。家には母ちゃんがいる。母ちゃんはオレを好きじゃないけれど、オレは母ちゃんのことが大好きなんだ――
 だが。
 何かやり残したことがあるような気がする。
 思い出そうとすると、ぼんやりとしてはっきりしない。そのくせ、「大事な」「大切な」というイメージだけは強く残っているのだ。
 滝川は、もどかしくてしばらくその場に立ちつくしていた。すると、
(帰らないのか?)
 後ろから声がした。
 振り向くと、少し離れた所に妙な格好をした長身の男が立っていた。
 頭が丸くて、つばの部分が極端に広い帽子。真っ黒なコートというかマントを羽織っている。広いつばの落とす影のせいで、顔がよく分からなかった。
(あんた、誰だ?)
 男は答えない。同じ質問を繰り返すだけだった。
(帰らないのか?)
 仕方ないので、滝川の方が質問に答えることにした。
(家には帰るさ……けど、何かやり残したことあってさ)
(君のやり残したことだったら知っている。君は戦わなければならない……)
 言われてから滝川は思い出した。熊本城、暴走する複座型、速水と舞――そして自分の敗北。本気を出した複座型に、自分と士翼は手も足も出なかった。
 いや――。複座型を乗っ取っているウイルスというのは、絢爛舞踏・速水の能力をコピーしている。つまり、今の複座型の動きというのは、速水の本当の実力 というわけだ。
 自分も本気で戦った。今までで一番力を発揮した戦いだった。そして、完璧にねじ伏せられた――
 滝川は苦笑した。
(オレ、全力で戦ったぜ。あれよりも戦うことなんて、できねえよ)
(分かっている。君にあれ以上を求めるのは無茶だろうな)
(じゃあ、ほか当たってくれよ。オレはもう無理だから)
(それは困る――無理でも戦っている者がいる)
 男の手が動いた。彼が頭上を指差すと、その空間がぼやけ、映像を映し出した。
 そこには、熊本城跡の光景が映っていた。
 5121対複座型――舞のテレポートが複座型を撹乱し、そこに5121本隊の攻撃が飛ぶ。本隊からの攻撃は散発的だ。数人がかりで砲身を抑えつけても、 一発撃つ度にひっくり返るボフォースやロケットポッド。もともと連射がきかないレーザーライフル。それ以外の歩兵用の装備――マシンガンや手榴弾――は、 舞が扱うことになる。目標への近接を強いられるそれらの武装は、熊本城天守からでは、複座型には届かないのだ。
 映像が切り替わる。手を血だらけにしながら、コクピットのコンソールを「掘削」している速水。得体の知れない機械の塊の前で、モニターに見入っている 茜、ののみ、狩谷。
 そして自分たちの戦場へと向かう、熊本の学兵たち。消し去ったはずの幻獣が再び出現したのだ。幻獣は、倒しても倒しても後から後から現れる。が、学兵た ちは投げ出さず、再び武器を取って戦いに往く。彼らは全員、ガンパレードマーチを歌っている。
 絶望的な運命。終わることのない戦い。それらに臆することなく、立ち向かって行くヤツらがいる――
 その勇気は、凄いと思った。戦場に向かう者たちは、一人残らずヒーローの称号を与えられてもいいだろう。
(けど――けど、何も変わらないじゃないか)
 思わず滝川は口に出していた。
(みんな、今までだってずっと戦ってきた。熊本から幻獣はほとんど消えた――なのに、やっぱり幻獣は襲って来る)
 変わらない、何も変わらない――そう口に出そうとした時、
(変わる――今君が、また立ち上がれば)
(無理だよ――第一、何がどう変わるっていうんだ?)
(君が、速水厚志を救い出す――それだけで、この世界を覆う運命は変えられる)
 男は、頭上で指を鳴らした。
 次の瞬間、風景は消えた。
 真っ赤な夕焼けは真っ黒な星空となり、公園は――星空になった。
 いや、地面さえも星空になった。
(……宇宙!?)
 それはまさしく無限の広がりだった。
 どこまでも広がる暗黒。彼方で星が瞬いているが、それがどれほど遠くにあるものなのか、まるで見当がつかない。
 広くて、暗くて――心が冷える。
(地球はどこだ?)
(多分あそこらへんだろう)
 男が指差す先には、やはり小さく瞬く星しかない。青く輝く地球など見えはしなかった。
(……地球なんて見えねえじゃねえかよ)
(当たり前だ……あそこらへんが、君たちが太陽と呼ぶ恒星の在り処だ。地球など、望遠鏡でもなければここから観測すらできまい)
 地球は、目に見えないほどに小さい。じゃあ、その上で生きているオレたちなんて――。
 滝川は男の方を振り向いた。
(どういうつもりだ! こんなものオレに見せて……!)
 男は無言で、別な方向を指差した。
 その方向を見ると――やはり真っ暗な空間だ。
 と思ったら、その空間が突然歪んだ。
 歪んだ空間からは虹色の光がもれた。暗黒の中に突如生まれたその輝きは、この暗い空間を照らし出すようなものにはなり得ない。いや、虹色をしたその輝き は不自然で、気味の悪ささえ感じさせた。
 歪んだ光の中には、小さな黒い点が浮かびあがる。ひとつ、ふたつ――ものすごい勢いで増えて、見る見るうちに数え切れないほどになった。
 点は、増殖しただけではなく、次第に大きくなっていく。接近している、ということに気がつくまで、時間がかかった。
 と、突然滝川の横を白い光が通り過ぎた。
 振り返ると、いつの間にか背後の方でも空間が歪んで、虹色のいやな光を放っていた。
 歪んだ空間の位置は、両方とも恐ろしく遠い所にあるのだろう。
 最初に放たれた光を皮切りに、二つの歪んだ空間からは、互いに向けて何本もの光条が飛び交い始めた。
(……戦争……してるのか?)
 やがて、光条の応酬にまぎれて、大きな、スピードの速いものが両方の空間からやって来た。その姿は人の形をしている。
 「それ」が滝川の横を通り過ぎた時、彼は声を上げた。
(……士翼号!)
 それはまさしく、さっきまで自分が駆っていた士翼だった。
 飛んで行く士翼は一機だけではない。何百何千という膨大な数の人型戦車が、滝川の横を通り過ぎていく。
 そのうちのほとんどは、飛び交う光条に撃ち抜かれ、消し飛んで行った。しかし、生き残ったものは敵方の士翼号と接敵し、戦い始めた。
(地球から遠く離れた所で行われている戦争だ)
 滝川の背後で、男が告げた。
(この大戦に、いずれは君たちの星も巻き込まれる……いや、既に巻き込まれている)
(何だって?)
(君たちの暦で一九四五年以来、今に至るまで君たちを苦しめ続けた幻獣と黒い月。その大本にあるのはこの戦争だ。そう遠くない未来、君たちの星もこの戦火 に、本格的に巻き込まれることになるだろう)
(待てよ……! そんなこといっぺんに言われても……!)
 男は待たない。
(そうなれば、幻獣程度に苦しめられている今よりも、遥かに過酷な運命が君たちの世界を覆う)
(待てよ……待てってば! ちょっと整理させてくれよ! 大体……あんた何者なんだ!)
 頭に手を当てていた滝川は、そこで顔を上げる。
(そうだよ……あんた、最初のオレの質問に答えてないじゃないか! あんた、何者だ! あんたが見せてるこれって、信じられねえよ!)
(最初の質問には――君たちの世界に介入している者、と答えよう)
(介入……?)
(我々にはある計画があった。君たちの世界に介入し、進んで行く歴史の流れを操作し、そして『竜』を生み出すという計画が)
 滝川は男の顔をにらみつけた。
 もともとただでさえ黒い服を着ている男の姿は、ともすれば背景の宇宙にとけこんで、見えなくなってしまいそうだ。ただ、ぼんやりとした青い光が彼の体か ら出ていて、辛うじて判別できる。
 この男が語った――そして語り続けようとしていることは、あまりに途方もないことだ。けど、妙に説得力のある語り口だった。
 「竜」というのは、聞いたことがある。前に、ちらっ、と速水が話していたことがあった。最強の幻獣という程度しか知らない。
(ちょっと待てよ……あんた、今歴史を操って、って言ったな……)
(ああ、言った)
(全部あんたらの差し金だったとでも言うのか……あの幻獣も黒い月も、全部お前たちの差し金だったのか!)
(……そうだ)
(てめえええっ!)
 滝川は男につかみかかった。襟首をつかまえて吊し上げようとするが、上背は黒服の男の方が全然上だ。
(てめえ……てめえらにそんな権利があるのか! てめえら……てめえら、オレ達を何だと思ってやがるんだ! ざけんじゃねえっ!)
 滝川の拳が振り上げられた。男の顔を狙ったそれは、掌で受け止められた。
(そうだ。われらにはそんな権利はなかった。だが、既に歴史は動き出している。五十四年前の黒い月の出現から、君たちの世界は君たちだけのものではなく なった)
(勝手なこと抜かすな!)
 拳がもう一撃振り上げられる。同じようにそれは止められる。
(だが、その勝手を制するには、制するだけの力を持たなければならないだろう)
(悪かったなぁ、弱くってよ! 強いってそんなに偉いのか!? 強いヤツは弱いのに何したって許されるとでも言いてえのか!)
(弱いままでは為すがままだ……だからこそ、君たちの世界は強くならなければならない。そのためには、速水厚志が必要なのだ)
 その台詞に、出かかっていた三発目のパンチが止まった。
(……速水が?)
 男は頷き、語り始めた。
 ――速水厚志の器は、ただ敵を三百撃ち落とした撃墜王というだけではないこと。いずれ彼には、世界を率いて、脆弱な世界を鍛え上げてもらわなければなら ないこと。――。
(本来であれば、速水厚志は『竜』となるはずだった。最愛の恋人、芝村舞を失い、絶望の果てに絢爛舞踏章を取り、世界と運命の全てを呪いながら、君たちの 世界に君臨するはずだった。最近行なわれた熊本城決戦は、本来芝村舞を殺し、速水厚志を『竜』として覚醒させるためのものだった)
 そして、ひとたび収められたその引き金は、今また引かれようとしている――同じ熊本城で。
 滝川は背筋が凍った。
(5121の仲間の援護を受けて、芝村舞は全てを賭けて速水厚志を複座型から助け出すかもしれない。そして、自分のテレポートセルを与えて速水厚志の命を 救い、笑いながら複座型に蹂躙されていくだろう。そうなれば、彼は再び『竜』としての道を歩み始めることになる)
(てめえらの……計画通りにか!)
(そうだ……しかし、この計画には滝川陽平という不確定要素が入り込んだ)
 影に覆われている顔で、目だけが鋭く光った。
(苦戦と、そして玉砕を強いられている熊本城で、再び士翼が立ち上がれば勝ち目は出て来る。誰も死なずに戦いに勝利すれば、速水厚志は真の絢爛舞踏となる 道を歩み出す。あしきゆめたる幻獣を倒し、来たるべき災厄を克服し、希望の未来を作り出す英雄となるだろう。
 そして……その道を今開けるのは、君だけだ)
 二人の周囲では、戦闘が激化していた。
 小さい点は、いつか巨大な船になっていた。クジラのような姿をしているから、多分船――戦っているから「戦艦」なのだろう。外皮のあちこちから、何本も の光条と、そして士翼が次々に飛び出して行く。戦艦のサイズがあまりに巨大で、発進して行く士翼が虫のようだ。
 この「戦艦」は、地球の海の上を走るものとは比べ物にならない。このビーム一発で、何匹の幻獣を吹き飛ばせるんだろう。
 しかも今、周囲にはこの「戦艦」だけで、何百何千という数が並んでいる。たった一隻で地球を吹き飛ばせそうな船が、無数に――
(速水は――こんなやつらを相手にしなきゃいけないってこと、知ってるのか?)
(漠然とだが)
(こんな――こんなバカでかい敵と、本気で戦うつもりなのか?)
(そのつもりだ――いや、今の彼は、半ば生き残ることをあきらめている。危険な状態だな。彼自身にとっても、世界の運命にとっても)
 滝川は男から手を離した。うつむき、黙り込む。
 涙が出て来た。顔が歪んでいくのが分かる。鼻をすすり、しゃくりあげた声を上げる。
 敗北感。
 何から何まで、速水厚志は圧倒的な存在だった。戦闘能力、戦果、そして己に課した使命――
 がんばれば、速水みたいになれると思ってた。実際、複座型を足止めしていた時には、たどりつけたと思って、嬉しかった。
 でも、戦いが多少上手くなった程度では駄目だったのだ。こんな桁外れの敵を本気で相手にするくらいの度量がなければ、かないっこなかったのだ。
 滝川陽平は、自分の限界を悟った。
 ――だが、その当の速水厚志は、絶体絶命の危機にある。勝ち目がない状況にいるからではなく、生き残るのをあきらめかけているからだ。
(……あの野郎。ここまで来て弱気になりやがったか)
 速水厚志は、生き残らなきゃいけない。こんな敵――こんな運命を知らされて、立ち向かえるようなバカは、他には誰もいやしない。百人連れて来てこの光景 を見せれば、百人が「できる訳ない」と答えるだろう。
 「戦う」と言い切れるのは、速水と、あとはおそらく芝村舞だけだ。オレたちの手の届かない領域で、オレたちのために戦ってくれる無敵のヒーローとヒロイ ン。
 かなわねえ。オレなんかじゃ絶対かなわねえ。
 だから――
 だから――!
 滝川は涙を拭った。泣くのは最後だ――そう誓う。
(あんた……あんたが言ってることが本当なら……あんたらの計画がぽしゃっちまうようなこと、何でオレにけしかけるんだ?)
(計画は別な方向にシフトさせた。あの世界には希望と平和が満ちるべきだ。例え、全ての宇宙があの世界を滅ぼそうとしても、あの世界は存続して行く権 利……いや、義務がある)
(勝手だな……。好き勝手に引っ掻き回したのを、気が変わったから守るっていうのか)
(計画を変えたのはわれらではない、わたしだ。私の娘が生きて行く世界を滅ぼさせはしない)
(……娘?)
 そう言えば、この男の妙に偉そうな喋り方は聞き覚えがある――まさか!
 滝川は男の顔を凝視した。影に覆われた顔の表情はよく見えない。鋭そうな目だけが輝いている。
 あいつと同じ目だ――ならばきっと嘘はない。
(おっさん! オレを帰してくれ!)
(どこに帰るつもりだ?)
(決まってる、熊本城だ。何度も立てって言ったけど、オレの士翼、立ち上がれるのか?)
 帽子の落とす影の中で、男の口元が微かに笑ったように見えた。
(立てる。君の世界は絢爛舞踏を望んでいる。君が絢爛舞踏を救いたいと心から願うのならば、再び士翼は動くだろう)
(オレは……オレはあの大バカ野郎を助け出す!)
 そう宣言した瞬間、滝川は力を感じた。自分の体が引っ張られるような感覚。
 光条と士翼の飛び交う戦場も、黒い男も遠ざかって行く。男は、帽子の落とす影の中から、じっとこちらを見つめていた。
(あんたの名前は!?)
(A……いや、田神だ)
(速水に伝えておくぜ……いつか田神ってのをぶん殴ってやってくれってな!)
 「田神」と名乗った男は、答える代わりにもう一度だけ指を鳴らした。
(絶技の封印を解いた……多用はするな)
 その言葉を最後に、無限の星空も、行なわれている戦争も、田神と名乗った男の姿も消えて行った。


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