平成二十四年(2012年) 壬辰 (みずのえ・たつ)の御時世

平成辛卯(2011年)の検証。
平成辛卯(2011)の幕開けは中東のジャスミン革命であり、後半早々、EU圏金融危機で先進諸国の脆弱ぶりが炙り出され、米国など幾つかの国債格下げの動きとなる。
そして、反ウォール街デモに端を発した格差是正の波が世界を洗い直す動きで、平成辛卯の年は幕を下ろそうとしている。
まさに、大揺れの年であった。大揺れの原因は、言わずもがなである。前世代の仕組み芯棒が外された事。だから、風が吹いても土台が揺れる。これを、自然変遷と云うのだろう。
それにしても、瞬く間もなく集団行動となった人の動きは凄かった。辛卯は支配層の力が、自然(天)に削ぎ落とされる過程であったからだろう。求心力が弱まれば、遠心力が自然発生する哲理通りであった。
この国の東日本大震災を筆頭に、世界の彼方此方で天災が相次いだ年でもあった。“干支”は天災に触れていない。天災は発生するのが当たり前で、自然変遷を左右するものでは無いからだろう。
が、この国、マスメディアの煽りからか、焦点を被災地東北一点に絞った2011年の御時世であった。円高もそうであった。
無情のように思われるかも知れぬが、自然法則に照らすと、これらの現象は一過性である。従って、拘泥は大勢観を誤らせる。
世界中が激動した“辛卯”の年は、バトンを“壬辰”で顕わさる2012年に渡す。平成壬辰とは、どのような御時世か?

漢字 “壬辰” の解釈 〜 一字で顕す妙を探る

‘壬’の原義
「十干の九番目に 壬 の漢字を用いている。あまり縁起のいい字ではない。壬に人の字を付けると、佞人 奸人と同意義の壬人になる。信頼が置けない人、どう見ても壬の漢字は胡散臭い意味になり十干の中では、へつらう悪賢い人間が中枢に立つ事が多いと解釈されている。

これを真っ向から否定しているのが’漢字語源’だ。詳細は省くが、「説文は立派な書なれど、十干十二支の解説は偏り過ぎ、特に 壬 の字の解説は小児の類・・・」としている。
後世の人が、分かり易いようにと伝えている間にこうなったのだろう。先人は漢字 言葉をとても大切に扱う。我々の都合でこれを換えると先人の心を踏みにじることになり、意味合いが別のものになろう。私は’漢字語源’を尊重する。」
上記は十年前に、『干支歳時記』で“壬午”の解釈を述べた一節。云うまでもなく漢字の原義は変わらない。
従って重複するが、‘壬’の冒頭部をそのまま用いて原義の解釈を進める。(2002年平成壬午のペーパーを参考されたし)
漢字語源辞典=藤堂明保著=は、‘壬’と同義の漢字に 入 内 妊 男 を並べている。基本義は「中に入れこむ」である。
少々長くなるが古人の意を汲み取るために、‘壬’の解義を漢字語源辞典から写し書きする。

《‘壬’は、織機の中の糸巻き心棒を描いた I 型の字が原形で、この中央に糸が巻かれやや膨れた姿になった象形文字。
織機の中に収め入れられた、糸が巻き付けられ膨らんだ糸巻きを表す漢字。そこから、母親が赤ちゃんをお腹に入れこむのを 妊 と云い、荷物や仕事を両手一杯に入れこんで抱き込むのを 任 と云う。》

そして説文として、「壬とは大なり」として、中にたっぷり入れこんで膨れる意を表す漢字としている。
故に‘壬’は、大きくなって膨らんだ状態を示す漢字と解釈する。

先人は干の九番目に、この‘壬’の漢字で当てた。先人の意図を推測してみよう。
先人は十干を樹木の生長に擬して、甲から始まり癸で終わらせている。期間は十年が一単位だ。従って、十年間は連続性の動きになる。この十年間は情況がガラリと一変する事は無い。
‘壬’は十干の九番目、即ち十年の生命体が寿命を全うする前年だ。前の過程、’辛’に現れた激しい御時世を受け継いだこの年に、どの様な現象が起きるかを‘壬’の一字で先人は示唆している。

「壬とは大なり」は樹木が大きくなった状態である。
前年の‘辛’で荒技を使い、天意(自然)の使命を果たす為に障害を払い落とし、‘甲’から始まった生命体が完成する姿だ。
‘壬’の一年は、この働き 即ち仕上げの動きに尽きるだろう。

織機は布を作り出す器具。布を作りだす糸を巻きつけ、膨らんだ糸巻きを織機の中に入れこむ。‘壬’は、その膨らんだ糸巻き 即ち布を作り出す母。
新しい布を生命体とすれば、‘甲’から九年の歳月をかけ、使命である次の生命体を産み出す態勢を整える意だろう。
例えとするには申し訳ないが、鮭が長年の回遊を終え産卵の為に膨らんだ腹で川を遡る動きである。そして産卵を終え寿命を全うする姿が浮かんでくる。

この情景を先人は‘壬’の一字で現したと推測する。‘甲’からの十年の働きが使命達成と、この漢字を当て宣言している。
膨らんだ糸巻きで示唆したのは、大きい意味を持つ年を強調したものだ。
故に‘壬’の年に、後戻りは決して起きない。十年前の御時世は復活しない。同時に、前進もしない。進化は、次の“干”の役割となる。

このように、ほぼ使命は果たせたが‘辛’の年の荒療治で、“干”は大きく揺らぎ荒れた情況になっている。
これを纏めれば、大事業は仕上がる。それ故に、先人は‘壬’の一字を用いて伝え遺したのだろう。
大事業仕上げの年、それが ‘壬’ である。
‘辰’の原義
「広辞苑」 「大言海」 の二大辞典でも、‘辰’は十二支の五番目で時刻を現すとしか書いていない。今の時間では午前八時を現す。
‘辰’は漢字索引の部首であり、単独では意味を持たない多元文字なのだ。だから、安岡正篤先生は「辰は校注余多である」と述べている。
故に漢字語源辞典でも、‘辰’にまつわる説文は無い。然し部首なので‘辰’を含んだ漢字は多い。震 振 唇 娠 辱 農 などが、よく使われている漢字である。
意味は様々で、まさに多元文字だが漢字語源辞典は‘農’の説文で、「‘辰’は淡水に産する平いな二枚貝」と解義している。従って‘辰’の意は二枚貝として原義に迫る。

「漢語林」の部首解説では、「辰は貝殻を表し、農具にしていた事から‘辰’をもとにした濃耕に関する文字が多い」としている。
先に述べた‘農’の説文を続けると、「‘辰’は淡水に産する平いな二枚貝。その貝殻を手に持って土をやわらかくする道具」。
やわらかな土は平らにし易く、作物がよく育つので、古人は農具としていたのだろう。‘農’の漢字は、‘辰’の上に‘曲’を載せている。
‘曲’は脳みそを絞っている意の漢字、知恵を絞りだして収穫の効果を挙げたので‘農’になったのだろう。

「辰は校注余多である」と云われる通り、ふるえる と捉え地震などの解釈がある。然し、私見としては‘辰’の原義を、道具に用いた二枚貝の貝殻とする。
先人は十二支の第五位に何故、ややこしい‘辰’の漢字を当てたのだろうか?その意図を推測する。
今の十二支は、2008年の‘子’から始まっている。“干”と同様に“支”も寿命を終えるまでは、連続した動きをする。
‘辰’はその五番目、樹木の枝に例えたら日毎伸びるのが分かるほど、すくすくと自然に生長する時だ。最も元気な時、後世の人が午前八時としたのも肯ける。
謂わば、自然の働きで“支”が伸びる過程。その強い動きに人々は振り回され、唯々諾々と御時世に従う時と思えば良いだろう。

表現を変えれば自然の勢いが、人々の感覚を麻痺させて主体性を見失う。
この状態は、パニック 付和雷同 流言飛語の温床で、世の中、同一行動の傾向が強まる。
自然の働きが強まれば人は思考能力を無くし、最善策として時の流れに身を任すだけだ。

“干支”には ‘戊’ ‘戌’ ‘辛’ ‘癸’など道具を表す漢字が比較的多いが、全て武器の形を表した漢字である。
‘辰’も道具を表す漢字だが、淡水が産する二枚貝の貝殻の意である。人が作った武器でなく、自然の産物を道具にしたものだ。
強い自然の力を顕わす象徴として、‘辰’の漢字を当てたと解釈する。

‘辰’の年は自然の働きが御時世を引っ張る。これを、後世に伝える先人の強い意図を感じ取る。

「前‘卯’が開拓の始まりで、‘辰’にて開墾を進める」 「陽にて活で震動するほど、辰は震に通ず」 等々の言葉が残されているのは、過去、この展開を体験した先人が多かったのだろう。
自然の働きが人間の思考範囲を超える年なので、人々が驚きふるえる様子を表現したものと解している。

“十二支”は独立した生命体。与えられた十二年の寿命を全うするまで、体質は変わらない。時代が「陽」に向かっているなら、陽を後押しする体質で・・・逆の「陰」なら陰の後押し・・・。
この自然法則を熟知しているなら意外な出来事に、ふるえる事は無いだろう。

‘辰’の年は“十二支”の中で、人為が及ばない自然の出来事が御時世を動かす。

‘壬’と‘辰’の組み合わせ〜壬辰(じんしん)の黙示録

国家や企業が五年計画とか十年計画と、区切りを付けているのは停滞を避ける為だ。自然(天)はこの区切りを、十年にしていると先人は学び、十年の“干”に十二年の“支”を組み合わせ“干支”を編みだした。
従って、自然変遷の基盤は十年サイクルで流れていると解釈している。‘壬’は十干の九番目、サイクルが最終の仕上げをする年。

八年の歳月をかけ生長した生命体は、数多の効果を内蔵して大きく膨らみ最終仕上げに入る。この過程で形態が変わる事は無い。
と云うより、諸々の因子が一杯積み込まれ身動きが出来ない情態になっている。従って動きは緩慢になるが、十年の寿命が尽きるまで淡々と歩を進める。
要約すると、緩慢と云うか重厚な動きの‘壬’の年に、基軸変化は起きない。既に基軸変化を完成させているからだ。

但し、使命達成の因子を一纏めにしているので、十年の寿命を全うした時には一陣の風でも根っ子から倒れる。

この緩慢な動きの“干”に対して、“支”の‘辰’は正反対の「動」を現す漢字である。(詳細は先述)
基盤“干”は十年サイクルだが、基盤の上で活動する“支”は変遷過程を十二段階に分類されている。それは“支”の本質が、現象を対象にしたからだろう。一年を十二ヶ月に分けた意図と同じだ。

“干”は自然変遷であり、“支”は自然展開と理解すれば、分かり易い
その展開、前年‘卯’で解放された生命力が、‘辰’の過程で自然の力に磨かれ、更に逞しくなるのだ。

完成を直前にして、緩やかに仕上げにかかる‘壬’。
与えられた生命力が、自然の力に後押しされ大きく伸長する‘辰’。
この相反する態勢の両者が絡み合うと、御時世、どのような動きになるのか?
基盤の“干”が寿命の序盤か中盤なら、展開の“支”が如何に激しくとも、御時世の荒れは部分的で収まる。が、六十年に一度の組み合わせ “壬辰” は違う。
干支の波動は六十年。自然の振り子作用で、新しい波動は前波動の対極に向かうべく動いている。
底流の新しい世代入りを知らす “甲子” からの中間点で、山に見立てると頂点の分水嶺に到っているからだ。
その動きが分水嶺を境にして一気に高まる。それを“壬辰”の二文字で伝え遺した。

世の中の仕組みをガラリと変える事など、平時では不可能である。然し、史実では様々な手法で仕組み替えが繰り返されている。
時宜を得れば、自然発生的に為されるのだ。“干支”はこのタイミングが熟した時点が、“壬辰”であるとしている訳だ。

これらの観点から、先人が “壬辰” の二文字で示唆した御時世は、従来の社会仕組みを変える端緒が切られる年になると想像する。

六十年サイクルの干支は“甲子”以降、十年毎に旧を捨て新を組込む段階を踏んできた。
二度目の十年(干)までは、仕組みを変える動きが水面下(底流)で為されている。従って水面上は時折一部の水が濁る程度なので、人々は仕組み変化に気付かない。
“壬辰”は三度目の十年(干)が終わる直前の年。水面下で続いていた変化が浮上し、水面上を覆いだした事で人々は仕組み変化に気付く。

この九年目に達した現在の“干”は、人々に、世代が前御時世の対極に向かっている真実を知らす使命を帯びている。

真実を知った人々は、新しい世代に一刻も早く溶け込もうと動く。この人の動きが、新しい仕組み構築の端緒になる。
“壬辰”は、一見、無鉄砲と思える野放図な行動を許す年。前世代の残滓 残影を、人間の行動で一掃するだろう。
社会仕組みを変える大事業の端緒は、この動きで切られる。

「平成壬辰」の年で、御時世は頂の分水嶺から新世代へ大きく傾く。
今、想像されだした、多元主義 第三世界などの新しい仕組みを目指して・・・。どの様な展開になるかは分からぬが、既存の思考が陳腐化するのは間違いない。

1892年“壬辰”では、第二次伊藤内閣になり、二年後の日清戦争発端の種が蒔かれた。1952年“壬辰”では、大不況の中で講和条約が発効となり、二年後自衛隊発足。以降、未曾有の繁栄に発展した。

新世代が陰にしろ陽にしろ、“壬辰”の年で以降の命運が決められている。

蛇足・駄文

気が付けば、‘辰’の原義解釈で干支の“十干・十二支”に当てられた漢字、二十二文字の解義を終えていた。
後は二十二文字を組み合わせた、六十通りの意味を咀嚼すれば干支の外郭に触れた事になる。
先人が伝え遺した干支は、“干”と“支”の共同作業で一歩先を示唆している。自然法則に則った見事な哲理であり、推理や推測ではない。
勿論、占いでもない。が、来年はどのような年か知りたくなるのが人情。それも、単純な方法で・・・。この傾向が優り、世間は干支と云えば十二支となったのだろう。相場の世界で云われている
「辰巳天井 午へたり 未辛抱 申酉騒ぐ 戌笑い 亥固まる 子は繁盛 丑つまずき 寅千里を走る 卯は跳ねる」
などは、見事に十二支を読み込んでいる。あまり当たってはいないが、江戸時代から現在まで使われている。
まことに、干支とは面白いものだ。知らぬ間に我々の心に棲みついているのだろう。然し、六十通りも述べる時間が私には無い。

せめてもの、‘癸’の2013年に枯れる2004“干”が十年間で、御時世をどの様に変えるのかを駄弁っておこう。

アメリカのイラン制圧で枯れた前の“干”(2003年)。後を継いだ04“干”も、NATOのリビア制圧を生命力最高の終盤(2011年)に起こさせ、使命達成の仕上げに入った。共に石油の囲い込みだ。
リーマンショック EU危機など、なんやかや騒いでいるが元を突き止めていくと、行動を起こさせたのは「資源枯渇」への備えであった。
潜在している人類の生存本能が、知らず知らずに大きく働きだした、04“干”と云って良いだろう。

そりゃそうだろう。人類が70億人になったのだ。所帯が大きくなると、それに見合った仕組みになるのが自然だ。それには、今迄の仕組みを一度ぶっ壊さないと、新しい知恵は湧いてこない。
04“干”の十年は、このぶっ壊す使命を天から命じられている。だから、仕上げ前の一年は熾烈だと、‘辛卯’の二文字で我々に知らせたいた。

前半は五年目の08年に、シンボル経済をリーマンショックの形で洗い直した。13年までの後半は、実物経済を資源高騰で利益一点張りを通じないようにさせ、基盤の大転換を迫るだろう。
経済の両輪を、成長から生存を図る形態へのフルチェンジだ。俄に信じられない大仕事を、自然は十年の歳月で為し遂げようとしている。
先人が伝え遺す“壬辰”の二字は仕上がるの意だから、2013年‘癸’の年には、既存仕組みの大掃除は達成されているだろう。
ケインズが「長期的には我々は皆、死んでいる」と、面白い言葉を残している。現在、生きている人が五十年先 百年先を見る事など出来ない。実に率直な見解だ。
次いで「長期に視野を置き解決策を考えるのは、短期的課題を犠牲にする事だ。従って現下の解決が最善の策である。」と締め括っている。
欧州人のケインズは干支を知っていたのだろうか。この思想、干支の真髄を貫いていると想えるからだ。

干支は六十年の変遷を自然哲理に基づき、一年毎に分類してその過程を伝え遺している。だから、現下の問題点を浮き彫りにして解決に励む事が出来る。
この作業を継続していけば、長期的に大きく変貌する社会構造への対応が自然に出来る。
だが、往々にして為政者 識者等々の支配層は、現状を基準にした長期策を練り上げる。仮に現状が破綻への道に入っていたとしたら、長期策は破綻を長じる策になる訳だ。
然し、口から出てくる言葉は改革 改革である。我々は云われなくとも生計をたてる為に、「日々新たなり」の心構えで生きている。毎日が改革なのだ。

さて、この国を左右させているメディアと云う雲上人に、もの申す。

諸氏の常套手段だが、当たり前の改革を大上段に構え、福島原発事故以降、新エネルギー改革を喧伝しているのは正義と思われているのか!。
諸氏が唱える 太陽光発電 風力発電 地熱発電 等々は、随分と前から研鑚されているが、今や、世界では “空想エネルギー論” の称号で奉られている。この論が蔓延すればするほど、莫大な資金が浪費と化すのだ。
更に、これからはエネルギーの地産地消時代と云われる。これを言い替えれば、自給自足となるのでは・・・
この十年、世界の動きは、新エネルギー開発に没頭すれば既存の資源高騰で経済破綻を招く。従って最善の策は、いつ出来るか分からぬ新エネルギーより、今の資源を獲保する事に重点を置いているのをご存知か!

そこで、やたらと改革を振り翳す現在の雲上人に、干支を説いて参りたい。
諸氏の愛用する「改革」とは、極めて長い時間が必要と云う哲理がある。干支には、この哲理が随所に埋められているので、ご笑覧あれ!どうやら、駄弁りすぎたようだ。 
  頓首

平成辛卯(2011年) 霜月。   越玄 記。  


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