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高地のキトでゆうべあんなに飲んだというのに、
奇跡のような話だが 私はCHUCHAQUIにならなかった。
それにしてもお酒を飲んで何食か抜いて(私は今回は朝抜き)、
その後に食べる食事って何であんなにおいしいんだろう!
Kumikoが今日で最後だったので、みんなでピザを頼んだ。
今まで見たこともないようなでっかいピザだった。
そしてまたこれがおいしかった。
けれども!残念!kanakoは完璧にCHUCHAQUIで、一口も食べられなかったのだ...。彼女は1時間半遅れて学校にやってきた。これは彼女にはめずらしいことだった!(遅刻魔の私にはよくあることだが...)
それもそのはず、彼女は本当に昨日しこたま酔っぱらっており、でもとっても幸せそうだった。酔っぱらいすぎて何でも言えちゃう感じ、といって私にとてもうれしい言葉を言ってくれたりした。楽しく酔っぱらっていた。
(おや、今ホセが「ヘップシューン」と3回くしゃみをした。
くしゃみって全世界共通だなぁ!けどここ南米では、誰かがくしゃみをすると、誰かが必ず「Salud!(お大事に!)」と言う。いい習慣だー)
Leninは、そう彼も最後の日。
だけど私は決めた通り、彼のことで特別にいろいろ思ったりするのをやめることにしたので、個人的に彼に話しに行ったりはしないでいた。
でもピザの注文の時にLeninに会って、彼はいつもみたいに、ちょっぴり特別って感じに接してきた。うーん、分からん。ラテンの男の気持ちは分からん。
私はちょっぴりぎこちなかった。昨日私とよりもエイミーや他の子との方がたくさん話して親し気にしていたくせに!それで私は やっぱり英語やスペイン語が通じる子の方がいいのか!と思ったり、Leninはエイミーのことが好きなのか!と思ったりして
たいがい切ない思いをしたのに。
kumikoがLeninに折り紙をあげて、私は二人の写真をとってあげた。でもその時も私は特に何もせず何も言わず、すぐにネットの部屋へ上がった。
ネットルームではPCのクラスをやっていたので、隣の部屋で勉強したり日記を書いたりしていると、パトリシオ(*注1)が来て、二人でいろんなことを話した。
彼も私のスペイン語は ちょっとしかたってないのにすごくいいと言ってくれた。本当かなあ。いろんな人がそういってくれると本当に思えてくる。うれしい!
ソロヒコ(動物園)への行き方や、マチュピチュに似たインカの遺跡がここエクアドルにあることを教えてくれたりした。話の流れで、日本の写真を見せたりして
日本にいた時エクアドルをどういう風に捉えていたか とか、どうしてここに来たかとか、この国の何が好きかとか、どこに行きたいか
とか、パトリシオはいろいろ知りたがった。静かな人だけど、すごく好奇心は旺盛な人なんだなあ。
でも、私がここに住みたいというと、この国で仕事を探すのはとても難しいと言った。人々は仕事がほしくて、実際仕事はあるのに、経営者は人を雇いたがらないのだという。
パトリシオは難しい顔をして「それはこの国の大きな問題なんだよ」というと、話題を変えた。
私は 自分が甘かったことを思った。
不可能ではないと思うけど、軽々しく ずっと住みたい!なんて言えないなぁ と思った。
以前マリアと話した時に、私くらいの歳の平均的給料(大卒-)は約200ドルだと聞いた。これはおおよそ日本の1/10だといえる。
今私は日本でためたお金で この国の安い物価を暮らしている。普通の店でランチを食べて、$1.50もいかない。一日に使うお金は日本円にして大体100円〜200円程度だ。週末のツアーやキセントロ(*注2)などの高級な店で買い物をしたりすると、つい日本の感覚で考えてしまうが、ここエクアドルの物価にしてみるとばか高い(日本でいうと何万円もの)買い物をしている計算になる。
こんなぜいたくができるのは、私が日本から来た日本人だからだ。もしこの国に永久に住んで この国でサラリーを得るのなら、また違った生活になるだろう。
マリア達は、キトの中心地に一件の家をかまえ、高級車を2台持ちメイドを雇って生活している一握りの特権的ブルジョア階級なんだ。
学校のスタッフのほとんどはSur(南地区、治安はあまり良くないし遠いけれど物価はNorte:北地区より安い)からバスやトロリーを乗り継いで1時間以上かけて通っている。
以前ナルシッサが授業で言っていたけれど、Norteに家を買うとしたら考えられない位のお金がいる、ほとんど不可能に近いらしい。金額も言っていたけど日本人にとってもかなりの額だった。エクアドルには家を持たない人々が大勢いる。だからアパートや貸家はまあほどほどの値段であっても、家を買うとなると大変な額にはねあがるのだ。
パトリシオと話した後、5時を過ぎて、階下におりた。
まだLeninがいたので、一言でもさよならを言おうと待っていると(彼は校長のジェームスと話していた)、外に出てきてくれた。
「Junko!」私はただ、「アディオス.」とだけ言って帰ろうとした。
彼は「15日後に電話するよ」と言った。「15日後?」彼はグアヤキルに次の仕事の研修で2週間行く。でも私は、もうこれで彼に会うのは最後になるという気持ちでいた。だから
さよならと言ったのだ。
それから抱きあってほっぺをくっつけて(くどいようだがこれはあいさつだ)その時彼は
いつもよりすこし長い時間そうしていて、何かを言った。私はそのスペイン語がよく分からなかった。
「Gracias por.....」今までいろいろとありがとう、と言っていたような気はしたが、その後にいろいろ言っていた言葉は、理解できなかった。
これが彼との別れになるのかそうでないのかは今は分からない。ただもう会えない心の準備はしておこうと思う。
<2002.2.1日記より>
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