かつては「若様」と呼ばれた右腕も8月には 36歳。日焼けした顔にはしわが刻み始めた。 「いつか必要とされる時が来る。納得した 形で終わりたい。」。横浜の若田部健一投手は 選手生命が懸かる1年を懸命に過ごす。 ダイエー(現ソフトバンク)時代に70勝を 積み重ね、2002年オフにフリーエイジェントで 横浜に移籍。「野球を始めた故郷で野球を 終えたかった。横浜でユニホームを脱ぐ覚悟で 来た。」しかし、過去2年でわずかに1勝。 待ち受けていたのは幾多の苦難だった。 移籍1年目の2003年5月、発熱して入院。 復帰した後も微熱が夏まで続き、直球の 切れは最後まで戻らなかった。 同年オフに右ふじ手術を受け、去年は大半を リハビリに充てた。3年契約の最終年となる 今季も開幕から2軍暮らしだ。 新天地での意気込みは空転し、加齢による 衰えを痛感した。 「気持ちがなえそうになった」。 苦悩のほどは本人しか分からないが、 絶対に立ち止まれない理由がある。 2000年秋。巨人との日本シリーズ直前に 親友だった藤井将雄投手が病死した。 その告別式。「チャンスやピンチの時には、 気合を入れてください。」 若田部は涙声で弔辞を読み上げた。 「好きな野球を職業として続けられる。 自分は恵まれている」。 志半ばの31歳で病に倒れた親友への思い。 さらに、自分を信じる家族の存在が 支えだ。「おれががっくりすれば、家族を がっかりさせることになる」 「前進」。好きな言葉は新人時から変わらない。 「一歩一歩、後ずさりすることなく進みたい」。 投げ続ける。道は開けると信じて。 <05年5月11日大分合同新聞夕刊社会面より>