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原因不明の胃痛で一晩中ウンウンうなっていた。
朝10時すぎ頃起きてよろよろと部屋を出て、「マリア...」と弱々しい声で助けを求めたが、その時に限って家族が誰もいなくて、私はまたヨロヨロとベッドへ倒れこんで眠るしかなかった。
お昼頃マリアの声がした。私はそっと身を起こしてやっと廊下に出てマリアを呼んだ。マリアは「ya,Junko,ya」とすぐに来てくれて、私が事情を話すと、脈をとったり医者に電話したり(休日なので不在だった)して、「どうして昨日言わなかったの、かわいそうに」薬と、アロマティカ(*注1)を飲むように持ってきてくれて、それからも何やかやとすごく気を使ってくれた。
私は薬をのんで、アロマティカも半分飲んで眠った。針でさすような痛み、そしてぎゅーーーっと握りつぶすような痛みがやってくる。これは体験したことがある。急性腸炎、いや今回のは胃だから急性胃炎かな。マリアが途中でやって来て、「Junko、調子はどう?」ときいて、私が「mismo」と言うと「igual?」ときき返し、あれ、mismoとigualの違いは何だろうな...どちらも『同じ』という意味だっけな...などと思いながらまたうとうとと眠った。
朝食も昼食も食べられずにいて、そして夕食に、マリアがスープにチキンをひたしたものとアロマティカを持ってきてくれ、食べてみると、食べれた。気づかなかったけどお腹がすいていたみたいで、すぐに食べてしまった。お腹は胃全体が熱く、熱を持っている感じが昨日から続いている。痛い。胃が炎症を起こしている感じだなと思い、日本から持ってきていた中(*注2)から、消化器官の調子を整える薬と、痛みをおさえ炎症をやわらげる薬をのんでまた眠った。
次の日になると、痛みはだいぶんひいて、寝ていなくても大丈夫になった。朝食におりて行くとマリアがすぐに準備してくれ、いつもはミルクだけど今日はダメで、紅茶とパンとTuna(という果物。種も固いがそのままみんな食べちゃう。たしかサボテンの実だったと思う)を食べた。昼食はチキン。お腹にいいらしく(確かに私のお腹は抵抗を示さなかった)、今日はずっとこれらしい。美味しいし文句はあるわけない。本当にマリアにはお世話をしてもらった。かなり!!ありがたかった。
ブラジルに仕事で行っていたマリアドロレスが帰ってきた。
私はもう起きていられるようになったので、シャワーを浴びて、日本語会話のプランを練って(なんと指導案まで書きました!)、それから日本の曲を聴いてみたり(教材として使えそうなものを探していた)しているうちに絵を描きたくなって、Cotopaxiの絵を描いた。そうこうしていると時間はとぶようにすぎていて、あっというまに夕食の時間になっていた。びっくりして下りていって、
「時間のたつのが早い。絵を描いてました」と言うと、
絵を描くのが好きなの?どんな絵を描くの?ということを聞かれて、ごにょごにょと答えていたけど見せた方がはやい、と部屋から持ってきて見せた。たった今描き上げたCotopaxiの絵と、この日記の最初のページに描いている母さんとお兄ちゃんの絵(*注3)を見せた。ホセもマリアドロレスも絵を描くし、特にドル(Dol:Maria
Doloresの愛称)は絵を描くのが大好きらしくて、みんなが興味をもって見てくれた。でも、同じ位興味をもって見ていたのが、このノート(日記)の文字。
アルファベット圏の人たちにとっては、漢字やその他の文字はとても珍しくうつるらしく、学校でもみんなが珍しがってのぞく。くー(*注4)が言っていたように、特に漢字がかっこよくうつるらしく、以前アンソフィエを「杏」、ビダー(ノルウェーのサベスの本名)を「美打」(ビューティフルパンチ!と説明した。ちょっとてきとうだなァ)と当てはめてあげたら「Cool!!」と喜んでいた。
ファミリーもすごく興味を示していて、私は彼らの名前があるページを開いていろいろと説明した。ドルは「Maria DoloresとJoseとCarlosが並んでいるからこの間の文字はy(and)だろう」なんて推理をして、それは半分当たっていた。たいしたもんだ!!ドルは頭がいいんだ。
それから部屋に戻って、
なんとなくまた日本の音楽を聴いた。
Leninに日本語を教えるということが、私にとって日本を見直すことになっている。
ここに来る前に、すごくいろいろなことが起きた。私はエクアドルに来て3週間ですでにこの国に惚れ込んでしまい、この国にずっと住みたい、とまで思っているが...、
いくら悲しみがあったとはいえ、個性が認められにくく、自分の色を出してやっていくことにすごくパワーがいるとはいえ、真実が様々な情報に紛れ息もたえだえになっているとはいえ、日本という国で、私は生まれてこの歳までを過ごし、本当に魅力ある様々なものやたくさんの人々に出会った。
その魅力ある部分を思い出し、日本語を教えることを通して彼にその魅力的なものを伝えたい、という思いが、私に今 日本の素敵なものを思い出させている。
私の愛した日本、を思い出させている。
両親や、病院でお世話になった上司や先生方や、
いまだ連絡していない友達、母方のおばあちゃん...
高校の恩師の先生方...に手紙を書こう、と思った。
<2002.1.26-27日記より>
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