表情描写

 濃淡のある一面の緑の中、細かい白のかけらが散りばめられている。
 背景となっている緑は「森」、散りばめられた白は「雪」のはず。だが、煮詰まりかけた私の脳ミソには、緑は近所の公園の淀んだ池が思い出され、白はぶち まけられたホワイトチョコの屑に見える。
 それは、まぁいい。問題は−−
 私はマウスを動かして、モニターの中の窓を切り替える。輪郭のぼやけた、年の頃は十二から十三といった、白で描かれた少女の姿が現れる。本来であれば 「森に住む雪の精」というイメージだったのだが、幻想の中に酔う余裕など最早ない。今の私に言わせれば、さしづめ綿で作った人形さんだ。
 綿人形の「彼女」は何も着ていない。けれども所詮は綿人形だから、エロさは低め。髪は、肩の首の辺りまで伸びているのが、イチョウかはたまた扇のように 広がっている。「少女」だから胸胴お尻のラインは比較的平坦。
 この「彼女」が、池とホワイトチョコ屑を背景として、フレームの右の方に立つ−−それでこの絵は完成する。具体的に言えば、フレーム右端に立ち、体の左 五分の二程度を外に切らせ、顔と目線をフレーム中央方向に少し向けながら、右腕をフレーム内側方面に、斜め下に向けて伸ばすのだ。
 締め切りは迫って来ている。「彼女」のポーズをかっちり決めないと、「描き」に入れない。−−いや、全体的なポーズはこの通りもう決まっているんだけ ど。
(−−変な事思いつかなきゃ良かった)
 改めてそう思うけれど、溜め息をつく時間もない。
 人物を描くにあたって、一番大切なのは顔の表情だろう。細めた眼と、微笑みを浮かべてわずかに開かれた唇。自分で言うのも何だけど、けっこういい感じに 仕上がっていると思う。全身のラインもそれほど崩れていないので、まぁまぁ悪くはない。伸ばされている右腕も、太過ぎず細過ぎず、未成熟な感じが出ている と思う。
 そして、斜め下に伸ばされた腕の先の、手首にあたる部分だけが空白のままだった。
 机の上のキーボードの周りには、右手を素描したノートの切れ端が散らばっている。それらには、考えつく限りの手と指の形が描かれてある。何かを掴んでい るような、あるいは人差し指で何かに触れているような繊細な形から、グーチョキパーやサミングアップ、さらにはお下品な中指立てやら、もっとお下品な親指 を人差し指と中指で挟んで握りこむ「アレ」の形まで。
 つまらない、ことなのかも知れない。けれど、「彼女」の手首から先をどうすべきかが分からず、わたしはずっと悩んでいた。

 本当なら、「適当に繊細」な形に指を広げさせて、それで終わりだったのだ。手を伸ばした先にある、固さも形もないあえかなものを、指と掌全体でそっと包 み込もうとしている−−そんな形にするはずだった。私自身、その形でいいと思っていたのだ。
 だが、予定のとおりに「彼女」を描いた後、いたずらでちょっとだけ指の形を変えてみたら−−微妙に曲がった指を全部真っ直ぐにのばしてみたら、それだけ で印象が変わったように思えた。
 微笑んでいる表情と、のばされた指先と。印象としては確かにちぐはぐな感じがしたけれど、そのちぐはぐさ加減が不思議に新鮮だった。
 次に、微かに曲げた人差し指だけを出して、それ以外の四本の指を軽く握りこませてみたら何となく偉そうな−−邪気なく何かを見下している、というこれま た不思議な雰囲気が出て来た。デジャ・ビュじみたものを感じ、斜め下に向けられた人差し指と「彼女」の表情を見比べていたら、何かの仏像がこんな指の形を していたことを思い出した。そうでなくとも、何かを指差すなんて態度がでかいという気もする。
 仏像で思いついて、そこから小指を立ててみた。指全部のばした時以上に意味不明。が、お釈迦様だか観音様っぽいので、エセな宗教っぽさが出て来た。
 手を開いて、指をのばしてやる。ジャンケンで言うパーの形。掌をこちら側に向けてみると、何かを受け止めようとしているのか、それともたった今受け止め たのか。
 パーに開いた手の掌を下に。「彼女」は何かを押し止めている。微笑みながら抑えている。
 手の甲をこちら側にすると、「彼女」は背後からやって来る何かをやはり押し止めているかのような−−いや、その前にのばした腕の肘の向きと角度が不自然 になるのだが。
 面白くなってきて、色々指の形や手の形を変えてみた。その度に印象が全然変わる。そしてその度に、「彼女」の微笑みもまた意味合いが変わる。その度に 「彼女」を背景の前に立たせると、淀んだ池やホワイトチョコも同じように毎回違っていった。
 微笑みは、慈愛から憐れみ、悲哀、嘲笑にすら変わっていき、背景は、「彼女」の心象から人ならざるものの住む異界、人の手の届かない楽園になりもすれ ば、害意や悪意の根源にさえ見えて来る。
 構図の中心にあるからなのかも知れない−−が、それこそ「指先ひとつ」で絵は変わる。
 胸が高鳴る。もやもやとした、つかみ所のない、それこそ最初に「彼女」が触れようとしていたものの如き「何か」が、私の中に湧き起こる。
(来た−−)
 直感や霊感、天啓、電波、神とか妖精さんとか色々な言い方があるけれど、それが来たと感じた。それは同時に、「これはいいモノになる」という確かな予感 だ。心の感度がおそろしく敏感になり、一点に集中していく。
 無論、本当に予感通りのモノになるかどうかは私自身にかかっているわけだが。

 そんな状態になってから、どれくらい時間が過ぎたのか−−時計を見ようかと思ったが、文字盤を見た瞬間に、自分の「臨界」が消えてしまうような気がして 思いとどまる。さして眠くもないし、まだふんばれる程度には余力がある。
 もっとも、気力体力集中力、いずれも無限というわけではない。早い所「決めて」しまわなければ、「臨界」が消えてしまう。
 私は、微笑む「彼女」を見つめた。にらみつけた、と言ってもいい。
 喜び、憐れみ、時には見下し嘲笑する−−もはや「彼女」は、私にとって「森の中に住む雪の妖精」というだけではなくなっていた。綿人形の分際で、白い姿 の奥に、確かに何かを秘めている。私はそれに気付いてしまった。気付いた以上、引き出さなければ−−最低限、引き出そうとさえしなければ作り手を名乗る資 格はない。
 同時に、秘められた「何か」は、私の今の「臨界」のようにとても微妙で、迂闊に触れれば弾けて消えるような代物だ。見えてないから強く見える、とも言え る。
 それを表現するには、どうしたらいいか−−私がもっと才能豊かな絵描きであれば、構図や色、線、画材や塗り方に至るまで全てを計算し、ゼロから描き直す のが一番手っ取り早いのだろう。
 が、私は生憎、今の私の才能しか持ち合わせてはいない。
 だから例えば、「彼女」の立ち位置を変えたり、右手を斜め下に向けてのばしているポーズを変えたり、なんてことはできない。そんなことをすれば、今の私 の「臨界」と一緒に「彼女」の秘めた何かもまた、消えてしまうことだろう。
 顔の表情を変えてしまうなんていうのは論外だ。白と灰のグラデーションで形作られた微笑みは、これだけで完成していると思う。ここから少しでも口を閉じ れば寡黙になり過ぎ、開けば饒舌になりすぎる。眼も同じで、少しでも閉じ過ぎれば穏健に過ぎるし、開いてしまえばあまりに外向的過ぎる。「彼女」がそん な、分かりやすい性格であるはずがない−−そう私は信じている。
 が、「彼女」の心は手に表れる。それは、顔に現れる表情のように分かりやすいものではないが、そこには確かに、隠された「彼女」の心情が表れるのだ。フ レーム中央にのばされた右手こそが、この絵の真の主役なのだ。
 では、主役にふさわしい表情は何だろう−−それを求めて、私は自分の指と手を動かし、何か「らしい」形を片っ端からスケッチしていった。何かのきっかけ が掴めるのではないかと思って、「手の表情」として分かりやすいものも描いてみたが−−
 例えば、拳に親指を立ててみた。侠気ばかりが先走った。
 拳に中指を立てて見た。何に喧嘩を売るつもり? 何より下品だ。
 拳に小指を立ててみた。「指きりげんまん」から、見えない何者かとの「約束」が想起されるが、形状的にバランスが悪かった。それに、「指を詰めて下さ い」なんていう雑音じみたイメージも浮かんで来た。
 拳に立てた親指を下に−−論外。殺伐とし過ぎていた。
 親指を握りこんで、人差し指と中指の間から−−問題外。中学生じゃないんだから。
 指を揃えて伸ばしつつちょっと曲げ、掌をこちらに向けて−−テレビ番組の司会か何か? 「本日のゲストはこの方です、どうぞ」みたいな。
 −−結果。全部没。
(やみくもに霊感、直感を求めてもダメってことか)
 まぁ、もともと「彼女」は「雪の精」だから、そういう人間らしいものは捨てているんだろうし−−
 捨ててる?
 つまり、最初は持っていた、と言うことか?
 わたしはモニターの中の彼女を凝視した。
 白く浮かび上がる少女。人ならざる存在。そういった妖怪オバケの類でいちばん身近(?)な存在は、幽霊亡霊だろう。そういった、以前は人だったのが、死 んで妖精なり何なりになる、という話もよくある。
 つまり、「彼女」はかつては人だった……そして人ではなくなっていく? 死んで幽霊なり何なりになって、人である必要がなくなったから? 
 「何か」が、来た。
 「彼女」の微笑みは、失われていく己が「人間らしさ」に向けてのものなのだろうか? 目減りしていく自分の「人間らしさ」に微笑む「彼女」は、何を思う −−
 目減り−−思わず思い出すのは砂時計−−砂−−儚さのイメージ−−儚さとは人の宿命。
 私は自分の右手を見た。その手の中に、一掴みの砂をイメージ。砂を載せた掌を、傾けていく。見えない砂が、指や掌に乾いた感触を残しながら、さらさらと こぼれていく。砂は、失われていく「人間らしさ」−−それを見ながら、私は微笑んでみた。
 −−これだ。
 砂をこぼす手の形を、目に焼きつけ、形の感触を手そのものに覚え込ませる。手早くスケッチし、さらにその形をモニターの中に描いていく。
 モニターの中、「彼女」の右手が形を作る。かつて人であったろう少女は、失われていく自分の中の「人間」に微笑んでいた。その微笑みの奥に何があるのか は、恐らく誰にも語ることはできまい。語ろうとしても、語るそばから嘘になる−−きっとそれはそういうものだ。
 けど−−そんな、言葉にできそうにない「彼女」の魂を、わたしは描いた。間違いなく、私は「彼女」の中に込めた−−

 モニターの前でニヤついていると、電話が鳴った。やかましくて無粋なコールが私を現実へと引き戻し、同時に降りていた「臨界」状態を跡形もなく消し去っ た。
「あ、もしもし」
「どうも、先生−−いまからイラストを受け取りにうかがいたいのですが」
「どうぞ。今できたところです」
 私の担当の編集さんが来てくれたのは、プリンタから絵の出力が終わった直後の事だった。
 出力したばかりの絵を見て、編集さんは頷き、「どうもお疲れさまです」と頭を下げた。
 私は訊ねてみた。
「どうです?」
「え? ああ、いいですね。幻想的で、こちらが注文した通りの出来ですよ」
 誉められると、単純に嬉しい。達成感や充実感が、さらに快いものになる。
 私はさらに訊ねてみた。
「で、手の形、どうでしょう?」
「手? あぁ−−あー、いいんじゃないですか、こんなもんで?」
 編集さんが、言葉を選んだのが良く分かった。
 さらに詳しく言うのなら、何てコメントしていいか分からず、とりあえず適当に答えてお茶を濁そう、という意図が手に取るように分かった。
 達成感と充実感が、一気に空しいものになった。

 編集さんが家を出て行った後、私も出かけた。
 ファーストフードで食事を済ませ、パチンコとゲームセンターを数件はしごして、自分の状態を完全に日常生活のレベルに戻してから家に帰った。
 自分のPCの電源を入れて、画面に「彼女」を呼び出した。
 「森の中に住む雪の精」は、綿人形でしかなかった。白の輪郭と陰影が、人の形を取っているだけに過ぎない。斜め下に伸ばした手は、当初のイメージとは形 こそ違うけれど、目的通りに「適当に繊細」な形をしていた。手の中の砂をこぼしている、という形にも見える。でも、それだけだった。
 「彼女」を背景の中に立たせてみた。緑色の陰影、濃淡の中に立つ白い「彼女」は、映えていた。絵の中心に向けて手を伸ばす「彼女」のポーズは、確かに意 味ありげではあったけど、やはりそれだけだった。
 手の形は、「適当に繊細」。それなりの味わいがあると思う。けど、その奥に吹き込まれているはずのものを見抜いてもらえることなんて−−いや、その奥に 「何かがあるのか」なんて、思ってもらえることなんてあるのだろうか−−?
(苦労−−したんだけどなあ)
 手の形のスケッチは、散らかったまま。「臨界」が終わった状態から見れば、それは徒労でしかないように思われた。
 私は、自分の右手を見た。掌の上に砂をイメージして、傾けた。
 見えない砂が、さらさらと私の手からこぼれていく。
 知らず、私はひっそりと微笑んで−−
 微笑んでいるのに気付いた瞬間、鏡に自分の顔を映してみた。空虚感を漂わせた顔だった。
 今まで私が描けなかった−−いや、描こうとさえ思わなかった表情だ。
 胸が高鳴った。鏡を見つめたままで、手元に鉛筆とスケッチブックを引き寄せた。
(この表情は、使える−−)
 空虚な微笑を顔に張り付かせて、降りかけてきた「臨界」が表情に表れないように気を使いながら、私は自分の顔のスケッチを始めた。

(了)

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