JUNKOのエクアドル留学日記(仮)
 日本をよいしょと飛び出して、海を越え未知の南米大陸へと足を踏み入れた「私」。その留学生活はかなりハードでトラブルだらけ!しかし何もかもが新鮮で、アンデスの高地を照らす太陽のように輝きに満ちたものだった。

EF インターナショナルスクール・キト校

 トロピカルな雰囲気あふれる私の学校。中庭からのショット。
真っ青な空の下、気持ちのよい風をうけながらこの中庭で授業を受けることもよくある。

foto:chopi

旧市街の独立広場に集まる人たち

 この男の子がとても可愛かったので、お母さんたちにお願いして撮らせてもらった。隣には新聞を読んでいるおじさん、その向こうには靴磨きの少年がいる。
エクアドルは混血のメスティーソが人口のほとんどを占める国、人々の顔つきも実に多様だ。

旧市街からパネシージョの丘を望む

 パネシージョとは「小っちゃなパン」の意味で、この丘がちょうどパンを置いたような形になっていることからきているらしい。丘の上にはキトを見守るマリア像がかすかに見える。
左側には物売りの露店が並ぶ。右側にあるのはおそらくラ・コンパーニャ教会。

foto:chopi

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 今日から新学期だ。私は1月2日から学校へ行ったが、本来は今日7日から、新入生と休暇中だった生徒達が集まる。学校は一気ににぎやかになる。
 他の新入生がテストを受けているあいだ、私は1コマ目のクラスをうけた。それからオリエンテーションのために階下に降りた。
ブラジルから来たアダウジザ(とても難しい名前て覚えるのが大変だ)と話して仲良くなった。私とkanako(※注1)以外では唯一彼女だけが日常的にスペイン語でコミュニケーションをとる。他の子たちは休み時間は英語で話すのだ。これはあまりいいこととは言えない。ここはエクアドルで私たちはスペイン語を勉強する生徒だ。でもまあそんなことを言っても始まらないので、私は少ない英語のボキャブラリーでいろんな生徒に話しかけて仲良くなった。

 フィンランドから来たリタはなんと50才。いろんなところに旅をしていて日本にも2回来たことがある。タフな女性で、確かエクアドルには2〜3週間いるようだ。マイアミのカースティンは36才。ナイスミドルだ。マサチューセッツ州・ボストンのクリス、彼はバルセロナでスペイン語を学んできたので少ししゃべれる。オーストリア・ウィーンナーのグレゴール、20才で188cmの男の子、スペイン語はまだ話せないが人なつっこい感じのいい子だ。ジャーマニーのガブリエラ、私がやっと名前を覚えて「ガブリエラ?」と話しかけるとにっこりして顔をくるんとこっちに向ける。フランス人のジョンセバスチャンは私の次の日から学校に来た。最初はほとんど話せなかったのに もはやかなりスペイン語が話せる。フレンチは強い。あとニューヨーク出身のコールニーはUSAの子にしてはなんだかしっかり自分を持っている感じ。物静かですてきな目をしている。そしてあと5〜6人USA出身の子達がいるらしいけど、ほとんどが短期間だ。そして英語しか話そうとしない子が多い。こういう時、母国語が英語とほど遠い国の生徒(私を含む)は大変だ。これって本当にフェアじゃないんだけど、しょうがない。
 オリエンテーションも校長のジェームスによって、全て英語で行われる。ジェームスはいかにもイギリス人という感じのおしゃれな(キザな!)男で、まだ若い。なんだかいばっているし スペイン語もペラペラなのに英語でばかり話す。ここはロンドンじゃないっつーの。Lenin(アクティビティ・コーディネーター)の英語の方がずいぶん分かりやすかった。Lenin の場合は全ての生徒に伝えようという気持ちがとても伝わる。

 オリエンテーションは半分終わって、昼食をかねたシティツアーに出発した。シティツアーはとてもすてきだった。バスが旧市街に向かうと、辺りは、これぞ南米、コロニアルというような石畳の狭い道、道ばたで物を売る人たち、所狭しと歩いているインディヘナの人たち、胸が震えるような街の風景だ。新市街の近代的な街並しかまだ知らなかった私だが、あらためてキトの魅力を知った。新市街の安全な地域で安心してスペイン語を勉強しながら、少し足をのばせば今まで全く触れたことのない世界がそこにある。もっともっとスペイン語を話せるようになっていろんな所に行ってみたい。
 パネシージョの丘(la virgen del Panecillo)にも行った。これは確かに一見の価値ありの場所だった。マリアの像に登るのに1ドル、セキュリティ代として50セント。ユネスコの世界遺産に指定されている植民地時代そのままの旧市街、そしてビルがそびえ立つ新市街と、四方をアンデスの山々に囲まれた美しいキトの街が一望に見渡せる。
ここはかつてはデンジャラスな場所として悪名高かったのだけど、今は政府によって警備されていて、丘の上は安全らしい。ただし登ってくる山道は観光客ねらいの強盗が出るのでタクシーでしか来れない。丘の上の露店でアルパカのセーターを初めて見たが、これはすごくいい。お土産にありがちなセンスのものを想像していたが、いい意味で予想を裏切られた。そのうち買おうと心に決めた。

 予想が外れたといえばイングリッシュだ。
南米は全くといっていいほど英語が通じないというのはここエクアドルのキトに関しては違うらしい。特に私が行っているEFという学校はロンドンが本校ということもあって欧米からたくさんの留学生を受けいれているし、校長もイギリス人だし、英語はかなり横行している。先生もスタッフ達も困らない程度には英語を分かってくれるし、Lenin は英語とスペイン語がペラペラだ。
そしてまた、私のファミリーも英語を理解してくれる。けれど私は、家ではできるだけスペイン語で話すことに決めている。夕食時にお母さんのマリアとはいろんなことを話すが、さすが彼女は先生だ、誘導がうまくてどんどん話せる。そして多分私も、学校でクラスをうけて帰るごとに、少しずつ言葉が自由になっている。
英語の話にもどると、ここへ来て、英語が話せる、分かるということがどんなに人を自由にするかを肌で感じる。英語が苦手だというkanakoはもっと感じているようだ。私は相手が英語で何を言っているかを大体理解して片言でコミュニケーションをとる。グレゴールともそうやって仲良くなれた。しかしネイティブが矢継ぎ早に話したり、こちらが疲れて集中力をなくしていたりするとダメだ。だからkanakoの思いも、よく分かる。スペイン語の学校なのになぜスペイン語がマイノリティーにならなくてはいけないのだろう。もっと欧米人以外の生徒がいたら違うのかもしれない。

 新学期2日目はクラス、オリエンテーション、そして学校のみんなで昼食会だった。一人ずつあいさつをした時に、私はこう言った。
「Me llamo Junko,soy de Japo'n.
y Quiero hablar espan~ol e ingle's ma's!
(私の名前は順子、日本人です。スペイン語と英語をもっと話したいと思ってます!)」
とても正直な今の気持ちだった。
よくも悪くも、私は英語とスペイン語をもっともっと、もっと話せるようになりたい!!!

 

<2002.1.7-8日記より>

パネシージョの丘、マリア像からの眺め

 キトの街を一望!碁盤の目に区切られている区域がスペイン植民地時代からの旧市街。コロニアルな建物と400年前の空気をそのままに残すこの旧市街は魅力的だが、治安は悪い。その向こう(街の北側)にはビルが立ち並ぶ新市街が広がる。
この丘からも、それからキトの街角からも、晴れていれば4000〜6000m級のアンデスの山々を望むことができる。

foto:chopi

※注1:kanako は私の通うEF(スペイン語学校)にいたもう一人の日本人の子。大阪出身、熊本の大学で航空学を勉強し、名古屋で車のデザインをして働いていたという、冒険心あふれるすてきな女の子だ。山に登るのが趣味で、この彼女の影響によって私はそれまで全く知らない世界だった登山の楽しさに魅せられることになる。また、EFのあとで私たちは南米を縦断する旅に出るのである。

たくさんの新しい出会い、南米の街並に心うばわれたり、英語で苦労したりとぎっしりと詰まった毎日を送る「私」、これからもさらにいろんなことが起こっていきます。

これを読んでもらえるみなさんにも南米、赤道直下の小さな国エクアドルの空気を感じてもらえたら、私にとってこんなにうれしいことはありません。
また私自身もこれを書くことによって南米での自分の気持ちを思い出し、
これからの日々に向けて笑顔で歩いていけるのです。
南米大陸に降り注ぐ太陽の光をいつもこの胸に抱いて。。。

これからしばらくおつきあいよろしくお願いしまーす!

Junko.2003.4.18

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