――馬鹿な! そんな馬鹿な!
〈それ〉は狼狽の度を高めていた。
NEPの事物消滅のシークエンスは、次のようなものになる。
まず、力場を射界全体に投射して固定し、力場内に目標を選別。
次に、その目標の存在の妥当性を確認。
最後に、目標存在の妥当性がなければ、目標をあるべき世界へ追放、この世界から消し飛ばしてしまう――。
これを使えば勝負は決まる。か弱き人類の悪あがきにも終止符が打たれる――はずだった。これで全ては終わるはずだった。
希望に続く絶望と、絶望を超えるさらなる希望――そのサイクルは、「さらなる希望」を凌駕する「決定的な絶望」で終わるはずだった。
死にぞこないの士翼が投射した「精霊手」。その力場は、NEPの力場の固定を妨げている。
それだけなら、まだいい。
精霊手とは、力を「撃ち出す」技のはずだ。蛇口を全開にした水道から水を出しっ放しにするようなことが、どうしてできるのだ?
いや、固定されていないにしても、投射された力場に入れば、青い光――世界の「意識子」たるリューンもまた存在を消されるはずだ。
――なぜだ――なぜだ! なぜ消えない! なぜ終わらない!
ののみが答えた。
「のぞみには、はじまりもおわりもないの! せかいののぞみはむかしもいまもかわらない! ずっとずっとありつづけるの! だからきえたりなんてしない
の!」
士翼の手に――ひいては滝川の手に、世界中から「意志」が集まり、飛び出して行く。
「意志」――小さな青のひとつひとつの想いが、滝川の胸に伝わって来る。
(われは志半ばにて倒れたる者)
(われは悲しみを越えた者)
(われは死せる者。死せる者にして生ける命を思う者)
(われは願う。生きる者の幸せを)
(われは願う。世界に希望が満ちることを)
(生ける者よ。生き続けよ)
(挑め。命と幸せを奪う者に)
(そして勝て。希望の未来と幸せをつかみ取るために)
数え切れないほどの、そして切実な想いのひとつひとつを、滝川は胸に刻みこむ。
――世界はオレたちを愛していた。今まで慈しみ続け、これからも愛し続けてくれる。
――忘れない。この想いを、オレは一生忘れない。
――だから倒す。「こいつ」を倒す。希望を滅ぼし、未来を閉ざす「こいつ」を……!
「オレは倒す!」
ジャンク寸前の士翼の足が、虚無の光に向かって踏み出した。
一歩。もう一歩。
ゆっくりとした――そして確実な歩みで、士翼は虚無の光に進んで行く。
青を導きながら。青に導かれながら。
NEPの力場投射部が、オーバーヒートを起こした。
複座型の肩に担ぎ上げられていた巨大な銃身のあちこちから、火花と煙が吹き出した。
次の瞬間、NEPは爆発し、その反動で複座型はバランスを崩した。
――体勢を立て直した時、〈それ〉の目前には拳を構えた士翼がいた。
士翼もまた、体のあちこちから火花と煙を吹き出していた。とりわけ手足はひどいものだったが、最後の力だけは残っていた。
〈それ〉を、叩き潰すだけの力は。
――あり得ない! そんな馬鹿な!
〈それ〉の狼狽は、回避への反応を一瞬遅らせた。
そしてその一瞬は致命的だった――まるで一度〈それ〉自身が倒した、滝川と士翼のように。
「でえりゃああああああっ!」
光を宿した双拳が突き出され、複座型の胸部に抉りこまれた。
士翼の手の中には、複座型のコンピュータ・ユニットがあった。中には〈それ〉が宿っている。今日この日、速水厚志を狂わせ、ひとたび熊本に絶望をもたら
し、5121を苦しめ続けた「寄生虫」が。
「世界は……オレたちは絶望なんか望まない!」
士翼の手が、手の中にあるコンピュータ・ユニットに力を込めた。
「それが世界の選択だ!」
コンピュータ・ユニットが砕け散った。
滝川の手に宿った「意志」が炸裂し、複座型は爆散した。
その時、熊本城から光の柱が天に延びた。
光の柱は青い輝きを放っていた。しばらく屹立した後、その青い柱は蛍のような小さな光のひとつひとつに分解し、熊本中と――速水に降り注いだ。
息を弾ませ、惚けていた滝川の耳に、通信機のコールが鳴った。
「……こちら滝川……」
「こちら来須。滝川十翼長、状況を報告しろ」
「状況は……」
彼は、ノイズだらけのモニターを見た。
正面には、複座型の姿はない。脚のパーツだけが転がっていた。
「状況は……目標は消滅しました……」
口に出すと、体が震えた。胸の奥から、熱いものが込み上げて来る。
通信機の向こうで、来須がもう一度呼びかけて来た。
「よく聞こえない……もっと大きな声で報告しろ」
「目標は……複座型は消滅しました……!」
胸の奥で、何かが弾けた。
「勝った! オレたちは勝ったんだ!」
――勝った! 勝ちやがった!
――あの野郎! ほんとにあいつをぶっ倒した!
――何て野郎だ、あの死にぞこないが!
――勝てる! 勝てるんだ! おれたちは本当に勝てるんだ!
すでに幻獣との戦闘を開始していた部隊は、突然幻獣が姿を消して行くのを目撃した。
別に、戦況は極端に有利不利という状態ではなかった。ただ、学兵たちが強く勝利を信じただけだった。
スキュラ五体を相手に、これから戦闘を始めようという部隊もあった。その部隊の戦場でも、幻獣の姿は消えて行った。その部隊は、戦力だけ見れば明らかに
劣勢だったが、同じように勝利を確信しただけだった。
どこでもそうだった。どこでも同じように、突然出現した幻獣は、突然姿を消してしまった。
勝ち鬨の雄叫びに、熊本の天地が震えた。