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昨日の夜、身体中にじんましんが出て、寝ながら体中を掻いていた。目覚めるとおさまっているようだったので気にしないでいたら、SPINの間に顔にじんましんが出始めて熱を持ち出した。今日はcensoをとりに行く日だったので事務スタッフのイサベルのところへ行き、マリアが書いてくれた同意書を提出し、さあ行こうという時、一応スタッフのジェニーとイサベルに相談してみた。「実は何だかじんましんが出てて...」
すると熱がなければ問題ないけど...とジェニーが私の額を触り、「大変、これは熱がありそう」と言って、私はcensoは後回しで病院に行くことになった。イサベルが「Leninはどこかしら」と電話して探していた。こういうのも彼の仕事なのか、大変だな、と思いつつ待っていた。
Leninが来てくれて、二人で病院へ行くタクシーを待った。
「こういうのもあなたの仕事なの?」「こういうのって?」「生徒を病院へ連れていくの」いや、本当はイサベリータの仕事だけど、彼女今日は忙しいから、代わりに僕なんだ。「私いつも病気になって迷惑かける。ごめんなさい」というと、全然いいよ、全く問題ないよ、と言ってくれた。
二人で車に乗って病院へ行く途中、ラジオでサルサ(いやメレンゲだった)が流れていたのをきっかけに、サルサのクラスのことや、日本語の話になり、Leninが、僕の名前、日本語にある?と聞いてきた。どう書くの?と言って、自分の手を差し出して、これに書いて、という。え!手に?とびっくりしつつも、どの漢字が彼にふさわしいか考えた末、「玲人」と書いた。人はpersona、王はking、何となくLeninにはこの字がしっくりきた。
彼の名字はAmpudiaという。これは難しいので今度また考えとくと言った。病院へついて、診察を待つ間も結構時間があった。病院はとてもきれいで清潔でやはり全てが珍しかったが、それに加えてLeninと個人的に話せる時間が持てたこと、何だか神様のプレゼントのような気がした。じんましんはかゆくて顔ははれているけれど、私は何だか本当にうれしかった。Leninのこともいろいろ分かった。彼が英語を話せるのは両親のどちらかがUSAの人だからと思っていたが、そうではなかった。彼は生粋のエクアドル人、英語を話せるのは勉強したから、そしてアメリカ合衆国に留学していたからだった。私は彼の英語がすごくきれいなのでネイティブかと思っていたことを彼に言った。彼は照れながら、ほかの言語も話せるようになりたい、日本語も、ネイティブと間違われるくらいに話せるようになりたいんだ
と言った。私たちの望んでいることはとても似ているんだなぁ...!!
そして、中南米の歴史に興味があるのだよね、と聞いて、私もそうなの、だからここに来たの、と言ったけど、もっと詳しいことをきちんと話せるようになればいいな、早く。だって私が中南米の音楽が好きなことはこの前オタバロの日に彼に話したけれど、その二つがぴったりつながって私をここへ引き寄せたことはLeninにはまだ伝わっていない。
日本で私がしていた仕事の話もした。40数人の医師に私が一人で秘書をしていたことを話すとLeninがとてもびっくりしていたので、でもあなたは40人位の生徒のコーディネーターを一人でしているでしょ、一緒だよと言った。そして彼が英語の教師の資格を持っていると言ったので今度は私がびっくりした。彼も教師なんて!!もちろん私が国語教師になりたいと思っているからだった。
彼の誕生日は9月11日(*注1)。ふんふんと聞いていてよく考えてエッ!と思った。「本当に?」うん。それって今はとても特別な日だよね、というと彼は
まあね、と微笑んだ。
看護婦さんが来て私のカルテを書き込むためいろいろと質問する。私の誕生日は12月4日で現在25才。12/4はキトではすごいお祭りだよ、と彼が言った。「キトの日」の12/6だけじゃなくて?そう12月の4日から6日までがグラン・フィエスタなんだ。わあ、それってすてきだなぁ
と私は思った。12月までここにいたいなぁ、と言った。そしてしばらくして、「もしここに仕事が見つかったら、私はずっとここに住みたいくらいなの」だって私はもうこの国が大好きになってるの、と続けた。
でも日本はすごいテクノロジーの国だよね、とLeninは言う。「うん、確かにそうだけど、私はテクノロジーは特に必要じゃないと思うな」だって例えばテクノロジーなんてなくてもこの国はこんなに素敵だし。というとLeninは「ありがとう」と言った。彼がこの国を好きなんだろうなということがよく分かる。
そして彼は、以前はエクアドルのcosta地方に住んでいて(*注2)(彼のお母さんがcosta出身らしい)そこには電気もテレビも水道もなかったという話をした。ノーテクノロジーだったと。でも彼はそこでの生活がとても好きだった、といった。
そうこうしているとドクターがやっと現れ、私は診察をうけた。のどをみて、おなかをみて、症状を聞いて、ドクターは「何か悪いものでも食べた?」と訊ねてきた。よく分からないけど、何か食べたかもしれないし、コトパクシに行った時に強い日ざしに照らされすぎたのかも、と私は答えた。医師とLeninは登山の時の食べ物がいけなかったのかもしれないね、と二人で話していた。
そして診察は済み、薬が処方された。Leninが、
「Junko、これからは○○を食べちゃいけないよ」と言った。私が分からなかったので彼は絵をかいてくれた。こんな絵だった(左ページを参照)。缶詰!アッ!!
私食べた!!!「Comi' este ayer!!」
昨日の午後私はカロリーナ公園に行って、ツナ缶をパンにはさんで食べた。以前kanakoが美味しいと教えてくれて、彼女の分を少し私にくれたことがある。それで私も自分で買ってみて試してみたのだ。すごくおいしかった。
そうだ、じんましんが出たのはその夜だ。理由ははっきりした。
もう缶詰は食べたらダメというのは残念だ。だってあれは本当にすごく美味しかったのだ。Leninは、エクアドルにいる間はもう缶詰は食べない方がいいという。私が悲しがっていると妥協案として、1か月たってトライしてみて、でももしそれでまたじんましんが出たら、もうこの国では絶対に缶詰は食べちゃだめ、と言ってくれた。OK。1か月たったらトライしてみよう。
学校へ戻り、イサベルとジェニーに報告して、Leninにお礼をいって家へ帰った。
<2002.1.22日記より>
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