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今日はkanakoとkumikoとオタバロに行く予定だったが、CUMANDAの駅で会えず(私はなぜかオタバロへ行けそうで行けないなァ)、旧市街を散策してスリッパ(部屋で必要なのだ)と絵ハガキ(1枚20セント)を山程買ったあと、知りあった陽気なおじさん(名前は忘れた)と教会やその他の場所に行ったが、どうも雰囲気がとてもあやしくなってきたので
謝って別れた。
それからエルエヒド公園に行って絵を見たりアルパカのセーターを見たりした。そして売り子のおばさんが22ドルと言っていたセーターを結局8ドルで買った。
エヒドからうちまでは少し距離があるが、今日は歩いて帰ろうと思った。水かけまつりは日に日にヒートアップしていて、通りを歩いていると何度も危なくびしょぬれになりそうになる。とても危ないんだけど、この陽気な雰囲気は嫌いじゃない。街角では売り子がふうせん爆弾や水でっぽうを売っている。通りの向こうからふうせん爆弾が矢のようにとんできて、私の目の前で立派なスーツを着たサラリーマンに命中した、しかし彼は怒るに怒れない。何しろカーニバルなのだから!年輩の人も含めて老若男女、いたずらっぽい目をして子どもたちと一緒になって水かけ合戦を楽しんでいる。
小さな通りはさすがにキケン極まりないのでアマゾナス通り(*注1)まで歩いていると、一人のエクアドル人が声をかけてきた。
キトの街を歩いていると、ほんとにいろんな人が声をかけてくる。ラテンの気質なのか、この国の人たちが人なつっこいのか分からないが、私はここでは数少ないアジア人なので、めずらしいというのは確かみたい。
彼はルイスといった。長距離バスの運転手で、グアヤキルから帰ってきたところらしい。結局キセントロまでかなりの時間を一緒に歩いた。歩いて歩いてC.C.I.に着いて、私がカレンダーを買おうとすると彼がお金を払い、自分で払うと言っても受けとってくれない。(この辺からどうもまたあやしくなった!)そしてそれからもいろんなものを買ってくれようとした。歩いてかなりのどが乾いていたのでカフェに寄って、この時も代金は私に払わせず、そして彼は自分の電話番号を私に教えてきた。私も訊ねられたが
ホームステイ先の家族にとめられている といって教えなかった。電話してくれと言ってきたがするつもりはない。彼は奥さんも4人の子供もいる40歳のいいおじさんだ。
こういうことが続くと、ちょっとやはり考えてしまう。
私はちょっと無防備すぎるかな。
いくら言葉の勉強でいろんな人と話したいとはいえ、人なつっこい性格だとはいえ、一人でいる時に近づいてくる男の人(とくにおじさん)にはこれからもっと気をつけよう。
日曜日はのんびりしようかと思っていたら、マリアが
「マリアドロレスとホセと、ラタクンガへ行かない?」と言ってきたので喜んでついて行った。
車で2時間程のドライブで、この間COTOPAXIに行った時に通った景色を眺めた。それもそのはず、ラタクンガはコトパクシにほど近いこじんまりとした町だった。そこにはマリアのお父さんとお母さんが住んでいた。
マリアも大学に進学するまではその家に住んでいたらしく、若い頃の写真や、結婚式の写真、たくさんいる兄弟やその子供たちの写真などがあちこちに飾られていた。マリアもマリアドロレスも、私にその親戚一同の名前とつながりを一人ひとり教えてくれるのだが、多すぎてとても覚えきれなかった!居間にはたくさんの本も置いてあり、マリア達もきっとこの本を読んで育ったんだろうな...と私は思った。
ペンキできれいに塗られたその素敵な家の庭の木にDolと一緒に登り、カプリ(フルーツの一種。サクランボか梅の仲間かもしれない。熟した実は黒くて甘い)をとった。黒ければ黒いほどいいので、私たちは何とか高い所にある黒い実をゲットしようと苦闘した。最後にはDolが納屋の屋根に登り、かなりの実を収穫した。この収穫した実はおばあちゃんによって煮詰められてジャムやいろんな料理になるそうだ。
それから近くに住んでいるマリアの弟さんもやって来て一緒にみんなで昼食を食べ、ちょっと市内をドライブしたあと、居間に集まり写真をとって、帰路についた。
ちょっと疲れたけどいいドライブだった。
<2002.2.2-3日記より>
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