「イミテーション・ゴールド」
時計の針が午後十時を指した。
ハンガーの中は、蛍光燈の冷たい光に照らされていた。士魂号やさまざまな機械と設備のあげる微かな唸りが、静寂をいっそう強く感じさせる。
整備主任席で背伸びをしていた原素子は、気配を感じてハンガー入り口の方に目をやった。
こんな時間にこんな所にわざわざやって来るのは、余程の変わり者か、何か理由がある者か、どちらかだろう。原が「こんな所」にいる理由は、ひとりでいる
時間が欲しいからだった。
とはいえ、その時間を損なわれたとしても、怒るつもりはなかった。第一、このハンガーは、関係者であれば24時間立入りは自由だ。実際今も、パイロット
がひとり、二階で自分なりの仕事をしているはずだ。
待機状態のままで立ち並んでいる、士魂の足の陰から、足音がした。特徴のある足音だった。
靴のカカトを履きつぶしているため、足とはまっていないカカトの裏の部分が地面にあたって、ずりっ、ずりっ、と鳴っている。
そんな行儀の悪いことをやっているのは、5121ではひとりしかいない。
巨人たちの足の陰からは、ひとりの大柄な少女が姿を見せた。足音が示した通りに、カカトをつぶして靴を履いている。両手はポケットに突っ込んで、肩より
も下に伸びている長い髪はボサボサのくせっ毛。その前髪がひとふさ脱色され、メッシュになっている。
「……あ」
その少女は原の方を見て、意外そうな顔をした。
が、原にとってはそれほど意外なことでもなかった。
口をぽかんと開けている少女に向かって、原は微笑みながら声をかけた。
「一体どこで油を売っていたのかしら、田代香織さん?」
一九九九年四月−−。
学兵を主戦力とした対幻獣熊本防衛圏では、新たな動きが生まれ始めていた。
まず、学兵たちの意外な奮闘。とりわけ、遊軍である5121小隊の活躍により、熊本における人類対幻獣の戦力比はほぼ互角のままで推移している。
5121小隊の戦績は、最新鋭兵器である人型戦車「士魂号」が配備されているということもあり、今までのところは連戦連勝。多少の被害を出すことはあっ
ても、死者を出したことはない。「消極的な転戦」「部隊内に芝村がいることから贔屓されている」などの批判はあるにせよ、彼らによって熊本の士気が高まっ
ていることは間違いなかった。
もうひとつの動きは、幻獣側のものだった。四月の上旬から中旬を境にして、幻獣側が大きく戦力を増強して来たのだ。それまではゴブリン級やナーガ級、キ
メラ級までが敵部隊の主戦力だったのだが、最近の戦場ではミノタウロス級やゴーゴン級も少なからず見受けられるようになっていた。5121はまだ出会った
ことはないが、各戦区からのスキュラ級の出現の報告も、決して珍しいものではなくなっている。
−−いよいよ、これからが本番だ。
−−これまでの戦いでさえも、前哨戦でしかなかったのか?
戦場に立つ兵士の印象はさまざまだったが、これからの戦いが厳しくなる、という点において、彼らの認識は一致していた。
(何でこんな時間にいるんだよ)
予想外のことにうろたえかけた田代だが、原の方から話を振られて来た−−しかも、自分にとっては慣れている「小言」のような−−ので、不貞腐れたような
顔と口調で答えてやった。
「おれの担当だったら、問題ないッスけどね?」
−−何か文句ある?−−お得意の、目をそらして、聞く耳を持たないようなポーズを取る。偉そうにしているヤツをさっさと追っ払うには、向こうの方から
こっちを相手にする気をなくさせるのがいい。もしそこで雰囲気がヤバくなったら、腕力勝負になるけれど、それこそ田代の土俵である。
が、原はその挑発には乗らず、机の上にある日誌を取り上げると、今日の分の日報のページを開いた。
「そうね、確かに三番機は万全だわ……。パイロット側と整備側の担当部署は、両方とも九〇〇以上をマークしている。ハードポイントにもおかしなものはつい
てないから、今すぐにだって出撃できる……。問題はないわね。さすがだわ、田代さん」
相変わらずの微笑をたたえながら、原は日報から田代の顔に視線を移す。田代はあいかわらず不貞腐れたようなポーズ。
「そいつはどうも」
「でもね、手が空いたのなら、他の部署を手伝って欲しいわ。壬生屋さんが毎回毎回出撃の度に一番機を半壊させてるの、知ってるでしょう? それに、三番機
は他の二機のサポートがなくちゃ実力発揮できないんだから」
田代は笑いたくなった。不良やってたのが、今さらいい子ちゃんぶってみんなのお手伝いをする?
(手伝われた方で嫌な顔するよ、そんなのはよ)
原は続けた。
「これから、ますます戦況は厳しくなるのよ。できるうちにできることやっておかないと、死ななくてもいい人間が死ぬことになるわ」
「そーすかぁ? 速水と芝村に任せときゃあ、大丈夫なんじゃないですかぁ?」
再び挑発。しかし、それも無視された。
「これからはミサイルばらまいた程度じゃきかない相手、なんてのも出て来るわ。今日は許してあげるけど、明日からは頼むわね」
「ペナルティは、何もないんスか?」
「今は、ね。あなたにも色々あったんでしょうから……」
ぎろり、と田代は原を睨みつけた。ポーズなんかではない、本気の怒りだ。
「……あんたなんかに、おれの何が分かるって言うんだよ……!」
そう言うと、田代は顔を背け、階段を上っていった。
「分かるわよ。これでも同じ女の子なんだから」
背中を見送りながら、原はつぶやいた。
「失恋したんでしょ」
階段を上ると、待機中の士魂の上半身が見えて来る。
田代の目は、並んでいる三機の中でも、最も異様な姿を見せている三番機−−彼女の整備担当機体−−にとまった。
三番機は、「騎魂」−−通称は「複座型」−−が就くことになっている。そのシルエットは、単に巨大というだけではない。腰から後斜め上に向かって、四角
いユニットが無理やり取りつけられている。そこには砲手担当のコクピットと、ミサイルランチャーが仕込まれているのだ。あまりに不格好なその姿を目にした
時、誰かが「まるで棺桶を背負っているようですね」という感想を漏らしていた。
しかし、その存在は今や5121小隊にとって、いや、熊本にとってきわめて重要なものとなっていた。
戦場に躍り出れば、その「棺桶」からミサイルの雨を降らし、幻獣たちを一気に蹂躙、戦況をあっという間にひっくり返す。出撃当初は多勢に無勢であったの
が、十数分後には追撃戦になっていた、ということも珍しいことではない。5121の支援を受けて生き残った部隊は、もう五つや六つではきかないだろう。
そんな三番機を操っているエースは、芝村舞と速水厚志だ。世界を牛耳るあの「芝村」のお姫様と、何が楽しいのかいつもにこにこしている男の子。
世間知らずでやたら偉そうなお姫様と、それに振り回されて尻に敷かれている男の子−−いつもはこんな二人だが、彼らの操る士魂三番機は、毎回凄まじい戦
果を上げている。これは機体の性能が高いというだけではなく、機体の性能を引き出し、使いこなしているということだ。無論、普段からのパイロット側担当の
機体調整にも余念がない。
そして、普通の戦車の三倍手間がかかるという人型戦車の整備には、田代の他に狩谷夏樹と茜大介が就いている。この二人は、性格に難はあるが腕は確かなヤ
ツらであり、彼らはきっちりと自分の仕事をこなしていた。
かくて、三番機は、二人の整備を受けているうちに、いつの間にか凄まじい仕様となっていた。士魂の仕様をいくつかのパラメータに分けて数値化した場合、
これらのパラメータ数値は、「騎魂」が初めてこの小隊に来た時と比べて、二倍以上、いや、三倍近い値を見せてさえいる。「騎魂高性能型・5121特別仕
様」なんて呼んでもいいくらいだ。
いい腕のパイロットが操縦し、いい腕のメカニックが整備するいい機体。実に理想的な組み合わせ。
(……おかげでこちとら、肩身狭いぜ)
田代は三番機の前に立った。手をのばして、胸部装甲に触れる。冷たくて、ざらついた感触。
何度も死線を潜り抜けただけあって、装甲の表面は傷ひとつない、というわけにはいかない。が、装甲なんて、ダメージを受けた時に内部の人工筋肉やフレー
ムにダメージを通さなければそれでいい。多少の擦過と、弾創はあるものの、亀裂などは見られない。直撃をもらっても、この分なら何とかしのげるだろう。
さっきの原の台詞を思い出す。
(三番機は万全だわ……さすがだわ、田代さん)
何が「さすが」だ−−田代は歯ぎしりした−−あの二人がやってることだ。おれは何もやっちゃいない。あの女、わかっているくせに。
「おれなんかが何もしなくったって……三番機は問題ねェよ」
田代はつぶやいた。
−−この小隊に配属されて、希望部署の調査票を原から渡された時、田代は迷わずに三番機の整備を希望した。速水厚志という人間を最初に見た時、こんな男
の子がパイロットをやるなんてひどく危なっかしく思えたからだ。
誰にでも優しくて、いつも笑っていて、傷も汚れも知らない、純真な男の子。
守ってやんなきゃ、そう素直に思った。素直に思えた自分が、あの時は少しだけ、嬉しかったのだけど−−
(……いらねぇ心配だったか……)
苦笑した。装甲の表面をなで回していた手を握る。何かつかめるはずもない。手の中は空っぽのままだった。
−−他のヤツらは、どうなんだろう。他の士魂の整備を担当しているヤツらは、どうしてその機体の整備を担当しているんだろう?
そんなことを思いながら、並んでいる士魂三機を見渡した。
待機中の士魂たちは、かすかな唸りを立てるだけだったが−−
(?)
二番機に目が止まった。
装甲の接ぎ目から、かすかに光が漏れていた。
士魂のコクピットに灯が入ると、それに伴って電気系統にも電源が入り、あちこちのパイロットランプが点灯する。つまり、今誰かがコクピットにいるという
ことになる。
二番機のパイロットは、確か滝川陽平だったが。
(こんな時間に、何しに来たんだ?)
ハンガーの中に響く唸りの中に紛れて、悲鳴が聞こえたような気がした。田代が眉をしかめて、二番機に耳をすますと、もう一度聞こえた。今度は「畜生」と
叫んでいるのさえ分かる。
田代は士魂の背中側の方に走った。二番機のコクピット・ハッチの脇にある小さな蓋を開き、その中の「救助用」と書かれたスイッチを押す。
次の瞬間、ばん、という音とともに二番機のコクピット・ハッチが開いた。
コクピット内部のコンソールパネルには、やはり灯が入っていた。コクピット正面のメインモニターには、画面にノイズを走らせながらミノタウロス級幻獣の
凶悪な顔が超アップで迫っている。
田代は顔をしかめた。モニターの隅には「模擬戦」という文字が点灯している。シミュレーションでも、幻獣の顔のアップはあまり心臓に良いものではない。
パイロット席の人影は、座ったままぴくりとも動かない。右手を操縦桿、左手を神経接続ホールに突っ込んだまま、顔を下に向けている。頭に引っかけられて
いるゴーグルが、コンソールパネルの光を反射させていた。
思った通り、滝川だった。失神しているのだ。
田代はコクピットの中にもぐりこんだ。手をのばしてシートベルトを外し、滝川の体を引きずり上げる。
ゲロや失禁なんかされていたら、こちらまで汚くなるところだが、幸い滝川は口からヨダレを流し、あとは制服がびっしょりになるくらいに汗をかいているだ
けだった。
普通じゃないといえば普通じゃない。が、模擬戦といえども今まで戦争やってたのなら当然とも言える。
(男のくせに、神経細いなあ)
滝川を通路の上に広げながら、田代は手についた汗を自分の制服で拭った。。
(何でこんなヤツがパイロットやってるんだ?)
模擬戦程度で気を失ってるんじゃないよ−−そう思いながら、もう一度コクピットにもぐりこむ。ミノタウロスに取り囲まれて袋叩きにされている状態をリ
セットし、今の模擬戦の設定を見る。
(何だこりゃあ)
田代は言葉を失った。
「敵 :きたかぜゾンビ級4 ミノタウロス級6 ゴーゴン級4 スキュラ級2
味方:自機(士魂初期型軽装仕様 Gアサルト2 展開式増加装甲1 予備弾倉3 大太刀1)のみ
*自軍援軍・長距離支援は無し
*撤退不可」
中堅クラス以上からの幻獣十六体(しかもスキュラも二体いる)を相手にして、たった一機。勝負になんかなるはずもない。
戦闘記録を流して見ると−−クソ重い盾をつけたまま突出、両手のGアサルトで全力射撃をして、一気に幻獣の数を減らそうとしたが、一体も倒せないうちに
長距離攻撃を受け、大きなダメージを食らった。その場を離脱して、逃げ出せば良さそうなものなのに、なぜか滝川機はそこから離れようとはしなかった。結局
ミノタウロスたちに捕まって、五分で士魂二番機はスクラップにされた−−。
(ちょっと待て。ミノタウロスに囲まれて、五分……?)
その時、田代の後ろで絶叫が響いた。
「うぎゃあああああ!」
慌てて田代がコクピットから抜け出すと、滝川が上体を起こして、息を弾ませている所だった。見開かれている目は、田代と士魂二番機に向いてはいるもの
の、焦点は定まっていない。
滝川は掌で顔を拭った。べっとりと、冷や汗とヨダレがついた。
「……あれ? オレ、どうしてここに……?」
「びっくりさせんなよ、死に損ない」
田代は息をついて、通路の手すりに寄りかかった。
「模擬戦で袋叩きにされて、失神したんだよ。無茶なドンパチやってんじゃねえよ」
「田代……何やってるんだ、こんな時間に」
「何だ、いちゃ悪いか?」
「別に……」
滝川はしばらく呼吸を整えて、通路の脇に置いてあった紙袋を手に取った。紙袋から牛乳パックを取り出して、それを一気にあける。そして、空になったパッ
クを床におき、息をついて、頭を振ると、再び滝川は立ち上がり、開きっぱなしのコクピットに向かった。
足元が少しふらついていて、顔色もあまり良くない。お世辞にも健全な状態とは言いがたい。ましてや、これから戦争やるなんてもってのほかだ。
田代は滝川の肩を掴んだ。
「待てよ、滝川」
「邪魔するな、田代……」
滝川は田代をにらみつけた。青い瞳が険悪なものを帯びていた。
田代は気圧されそうになるのを抑える。
いつもの滝川からは考えられない。何かに取り憑かれたような、危うい雰囲気。
(やべえな……)
−−こういう状態の人間には見覚えがあった。不良やってた頃、ケンカやってキレそうになったヤツがこういう状態になったのを何度か見た。扱い方を間違え
ると、興奮して友人だろうが身内だろうが殴り飛ばしかねない。
こんな手合いをなだめるは、仲間うちでは田代の役目だった。仮に暴れ出しても、大抵の相手ならば殴り倒して取り押さえることができたからだ。
田代は安心させるように微笑んで、ぽんぽん、と滝川の肩を叩いた
「少し休めよ。シミュレーションでパンクしたいのか?」
「……もうちょいで、何かがつかめそうなんだ」
滝川の口の端がつり上がった。
「避けられそうなんだよ……ミノタウロスも、スキュラも、ゴーゴンも……もうちょいなんだ……」
(気のせいだ、ンなもん)
動体視力とか自分の反射神経とかが研ぎ澄まされているように思えるのは、耐G薬剤がキマってるからだ、下手すりゃ中毒になって人間やめることになる−
−。
が、そんなことは口には出さない。
「やるじゃねぇか。でもその前に、てめぇがぶっ壊れたら何にもなんねえぞ」
「……構わねぇよ、ンなもん」
滝川は田代の手を振り払った。
「オレのしょぼい肝っ玉も、もうちょいマシになるだろうさ」
彼の口から、くくっ、と笑い声がもれた。自嘲的な笑み。目つきはいよいよ危険になって、焦がれるように士魂二番機を見つめる。開いているコクピットの
ハッチが、魔物の口を思わせた。
滝川は、壊れかけていた。自虐とやけくそが渦を巻いて、奈落の底への抜け穴を作っているのが分かった。
−−頭冷やせよ、バカ。
−−そんなに言うなら、おれの一発かわしてみろ。
いつもの田代なら、そう言って滝川の頭を小突くか、腹に一発叩き込むかしているはずだった。
しかし−−。
「……お前、何でそこまでやれるんだ?」
彼女の口からもれたのはそんな問いだった。
滝川は足を止めた。
「……何でそこまでできるんだよ、お前」
「……好きな人、守れねえだろ」
田代に背中を向けたまま、押し殺した声で答える。
田代の口元が緩んだ。ああ、こいつは好きな人のために命張れるんだ。
「……羨ましいな、滝川」
「何がだよ」
「そこまでなって守りたい人いる、ってことがよ」
田代はうつむいた。胸が痛い。小さな刺がひっかかったように。痛みが込み上げて来るのを、笑顔と、滝川へのシンパシィで押さえ込む。
「でもよ、やりすぎんなよ。お前がどうにかなっちまったら、お前の守ってるヤツ、あんまりいい顔しないぜ? それに、戦えなくなる……」
「逆だよ、田代」
滝川は田代に向き直る。
「戦わなきゃなんないから、好きな人守るんだよ」
「その人はよぉ」
滝川は話し始めた。
「その人はよぉ……オレが臆病なままでいいって言ってくれたんだ。オレの臆病さが、自分を守ってくれるって……だから、守ってくれって。嬉しかった。守り
たいって思ったんだ。だけどさ……」
田代から目をそらし、苦笑する。
「その人は、オレや、オレ以外の誰かに守られなくてもいいくらいに強いんだよ。守ってくれ、なんてのはオレを戦わせるためなんだよ……」
「誰だ、そんなくそったれな女は」
「いいさ……それがあの人の仕事なんだし。それに、好きな人守ってる、なんていう風にでも思ってねぇと、戦争なんてやってらんねえよ」
滝川は背後にある士魂を見た。静かな唸りを上げながら、士魂は立ちつくしている。そして、開いているコクピット・ハッチは無言で、かつ雄弁に、何かを滝
川に語りかけている。
田代はだんだん腹が立って来た。
(バカか、こいつは?)
結局利用されてるだけじゃねえか。利用されて、いいように操られてんのに、そのこと分かってんのに……!
それなのに、目の前にいるバカ野郎は、変に何かを悟ったような物言いを続ける。
「嘘っぱちだって分かっててもよ……信じてないと、どうにかなっちまう」
もう我慢できなかった。
「いいのかよ、滝川!」
田代は怒鳴った。
「てめえ、それでいいのかよ! そんな、くそったれ女に焚きつけられたこと信じて、そんな女のためにパンクしそうになって……! そんなんで……!」
しかし、滝川は−−「臆病者」のはずの滝川は、怯んだりすることもなく、田代に笑いかけた。紙一重で笑顔に見える泣き顔だった。
「辛かったり苦しかったりする分、あの人のためになっている……なんてな」
田代は何も言えなかった。
滝川は士魂のハッチに手をかけた。彼の目の前では、コクピットのハッチが開きっ放しになっている。
人型戦車「士魂」。それは、戦車兵にとっての武器であり、鎧であり−−戦う宿命そのものであり、戦場へと導く地獄の使いだ。
コクピットのコンソールは灯が入ったままで−−闇に蠢いている化け物の群れを思わせた。
滝川は、入り口の前で屈み、そのままコクピットの中に入ろうとして止まった。
「速水って、すげえよな……あいつ、相棒の芝村を守るために戦ってるんだぜ?」
そう言うと、今度こそ彼は士魂の中に入って行った。
田代は止めない。止められなかった。
ハッチが閉じる。士魂は滝川陽平を飲み込んだ。
(速水って、すげえよな……あいつ、相棒の芝村を守るために戦ってるんだぜ?)
滝川が残した台詞が、田代の中に響いていた。
重かった。
誰にでも優しい速水は、相棒の芝村舞のことが一番好きなのだ。
そのことは、田代もよく知っていた。
二番機のすぐとなりには、三番機が立っている。コクピット側。速水が、舞と一緒に機体の調整をしている場所。
田代はその前に立って、装甲に手を伸ばした。胸部と同じ、つめたくてざらついている。でも、こっちの方は、時々速水が手を触れていたり、寄りかかってい
たりしてるかもしれない所だ。
あの二人は、いつも一緒にいる。芝村のお姫様に振り回されている、というだけではない。
二人で訓練や、士魂の調整をやっている時に、彼らは時折微笑みを交わす。そんな時の、速水が舞に向ける笑顔は、いつも周囲に向けるものとは全然違う。舞
は舞で、顔を真っ赤にして少し怒ったような表情になって、そうして恥ずかしさと嬉しさの混じった笑顔を返す。
別に、何かを求めていたわけじゃないけども−−。
(あんな顔で、おれ見るなんてこと、ねぇだろうなぁ……)
悲しくて、寂しかった。
でも本当に辛いのは、きっと−−。
田代の目の前に、無言で立っている三番機。万全で、完全で、すぐにでも出撃できる状態。
完成された巨体が、無言でこう語っている−−お前はいらない、と。
(……冗談じゃねえ!)
彼女は三番機の胸部に回った。自分の名前が書いてある工具箱を持ち出して、メンテナンス用ハッチを開く。
回路も人工筋肉の調子も万全だと、ひと目で分かった。
それでも田代は、作業の粗を探した。もし、士魂の調整が本当に完璧だったら、仕様パラメータの数値は一〇〇〇を超えるはずだ。
それに届いていないということは、まだ−−まだ改良の余地があるという事だ。
(届かせてやらあ、四桁によ!)
−−こんなことしたって、何にもならない。
そんなことは分かっている。
ここまで仕上がっている整備状態からは、がんばってみたところで−−それこそ明日の朝まで整備したところで、仕様の向上はあまり期待できない。
機体の性能がアップしたって、速水厚志が自分に振り向くことはない。
同じ時間をかければ、自分なんかよりも狩谷や茜の方が遥かに作業効率がいい。
けれど。
(やめたら、速水とのつながりがなくなっちまう!)
それは嫌だった。
本当に辛いのは、それだった。
−−今日の昼休み、新井木優美がこんなことを話していた。
(速水くんと舞ちゃん、恋人になったんだって)
それを聞いた時、自分でも信じられないくらい、胸が苦しくなった。心臓の鼓動が変に体の中に重く響き、呼吸が辛くなった。
そうしたら、突然何もかもが馬鹿馬鹿しくなって、午後の授業をサボッて、外に飛び出したけれども−−町の中をあてもなくうろついて、結局夜遅くなってか
らハンガーに戻って来た。−−
自分と速水をつなぐもの。それは三番機だけだった。田代香織という人間を必ずしも必要としない、士魂号三番機だけだった。
滝川のように、そのつながりが自分だけの嘘っぱちだったとしても、それだけはなくしたくない。
二番機の中からは、滝川の絶叫が漏れている。嘘を信じて、嘘だと分かっていてもそれにすがって血を流している奴がいる。
(おれの分も叫んどいてくれ……!)
田代は思った。
おれの分も……。
午前1時を少し回ろうとしていた。
士魂三番機の仕様は、一〇〇〇にはまだ届かない。
整備する箇所を変えようとして、田代が一階に下りると、
(あれ……?)
原素子がまだいた。腕組みをして、うつむき、椅子に座ったまま少し船を漕いでいる。
「おい、原さん。副司令さんよ」
田代が肩を揺すると、下を向いていた顔が起き上がって、横に振られた。
気のせいか、目元が少し腫れているように見えた。
(……泣いていたのか?)
思わず見直そうとしたら、原は両手で顔を覆った。そのまま顔をこすり、眠気を覚まそうとする。
「……こんな時間まで仕事してたの? 明日からはこの調子でお願いね」
「原さんよぉ……。滝川の好きなヤツ、って、誰だか知ってるか?」
「……さぁ。わたしには見当もつかないわ」
「……そうか」
「ねぇ、田代さん」
「何だよ?」
「……守られなくてもいいくらいに強い女の子って、いると思う?」
「……それこそおれには見当もつかねえよ」
田代は士魂の足元に向かって歩き始めた。
それまで、原はずっと顔を隠したままだった。
翌日。
三番機の足のメンテナンス・ハッチの中に手を突っ込んで、田代は格闘していた。
狩谷も茜も、どうやら腕力にはいまいち欠けるらしく、ネジやらボルトやらの締めが甘いところをいくつか発見した。
きっちり締めつけたところで、仕様の飛躍的向上にはならないが−−やっておかないよりはやっておいた方がいい。
例によって午前の授業はサボって、朝からずっとこの作業を続けていたら、昼休みを知らせるチャイムが聞こえて来た。
「……げ、早ぇ」
同時に、田代のお腹が、ぐぅ、と鳴った。
昨夜は結局徹夜して、やたら腹が減ったので、昼飯分の弁当は朝にはもう平らげてしまった。
(しゃあねぇ、買い出しに出るか)
自分の工具箱を閉めて、軍手を外すと、
「田代さん」
と呼びかけられた。
見ると、速水厚志がにこにこしながら田代のすぐ後ろに立っていた。
田代は一瞬絶句して、顔をひきつらせた。
「……あ、ごめん。おどかしちゃった?」
「……ったりめえだよ。で、何か用か?」
「うん……僕、今日自分で作った弁当、いらなくなっちゃったから……」
はい、と小さなバスケットに詰められたサンドイッチが田代に差し出された。
ハンガーの入り口には、芝村舞が両手を腰にあててこちらの方を見ている。
「……今日もお姫様と一緒に味のれんか」
「まあね……いつも整備してくれて、ありがとう」
田代がバスケットを受け取ると、速水は舞の方に向かって走っていった。そしてそのまま並んで、歩いて行く。
ハンガーの天幕の陰に隠れるまで、田代は二人を−−速水を見送った。
間近で速水の笑顔を見た。とても可愛かった。けど、今舞に向けられている笑顔は、もっと輝いているのだろう。
(……八方美人が)
田代はバスケットの中から取り出した野菜サンドを口にした。
八方美人の作った野菜サンドは−−癪な事に−−美味しかった。
(了)