私は、子どもにとっても、
そして子どもを教育しようと努力する親にとっても、
「知る」ことは、「感じる」ことの
半分の重要性さえも持っていないと固く信じている。
もしも、もろもろの事実が、
将来、知識や知恵を生み出す種子であるとするならば、
情緒や感覚は、この種子を育む肥沃な土壌である。
幼年期は、この土壌を蓄えるときである
・・・美的な感覚、新しい未知なものへの感激、
思いやり、憐れみ、感嘆あるいは愛情といった感情・・・
このような情念がひとたび喚起されれば、
その対象となるものについて知識を求めるようになる筈である。
それは永続的な意義を持っている。
消化する能力がまだ備わっていない子供に、
もろもろの事実をうのみにさせるよりも、
むしろ子どもが知りたがるようになるための
道を切り開いてやることの方がはるかに大切である。
〔転載許可済み〕
『レイチェル・カーソン』第14章「空 子供の世界と夢」197〜198Pより
ポール・ブルックス著 上遠恵子訳(新潮社 1992年 2300円)