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跋扈する覇権主義
ファシズム思慕の静かな浸透
「王道はだだっ広くて凸凹があちこちに見える。それに較べると小径(こみち)は狭いが綺麗で近道のように見えるのか、小径を好む人が多い。」この老子の言葉は皮肉に溢れている。
人間の性(さが)、欲望が産み出す諸々の行為は、良い結果悪い結末と決めつけられない千変万化の事象をもたらす。だから短絡的な評価ほど愚かな事は無い。
人はその時々に好ましいと感じた行為を採るものだが、人間の性(さが)は不思議にも小径を撰ぶようになっている。恐らく、王道に横たわっている障害で苦労するより、細いが景色の良い小径のほうに惹かれるのだろう。
亦、もうひとつの人間の性(さが)競争心がより早くより多くを求めるのか、危険が一杯の小径を好む。こうして小径は、広い王道よりも何故か人を集める。
小径の涯には絶望が待ち受けているのが分かっていても、好む人が多い。世の中とはこのようなもの、人間の性(さが)とはこのようなもの・・・。老子は自然哲学で述べている。
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好んで悲惨な戦争に邁進する人間は居ない。摩擦を避ける努力、安穏を求める働きを人類は常に目指して歩んでいる。然し、史実では節目節目には戦を勃発させている。
第二次世界大戦後に戦勝国となった中国は、覇権主義こそ戦争の最大因と声を荒立て米国に楯突いた。五千年の中国史から学んだ貴重な提言であった。
その中国から覇権の声が聞こえてこなくなった。代わりに経済成長を高らかに鼓舞するメッセージが世界に木霊するようになった。
世界は今、グローバルスタンダードの呼び声と経済競争に包まれている。それぞれの経済共栄圏を目指す流れはEU圏発足後加速し、自由競争 市場原理主義のスローガンは神格化した。
大変結構な御時世に我々は恵まれた。此処に到達する迄には、大戦後の新時代を創造する困難な過程を体験している。歳月というか人間の感覚というか時の流れは創造時の苦しみを忘れさす。自然の法則のひとつだと想う。
創造に奇計は通じない。凸凹だらけの過程を丹念に進むしかない。老子の言う「大道は夷なり」の王道を選択したからこそ、新時代は花を咲かせた。
そして今、豊かさを満喫している今、人々は小径を選択する誘惑に引きずり込まれた。より多く、より豊かに、より快楽を・・・求める自然の生業が、小径に目を向けさせたのだろう。
御時世の移り変わりが劇的に分かるのは、戦争などの暴乱が勃発したときぐらいではなかろうか。トンネルを抜けるとそこは雪国であった・・・景色のように分かり易い変化を御時世は見せてくれない。
知らず知らずに御時世は、人々を染めてゆく。性善説ではないが、最初から悪事を企み行動をしている人は先ず居ない。置かれた環境下で人々は最善を尽くし、その行動は正しいものと信じ切る。御時世が人々の感覚を、時代色に染め上げていくからだろう。
御時世の坩堝から距離を置いた ぶきよう録 では、時代色がよく見える。今の金科玉条「構造改革」の基に流れている時代の色は、覇権という色のようだ。
この覇権色に塗られだした世の中は、これから色合いを濃くしていく可能性が高い。人々の要望で、事実と認定されてしまった覇権行為は終着駅まで行かざるを得ない。
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昨年か?亡くなった団伊久磨氏が、「人間社会には多少の違いはあるがファッショを許容する風潮がある。然し、ここ数年、この国は第二次大戦前を遙かに凌ぐファッショで覆われているように感じる。非常に危険なことだが、もっと怖いのは殆どの人がこれに気付いていないことだ。」と語っていた。
ファッショと言えばイタリーのファッシストを想起するが、原義は棒の束、団結でありひとつに纏まることを指す。社会構成では村 市 国の区分、民族 宗教と生い立ちで団結するのもそれになるが、ファッショの意は異常に強い団結として受け取られている。
卑近な例を挙げると、チェーン店 系列企業なども一種のファッショ現象だろう。同一目的に向かって異様な団結をする行為、大きい効果を発揮する為の強い団結をファッシズムと呼べる。
大企業からラーメンや喫茶のチェーン店まで、ボランティア 親睦団体など列挙しきれないほど、塊を好む世の中になっている。団伊久磨氏が憂慮したのは、塊が追放する 個 なのだろう。個意識の薄れは団結の暴力を招き易くする。
行き過ぎたファッショの怖さ、自己制御が出来ない塊の恐ろしさは言葉を改める必要は無い。そのファッショが猛威を振るっている。
それよりも背筋に悪寒が走るのは、この薄れ行く 個 の評価だ。世に識者と呼ばれる人々 指導する立場に居る人達 陽の当たる側の諸氏が、今こそ 個 の時代とテレビのライトを浴びながら異口同音に喋っていること。
彼等は安定というファッショの砦の中に身を隠していて 個 を叫ぶ。国民の多くも然り顔で頷き、これからは趣味に生きよう・・己を磨こう・・人間関係を新構築しようとする。
安全圏を確保しようとする自覚無きファッショへの思慕に他ならはい。新時代の生き方は、知らず知らずにファッシズムへの傾斜となっていくだろう。
先人は生きるために 惣(集団) を作り、団結を強めるために掟を設定した。人生の快楽を追うためにグループ化を計り、個を享楽するためにバリケードを構え他を排する昨今とは、天地の違いがある。
経済用語でいうゼロサム時代、限られたパイの中での奪い合いを強化するファッショ行為。これの増殖は必ず浸食の激化を招く。
美辞麗句で飾り立てられているが、構造改革 リストラ グローバル化 市場原理 などは浸食行為そのものではないか。相手を制圧する・・・覇権行為そのものではないか。
既に相当進行しているが、本番はこれからだろう。今までは多少、礼をふまえて一定線を越えなかったが自制心は完全に崩れ去った。これからは美辞麗句の形容詞を取っ払い、覇権行為の本質を明るみに露呈してくるだろう。覇権主義が大っぴらに闊歩を始める。
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正しい選択と賞賛されている数々の事象の中から二つ三つ採り上げ、後日どのような評価に変わるのか想像してみよう。
業界再編成、社会が脱皮するためには必要な展開だと思う。然し、大義名分を得たからと云って巨大企業同士の合併を安易に運びすぎているのではないか。しかも片一方で分社化の言い分で新会社を続々と設立している。
集合と離散を同時に行うなんて事は正常ではない。時代が崩壊する時に起きる人の動きであって、混沌を深める以外効果は皆無であろう。
この混沌下で生まれる動きは、落ち着きへの願望。これは必ず混乱の収拾から始まり、手段として制圧 力による制覇 即ち覇権の道へと進む。
この過程での世流は、混沌から生じる不安心理に覆われ、人々の行動も吹く風に靡く浮き草のような軽い。表面を虚構で飾り立てているが内部の支柱は完全に崩れていて、小さな力にも揺れ動く。
財閥と財閥の合体なんて滅多に起きるものではない。グループの切り売りなんて本体の恥部を曝けだすのと同じだ。これが堂々と正義の名の下で行われている。歴史は愚者の時代 偽善の時代 誤った個の時代 目先欲に眩んだ時代 と銘打つだろう。
世流が流れ出すと水路が無くなる処まで行ってしまう。周辺が見えなくなった視野狭窄みたいなもの。収益が全てと標的を定めれば、全ての行動はこれに収斂され収益追求の徹底化が図られる。
こうして、無駄を省く意味を履き違えた行動のオンパレードとなった。企業価値を高めれば覇権を握ったことになるとした錯覚が、経営者の頭を冒してしまった。
健全なら不可能に近い企業統合が、計り知れない犠牲をだしながら陸続と誕生し、拍手で迎えられ御時世を染めていく。春闘の形骸化などは民主主義を根底から否定する事象・・・この恐るべき動きにも、国民が不感症となってしまった。
人材派遣業推進もその範疇に入る。それなりの理論理屈を伴った雇用体制と思われているが、本質は昔にも有った人入れ稼業、今もある外人部隊と同型である。雇用側の狡猾さに便乗した混乱期だけに通用するものだ。
城壁を高め幾層にも濠を巡らし権威を誇示する。近代の文明 株価 を高くすることはこの現象である。高株価政策と銘打ち、随分以前から採り入れられている。
この手法が最近、ドギツクなってきた。ストックオプション 自社株買い消却 誰の為の行為か?大いなる疑問を呈しても不思議では無いが、政財界が推奨し国民も納得している。
事例はこのくらいにしておく。矛盾が多すぎて採り上げていると際限がない。否、矛盾ではない、矛盾を矛盾と感じなくなったなのだろう。理不尽な出来事も、時代が変わったと環境の所為にしてしまう。
こうして、社会全体が個を歌い上げながら、何かにぶら下がろうとする意識に埋没するとこうなるのだろう。ファッショ 束の中に入ろうとする潜在意識が高まった御時世。ファッショへの思慕と言えないか!。
この流れは今後益々強まると想う。タップリと余裕ある人々、未だ幾ばくかのゆとりを残している人々、彼等は決して自ら行動を起こそうとはしない。現状を保てれば良い訳だ。今現在、この状態の人々が殆どであろう。
ただ、時代に乗り遅れまいと懸命に過ごしているのは確かだ。だから束の中 安全圏に身を置く努力をする。変わったことが正しいと信じるようになる。
無理を呑み込むのだからストレスが溜まり、吐け口が当たり障りのない場所に向けられる。大事些事を問わず他人の違反に、非常な怒りをぶっつけるのは半分が妬みなのではないか?多少の正義感もあるがー。
このような背景が、束ねる人 強い人の出現を催促し覇権者待望の声が世に満ち始める。勝ち組負け組の識別はこうして生まれてきた。
自然の掟 物事の理非などは、最早眼中にない。嘗て、資本主義体制で不可侵とされていた巨大銀行を倒産さす愚挙を成し遂げ、異業種の銀行業務進出すら平気の平左で許した。
これは、この国の民族性が他力本願 英雄待望資質 覇権行為への憧憬に有るからなのかも知れない。世界の何処の国よりも、覇権を好む民族かも知れない。間違いなく覇権主義は、これから大手を振って罷り通るだろう。
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世界のブランドメーカーは口を揃えて、日本をドル箱と言うらしい。高価な美術品の捌き先、競走馬の種馬の最終落ち着き先、これ又日本だとも聞く。
この国の覇権体質を如実に物語る寓話ではないだろうか。今、国家間では米国の世界制覇があからさまになってきた。然し、米国は国内の覇権争いにキツイ掟を設けている。国単位では覇権主義の権化であるが・・・
対してこの国は、利益覇権の為には見境がない。世界の工場とか言って中国進出が敏腕の代名詞になってしまった。これから当分の間、覇権思考がこの国の経済界に跋扈し、国内は「一将成って万骨枯る」の情況になるだろう。
群雄割拠状でこの国を支えている無数のロープが、数本のロープに集約される変化。国民の大多数の合意が、この覇権作用のスピードを速めさす。
覇権は崩壊の母である。正常な判断が為されている世の中では、覇権現象の台頭は先ず無い。自然法則では、底流に抵抗する人間の行動が覇権を求め、そして破れ、崩壊する。
覇権は表面の安穏と裏腹にジリジリと中産階級を真の困窮に追いやる。極々自然な現象。大木の周りには小さな草木しか茂らない。民衆の犠牲の上に覇権は成り立つ。
中産階級の要望が突出した権力を創り出す訳だが、権力を握る者も闘争で勝ち取った訳では無い。言うならばポリシー無き権力者、彼等に共通しているのは流れを巧みに採り入れる能吏手腕を備えている事。決して革命家ではない。
ただひたすらに、現状を守り抜く手段を講じる。結果、挙がらない効果の連続で泥沼に落ち込み、一段と自己防衛への傾斜が強まり権力の濫用となる。
覇権は覇権でも、今この国が向かっている覇権は質が劣悪である。崩壊を促進する二次的覇権とでも名付けよう。
形はどうあれ覇権は必ず庶民を圧迫する。世の中の仕組みが、目覚めた庶民の力で根本から変えらる処まで圧迫は続く。尋常でない窮迫状態にならないと、この力は湧かない。二次的覇権の圧迫は想像を絶する規模になるだろう。
ファッショは自縄自縛行為、だから人間は自由を求め自由のために戦う。然し、今の御時世はこのファッショを慕っている。寛大な時代が育んだ余食贅行は、恐ろしき心理に人々を落とし込んだようだ。御時世の荒廃はこれからだろう。
覇権主義の跋扈は、今の消費者即ち庶民から主役の座を奪い去り、覇権者の意のままに社会を操作しだすだろう。規制緩和の進捗よりも統制強化のほうが速やかな進捗になるであろう。庶民の心の荒廃は一段と進むであろう。
02/5/31 記